オモウココロハジユウナレド



一章ノ三 カンシャヲササゲ



大原 葵
抱擁




あの後、雨に濡れた響だけが店に戻ってきた。

そして、いつまで待っても小鳥ちゃんが来ることはなかった。

「ねぇ、響。小鳥ちゃんと何かあったの?」

“何かあった”ことをわかってて訊いた。

すると、響がビクッと震え、“何か”あったことを肯定してくれた。

「何があったか話して。母さんね、響の力になりたいの」

偽りない本音。

「……母さんに迷惑かけたくないから、いい」

「あのね…家族なのにそうやって遠慮されるほうが迷惑なのよ。だから、もう少し母さんに頼りなさい」

思ったとおりの解答に少しカチンときた。

「できるかよ……俺の所為で離婚したのに!!これ以上母さんに頼れるかよ!!」

「響!!」

“パァンッ!!”

私は響の頬を叩いた。

「あんたの所為で離婚した?いつ誰がそんなこと言ったのよ」

「だってそうだろ!?結局、俺があんなこと言ったから離婚することになって、俺たちは逃げるようにここにやってきて!!」

それは、久々に聞いた息子自身の本音だった。

確かに、離婚する前は万年新婚夫婦とか言われたりもしていた。

それ程に仲が良かった。

私もあの人もこんなことになるなんて思ってもみなかった。

学校での陰湿なイジメに耐えかねて、自殺しようとした響に気付くまでは。

私もあの人も、その時になって響がいじめられていたことに気付いた。

私たちは仲が良すぎて、真面目で出来の良かった息子をあまり心配していなかったのだ。

だから離婚した。

私もあの人もそれについては異存はなかった。

「私はね、あんたが自分のことを誰も知らない場所に行って、全然違う自分になりたいって言ったから『逃げたい』って我儘聞いたのよ?母さんね、幸せなあんたが見たかったの。なのに自分はどうでもいいとか言って、挙句、私が死んだら一緒に死ぬ?

ふざけるのもいい加減にしなさいよ?

あんたどう変わったのよ?いじめられないように腕っぷしを鍛えた?最初から人と関わるのをやめた?あんたやること間違ってんのよ。一人でも友達がいたらそれだけでも違うのよ。毎回毎回保護者面談に行くたびにあんたが孤立してることや不登校とか、自主退学者を出したって話ばかり。いい話なんて聞いたことない」

「一人で居続けたら誰にも迷惑なんてかからない」

「心配なのよ!!いつも一人で、普段は部屋に閉じこもって、暗くなっても電気点けないでぼーっとしてるか勉強してるかで、休みは休みで朝から夜遅くまで店の手伝い。これが高校生のすることなの!?

私、高校であんたにとって大切な、一生モノの友達ができたらいいって思ってた。

少しは人を信じてみてよ。だから、母さんのことも信じてほしいの。何があったか話してほしいの。ちょっとの迷惑なんて恐くない。寧ろ、親としては子供に頼ってもらえないことが淋しいの。頼ってもらえたらすっごく嬉しいの」

最終的には涙声になってた。

私はそれだけ必死だった。

「本当に…嬉しい?」

「子供に頼ってもらえるってことは、親にとっては最高の誇りよ」

私は胸を張って言った。

「それにね、母さん、ずっと悩んでた。響にとって一番幸せなことって何だろうって。響は、私の幸せだけを願ってたでしょ?私は響が幸せになってくれたらもう何もいらなかったの。

だって、あの人のいた証、愛し合っていた象徴の響がいてくれるから。私は、それだけで幸せだったの。

なのに響は私に迷惑を掛けまいと、手助けしようと頑張ってくれた。自分の幸せを無視してやってたことなのに嬉しいって思っちゃったから…

どれが本当の私なんだろうって」

響が迷った顔を見せる。

「でも、わかった。全部本当の自分。響の幸せを願うのも、響に色々としともらって喜ぶのも全部母さん。だから、響。話して」

「なら、話すけど……その」

「なぁに?」

「叱って…ほしいんだ。自分じゃ、悪いことをしたのかわからない。いつも疑ってばかりで、でも、少しだけ本音が出て……だからすぐに否定して…」

響は泣きそうな顔をしていた。

「ほら、ちゃんと言ってみなさい。それが悪いことならきちんと叱ってあげるから」

変なことを言ってるのはわかった。

だけど、それがよかった。

「実は…柊さんに好きだって言われたんだ」

そっか…小鳥ちゃん、頑張ってくれたんだ。

そう思うと嬉しくなった。

「それで、嬉しくて、本当はそんなこと言うつもりじゃなかったのに、好きだって言ってしまって…」

「何で?いいことじゃない」

「だって…俺と柊さんとじゃ絶対に釣り合わない。柊さんに迷惑じゃないか」

「本人に向かってそう言ったの?」

響は頷いた。

「後…他にいい人がいるから、その人と幸せになれって」

「そしたら、どうなった?」

「叩かれて、最低だと言われた」

響は泣いていた。

それはきっと自分がしたことに対する罪悪感からだろう。

本人はそれを自覚してはいないだろうけど。

「そうね…確かに最低ね。あんた、裏切られるの嫌なのにあんたが裏切っちゃったんだもん。信じられないからって、何もかもを拒んじゃダメなの。信じたいなら、信じてほしいなら、まず自分が信じるところから始めないと。それから、それを人にアピールするの。どうなるかはわからないけど、まずはそこからじゃなきゃ」

「母さんもそうだった?」

「えぇ。あの人を振り向かせたくて、あの人を信じて、近付いて。今は響のことを信じて、近付いてる。でも、響ったらいつも逃げてく」

「…ごめん」

響が謝った。

「謝るくらいなら、お昼くらいきちんと食べなさい。知ってるのよ、いつも渡したお金をこっそり貯金してるの」

「え?」

「お小遣いだってずっと用意してるのにせがんでくれないし。服も靴も昔のままだし…少しくらいの我儘だったら何だって聞いてあげる。そんなことで響を責める人は誰もいないよ」

響は俯いて、震えていた。

床にぽたぽたと水滴が落ちていた。

「今日から始めようよ。だから、まずはこの荷物を持って謝りにいこう?母さん、またこうやって響と話が出来て最高に幸せだから、今度は響きが幸せになろう?」

私は泣いたままの響を抱き締めた。

自分も泣いていることを自覚して。