第1話「夢のやきそばパン」


「きみ、ボクの顔をお食べ」

 そのひとは白いふんどし一丁の筋肉質な男性で、顔はやきそばパンだった。

 やきそばパンみたいな顔ではなくて、首から上の頭部がやきそばパン。

 どこから声を出しているのかわからないのだけれど、

「ボクの顔をお食べ」

 ずいっと、顔――やきそばパン――を近づけてくるので、

「あ……はぁ……」

 頬をひとすじの汗が伝うのを感じながら、おずおずと両手で掴んで食べ始める。人(?)の厚意をむげにするのも悪いし。

 うん、やっぱりやきそばパンはおいしい。

 普通のソースやきそばと普通の細切りしょうが、どこにでもある普通のやきそばパン。といっても、高級なやきそばパンなんて聞いたことないけど。

「ごちそうさまでした」

 にっこりとお礼。それで済むと思っていた。

 ところが。

「さあ、もっとお食べ」

「えっ」

 彼の首から、顔――やきそばパン――が生えた。ずずいっと近づけてくる。

「あ、あの、わたし、もうおなかいっぱいなので……」

「ボクの顔をお食べ」

「いいいえ、だからっ、わた――むぐぅ!」

 あろうことか、そのひとは自分で顔をちぎって、わたしの口に押し込んできた。

 ちぎっては押し込み、ちぎっては押し込み、次々とわたしに食べさせ――

「もっと、もっとお食べっ!」

「むぐーーーーーっ!?」

 く、くるじいっ、いきができな……っ、やめ、やめでえええッ!

 もう……ゆるしてェ……ゆる、

「こっ、殺されるゥ!!」

 脳が意識を失えと命じた。



 実際には、目が覚めたのだった。

「殺されると思ったのは私なんですけどー」

 すぐ近くから女の人の声がした。すごく聞き覚えのある声。

 そこで意識がはっきりして、どんな状態になっているのかわかった。

「え……わあああっ!? ごご、ごめんなさいごめんなさい!」

 寝相が悪かったのか、わたしは女の人の上にどっかりと寝転がっていたのだ。恥ずかしさで顔から火が出そうになる。

「あうぅ、わたしったら、なんてはしたない……ていていっ。あいたっ」

 反省のつもりで自分の頭を叩いたら、ちょっと強かったのか、とても痛い。

「のぞみちゃん、うなされてたみたいだけど、大丈夫?」

 苦しい目にあったはずなのに、心配げな顔を向けてくれたこのひとは、同じ学園に通う矢神由梨子さん。

 由梨子さんは優しいなあ。背も、身長一四六センチのわたしより二〇センチは高くて、しっかりしてて……それに比べてわたしったら、ダメすぎだよぅ。

「だ、大丈夫です、ちょっと変な夢見ちゃっただけですからっ」

「あらぁ――どんな夢?」

「え? えっと……その……どんな夢だったか忘れちゃいました」

「ああー、夢って、目が覚めたら急激に頭から遠のいていっちゃいますもんね」

「そ、そうですよね……」

 言えない。

 まだ知り合って日が浅い由梨子さんに、やきそばパンマンに窒息死させられそうになった夢を見ましたなんて、とても言えない。

「さあ、お昼寝もすんだことですし、そろそろ帰ろうかのぞみちゃん」

「そうですね。って、わ、もう夕方―――――――――――――ッ!?」

 校舎屋上から見える空は鮮やかなオレンジに染まっていた。

 今日は休日だけど、清掃委員のわたしと由梨子さんは朝から学校の掃除に来ていた。正午過ぎに掃除が終わって、屋上で一緒にお昼ごはんを食べて、ちょっと眠くなってきたところまでは記憶に残っているのだけれど、まさかそのまま寝てしまったなんて。きっとそんなわたしを見て、由梨子さんも一緒に寝ちゃったんだろう。

 お弁当箱を片付けたわたしは、由梨子さんに一声かけて、足早に屋上を後にした。



「ご、ごめんなさいごめんなさいっ!」

 夕暮れの校門前で、殆ど半泣きでペコペコと頭を下げるわたし。

「はあ……過ぎたことはしょうがないが、俺は秋深し芋を焼いちゃうくらいの気持ちで楽しみにしてたんだぜ?」

 そうおどけながらも、落胆を隠せない様子の和也さん。同じ学園に通う一学年上の男子生徒で、わたしと付き合っているひと。つまり、彼氏とか、恋人ともいう関係。

 昼過ぎには掃除が終わるからと、二時に待ち合わせしていて、それなのにうっかりこんな時間までお昼寝を……はうん、泣きそう。

「ほんとにごめんなさい……わたしも、すごく楽しみにしてたのに」

「馬鹿、まだ時間あるだろ」

 しょんぼり肩を落とすわたしの頭を、そっと撫でてくれる和也さん。

 上目遣いに顔を上げると、

「ファーストフード寄って何か食べるくらいいいよな?」

「ははははいっ」

 わたしはこくこくと頷いた。嬉し涙が溢れてくる。

 今度はこんなことがないようにしよう。居眠りでデートの時間をすっぽかすなんて、情けないことこのうえない。それでも待っていてくれた和也さんのために頑張らないと。

 友達のゆう子ちゃんがくれた腕時計に眼をやって、そう心に誓った。



「きみ、ボクの顔をお食べ」

 白ふんどし一丁の筋肉質な男性が、頭部――やきそばパン――を向けてくる。

 不思議なことに、やきそばパンは一回り大きくなっていた。

 それでも断るのは悪いと思って食べたのだけど、

「さあもっとお食べ」

 やっぱり生えてきた。

 こんなものをたくさん口に押し込まれたら、ほんとに窒息死してしまう。

「ご、ごめんなさいごめんなさいっ」

 ぺこぺこと謝ってから、わたしは一目散に逃げ出した。

「もっと喰え!!」

「ひゃああああっ!?」

 思わず悲鳴を上げた。まさか追ってくるなんて。

 ううっ、やめてよう、やきそばパンは好きだけど、こんなのは……たすけてぇ〜。

 自慢じゃないけど体力に自信はなくて、すぐにぜえぜえと息があがってきて、それでも必死に足を前に前に出して……そして――追いつかれてどかどか口に押し込まれて視界が真っ白になったとき、わたしはベッドから落っこちていた。

 スズメの鳴く声が聴こえる、そんな朝のこと。



 放課後の校門前で、恋人を待っているらしいゆう子ちゃんと立ち話。

「へえ、大きなやきそばパンに追いかけられて無理矢理食べさせられる夢ねえ」

「うん……ここ数日ずっとで、ちょっと睡眠不足が心配」

「いや、早寝が趣味ののぞみならヘイキでしょ」

「趣味じゃないよー。それに、最近はちょっと遅くまで起きるようになったし」

「のぞみが? そっか、彼氏ができると色々考えることが多くなるわよね」

「あうぅ……」

 冷やかされたわけじゃないけど、やっぱり照れてしまう。でも、ゆう子ちゃんの言うことはそんなに間違ってなくて、和也さんと付き合うようになってから、彼のことを考えたりしていつもより寝る時間が遅くなることも増えたのは事実で。

「とかなんとか話してるけど、はあ、遅いなあ」

 ゆう子ちゃんが自分の腕時計を確かめて溜息をついた。彼氏が時間にルーズな人だということは何度か聞かされたことがある。

「でも、好きなんだよね」

「……まあね」

 苦笑しながらも、ゆう子ちゃんは幸せそうに頷いた。



 和也さんと帰り道を一緒に歩いていると、交通事故の現場に出くわした。

 道路に散乱したバイクの残骸とヘルメットが惨状を浮き彫りにしていて、わたしは不安げに和也さんに寄り添った。

 野次馬の人たちから、時速百キロくらい出ていたらしいという会話が飛び交う。

「どうしてそんなに急いでいたんだろう」

 そう呟いて、ふと、今日の数学の授業が頭に浮かんだ。

 距離/時間=速度で距離はかわらないから……時間がどんどんどんどん短くなっていることに?

 わたしはぶるっと震えた。

「交通事故って怖いよな。ヒロインが車にはねられて三年も昏睡状態になるゲームがあったけど、そんなことにならないよう気をつけねば」

 事故現場を眺めて、さすがに真面目な顔をする和也さん。

 でも、きっと、本当に怖いのは交通事故なんかじゃなくて――



「さあボクの顔をお食べ」

 信じられないくらい大きくなっているやきそばパン。

 わたしダッシュで全力逃走。

「喰えーーーッ!!」

「きゃーーーーーーーーーっ」

 当然、追いかけられる。

 それにしても、いったいなにを食べたらこんなに大きくなるんだろう。あ、ちがう、食べられているのはやきそばパンのほう?

 そういえば、いつからこんなことになったのか。

 どうしてだか大切なことな気がして、逃げながらも考えた。

 最初は、たしか、由梨子さんと学校の清掃をした休日のお昼で……それから毎日毎日こんなことになって……それは、でも、色々と時間を気にするようになってきた頃と一致するわけで、

「――――――わかった!」

 難しい方程式が解けたような感覚が脳内ではじけた。

「このやきそぱパンは、わたしの時間そのものなんだ……」

 次の瞬間、足もとがフッと消えた。

 浮遊感。落下。

 真下に見えたのは、紅しょうがの代わりに街を載せた、巨大なやきそばパンだった――



 晴れやかな朝。信号が変わるのを待っていると、後ろから声をかけられた。

「よう、今日も平和そうな顔でトロトロしてるな」

「あ、和也さん……おはようございます」

 信号のだいぶ手前で止まっているわたしはそんな風に見えたのかもしれない。

 ここ最近は、テキパキした日常の動作を意識していたんだけど……

「えと、時間を守るのは大切だけど、時間に合わせる必要はないのだと思い直しました」

「よくわからんが、のぞみの言うことももっともだな。よし、じゃあちょっとファミレスでも寄ってくか」

「ファミレスって……学校はどうするんですか?」

「今日は一時限目までの先生はうるさくないから、二時限目に間に合うようにすれば大丈夫だ。たまには重役出勤でも満喫しようぜ」

「わ、わたしは学年もクラスも違うんですけど――てゆーか、授業をサボるのはよくないですよっ」

 登校路を外れようとした和也さんを、わたしは慌てて引き止める。

「こら、シャツを掴むな。お前はほんと真面目なやつだなあ」

「……いえあの、和也さんの基準で言われても」

 和也さんはしょうがねーなーと呟きながらも、渋々諦めてくれた。ほっ、よかった、強引に押し切られなくて。

 そのまま、ふたりでゆったりと登校。

 お昼休みは学食で購入したやきそばパンを中庭で一緒に食べて――

 おかしな夢にうなされることがなくなった、そんな日のこと。