皆様は、夏と聞いて、何を思い浮かべられるでしょうか?
かき氷?涼しくていいですよね♪
スイカ?甘くっておいしいですよね♪
ラムネ?喉を通る時の刺激がいいですよね♪
海?いいですね、すっかり元気になりましたし、私も今年の海はしっかりと泳ぎたいなぁ、と思っています。
花火?豪華な打ち上げ花火もいいですけど、恋人と2人で静かに線香花火なんていうのもロマンチックですよね。
はい?結局、何が言いたいのか、ですか?
クーラーに扇風機の電気代、夏物の新しい服を買ったり、ついつい冷たいものを買ってしまったり。
私にとって、いえ、おそらく全国の家計を預かるものにとって、夏は大敵なのです。
朝倉家の家計も火の車。
兄さんのお小遣いを削ることも既に限界に達しまして、既に切り詰めようも無いのです。
はい、ですから、私、朝倉音夢の夏というのは、アルバイトの夏なのです。
これは、そんな夏休みのとある1日のこと。
とりたてて特別な日では、ないんですけれどね。
『夏のONE DAY』
Pipipipipi…。
目覚ましの音が聞こえて、私は目を覚ます。
「おはよう、兄さん」
本人は見えないけれど、兄さんの部屋に向かって挨拶するのは私の日課です。
ぐうたらな兄はまだ夢の中でしょうけど。
パジャマ姿のまま外に出ると、何かと噂になりそうな格好ですので、まずは着替えます。
兄さんのお古のYシャツをリサイクルしているパジャマは、兄さんに抱きしめられているようで脱ぐのがいつも惜しいのですが、いつまでもパジャマのままではいられませんし。
着替えを終えたら、部屋を出て、兄さんの部屋の前を横切り、階段を下りて、玄関から外へ出て郵便受けへ。
「あ、さやかさんからの手紙だ」
新聞と一緒に、私の文通相手・白河さやかさんからの手紙を取り出します。
さやかさんは私よりも少し年上で、本も出版されている作家さんです。
とても素敵な恋人の話や、その妹さんの話、楽しい後輩さんの話など、手紙の内容は様々で、いつも楽しみにしているのです。
「ん〜、楽しみだけど、読むのは帰ってからかな〜」
家に入って、食卓に新聞と手紙を置きながら呟く私。
そう、先ほども申しましたが、私にとって夏はアルバイトの夏。
風見学園はアルバイトを公的には認めてはいないのですが、断ればできないということはありません。
無断で遠くでアルバイトをする生徒もいるようですが、まあ、それはおいておきまして。
朝からアルバイトに出かけることも多い毎日なのです。
断っておきますが、宿題は兄とは違って計画的にしております。
「あ、そろそろ兄さんを起こさないと」
朝食の支度(といっても、前日に買ってきたパンやヨーグルトを並べる程度ですが)をしていると、ちょうどいい頃合になります。
夏休みに生活リズムを崩すと新学期に響くので、休み中も早寝早起き…などと殊勝な提案をしてくれる兄ではありません。
放っておくと眠り続けるので、私がアルバイトの日は、ムリヤリにでも起こします。
家で対応できるものがいない間に何か大事があってはいけませんから。
「兄さん、起きて」
鳴ったはずの目覚まし時計を止めて眠っている兄を、まずは優しく、次は肩を揺すって激しく起こしにかかります。
が、兄は起きようとする気配が有りません。
「はぁ、しかたない…」
兄さんの本棚から、重めの本を見繕って、兄さんの上に構えます。
今回は、日中辞典をチョイス。しかし、なんでこんなものがあるのでしょうか?
「兄さん、起きないと、四千年の歴史の重みを知ることになりますよ?」
すると、不穏な空気を感じ取ったのか、兄が目を覚ましました。
「おはよう、兄さん♪」
「音夢…夏休みくらいゆっくり寝かせてくれっていつも言ってるだろ?」
「でも、今日はバイトの日だから」
「…ああ、そうだっけ。んじゃ、ま、かったりぃけど起きることにするかな」
兄さんの口癖、「かったりぃ」。今のは本当にかったるそう。
もそもそと起き上がった兄は、「あ、そうだ」と言うと私に顔を近づけてきました。
私は目を閉じて、顔を近づけ…。
ゴツンッ☆
「1,2,3,4,5…と、うん、熱は無さそうだな」
「うぅ、どうして頭突きになるのよ!それに、もう元気になったって言ってるじゃない!」
「用心するに越したことは無いだろ?」
「はぁ…もういいです。早く着替えて下りてきてくださいね」
そそくさと兄の部屋を出ようとします。
「あ、そうだ、音夢」
「なんです?」
「おはよう。言ってなかったな」
「普通は頭突きなんてしないで言うものです」
怒ったように部屋の外へ。
…でも本当は、兄さんに「おはよう」って言ってもらって、初めて今日一日が始まる気がするのです。
兄さんには、ナイショですけど。
「んじゃ、どこで働いてるか知らんが、気をつけてな」
「はい。兄さんもただぼーっとしてないで、宿題をやっていた方がいいですよ」
「俺には俺のプランがあるから、気にするな」
「どうせ、最後の日にまとめてやるんでしょ?」
「そんなことはないぞ」
「じゃあ、新学期が始まってから?」
「余計な詮索をしてないでバイトに行け!」
どうやら図星だったみたい。
朝食を終えた私は、バイト先へと向かいます。
海の方にある喫茶店『ONE DAY』へと。
「おはようございますわ、音夢さん」
既に制服に着替えて、打ち水をしていたアルバイト仲間の藤宮わかばさんが出迎えてくれました。
わかばさんは、メガネをかけた可愛い方です。
おっとりしているようで、気が利いて優しくて、しかも制服を着ていてもはっきりとわかるスタイルの良さ。
こういう人が男の人にもてるんだろうなぁ、と少し憧れてたりします。
「おはようございます、わかばさん」
「今日は望ちゃんも朝からですから、3人揃ってお仕事できますわね」
「はい。じゃあ、私着替えてきますね」
「まだ時間には余裕がありますから、ゆっくりと着替えてきてくださって構いませんわ」
本当に、気配り上手な人です。
店のマスターに挨拶をして、更衣室に入ると、アルバイト仲間の藤宮望さんが着替えていました。
望さんは剣道をやっているらしく、わかばさんほどではないもののスタイルがよくって、やっぱり憧れてしまうんです。
「あ、音夢さん。おはよう」
「おはようございます、望さん。今日もよろしくお願いします」
「こちらこそ」
望さんは妹さんのわかばさんとは違って、ハキハキとした方です。
昔は心臓を患っていたらしいのですが、とても元気で、そんな様子は微塵も感じられません。
いつまでも着替え中の望さんを見つめていては、いくら同性でも失礼なので私も着替えます。
ピンクの可愛い制服は、従業員にもお客さんにも好評で、私も大好きです。
着替え終わった時に、とっくに着替え終わったはずの望さんの視線を感じました。
「あ、あの、どうかしました?」
「え、ああ、ごめんなさい。音夢さん、細くっていいなあって思って」
「え?私なんかとても…。望さんもわかばさんもとってもスタイルがよくって、私憧れてるんですよ?」
「わかばはともかく、私は結構筋肉だし。それに、わかばみたいに大きいと、合う下着が無くって困っちゃうのよ?」
「スタイルがいい人にも悩みはあるんですね」
「いい、というより無闇に大きいだけだから」
こういう鼻にかけないところも、この人のいいところなのです。
「いらっしゃいませ、何名様ですか?」
お店が始まると、すぐに忙しくなります。
マスターの淹れるコーヒーやランチの美味しさには定評があって、多少の波はあるものの、時間を問わずお客さんが来るのです。
他にも、店の中に流れているピアノの音や、ウェイトレス目当てのお客さんも来るみたいですけど。
「いらっしゃいませ、ってあら、美春?」
「えへへ、音夢先輩、遊びに来ちゃいました」
美春は、私を慕ってくれている後輩で、学園では風紀委員の仕事も一緒にしています。
あまりにくっついてくるので、兄さんや杉並君は『わんこ』と呼んでいます。
確かに、子犬みたいに可愛い後輩です。時々、ぎゅ〜っと抱きしめたくなりますし。
けれど、今は仕事中。
「美春、私はここで遊んでいるわけではないのだけど?」
「わかってますよぅ。美春は、月城さんとパフェを食べに来たんです」
「月城さん?」
よく見ると、美春の後ろには大きなフランス人形、ではなく、お人形のような容姿の女の子が。
美春が最近友達になったという月城アリスさんですね。
「おはようございます」
「おはようございます、2名様ですよね、ご案内いたします」
美春とアリスさんを席へと案内して、注文をとります。
「バナナパフェDXをお願いします!」
「え、そんなメニューあったっけ?」
「あぁ、それ、マスターが今日から夏休みの終わりまでだけ追加した特別メニューよ。音夢さん、聞いてなかった?」
「あ、はい、すいません。アリスさんは、ご注文は?」
「天枷さんと、分けて食べますから」
「わかりました。少々お待ちください」
マスターに注文を告げている間に、また新しいお客さんが。
「あ、丘野先輩!いらっしゃいませ!お1人ですか?」
「うん。席、空いてるかな?」
「はい、大丈夫です、ご案内します!」
望さんが、いつも以上にハキハキと、というより活き活きと仕事をしています。
あの人は、常連の丘野真さん。
望さんやわかばさんと学校が同じ(厳密には違うらしいのだけど)で、しかもどうやらお2人の憧れの的らしい人。
丘野さんを見ていたら、ススッ、と横から気配。
「あ、マスター、ありがとうございます」
どうやら美春が注文したパフェが出来たらしいのですが…随分と大きい。
月城さんと2人で食べるというのはどうやら正解みたい。
「お待たせしました」
「わあっ、おっきいパフェですね!しかもバナナがたくさん♪」
「食べきれるかな?」
「大丈夫、バナナは別腹ですよ、月城さん」
そのパフェ、随分とクリームも多そうよ、美春。
「ごちそうさまでした、パフェ、とってもおいしかったです!」
「お腹いっぱい…」
美春と月城さんはなんとかパフェを完食して、帰っていった。
時間はちょうどお昼時。
これからランチがはやる時間。
丘野さんはどうやら昼食をここでとるようで、ハンバーグランチを頼んでいました。
ダッチコーヒーという苦いコーヒーも頼んでいました。
あれは、とても苦いけれど、コーヒーの味を真に楽しめるものらしいです。
さすが常連さん、通です。
「いらっしゃいませ。あら、紫光院さん。橘さんは一緒ではありませんの?」
「わかばちゃん、別に私は勤とセットじゃないわよ?」
「そうでしたわね。席へご案内しますわ」
「お願い…って、あら?丘野君?」
「よ、紫光院」
「聞いてるわよ、あなたも勤同様かなり常連になってるみたいね」
「ここよりうまいコーヒーはそうは無いからな」
「まあね。相席していいかしら?」
「構わないぞ」
今来たのは、紫光院霞さん。
丘野さんの同級生で、とても成績がいいそうです。
なんでも、丘野さんにこの店を紹介したのは紫光院さんとそのお友達だそうで、紫光院さんもその方も常連さんです。
しかし、同級生とはいえ、相席を申し込むだなんて、まさか愛のバトルが発生したりして?
女の子は、他人の恋愛ごとには興味津々なもので、じっとそちらを見ていました。
ですから、ちょっと油断してたのかもしれませんね。
次に来たお客さんが、知り合いだとは思いもしませんでしたし。
「いらっしゃいませ…って、ええ、兄さん!?」
「音夢!?」
バイト中にこんなに大きな声を出したのは初めてでした。
「お客様、ご注文は?」
「音夢のバイト先ってここだったんだな」
「そのようなものはメニューにございませんが」
「音夢、何を怒ってるんだ?」
「怒ってなどおりませんが?」
「いや、裏モード全開だし。明らかに怒ってるだろ?」
「怒ってるんじゃなくって、恥ずかしいんです!さっきも大きな声出しちゃったし」
「あぁ、わかったから落ち着け、また大きい声出てるぞ」
「…で、ご注文は?」
「あ〜、俺、何がうまいか知らないんだけど」
「どれも当店自慢のメニューです」
「杉並のヤツ、どれがオススメだとか言ってくれなかったしなぁ」
迷いに迷って、結局、兄さんは丘野さんと同じくハンバーグランチを頼みました。
しかも、なぜかダッチコーヒーまで。どんなものかわかってるんでしょうか?
マスターのもとに注文を告げに行くと、わかばさんが話しかけてきました。
「音夢さん、あれが音夢さんのお兄様ですの?」
「はい、不肖の兄、朝倉純一です」
「不肖だなんて、卑下することはありませんわ。優しそうな方ではありませんか」
「けど可愛いウェイトレスさんのために、わざわざ足を運ぶ人ですし」
「あら、そうなんですの?」
「ええ、そうなんです」
杉並さんから聞いたのだから、きっとそういうことに違いない。
学園祭のメイド喫茶という前例もあるし。
兄さんに食事を運んだ後、すぐに離れたのだけど、ずっと店内にいる兄さんが気になってしょうがなかったのです。
閉店時間を迎えて。
結局丘野さんも兄さんも最後までいました。
丘野さんは藤宮さん姉妹と共にお帰りになって、私は兄さんと歩いているのです。
「で、兄さんの目に止まる可愛いウェイトレスさんはいましたか?」
「お、おい、音夢、いきなり何言ってるんだ?」
「どうせ、杉並君からウェイトレスさんが可愛いから行ってみろと言われたんでしょう?わかばさんですか?望さんですか?」
「い、いや、待て。誤解だ。俺はだな、面白いものが見られるとだけ言われて」
「言い訳なんて聞く耳持ちません。今日の夕飯は手作りですから期待していてくださいね?」
「自分の料理の腕をわかって言ってるのか!?」
「はい、綺麗な料理を作って見せますよ」
「…味もなるべく努力してくれ」
「善処します」
言い訳でもいいから、私を心配して来てくれた、って言ってくれたらな。
もちろん、そんなことは口に出来ませんけど。
家に帰って、夕飯も済ませて(兄さんが少しグロッキーになってましたが)、お風呂にも入って。
今日の分の宿題を終えた私は、さやかさんへの手紙の返事を書いています。
お手紙の内容に対する返事と、私の日常について。
ぐうたらな兄さんや、可愛い後輩、綺麗なアルバイト仲間について。
お互いに、私はこんなに幸せですよ、って主張しているようなお手紙。
書き終わったときに、ドアをノックする音。
「音夢、あんま夜更かしするなよ?」
「はい、兄さん。ちょうど今から眠るところです」
「そっか。おやすみ、音夢」
「お休みなさい、兄さん」
部屋の電気を消して、眠りにつく。
兄さんの言葉に始まって、兄さんの言葉に終わる毎日。
私の夏休みはこのように過ぎていくのです。
最初に言ったとおり、これは、そんなに特別なことはなかった、ただの夏休みの一日のこと。
日記に、特別なことはなかったと書けるような一日のこと。
ですから、このお話は、ここで終わりです。
「なあ、音夢。ずっと気になってたんだがな」
「なんですか、兄さん?」
「誰に向かって話しかけてるんだ?」
「それは言わないお約束です!」
おあとがよろしいようで。