小雨降る小高い丘の上。
そこから丘の下を見下ろす二人の男の姿があった。

「ふん、彼奴らこの雨の中安心しきってもっさり盛り上がっておるな」
「もっさり?」
「隙だらけって事だ。そのぐらい分かれ、このエテ公が」
「……」

主君にエテ公呼ばわりされ、若干凹んでいるこの男、名を木下藤吉郎と言う。
上背の低さや動作の機敏さ、それによくキレる頭脳から『サル』と言う愛称で仲間に親しまれている男だが、何故にか主君様は彼をエテ公呼ばわりする。
かつてその理由を直に問うた事があったが、
『サルもエテ公も対して変わらんだろうが』
の一言で片付けられている。

そんな藤吉郎をエテ呼ばわりしているこのヒゲ野郎、尾張国を支配する織田信長と言う男である。
兄弟同士のいざこざをあの手この手で潰してきて無事尾張を平定したのもつかの間、今、また新たな敵に直面していた。

「こんな格好な機会はまたとない。一気に攻め潰すぞ」
「そ、そう簡単に言いましても、向こうの戦力をもう一度よくご覧下さいまし」

丘の下には千とも万とも取れる兵どもの山が。
隣国駿河の大戦国大名、今川義元の軍勢である。

「兵の数でも我が織田軍の数倍。いくら相手が油断してて、奇襲をかけようとも力の差がありすぎでございます」
「フッ」

藤吉郎の忠告を、鼻で笑って聞き流す信長。
そして一言、こう呟いた。

「なーに、結局相手になるのは9人だけだ。何の問題もない」

「えっ?」
「そうと決まれば早速奇襲の用意だ。さっさと動けこのエテ公が!!」
「は、はいぃ!!」

訳が分からないまま、藤吉郎は陣に戻る信長の後に続いたのだった。




「うぃー、しっかしうっとおしい雨じゃのぉー」
「左様でございますな、義元様」

傍らに座る兵士に空になった杯を差し出し酒をねだる今川義元は、現代風に言えば日曜は昼間から酔い潰れるぞと言わんばかりに、テレビでのど自慢を見ながらへべれけになる中年親父そのものだった。

「まぁこの雨のおかげで織田の軍勢もうかつには動けんだろうし。だからこうして昼間から酒が飲めるわけだがな〜」
「まったくその通りですなぁ〜」

そう歓談している義元の下に、一人の兵士が慌てて駆け込んできた。

「お、織田の奇襲にござりまするっ!!」
「な、なにぃ!?」

「ぐぁぁー」

義元のすぐ側にいた兵士の集団が蹴散らされ、二人の男の姿が飛び込んできた。

「な、たった二人で乗り込んできただとぉぉぉ!!?」

顔面に返り血を浴びている信長と、その後ろで緊張しっぱなしの藤吉郎。

「今川義元ぉぉぉぉぉぉー!!!」

そして信長は叫ぶ。


「野球で、勝負じゃぁぁぁぁぁぁー!!!」




今川・藤吉郎:「「な、なにぃぃぃぃぃぃー!!?」」








〜信長の野球〜

桶狭間に咲く花火








「と、殿っ!野球って、なんですか!?」

突然訳の分からない事を絶叫する主君に困惑する藤吉郎。

「貴様、織田の人間のくせに野球も知らんのか、殺すぞ」
「ヒィィィィ!!」

怯える藤吉郎の肩に、背後から手がかけられた。

「落ち着け、サル。まだ新人のお前じゃ分からんか」
「し、柴田さん……?」

分かるよ分かるよと言う表情で藤吉郎の後ろに立っているこの男、同じく信長の家臣で名を柴田勝家と言う。

「野球とは、伴天連から伝来した新しい戦の形だ」
「ば、伴天連から伝来……?」
「あぁ。何でも世界中のありとあらゆる遊戯を複合的に研究・統合した結果誕生したというものらしい」
「……いや、何故だかは分からないが、それ絶対に間違ってる気がするんすけど」

ホント、何故だかは分からないが野球が伴天連伝来と言うことは絶対間違ってる気がしてならない藤吉郎。

「それ以前に、今の時代に野球というものは存在してはならないような気がするのです。何故か」
「……まぁ、お前の言いたい事は分からんでもない」
「え、本当ですか?」
「ただな、それを言っちまうと話の都合上非常にマズイ事になるから、見て見ぬ振りしろ」
「な、なんですか話の都合上って!!?」

その後も理不尽な説明にもかかわらず、話の都合上の一言で丸め込まれる藤吉郎。
続いて手短に野球のルールと言うものについて説明される事となる。

「……と言う訳だ。だから先程殿は9人で事足りると申しておったのだ」
「はぁ……」
「何だ、不満げだな。いいか、命が惜しくば野球の存在に関する疑問は捨てておけ。話の都合上な」
「いや、それは一応納得…出来ませんが納得するんですけど、問題はそんな野球に向こうさんが付き合ってくれるかどうか……」
「その辺は心配ないさ。見てみろ」

柴田に言われたとおり、藤吉郎は今川側の軍勢に目をやった。

「……って、ええぇー!!?」

そこには既に、ユニフォームらしきものに着替えた大将及び今川の軍勢の姿があった。

「はん、田舎侍が舐めくさりおって」
「我らが今川打線の力を見せつけてやろうじゃないの」

「しかも何か乗り気だしー!!?」

一方、主君の信長も

「笑止!!どこぞの赤ヘル軍団も真っ青な地獄の練習を積んできた我ら織田軍に敵うわけ無し!!」

いつの間にか着替え終えて、バットを肩に担ぎ今川側に向かって吼えていた。

「ん?テメェいつまでお遊び姿なんだ、さっさと着替えやがれこのエテ公が!!」
「ヒィィィィィィ!!」

信長に鬼の形相で怒鳴りつけられた藤吉郎、慌てて陣地の方へと戻っていった。
そこでは既に着替え終えた、武将達の姿があった。

「……柴田さんもちゃっかり着替え終えてますね」
「話の都合上、だ」

そうボソリとつぶやいた柴田の背中が、藤吉郎の目にはどこか寂しげに写ったのだった。








『さぁ小雨降りしきるここ桶狭間野外野球場にて、世紀の一戦が行われようとしています。
 チーム今川焼VS織田ウォーリアーズ、まもなくプレイボールです』

「……何すか、アレ」

織田側のベンチから少し離れたところに作られた即席の物見櫓を眺め、藤吉郎はつぶやいた。

「あー、実況席ね」
「な、何すか実況席って!?」
「気にするな。気にしちゃ負けだ」
「……」

気が付けば地面には石灰か何かで白い直線がいくつも引かれ、扇形の中に菱形が形作られていた。
そして菱形の4角には、ベースと呼ばれるものが配置されていた。
更に言えば、どこからともなく見慣れないお面と鎧を身に着けた男達が4人ほど駆けつけていた。
どうやら審判とか言う人らしい。

「藤吉郎、お前はベンチスタートだから、とりあえずじっくり試合を見ておけ」
「はぁ……」

そう言い残して柴田ら何人かの武将は、手にグローブと言う妙な物を着けてグラウンドの方へと散っていった。




『さぁ一回の表、チーム今川焼の攻撃。マウンドには簗田政綱が上がります』

ちなみに一塁には信長、三塁には柴田が配していた。
バッターボックスに今川側の選手が入る。

「……何かあの男、足元ふらついてないか?」

藤吉郎の言うとおり、バットを構えた男はどことなく平衡感覚を失っているように見えた。

「ほぉ、まだ酒が抜けきってないわけだな」
「あ、魚住さん」

ベンチで隣に座った魚住隼人がつぶやく。

「まぁ先程まで飲んでたんだ、無理もあるまい。でもあの状態じゃ、素人の球だろうと打つ事は困難だろうな」

魚住の言うとおり、今川の打者はバットは振るもののまともに触れておらず、結局一球もボールにかすることなく3人で攻撃を終えた。

「ナイスピッチング、簗田さん」

引き上げてくる簗田に次々と声をかけていくベンチ入りの面々。
しかし藤吉郎には何が何やら分かっておらず、声をかける余裕すらなかった。


『一回裏、織田ウォーリアーズの攻撃。一番・前田又左衛門が右バッターボックスに入ります』

そしてマウンドに上がった向こうさんのピッチャーは……

「え、えぇー!?大将自らぁー!?」

今川義元、その人だった。

「ほほぉ、義元本人が来たか。これまた面白い」

ベンチにて打順を待つ、4番・信長が不敵に笑う。

「しかしあやつ、サウスポーだったとはな」
「え、さうすぽお?」
「左利きの投手の事だ。そのくらい分かれ、エテ公が」
「……」

しかしマウンド上の義元だが、やはり足元がおぼついていない様子だ。
しかも、何か一塁にいた選手が慌ててマウンド上に駆け寄り揉めている。

「……おかしいな、義元がサウスポーなわけは無いんだが」
「ん、どういうことだ、簗田?」
「あ、はい、前もって入手した今川軍の情報ですが、それには義元は右利きだと記されているのですが」
「ほぉ……、どういうことだ」
「酔っ払って、右と左の区別がつかなくなっちゃってるんじゃないすかねぇ?」

ふと思いついたことを軽々と言ってみる藤吉郎。
だが、あながちそれは間違いでは無さそうだ。

「……なんか、一塁の人間が義元を必死で説得しているように見受けられますな」
「グローブ持ち替えたりいろいろしてるしな」
「え、マジでですか……」

半ば冗談で言った事だが、大正解と来たもんだ。

「まぁ利き手でない方の手で投げられれば、コントロールが定まるわけも無く我らが有利と言う事だな」
「左様でございますな、殿」
「「ハー、ハッハッハ!!」」

ベンチの中が高々とした笑いに包まれる。
だが、

「デッドボール!!」

そこら辺に響き渡るアンパイヤの絶叫。
見ると、バッターボックスで前田がうずくまっていた。

「前田っ!!」

慌ててベンチを飛び出す救護班の面々。

「制球が定まらない分だけ、デッドボールも増えてしまう欠点もありましたか……」
「義元、テメェー!!!」
「と、殿、落ち着いてください、野球やろうぜって言い出したのは殿の方じゃないですかっ!!」

ベンチ内で刀を振り回す信長。
『だったら最初から普通に戦えよ』と心の中で思った藤吉郎だが、こんな事口に出したらまず間違いなく殺されるので黙っておく事にした。
前田は何とか立ち上がり、一塁まで自力で歩いていった。

「義元の野郎、今に見てろ……」

相変わらずマウンド上でふらふら揺れている今川に鋭い眼光を飛ばす信長であった。


その後、二番・三番打者と二人続けてフォアボールで出塁、ノーアウト満塁と言う場面で信長に打席が回ってきた。
慌ててタイムを取る今川側。マウンド上にキャッチャーが駆け寄る。

「殿ッ、せめてストライクゾーンに投げてくださいませ!!」
「んーあー投げようと努力はしてるんだけどねぇー」
「だから右手で投げてください、殿っ!!」

一方信長は、ものすごい勢いで素振りを繰り返していた。

「梁田さん、その……殿の打撃はいかほどなものなんでしょうか?」
「何だ藤吉郎、心配しておるのか」

梁田さんはケラケラと笑い声を上げた。

「なーに見てなって。尾張の打撃神の異名を持つ信長様の打撃、説くとご覧あれ、ってか?」

キャッチャーが戻り、試合再開。
右バッターボックスに信長が入る。

「……あ、あれ!?」

マウンド上の今川義元は、いつの間にかグローブを右から左へ持ち替えていた。

「なっ……、義元め、そろそろ酔いが醒めてきたか」
「だ、大丈夫なんでしょうか……」

ベンチで家臣たちが心配そうに見つめる中、義元は第一球を投じた。
ズバーン!!

「ストライーック!!」

「なっ……」

今川の球は今までと違い、きちんとストライクゾーンに入った。

「しかも、そこそこ早いし……」
「アイツ……出来るぞ」

ベンチ内が気付いた義元の実力、もちろん打席の信長も感じ取っていた。

「ほぉ……、なかなかやるではないか」
「ハハハ、お主等若造どもとは積んできた経験が違うからなぁ」

マウンド上で笑う義元、続けて第二球。

「ストライーック!!」

外角低めにズバッと決まる。

「どうした信長、手が出ないか?フハハハ」
「……」

間髪入れずに第三球。

「ボール!!」

先程とほぼ同じコースの直球だったが、わずかに低かった。

「……殿、まずいんじゃないでしょうか」

心配そうに主君の打席を見つめる藤吉郎。
だが、ベンチ内に立ちこめていたピリピリした空気はいつの間にか霧散していた。

「まぁ制球はいいみたいだが、球の力は梁田のほうが上だな」
「いやいやー、そんな買いかぶり過ぎですよ〜」
「あ、あれ?大丈夫なんですか?」
「まぁ見てなって」

「よーし、これで仕留めてくれるわ信長ぁー!!!」

そう叫んで、義元は内角に構えられたミット目掛けて渾身のストレートを投げてきた。
が。

「ふんっ!!」

腰を大きく回転させながら信長のバットは確実にボールを捕らえ、打球はライト方向へ風を切り裂く轟音を立てながら飛んでいった。

「なっ……」

そのまま打球は、扇形のラインの遥か向こう側、もはや人の目では確認できない彼方まで飛んでいってしまった。

「ホ……、ホームラン!!」

一瞬の間をおいて絶叫する審判。
と同時に、織田側のベンチが歓喜に包まれた。

「ま、満塁ホームランだぁー!!」
「さすが打撃の鬼!!すさまじい打球だったなぁー!!」
「いよっ、殿!!千両役者!!」

右手を高々と虚空に突き上げたまま、ダイアモンドを一周する信長。
そしてマウンドには……

「……な、何なんだ今の打球は……」

たった一球で完全に打ちのめされた義元がひざまずいていた。
信長帰還で織田ウォーリアーズ、4点先制である。

「ほらほら義元ぉー、まだ試合は終わってねぇぞ!!」

マウンド上の義元目掛け、容赦なく罵声を浴びせつける信長。
これがいわゆる勝者の特権と言うものだろうか。

「クッ……」
「さぁさ、次の打者がもう構えてるだろ〜?」
「あーもう、チクショー!!!」

その後の義元の投球と言ったら散々なものであった。
コースさえしっかり投げ分けられているものの、球に勢いが全くなく、打者にとって打ちごろな球ばかりを放っている状態。
これを織田の強力打線が見逃すわけなく、5番・柴田の2者連続ホームランを皮切りに怒涛の連打・集中打。
気が付けばノーアウトで打者一巡、9−0とあと一点でコールドと言うところまでやってきていた。


「ハァ……ハァ……」
「と、殿……、そろそろ交代なさった方が」
「やかましい!!俺にも……プライドッつーもんがあるんじゃ!!」

「あららー、ピッチャーにまでタイムリー打たれた男が何をほざくやら」

ベンチにて信長があざ笑う。
気が付けば打順は再び4番・信長のところまで来ていた。
しかし信長はベンチから立ち上がろうとはしない。

「殿、打席に向かわないのですか?」

不思議に思って問いかけてくる藤吉郎に、信長はこう告げた。

「あぁ。おーい審判、次、代打。代打・木下藤吉郎!!」
「え、えぇぇぇぇぇぇぇ!!?」

突然の事に大いに驚愕する藤吉郎。

「ノーアウト満塁で一打コールドと言うこんな素敵状況を譲ってやると言うんだ。結果残せよ」
「い、いや……そんな、私、野球未経験者ですし……」
「なーに、お前には多分資質がある。この俺が言うのだから間違いない」
「さ、左様ですか……?」
「あぁ。だから自信持ってバーンと打って来い、サル!!」

サル。
信長様が初めて自分を『エテ公』じゃなくて『サル』と呼んでくれた。
感極まる藤吉郎。そして目に涙を浮かべながら主君に対して大きく頷いた。

「ハイッ、木下藤吉郎、一世一代の華を咲かせて参りますっ!!!」




『やったー、代打木下、コールドを決定する代打サヨナラ満塁ホームラン!!!』

チーム今川焼 0−13x 織田ウォーリアーズ
完膚なきまでの圧倒的な勝利だった。








その後義元はサクッと討ち取られ、今川の軍勢はてんでばらばらに敗走。
事実上、壊滅に追い込まれることとなった。
この信長の勝利は瞬く間に諸国を駆け巡り、この大野球戦国時代に新たな怪物が現れた事を諸大名たちに知らしめる事となった。

「どうせ狙うなら、天下統一、日本一じゃあー!!!」

今ここに、信長の野球が始まったのであった。

















あとがき


とりあえずごめんなさい。

うん、まぁ読んでもらったら分かるように、どうしようもないバカ話です。
何か歴史ファン及び野球ファンの両方にケンカ売ってるような内容でございますが……

信長の野球。野球で天下統一を目指す織田信長のお話。どうも、作者の舞軌内です。
えーと、史実とかは一応確認の上書いてますが、正しいかどうかは別問題。
柴田がこの時期織田家の家臣にいたか否かが正直怪しいところですが。
まぁ史実がどーのこーの言い出したら、まずこの時代に野球が存在する事自体、完全に史実に反している事ですが(苦笑

今回書かせていただいたのは桶狭間の戦い。
何か今川義元がやたらヘタレキャラになってしまいましたねぇ。実際は結構な力量の持ち主なのに。
まぁ、やられキャラが入る事で主人公が映えてくるわけですし。
今川ファンの方にはごめんなちゃい。

えーと、とりあえず続けようと思えば続けられる話ですが……
とりあえず短編と言うことで掲載させて頂いております。
今後の評判及び本人のやる気次第ですかね、二話以降やるか否かは。
一応構想は出来ているんですけどね。

ではまぁとりあえずこのへんで〜