この季節……夜に素肌を晒して出歩くのは危険だ。
――― 忘レルナ
この時間……夜は“ソレ”の支配する領域だと言うことを。
――― “ソレ”ハ、アラユル空間ニ影ヲ潜ミ
そっと静かに迫り、襲ってくる。
―― 気ガツイタ頃ニハ時、遅ク
決して“ソレ”に近づかれるな。
――― 身体中ニ苦痛ガ駆ケ巡リ
怖れろ。
――― 狂気ノ悲鳴ダケガ木霊スル。
恐れろ。
――― 畏レロ。
美汐とキャンプと肝試しと
水瀬家一同は、漫画を読んだらしい真琴の提案で山にキャンプに来ていた。
メンバーは水瀬家(俺、真琴、名雪、秋子さん)に、天野を加えた合計5名だ。
天野がいるのは真琴が呼んだからで、深い意味はない。
名雪が香里達を呼べばきっと、香里達もいたに違いない。
今は夜。またも真琴の提案で怪談話の真っ最中である。
真琴のしたいことってこれなのだろうか。
このキャンプの準備をする秋子さんに色々とやりたいことを提案した真琴である。
これだけで済むとは到底思えないのだが。
まぁ、話を戻すと怪談話をしていたという訳だ。
俺の怪談話が冒頭文のアレ。見てない奴は戻って読むように。
で、たった今、俺の怪談話も終わったところである。
「というわけで、“ソレ”はとーっても怖いんだぞ? 分かったか、まこぴー」
「あぅあぅあぅあぅ……」
「……相沢さん、あんまり真琴を苛めないでくださいね? ただの蚊ですよね、それ」
「う……よくきづいたな」
真琴をからかっていると天野から注意される。
今は怪談話の最中だ。……俺、悪いことしてないよな?
「そもそも怪談話ではないと思いますが……」
「う……仕方ない。なら、とっておきの話をしてやろう。これは友達から聞いた話なんだが……」
「誰から聞いたのですか? ……できれば実名でお聞きしたいのですが」
妙にツッコミを入れてくるな、天野よ。
ネタなんだから、マジなツッコミは困るのだが。
俺が困っていると秋子さんが助けの手を差し伸べてくれた。
「では、わたしがお話しましょうか?」
「へぇ……どんな話なんです?」
「このお話を聞いた人は皆変死しちゃったのですよ。注意してくださいね?」
「……どうやって話が広まったんですか、それは」
秋子さんに天野がツッコム。
天野はツッコミ属性か。何か違う気がするけど。
秋子さんはといえば……あらあらといつものポーズ。
俺はそれよりも、その話が本当なら秋子さんの方が不思議である。
……その話を聞いたはずの秋子さんは生きてるよなぁ……。
何か危険な事を考えているような気がして、思考停止。
「あのー。準備ができましたので……」
「分かりました。すぐに私達も用意しますね」
突然、テントに入ってきた男が、秋子さんにそう言うとまた出て行く。
……準備ができた?
「秋子さん、何かあるんですか?」
「はい。こちらの方々に協力して頂いて、肝試しを……」
「そうだったんですか。……まこぴー、怖がるなよ?」
「誰がよっ! 祐一なんかと違って真琴はれーせーなんだからねっ」
肝試しとは懐かしい……というか、そんなものまで用意していたのか。
ということは、怪談話をしようと言い出したのも雰囲気を出すため……?
尤も天野のツッコミのせいで、途中から雰囲気が潰れたんだけど。
俺は苦笑しつつ、テントを出る。
「では、地図は二つありますので、二組に分かれてくださいね?」
「二組……?」
「あ、わたしは今回は脅かす側ですから回るのはあなた達だけですよ」
秋子さんはそう言って辞退する。
4人が二組に別れる、つまり二人が二組になるわけだ。
よくよく考えるとここの人は優しいな。4人のために準備してくれるとは。
「じゃー、ジャイケンでいくか。さいしょは、ぐー。じゃんけんぽんっ」
天野と俺がぐー。名雪と真琴はちょきだ。
つまり、肝試しのメンバーは俺と天野、名雪と真琴だ。
真琴が先に地図を貰って、名雪の手を引いて先導する。
「わわっ、慌てないでよ〜」
「名雪が遅いのよぅ」
元気よく自分の手を引いていく真琴に苦笑する名雪。
名雪は真琴の手を握り返し、ついていきながら祐一の方へと振り向く。
「んじゃ、祐一。先に行ってるね?」
「ああ。真琴が腰抜かさないように助けてやれ」
「誰がっ!! 祐一こそ泣くんじゃないわよ!」
そう言って、元気よく先走る真琴と名雪。
相変わらず元気がいい奴だ。
名雪ともそれなりに上手くやってるみたいだし。
「ま、俺達も行くか?」
さっきから静観している天野に声を掛ける俺。
振り向いてみるが、天野はいない。
周りを見渡してみると―――いた。
どうやら、テントに戻って虫除けのスプレーをしていたらしい。
その間に俺はスタッフの人らしい方から地図を受け取っておく。
「さ、行くかっ」
「……行かないとだめですか?」
「怖いのか?」
「……いえ、疲れただけです」
もちろん、却下である。
「……!!」
出発して10mほど歩いた今。
目の前に一歩歩くたびにビクビクしている天野がいる。
ようするに。天野は極度の怖がりらしかった。
「それにしても、怖いのならそうと言ってくれればよかったのに」
「言えませんよ……。だってその……きゃっ……恥ずかしいじゃないですか」
ちなみに、途中の可愛い悲鳴はお化けに変装する誰かが脅かしたからだ。
もしかして、怪談話の時に何かと絡む天野は怖さの誤魔化しだったのかもしれない。
………可愛いところ、あるじゃないか。
今まであんまり人間味あるような人間とは思えなかったぞ。
というわけで後ろからちょっと脅してみる。
今の天野こそ、俺にすれば絶好の玩具ー!!
「わっ」
「きゃっ!? ……あ、相沢さん、子供じゃないんですからぁ……」
ぺたん、とその場に座り込む天野。
本当の怖かったのか、ちょっと涙目。
その後、安心したのか、少し子供っぽい反応。
………こういう天野も新鮮でいいなぁ、と思うわけで。
できれば、またやりたいなぁ、という悪戯心がむくむくと湧き上がる。
「……天野?」
その為にもできれば起き上がって欲しいかなーなんて思ったり。
しかし、予想に反してなかなか起き上がらない。
やりすぎたか?
「……もしかして腰が抜けちゃったとか?」
「言わないでくださいっ」
どうやら図星のようですよ?
「あー、俺の責任かなー、なんて思わないでもない」
「どう考えてもあなたの責任です!!」
「あー、怒鳴るな、天野。仕方ないな、責任とってやるから」
「はい……?」
俺は天野に近づき、天野の前でしゃがむ。
よーするに、乗れ、の合図である。
「あの……相沢、さん?」
「いいから乗れって。ほら、真琴とかいないから気にしないでいいぞ。あと、治るまでだからな?」
ちょっと黙って悩んでいる天野だったが、俺が無理矢理説得する。
しぶしぶ、と言った様子でなんとか俺の背中に乗る天野。
うん。この感触も悪くない。一言で言えば「やわらけー」だろう。
強いていえば―――ボリュームがやや不足。
「あ、相沢さん。重たくないですか?」
ここで重いと断言するほど、俺は雰囲気の読まない男ではない。
それに天野は軽い方なんだと思う。
主観なので、その辺りはよく分からないが。
「大丈夫、重たくないよ。それよりさ、意外だな」
「……はい?」
「いや。天野ってこういうの平気そうだったからな」
「昔から幽霊と狐は苦手なんです」
苦笑気味に呟く天野。
狐が苦手、というのは真琴とか“あの子”などに対する皮肉か。
どちらにしろ、冗談であるのは分かる。
そんな事を考えながら、俺は地図を眺める。
次はこっち……か?
「あれ、相沢、さん?」
「ん?」
「道、おかしくないですか……? 地図と少し道が違うみたいですが」
「あ、やっぱり天野もそう思うか?」
「……」
「……ごめんなさい」
俺の特殊技能が発動したらしく、状況は悪化したらしい。
簡単に言えば、道に迷った。
方向音痴って不便だ。まさか、地図を見ながら、迷うとは。
「なんで、道に迷うんですか!?」
「仕方ないだろ!? 暗いんだから道が見えなかったんだよ!!」
「逆ギレしないでくださいっ!」
いや、こう、不可抗力だろう!?
注意力が鈍るほど、背中の感触が良いんだからっ。
背中に当たるこの感触。いや、もう、その、どうよ!?
「とはまずいなぁ……お? あれは……」
「長髪の少女……ですね」
白いシャツに、血のようにべったりとついた点々の赤。
ミニスカートをきた10歳前後の少女が無言でこちらを眺めていた。
……ちょっと、怖い。何が? といわれると困るんだが。
強いていうなら……雰囲気?
「あ、逃げた……」
「これも……演出、でしょうか? だったら追いかけたら……」
「正規ルートに戻れる、か」
俺は天野を背負いつつ、あの少女を追う。
ちょっと演出にしてはやりすぎとも思える赤い点々のシャツがリアルっぽくて怖い。
何も言わずにただ去るその姿が恐怖に拍車を掛ける。
たまに見える青い炎は竿で吊るしてるのか。
よくできた演出だなーと思う。
「……あっちか」
少女を追って曲がり角を曲がった時、既に少女の姿はない。
正規ルートに戻ったらしく、スタッフの変装するお化けがちらほら見えた。
それに安心した天野が、降ろしてと言い出す。
「あ、もう……大丈夫ですから降ろしてください」
「いや、俺としてはだな。背中に当たる胸の感触をもっと楽しみたいのだが」
「バカなことを言わないでくださいっ! 早く降ろして――――」
「おやー、いいのっかなー。そんなこと言うと降りれないぞー?」
「そんなバカみたいなバカをバカみたいに………自分で言ってて混乱しました」
ようするにバカと連呼したかったらしい。
まぁ、大人しく降ろしている自分がいるのだが。
さようなら、背中に当たる胸の感覚よ。
「とりあえず先ほどの子供は誰でしょう…?」
「さぁな。スタッフの子供か何かじゃないか?」
「……できればもう一度会いたいのですが。……雰囲気が“あの子”にそっくりでしたので」
「ふむ。後で聞いてみるか。また会えるかもしれんぞ?」
コホンとわざとらしく咳をついてから話し始める辺り、天野もけっこう恥ずかしいらしい。
今の会話も、誤魔化しの一種なのかもしれない。
……まぁ、本当に“あの子”とやらにそっくりなのならば。
また会えば、少しは天野も立ち直れるかもしれない。
とまぁ、こうして会話しながら、進んでいくと実はほとんど怖くなかったりする。
しかし、ここに例外が一人。
「きゃっ!?」
お化けが出るたびに、腕にしがみついてくる天野。腕に当たるその胸の感触は良好。
しかし、天野の表情は恐怖一色である。
あぁ、涙目の天野はやっぱりいいよなぁ――――じゃない!
「ほら、天野。よく見ろって」
「え……あ、秋子さぁん……」
「あらあら……驚かせちゃったかしら?」
先ほど天野が驚いたお化けの正体は秋子さんだったりする。
冷静に見れば分かると思うのだが、天野はよほどに余裕がなかったようである。
「もうすぐ終わりですし、一緒に行きますか、秋子さん」
「ええ、そうですね。……それにしても随分と遅かったですね」
「ええ。ちょっと、いろいろありまして」
若いっていいわね……と意味深に呟く秋子さん。
『いや、それは違います』とツッコミたくなったが―――天野の声が俺のツッコミをかき消した。
「あの……今日のこと、秘密にしておいてください……」
今日のことをネタにからかわれるのを恐れたらしい天野が先手を打つ。
まぁ、そんなことをする気はさらさらないのだが。
「ああ。二人だけの秘密にしておいてやるって」
「あらあら」
そばで話を聞いていた秋子さんが最後まで誤解していた。
……まぁ、訂正するとそれはそれでややこしいことになりそうなので放置しておく。
角を曲がると肝試しのスタート地点が見えていた。
名雪や真琴がこちらに向かって叫んでいる。
「あ、祐一〜」
「遅いわよぅ、やっぱり腰抜かしてたんでしょー?」
「ば〜か。お前とは違うんだよ」
名雪や真琴と合流し、こうして肝試しは終わりを告げたのだった。
余談。
「ところで、秋子さん。あの10歳前後の少女って誰だったんですか?」
「少女……ですか? お化けに変装するスタッフに子供はいませんでしたよ?」
「え……」
「何より、子供の時間はもう終わりですしね」
天野と二人でその話を聞いたとき、背筋が凍ったのだった。