私は、向日葵と言う花が嫌いだ。
うん、正確に言えば、つい最近嫌いになった。
普通に花として鑑賞する分にはあまり問題は無い、無いのだけれど。
その在り方が、遠坂凛のカンに触るらしい。
もちろん、向日葵に罪は無い、けれど、理屈と感情は別物だ。
冷静に考えて見れば、それはただの八つ当たりで、気にするほどのコトじゃない、というのは分かっている。
向日葵は自分の在り方に満足しているのかもしれないし、その在り方を自分に当て嵌めて考えるというコト自体、心の贅肉だ。
だから、私の怒りに意味なんてないし、とてつもなく不合理で、ひどく人間味のある怒りなのだろうと思う。
けれどまぁ、そんなコトを考えているタイミングで目の前に渦中の花を持ってくる奴のコトぐらいは怒ってもいいと思うのだ、私としては。
sunflower
私は今、衛宮家の縁側で冷たい麦茶なんかを頂いている。
「ふぅ……」
そして目の前には士郎、麦わら帽子を被って、手には白い軍手、そして小さなスコップに、脇に置かれたじょうろ。
せっせと向日葵を庭に植えようとしている後姿は、何となく頼もしい感じ。
「し〜ろう〜」
「ん、どうしたんだ遠坂?」
「いいかげん休んだら? それ以上日に当たってると、いくら頑丈さが取り得の士郎でも倒れちゃうわよ」
「……む、何だか褒められてる気がしないんだけど、確かに遠坂の言う通りだな、もうちょっとやったら少し休むよ」
「そ、じゃあ適当に休みなさいよ」
そう言って私は日の当たらない居間まで縁側からずりずりと匍匐後退する。
「……ふぅ」
あ、今士郎が私の事を見て溜息ついた。間違いなくあれは呆れてる顔ね。
いいじゃない、熱いから立ち上がるのも億劫なのよ、と心の中で言い訳しておく。
とりあえず士郎にはんべっ、と舌を出して反撃する。
「遠坂、そんなんじゃ嫁の貰い手がなくなるぞ……」
「――大丈夫よ、その時は士郎が貰ってくれるから」
「なっ――!」
士郎が絶句、そして私は心中でニヤリ。
偶にはこういう話題でも反撃しとかないと……いつもコッチが赤面してばっかじゃ割りに合わないわ。
「冗談よ、衛宮クン? ……もしかして、本気にしたとか? それならゴメンナサイね〜」
「くっ、卑怯だぞ遠坂っ!!」
「知らないの、衛宮クン? 今の世の中、騙されるほうが悪いって相場は決まってるのよ?」
「そ、そんなコトあるもんかっ! 騙す方が悪いに決まってる!!」
「そういうのって、よく商法で騙された人達が言う捨てゼリフなのよね〜」
「むむむ……本気でそう思ってるのか、遠坂」
と、不意に真っ直ぐな眼で見つめてくる士郎。
う……どうも私はこの眼に弱いらしい。
「冗談よ、士郎。士郎がムキになるからついからかっちゃっただけ。騙される方が悪いなんて、そこまで人間堕ちてないわ、私」
「そっか、それならよかった」
「ん、よかったよかった」
よし、これなら何とか誤魔化せ――
「って遠坂! 結局からかってたんじゃないかっ!!」
「あは〜、バレちゃった?」
「当たり前だっ!」
「まあまあ、こんな熱い中で怒ったら倒れるわよ?」
「……む。このコトについては後で言及させて貰うからな、遠坂」
「はいはい、覚えておくわ」
よし、勝った。大抵このケースに持ち込めば忘れちゃうのよね、士郎ってば。
「それにしても、その向日葵何処で貰ってきたの?」
ふにゃ〜っと寝転びながら、土いじり続行中の士郎に問い掛ける。
「ん、ああ。オヤジの知りあいって人から送られてきたんだ、昨日」
「士郎のお父さんの? 何でまた向日葵なんかを……」
「んー、オヤジが死んでからは毎年送られてきてるぞ? お盆に向けて供えて欲しいって」
いや、向日葵は供える花じゃないから。っていう突っ込みを思わず入れそうになってしまった。
「またそれは、何ていうか……」
「身勝手とかそういうのなら違うからな、オヤジがその人がやってる向日葵畑を気にいってたらしくてさ、最初にその人から手紙が送られてきた時に、向日葵を送って欲しいって俺が頼んだんだ」
う……言いたい事を先回りされてしまった、こういう所だけは、本当に鋭いんだから……。
自分のコトはちっとも気に掛けないクセに、と溜息を付くと、士郎が少し難しい顔をする。
「やっぱりおかしいかな、向日葵なんて」
「はぁ、違うわよ。溜息は別の所でついたの。故人の好きだった花を添えるのが一番でしょ?」
「……ありがとう、遠坂」
「なっ、ちょっと、何真面目な顔でお礼なんて……大した事は言ってないわよ」
「いや、遠坂の一言でスッキリした、だからお礼を言うのは当然だって」
う……だからその真っ直ぐな瞳で見られると弱いんだってば。
顔に血が昇っていくのが自分でもはっきり分かってしまう。そしてその自覚が相乗効果になって更に真っ赤になる私の顔。
「遠坂、顔真っ赤だけど、大丈夫か?」
――コツン。
「うっひゃぁっ!?」
思わず全身のバネを駆使して後方に飛びのく。
うわわわわ、士郎微妙に汗かいてて、な、なんかいつもより漢っぽいというか……。
「と、とおさか? 駄目だぞ、熱中症かも知れないし、ちゃんと診せてくれ」
「だだだだ、駄目だってば士郎! 何が駄目って話なんだけど、とにかく今は都合とか色々なものがマズイから駄目っ!!」
「??? 遠坂のコトが心配なんだ、だから診せてくれ」
にゃー!! だ、だから真剣な眼差しで近寄ってこられるとダメなんだってば!
「わー! こっち来ちゃダメだってば!! 人でなしー、女ったらしー、きちくー!!」
「む……本当に遠坂のコトが心配なのに、その言い草はないと思うぞ?」
うう、だから悲しそうな眼をされると……わたし、わたし……。
目の前が廻る……熱さで思考回路がとけていくぅぅ〜……。
――プチン、と何か切れた音でさえ遠くなって行った。
「だから遠坂――――遠坂?」
「……しろう」
「へっ!?」
目の前には士郎のちょっと驚いてる顔、でも、士郎が悪いんだからねっ。
「ぎゅ〜〜って、して?」
「と、とおさか?」
「……ぅ、してくれないなら〜」
――ぎゅっ。
「とととと、とおさかっ!? いやその、いきなり抱きつくのはちょっと……いやまぁ嬉しいんだけどっ、その、俺さっきまで汗かいてたしっ!!」
「だ〜〜め、しろうのせいだから、ゆるしてあげない」
トドメの一撃とばかりにギュッと抱きついて、士郎の首元にすりすりする。
「!!??」
「えへへ……しちゃった////」
「と、遠坂っ!!」
うん、いいよ、士郎――――そう言おうとして、私の意識は闇に堕ちた。
「まさか、ホントに熱中症だったとは……」
「うー、ゴメンね、士郎」
「いや、気づけなかった俺が悪い、ゴメンな、遠坂」
夕方、気温も大分大人しくなった頃、私は目を覚ました。
いきなり私が倒れてそりゃもうビックリしたらしい。
小声でちょっと残念だった、と聞こえた気もするけど、気にしないであげよう。
そうして二人で謝り合った後、大分気温も落ち着いたと言う事で、夕食と相成った。
「ぁ、士郎。ピンク色の素麺――」
「ぇ、ああ。偶にあるよな、一束に一本ぐらい」
「それ食べる人はエッチなんだって、衛宮君にピッタリね」
「なっ、そ、そんな言いがかりな――」
「――何が、残念だったのかしら?」
「き、聞いてたのか!?」
「ケダモノ」
「う……」
「きちくー」
「うう……」
「女ったらし〜」
「ううう……と、遠坂があまりに可愛いから、しょうがないだろっ! それに俺は遠坂一筋なんだから、女ったらしじゃないぞっ!!」
「――」
う、マズイ、また顔が真っ赤になってる、間違いなく。
今日は地雷を踏む回数が多い気がする……うう。
「と、とにかく食べよう」
「そ、そうね」
さすがに、妙な雰囲気になってそのままくんずほぐれつ……っていう展開で素麺を無駄にするわけにはいかないから、少し気まずい雰囲気の中でズルズルと素麺を食べる。
そんな中、神妙な面持ちで士郎が口を開く。
「なぁ、遠坂」
「ん、何?」
素麺を食べる手を止めて、士郎に視線を向ける。
「もしかして、なんだけどさ、違ったら悪い」
「何よ、歯切れが悪いわね、別に怒られるようなコトじゃないんでしょ?」
「ああ……遠坂って、向日葵、嫌いなのか?」
「――え?」
「いや、俺が植えてる時に、少し険しい表情で向日葵を見てるコトがあったからさ、もしかしたらと思って……」
ああ、驚いた。思いもしない言葉が出てきたから、少し思考がフリーズしてしまった。
それにしても、士郎。鋭すぎ――ああもう、そんな居づらい表情されるとこっちまでやりにくいでしょっ!
そう、別に大したコトじゃない。確かに向日葵は好きではないけれど、そこまで聞きづらそうにされる事柄でもないのだから、遠坂凛にとっては。
うん、それよりも、私のコトをそこまで見ていてくれるってコトの方が嬉しい。反面、気がかりでもあるけれど。
――そう、遠坂凛は、一生を掛けて、衛宮士郎に自分が楽しむってコトを教えて上げなくちゃいけないのだから、士郎には他人の事ばかりにかまけていられても困るのだ。
「ん、そうね、あんまり好きじゃないってコトは確か。けど、士郎、アンタがそこまで気にすることじゃないわよ」
そう言って私が少し笑うと、士郎はああ、とまだ少し気に掛かるような表情で返事をする。
「でも、遠坂。俺は遠坂のコトを大切だといつでも思ってる。だから――不安なコトとかは言ってくれると、嬉しい。少しでも、遠坂の力になりたいから、俺は」
「え、あ、うん。アリガト――士郎」
うう、嬉しいけど、恥ずかしい。言った士郎も真っ赤になってるし。
そして互いに赤面したままで、夕食は終了。
洗い物は二人でちゃっちゃと終わらせて、縁側で夕涼み。
ちりーん。
時折入り込んでくる風が、軒下に付けられている風鈴を鳴らしている。
二人並んで座って、薄く闇の帳が掛かっている空を見上げる。
庭に植えられている向日葵も、同じように空を向いている。
そんな光景を見て、話しておこうと思ったのかも知れない――
「向日葵の元になった話、知ってる?」
「――遠坂?」
「知ってる?」
「いや――知らない」
私の表情が真剣だと悟ったのか、士郎も表情を引き締める。
「ギリシャ神話の一節のお話なんだけど、クリュティエって水の精霊がいてね、その精霊が太陽の神、アポロに恋をするの」
「でも、それは決して届かぬ想いだった――」
「それで、どうなったんだ?」
「うん、想いが受け入れられることはなかったんだけど、それでもクリュティエは諦めるコトが出来なかったの」
「九日九晩、地面に立ってアポロを仰ぎ見つめ続けたクリュティエは、ついに体が地に根付いて、向日葵になってしまいましたとさ――」
「……う、何ていったらいいのか」
「そうね、アポロにだって選ぶ権利はあるし、だからと言って諦められるような恋なら苦労はしないわよね、クリュティエも」
「でも、何でその話から向日葵が嫌いってコトになるんだ?」
「……。」
少し、迷う。
アーチャーの正体を知った私は。決して士郎を彼にはさせないと誓った。
だから、このコトを告げていいのかどうか、分からない。
けれど――
『迷うのは、君らしくないな。いつもの遠坂凛は何処へ行った? 例えソレを告げたからと言って、何が変わるわけでもあるまい。例え何が変わったとしても、君は奴に最後まで着いていくつもりだろう? ……例えそれが地獄だろうが、剣の丘だろうがな。ならば、迷うことなどないだろう、結末が見えないからと言って恐れるのは、遠坂凛以外の人間がすればいい。君はただ、奴を思いっきり引っ張って行ってやればよいのだ』
ものすごく癪な奴からの忠告が聞こえた気がするし、何より、ここで話しておくのも悪くないと、そう私自身が思ったから――
「その話から来ているのか、向日葵の象徴は、"届かない想い"、花言葉も同じようなモノね」
「届かない、想い……」
「そう。でも私は、遠くから見つめているだけで満足なんて出来ないから」
「太陽をただ見つめ続けるだけじゃ、何も変わらないでしょ? 私は……士郎に教えて上げなくちゃいけないから、だから、届かないじゃ駄目なの、だから――向日葵を見てると少し不安になる、それが険のある表情の正体ってコト、かな」
「遠坂……」
「それに――向日葵を見てると、思うの。届かないと分かっていながら、背を伸ばして太陽の所まで行こうとしている――士郎と、士郎が理想を追っている姿と重なるから」
そう、だからこそ、じりじりと夏の日光のように不安を感じるのだ。
「でもね、絶対に、士郎をアーチャーにはさせないから、私が、この遠坂凛がいるから、士郎は絶対に大丈夫!!」
言葉にすると、何と軽いコトか。でも、それでも、言ってしまったのなら、言わなくてはいけない。
だから、精一杯笑う。せめてもの――笑みを。
「ありがとう、遠坂――貰ってばかりで、何も返せてないな、俺は」
そっと、士郎が私を抱き締めてくれる。
「し、ろう?」
「うん、遠坂の想いは届いたから、だから、ありがとう、だな」
「うん、でも、私も士郎には生きがいを貰ってるから、おあいこ、だね」
「う――そうか、おあいこなのか」
そう言って抱き締めあいながら二人で笑う。
そして――私が不意に動く。
「と、とおさか?」
「えへへ、キス、しちゃった」
「ねぇ士郎?」
「あ、ああ」
「ぎゅっ――って、して?」
離さないと、今この一時かも知れない誓いを欲する。
「――ああ、凛。愛している――」
士郎も、誓ってくれる。
だから、だからこそ――思える。
きっと、衛宮士郎は大丈夫だと――最後の刻まで、自分のままで居ることが、出来ると――
体は剣で出来ている
血潮は鉄で、心は硝子
幾たびの戦場を越えて不敗
ただの一度も敗走はなく、
ただの一度も勝利はなし
担い手はその鞘と共に
剣の丘で鉄を鍛つ
ならば、我が生涯に 意味は不要ず
この体は、無限の剣と鞘への思いで出来ていた――
そう、きっと、遠坂凛は衛宮士郎という剣の、鞘――
――FIN