第2話「エロのアルタミラ」


 アルタミラ洞窟は、スペイン北部のサンティリャナ・デル・マール近郊にある洞窟。

 アルタミラ洞窟の壁画は、先史ヨーロッパ時代の区分で主にマドレーヌ期と呼ばれる旧石器時代末期に描かれた野牛、イノシシ、馬、トナカイなどの動物を中心とする壁画であり、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。

 個人的願望として、洞窟の奥には原始人が棲むのだろうと思う。

 そして、人の心の奥には原始人が棲むのだろうと思う――いざとなれば、どんな残酷なことでもできるものだ。

 歴史の授業で先生がそう締めくくった。

 その言葉が妙に印象的だった、そんな晩秋のこと。



 日直を終えた帰り道、商店街の道端から出てきた男の人を見て、わたしは眼をぱちくりさせた。

「和也さん?」

 間違いなく和也さんだった。なにやら爽やかな顔で、やけに大きめの紙袋を手に提げている。声をかけようかどうか迷っているうちに、わたしに気づくこともなく足早にすたすたと歩み去っていった。

「そういえば、今日は用事があるから一緒に帰れないって言ってたけど……何かの買い物だったのかな」

 なんとなく気になったわたしは、彼が出てきた商店街の路地裏に足を踏み入れた。

 とてとてと右に左に歩いていくものの、お店らしいものは見当たらない。あまり奥まで行くと道に迷っちゃいそうだから、そろそろ戻ろうかと思ったとき、だんだんと道が開けてきた。

 ちょっとの好奇心も手伝ってその道を進んでいくと……

『エロ大王』

 眼前にそびえるいかがわしさ全開のお店を、わたしは茫然と眺めた。

 だって、こんな、どこからどう見ても、えちぃ屋さんとしか思えない店構えが信じられなくて――

「って、わわ、えっちぃな本が目の前にっ?」

 店先に設置されてあった、え、え、ええエロ本の自動販売機に気づいて飛び上がりそうになる。こんなものまであるなんて、本当に信じられない。

「おい見ろよ。あのねーちゃん、アダルトグッズ店の前で食い入るようにエロ本の自販機を見つめてるぜ」

「うわ、すげー度胸。最近の中学生はホント進んでるよなあ〜」

「わあああっ!?」

 ただならぬ会話にびくっと振り向くと、小学生らしい男の子二人がひそひそとわたしを指差していた。

「わっ、こっち見た。つか小っせえー、ロリだぜロリ」

「よし、今からあいつはロリ女王(クイーン)って呼ぶことにしよう」

「それいいな、ロリ女王(クイーン)。エロパワー全開のロリ女にはピッタリの称号だ」

「なに買うんだろう。やっぱロリータ本か? きっと彼氏のために研究するつもりだぜ」

「わ……わあーーーーーーーーーっ」

 聞こえよがしなやりとりに耐えきれず、わたしは顔を真っ赤にして逃げ出した。



「ふぅふぅ……誰がロリ女王(クイーン)なのよぉ……はうん」

 時間にして数秒も走らなかったはずだけど、足を止めて息を落ち着かせる。

 うう……わたし高校生なのに、中学生と間違えられるなんて。それに――

「どうせわたしはどこもかしこも小さいですよぉ」

 コンプレックスを直撃されて正直凹んでしまう。もうさっさと家に帰ってごはん食べよう。

 そう思ってふと気がつくと、わたしは異世界の真っ只中に立ち尽くしていた。

「え……あれ」

 見たこともない変なものがいっぱい置いてある場所。どう見てもどこかの店の中。

 もしかして、もしかしなくても? なんで、どうして? その場から逃げるつもりがうっかり店内へ入っちゃったの? どうしよう、どうしましょう、このままではわたしが大変なことにっ。

「わ、あわわ、早く出ないと」

 あ、でも、いま外に出てまださっきの男の子たちがいたら、また何かとんでもないことを言われるに違いない。

「うぅぅ……」

 思わず鞄から出したノートで顔を隠し、どうしようか考える。

 ダッシュで店から飛び出して走り去るのが妥当なんだけど……ただ、和也さんがもしこのお店に入っていたのだとしたら、少し興味が湧いてきたりなんかして。

「あの紙袋がここで買ったものならわたしにも関わってくるかもしれないし」

 幸い他にお客さんはいないみたいだから、しばらく店内で時間を潰す苦渋の決断を。

 ううっ、お父さんお母さんごめんなさい。のぞみは人生最大のふしだらな局面に陥っています。

 心の中で両親に謝罪しながら、わたしは気合を入れて店内を見回し始めた。意外とガラスケースに入っているものが多いのは盗難防止のためかもしれない。

「なんだろう、これ……『南極Z MK=2型』?」

 天井から吊り下げられた、大きなビニール人形みたいな謎の商品。うーん、や、やっぱりえっちなことに使うものなんだろうけど……えと、ではまさか、そんな、だだだ、だめ駄目ダメですよそんなこと考えちゃっ!

 顔をぶんぶん振って違うところに眼を移す。――と。

「え、なに、このグッズ……えすえむ……エスエム……SMっ!?」

 思わず大声出しそうになって慌てて自分の口を押さえる。ううう、噂には聞いたことがあるけど、実物を見るのは初めてなんですけど。

 うわあ、何に使うのか分からないものがいっぱい……これなんか痛そうだなあ。

「こんなので叩かれたら、きっとわたし死んじゃうよぅ……ぶるぶる」

 ひょっとしてここは天外魔境ですか?

 びくびくしながらその場を離れると、コスプレコーナーが眼に入った。

 色々な制服やアニメに出てきそうな衣服がたくさん並んでいる。眼をそらしたくなるようなきわどい衣装もあるけど、うん、こっちのこういう可愛いものなら着てみたい気も。

 なんとなくホッとしていると、

「お嬢ちゃん、○○学園の生徒さんかい」

「えっ、ははははいっ」

 カウンターのほうから突然声をかけられ、びっくりして返事がどもってしまう。

 振り向くと、鼻のふさふさな白ヒゲが特徴的な、頭にターバンを巻いた店員さんがこっちを見ていた。つい反射的にノートで半分顔を隠すわたし。とゆーか、制服見ただけでどこの学園かわかるなんて、えちぃグッズ屋の店員さんってすごいなぁ。

「その服に目をつけるなんて素質あるね。それは美術の専門クラスがある某学校の女教師も自作の参考に買っていった衣装だよ」

「えと……あ、ありがとうございます」

 なんの素質なのか怖くて聞けないけど、とりあえず会話できる距離まで近づく。まともに顔は見れないものの、お話しする程度ならなんとか。

「そういやさっきお嬢ちゃんの学校の男子生徒が来てたよ」

「え――あああの、それってもしかして……このひとですか?」

 おずおずと、和也さんの写真を見せる。以前ゆう子ちゃんがこっそり撮ってくれたもの。

 ああこのお客さんだ――キッパリと言われ、わたしは軽いショックを受けた。はうん……和也さんがこんなお店を利用していたなんてぇ〜。

「ひょっとしてお嬢ちゃんの彼氏?」

「ええっ! そ、そそそ、そんなこと……ありますけど」

 顔を赤く染めて、がっくりと頷くわたし。

「そうかそうか。彼は見所あるよ。もう立派にうちの上得意さまだし、お嬢ちゃんを愉しませること間違い無しだ。いい彼氏を持ったね」

「は、はあ……」

 喜んでいいのかどうか、すごく複雑なんですけど……はうぅ。

 それにしてもお得意さまって、和也さん常連さんなの??

「そうだ!」

「わっ、びっくりした」

「今度サービスでお嬢ちゃんの家にも上得意さま向けのプレゼントを配送させてもらうから」

「い、いえっ、そんな、お構いなく」

「梱包はカモフラージュするから家族バレは大丈夫。これまでのお返しに彼氏を満足させてやることができるよ」

「ひとの話を聞いてくださいよ〜」

 ていうか、わたしの住所把握してるんですか? さすがえちぃ屋の店員さんだなぁ。

 って、なにやらいつの間にか馴染んじゃってるんですけど!

「はぅん……もうわたしお嫁に行けないよぉ」

「ノープロブレム。彼ならお嬢ちゃんを悦んでもらってくれるよ」

「そ、そうですか? ほっ、それなら安心」

「今後とも彼氏と一緒によろしく」

「あ、はい、わかりまし……――そうじゃなくてっ」

 よく考えたらこんなところでいったいなにをやってるんだろう。冷静になった途端、急激に羞恥心が湧き上がって頭がスパークしてきそうになって、

「え、えと、それじゃわたし、これでっ」

 ぺこりとおじぎすると、逃げ出すように店を後にした。

 もう無我夢中でひた走る。ふいに、今日の歴史で先生が口にした言葉が甦った。

 人の心の奥には原始人が棲むのだろうと思う――

 人間の三大欲求が、食欲、睡眠欲、性欲だから、あのお店にあるようなものも心の奥に棲む原始的欲求によるものなのかもしれない、なんて発想が浮かんでは消え浮かんでは消え……気がつくと、わたしは夕暮れの街路に立っていた。

 赤黒く染まる街並み。人々の喧騒。ひとすじの秋風。

「きっと、全部、幻だったのかも」

 そういうことにしておこう。



 翌日の放課後――和也さんの部屋。

「プレゼントフォーユー」

 手渡されたコスプレ衣装に視線を落として固まるわたし。フリーズ。いしのなかにいる。

「どうした。嬉しすぎて言葉も出ないか」

「……えっと、こ、これは、その」

「ああ、今日は単刀直入に噛み砕いて言う」

「な、なんですか……」

「それを着て俺とHしてほしい」

「た、単刀直入すぎますよ〜っ」

「OK?」

「あの、でも……」

「OKっ?」

「お……おーけー」

「さすがのぞみ先生、ナイス返事っ!」

「はうん……」

 やっぱりこうなっちゃうのかなあ。

 うん、でも、心の奥に原始人が棲んでいても、いなくても、和也さんがわたしを好きでいてくれて、わたしも和也さんが好きでいることに変わりはないに違いない。

 それでいいんだと思うのでした。