「さん、じゅう…………はってん…………よん?」



 自分の部屋のベッドの上で体温計を掲げて呆然と呟く少年がいた。

 少年の名前は相沢祐一。

 この街にきて初めての夏、そして夏休み。

 本来ならば学生生活最後の夏休みということで遊ぶなり勉強するなりしているはずである。



 しかし彼は現在寝込んでいる―――――夏風邪だった。















 『暑中お見舞い申し上げます』















 水瀬家三姉妹、といっても血は三人とも繋がっていないのだが―――――の次女こと月宮あゆは燃えていた。

 夏だというのにバックに炎を燃え盛らせているその姿は暑苦しいことこの上ない。

 彼女の幼げな容姿が微笑ましさを一緒に感じさせているのが救いではあるが。



 「今、祐一君の看病ができるのはボクだけなんだから……頑張らなくっちゃ!」



 ぐっ、と可愛らしく拳を握り締めるあゆ。

 家主たる秋子は仕事に出かけ、三女たる真琴は友人の天野美汐の家に泊まりに行っている。

 ちなみに長女の名雪はまだ寝ていたりする。

 となれば祐一の看病を出来るのは自分をおいて他にはいない。

 ちょっぴりの優越感と大きな不安をちっちゃな胸に秘めて彼女は動き出した。










 「祐一君、大丈夫?」

 「あー、なんとかな」



 心底だるいと言った感じで喋る祐一。

 普通ならここであゆをからかったりするのだが、そんな気力すら今はないようだ。



 「んしょ、んしょ」



 そんな祐一を心配そうに横目で見つつ持ってきた洗面器の中にタオルを浸し、そして絞る。

 こまめに額のタオルを替えるように、と秋子に言われていたからだ。



 「どう?」

 「ああ……ひんやりして良い気持ちだ」

 「何かして欲しいことがあったらなんでも言ってね。ボク、頑張るから」

 「ああ、ありがとうな」

 「う、ううん。気にしないで」



 微笑んで礼を言う祐一。

 熱のせいだろうか、いつもより素直な祐一にドキドキしてしまうあゆだった。



 みーんみんみんみん



 しかし今日は暑い。

 現在祐一の部屋は冷房器具を使っていないので暑さもひとしおである。

 そして当然のことではあるが人は暑ければ汗をかく。



 「あゆ」

 「どうしたの祐一君?」

 「悪いんだが……俺を着替えさせてくれ」

 「え?」

 「汗がびっしょりで気持ち悪いんだ。乾いたら体が冷えてまずいしな……頼む」

 「え、ええっ!?」



 祐一の言葉に顔を真っ赤にしてうろたえるあゆ。

 それはそうだろう、祐一を着替えさせるということは彼の裸を見ることに繋がるのだから。

 うら若き乙女であるあゆには少しばかり厳しいお願いかもしれない。



 (ぷぷぷ……うろたえてるうろたえてる)



 一方、祐一は悪戯が成功した悪ガキのように声を潜めて笑っていた。

 からかう気力もないのに根性で気力を搾り出すこの少年はある意味偉大なのかもしれない。

 最初からからかうつもりの申し出なので勿論あゆが自分を着替えさせようとするとは思っていない。

 あくまでオタオタするあゆを見物するのが目的である。

 汗でべたついて気持ち悪いことは確かなので自力で着替えるつもりではあるが。



 「う、うん。わかったよ」

 「………………へ?」



 しかし彼は今日のあゆの決意を見誤っていた。

 決意の表情で近寄ってくるあゆを呆然と見つめる祐一。

 そして首筋まで真っ赤にしたあゆの手が祐一の胸元のボタンへと伸びる。



 「お、おい」

 「う、動いちゃ駄目だよ祐一君、だ、大丈夫だよ。すぐにすむから」



 何が大丈夫なんだ、と叫びたい衝動にかられる祐一。

 しかしあゆは半ばのしかかるようにしているので今の力ではそれを振り払うことも出来ず成すがままになるしかなかった。

 あゆはゆっくりとたどたどしい手でボタンを外していく。

 見ようによってはかなり怪しい光景かもしれない。

 意外に冷静な思考を働かせる祐一だったが……



 「ゆーいちー! 見舞いに来てあげたわよー!」

 「ま、真琴、声が大きいです。相沢さんは寝ているのかもしれないのですから静かにしないと」



 そんな声が聞こえた。

 聞こえてしまった。



 (今の声は……真琴と、天野かっ!?)



 あせる祐一。

 美汐はともかく、真琴ならば遠慮なしにこの部屋へやってきてしまうだろう。

 それがわかっているからこそあせった。

 今の状況を見られたらどうなるかわかったものではない。

 頼みの綱であるあゆはよほど集中(緊張?)しているのか真琴たちの声は聞こえていない様子。



 「おい、あゆ……」

 「な、何かな」

 「もういい、後は自分でやるから」

 「そんなわけにはいかないよっ、頼まれたんだから最後までやりとおすよ!」



 中断を頼むも意外に頑固なあゆの意思に阻まれてしまう。

 どうすればいいんだと悩むも時間は容赦なく過ぎていく。

 すなわち、それは部屋のドアが開けられる瞬間が近づいているということである。










 ガチャッ



 ついにその時がやってきた。

 予告もノックもなしに開け放たれるドア。

 そして部屋に入ってくる二つの人影。



 「祐一、具合はどうなのー?」

 「真琴、ノックくらいはしない……………………と」

 「うあ」

 「え?」



 心配そうな表情の真琴。

 驚愕の美汐。

 ただでさえ病気のために青い顔を更に青ざめさせる祐一。

 ここでようやく訪問者に気がついたあゆ。



 みーんみーん



 数秒、時が止まった。

 いや、真琴だけは状況を把握していないのかよくわからないといった表情で美汐と祐一の顔を交互に見ていた。

 あゆは放置らしい。



 「あ、あの……そのな、天野?」

 「…………」

 「これは、その、なんだ」



 うまく言葉が出てこない祐一。

 どうやら思考力が低下しているようだ。



 が、次の瞬間。

 美汐は顔をこれでもか! というほど真っ赤に染めて



 「し、失礼しました!」



 部屋を出て行ってしまうのだった。



 「あ、天野! ……ごほっ、かはっ」

 「ゆ、祐一大丈夫!?」

 「あ、ああ、大声を出したからちょっとむせただけだ……」

 「美汐、どうしたんだろう……」

 「いや、あれが正常な反応だ。……よかったよ、お前がお子様で」

 「むっ、聞き捨てならないわね。真琴のどこがお子様なのよぅ」



 ぷーっ、と頬を膨らませて抗議の意を示す真琴。

 そんな彼女に微笑ましさを感じるものの今はそれどころではない。

 美汐の誤解を解かなければならないのだ。



 「ボ、ボク、天野さんを追いかけるよ!」



 固まっていたあゆが再起動する。

 が、やはり慌てていたのだろう。

 足元の洗面器に足が引っかかり洗面器が跳ね上がる。



 「へ?」



 そう、ベッドに半裸で横たわる祐一目掛けて。



 ばっしゃーん



 「うあっ!?」

 「あ、ゆ、祐一君ごめんね!」

 「い、いいからタオルをもってこい」

 「祐一君、何か食べたいものはっ!?」

 「え、そ、そうだな……りんごかな。いや、そうじゃなくて」

 「りんごだね、すぐに買ってくるからっ」



 錯乱したあゆはそのまま部屋を出て行く。

 数秒後玄関のドアが閉まる音がしたので本当にりんごを買いに外に出たのだろう。



 「へくしょん! うう……まずい、マジでやばいってこのままじゃ……」

 「ゆ、祐一……ええと、どうしたらいいの?」

 「多分、天野がまだその辺にいるはずだから連れてきてくれ……」

 「え? 美汐ならそこにいるけど……」



 ちらり、と真琴が視線を向けた先にはおっかなびっくりにこちらを見やる美汐がいた。

 どうやらドアの外で待機していた模様。



 「あ、相沢さん……大丈夫ですか?」

 「全然大丈夫じゃない……」

 「で、ですよね」



 まだ誤解しているのか若干頬が赤いが部屋の惨状に気がついたらしい。

 部屋に入ってくると素早く洗面器などを片付け始める。

 同時に、真琴に乾いたタオルを取ってくるように指示を出す美汐。



 「びしょぬれですね……」

 「ああ……幸いにも布団は濡れなかったが……俺がやばい……」



 上昇した熱のため、ふらふらと倒れそうになる体を気力で支えつつベッドから抜け出る祐一。

 が、やはり限界なのか足元から崩れ落ちていく。



 「相沢さんっ」



 間一髪祐一を抱きとめることでそれを防ぐ美汐。

 しかし、流石に祐一の全体重を支えきれるはずもなく美汐は祐一に押し倒される形で一緒に倒れてしまうのだった。



 「あ、相沢さん」

 「……ぅ」

 「あ、あのっ」

 「……良い匂いがする」

 「……!」



 固まる美汐。

 朦朧とした意識の中で祐一が呟いた言葉だったが効果は抜群だったらしい。

 病人の祐一よりも高い熱が頭部……とりわけ頬に集まってくるのを感じる美汐だった。



 「ん、んんっ」



 が、いつまでもこうしているわけにもいかないと美汐は祐一をどかそうと力をこめる。

 祐一は病人なのだ。

 重ねられた肌から伝わる高い熱が祐一の不調を物語っているのだから。



 「んーっ! ……はぁ、はぁ、駄目……私の力では」



 祐一から力が抜けているためか、全体重が美汐にかかっているため祐一の体をどかすことができない。

 困り果てる美汐だったがそこに救世主がやってきた。

 タオルを持った真琴が部屋に戻ってきたのだ。



 「美汐、タオル持ってきた……って何してるの?」

 「ま、真琴。すみませんが相沢さんを私の上からどけてくれませんか?」

 「う、うん。わかった」



 真琴の力を借りてようやく祐一の下から脱出する美汐。

 が、色々動かしたためかただでさえ半脱ぎだった祐一の衣服は無茶苦茶に乱れてしまっていた。



 「美汐、顔が赤いよ?」

 「え……な、なんでもないですよ」

 「もしかして祐一の風邪が移ったの?」

 「い、いえこれはその……ってこんなことをしている場合ではありません。
  真琴、相沢さんの体をタオルで拭いて着替えさせてあげてください」

 「わかった」



 若干美汐の様子をいぶしがる真琴だったが、祐一が苦しんでいるほうが気になったのか言われた通り素直に 
 祐一の体を拭き始める。

 美汐はその間特にすることもなかったのでおかゆでも作ろうと一階の台所へ向かうのだった。










 「じゃあ、天野さんはお母さんに?」

 「はい、相沢さんが風邪をひいたようなので暇があったら様子を見てくれと」



 猫模様の鍋つかみでおかゆがはいった鍋を抱えつつ廊下を歩く名雪と美汐。

 美汐は台所に来たものの、勝手に台所と材料を使ってしまっていいものかと悩んでいたが
 ちょうど名雪が起きてきたので彼女に許可を取り、共同でおかゆを作ったのである。



 コンコン



 「真琴、入りますよ」

 「あ、う、うん」



 歯切れのない返事。

 真琴にしては珍しいその口調が気になったものの手がふさがっている名雪の代わりにドアを開ける美汐。

 すると―――――



 「えっ」

 「わっ」



 美汐はノブを握ったまま、名雪は鍋を持ったまま赤面して固まった。

 ちなみに真琴の頬も赤い。

 何故ならば部屋の中で横たわる祐一はパンツ一丁だったからである。



 「そ、その……言われた通り体は拭いたんだけど……これを着替えさせられなくて」

 「だ、だったら着替えさせなくても」

 「でも、これもさっきので濡れちゃってるし……」



 困ったように視線を名雪と美汐に向けてくる真琴。

 それは明らかに「自分の代わりにやってくれ」という懇願の視線だった。

 しかし、当然のように目をそらす二人。



 「ど、どうする天野さん」

 「どうすると言われましても」



 困惑する二人。

 しかしこのままというわけにもいかない、こうしている間にも祐一の状態はどんどん悪くなる一方である。



 「祐一さん、その……し、下着だけでも自力で着替えられませんか?」

 「…………ぅ」



 返事はない。

 どうやら眠っているようだがかなり状態は悪いようだ。



 「仕方ありませんね……」

 「ど、どうするの天野さん?」

 「私が着替えさせますから水瀬先輩と真琴は相沢さんをうつぶせにして腰の辺りを抱えてください」

 「わ、わかったよ」

 「うん」



 言われた通りに祐一の腰を軽く持ち上げる名雪と真琴。

 美汐はできるだけ目を向けないようにして祐一のトランクスを下ろし、新しいものへと取り替える。

 少女三人が赤面状態で少年一人のトランクスをはき返させるというこの状況は異様なことこの上なかった。



 三十分後、着替えも終わりベッドに戻った祐一が目を覚ましたとき、傍らの少女三人が赤面状態だったのを
 祐一は不思議そうに見ることになるのだった。

 寝ていたため意識がなかったのことは彼にとって望外の幸運だったといえよう。










 「すぅ……」



 一人になった部屋で祐一は寝ていた。

 名雪は部活、まこみしコンビは保育園でバイトのためもういない。

 あゆは何故か帰ってくる気配がない、どこまでりんごを買いに行ったのだろうか。



 コンコン―――ガチャ



 と、誰もいないはずなのにノックの音がし、そしてドアが開く。

 入ってきたのは美坂姉妹だった。

 

 「祐一さん、お見舞いにきましたよ。お土産のアイスですっ」

 「いつもより多く買い込んだと思ってたら……あのね栞、病人がアイスなんて食べていいはずないでしょう」

 「私は食べてましたよ?」

 「それはあなただけよ……って寝てるわね、相沢君」

 「あ、本当ですね」



 祐一が寝ているのを確認すると声を小さくして様子を見る美坂姉妹。

 二人とも祐一の寝顔を見るのは初めてなので何気に興味津々であった。



 「ふうん、流石に従兄妹なだけあってどことなく名雪の寝顔に似ているわね」

 「そうなんですか?」

 「ええ、栞は名雪の寝顔を見たことないから知らないだろうけど……って栞、アイスとけるわよ?」

 「あ、本当ですね。祐一さんは起きていませんし、冷蔵庫に入れてきます」



 慌てた様子で部屋を出て行く栞。

 そんな妹をあきれた目で見送りながら香里は再び視線を祐一へと戻す。



 「ふふっ、こうして見ると相沢君って結構可愛いわね」



 つん、と頬をつつく。

 祐一は少しばかり顔をしかめるものの起きる気配はない。

 そんな様子に香里はむくむくと悪戯心が湧いてくる。



 ふうっ



 手始めに耳に息を吹きかけてみた。

 すると、祐一はくすぐったそうに身悶えする。



 (か、可愛いかも)



 その様子がツボにはまったのか香里は再び耳に息を吹きかける。

 そしてそのたびにびくっびくっと身悶える祐一。

 かなり変な光景である。



 こしょこしょ



 次に香里が始めたのは顎をくすぐることだった。

 もはや祐一を猫扱いである。



 「ちょっとチクチクするわね……」



 今日は髭をそってないため、少しだけ伸びた髭が香里の指にあたる。

 流石に猫のようにゴロゴロとはいかないが心持ち気持ちよさそうな表情になる祐一。



 「ふふ、なんかいいわね。カメラがないのが残念―――――あっ」



 くすぐったかったのか、突如顎をひく祐一。

 自然に香里の指は唇へと移動する。



 「ええっ!?」



 驚愕の声をあげる香里。

 なんと祐一はそのまま香里の指をパクリと咥えてしまったのである。



 「ちょ、ちょっと相沢君」



 突然の展開にさしもの香里も焦って赤面してしまう。

 慌てて指を抜こうとするのだが……



 「ひゃあ!?」



 指を舐められてしまう香里。

 同時に背中にゾクゾクしたものが突き抜けていったりする。

 こうなるとどっちが悪戯しているのかわかったものではない。



 「お、お姉ちゃん……?」

 「し、栞!?」



 そして間の悪いことにこのタイミングで戻ってくる栞。

 自分の姉の意外な姿を見たせいか、目が丸くなっていたりする。



 「あ、あのね栞。これは違うのよ……」

 「し、知りませんでした……お姉ちゃんが」

 「誤解、そう、誤解なのよ」

 「お姉ちゃんに……そんな趣味があったなんてっ」

 「えっ、ち、違うって……栞、待ちなさいっ」



 盛大な勘違いをした栞は回れ右をして駆け出してしまう。

 当然それを追いかける香里。

 ある意味ドラマチックなシーンである。



 こうして、美坂姉妹は見舞いに来たことを気付かれないままに去っていくのだった。










 「暇だ……なんで誰もいないんだ」



 美坂姉妹が去って数時間後、日も暮れる頃に目を覚ました祐一は呟いた。

 眠気はなくなったが体は未だ不調である。

 正直、体を起こすことすらつらいのだ。

 が、退屈なものは退屈なのだと子供のような駄々をこねる祐一だった。



 ぴんぽーん



 祐一の願いが通じたのか来客を告げるチャイムが鳴る。

 しかし、病床の祐一が玄関にいけるはずもなく、どうしたものかと思案していたのだがドアの開く音が聞こえた。

 あゆが帰ってきたのか? と思っているとドアをノックする音が響く。

 入ってきたのはリボンで髪を結んだ二人の女性。



 「舞……と佐祐理さん?」

 「よう」

 「はい、佐祐理ですよー」



 無表情に右手を挙げて挨拶する舞と両手にスーパーの袋を抱える佐祐理。

 どうやら夕食を作りにきてくれた様子。



 「祐一さん、お体の具合はどうですか?」

 「見ての通りまだ不調。けどなんで二人は俺が風邪だって知ってるんだ?」

 「いえ、先ほどあゆさんに会って聞いたんですよ。
  あゆさんは何か急いでいるようなので詳しいお話は聞けなかったんですけど」

 「……凄い数のりんごを抱えていた」

 「あの馬鹿は……」



 まだ錯乱しているのか、と頭を抱える祐一を不思議そうに見やる二人だった。










 「はい、できましたよー。梅干しに刻んだネギを入れた雑炊と特性とうがらしスープです」

 「佐祐理と私の合作」

 「へえ……食欲をそそる匂いだな」



 数十分後、運ばれてきた夕飯に感嘆の声を漏らす祐一。

 豪華でもなく手の込んだものにも見えないが、それが佐祐理と舞の作ったものとあらば期待せずにはいられない。

 風邪で食欲のない祐一も思わず腹が鳴る。

 早速頂こうと身を起こし、れんげに手を伸ばす祐一だったが手が届く寸前にひょいとかわされてしまう。



 「あの、佐祐理さん?」

 「あははーっ」

 「いや、あははじゃくって……ってまさか」

 「はい、どうぞ」



 雑炊をすくってれんげを差し出す佐祐理。

 言うまでもなく「あーん」の体勢である。



 「……う」

 「祐一さん、お口を開けてください」

 「いや、恥ずかしいんですが……」

 「佐祐理は恥ずかしくありませんから問題ありません」

 「いや、でも……………………うう」



 佐祐理の期待の眼差しには勝てるはずもなく結局押し負けてしまう祐一。

 仕方なく開かれた口に運ばれるれんげ。

 祐一は嬉しいやら恥ずかしいやらでいまいち味がわからなかったりするのだが。



 「あーん♪」

 「あ、あーん……」



 続くあーん天国。

 気恥ずかしさにふと目をそらすと、どこかうらやましそうな眼差しでこちらを見つめる舞の姿。

 祐一の口元がニヤリと歪んだ。



 「舞」

 「……なに?」

 「お前もしたいのか?」

 「え、そうだったんですか?」

 「……別に」



 口から出てくるのは否定の言葉だったが表情は明らかに肯定の意を示していた。

 舞本人もそれがわかっているのかぷいっと顔をそらして誤魔化す。

 当然、それを見逃すはずもない祐一と佐祐理。



 「もう、舞ったら。言ってくれれば代わるのに」

 「違う」

 「えー、でも俺は舞にあーんして欲しいんだけどな……」



 悲しそうな表情を作る祐一。

 先程もあゆをからかったせいで酷い目にあっているというのに懲りない男である。



 「……そこまで言うなら」



 あっさりと祐一の演技に引っかかる舞。

 相変わらず素直な少女である。

 そこがまた可愛いのだが、とは祐一は口に出さない。

 出したら照れ隠しのチョップが飛んでくるからである。



 「はい、舞」

 「ん」



 れんげを受け取った舞は雑炊をすくってゆっくりと祐一の口へと運ぶ。

 が、やはり恥ずかしいのか頬は軽く朱に染まっていた。

 佐祐理の時とは違い、余裕があるので祐一の方は平然としているのだが。



 「祐一、口を開けて」

 「舞、そこはあーんって言わないと」

 「……あ、あーん」



 佐祐理の助言(?)に従う舞。

 舞からは見えない位置で佐祐理は祐一に向かってサムズアップをしていたりする。



 「あーん」



 視線で佐祐理に返事を返しつつ口を開く祐一。

 しかし、視線を佐祐理に向けたせいか、はたまた舞が顔を伏せてれんげを突き出したせいか
 れんげは祐一の顎にあたって床へと落ちてしまうのだった。



 「あ……」

 「あらら、落ちちゃいましたねー」

 「……ごめん」

 「ああ、気にすんな。俺もちょっとよそ見してたから……あ、そうだ」

 「?」

 「れんげが使えないわけだしさ、口移しで食べさせてくれよ」

 「……!?」

 「ふえ、祐一さん……大胆ですね」



 祐一の言葉に真っ赤になる舞。

 佐祐理の方は冗談だとわかっているのか微かに頬を染める程度で平然としたものだったが。



 ニコニコと舞を見つめる祐一。

 当然舞がそんなことをするはずはないのでいつでもチョップをガードする用意は出来ている。

 今の体調では少しばかりきついかもしれないがからかった代償ということで覚悟は出来ている。

 が、祐一は忘れていないだろうか。

 あゆのときも同じようなことを予想しながらもどういう結果になったのかを。



 ごくごく



 「あれ、ま……………………い!?」

 「へ……………………ってむぐっ!?」



 スープを口に含んだ舞が祐一の口に自分のそれを押し当てる。

 祐一が目を白黒している隙に舞はスープを祐一へと流し込んでいく。

 ぶっちゃけディープキスである。



 「はぇぇ〜」 



 佐祐理は手で顔を隠しながらも指の隙間からチラチラとその光景を見ていた。

 親友の意外なリアクションに興味津々のご様子。

 しかし舞は止まらない。

 次々と雑炊やスープを口に含んで祐一の口に流し込んでいく。

 祐一の方は半ば呆然と機械的に食堂に流し込んでいるので味など全く感じていないのだが。



 しかし、どんな時間にも終わりはやってくるものである。

 そう、例えば―――――



 ガチャ



 「祐一君、りんご買ってきた……」

 「祐一、いちご食べ……」

 「相沢さん、具合はいかが……」

 「あれ、美汐どうした……」

 「相沢君、起きて……」

 「祐一さん、アイスは……」

 「あらあら」



 一応説明しておくと上からあゆ、名雪、美汐、真琴、香里、栞、秋子の順である。

 秋子さんだけが冷静に微笑んでいたことが印象に残った、と後に祐一と佐祐理は語る。










 この後どうなったかは個人の想像に任せるが、祐一の完治は一週間後だったことだけは追記しておく。