─0.
暑い。非常に暑い。
暑さってのは痛みがあるんじゃないかと思うほどだ。
遠慮なしに降り注ぐ陽光が肌をじりじりと焼いていく。
「……だってのにあいつは元気だなぁ…」
こっちは汗をかいてるというのに目の前で猫と遊ぶ少女には関係ないようだった。
数ヶ月前とは違い、Tシャツにスカートという涼しげな格好をした彼女はあの時とは見違えるほど元気だ。
「真琴、元気ですね」
「ああ、こちらがむかつくぐらいな」
変わった、と言えば隣の少女もそうだ。
人とのつながりを拒絶していた頃の無表情は無くなり、今では目の前の少女を微笑みながら見つめている。
降り注ぐ陽光の下、俺たちは草原にいた。
そう、俺と真琴、天野についでにピロの3人と1匹はものみの丘にピクニックに来ていた。
夏風
─1.
「…暑いな」
と言うかこの暑さは反則的だと思う。
冬はあれだけ雪が降って寒かったというのに、夏になればこの暑さ。
はっきりいって詐欺だぞ。
その旨を以前香里に話したところ、
『まぁこの地域は特別だから』
とか言ってくれやがりました。
なんでも北の方でもここは下の方に位置しているらしい。
……だからといって、この暑さはやっぱりどうかと思うのだが…。
「そうですか?ここは涼しいと思いますが…」
隣の天野はそうでもなかったらしい。
というか口に出してたのか。しまった。
……まぁ、ずっとこの土地で暮らしてるから慣れているのだろうが、ちっとも暑そうな表情を見せない。
「相沢さんは暑いのは苦手ですか?」
「ああ、苦手だ」
「でも、前は寒いのは嫌いだと言っていませんでしたっけ?」
「………」
つまり暑いのが駄目で、寒いのも駄目。
ダメダメじゃん、俺。
「……うぐぅ」
とりあえずうなってみる。ぜんぜん似てなかった。
と、そこへ真琴とピロがこっちへ走ってきた。
何かを包み込むように両手をふさいでいるようだ。
「美汐ー、祐一ーっ。見て見てー!」
何がそんなに楽しいのか、真琴はピクニック開始からずっと元気だ。
昨日まで俺と一緒にあうーとか暑いーとか部屋でだれていたのが嘘みたいだぞ。
「真琴、なんか見つけたのか?」
「うん。ほら!」
両手を慎重に広げて中にいたものを、真琴は大事そうに掴んで俺たちに見せる。
「セミ捕まえたよ!」
真琴が見つけてきたのはセミだった。
セミはジッジッと羽を震わせながら真琴の手から離れようとするが、真琴はしっかりと掴んでいた。
「へぇ、よく捕まえたな」
確かに、ものみの丘にはセミがたくさんいるようだった。
今現在もうるさいぐらいに大合唱しているぐらいだ。
だが見つけるのと捕まえるのでは難易度が違う。
虫取り網でもあれば簡単だろうが、素手で捕まえるのは結構大変なのだ。
「セミですか……見たのは久しぶりですね」
天野は懐かしそうにセミと見つめている。
「確かに、鳴き声を聞くことはあっても姿はあんまり見ないからな」
昔、小さい頃は日が沈むまで追い続けていたものだが、今はそんなことはしない。
ただ、ああセミが鳴ってるな、と思うぐらいだ。
だからこうやって改めて見てみるとそんなセミも新鮮に見えてくる。
「真琴、そろそろ放してあげたらどうです?」
真琴に掴まえられているセミはいまだに抵抗しているがさっきよりもその動きが弱々しくなっていた。
何処となく鳴き声もトーンダウンしているように聞こえる。
「あぅ……、わかった」
真琴もそれが分かったのかセミをそれ、と放した。
セミはさっきまでの弱々しさとは裏腹に盛大に鳴きながら元気よく森のほうへ飛んでいった。
……
「にゃー」
しばらくそれを3人で眺めていると、足元でピロが何かを訴えるように鳴きだした。
どうやらおなかが空いたらしい。
「天野、飯にしようか」
「そうですね」
「やった、おべんとうだ♪」
─2.
そもそもこのピクニックを企画したのは俺ではなく天野だった。
2日前、いつものように真琴とだらだらしていたら天野から電話が来たのだ。
『次の日曜日、ものみの丘へピクニックへ行きませんか?』
それが、その時の天野からのお誘いの言葉だった。
その時一緒にごろごろしていた真琴にそのことを説明したら二つ返事で行くと言い出し、
俺もちょうど暇を持て余していたのでその日中にOKの返事をしたのだ。
ちなみに秋子さんと名雪も誘ってみたのだが、秋子さんは仕事、名雪は部活で行けなかったらしい。
まあそれ以前に二人そろって
『お邪魔したら悪いから(ですから)』
と、言われたのだが、別にお邪魔じゃないと思うんだがなぁ…。←鈍感
「それじゃあここで昼食にしましょう」
『ちょうどお昼を食べるのにいいところがあるんですよ』
と言って天野が俺たちを案内したのは草原に1本だけ立つ大きな樹の下だった。
「そうだな、日陰もあるしここでいいだろ」
「おべんとっおべんと〜♪」
さっきから真琴はおべんとと言いながらはしゃいでいる。
ピロもそれにあわせてにゃーにゃー鳴いていた。
というわけで早速カバンの中からシートを取り出し日陰の下に広げる。
ちなみにレジャーシートや弁当は天野が用意したものだ。
しかし現在は俺がそのカバンを持っていたりする。
真琴が言うには、
『荷物持ちは男の大事な仕事よ』
らしい。まあ、俺も別に異論はないし問題もないのだが。
とりあえずシートを広げ終えそこに座る。
シートは中々大きく3人で座っても十分まだ余裕がある。
おそらく花見などで使用しても問題はないぐらいの大きさだろう。
「さてそれじゃ早速、弁当開けるか」
カバンの中から取り出した弁当を早速開けてみると、中身はシンプルにサンドイッチだった。
タマゴやハムカツ、サラダなどいろいろ種類があるのだがそれよりも
「なんで綺麗なのとぐちゃぐちゃなのがあるんだ?」
サンドイッチはまるで二つに割ったように綺麗なものと歪なものがあった。
「あ……それは真琴が作ったものなんですが…」
……WHAT?
つまりあれですか。俺は真琴が作ったサンドイッチ(らしきもの)を本人の前でぐちゃぐちゃと言ってしまったと?
振り向いてみれば真琴は私、怒ってますと丸分かりの表情をしてこちらを見ていた。
「……(もしかして俺地雷踏んだ?)」←アイコンタクト
「……(そうみたいですね)」←アイコンタクト
頼む、頼むから天野。ご愁傷さまと手を合わせていないで俺を助けてくれ。
「祐一?」
「ハイナンデショウカマコトサマ?」
本当は振り向きたくはない。振り向きたくはないが振り向かなければならない。
そんな葛藤が脳裏によぎりながらも覚悟を決める。
そしてビクビクしながらも振り返ってみると…
笑う修羅がいました。
怖っ。怖いですよ姉さんっ!?←錯乱中
「な、なぁ、真琴。お前怒ってるだろ?」
「なに言ってるの祐一。真琴は別におこってないわよ?」
嘘だっ!絶対嘘だっ!
というかならなんでこぶしを握ってるんですか!?
「お、落ち着け真琴。あとで肉まん奢ってやるから!
な!?」
「問答無用ー!!」
真琴は襲ってきました。
───少々お待ちください…
「さ、さあ食うぞ……」
結局事態が収まったのはあれから10分後、真琴が空腹でダウンして追いかけっこが終わったときだった。
……なぜ食事のためにここまで体力を消耗しなければならないのだろうか。
「あう、おなか空いた……」
「さ、とりあえず食べてみてください。見た目はともかく味は私が保証しますから」
……天野、お前も何気に酷いこと言ってる気もするのだが。
当の真琴は弁当を食べるのに夢中で聞いてなかったようだが……まあ気にしないでおこう。
「んじゃあ、とりあえず真琴のほうを食べてみるか……」
真琴作のサンドイッチをひとつ取って口に運ぶ。
…………む。
「意外に美味いな、コレ」
「失礼ね!
真琴が作ったんだから美味いにきまってるでしょ?」
なんで天野の言葉は聞いてなくて俺の言葉はばっちり聞いてるんだろうかこいつは。
まあ、そんなことは置いといて、これは確かに悪くはない。
見た目はともかく味については遜色なしだ。
「……まさか真琴に料理が出来るとは…」
ん?真琴が作った……?
「ああ、だから朝、真琴がいなかったのか」
今日の朝、真琴は俺よりも早く起きて天野の家に行ったと、秋子さんから聞いてはいたがまさか弁当を作っていたとは……。
「まあ初めてでしたし、仕上げを手伝ってもらっただけですが……真琴も練習すればもっときれいにできますよ」
まあ、確かにいきなりハムカツ作ったり玉子焼きは無理だよな。
……だからといって美味しいのは天野が料理がうまいからということは言わないでおこう。
さっきみたいなことはもうこりごりだしな。
「ほんと?
真琴じょうずにできるようになる?」
「ええ、だから頑張りましょうね真琴」
「うん!」
ま、真琴については今後に期待か。
じゃ、次は天野のほうを…。
…………むむ、これは…
「美味い…」
秋子さんや佐祐理さんの弁当を食べてきたが、天野のサンドイッチもなかなかのものだ。
タマゴも半熟だしハムカツも上手に揚げてある。味付けも俺好みな点がグッドだ。
「天野、料理うまいんだな」
「え?
そうですか?別に普通だと思いますが……」
「いやいや、これはなかなかのものだぞ?これだったらいつでもお嫁さんにいけるな」
「あ、相沢さん変なこと言わないで下さいっ(///)」
ふーむ、こういった赤面した天野も新鮮で可愛いな。
いつも冷静で表情を崩すことなんてあんまりないし。
「その点、真琴はまだまだだな」
さっきのお返しとばかりに意地悪そうに真琴に言ってやる。
真琴のほうを見やれば真琴は不満そうにあうー、とうなっている。
くっくっく、ざまあみろ。
「あうー、いまに見てなさい!
絶対祐一にぎゃふんって言わせてやるんだから!」
「ぎゃふん」
「あうー!!」
そんな3人のやりとりを無視してピロはサンドイッチを食べていた。
……猫がサンドイッチ食っていいのか?
───とりあえずそんなこともありつつ騒がしい昼食は過ぎていった…。
─3.
「はぁ……食った食った」
ドサっとシートに仰向けに倒れる。
木陰の合間から零れ落ちる陽光が眩しくて目を細める。
耳をすませば風の音とセミの声が混声合唱のように耳に響く。
……暑さなんて吹っ飛ぶくらい心地よい気分だ。
「もう……食べてから横になると牛になりますよ?」
天野はそんな俺を見て微笑みながらおばさんくさい発言を…
「なにか言いました?」
いえ、あのなんでもないです。ゴメンナサイ。
「そ、そういうことは隣で寝てるやつに言ってやれ。こいつはいつも食っては寝てるぞ?」
真琴は俺のすぐ隣でピロと一緒に昼寝している。
まったく…口ぐらいちゃんと拭けよな…。
そう思いながらも真琴の口を拭いてやっていると天野が急に笑い出した。
「ふふ……」
「な、なんだ天野?
もしかして俺の口にもなんか付いてるのか?」
あわててごしごしと袖で口を拭う。
その仕草がおもしろかったのか天野はずっと笑ったままだ。
むぅ、一体なんなんだ?
「いえ、別に相沢さんの口にはなにも付いてませんよ。ただ…」
「ただ?」
「真琴と相沢さん、まるで兄妹みたいだと思いまして」
「俺と、真琴が?」
いや、それは絶対ないだろ。俺と真琴は宿敵と書いてともと呼ぶような間柄だと思ってるんだが…。
「ええ、じゃれあったり、そうやって世話を焼いてあげたり……相沢さん、まるで真琴のお兄さんですね」
まぁ、そういう自覚はないが天野が言うのならそうなのかもしれない。
──あの冬の日、真琴が消えてから俺は弱くなった。心の中にぽっかりと穴が開いた気がした。
その日から何日かはずっと真琴の部屋を眺めていた。
真琴のいない部屋はまるで抜け殻のようで、そこに真琴がいたなんて夢のように思えた。
だが、真琴はそこにいたのだ。
いたずらに使ったねずみ花火の残り
真琴が寝ていた布団
一緒に読んだあの少女漫画
そして……
あの鈴の音───
その全てがそこに真琴がいた証だった。確かにここに真琴はいたのだと、俺に訴えかけていた。
『強くあってください』
と彼女は言った。それはとても大変なことだったけれど……
天野や水瀬家のみんな、香里や栞、舞と佐祐理さん、北川……
あいつらのおかげで俺はなんとかやっていけていたと思う。
──そして忘れもしないあの春の日……
このものみの丘の、この木の下で俺と天野は
真琴と再会したのだ
夢かと思った。神様のいたずらだと思った。だが、それは嘘なんかじゃない。だって真琴はここにいるのだから。
『おかえりなさい』と俺たちは言った。
『ただいま』と彼女は言った。
それだけで十分だった。
だって俺たちは”家族”なんだから……
───────
「ま、たぶんその時から俺と真琴は兄妹みたいなもんなんだよな……」
まあ、思い返せばなかなかいい思い出だが……
「目覚めて最初の一言が『肉まん!』だからなぁ……。真琴らしいというかなんといか」
「ふふ……。確かに真琴らしかったですね、あの言葉は」
まったくムードぶち壊しだったぞ、あの一言は……。
「……どちらにしても、だ。真琴は帰ってきた。それだけで俺は十分なんだけどな」
「うらやましいですね。真琴はそんなにも相沢さんに想われてるんですか」
「む、安心しろ天野。お前のことも同じくらい、いやそれ以上に想っているぞ」
「あ、相沢さんっ!(///)」
やっぱり照れた天野も可愛いな。
ついついからかいたくなってしまう魅力があるぞ?
天野はもう知りませんとか言いながら顔を背けている。が、耳が真っ赤なのがここからは丸見えだったりする。
ふむ、ここは……
「なあ、天野」
「もう……なんですか?相沢さん」
「膝枕してくれ」
「は?」
天野は困惑しているようだ。まあ当然といえば当然だが。
「だから膝枕だよ。ひ・ざ・ま・く・ら」
「誰が?」
「天野が」
「誰に?」
「俺に」
「……本気で言ってるんですか?」
「当然」
まあ、やってくれるとは思ってないが。いわゆる言葉のスキンシップだな。
というかあの天野が膝枕なんてしてくれるわけないし……
って天野?
「膝枕ですか……」
え?
真に受けてる?
ただの冗談なんですが?
「……天野?」
「え?
あ、はいなんでしょう?」
「あー……もしかしてOK?」
「い、いえ別に嫌でもないですし、相沢さんがして欲しいのなら……」
いや、まさかこんな展開になるとは……。
で
「うむ、気持ちいいぞ。天野の膝枕」
俺は天野に膝枕をしてもらっているわけなのだが。
感想を一言言うのなら
気持ちいい
やわらかいふとももとか、何処からか香るいいにおいとか、天野の息遣いとか、
なんでか知らないけどすげぇ気持ちいいんですけど。
「相沢さん、どうですか?」
「いやもう最高。このまま寝たくなるぐらいだな」
「そ、そうですか……」
「あーでも本当に気持ちいいな。なんだか眠くなってきそうだ……」
セミの鳴き声と風のざわめき、零れ落ちる陽光と膝枕。
そんな心地よい気分にひたっているとセミの鳴き声も子守唄のように聞こえてくる。
「なんだかセミの鳴き声が子守唄みたいだ」
「こういうのは蝉時雨と言うんですよ。まるで蝉の鳴き声が時雨のように聞こえるかららしいのですが……」
「へぇ……天野って物知りなんだな」
そんな言葉があるなんて知らなかったぞ。
でも確かにセミの鳴き声は時雨のようにリズムよく俺の耳に届いてくる。
「物知りというほどのものでもないのですが……ただ昔、祖母から聞いたことがあるんですよ」
ということはおばあちゃんの知恵袋だな、なんてことは言わないでおこう。
その時のことを思い出しているんだろうか、天野の顔は幸せそうだったから。
だから、そんなことを言うのは無粋ってもんだろう。
「ふふ……あの時私も相沢さんみたいにセミの声が子守唄みたいだって言ったんですよ?」
「そっか……同じこと言ってたんだな俺たち」
「そうですね」
まるで似たもの同士みたいですねと、天野は笑った。感性だけですが、とも言われたが。
その隣で真琴は静かに寝息をたてている。
真琴にもセミの鳴き声が子守唄に聞こえたのだろうか?
「……なあ、天野」
「なんですか?」
「来て、よかったな」
「…………ええ、そうですね」
冬が過ぎて、春が来て、夏を迎えて、秋を越えて
ずっとずっと春が来て春のままがいいと君は言ったけれど
俺たちは変わっていく
時は過ぎ
季節は流れ
君と別れ
君と出会った
だから
時を止めないでくれ
幸せは一つだけではないのだから
春だって夏だって秋だって冬だって
君といれば幸せなのだとわかって欲しいから
一緒にいることが幸せなのだと知って欲しいから
変わっていくことはけして怖いことじゃないのだから
さあ一緒に歩んでゆこう
これからは一人ぼっちになんてさせないから……
「天野、今幸せか?」
「……なんですか?急に」
「いや、ただ聞いてみただけだ」
「……」
「……」
「……幸せ、ですよ」
「……そっかそりゃ良かった」
さて、次は何処へ行こうか……。
……そうだな、海へ行こうか。
きっと真琴のやつ驚くだろうしな。
なに、時間はたっぷりあるさ。
夏休みはこれからだからな。
───────そんな夏の、一日
<了>