――――ガラガラッ

 ホームルームを知らせるチャイムが鳴る寸前、教室の扉がやや乱暴に開け放たれた。
 入って来たのは折原浩平と長森瑞佳の幼馴染コンビ。
 クラスメート達は「またか……」と思う程度でさしたる反応はない。
 つまりはそれほどこの風景が日常的であるということなのだが。


 「セーフか!?」

 「ぎりぎりだけどね」


 呆れたように浩平に返事を返したのは七瀬留美、何気に態度が投げやりなのは気のせいではない。
 視線は浩平の後ろで荒い息を整えようとしている瑞佳に向かっているのがいい証拠だ。


 「で、今日は何が原因なの瑞佳?」

 「はぁっ……はぁ……え、うん。今日は浩平、ちゃんとベッドの上で寝ていたんだけど……」

 「珍しいわね、それで?」

 「縛ってたの……」

 「は? 何を」

 「自分を……」

 「……」


 無言で浩平に近寄ると拳骨を叩き落す留美。
 手馴れているのか手が痛くなることはない様子。


 「痛いじゃないか七瀬」

 「うるさいわね、あんたがまた馬鹿なことして瑞佳を困らせるからでしょーがっ」

 「馬鹿なこととは心外だな、難しかったんだぞ」

 「そういうことを言ってるんじゃないっ!」

 「怒るなよ七瀬、ハゲるぞ」

 「ハゲるかっ」


 一通り留美をからかって満足したのか浩平はある席へと向かう。
 自分の席に、ではない。
 彼の世間一般では恋人と呼ぶべき存在である里村茜の席に向かうのである。


 ちなみに茜は浩平以上に寝起きが悪い。
 が、彼女の場合は浩平と違い起こされればきちんと起きるので基本的には浩平より先に教室についている。
 ちなみに、以前数回ほど瑞佳に代わって浩平を起こす役目を引き受けたことがあるのだが、
 毎回布団に引き込まれてしまい一緒に寝てしまうのであえなく断念。
 ごくたまに起きることはあるのだが、目覚めた浩平にそのまま朝の運動へともつれこまされてしまうのだ。


 閑話休題。
 いつものように茜に挨拶をしようと茜の席にやって来た浩平。
 彼にとってはこの瞬間が朝の楽しみであるといっても過言ではない。 


 「よお、おはよう茜」

 「おはようございます、浩平」


 ただこれだけのやり取りの中に幸福を見出せるのが彼女持ちの男の特権というものだ。
 別名、色ボケとも言う。恋は盲目とも言うが。


 しかし、今日はそんな至福の時はやってこなかった。
 理由は簡単、そこに座っていたのが茜ではなかったからである。


 「なんでお前がここにいるんだ、柚木」




















 風邪ひき織姫さんとお見舞い彦星さんの七夕




















 「あー、ひどいな。まるであたしがここにいちゃいけないみたいじゃない」

 「みたい、じゃなくていけないんだよ。そこは茜の席だ」

 「えー、でも今日は茜はいないんだしいいじゃない」

 「いなくても駄目だ…………ってお前今なんていった」

 「茜は今日はいないよ。風邪でお休みだから」

 「なにぃっ!?」


 詩子の言葉を聞くと、くるりとUターンする浩平。
 が、その肩をがっしりと掴まれる。


 「折原君、何処へ行く気?」

 「愚問だな。茜のところに決まっている」

 「って浩平、もうそろそろ先生来るよ?」

 「長森」

 「な、なに?」

 「男には授業よりも大事なことが星の数だけあるんだよ……」

 「意味わかんないよ」

 「そういうわけなんで今日は早退する。柚木よ、火傷したくなかったら俺から手を離すんだ」

 「うわ、それは大変。氷で冷やさないと」

 「悪いが今の俺にはお前のボケに反応している暇はない、いいから離せ」

 「いや、だからあたしも連れて行って欲しいんだけど」

 「よしわかった、おんぶでもお姫様だっこでもしてやるからとっとと行くぞ」

 「じゃあ、お姫様だっこで」


 ひょい

 言い切るが早いか詩子を抱える浩平。
 もちろんお姫様だっこである。
 そして歓声と怒声のわく教室。
 前者は女子で後者は詩子ファンの男子だったりする。
 ちなみに留美は憧れの視線を詩子に注いでいたり。
 どうやらお姫様だっこに乙女の琴線が触れたらしい。


 「お、折原君!?」

 「さあ行くぞ柚木、茜が俺達を待っている!」


 まさか本当にお姫様だっこされるとは思っていなかった詩子は珍しくあたふたと慌てる。
 頬は鮮やかな薔薇色に染まり非常に可愛らしい。
 が、浩平はそんな彼女におかまいなしにそのままダッシュをかけて教室を風のように去っていく。
 完全に置いていかれた教室のメンバーは呆然とするばかり。


 結局、浩平が笑っていたことに気がついていたのは瑞佳だけだった。















 「う〜」

 「なんだよ柚木、そんなに嬉しそうな顔をするなよ。俺が嬉しいじゃないか」

 「嬉しくないっ、凄く恥ずかしかったんだからねっ」


 ぷんぷんという擬音が良く似合う詩子のリアクションに久々の勝利を感じる浩平。
 ちなみに場所はすでに里村家の玄関に移っている。
 お姫様だっこは学校を出た段階でやめたのだが、詩子は余程恥ずかしかったのかここまでの道中ずっと浩平を睨んでいた。


 「おいおい、お見舞いに来たんだからそんな顔をいつまでもするなよ」

 「誰のせいだと思ってるのよ」

 「お姫様だっこを頼んできた柚木のせい」

 「うっ……ふ、普通は冗談だと思うでしょっ」

 「俺はいつでも本気だ」

 「……後で茜に言いつけてやる」

 「ごめんなさい」


 今までの勢いはどこへやら、即座に謝る浩平だった。
 詩子はそんな浩平の様子にようやく調子を取り戻す。
 ……まだ若干頬に赤みは残っているのだが。
 そうこうしているうちに茜の部屋の前にたどり着く二人。


 「ま、それは後のお楽しみにとっておくとして。あっかねー、入るよー」

 「とっておくな。あと、ノックくらいしろ」

 「いいのいいの、あたしと茜の仲なんだから」


 ガチャ















 そこには、白い天使さんがいました(by 折原浩平)















 「……」

 「……」

 「……」


 バタン

 無言でドアを閉める詩子。
 茜は着替えの真っ最中だった。
 非常に気まずい空気が辺りを支配する。


 ちら、と詩子は背後の浩平を見た。
 何故か上を向いた状態で鼻を押さえていた。


 「えっち」

 「なっ!? しょ、しょうがないだろーがあんなの見たら」

 「普段から見せ合ってるくせに」

 「見せ合ってないっ!」

 「それに『あんなの』だって。折原君にとって下着姿の茜はあんなの扱いなんだ」

 「ち、違うぞ! 俺は下着姿の茜は世界で二番目に綺麗なものだと思っている!」

 「じゃあ一番は?」

 「もちろん裸の茜だ」

 「……」

 「……」


 二人の動きが止まった。
 浩平は自分の発言のあまりの恥ずかしさに気がついて轟沈。
 詩子は口をパクパクさせながら顔を真っ赤にさせて固まっていた。

 ガチャ


 「人の部屋の前で何を言い合っているんですか……」


 永遠とも思われる静寂を打ち破ったのは着替えを終えて部屋から出てきた茜だった。
 顔どころか全身に赤みが広がっているのは風邪だけが原因ではないのは間違いところだろう。
 どうやら、部屋の中に丸聞こえだったようだ。















 「全く、浩平たちは何をしに来たのですか……」

 「いや、茜の見舞いに……」

 「学校はサボってはいけません」


 軽く茜に睨まれてしゅんとなる浩平。
 瑞佳が相手ではこうはいかない。
 流石は恋人といったところだろうか。


 「まあ、過ぎたことを言っても始まりませんし、今回だけは不問にします」

 「サンキュー」

 「お礼を言うのは私のほうです……やっぱり、嬉しかったですし」


 微笑む茜。
 浩平としてはそれだけで元気が出てくるのだから現金なものである。
 何気に詩子が後ろの方で「暑いなぁ、夏だからかなぁ」とかやっていたりするが。


 「けど、残念だったね。流石に外出は無理なんでしょ?」

 「ええ、熱自体は低いのですが……けど風邪は風邪ですから仕方がありません」

 「ん? 今日は何かあるのか?」

 「今日は七夕でしょ? だからあたしの家で短冊飾る予定だったの」

 「なるほど」


 頷く浩平。
 脳内では子供時代の茜と詩子が短冊に願いをかける光景が繰り広げられていたりする。


 「まあ、あたしが茜の分まで願い事してあげるから心配しないでね」

 「いや、駄目だろそれ」

 「いいえ、私は構いませんよ」

 「わっ、流石は茜。太っ腹!」

 「おいおい……」

 「それじゃあお礼代わりにおかゆ作ってあげるね。茜、何も食べてないんでしょ?」

 「はい」

 「え、柚木って料理できたのかっ!?」

 「なんでそこで心底意外そうな顔をするかな折原君は」


 じとーっと浩平を睨む詩子。
 茜のそれにくらべればたいしたことはないので浩平は平然としたものだったが。
 そんな二人の様子に苦笑をしつつフォローを入れる茜。


 「浩平、詩子はこれでも簡単な料理ならできるんですよ」

 「へえ、人は見かけによらないって本当だな」

 「折原君の言葉も気になるけど茜もさり気なく酷いこと言ってるよね……折原君が感染した?」

 「するかっ」

 「そうかもしれません」

 「あかねぇー」


 茜に肯定されてしまってショックを受ける浩平だった。















 詩子がおかゆを作りに台所へ行ったので二人きりになった浩平と茜。
 まあ、しっかりと詩子に


 「あたしがいないからって変なことしちゃ駄目だよ折原君、茜は病人なんだから」


 と釘をさされていたりする。
 浩平にもそれくらいの分別はあるので当然そんな変なことはするつもりはない。
 いつスイッチが入るかは怪しいところではあるが。


 「なあ」

 「なんですか?」

 「茜ってどんな願い事をしていたんだ?」


 それは純粋な疑問だった。
 浩平のイメージではどうしても『お星様に願いをかける茜の図』に違和感が発生するのだ。
 そんな浩平の思考を読みとったのか、少しばかり憮然としつつ茜は口を開いた。


 「浩平がどんな目で私を見ているかは知りませんが……普通のお願い事でしたよ。
  お菓子が上手に作れますように、とか背が伸びますように、とか」

 「へえ、本当に普通だな」

 「でも……」

 「?」

 「ここ数年はずっと……司が帰ってきますようにって、そればかり願っていました」

 「……茜」


 目を伏せる茜に言葉が詰まる浩平。
 茜が言っているのは消えた幼馴染のことだろう。
 ちくん、と胸が痛んだ。


 「……大丈夫です。わかっていますから」

 「……」

 「引き裂かれた織姫と彦星は一年に一度、七夕に会える。それが七夕の伝説です。
  私はずっと司を待っていました……司の織姫は私じゃなかったのに……」

 「……」

 「馬鹿ですよね、私。それがわかっていながらも諦められなかった……」

 「茜」


 浩平は茜を抱きしめた。
 理由はなかった、ただそうしないといけないと思ったから。


 「……こう、へい」

 「俺は傍にいるから。もう二度と茜を置いてどこかにいったりしないから」

 「……はい」

 「茜が望むならずっと傍にいてやる。一年に一度なんてケチくさいことは言わない。
  茜のためなら天の川の一つや二つ毎日渡って会いに行く」

 「無茶苦茶ですね」

 「茜が喜んでくれるならそれくらいのことは余裕だ」

 「浩平……凄く恥ずかしいこと言ってますよ。それに、そんな台詞は似合いません」

 「自覚はある」


 苦笑する浩平。
 けれどその言葉は、想いは確かに体温と共に茜に伝わる。
 やがて二人はそっと体を離し、見詰め合う。
 そして二人の影は一つに――――


 「くしゅん」


 ならずにはじかれた。
 いつのまにかおかゆを持って戻ってきていた詩子がこっそりと覗いていたのだ。


 「あ、あはは……おじゃまだった?」

 「柚木、いつから見ていた……?」

 「……恥ずかしい」


 急に飛びのいたためか背を壁に打ち付け顔をしかめつつ問う浩平。
 茜は湯気が出る勢いで頬を赤くして布団をかぶるのだった。















 「やー、びっくりしたよー? 戻ってきたらラブシーンの真っ最中だったから」

 「普通はそこで引き返すのがマナーだろうが」

 「いや、そうなんだけどね。ほら、なんていうか二人の雰囲気に引き込まれたって言うか……」

 「…………(もぐもぐ)」


 顔を真っ赤にしておかゆを食べる茜を横目に詩子に説教をする浩平。
 が、やはり浩平も恥ずかしいのだろう、言葉に勢いがなかった。


 「……ごちそうさまでした」

 「おそまつさまでした。どうだった茜?」

 「美味しかったですよ」

 「やったね♪ どう、折原君。これがしーこさんの本当の実力ってわけよ」

 「……まあ、今回は認めてやるよ」


 茜の表情に嘘はないようなので大人しく敗北を認める浩平。
 詩子はよほど嬉しいのかぴーすを決めていたりする。


 「じゃあ、茜も病人だからね。あんまり長居してもいけないから帰ろっか折原君」

 「ん、そうだな」


 立ち上がる浩平と詩子。
 と、浩平はがくんと体勢を崩した。
 茜が浩平の服の裾を掴んだためである。


 「……茜?」

 「あ、これは……その」


 困惑した表情を浮かべる茜。
 どうやら無意識の行動だったらしい。
 だが、茜は一向に手を離す様子はない。


 「離してくれないと帰られないんだが」

 「そ、そうですよね」

 「しかし茜は折原君に帰って欲しくないのか服の裾を決して離そうとしなかったのだった」

 「柚木、妙なナレーションをいれるなっ」

 「えー、でも事実だし」


 詩子の視線は浩平の背後に。
 そこには未だ服の裾から手を離さぬ茜の姿がばっちりと映っていた。


 「仕方ない、特別に折原君が残ることを許してあげるよ」

 「なぬ!?」

 「あ、この報酬は今度澪ちゃんと一緒にお寿司でも奢ってくれればいいから」

 「こら、ちょっと」

 「じゃーねー、お幸せにー♪」


 言いたいことだけを言って突風のように去っていく詩子。
 それを呆然と見送るしかなかった浩平は数秒ほど固まるのだった。















 「あの……」


 クイクイと引っ張られる感触に現実へと引き戻される浩平。
 見れば茜はこれ以上ないほど顔を真っ赤に染めて上目遣いで浩平を見つめてきていた。
 その表情にはかなりぐっと来るものがあったものの相手が病人なので辛うじて理性を保つ。
 かなり際どい戦いではあったが。


 「傍に……いてください」


 瞳は潤んで頬は上気しているとまるで熱に浮かされて――――いや、実際浮かされているのだが、
 いるように自分を見つめる茜。
 浩平にはまるでその様子が泣きだしそうな子供のように思えて、噴火寸前だった邪な感情が一気に静まるのを感じる。

 ぎゅっ


 「あ……」

 「……寝つくまでだからな」


 手を握った浩平を見て安堵の息をもらす茜。
 じっと見つめてくるその視線は何の疑いも不安もなく浩平を受け入れているようだった。


 「……そういえば」

 「?」

 「よかったのか? 結局今年は短冊に願い事を書けないままだったけど」

 「構いませんよ……だって」


 そこで茜は恥ずかしそうに、それでいてしっかりと浩平に視線を絡ませて


 「私の今の願いは……浩平が傍にいてくれることだから。だから、いいんです……短冊に願わなくても。
  ……こうして今、あなたが傍にいてくれるのだから」

 「……茜も十分恥ずかしいこと言ってるな」

 「きっと風邪のせいです……」

 「そうか」

 「……ずっと、傍にいてくださいね……私の……彦星……さ……ん……」


 すう……と寝付く茜。
 浩平はゆっくりと空いた手で茜の髪を撫でるのだった。


 「ああ……そのために俺は帰ってきたんだからな。ずっと傍にいるよ、俺の織姫さん」