オモウココロハジユウナレド



一章ノ二 カクシタオモイ



柊 小鳥
告白




私は今日も葵さんのところに来ていた。

「今日は響君いないんですね」

「あの子は…休日だけだから」

カフェオレを飲みながら考える。

結局、今日一日使っても『神様』の結論は出なかった。

「何か訊きたそうな顔ね」

「わかります?」

「えぇ。と、偉そうなこと言っても…自分の子供のことはわからないんだけどね」

そう言った葵さんの表情は悲しそうだった。

「それで、何を訊きたいの?因みに、小鳥ちゃんがあの子のこと好きだってことはわかってるからそのつもりで」

言われて、私の顔は真っ赤になった。

会って二日目なのにいきなり気付かれた。

「でも、聞かせてほしいのよ。お世辞にも愛想のいいとは言えないあの子があんなにモテる理由。

小鳥ちゃんが響のことを好きな理由」

たしかにそうだった。

別に大原君は顔がいいわけじゃない。悪くはないけど騒がれるほどじゃない。

だからこそ気になるんじゃないか、そう思った。

「そうですね……優しいんですよ。普段は無愛想で人との関わりを断ってるのにふとした時に不器用な優しさを見せるんですよ」

「どういう時なの?」

「雨の日が多いですね。人に対して、の時は」

主に傘を貸したりするぐらいだけど、そのまま雨の中を駆けていくからかっこよく見えてしまう。

それが2、3回続いて、顔が悪くないとくれば好きになってしまうのも無理はないと思う。

「人に対して、ということは、人以外があるということなわけね」

「そうですね。そっちの方が多いですね。

私は野良猫に餌をあげていたという話を聞いたことがあります」

言ってから、葵さんは追求の視線を向けてきた。

確実に「聞いただけじゃないでしょう?」と言いたいのだと思う。

「猫に囲まれて笑ってたのを見たことがあるんです。その時の笑顔がすごく印象的で頭から離れないんです」

「で、ついでだから好きになった理由を教えてくれない?」

何のついでですか、という言葉は呑み込む。言うだけ意味がないし、そんな雰囲気でもない。

「さっきの猫の話が切っ掛けですよ。それから、大原君に対する見方が変わったんです。

まぁ、それから何度か助けてもらったりで甘い夢を現実にしたいな、と思ったんです」

「そう…そうなの」

葵さんが一瞬だけ沈んだ表情を見せた。

でも、すぐに笑った。

「私ね、この年になって夢ができたのよ」

「え?」

「一つは、あの子の母親として、対等に並ぶこと」

それは唐突な独白だった。

もしかしたら、私の訊きたいこともわかってるのかもしれない。

そう思って、私は黙って聞くことにした。

「もう一つは、あの子に見離されること」

「何ですか、それ」

信じられなかった。

実の息子に見離されることを夢見る母親がいるなんて。

「前にね、興味本位で訊いたことがあるのよ。私が死んだりしたらどうするのって」

あの子、趣味も生き甲斐も何もかもが親孝行だから、と葵さんは言う。

そして、そんな葵さんは笑っていた。

でも、それは悲しいくらいの自己被虐の笑顔で。

「そしたらね、何て言ったと思う?生きる理由も何もないから一緒に死ぬって……わかる?あの子の中に自分の幸せって言葉はないのよ。あの子にとっての世界は私。だから私は神様。世界を支える柱。だから、いなくなったら崩れてしまうの」

私は何も言えなかった。

彼はどこか人とは違うって、そう思っていた。

そう、彼には自己がなかった。

すべてをこの人、母親のために注ぎ、自分には何も残らないようにしていたんだ。

「どうして…そんなことになったんですか?」

「う〜ん……話してもいいんだけど」

「どうかしたんですか?」

「響、来ちゃった」

私は振り返った。

ドアの前に彼が立っていた。

「あ…」

彼が逃げるように立ち去る。

「また戻ってきますから!!」

私は叫んで店を飛び出した。

私の望み通り、葵さんの望み通り、彼を変えよう。

告白しよう。

今にも雨が降りそうな空だけど、大丈夫。

私は負けない。

「大原君!!」

私は往来の中心で叫んだ。

彼が立ち止まる。

チャンスだ。

そう叫ぶ自分がいた。

「私は、君が好き!!」

三日三晩泣き寝入りしたっていい。

私はこのままでいたくない。

「遊びとかじゃなくて、本気!!私は君が好き!!」

恥ずかしかった。

でも、それ以上に妙な達成感があった。

「俺も…柊さんのことは好きだ…」

彼が振り向く。

そして、その暗い瞳を見て恐怖を覚えた。

何も見えていない――違う、何も見ていない瞳。

すべてに色も意味も見出だせない暗く、冷たい瞳。

恐い。

そんな私の感情を増長させるかのようにポツポツと、雨粒が私の頬を叩いた。

「だけど、やめた方がいい」

「え?」

「俺と柊さんじゃ絶対に釣り合わない」

雨足が強くなってきた。

「どこか他にいい人がいる」

そして、雨は激しくなって20m先も見えないほどのスコールになった。

ここまでくると、痛い。

「だから、その人と幸せになれ」

雨は、彼の心情を如実に表現していた。

他者の拒絶。

そして、絶望と諦め。

「何それ…私は大原君に告白して、大原君は私を好きだと言った」

私はゆっくりと距離を詰めた。

「私を……嘗めてるんですか」

同時に、私は彼の頬を叩いた。

「あなたのした事は最低です」

「それでも!!」

大原君が叫んだ。

「俺は、誰かに好かれるような人間じゃない。母親にだって…いつ愛想尽かされてもおかしくない。

そんな俺に何ができる?何がしてやれる?」

私は悩んだ。

葵さんが言っていたことと、この態度には何かしらの違いがある。

そこで気付いた。絶望も諦めもしてるけど、捨て切れていないんだ、この人は。

本来持って生まれたその優しさを。

否定しても、捨てきれないんだ。

「わかりました。そこまで言うならもう何も言いません。

臆病者は臆病者らしく家に帰ってください」

それだけ言い残して私は駆けた。

荷物のことなど忘れて、家へと。