「心配しなくてもいい。俺は天野の恋人だからな」
気分になるだけでなく、実際に抱き締めた。
右手を頭に添えて左手を腰に回して胸の中に引き寄せる。
赤くなって俯いてるわけではなく、不安そうな顔をしていたから。
その不安を取り除いてあげたかったから。
天野も俺の背中に手を回し、強く力を込めてくる。
「信じてますけど・・・相沢さんの周りには綺麗な人、多いですから」
「大丈夫だって言わなかったか? 浮気する気はない」
「・・・はい。私も浮気なんかしませんよ。相沢さんだけ、ですから」
手を解き、くすっ、っと笑う。
それから手を繋いで部屋へと歩き出す。
より強くなった絆のように、繋いだ手は離さずに。
旅館ですよ。 第11話〜2人で寝るって幸せですか?〜
「おかえりなさーい。また一緒に露天風呂?」
部屋に戻ると麗奈さんがいた。
夕食の準備をしていたようだから待ち伏せとかじゃないようだ。
もしかすると働いてる姿を見るのって初めてかもしれん。
「そうですよ。露天風呂です。麗奈さんも行ったらどうです?」
「今日は普通の夕食ですか。安心しました」
「2日連続で新婚さん用を出すのもね。祐一さんに両方食べてもらいたかったし」
昨日は新婚さん用で今日は一般用の料理か。
たしかに両方とも食べてみたかった。
というか今日は新婚さん用を食べたくない。
何かなってしまいそうで嫌だ。
「んじゃ、私は仕事中だから。ごゆっくりどうぞ」
極めて珍しく麗奈さんは大人しく去った。
いつもなら何かしら悪戯とかしてから仕事に戻るんだが。
さすがに夕食時は忙しいらしいな。
「食べるか。美味そうだしな」
「そうですね。お腹も空きましたし食べましょう」
料理を口に運ぶ。
うん、美味しい。
昨日のも美味しかったが、これも美味しい。
天野も笑顔で食べてる。
他愛もない話をしながらの夕食は楽しかった。
そんな中、ふと思いついたように天野が言った。
「・・・相沢さん?」
「どうかしたか? 嫌いなもんでもあったか?」
「・・・あーん」
「―――――!? ごほっ、かはっ!!」
思いっきり喉にきた。
あまりに唐突に、あまりに可愛く。
反則だと思った。
テーブルの向こうから身を乗り出し、左手も添えている。
そして身長差のせいで見上げる形になっている瞳。
なんか色々と完璧だったのだ。
「失礼な反応ですね。嫌ならば別にしてあげません」
自分で料理を食べてしまった。
微妙に拗ねた表情が幼い感じで微笑ましい。
「拗ねるなよ。驚いただけだ。ほら、やってくれないのか?」
「最初からちゃんとしてくれると助かります。あーん」
今度はきちんと食べる。
気のせいかもしれないが、自分で食ったときよりも美味しかった。
たぶん気持ちの問題だろうな。
天野もそこはかとなく幸せそうな顔をしてる。
「天野、俺もしてやろうか? あーん」
「ぅ、うぅ・・・あーん」
何か躊躇いつつも口を開けてくれた。
そっぽ向いてるってことは恥ずかしかったのだろう。
俺だって恥ずかしいぞ。
そう、例えば少しだけ見える天野の舌とか・・・忘れよう。
「あ、美味しいですね」
「人に食わせてもらうからだろうな。嬉しいときは美味しく感じるんだろ」
「間接キスですね」
「・・・そういうことは言うな」
しかし、そんなことは気にもしなかった。
残りの夕食はお互いに食べさせあいながら終了したから。
間接キスに対する感覚が鈍ったと思うくらいだ。
「「ごちそうさまでした」」
誰に言うでもないが、一応は言うべきだと思う。
礼儀って感じかな?
その場にいなくても思いは届くだろう、たぶん。
「さて天野。これからどうする?」
「そうですね・・・特にこれと言ってすることはありません」
「けど寝る時間までは結構あるんだよなぁ・・・」
しかし特にすることがないというのも事実。
俺は食後特有の倦怠感というかまったり感を引きずりつつ鞄まで移動する。
むーっ、たしか煙草があったはずなんだけど。
此処に来てから忙しかったせいかな?
滅多なことでは吸わない煙草を吸いたくなった。
「相沢さん? 何か探してるなら手伝いましょうか?」
「うんにゃ、大丈夫。見つけたから」
鞄の中から煙草を取り出し、外まで歩く。
椅子に座って煙草に火をつけてグテーッとなる。
・・・疲れたなぁ。
吸った煙を吐きながら空を眺めてると天野も出てきた。
「煙草、ですか。滅多なことでは吸わないのではなかったのですか?」
「精神的に色々と疲れたんだ・・・たぶん、向こうに帰ったらもっと疲れるな。
でも帰って水瀬家で吸うわけにもいかないから。今のうちに吸っとくか、なんて」
「・・・没収です」
俺が口に咥えてヒョコヒョコ動かしてた煙草を一瞬で奪った。
獲物を狩る鷹のような素早さ、正確さで。
はしっ、って感じだ、はしっ。
というか、やっぱ吸っちゃダメなようだな。
「ダメ?」
「ダメです。相沢さんと付き合うことになった以上は体調管理はさせてもらいます。
煙草は人体に有毒ですから。将来的に身体を壊したくないなら自粛してください」
「りょーかい。禁煙生活に戻るとするか」
天野の言う通りで煙草は有毒。
しかも毒性も依存性も極めて高い部類に入る危険物。
麻薬と同じように取り締まらないのも疑問だが。
まぁ、そのへんは俺としてはどっちでもいいのだけど。
「天野を貰ってから俺が肺ガンとかなるのもなぁ。
迷惑かけるのは嫌だし。将来を考えてやめるとしますかねー」
「も、もも、貰う!?」
ふっ、予想通りの反応だ。
こういうところは果てしなく初である。
「そ。天野を嫁に貰う。で、俺が働けないと困るから煙草はやめる」
「ほぉーほぉー。祐一さんはそこまで考えてるんだぁー」
・・・あぁ、天野をからかっていたら大物が釣れてしまった。
しかし、いつの間に侵入してやがったんだ。
くっ、天野の真っ赤な顔と麗奈さんのニヤニヤした顔が天使と悪魔に見える。
「美汐を嫁にする気なんだ。まぁ、私は許すけど」
「お、お母さん!?」
「そんなこと言ってると本気で貰いますよ?」
「許す、って言ってるじゃない。そっちの両親とあの人が許すかは知らないけど」
あの人ってのは麗奈さんの旦那さんだろうな。
此処の旅館の料理長らしい。
忙しいそうで俺の前には一切姿を現していない。
たぶんこれからも出ない。
「ま、それはもう少し先のことね。それより・・・美汐って煙草吸うの?」
天野が指で挟んでる煙草に視線をやりながら言う。
不思議そうな顔・・・まぁ、天野が煙草を吸うなんて事実はないし。
親としては似合わないから疑問に思うだろう。
「吸いません。これは相沢さんのです」
「俺は年に数本くらいだけ。それは天野に没収されました」
「あぁ、それでさっきの会話になってたわけか。ふぅん・・・美汐も吸ってみなさい」
「「はっ!?」」
麗奈さんはふざけていない。
本気で、真剣に、天野に煙草を吸ってみろ、と言っている。
その瞳はいたって真面目。
まぁ、それで騙されたこともあるけどな。
「モノの価値感を知るのは必要よ。美汐にとって煙草とはどういうモノなのか。
美味しいのか。美味しくないのか。自分で吸ってみて初めてわかるじゃないの」
「けど美味しかったら、どうするんです? 天野が煙草をやめられなくなったら」
「それは平気でしょ。祐一さんとの将来と見せかけの快楽。優先すべきは決まってるわ」
「・・・そこまで言うなら、吸いますよ?」
そう言って天野は恐る恐ると言った感じに煙草を口に近づける。
俺と麗奈さんは眺めるだけ。
煙草を口に咥え―――――吸い込んだ、それも大きく。
あー、そんなに吸い込んだら大変なことになるような気が。
「げほっ、ごほっ、あぅ、美味しくないです・・・」
「くすっ、美汐がそう言ってくれてよかったわ」
「大丈夫か? あんなに思い切り吸うから。少しでよかったのに」
「そういうことは吸う前に言ってくれると助かります」
激しく咳き込んだ天野が恨めしそうな目で俺を見る。
いや、あそこまで大きく吸い込むとは思わなかったからな。
ラジオ体操の深呼吸並の吸い込み具合だったぞ?
「ま、天野が煙草嫌いでよかったよ。
これにて俺も煙草は終了。次に吸うのはいつだろな」
ポケットから煙草の箱を取り出し、ゴミ箱に投げる。
クルクルと回転しつつ綺麗に口に吸い込まれ煙草はゴミとなった。
・・・ちょっと勿体無いとか思ったり。
まぁ、持ってても吸わないなら捨ててもいいだろう。
「あ、私は仕事に戻るから。食事を下げに来ただけだし。
ということで、また。祐一さん、美汐を末永く頼むわねー」
「お、おお、お母さん! 余計なこと言わないで下さい!」
「はい、末永く可愛がらせてもらいます」
「相沢さん!? か、かか、か、可愛がるって!?」
赤面してオロオロアタフタする天野を楽しげに見てから。
麗奈さんは手際よく空になった食器を片すと廊下に消えた。
嬉しそうな、そんな表情で。
なんだかんだで娘が幸せそうなのは見ていて嬉しいのだろう。
何か照れるな。
「ふーむ、そろそろ布団でも敷きますかね。中に戻るぞ?」
「あ、はい。相沢さん、そのですね、可愛がるってどういうことでしょうか?」
俺はニヤリと笑って答える。
「言葉どおりだ」
香里の科白。
1度くらいは使ってみたいと思っていたんだ。
とか言いつつ、よく使っては香里に叩かれてるけどな。
使い道が多い科白だ。
あぅあぅと真っ赤になってる天野の手を引いて室内へ。
「別に変なことじゃない。大切にします、ってことだよ」
「そ、そうですか。私は、その・・・」
「もう忘れろって。ほら布団を敷くの手伝えよー」
「ふぅ、しょうがないですね。手伝うとしましょうか」
昨日と同じく1つしかない布団を敷く。
麗奈さんあたりが来て敷いてくれるかもしれないけど。
まぁ、できることは自分でやる、が水瀬家のモットーだしな。
しかし・・・何か無駄に恥ずかしいし緊張するのですが。
たかが布団を敷くだけだろうに。
「えっと、その、相沢さん。今日はどうするのですか?」
「何処で寝るのか、か? できるなら、あー、一緒に寝たいけど」
目を合わせるのがアレなので横を向いて答える。
恋人だから問題はないといえばないんだけど、やっぱ、なぁ?
天野も同じなのか俯きながら喋ってる。
「では、そうしましょう、か」
「天野が嫌っていうなら俺は壁でも―――「相沢さん」―――うぃ」
「昨日はよくて今日はダメ、というのは変ですから。私は嫌ではないので」
俺が最後まで言う前に天野に止められた。
こっちとしても答えはわかってたんだけどな。
一応は聞くのが礼儀かな、とか思った。
もしも天野が嫌なのなら俺は無理に寝ようとは思わないし。
「あれー、布団敷いちゃったんだ。せっかく仕事しに来たのに」
「お母さんも忙しいでしょう。出来ることはしておこうかと」
「そう? じゃ私は他の部屋も回るから。おやすみなさい、2人とも」
「おやすみなさい。麗奈さん、あまり無理しないようにしてくださいよ?」
「心配されるほど柔じゃないわ。それよりも・・・避妊はしなさいよ?
さすがにこの年でおばあちゃんって呼ばれるのは遠慮したいと思うから」
あいかわらず余計なことを言い残そうとする人だ。
避妊、ねぇ。
たしかに麗奈さんの若さ(見た目)でおばあちゃんは嫌だろうな。
というか、さすがに俺もこの年でお父さんは遠慮したい。
「お母さん!!」
「大丈夫です、そういうことする気はないですから・・・今は」
「相沢さん!?」
「それならそれでいいわ。それじゃねー」
天野を散々のように翻弄し、満足げな顔で去っていった。
あとに残された俺と天野は何となく所在無い。
本当に嵐のような人だ。
「・・・まぁ、安心しておけ。いきなりそういう展開にはならん」
「・・・それはそれで私に魅力ないような気がして嫌ですね。
しかし、恋人になっていきなり、というのもアレなので安心しておきます」
「もう寝ようか。明日には帰るし疲れをとらないとな」
「帰ったら疲れますからね。今のうちに休んでおきましょうか」
帰ったら、きっと大変なことになるだろう。
香里&佐祐理さんの知性派コンビに追求されて疲れて。
残りの直情派のみんなに何らかの制裁を喰らいそうだなぁ。
いざとなれば秋子さんに保護を求めなくては。
溜め息をつきながら布団に潜り込む。
「天野? どうかしたのか?」
「えっ、あ、いえ、なにも」
ボゥと突っ立っている天野に声をかける。
返事をしたのはいいが動く気配は感じられないんだが。
照れてるのだろうかねぇ。
「恥ずかしいのか?」
「・・・それはそうでしょう。若い男女が同じ布団に入るのですよ?」
「昨日はその状態から抱きついてきたくせに」
「あうっ、わかりました。では失礼します」
モゾモゾと布団に潜り込んでくる。
俺は端の方に寄って、天野が入るスペースを作ってやる。
やっぱ狭いぞ、この布団。
どうしても天野と密着するのですけど。
俺は真上を向いている。
ヒョイと視線を横にずらすと俺のことをじーーーーっと見てる天野がいる。
ちょっと横を向いてる体勢のようだ。
「何か用か?」
「いえ、特にこれといった用はないです。見てるだけですから気にしないで下さい」
「無理だろ、それ。気になるぞ」
俺は困った声を出す・・・というか困った声が出た。
しかし天野は気にすることなく俺を見てくる。
うぅ、視線がくすぐったいです。
「天野、頼むから俺を見るな。気になって眠れな―――――」
と、そのとき天野が俺に抱きついてきた。
俺の胸に頭を預け、腕を回して。
昨日は背中にだったが、今日は前から自然な形で。
「これならいいですか? 相沢さんのことは見てませんよ?」
「お、おぉぉぉおぉぉ!? 余計にダメだろ!?」
正面から俺の上に乗るような形で抱きついてきている。
だから、その、天野の胸が俺との間で潰れてるわけでして。
ぐあぁぁぁあ、柔らかい感触がぁぁぁぁ!!
しかし意外なほどに理性は残っていて邪な気持ちにはならない。
そういう気持ちよりは純粋な愛情のほうが優っていた。
「離れろって。それじゃ寝れないだろ?」
「いえ、眠れますよ。私はどんな姿勢でも寝れるのが自慢なんです」
「・・・それは羨ましいことで」
少なくとも俺には無理かもしれない。
慣れればともかく今すぐにはどうだろうか。
開き直れば寝れるかもしれん。
「相沢さん、言ってましたよね?」
「えーと、何の話だ?」
「お母さんとの会話で『さっき抱き合ってたときだけど・・・どうだった?』
『そうですね、柔らかくて抱き心地は最高』って。忘れてないですよね。私は覚えてます」
そういえば麗奈さんの話術に嵌まって言っていたような気がする。
というかなんというか確実に言ったな、うん。
記憶にバッチリと残ってるから間違いないだろう。
「他にも『ね、祐一さん? 美汐の方から抱きつかれて嬉しかった?』って聞かれて
『そりゃ当然、嬉しい』とも言ってましたよね? 私、実は嬉しかったんですよ」
あぁ、それも言った記憶がある。
正確には最後らへんで嵌められてることに気づいて言葉を濁してるけど。
ようするに言いたいことは同じだったから間違ってはない。
「たしかに言った。それはちゃんと覚えてる。けど、どうしたんだ?」
「それなら・・・昨日は断られてしまいましたけど・・・その、ですよ?
今日は、私のことを抱き締めてくれるのでしょうか? 相沢さん・・・抱き締めて?」
俺は陥落した。
最後の科白は殺人的な可愛さと威力を秘めていた。
それはもう恥ずかしいとか、そんなもん一瞬で破壊するくらいの。
あの天野が、だぞ?
『相沢さん・・・抱き締めて?』ってお願いしてくるんだぞ!?
「天野!」
「んっ・・・」
俺も少しだけ天野のほうを向いて、抱き締めた。
それに応えるかのように天野も抱き締めかえしてくる。
お互いの存在を確かめ合うかのように強く。
しかしそれでいて包み込むような抱擁。
「ふふっ、やっぱり相沢さんを抱き締めると安心できます。気持ちいいです」
「天野もな。抱き心地がいいぞ。柔らかいし、温かい」
10分近く抱き締めあってから離れた。
さすがにこのままじゃ寝れないということでだが。
・・・天野は本当にどういう体勢でも寝れるらしく不満そうだった
俺には無理だよ、抱き締めあったまま眠りにつくのは。
それでも軽く抱きつかれている。
まぁ、俺から抱き締めない限りは寝れそうだからな。
こっちの体勢に無理がなければ平気。
天野に抱きつかれてる分には大丈夫っぽい。
「おやすみなさい、相沢さん。また明日ですね」
「まぁ、一晩中一緒にいるけどな。おやすみ、天野」
サラサラと髪を撫でながら。
天野の体温に包まれながら。
そして何よりも幸せを全身に感じながら。
紫天旅館での最後の夜に別れを告げた。
あとがきのようです。
氷:今回は夕食、食休み(?)、寝るということになってます。
夏:・・・また布団ネタですか。
氷:でも恋人になる前と後の差っていうの書きたかったんです。
だからコレに関しては露天風呂ネタとは違って考えてるんですよ?
夏:まぁ、それならいいですけど。
夕食の「あーん」はこういう話の流れだと王道ですね。
氷:旅館がラブラブSSの王道目指してますから。
夏:で、就寝シーンは前のときとは違うみたいですけど。
ちょっと大胆になった、というところでしょうか?
氷:そうですねー。
背中に抱きつくのと胸(っていうのかな?)に抱きつく。
いちおー、関係の変化を現してます。
どれくらい気を許してるかっていうか、そんな感じですね。
夏:さて、次回が最終回です。
氷:・・・私、話をまとめるのって大の苦手なんですよ。
ですから上手く終わってくれないような気配がしてます。
夏:ダメです。
ちゃんとまとめてください。
氷:善処します。
夏:とにかく最後なんですからお願いしますよ?
それでは次回でお終いですが最後までお付き合いくださいね。