オモウココロハジユウナレド
2−2 オワルトキ
大原 葵
闇
今まで、響の闇には誰一人として目を向けなかった。
人との接触を断ってきた響が抱えている、大きな闇。その闇が、今響を包み込んでる。
人を求める事にあまりに不慣れで、求められる事にも慣れていない。
相手の求めるものすらも無視して、祀り上げる。
これらは全て、あの子の闇が作り出したものだ。
そして、この闇を払える人を、私は知らない。
「会わせてください」
と、いきなりやって来た楓ちゃん。
小鳥ちゃんのこととなると随分行動力に溢れた性格になるみたい。けど、悪くはないわね。
「ふぅ…会って何が出来るかわからないけど、いいわよ。あなたに踏み込める世界なら、踏み込んでも。その覚悟と意志があるのなら」
「何を…言ってるんですか」
悪いけど、少し試させてもらうわ。
「人の心の中に踏み込むっていうのは、実はとても大きくて、重たい事なの。普段何気なく接してる友達でも、絶対に踏み込んではいけないラインがあるように。楓ちゃんは今、響の一番深いところに何も考えないままに踏み込もうとしてる。
だから訊いてるの。覚悟と、意志はあるの?」
これがないのなら、悪いけど帰ってもらうしかない。
響を立ち直らせるには時間がかかるかもしれないけど、時間さえかければ何とかできる。それは、分かってる。
「…お姉ちゃんを泣かせる人は許さない。それが私の覚悟と意志。それじゃ駄目ですか?」
「…合格、かな。響のためって言わないところがいいわね。あくまで別の人のため。
それが正解。響のことをよく知らないのに、響のためなんて言ったら迷わず帰ってもらってたわ。残念だけど」
知らないから他人のため。
楓ちゃんの立場ならこれが正解。そして、その誰かが小鳥ちゃんである。これ以上ないくらいの模範解答。
これなら、任せてもいいかもしれない。
「じゃ、奥にいるから。1回くらいなら叩いてもいいわよ。暴力じゃ、あまり効果はない子だけど」
失敗したら、許さないから。
それと、自分の行動というものが、どれだけ人に影響を与えて、それでどんなことになるか、きちんと学んでね。
柊 楓
根性、性根
私は、ここまで他人に感じられるほどの負の感情というのを知らない。
明確な意思じゃない。寧ろ、感情をどうしていいか分からないからどうにもできない。それが感じられる。
これが…闇。
「……大原さん」
その闇の中心にいる人に声をかけた。
けど、返事はない。こんな人にお姉ちゃんを任せようとしていたなんて。考えただけでも腹が立つ。
それは自分に。そして、目の前にいるこの人に。
「この程度だったんですか。あなたは」
返事は返ってこない。
「あなたの本気はこの程度だったんですか?あなたと付き合う前のお姉ちゃんを返してください。辛そうにしてる姿なんて見たくもないです。
それであなたがどれだけ苦しんでも知りません。それがあなた行動の結果なんですから」
沈黙だけが答えだった。
それは、納得できることじゃない。やっぱり、私にはこの男は許せない。
けど、こいつがここでこんなでいることが、どれだけお姉ちゃんを傷つけるんだろうか。それは、もっと嫌だ。
「答えてください。あなたは、お姉ちゃんを変えた。あなたも変わっていくべきだった。違いますか?そうだと思うんなら頷いて、違うなら首を横に振ってください」
そして、彼は動いた。
頷いた。
そうだ。こいつは、自分ではわかっていたんだ。でも、自分で変革を起こして、変わってしまった自分がどうなるのか、周りがどうするのかがわからなかったんだ。
誰だって抱える不安に、苛まれて、動けなくなって。切っ掛けをくれて、いろいろなことを教えてくれるお姉ちゃんに依存して、祀り上げて。そして、破綻したんだ。
私は、ずっと、こいつが悪いんだって思ってた。こいつだけがって。でも、こいつだけじゃないんだ。
ここに至る切っ掛けを作った奴も悪いし、それを受け入れてしまってるこいつも、助けられなかった小母さんも、こいつに任せてしまったお姉ちゃんも。
みんなが悪くて、みんな悪くないんだ。当たり前でいたら、こうなってしまった。
そして、今ここにいる私には何の柵も無い。だから、小母さんは私を行かせてくれたんだ。
私は私の役割を理解した。
「こん…の……」
大きくその手を振りかぶり、
「馬鹿男!!」
思いっ切り振り抜いた。全力ビンタ。
今まで何の反応を示さなかった奴が、はっきりと私を認識した。
「あんただけが悪いんじゃない。でも、変わらなきゃ駄目だって思うなら変わりなさいよ。一人で駄目なら、小母さんでも、お姉ちゃんでもいいじゃない。相談しなさいよ。
いつまで孤独なつもりなの?あんた、お姉ちゃんと一緒にいること選んだんでしょ?小母さんのことも受け入れたんでしょ?
だったら、あんた孤独じゃないじゃない。助けてくれる人が、支えてくれる人がいるんじゃない。頼りなさいよ。それが許されないだなんてふざけたこと考えてるわけじゃないでしょ?あんたは、お姉ちゃんを守れるように強くならなきゃいけないのよ。そうしないと、私は絶対に認めないから。あんたの敵は私よ。あんたは私が用意した障害を全部越えなきゃいけないのよ。周りが無意識に生み出した障害も全部越えなきゃ駄目なのよ。
それも出来ないなら、あんたに生きてる価値なんか無いのよ。生きてるって思いたいんなら頑張って見せなさいよ!!」
「俺は…」
目に光が宿った。
「俺は…生きたい」
初めて、その心を聞けた。私には知り得なかったこと。それを、今、知った。
同時に、私は一つの責任を負った。
彼の心に火をつけたのは私。つまり、彼を放置することは許されない。
そして理解した。それが覚悟なんだと。
「生きたいなら、頑張りなさい。まず、お姉ちゃんに正直なことを言って、仲直りしてきなさい」
「…わかった」
大原さんは立ち上がり、ふらふらと歩き出した。
ドアを開けようとしたところでこっちに振り返った。
「忘れてたことがある」
「何よ?財布とか言わないでよ」
「そんなんじゃない」
大原さんは私に向かって頭を下げた。
「ごめん。それから、ありがとう」
そしてそのまま飛び出していった。
「…」
何も言えなかったけど、思う。
人に感謝されるのも悪くない。
そうは思うけど、でも、やっぱり。
私は不用意すぎた。人の中に踏み込むというのが、こんなに重い責任を負うだなんて、考えてもみなかったから。
もう一度同じことをしろと言われたら私は間違いなく逃げ出すと思う。
私の行動が他人の行動を決定する。それが、こんなにも重たいものだなんて知らないままが良かった。
大原 葵
導き
人と人との出会いには意味がある。
私はそう信じている。
響は人から迫害されて、一人の寂しさを知った。
そして、救い出してくれた人に、何か違う、超越した何かを見出した。それが、間違いと気付かぬままに。
いや、あの子のことだ。気付いていたと思う。
「どうだった?」
何より。
動けなかった響を動かした赤の他人。楓ちゃんとの出会いはきっと、響の力になる。
同時に、楓ちゃんの覚悟の甘さも気付いてもらえたかな。
それは、真っ暗な響の部屋の中で俯いている彼女を見れば理解できた。彼女はこれで気付いたはず。
他人の行動を決定する、背中を押すという行動にはその人のことを絶対に見捨てないという本物の覚悟が必要だってこと。彼女の覚悟は、それほど強くはなかった。
赤の他人を叩きのめすという覚悟はあったみたいだけど。それとこれとは全く違う。
「…知りませんでした」
何が、とは言わない。それぐらい、わかってる。
「じゃあ、今日の行動は間違ってたと思う?」
私の言葉に楓ちゃんは首を横に振った。それでいい。あなたの行動は間違いじゃない。
「でも、今の自分の心の中…ぐちゃぐちゃでしょ?」
「はい」
泣きそうな声だった。それだけ、真剣に悩んでくれてるってことなのかな。
「それが、人の人生を左右する行動をとった後の気持ちよ。本当に正しかったのか、もっと上手なやり方があったんじゃないのか、とかね。色々と考えてしまうのよ。
今、楓ちゃんは間違いじゃないって言ってるけど、じゃあ、今の気持ちになった理由は?それって、自分の覚悟が足りなかったからじゃない?」
「…はい」
素直ね。
響もこれくらい素直ならこんな回り道なんかしなくてもすんだのにね。
「楓ちゃんは、お姉ちゃんを泣かせた相手を叩きのめすつもりで来たでしょ?それで、響の内面に踏み込んでもいいって思って。でもね、それ、ちょっと違うのよ。今回、楓ちゃんは叩きのめすんじゃなくて、響を変えてしまったの。あの子の行動を決めてしまった。
それによって生まれた責任は楓ちゃんだけのものじゃない。それは、楓ちゃんと、響と、小鳥ちゃんと、私…皆。響に関係する皆に生じたの。それは、とても重たいの。それを背負って皆生きてるの。楓ちゃんも、これからそれを背負っていくんだよ」
今は私の行動が楓ちゃん、響、小鳥ちゃんに影響を及ぼす。それを理解してるし、それで生じた問題だって、私も協力して片付けていく。それぐらいはしていく。
やるだけやって、あとは丸投げでいいわけがないから。
私は、私のままで責任を負い、生きていく。
楓ちゃんにもそれを知ってほしい。楓ちゃんもこれから先、色々な責任を負うことになる。そういうとき、逃げ出すんじゃなくて、向かい合うことが出来るように。
「今日は店仕舞いね。送るから、帰ろうか」
今、私に生じた責任は、楓ちゃんをきちんと送り返すこと。
それぐらいは、ね。
後書き
今回は楓の行動と、責任の所在です。
人の行動を他人が決定するというのは、とても大きな責任を伴います。
たとえば、普通に買い物を頼んで外出させたとき、事故に巻き込まれてしまうことも在り得るわけですが、そんなとき責任を誰が取るのか、と言われれば事故を起こした本人でしょうが、同時に、買い物を頼んだ人間も責任を負います。
そこに至る状況の元を作り出したのがその人なのですから。
そういうことを考えれば、おいそれと人に物を頼むということは出来ません。
それをやりやすくするために法律というものがあり、その中で行動させるから事故とかは普通は起こらないものになっています。
ただ、今回の話の中のように、人間関係というもので言えばそういうものがあまりありません。そこまでの縛りは存在しません。
それ故に責任とかの所在が曖昧なままでそんなこと知らないとばかりに振舞う人も多々います。
それでは良くないと思います。
責任というものがどういうものかを理解し、助け合うことの大切さを理解して、それで初めてすばらしい人間関係が成立するのだと、僕は思います。