陽射しが強い。





「相沢さーん。こちらですよー」





荷物が重たい。





「大丈夫ですかー?」





足が引き攣る。





「あの、無理はしないほうがよろしいと思うのですがー」





それでも、だ。





「きゃ、ちょ、ふらふらしてるではないですか!」





彼女の前でくらい、見栄を張りたいと思うのが、男だと思う。





「ああー!? 倒れないでください倒れないでください!!」





先行していた彼女が慌てて戻ってくるのを見つつ……ああ、倒れそう。















少しずつ、前へ















そんなに急というわけではないが、ずっと歩いているにはキツイ山道。

俺は2人分の荷物を持って歩いていた。

最初の頃は余裕しゃくしゃく、すたすたと歩いていたんだけどな。

やっぱりというか図に乗って走ったりしたせいか、目的地ちょい手前でバテてきた。

それを悟られないように、辛さを表に出さないように、我慢してたら限界を通り過ぎて。

んでもって、ああもうだめだー、って感じでふらふらした時に駆け寄ってきて支えてくれたのが。





「すまん……俺のことは忘れて、幸せになってくれ……」

「…………………………冗談であっても本気であっても、その言葉は泣きたくなるのですが」





俺の前をとことこと軽快に歩いていた天野美汐。

お約束な台詞にノってくれることはなく、冷たい反応をする俺の恋人。

まあ言ってくれてる内容は嬉しいものだから、思わずにやけてしまうんだがな。

なんかこう愛されてるなぁ、って感じだ。





「辛いなら言ってください。私は相沢さんの主ではなく、恋人ですよ?」

「しかしだな、天野。お前が恋人だからこそ、俺はいいとこ見せたいし楽させたいんだぞ?」

「ですから。それは私も同じだと何度も言ってるではないですか」

「尽くし甲斐のない女だ」

「尽くすのは男ではなく女のほうだと思うのですが」

「古い考え方だな」

「……では、お互いに尽くせばいいでしょう」





いつものやり取り。

俺は天野に無理をさせたくなく、いいとこ見せたくて、楽させたい。

さらに言えば頼られたいし、笑っていてほしいし、愛されたい。

で、天野は俺に無理をさせたくなくて、いいとこ見せないでいいから頼ってほしくて。

自分だけが楽するよりも、俺と一緒に苦労したい。

もっと言うと一緒に笑いあいたくて、愛し愛されたくて、俺を支え俺に支えられたいらしい。

こうしてみると俺より天野のほうが正しいというか、互いのためだろうなぁ。

しかしそこはほら、男としてのプライドみたいなのもあるわけだ。

だから頭ではわかっていても納得できないとこがある。

結果、変な方向へと話を持っていって軌道修正。

悪いとは思ってるが……俺がもう少し年を重ねるまで、愛想尽かさないで待っててくれ。





「やれやれ……どうせなら夜に尽くしてもらいたいものだ」

「―――――」

「ぬあ!? 睨むな、冗談だって、本気にするな!!」





無言で深い溜息を吐きながら、天野は自分の荷物を手に持った。

が、俺はその半分を取り返す。

呆れと怒りの入り混じった表情で俺を睨む天野は、やがて諦めたように口を開いた。





「……あのですね。今さっき倒れかけたのはどちらのどなたですか」

「わかってる。でも目的地すぐそこだろ? 休んだし、軽くなったから大丈夫だ」

「本当に変なところ強情なんですから。それでは、その荷物はお任せしますよ?」

「ああ」





行きましょう、と俺を隣りから見上げる。

軽く頷いてから足を動かす。

さっきとは違い天野は俺から離れないで歩いてくれている。

おそらく心配なんだろう……また倒れないかとか、無理してないかとか。

思わず苦笑しながら、静かな山道を2人で登る。





今日の目的地は山。

というか、正確に言うと山の中にある隠れ名所みたいな川だ。

隠れ名所というだけあって人も少ないらしく、事実まだ誰とも会っていない。

おそらくは地元の人間しか知らないとか、そういう場所なんだろう。

ちなみに水瀬家のある町ではなく、県すら違うところ。

情報元は秋子さん……たまには穏やかに2人で過ごしてきてください、とのことだ。

たしかに最近はお世辞にも静かな環境とは言えなかったしな。

秋子さん一押しの場所ということで、期待も高い。





特に会話もなく歩きつづける。

とはいえ何も喋らないのは珍しいことではないし、居心地も悪くない。

天野は元々寡黙な少女で、俺だって別に喋るの大好きってわけでもないのだ。

そりゃー、香里とボケツッコミとかやってる時は楽しくてしかたないんだけど。

あとはアレだ。

北川との漫才とか。

その漫才に香里がノってきてくれたりすると、これがもう最高に楽しかったりする。





「―――――む」





と、天野がなんだか不満そうに唸った。





「相沢さん? 今、他の女性のことを考えてませんでしたか?」





そして鋭かった。





「……いや、ちょっと香里を。正確には香里と北川とやる漫才は楽しいって思ってたんだが」

「常日頃から私だけを想え、とは言いませんが。私と2人きりの時くらい、私だけを想って欲しいです」

「う、その、だな、あー、いや、えっと」

「我侭、でしょうか」





鋭く追及され、怒られた挙句に拗ねられるのを覚悟していたんだが。

それだけに、寂しそうにされてしまって俺が慌てた。

しゅんとしてしまった天野は保護欲を掻き立てられるというか、むしろ抱き締めたい。

残念なことに手が荷物で塞がってて抱き締めるのは無理。

仕方なく言葉で慰めることにした。





「天野」

「……はい」





沈んだ声。

その声を聞いて俺はかけるべき言葉を切り替えた。

我侭でもないだろ、とだけ言うつもりだったんだけどなぁ。





「嬉しかった」

「へ?」

「だーかーらー! 天野が俺にそういうこと言ってくれたのが嬉しかったって言ってるんだよ!」

「え、でも、その、め、迷惑では……」

「可愛い恋人に『自分を想って』なんて言われて迷惑なわけないだろ。むしろ幸せだ」





真っ赤になった。

天野もだけど、恥ずかしいこと言ってしまった俺自身も。

あーもう、ただでさえ暑いってのに体温まで上昇したらたまらない。

それだけでも大変だっていうのに、なんで、その。





「えへへ」





なんて可愛らしくはにかんで俺に寄り添うんだ天野ーーーーー!!!

ぴたっと密着している天野と俺。

腕を組んでいるわけじゃないけど、さっきまでとお互いの距離が違いすぎる。

今は零距離だ。

天野の体温を感じられるし、俺の体温も伝わっているだろう。

やばい。

嬉しいんだけど恥ずかしすぎる。

さっき『夜に尽くしてもらいたい』とか口走ったが、実際はキスすらしていない。

恋人なのに名前で呼んでない。

そんな中学生かと思いたくなるような2人が密着するってのは、もう、破格だ。

普段でも手を繋いだり抱きついたりくらいはするが、状況が状況だし夏場で薄着だ。

頭がオーバーヒートしてしまう、その直前。

ざああ、と風が吹き、景色が変わった。





「はぁ……こりゃすごい」

「ある程度は聞いていましたが……ここまでとは」





深い深い森の中。

そこにだけ光が射しこんでいる。

今までは空も見えづらかったが、ここからは青い空が完全に見えていた。

とても開けた空間。

その中央には澄んだ川が流れていて、さらさらと心地好い音が耳に染み入る。

知らず、立ち尽くしていた。

幻想の世界に迷い込んだような感じすらする。

だけど世界はいつもどおり。

太陽は眩しく輝き、風は軽やかに流れ、木々は青々としている。

なによりも―――――隣りには大切な人。





「相沢さん、疲れたでしょう? 私も多少ですが疲れましたし、木陰で休みませんか?」

「ああ、そうだな。目的地にも到着したし散策する前に休んどこう」





日陰になっている木の根元に荷物を置いて座り込む。

なんだかんだ言って天野もだいぶ疲れていたんだろう。

麦藁帽子を脱ぐと、それを胸にちょこんと抱えて体を弛緩させた。

ああ、天野の格好は白のワンピースに麦藁帽子といった、とても涼しげものだ。

心地好い風を浴びて気持ちいいのか、眠る寸前の幼女みたいな顔。

少しばかり心臓が早鐘を打つ。

ちなみに俺は普通の黒いTシャツにジーパンと軽装。

隣りに腰掛ける天野を意識しつつ、やはり疲れているので木に体を預ける。





「あー。普段が騒がしいから、こういうのいいな」

「あちらはあちらで楽しいのですけれどね。たまには静かに過ごしたいです」

「諦めてくれないのかな」

「諦めてくれないでしょう」





俺と天野が付き合う、と宣言したあと。

その場で7人の少女に告白された。

こんなん俺が世界初なんじゃないだろうか、と当時は黄昏もしたものだ。

香里と佐祐理さんに関しては半分親友みたいなもんだから、そう問題はない。

本人たちも今の関係で十分だとか言ってたし。

んでまあ……名雪たち5人は……諦めてくれるの待ち、だなぁ。





「あいつらが何を言っても、俺は天野一筋だぞ?」

「……嬉しいです」

「そこは私もです、って言ってほしかった。言っておくが俺も不安なんだぞ?」

「はい? 相沢さんが何を不安がることがあるのですか?」

「それは、だな」

「ええ」





確信した。

天野は俺が何を不安がっているかなんて微塵もわかっていないのだ、と。

なんだかなぁ……どうにも自身の魅力を把握してないっていうか。

それはそれで、罪だと思う。





「天野が他の男に行かないかなーとか。俺が嫌われないかなーとか。その、お、思うんだよ!!」





言って後悔した。

ていうか、言ってる途中から声を荒げてしまうくらい恥ずかしかった。

ついさっき天野を慰める時に言った台詞も恥ずかしかった。

しかも今の俺の台詞って、すごい情けないんじゃなかろうか。

俺が悶えている最中、天野は少しだけ困った顔をして静かに立ち上がる。

ぽすっ、と麦藁帽子を頭にのっけて川のほうへと歩いてく。

そんな天野が何がしたいのかわからず、俺は悶えるのをやめて首を傾げた。

とことこ。

可愛らしく歩いていく天野は追ってくる気配がないからか、立ち止まって振り返る。





「何をしているのですか?」

「……いや、俺の台詞へのリアクションはなしか?」

「気にしないでください」

「気になるっての」





明らかに俺を待っているのだろう。

早く早く、と視線で催促されては仕方ない……俺は天野のところへと向かった。

そして少しだけ歩き、川のすぐ傍にある座れそうな大きさの石に腰を下ろす。





「先ほどの台詞へのリアクションですか……そうですね」





うーん、と考え込んでしまう天野。

いや、ちょっと待ってくれ。

答えるのに考える必要があるようなことだったのか、さっきの。

ただ一言『ありえません』って言ってくれれば、俺は安心できるのに。





「む」





唐突に天野は不満そうな顔になり立ち上がった。

流れる風に飛ばされないよう、麦藁帽子を片手で押さえている姿が可愛らしい。





「相沢さん。立ちなさい」

「いや、構わんが」





立ち上がると麦藁帽子の下から覗き込むように睨まれた。

なにをしたっていうんだ、俺が。

そろそろ不安は恐怖になってきた。

俺、なんか嫌われるようなことを無意識にでもしてしまったんだろうか。





「天野? 俺、なにか気に障るおああああぁぁぁぁ!!!!?」





そのことを聞いてみようとした瞬間。

天野は不機嫌なままに、でもなんでか知らないけど抱きついてきて―――――。

ざぱーん、と。

まあ、俺の後ろにあった川に2人とも飛び込んでしまったわけだ。

あっという間に全身が水中へと飲み込まれ、しかしパニックになることなく浮上する。

浅くなかったから怪我こそしていないが……危なかった。

下手したら溺れたかもしれない。

人間ってのは膝までの水量でさえ溺れてしまう。

だから、思わず声を荒げた。





「なにすんだ! もし浅かったり溺れたりしたら天野、お前、怪我じゃ済まないぞ!!」

「……だって。相沢さんが悪いんですよ」

「あのなぁ。俺がなにしたのか知らんが、今のはやりすぎだろ」

「だって! 私が他の男性に行くとか私が相沢さんを嫌うとか! そんな、そんなに……!!」

「天野?」





腰くらいまでの深さの川の中。

落ちたときに天野を庇ったから、その小さな体を胸にかき抱いている。

最初こそ天野のことを叱っていた俺だが、天野が珍しく叫んだからか怒りは消えた。

でも、何に対して感情を荒げているのかわからない。

そもそも天野は滅多なことでは感情を表に出してくれない。

ここまで激しいのは初めてかもしれない。

俺は本気で困惑していた。

天野が何に怒っているのかわからず、どう対処すればいいのかわからない。

だけど。





「そんなに……私は、信じられませんか……?」





川の音に掻き消されてしまいそうなほど、小さく弱々しい声。

赤い髪からは水を滴らせ、まるで泣いているよう。

その言葉を聞いて、わかった。

天野が何に怒り、どうして不機嫌で、さっきから様子がおかしいのか。

そして同時にとんでもなく幸せを感じた。

今の言葉は俺の不安も恐怖もなにもかも、まとめて吹き飛ばしてくれるものだ。

あまり聞けない、天野の本音。

いつの間に脱いだのか、右手で手が白くなるほど麦藁帽子を握り締めていた。

きっと嫌だったんだろう。

俺が天野を信じてないみたいで。

だけど、俺にどう伝えていいかわからず、気付いたらこうなっていた。

言葉にできなかったから、行動に移してしまったんだろう。

その行動自体は褒められたものじゃないが、過ぎたこと。

なんだか微笑ましくなって、顔が勝手に笑ってしまう……抑えきれない。





「な、な、な、なんで笑ってるのですか!!」

「く、くくく、あはははは。いやなに、お互い不器用だなって思ったんだよ」

「う……申し訳ありませんね、不器用で」





そんな風に拗ねる姿が、これまた可愛い。

俺は自分の思ってることを、そのまま伝えることにした。

不器用だから真っ直ぐに言わないとわかりにくいんだろう、お互いに。

恥ずかしいとか、そんなのは脇に置いておこう。

今はただ、自分の気持ちを伝えたい。





「天野。お前は自分で思ってる以上に可愛いよ。だから不安だったんだ」

「ですから、それは!」

「わかってる。ていうか、今わかった。天野が俺にベタ惚れってのはよーくわかった」

「〜〜〜〜〜!!?」

「だからな、安心したよ。俺は天野が好き。天野も俺を好き。そうだろう?」

「…………………………はい。私も、相沢さんは、その……好き、なんですから」





天野を守るために抱いていたのを、純粋に天野を抱き締めるようにした。

片手を頭に、もう片方の手を腰に。

そのまま力一杯に抱き寄せ、幸せを噛みしめる。

いきなりのことに驚いていた天野も、今は俺の背中に腕を廻して抱きついてきている。

ぎゅう、と細腕に力を込めて。

冷たい水の中にいるせいか、胸の中にいる温かく柔らかい体が心地良かった。

あー、やばい、このまま死んでもいいくらいに幸せだ。

嘘。

死ぬなんて勿体無い。

できるならば、いつまでも今この時を感じていたい。





青い空。

射しこむ陽射し。

気持ちいい風。

木々のざわめき。

冷たい川の水。





ある夏の日。

俺と天野は、また少し近づいた。