向日葵の迷路
窓の外には中央分離帯の植え込みが、単調に続いている。
父さんの運転する車は、父さんの実家に向って走っている。
そこは、車で3時間くらいで到着する田舎町だ。
空調の効いた車内には、AMラジオが流れている。
平日の昼間にやっている、世間話を主体にしたような番組だ。
中途半端な音量のラジオは、睡眠を促す効果がある。
目的地まで、渋滞がなければ、あと2時間ほどだろう。
それまで、昼寝をするには十分だ。
今からちょうど10年まえの夏休み。
森や、池が自然のままの田舎町。
どこまでもつづく、ひまわりばたけ。
そのなかでするかくれんぼが、ぼくたち3人のお気に入りだった。
日がくれるまで、あそんだ。
とおくにかくれると、見つけてもらえないから、わざと近くにかくれた。
見つけられる、見つからないところにかくれるのが、ルールだった。
夕方になり、お寺の鐘がなると、僕らは家に帰らなくてはならなかった。
家といっても、僕の場合は、父親の実家なのだが。
僕と、もう一人の男の子、晴紀は、帰り道が途中まで同じだった。
しかし、佐奈はまったく反対のほうで、向日葵畑で別れることになった。
「晴紀、一弥、またあしたー」
佐奈は、ふりかえって手を大きく振っていた。
「ばいばい」
「またあしたなー」
僕らもそれに答えて、大きく手を振った。
やがて、相手が見えなくなった。
そして、突然、晴紀が表情を変えて、こちらにからだを向けた。
「一弥、おまえ、佐奈のこと好きか?」
晴紀は、真面目な顔で言った。
likeではなくloveだと表情が語っていた。
今から考えれば、まだ、歳が二桁に届いていない少年の言うことだと理解できるのだ。
しかし、歳が二桁にも届いていない僕は、突拍子もない晴紀の発言にひどく動揺した。
もちろん、男の子と女の子である、と、理解できているつもりだったが、僕の中ではそれ以前に友達なのだった。
口をもごもごさせていると、晴紀は、何事も無かったかのように歩いて行ってしまった。
僕はそれを追わなかった。
どこかに、男が女を好きになるという事象に、罪悪感と誤認してしまっている恥ずかしさがあった。
もし、晴紀の口から、佐奈のことが好きだ、と聞いてしまったら、自分が罪悪感を持っていることへの恥ずかしさが生まれていただろう。
次の日、晴紀は家族みんなで出掛ける用事があるから、と言って午前中で帰ってしまった。
明日も来れないとのことだった。
今日と明日は佐奈を独占できる。
そのとき僕は晴紀に向けて(もちろん、佐奈には見えないように)挑発的な、自信に満ちた顔をしていたのだろう。
そのことに、僕が佐奈のことが好きであるか否かは関係なかった。
晴紀は、僕だけに、苦い表情を見せた。
午後からは、二人きりで遊んだ。
二人だけでかくれんぼはつまらないからと、池、森、と場所をかえながら遊んだ。
晴紀に、佐奈のことが好きかと聞かれてからずっと同じことが頭を巡っていて、佐奈と遊んでいる間も変わらなかった。
また、夕方が来て、僕らはそれぞれ別な方向に帰っていった。
家に着くと、夕食の準備ができていた。
普段、自分の家で食べているのより幾分豪華に見えた。
父さんは祖父と、母さんは祖母とそれぞれなにか話ながら食事が進められた。
食事がおわるまで、普段の倍近い時間がかかった。
「明日には帰るよ」
「うん」
食事がおわって、片付けていると、母さんが僕に言った。
風呂にはいって、それから、ここでの最後の布団にもぐった。
朝食を食べおわると、すぐに出掛けた。
待ち合わせ場所は、二週間まえに出会った向日葵畑。
佐奈は、今日もそこにいた。
いつも佐奈が一番早くそこにいた。
「今日、帰るから、午前中までしか遊べないんだ」
「そっか、残念。最後は三人で遊びたかったね」
残念、僕もそう思った。
昨日、晴紀は佐奈のことが好きだと、遠回しに言ったんだと思う。
でも、僕には、まだ、そういうのがはっきりとは、わからなかった。
結局、僕にとってこの三人は友達以外にはないのだ。
向日葵畑で、かくれんぼをした。
佐奈が僕を見つけて、今度は佐奈が隠れる番になった。
来年も、遊べたらいいね。
ふいに、佐奈がそう言った。
うん。
僕は、腕で目隠しをしながら答えた。
ルールの通りに30まで数えて、目隠しを解いた。
迷路のような向日葵畑を歩き回った。
花がおわり、種をつけて首をもたげている株が目立ちはじめていた。
夏も終わりに近づいていた。
来年の今頃も、こうして三人で遊んでいるのだろうか。
日は真南に近づきつつあった。
どういうわけか、佐奈が見つからなかった。
隠れていそうな影はすべて見回ったはずだった。
父さんに借りた腕時計で時間を確認すると、針は12時を指していた。
そろそろ帰らなくてはならなかった。
「佐奈ー、僕は帰らないといけない時間だから帰るよ」
大声で叫んでみたが、返事は無かった。
帰ってしまったのだろうか?
いつも、昼には一時解散してお昼を食べるために帰っていたのだから、帰ったということもありえた。
しかし、何も言わずにというのはおかしかった。
僕はもう一度だけ叫んだ。
やはり返事はなかった。
しょうがないから、帰ることにした。
家に着くと、父さんが車に荷物をつめているところだった。
3人分だが、2週間も泊まっていたからそれなりの量だった。
部屋に入ると、ばあちゃんが素麺と、おにぎりを用意していた。
「もうすぐ用意できるから、みんなを呼んでおいで」
「うん、わかった」
父さんと母さんを呼んできて、それから昼食になった。
「そういえば、一弥が遊んでた向日葵畑のあたりに、工場が建つらしいねえ」
じいちゃんが言った。
「え、そうなの?」
「なんでも、大手が大工場を建てるらしいよ」
道路は、こっちとは逆のほうに延ばすってことで、反対は少なかったらしいね。
そう付け加えていた。
来年、そう、来年は?
「それっていつ頃の予定なの?」
「2年後とか言ってたかな」
なら、来年はまだ大丈夫のはずだった。
そう、工事は確かに2年後からだったが、次の年にはフェンスで仕切られ、予定地には入れないようになっていた。
向日葵畑だったところは、すっぽりその中に含まれていた。
隙間から見たら、ぽつぽつと小さい向日葵が見えるだけで、面影は少しも残っていなかった。
それから、10年近い月日がながれ、今日に至るのである。
1時間ほど昼寝をして目が覚めると、もう眠気はどこかに飛んでいってしまったようでもう眠れそうにない。
仕方なく、座席に転がっている地図を眺める。
実家周辺を見ていると、まだ工場が建つ前、すなわち、向日葵畑があった頃の地図であることがわかる。
佐奈は、向日葵畑から僕とは反対に帰って行った。
そこで、奇妙なことに気が付く。
佐奈が帰っていったはずの道は、一本道で、そのまま登山道へ続く道である。
その道を行っても民家は無いはずだ。
なら、佐奈はどこに帰っていったというのか。
その疑問は、結局晴れない。
実家に着いて、真っ先に向日葵畑だったところへ向かった。
幸い、道は当時のままで迷うことは無かった。
通り過ぎてからその先、佐奈が帰っていった方向へ歩いてみたが、雑木林が続くばかりで、民家があるようなところではなかった。
今は、向日葵畑だったあたりに戻ってきている。
肝心のその場所は工場の駐車場になっていて、向日葵なんかどこにも生えていない。
佐奈の謎、アスファルトで固められた向日葵畑。
あれは、夢だったのだろうか?
僕は、ルールの通りに腕で目隠しをし、30数える。
目の前には、向日葵畑が広がっている。
18歳の目線では、大したことはない規模に見える。
向日葵の迷路を進む。
少し先の向日葵の花が不自然にゆれている。
そこには佐奈がいた。
10年前とまったく同じ姿で。
「一弥、お帰り」
「ただいま、佐奈、待たせちゃったね」
「来てくれるって信じてたんだけどね、あの時は、お別れが恐くて逃げちゃったの。それに、そうすればいつかは探しにきてくれるって、そう思ってた。なん
か、自分勝手で、ごめんね」
「いや、いいんだよ、そんなのは」
聞きたいことはたくさんあった。
でも、実際はどうでもいいことで、今はそれが夢ではなかったという確証がほしいだけだ。
少し遠くから、子供の声が聞こえてくる。
「佐奈、見っけ。よし、あとは、一弥だな」
「うん。晴紀はみつけるのが上手いね」
晴紀がいる。
佐奈もいる。
でもふたりは僕の届かないところで僕と遊んでいるようだ。
楽しそうで、幸せそうだ。
「一弥、たのしかったよね」
僕の隣にいる佐奈が言う。
「うん、すごく楽しかった」
「夢じゃなくて、思い出なんだよ。ずっと忘れないでね」
佐奈はそう言って僕に小振りな向日葵を一輪だけ僕に手渡す。
それから、その小さい両手で、僕の手を包んだ。
またね。
そう呟いた気がする。
その時、目の前の景色は、ガラスが砕けるように、粉々に消えていった。
この夏、僕の家の玄関には一輪だけ向日葵の花が咲いている。
end