「あっちー」

今日の塾の夏期講習も終わり、水瀬家の門をくぐる。

「ただいまー」
「あら、お帰りなさい。祐一さん」
「ただいま帰りました、秋子さん」

秋子さんが洗濯物を持ちながら俺を迎えてくれた。

「じゃあ着替えてきますね」
「あ、祐一さん」

俺が階段を登っていこうとすると、秋子さんが呼び止めた。

「え?」
「祐一さんにお手紙が来てましたよ」
「俺に、ですか?」
「ええ」

そういうと秋子さんは洗濯物を抱えたまま、手紙を俺に持ってきてくれた。

「はい、どうぞ」
「あ、どうも。誰からだろう・・・?」

裏返して差出人氏名を見る。
『相沢春菜』

「ん?母さんからか」
「そうみたいですね」
「へー、久しぶりだな」

相変わらず世界中を飛び回る父さんとそんな仕事の鬼を影で支える母さん。
なんだかんだ言って、なにかあるといつも帰ってきては俺の世話を焼きたがる。
仕事の鬼、とはいいながら俺の心配をしてくれている両親を俺は少なからず尊敬していた。
そんな母さんからの手紙。
手紙をもらうのは春以来だ。
なんとなく楽しみに封を開ける。

「どれどれ・・・」



 
-Summer Crescent Moon-





パラ、と一枚の紙。
だが、その中にはビッシリと黒いペンで書かれていた。

「祐一さん、リビングで読んだらどうですか?」

確かに、階段の途中で読んでいたら邪魔だろう。

「あ、すみません。そうします」

リビングのドアを開け、ソファーに座って再び読みだす。
いつもの通り、あまりロクなニュースが書いてない。
「イタリアのメシはうまい」だの、「スペインでダンスを習った」だの。
いつもいつも、お前らは仕事で行ってるんじゃないのか、と問いたくなる。
そんなツッコミを抑えていると、部活から名雪が帰ってきた。

「ただいまー」

その声と同時にあるひとつの文が目に入った。

『そういえば幼馴染の真琴ちゃんが結婚するんですってね。』

「あ、ただいま祐一・・・ゆうい」

ガタッ!
俺はおもわず立ち上がる。

「ゆ、祐一・・・どうしたの?」
「秋子さんすみませんっ!今から出かけてきますっ!」
「え?ちょ、ちょっとどこに行くの?祐一」
「前に住んでた街だ」

それだけ言って俺は駅へ向かった。

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俺が昔住んでいた街は水瀬家のある華音市よりも大きく、そこそこ有名な都市だ。
交通の便も良く華音市から1時間ほどで着く。
なんとか逸る気持ちを抑え懐かしさの残るあの街へ。

まずは真琴姉さんの家へ向かう。
ところが家には誰もいなかった。
もう結婚して出ていってしまったのか。
だがよく見渡すと自転車や犬小屋は残っている。
そして表札は『沢渡』のまま。
まだ真琴姉さんがいる可能性はある───そう信じて街の中を探し始める。
駅、商店街、大通り・・・。
どこを探してもいなかった。
空は赤く染まり始め、街灯が燈り始める。
だんだんと鈴虫の声が空に響き渡る。

別に今日でなくてもいいはずだった。
明日でも。明後日でも。
だけど何かを言いたくてどうしようもなかった。
一言なにか言いたくてどうしようもなかった。
会って自分は何をしたいのか、自分にもわからない。
それは弟として何か言いたいのか。
それとも・・・。

そんなことを考えてるうちに足は勝手に動いていた。
そして、ある公園につく。
そこは思い出の場所。
幼い頃姉さんと遊んだ場所。
小さな姉さんと自分が公園を駆け抜ける姿がよみがえる。
そして、ベンチにひとつの人影を見つけた。
それは、いままでずっと探していた人で。

「真琴姉さん、久しぶり」
「え・・・祐くん?」
「姉さん・・・」
「どうしたの!?久しぶりだね!」
「ああ・・・」
「夏休みで帰ってきたの?」
「いや、違うんだ」
「違うの?」
「結婚、するんだって・・・?」
「え?」
「母さんの手紙でついさっき知ったんだ」
「そうなんだ」

空を見上げる。
その後、二人して隣同士でブランコに座る。

「昔はよくこうやって遊んでたよなぁ・・・」
「くすっ、そうだね・・・」
「懐かしいな・・・」
「あの時の祐くん、可愛かったなあ」
「それじゃいまの俺が可愛げがないみたいじゃないか」
「だって私より大きくなっちゃったんだもん」
「違いないね」

空には軽く雲がかった夜空。
自販機の近くのベンチに座って二人でアイスコーヒーを飲む。

「ブラックでよかった?」
「うん」

「なあ、姉さん」
「なに?」
「すごいひどいこと言っていい?」
「え?」
「俺、ずっと姉さんのこと好きだった」

「・・・え?」

姉さんの顔から笑顔がふっと消えた。

「小さいときからずっと俺の面倒見てくれて」
「ずっと姉さんはやさしく頬笑んでくれてて」
「ずっと俺の憧れだった」

ははっ、と俺は軽く笑った。

「俺さ、一回本気で真琴姉さんに告白しようと思ってた」
「だけどなかなかチャンスがつかめなくて」
「そんなとき、姉さんが俺に彼氏が出来たー、って紹介してくれてさ」
「ああ終わったんだ、って思った」
「だけどなぜか悲しくなかったんだ」
「姉さんの隣にいるのが俺じゃないとしてもこれで姉さんが幸せになれるんだ、って思えてさ」
「あはは、ホント楽天的だよな。俺って」
「だからそのときから思ったんだ」
「一人の男としてじゃなく、弟としてでいいから」
「俺のこと一秒でも長く覚えててもらおう、ってね」

「そんな顔しないでくれよ、俺はこれでよかったと思ってるんだから」
「・・・」
「俺姉さんの幸せ本当に応援してるからね」
「姉さんの弟として、さ」

心の底から笑顔がだせた、と思う。

「・・・うん」

姉さんは目に涙を浮かべながら笑ってくれた。
なんか、それだけで。
俺はこの人を好きになってよかったな、って思えた。

「じゃあ、そろそろ俺行くね」
「うん」
「結婚式呼んでくれな」
「当たり前でしょ、バカ」
「当たり前、か・・・」
「あたしの弟、なんでしょ?」
「ああ」
「ご祝儀、忘れないでよね」
「うわ、ひっでー!年下の学生から金取りますか、あなたは」
「・・・」
「・・・ぷっ」
「・・・ふふっ」

そして俺たちは笑い出した。
ただ、こんなやり取りが楽しくて。
またこんな時が過ごせた事が嬉しくて。

「じゃあね」
「・・・うん」

そして俺は姉さんに背を向けて歩き出す。
ひょっとしたらたった今、この瞬間まで俺は姉さんが好きだったのかもしれない。
だけどこれでもう大丈夫。
きっと次に会うときは弟として、また姉さんと笑って会えるだろうから。

セミの鳴く声と繁華街のざわめきが静かな夜道に響く。
気まぐれな風が俺の頬を撫でた。
ふと闇に染まった空を見る。
さっき見えていた夜雲は消え、白く、黄色く輝く三日月がどこか小さく見える。
いや、それだけ空が広くみえるのか。
そんな大きな空を仰いで彼女の幸せを想う。
明日は、いつも俺を心配してくれている従姉妹に優しくしてやろうかな、と思った。