檄文が届いてから数日。
公孫賛と再び合流した俺たちは幽州から参加する軍として、一路洛陽へと向かう連合軍との合流を果たした。
反董卓の連合を眺めていると、俺達よりも遥かに兵力も財力も上という面々が多く見受けられる。
特に兵数においては袁紹が他を大きく引き離す程であり、袁家という名家の格の違いを思い知らされる。
そして袁紹には劣るが、質で高そうなのは魏と呉の旗を掲げる曹操と孫権の両軍だ。
特に曹操軍は士気も高く、気性が荒そうな面々が多い。
孫権軍も統率力に優れているようで、一糸乱れぬ行動は錬度の高さを窺い知ることが出来る。
両軍とも戦いになったときには大いに活躍しそうだ。
他にも西涼の馬騰やこの連合の率いる諸侯の中では一番の高齢である徐州の陶謙の旗も見ることが出来た。
これだけの軍が一同に介するのを見ると、なんとも荘厳だ。
しかし、史実ではこれだけの面子が揃っていても董卓を倒すことは出来なかったらしい。
この世界もそうなるとは限らないが、苦戦は免れないだろう。
そんなことを考えていたが、どうやら合流したのは俺達で最後だったらしく一息つく暇も無く初めての軍議が開かれることになった。

「と、いうわけでお前達は留守番をしていてくれ」
「姉者が抜け駆けしようとしてるのだ! 姉様とは鈴々が一緒に行くのだ!」
「おいおい……」

美生は当然参加するとして、問題はその補佐である。
普通ならば愛紗が参加するのが当然だが、彼女には着いたばかりの兵の再配置と、武器糧食の管理の仕事がある。
別に彼女がいなければ出来ないということもないのだが、この中で一番そういった指揮が上手いのは愛紗なのは誰しもが認めることだ。
そして鈴々は単に姉様と一緒についていきたいと思っているらしい。
確かに警護には腕の立つ鈴々は適任だが、軍議という堅苦しい場で彼女がじっとしてられるという保障はどこにもない。
むしろ退屈なのだーとかぼやきそうである。
なので、二人の主張は一進一退。
どっちともつかずに平行線を辿り話はこじれにこじれそうだ。
俺はというと、完全に蚊帳の外に置かれていたりする。
流石にこの二人の口論の中に割って入ろうとは思いません。

「お前がいては軍議の邪魔になるだけだ。 大人しく一刀と共にここで兵達の面倒を見ていろ」
「いやなのだ! 愛紗こそ早く自分の仕事をすればいのだ!」
「ぐ、ぬぬぬ……!」
「むー!」

どこの姉妹喧嘩だ、これは。
普段は威厳たっぷりな愛紗も、義妹である鈴々や義姉の美生の前になると歳相応の顔を見せる。
それ自体はいいことだ。
でも流石にこの場でずっと見守り続けているわけにも行かない。
先方を待たせてしまえば俺達の立場が無くなっていくだけだ。

「お前ら、落ち着け」
「ぬ……」
「お兄ちゃん、邪魔しないでほしいのだ」

二人の視線がこちらに集中する。
……流石に三国志に名を馳せる二人の迫力は凄い、が既に慣れた。
そ知らぬ顔で二人の視線を受け流しながら、さてどうしたものかと考える。
どうにかして二人を納得させないと、軍議にはいけそうもない。
美生一人に行かせるには、彼女は少々頼りないからだ。
上に立つ者としての才覚を持つ美生ではあるが、まだそれは芽吹いただけにすぎない。
まだまだ彼女には経験が必要であり、連合の軍議というものを単独で任せるには心許ない。
だからこそ、愛紗や鈴々達が補佐に就くと主張しあっているのだ。

「あら、どうしたの? 三人とも」

必死で打開策を考えていると、話の張本人である美生が軍議に向かう準備を済ませてやってきた。
準備といっても県令という立場に相応しい衣装に着替えただけだが。
この美生、生来の貧乏気質が抜けきらないのか、普段着は質素なものを好んでいる。
質実剛健を目指す俺としてはその姿勢は好ましいものではあったが、流石に諸侯と相対する場ではある程度着飾らなければならない。
それで、出発の前に麋竺と相談してそれ用の衣装を用意していたのだ。
彼女達も仕官してくる前は商人の娘だったので、商談相手と会うことも多かったらしく、その手のセンスには優れていた。
普段はどこにでもいるような街娘のような美生も、ちゃんとしたものを着れば清楚なお嬢様のようだ。
本人が贅沢をする気が一切無いために、こういった機会が全く無かったのが惜しいくらいである。
だが、今はそんな美生に見とれている暇はない。
どうにかして愛紗と鈴々を黙らせなくては。

「こいつらをどうにかしてくれ、美生。 二人ともお前と一緒に行くってごねてるんだよ」
「一刀! 私がいつそんな幼子のような我が儘を言ったというのだ!?」
「鈴々子供じゃないのだ!」
「…………」

前者はともかく、後者はまるっきり信憑性が無い。
ともあれ、状況を把握した美生は困ったように首を傾げる。
彼女は義妹二人に言い合いはしてほしくないだろう。
だからといって、どうやって二人をきちんと納得させるのが問題なのだが。
暫くの逡巡の後、名案が浮かんだとばかりに手を叩く。

「それじゃあ、今回は一刀さんに一緒に来てもらえばいいじゃないですか」
「……はっ?」

突然、話の矛先を俺に向けられる。
なんというキラーパス。
指名された俺に、指名されなかった二人の視線が突き刺さる。
先程とは比にならない、質量すら伴うと錯覚しそうなほどの威圧感だ。
そんなことには全く気がつかない美生は、相変わらずニコニコ微笑んでいる。
精神が図太いのか、それとも天然で気がついていないだけなのか。
どちらにしても羨ましい限りである。

「な、何故ですか姉上っ?」
「だって、二人じゃずっと揉めたままでしょ? 一刀さんなら私の補佐も十分こなしてくれるだろうし、なによりも私達の軍師なんだもの」
「ちょ、ちょっと待て!?」

愛紗の質問に、さらっと答えた美生だがどうにも聞き逃せない単語があった。
何時の間に俺は軍師なんていう役職を任されたんだ?

「俺は一介の武将であって、軍師なんていう頭を使う仕事には全く向いてないぞ!?」
「今まで一刀さんの案で、何度も窮地を脱してきたんですもの。 軍師というのはそういうものじゃないのかしら?」
「いえ、そんな漠然とした意見で軍師を決められては困るのですが……」

その大雑把な裁定に、先程まで不服をあらわしていた愛紗も困惑していた。
流石に戦況を左右させるような、重要な仕事を任されるほどの能力があると思うほど過大に自分の力は評価していない。
確かに今までは作戦を提案したりしていたが、あれだって漫画や歴史の資料から思い出したものを転用していただけだ。
決して自分の力ではない。

「でも一刀さん、麋竺さんのところで兵法の本や、軍の運用における資料を調べていたりしてませんでしたか?」
「いや、あれは武将としてどうやって兵を指揮したりするのがいいかなーと思ってただけで……」

ついでに、文字を読むための練習も兼ねていたのだが。
麋竺も、戦法や兵法というものには縁が遠い女性だったので、教えを乞うことはしなかったが、読めない文字を教えてもらうことぐらいはしてもらっていた。
後は自分の記憶と照らし合わせたり、内容を吟味することで自習していたようなものだ。
以前に比べれば知識はついただろうが、戦をあまり知らない俺に出来ることなどたかが知れているだろう。

「大丈夫、私が保証しますから。 一刀さんのお陰で、私達はここまで来ることが出来たんですよ?」

美生は自信満々だ。
いくら、自分の力が足りないと思っていても、こうやって信じてくれる人を無碍にするのも気が引けるものだ。
今までただの学生で、刀を振るうくらいしか特別なものがないと思っていた。
俺には常に、爺という大きな壁が立ち塞がり、それを乗り越えようと必死だった。
でも、今はその爺という壁はここにはない。
……もしかしたら、俺はそれが不安で、常に自分の力に不信を抱いていたのかもしれない。
だったら、ここで一度くらいは人の言葉を信じてみるのもいいのかもな。

「……軍師、ね。 俺に務まるとは思わないけど、美生がそう言うんなら期待に応えられる程度には頑張るか」

せめて、俺よりも相応しい人が見つかるまではその代役をしてみてみようか。

「確かに今、私達の軍には軍師と呼べる存在が足りません。 姉上が、それを一刀に任せるというのであれば臣下である私が言うことは何もありません」
「鈴々も、お兄ちゃんが軍師をやるのにはさんせーなのだ」

先程までああも言い争っていた愛紗と鈴々も、いつのまにか二人して美生の意見に賛同してた。
これでもう、今更辞めるなんて言うことは出来ない。
この戦いが終わるまでは、俺の他に誰かに任せるということは出来ないだろう。
まぁ、この董卓との戦いが何らかの形で終結を迎えて、幽州に帰った時に誰か登用でもすればいいか。

「それじゃあ、一刀さんは私と一緒に行くということで決定。 愛紗と鈴々は二人で兵の方達の面倒をお願いね?」
「はっ」
「分かったのだ!」

軍のことは二人に任せて、俺と美生は連合軍の陣の中でも一際大きい発起人である袁紹の本陣へと向かった。
これから待っている軍議で、一体俺達はどんなことを任されることになるのやら。










11【英傑、集結す】










「おっきいなぁ……」
「なんというか……無駄に凝った造りですね」

袁紹の陣に到着した後、連合の代表達が集まっているという大天幕に辿り着いた俺たちの最初の感想がそれだった。
まず、無駄にでかい。
宴の一つでも楽に開けそうなほどの大きさで、本当にこれが軍で使う為の天幕かと疑いたくなるほどだ。
更に、やたらと豪奢で、至る所に金糸の刺繍や意匠の凝った装飾がなされている。
正直に言うと、どこぞの成金趣味が造ったテントみたいである。
袁家というのはかなりの名家のようだし、こんな豪華な天幕を作る程度造作も無い程の財力を有しているのかもしれない。
だからといって、これはあまり趣味がいいとは言えないが。
美生も、呆気に取られているようで、信じられないものを見ているような目をしていた。

「兵の方のお話だと、皆さんはここにいるらしいんですけど」
「他にはここよりも大きな天幕なんて無いし、間違いじゃないだろ」

こんな天幕を作る、袁紹という人物。
恐らく一癖も二癖もある奴に違いあるまい。
そう考えると一度見てみたいとも思うが、出来ることならこのまま愛紗達の元に戻りたいとも思う。
まぁ、美生を一人残すわけにもいかないので、このまま中に入るしかないのだが。

「んじゃま、行きますか」
「ええ」

意を決して中に踏み入ると、上座にいた三人の女性の視線が俺達に集中した。
その中で、最も奥に陣取っているのが位置からして袁紹ということなのだろう。
……なんとも強烈なインパクトを与える金髪ロールだった。
髪だけでなく、その身につけている鎧すらも金に彩られ、嫌でも視線を集めそうな格好だ。
こんな格好、余程の自意識過剰か、バカくらいしか着ないだろう。
大天幕の作りといい、衣装のセンスといい一般人とは違う感性を持った人物のようだ。
そして、その俺から見て左手に座っているのも、これまた金髪でドリルのような髪型の少女だった。
ここにいるということはいずれかの諸侯の代表、しかも上座にいるということはかなりの権力を持つ者なのだろう。
見た目からすると鈴々よりも年上だが、俺や愛紗よりかは年下のようだ。
しかし、幼さは一切無く王者の風格すら感じられる。
最後に俺達に視線を向けた右手に座る女性は、ここにいる諸侯達の中ではある意味では一番目立つ女性だった。
日に焼けた肌に、胸の谷間から臍までが大胆に露出している派手な衣装。
なんとも大胆な格好だが、それを見事に着こなしている。
袁紹のように華美に過ぎるわけでもなく、物静かな雰囲気を漂わせて他の二人には無いオーラを感じる。
恐らく、袁紹の両側にいるのが曹操と孫権なのだろう。
やはりというべきか、俺が知っている有名武将は全員女性のようだった。
となると、どちらが曹操でどちらが孫権なのか。
パッと見た印象だと、日に焼けた肌が南方の人間であることを思わせる左手の女性が孫権かもしれない。
そして消去法からいくと、右手の少女が曹操か。
そんなことを考えている間にも、三者三様の視線がこちらに向けられる。
恐らく、中に入ってきた人間を品定めしているのだろう。

「あら、あなた達で最後でしてよ?」

真ん中の袁紹の口が開かれる。
なんというか、見た目を決して裏切らないお嬢様言葉だ。
でしてよなんて言葉聞いたのフランチェスカに居た時以来だよ。

「す、すみません」

袁紹の言葉に、頭を下げる美生。
そんな彼女の様子を見て、先程まで視線を向けていた曹操と思わしき少女が詰まらなそうに視線を逸らした。

「……小物ね」

なんとも失礼な呟きだが、流石にそれを言及することはしない。
今ここに俺がいるのは補佐の為であって、美生の足を引っ張ることではない。
事実、俺達の領地はあまり大きいほうでもないし、兵数も財力もあの三人に比べればかなり劣るだろう。
今更それを卑下するわけでもないが、下手なことを言う必要も無い。

「…………」

最後の一人も、興味を失ったとばかりに視線を外した。
何も言わない辺り、他の二人とは違うが、それでも好意的な印象を持たれたわけではないだろう。
そんな三人の様子に、美生の肩がどんどん小さくなっていく。
取り敢えず、そんな美生を引っ張って空いていた席に座らせる。
そして、座った席の隣には意外な人物がいた。

「よお、美生」
「あ、露花。 お久しぶりね」
「つっても、お前んとこに行った時から二週間も経ってないけどな」

どうやら、親友である公孫賛の姿を見て、美生も肩の力が抜けたらしい。
こういう時に気を許せる人物がいると、なんとも心強いものだ。
そして、そんな彼女達の遣り取りを眺めていた袁紹が全く遠慮なく割って入ってきた。
どうやら、自分を無視して話していることが気に触ったらしい。

「……伯珪さん。 そこの小娘と親しいんですの?」
「私塾に通ってたときからの付き合いさ。 最近じゃあ一緒に戦ったこともあったけど」
「ああ、あの張宝さんを倒したとかいう……。 こんな庶民のようなお方が、ねぇ」
「……ぅ」

嫌味ったらしい視線を向けられれて、美生が呻く。
そんな美生の様子が可笑しいのか、袁紹は偉そうな高笑いを上げた。

「おーっほっほっほ! まぁ、門地の低い者同士、仲良くなさるのは良いことですわね」
「……なぁ、袁紹っていっつもこんな奴なのか?」
「……残念ながらな」

小声で公孫賛に聞いてみると、うんざりといった様子で答えてくれた。
常時この様子だと、付き合うのはとても苦労しそうだ。

「はぁ……。 もう慣れたけど、相変わらず名家意識を鼻に掛ける奴だよ」
「あら、鼻に掛けてなどいませんわ。 鼻に掛けずとも、袁家は名家ですもの」

そして再度高笑い。
公孫賛の嫌味も、歯牙にもかけない。
そして公孫賛自身も、彼女がそんなことなど全く気にしないなど分かっていたのだろう。
疲れたように肩をすくめるだけだ。
どうやら、既にこんな遣り取りも慣れたものらしい。
公孫賛の領地と、袁紹の領地のは隣に位置するらしいから何度か顔を合わせる機会もあったのだろう。
その度に、こんな徒労を味わっていたのかと思うと気の毒に思えてくる。

「もうそれはいいから、さっさと軍議に移ろうぜ……」
「伯珪さんに言われるまでもありませんわ。 全く、人の台詞を取らないでくださいます?」

出しゃばるのが好きなんですから、などと自分を棚に上げた文句を垂れる袁紹。
言葉には決して出さないが、お前にだけは絶対言われたくない。
粗方文句を言い終えた袁紹は、こほんと一息入れるとついに本題に入った。

「さて皆さん。 こうしてわたくしの下に集まっていただいたのは他ではありませんわ」

私の下、という所を強調したのを見ると、相当自分の地位の高さをひけらかしたいようだ。
偉そうにその場に集った諸侯達を睥睨すると、熱の入った演説を続ける。

「董卓さんのことです。 あの董卓さんという田舎者は、田舎者の分際で皇帝の威光を私的に利用し、暴虐の限りを尽くしておりますの。 それはここにお集まりの皆さんもよく知っているでしょう?」

今更そんなことを確認するのもどうかと思うが。
しかも、あの董卓を田舎者呼ばわりだ。
なんとも尊大極まりない言い様だが、誰もが呆れているせいで言及する様子も気に触った様子も一切見られない。
むしろ、一部では何か可哀想なものを見るかのような視線すら感じる。

「そんな董卓さんを懲らしめる為に、皆さんの力をこのわたくし……そう! 三国一の名家、袁家の当主であるわたくしに、皆さんの力を貸してくださるかしら?」

正に義は我にあり、といった様子だ。
確かに檄文を発したのは袁紹ではあるが、誰しもが袁家の下につく為にここに来たわけではない。
それぞれの思惑はあるだろうが、董卓という目下の敵を倒す為にこうして集まっているのは誰しもが知っていることだ。
だというのに、袁紹はあくまでも自分が目立ちたいらしい。
自分以外の全てを下に見るかのような口上に、ここにいる誰もが彼女に追従する気も無い。
袁紹は袁紹で、自分の演説に恍惚としているのか、その様子を全く気にしていない。

「ふん……。 己の名を天下に売るために董卓を利用しようとしているくせに。 よくそんなことが言えるわね」

しかし、そんな彼女の耳に、すぐ側から呟きが聞こえた。
声の主は、彼女の左に座っていた少女からだった。
殊更大きな声を出したわけではないが、その呟きはこの場にいた全員に聞こえた。
それは勿論、袁紹も含まれる。
恐らく、わざと彼女に聞こえるように声に出して言ったのだろう。
こめかみをひくひくと震わせながら、袁紹が彼女を睨みつける。

「あら、おチビさん。 何か言いまして? 身長と同じように声も小さくて、何を仰ったか聞こえませんでしたわ」
「袁家の当主さんは、もうお年なのかしら? 見た目同様、耳も老けてしまっているようね?」

袁紹の嫌味を全く意にも介さず、辛らつな言葉を返す曹操。
まぁ、皆大体同じようなことを考えていたので、曹操の言葉を窘める者は誰もいない。
袁紹も激昂するようなことは無かったが、それは諸侯が集まった場で怒りを表すことは彼女のプライドが許さなかったからだろう。
その証拠に、表情だけはなんとも思ってないように振舞っているが、身体はわなわなと震え、顔も徐々に赤みを増してきてる。

「……口の減らないおチビさんですこと」
「あなたこそ、口の減らないオバサンねぇ」

その言葉で、袁紹の顔が真っ赤になった。
どうやら、我慢はあまり得意なほうではないらしい。

「こ、この……! あーっ!! このおチビさんはむかつきますわ!」

激昂する袁紹を冷ややかな目で見る曹操。
この場合、どちらが有利かなど火を見るより明らかだ。
だが曹操自身も袁紹の言葉が意外に気に触っていたらしい。

「チビチビ煩いわね……。 死んじゃう?」

殊更低い声で、ギロリと袁紹を睨みつける。
威圧感たっぷりの曹操の言葉に、袁紹はまったく怯む様子は無い。
むしろボルテージが更に上がったようだ。

「その言葉、そっくりそのままお返ししますわ!」

正に売り言葉に買い言葉。
果てには曹操が側近に持たせていた鎌を手に取り、袁紹もまた腰に掛けていたやたら豪華な儀礼用らしき剣に手を掛けた。
一瞬即発、あわや流血沙汰になりそうというところで、遂に別の所から声が上がった。

「あーっ! もう! 袁紹も曹操も落ち着け! 今はそんな事でいがみ合ってる場合じゃないだろうが!」

この中でも常識人の部類に入る公孫賛だった。
わざわざこの二人の仲介をしようなんて、正に苦労性の性かもしれない。
だが、袁紹も曹操も公孫賛の制止の言葉が聞こえていないのか、獲物を手にしたまま睨み合ったままだ。
一人だけでは御しきれないと判断した公孫賛は、二人のすぐ側にいる孫権に手助けを求めようと視線を送る。

「……私には関係ない」

が、当の本人は我関せずの態度を貫き、二人のいがみ合いを無視している。
……なんて協調性の無さだ。
それぞれの面々の個性が強すぎる故か、誰しもが馴れ合おうとはしない。

「少しは黙らんか、貴様らッ!!」

このまま二人の斬り合いが始まろうかと言う時に、鼓膜を破るかのような喝が飛ぶ。
声の主は、厳つい顔の男だった。
女性ばかりの軍議で、その威容はある意味目立っていた。
正に俺がイメージしていた三国志の英傑、といった男だ。
彼は、一喝して場が静まり返ると早くしろとばかりに公孫賛に目配をする。

「……っと、お前らここで睨み合ってもしょうがないだろ。 今は、皇帝を擁している董卓にどうやって戦を仕掛けるのがを相談してるんだろうが」

ようやく、二人の関心がこちらに向いた公孫賛は、何とか議題を戻そうと現状を説明する。
無理に今の喧嘩を止めるよりも、とっとと話を先に進めたほうが二人の気も逸れるだろう。

「そもそも、大義はどう作るのか。 難攻不落として知られる水関と虎牢関をどう抜くのか。 ……それ以前に、この連合をどう編成し、どう率いていくのかを決めなくちゃ、だろ」

そこまで言って、袁紹も軍議に戻る気になったらしい。
曹操に一瞥をくれると、気持ちを切り替えるためかコホンと一息つく。

「……そうですわね。 伯珪さんの言う通りですわ。 ふふっ、わたくしとしたことがおチビさんにかまけて軍議の本質を忘れるところでしたわ」
「……忘れるところじゃなくて、忘れてただろうが」

軍議が始まってから何度目になるのか分からない溜息を吐いて、ようやく公孫賛が席に座る。
ついでに、先程二人の気を削いでくれた男に会釈で感謝することも忘れない。
男の方はその会釈を見ると、感謝される謂れはないとばかりに視線を逸らした。
意外と照れ屋なのかもしれない。

「ふんっ……まぁいいわ。 今は引いてあげるから、さっさと軍議を進めなさいな」
「引いてあげる……?」
「変な揚げ足取りで怒るな! ああもう、さっさとやって終わらせてくれよホントに……」

俺はそろそろ、公孫賛の胃が心配になってきたよ。
軍議が終わるまでに、彼女の胃に穴が開かないだろうか。
そんなことは露知らず、我に返った袁紹は気を紛らわせるように高笑いをする。

「おほほ……それもそうですわね。 三国一の名家のわたくしが、宦官の娘ごときに怒っていては、わたくしの品位が問われてしまいますものね」

むしろ俺はあんたの唯我独尊ぶりを問いたい。

「ここはとりあえず、伯珪さんのブサイクな顔を立てて、わたくしの方こそ引いてあげますわ」
「ほんっと、一言多いなお前は……」

どうしても相手から引いたことにさせたくないらしい。
眺めるだけならコミカルで面白いかもしれないが、渦中にいる身としては疲れるばかりだ。

「さて皆さん。 この連合の中で、一つだけ足りないものがありますわ」

公孫賛のツッコミも無視して、軍議を進める。
この切り替えの早さには、呆れ返るばかりだ。
しかし、袁紹の意味深な言葉に全員の視線が集中する。
全員の視線を集めたのにご満悦なのか、袁紹は何処か嬉しそうに言葉を続ける。

「……そう。 この軍は袁家の軍勢を筆頭に精鋭が揃い、武器糧食も劉備軍を除いて充実し、気合だって充分に備わっていますけれど、たった一つだけ足りないものがあるのですわ」
「……か、一刀さぁん」
「まぁ、こればっかりはしょうがないだろ……」

事実、ウチはこの中では一番勢力としては小さいほうだ。
わざわざそれを口に出すのは嫌味以外の何者でもないが、袁紹が言ったことということで左から右に聞き流していたほうが楽だ。

「さて、劉備さん?」
「わ、私ですかっ?」
「連合にたった一つだけ足りないもの……。 あなたはそれがなにか分かるかしら?」

突然矛先を向けられて驚いた美生だったが、質問されたことに気が付くとすぐさま立ち直って考える。
この連合で唯一足りないもの。
袁紹が言ったとおり、兵の錬度も高く、武器糧食も充実し、気力もある中で一体なにが不足しているというのか。
戦いの中で必要なもの、兵と物資そして気力ともう一つ。
それはつまり。

「……それらを全て纏める人、ではないでしょうか」

すなわち、統率者。
幾ら他が万全でも、率いる者がいなければ軍など雑兵の群でしかない。
逆に、優れた統率者がいれば、他が不足してたとしても十二分に機能することが出来る。
これは黄巾党との戦いで得た教訓であり、麋竺の元で学習した知識である。
だからこそ、頭をまず狙うのは定石であり、必勝法の一つなのだ。
もちろん、政務の合間に戦いの勉強もしていた美生が分からない筈は無い。
しかし、質問した袁紹は美生の答えが意外なのか、何やら驚いた様子だった。

「あら……無知蒙昧かと思えば、中々に物事を知っているようですわね」
「無知蒙昧って……」

どうやら美生が見当外れなことを言って、自分が訂正してやろうと思っていたらしい。
他人を貶めて自分の立場を誇示しようとする姿勢に、あまり好意は持てない。
これが愛紗や鈴々ならば、義妹を侮辱されたとそれぞれの獲物を振り回していることだろう。
……あいつらがこの場にいなくて本当に良かった。
実は命の危機だったということなど、袁紹は知る由も無く再び演説に入る。

「そう。 この軍は諸侯達の謂わば私軍。 この私軍を大義によって糾合し、一つの目的のために一致団結させるには優れた統率者が必要なのです」
「ふむ……」
「即ち、強くて、美しくて、高貴で、門地の高い……そう! まるでわたくしのような三国一の名家出身の統率者が必要なのですわ!」
「…………」

あー、やっぱりそういうオチなのか。
わたくしのような、じゃなくて既に自分のことって言ってるようなものじゃないか。
他の諸侯達も、袁紹の言葉に呆れを隠せないらしい。
誰しもが何を言っても無駄だと口を塞ぐ。

「さて、皆さん質問ですわ。 この軍を統率するに相応しい、強くて、美しくて、高貴で、門地の高い三国一の名家出身の人物はだ・ぁ・れ?」
「同じこと二回言ってるぞ……」
「言ってやるな。 バカなんだから」
「あ、あはは……」
「アホくさ……」
「…………」

反応は人それぞれ。
まぁ、いずれもが否定的というか勝手にしてくれといった様子だ。
曹操は付き合ってられないと鼻で笑い、孫権は最早袁紹の言葉など全く耳に入れてない。
他の諸侯も似たようなもので、否定意見こそ出なかったが彼女に対する信用度は地に堕ちたと言っても過言ではないだろう。

「あら? 意見はありませんの? では、満場一致でこのわたくし……そう! 三国一の名家の出である袁本初がこの連合の指揮を執りますわ!」

彼女はこの沈黙を誰も反対しないと自己解釈したらしい。
何という空気の読めなさとポジティブシンキング。
ここまでくるといっそすがすがしいほどの唯我独尊っぷりである。

「……勝手にすれば?」
「……異議はない。 しかし、我が軍は我が軍で好きにさせてもらおう」

二人は、話は終わったとばかりに席を立ち、退出していった。
それに続くように、諸侯達もぞろぞろと出て行く。
……まだ詳しい部署とか、水関の攻め方とか話してないんだが。

「これでいいのか? 公孫賛さん」
「……こうなっちゃ仕方ないさ。 誰も、袁紹と話す気が無いんだから」
「でも、そうなると水関での戦いにも支障が……」

この戦い、恐らく一枚岩にならなければ勝つのは至難の技だろう。
何しろ要害に、優秀な武将があちらには揃っている。
これを突破して洛陽を目指すとなると、こちらの消耗はかなりのものになるだろう。
もし、彼らが防衛戦に徹した場合、攻め手の無いこちら側は物資を無駄に消費するだけになってしまう。
だからこそ、皆を統率してその壁を破る手段を講じなければならない。

「何、心配することなど無い。 我らは個々にして有数の力を持っておる。 それらが上手く噛み合えば統率者など要らぬかもしれんぞ?」

不安げに話し合う俺達の会話に割り込んできたのは、先程袁紹と曹操の諍いで大声を上げた男だった。
こうして近くで見ると、更に迫力があるのがよく分かる。
身長は俺よりも高く、正に筋骨隆々。
獰猛な笑みは、それだけで多くの激戦を潜り抜けてきたことが伺える。

「馬騰殿……。 あの時は、どうもありがとうございました」
「礼など結構だ。 ワシはただあの二人の口煩い言い合いが我慢できなかっただけなのでな」

この男が馬騰だったのか。
西涼では異民族の反乱を押さえ込み、武勇を示した豪傑。
なるほど、確かにその凄みには只者ではない気配を感じる。

「にしても、袁家の小娘め。 家の看板を持ち出してああも威張り散らすとは、噂通りの人物のようだな?」
「あ、あはは……」

ここにいる中では最も袁紹のことを知っている公孫賛は、馬騰の言葉を否定せず苦笑を浮かべるだけだった。
その噂は一度も聞かなかったが、恐らく先程俺が抱いた彼女の感想と大体似たより寄ったりだろう。

「……しかし、あやつには顔良と文醜という二枚看板の武将がいるという。 袁紹が下手を打ちそうでも彼女達がなんとかするだろう」
「そうであることを祈るよ……」
「さて、ではワシは自分の陣地に戻るとするかの。 劉備殿、機会があればヌシとも話してみたいものだ」
「私こそ、馬騰殿の沢山の武勇伝を聞いてみたいものです」
「ハッハッハッハ! 知識だけでなく、おだてるのも上手だな! ヌシの様な話の分かる者が指揮を執るのであれば、この戦ももう少しは楽なものになったかもしれん」

豪快な笑い声を上げたまま、馬騰は自分の陣地に戻っていった。
残されたのは俺と美生と公孫賛の三人のみ。
もう軍議という用件は済ませたので、美生も公孫賛もここには用はない。
後は、自分達の兵が待つところへ戻るだけだ。

「多分、部署とかの詳細は使者でも送って知らせてくるだろ。 それまでは待機だから、美生も兵を充分に休ませておけよ」
「ええ。 承知しているわ」
「じゃあな。 幸運を祈る」
「露花も」

こうして、初の軍議は連合の連携の無さを逆に露呈させることで終わった。
果たしてこんなバラバラの状態で洛陽まで辿り着けるのだろうか。
不安は尽きないが、それでも戦は待ってはくれない。
目指すは最初の難関、水関。
そこでは鬼が出るか蛇がでるか。
なにはともあれ、対董卓連合軍。
何とも前途多難な始まりである。