「雨、ですね」
「…………あ、あはは…………」
雨がザアザア降っていた。
今日の暦は七月七日。
世間一般では七夕と呼ばれる日であり
当日をもって十四歳になる少女、ホシノルリの誕生日である。
雨が降っても
唐突ではあるが、テンカワアキトは非常に困っていた。
この日のために綿密かつ周到な用意と、相談(主に某操舵士と)の末にたてられていたデートプラン、
そのほとんどがおじゃんになってしまったためである。
ピクニックっぽく食べようと腕によりをかけて用意したお弁当。
野外で行われるイルカショーのチケット。
ロンゲの友人から格安で手に入れた屋外テーマパーク(ネルガル系列)のフリーパス。
雨が降ってはまるで役に立たないそれらを呆然と見つめるアキト。
残っているのはホテルのディナー券くらいである。
ちなみに券には『星空の見える高層レストランでロマンチックなディナー! +スイートルーム予約付き』と書いてある。
後半を全く確認せず、前半のうたい文句だけで買ってしまった券だった。
「まあ、レストランだけで切り上げれば問題ないよな」とか思っているので邪な感情はない模様。
それでも隣に佇む少女に見られてしまえばアウト決定なのはわかりきっているので厳重に財布の中に保管してあるのだが。
(どうしよう…………)
さて、話を戻そう。
本日は同居人の誕生日ということで、同居人をデートに誘おうと決心し色々用意したアキト。
そして当日になりさあ出かけようという段階になって予定にはなかった雨である。
洪水確率10%といってもアテにならない天気予報だった。
思わず天気予報のお姉さんを恨んでしまいそうになるアキト。
「アキトさん?」
が、そんなアキトの心情など知るよしもない本日の主役ことホシノルリ嬢は純粋に心配そうな瞳をアキトへと向ける。
アキトとしてはその瞳が自分を責めているようで非常にいたたまれないのではあるが。
ちなみにルリの格好は白の薄手のワンピース。
本人の色素の薄い肌とマッチして、まさに妖精のごとき可憐さを醸し出している。
「い、いや、その、大丈夫だよ」
何が大丈夫なのだろうか、とツッコミが入りそうなくらい狼狽しているアキト。
行き当りばったりな行動ばかり目立つ彼ではあるが、予め決めていた予定が崩れた場合はそうはいかないらしい。
これからどうすればいいんだ、という焦りとルリの心配そうな上目遣いの表情のダブルパンチで早くもグロッキー気味であった。
「…………いや、事情はわかったけどさ。なんでアンタらはここに来たんだい?」
「言わないでください、ホウメイさん…………」
数十分後、アキトとルリはホウメイの店『日々平穏』にやってきていた。
混乱したアキトは、とりあえず誰かに頼ろうと思案し、該当したのがホウメイだったからである。
ルリは「今日は俺に全部任せてよ」と自信満々のアキトの言葉を聞いているので黙って付いて来た。
今は店が休みなので客はいないテーブルにつき、話しているアキトとホウメイから離れた場所で一人所在無さげにしている。
「だらしないねぇ、自分から誘っておいて雨が降ったからってこれかい」
「う、すみません…………」
「アタシに謝ってどうするのさ。やれやれ、これじゃあルリ坊も苦労するねぇ」
「返す言葉もないっす…………」
ずーん、と擬音がつきそうなくらい落ち込むアキト。
「全く…………用意しておいたものの大半が駄目になったからって今日という日が駄目になるわけじゃないだろう?」
「それはそうなんですけど」
「アンタ、本当にルリ坊の誕生日を祝う気があるのかい?」
「も、もちろんですよ!」
「じゃあ、雨が降ったくらいでオタオタするんじゃないよ! こういう時にビシッとしないでアンタそれでも男かい!」
「そ、そうですよね! ありがとうございますホウメイさん。目が覚めました!」
「じゃあ、こんなところにいつまでもいないでしっかりと騎士らしくお姫様をエスコートしてやりな」
「はい! ところでホウメイさん」
「なんだい?」
「テーブル借りてもいいですか? お昼ですし、弁当食べようと思うんですが」
「…………アンタ、実はアタシの言ったことわかってないだろ?」
首を傾げつつこちらを見るルリを横目に、ホウメイは深いため息をつくのだった。
「ごめんねルリちゃん…………こんな、いや、屋内で弁当を食べることになって」
「いえ、私は別に気にしていません。それに、アキトさんのお弁当はどこで食べても美味しいですから」
かろうじて笑顔とわかる程度の表情の変化を見せてアキトを慰めるルリ。
当のアキトは『こんな―――』のくだりでホウメイに睨まれて冷や汗をかいていたりするのだが。
「ありがとう。でね、ルリちゃん。俺から言い出しておいて非常に言いづらいんだけど…………」
「雨が降ったから今日の予定が総崩れになったんですか?」
「な、なんでそのことを」
「いえ、アキトさんの今までの行動や言動から分析すれば明らかかと」
「…………そ、そうなのか…………お、俺って」
「気になさらないでください。私は、アキトさんと一緒に今日を過ごせるだけで十分ですから…………」
少し頬を染めながら後半は呟くように言うルリ。
が、アキトはへこみまくっているためその言葉は聞き取れなかった模様。
まあ、ルリのほうも聞こえないように小さくしたので問題はないのだが。
「あ、でも大丈夫だよ! 夜に行く予定のレストランだけは雨が降っていても問題ないから!」
「え、レストランですか? でも…………」
「お金のことなら気にしないでもいいよ、一年に一回の記念日なんだから。ほら、券ももう買っちゃったし」
意気揚々と券を財布から取り出してルリの目の前へと掲げるアキト。
しかし彼はわかっているのだろうか。
目の前の少女が券の右端へと目を走らせた数瞬後に顔を首まで真っ赤にして俯いてしまったことの意味を。
「どうしたのルリちゃん、具合でも悪くなったのかい?」
今だ自分の失態に気づかずに突然俯いてしまったルリを心配するアキト。
無知は罪であるというが、うっかりも時として罪であろう。
まあ、しっかりとその報いは数十秒後に受けることになるが。
一方、ルリのほうは思考が大変なことになっている。
もし、ここがナデシコのブリッジで戦闘中であったならばオモイカネの混乱で撃沈間違いなしの勢いである。
同じ部屋で生活し、隣同士で布団を敷いて寝ているくせに何を今更、と思うかもしれないがそこは斯くも難し乙女心、
慣れきった部屋で一緒に寝ることとスイートルームという魅惑の響きがある部屋で一緒に寝ることになることでは羞恥の桁が違う。
というかその意味もばっちり理解できている、たとえアキトにその気がなくとも。
ナデシコに乗っていた時ならばともかく今の彼女は一人前になりつつあるレディーなのだから。
「あ、あの」
「うん」
「そ、その」
「うん」
「だ、だから」
「うん」
こんなやり取りが数回行われた後、意を決したルリが細々とした声で言った。
「…………まだ、早いかと」
「…………お似合いだよ、アンタら」
数瞬後、ようやく自分の失敗に気付いたアキトが必死になってルリに弁解をしていた。
そんな光景を調理場から見守るホウメイの声が雨音に消えるのだった。
「本当に大丈夫ですか?」
レストランに到着し、テーブルについたルリの第一声だった。
あの後、なんとか誤解(?)を解いたアキトはすっかり緊張してしまったルリを連れて日々平穏を出発、
映画で時間を潰し、件のレストランへとやってきたのである。
ちなみに、入店の際に券を受け取った店員が犯罪者を見る眼でアキトを見ていたのはアキトの被害妄想ではない。
ルリの方に嫌がっている様子がない(むしろ嬉しそうに見える)のでアキトを見る目が可哀相な人を見る目へと変化したが。
「まあ、確かに少しばかり値は張ったけどね。俺は元々お金はあんまり使わないし大丈夫だよ。
それに今日はルリちゃんが主役なんだからルリちゃんは気にせず楽しんでくれればそれでいいんだよ」
「…………わかりました」
納得しきってはいないようだが、嬉しさが先に立つのかこれ以上は追求する気がなくなったルリを見て複雑なアキト。
喜んでもらっているのは嬉しいが、そんなに普段は貧乏生活なのかと落ち込み気味である。
ちなみにルリは平日、ネルガルでバイトをしているのでアキト以上の給料がある。
無論それはアキトとの生活費に充てられるはずだったのだがアキトのなけなしのプライドがそれを拒否したのである。
結局、ルリの給料は某操舵士の助言によっていずれアキトが店を開けるようになったときの資金として蓄えられている。
「こういうのを、内助の功っていうのよ♪」
と妙に嬉しそうに言う某操舵士とそれを聞いて頬を染める少女の姿が印象的だったとか。
「…………これは、ワインが隠し味になっているのかな。ん、このソテーは…………」
運ばれてきた食事を早速食べ始めた二人だが、アキトは料理の分析を始めてしまう。
初めて食べるシェフの料理を無視して純粋に楽しむことができない料理人の性だった。
―――――くす
そんな連れの姿を見て苦笑とも微笑みともつかない表情を浮かべるルリ。
しょうがないですね、という思いとアキトさんらしいですね、という思いが混在しているのだろう。
普通、自分を無視されて料理に集中(しかも分析に)されたら怒るか不機嫌になるのが真っ当な女の子の反応である。
しかし、ホシノルリという少女にはそういった考えに至る事はない。
試行錯誤を繰り返して料理に取り組む時のアキトの姿が彼女は二番目のお気に入りだからである。
ちなみに一番目が自分の頭を撫でながら微笑むアキトであることはルリのトップシークレットだったりする。
この辺りは子ども扱いされたくないのと自分に優しくしてくれるという両立が難しい思考を有する少女の悩みなのだ。
「あ、ごめん。つい料理に集中しちゃって…………」
「いえ、構いませんよアキトさん」
「…………そういえば、ここって最上階で星空を見ながら料理を食べれるっていうのがウリのはずなのに今日は雨降ってるんだよね」
「これじゃあ天の川どころか星一つ見えませんよね」
残念ですね、と心の中で呟くルリ。
星空なんて屋台の手伝いをしている時に毎日見てはいるが今日はシチュエーションが違う。
少しずつロマンチックな事柄にも興味を持ち始めた少女にとっては星に近いところでの食事というのはちょっと憧れだったのだ。
ちょっと前までは宇宙戦艦に乗っていたじゃないかというツッコミは受け付けない、感情の問題である。
―――――パチン
「きゃっ」
「て、停電? いや、これは…………」
「あ…………」
が、ロマンスの神様はそんな少女の心を裏切るほど酷ではない。
頭上に広がる星の世界。
雨が降ったときのためと店が用意しておいたプラネタリウムの仕掛けである。
この店を知っていればわかるはずのことであるが、アキトはもちろん知らなかったりする。
なんとも間が抜けているといえよう、今回はそれが吉に転んだのだが。
「こういう仕掛けがあったんですね…………」
「そ、そうなんだ。綺麗だろ?」
「はい、こっちは人口の星だけど…………本物にも負けていませんね」
「…………そうだね」
あえて相槌を打つだけでそれ以上は何も言わないアキト。
流石の朴念仁も無粋という言葉は知っているらしい。
「ありがとうございましたアキトさん。私、今日はとっても楽しかったです」
「そ、そう? こっちとしてはかなり予定が狂っちゃったんで不安だったんだけど」
「そんなことはありませんよ」
「なら、俺としては嬉しいかな…………っと、忘れるところだった」
「?」
「はい、ルリちゃん。誕生日おめでとう…………これは、俺からのプレゼント」
こういう状況は照れくさいのか、鼻を掻きつつ小さな箱を取り出すアキト。
簡素な包装から出てきたのは勿忘草をあしらった小さなブローチ。
「勿忘草、別名は瑠璃草。花言葉は『記憶』だって」
「…………記憶…………」
「まあ、他にも意味はあるらしいけどね。花ひとつでも沢山の意味があってびっくりしたよ。特にフランスの―――――と(汗)」
「…………? どうしたんですか?」
「い、いや、なんでもないよ。とにかく、瑠璃草って名前もそこにある意味もルリちゃんにぴったりだと思ってさ」
「そう、ですね…………ありがとうございますアキトさん。私、嬉しいです…………本当に」
瞬間、まさに花が咲くという表現がぴったりな微笑みを見せるルリ。
それは人口に作られたものではなく、自然こそが出せる珠玉の宝石。
瑠璃の名を冠する少女にふさわしい微笑だったと後にアキトは語る。
「…………どうしたんですかアキトさん?」
「え、あ、あはは、なんでもない! なんでもないよ、うん」
「?」
思いっきりルリに見とれてましたなどとは流石に言えないアキト。
脳内メモリーにきっちり今の微笑みを焼き付けておきつつ話題の転換を図る。
「あ、そういえば今日は七夕でもあるんだったよね。彦星と織姫は会えたのかな?」
「どうでしょうね。雨が降ったことだし、河が水量が増大して渡れていなかったりするのではないでしょうか」
「あはは…………でも、それだと織姫は彦星に会えないよ? ルリちゃんが織姫だったら残念じゃないのかな」
「いえ、私が織姫だったとしても残念ではありませんよ」
「どうして?」
「だって―――――
彦星には会えなくても…………天の川は、貴方は傍にいてくれますから」
あとがき
オチてない、オチてないよ私!?
初挑戦のナデシコSS。しかも我らがルリルリの誕生日記念SSです。
七月七日に間に合わせるために最後のほうがかなり強引に。
いつか加筆修正するかもしれません。
ちなみにアキトが言いかけていた勿忘草の意味は下記のおまけをどうぞ〜
おまけ
「そういえば、アキトさんが言いかけていたことってなんだったのでしょう?」
カタカタカタ…………
「勿忘草。花言葉は『記憶』『私を忘れないで』…………『真実の愛』(////)」
「フランスでの俗名は、わ、『私はあなたを見れば見るほど好きになる』ですか。アキトさん、これを知ってたからあんな態度だったんですね(////)」