のぞみ先生といっしょ 前編
土曜の午後。和也がだらだら帰り支度を整えていると、クラスメイトの高槻あゆみが声をかけてきた。
「ねえ、あの子、来てるわよ」
「おっ、今日はあっちが早かったか」
首をめぐらせた先、小柄でおとなしそうな少女が、教室の入り口で伺うようにこちらを覗いていた。
手を振ってやると明らかに安心したような顔を見せた。そんな態度がなんとも愛らしい。俄然と気がはやり、サクサクと教科書を鞄に詰め込む。
「一年生の彼女を作るなんてやるわね〜」
「年下の彼女はガラスの靴を履いてでも探せって言うだろ」
「いや、それ違うんじゃない?」
「そうか? まあなんだっていいや、じゃあな」
「うん、ばいばい」
簡単に帰りの挨拶を交わす。そういえば最近あゆみの髪型が変わったのは、もしかしたら彼氏ができたのかもしれないなと思いつつ、和也は年下の彼女のもとへ足を向けた。
「しかしなんだ、お互い帰宅部って気楽でいいよな。やっぱ部活に入ると面倒だもんな」
「わ、わたしはそんな理由じゃないですよ」
「でもなー。俺は学校帰りにゲーセン寄ったりして、そのまま家に帰ってのんびりするのが有意義だったぜ?」
「そんなの有意義にしちゃだめですよ〜」
「ま、いまはこうしてお前と一緒に放課後を過ごすことが一番の有意義だけど」
「わ……ま、またそんなこと言って……」
和也の隣を歩いている少女が恥ずかしげに頬を赤らめる。
彼女の名は椎名希未。この春に付き合い始めた一つ年下の少女で、和也にとって高校生活二年目にして初めて訪れたマイスウィートラバーだ。
「でも、のぞみが何かやりたいっていうなら、俺は止めないぜ」
「えっ……わたしは、べつに……」
「いやいや遠慮すんなって。渋谷サイキックリサーチに入って心霊調査することになっても、俺はお前を応援するぜ? 一緒に入部するのは嫌だけどな」
「わ、わたしもそんな怪しいの嫌ですよーっ」
「あっ、お前それ渋谷サイキックリサーチに失礼じゃないか。言いつけるぞー?」
「えええっ、や、やめてよぉ」
「ばか、落ち着け、そんな部活あるわけないだろ。からかっただけだ」
「はうん……」
のぞみ先生、半泣き。ほんま可愛いやっちゃなあ。
そんなことを実感しつつ、和也は幾分か真面目に応対することにした。
「まあ冗談抜きで、ほんとに何かしたいなら言ってくれよ」
「だから、わたしは、ほんとにいいんですってば」
「いや、もうからかったりしないからさ」
もし何か部活に興味があるなら応援するつもりだ。そうなると一緒に下校する時間が少なくなるだろうが、無理に反対などしたくはない。
しかしのぞみは、ふるふると首を左右に振って、ぎゅっと和也の手を握った。
「わ……わたしだって……あなたと一緒に放課後を過ごすのが、いちばん有意義なんですからっ」
涙目で、瑞々しいトマトみたいに顔を真っ赤にして、それでも握った手は離さず、視線はそらさず――ただ和也だけをまっすぐに捉えていた。
「のぞみ……」
胸に熱いものが溢れてきて、和也はのぞみの手にもう片方の手を重ねた。
互いの温もりを感じ、じっと見つめ合うふたりに、もう言葉なんかいらない。
爽やかな風が、優しく恋人たちを包み込んだ。
(END)
――と、ゲームだったら、ここでスタッフロールとEDソングが流れ出すのだが。
現実には周囲からのくすくす声と注目の視線の的になっていた。
何しろ校舎を出てすぐの場所なので、人の目に付かないわけがない。状況に気づき、たちまち別の意味で赤くなる二人。
「わ、わあーーーーーーーーーーーーーっ!!」
「おおおい、ちょっとまてっ」
恥ずかしさのあまりダッシュで逃げ出すのぞみ。慌てて追いかける和也。
だが、程なくしてのぞみは立ち止まった。校門前に立つ女生徒に声をかけられたようだ。追いついた和也に、その女生徒は挨拶代わりに片手を振った。
のぞみのクラスメイトで友人でもある、ゆう子だった。
「ゆう子ちゃん、恋人と待ち合わせ?」
「もちろん! そういうのぞみもこれからデートか」
「そ、そんなこと……あるけど」
「照れるな照れるな。でものぞみは彼氏が時間守ってくれるからいいわよね〜」
少し苦笑して時計を確かめるゆう子。どうやら恋人が約束の時間に遅れているらしい。
「俺も結構アバウトだけどな。それにのぞみとは学年が違うから、放課後くらいにしか会えないし」
「贅沢言うんじゃありませんー。こんな可愛い彼女をゲットしておいて」
「わわ、やめてよ〜」
髪をくしゃくしゃ撫でられ、のぞみがくすぐったそうに頭を抱える。
手首の裾から覗く腕時計に目を留め、ゆう子は手を離した。
「その腕時計、ちゃんと使ってくれてるんだ」
のぞみはこくんと頷いた。
ゆう子から貰った大事な時計。そして、和也との出逢いと、距離を縮めるきっかけとなってくれたもの。
「それにしても、ほんとよかった。のぞみに彼氏ができて」
「ゆう子ちゃんがわたしに男の子と普通に話ができるよう訓練してくれたから……」
「そう言ってもらえると腕時計をプレゼントした甲斐はあるけど――でも、私は自分に恋人ができてから、そっちを優先してのぞみに構わなくなったし……だから、それは私のおかげじゃなくて、のぞみが頑張ったからだよ」
「……ありがとう」
改めて友人から頑張りを認められたのが嬉しいのか、のぞみの口もとは大きく綻んでいた。
やがて待ち合わせの相手がやってきて、ゆう子は楽しそうに校門を後にした。
見送りながら、和也はふとさっきの彼女の言葉を思い出す。
――こんな可愛い彼女をゲットしておいて
これは前にゆう子から聞かされたことだが、のぞみは男子生徒から結構人気があったのだという。だが、極度の照れ屋で超が付くほどの人見知り、しかも男子相手にはほんの数秒顔を合わせるのが精一杯という性格のため、彼氏いない歴=年齢を更新してきた。
そのため一部の男子生徒たちからはガードが固いと勘違いされるようになり、「椎名バリアー」とか「のぞみシールド」とか陰で呼ばれることにもなった。
和也がのぞみと出会って知り合うことになったのは、不可思議としかいいようのない偶然の連続によるものなのだ。
「じ〜〜」
「えっ……?」
「じじ〜〜」
「わわ……な、なんなんですか急にっ」
凝視されていることに気づき、のぞみは思わず鞄から取り出したノートで顔を隠す。和也と付き合い始めてからは回数が減ったが、人の顔をまともに見られないのぞみならではの癖だ。
「いや、こんな可愛い彼女を持って、俺は幸せ者だなと」
バサッとノートが落ちた。のぞみの顔がまた朱に染まる。
「わーーーーーーっ」
「あ、こら……しょうがねーな」
せっかく心底からしみじみ思ったことを口に出したというのに逃げ出すとは何事だ。
和也はアスファルトに落ちたノートを拾ってから、俺ダッシュでのぞみを追いかけた。
鮮やかな夕焼けが世界をオレンジに染める頃、のぞみを背負った和也が自宅に到着した。
「着いたぞ。おろすから、足、気をつけろよ」
「は、はい……お手数かけます」
右ひざに湿布を貼ったのぞみが、おぼつかない体勢で足を地につける。少し顔をしかめたものの、軽い歩行に支障はないようだ。
あの後のぞみはうっかり転んでしまい、足を挫いてしまった。近くの病院で診てもらったところ、大したことのない捻挫で、一晩安静にしていれば治ると診断された。
のぞみを背負って家まで送り届けようとしたが、
「あの、お父さんとお母さん、昨日から旅行に出かけてて……その、できたら……」
足を捻挫した状態で家に一人というのはやはり不安なのだろう。
そういうわけで、和也の家に一泊することとなった次第である。和也が一人暮らしという利点だ。
部屋に上がってくつろぐ二人。
「あれ……これなんです?」
のぞみが見つけたのは、アニメ絵の可愛らしい女の子がパッケージされた箱だった。
「ああ、エロゲーだ。純愛系だから安心してくれ」
「えろげー……ってなんですか?」
「お前はそれを人に説明させようというのか。のぞみ先生、大した羞恥プレイだな」
「知らないから訊いてるんですよぉ」
「パッケージ裏を見ろ」
いくら鈍感でトロくさいのぞみでも、裏面見ればどんなものかわかるだろう。
言われたとおりにしたのぞみは、次の瞬間、悲鳴を上げて放り出した。
「ば、お前なに放り投げてんだよっ」
「だだ、だって、えっちぃのが、えっちぃのが〜っ!」
「人の夜のお供を粗末に扱うなよ……ああ、お許しください健ちゃん、彼女は自分が何をしているか知らないのです」
エロゲーを押入れに仕舞いながら、心の師匠と崇める主人公・健二に謝る和也。
「わああっ、なんか前に来たときよりもえっちな雑誌やDVDが増えてるしっ」
「頼むからそんなことで大騒ぎしないでくれ。健康な一般男児なら、このくらいの数は普通だろ」
「そそ、そんなこと言われたって、和也さん以外の男のひとの部屋なんて入ったことないから普通かどうかなんてわからないですよ〜」
それもそうだ。つか、もしのぞみが他人の男の部屋に入ったことあったら、俺のほうが大騒ぎだっての。
思わず怖い想像をしてしまい、和也は冷や汗をかいた。
隣を見ると、のぞみが半泣きでおろおろしている平和な光景が眼に入り、ほっと一息。
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夕食は弁当でも買ってくるつもりでいたが、のぞみが作ってくれることになった。
そのくらいの作業なら問題ないし、泊めてもらうのに何かしないのは悪いとのことで、せめて料理はわたしがという流れだ。
「ならふたりで作るか。お前ひとりだと心配だし」
「わ、わたし、普通に料理作れますよー。前の休日に来たとき、お昼ごはん作ったじゃないですか。それはまあ、ありきたりのカレーでしたけど……」
何を勘違いしているのか、微笑ましいほどのふくれっ面をするのぞみ。
「いや、そういうことじゃなくて……足、問題ないっていっても、一応心配だからさ」
「あ……」
「ああ、あのときも言ったけど、あのカレー結構おいしかったぞ。ちょっと量間違えてくれたおかげで三日間カレー尽くしだったのもいい思い出だ」
「あうう、ごめんなさい」
そうだった。つい作りすぎてしまったのだ。なにしろ家族以外の男性に手料理をご馳走するのは初めてだったので、張り切った結果がとんでもないことに。
「気にするな、そのぶん食費が浮いて助かったんだから。それに、おいしかったのは本当だ」
「ありがと……う、嬉しいです」
「ああもう、こんなとこで涙ぐむなって。ほら、早く作ろうぜ。彼女とふたりで料理するのって初めてだから、ちょっとうきうきしてるんだ」
「わ、わたしも初めてです……どきどき」
なんか初エッチのときのやりとりを思い出すな――なんて言ったら、間違いなくのぞみ先生が大変なことになってしまうので、
「それじゃ、始めるとするか」
「はいっ」
元気よくキッチンへ移動するのだった。
その後、夕食はつつがなく完成。
味は普通なのだろう。
しかし、それはとてもおいしく感じ、ふたりは心身ともに満腹感を得た。