啄県での攻防も既に四日が経過した。
劉備軍が張宝軍を包囲した翌日、黄巾党の補給部隊が啄県に接近。
これを愛紗と鈴々が率いる千の部隊によって側面から襲撃、物資を強奪に成功する。
一万もの兵を維持する為の物資は、劉備軍の兵糧を維持だけではなく、今後来るであろう援軍の分を補えるほどだった。
これにより劉備軍の士気は上昇、逆に届くはずの補給が来ない張宝軍は少ない兵糧で篭城を強いられることとなる。
更にその二日後には代郡と広陽郡より援軍が到着。
これで劉備軍は総勢五千の軍となり啄県の包囲網は更に堅固なものとなった。
張宝軍もこの数日の内に幾度か街からの強行突破を試みるが弓兵に抑えられ失敗を重ねていた。
幾ら劉備軍を上回る兵がいたとしても、正門より出てこられる兵の数は限られるため、鶴翼の陣に展開した劉備軍に撤退を余儀なくされたのだ。
この辺りの指揮は、流石関羽雲長と言うべきか。
それ以外はほぼ膠着状態が続き、劉備軍の当初の予定通り持久戦へと持ち込まれていた。
この間の両軍の被害は二千を割る程度であり、張宝軍としては無駄に時が過ぎていった。
そして開戦より八日が経ちついに公孫賛軍が劉備軍と合流。
遂に張宝との戦いに終止符が打たれる時が近づこうとしていた。











08【疾風の如く】











劉備軍本陣。
当初三千足らずの小規模なものであったが、ここ四日で既に五千もの兵を抱え込むこととなり、至る所に兵がひしめき合っていた。
現在戦況は膠着しており、包囲に必要な兵も愛紗と美生が話し合い最小限に割り振り残りは来るべき張宝との戦いの為の調練を行っている。
こちらのほうは鈴々と俺が担当して、基本的に陣形の切り替えの訓練を行っている。
そもそもこれは付け焼刃的なものだし、愛紗にしてみれば俺達に兵の指揮の経験を積ませるという目的もあったのだろう。
こんなことでもなければいつまでたっても鈴々が突撃一辺倒になりかねないし。
まぁ、退屈そうにしていた鈴々にもいいガス抜きになっただろう。
……こう言っているとかなりほのぼのとした雰囲気が流れていると錯覚しがちだが、現実はそうも甘くは無い。
まず相手は既に兵糧も尽きているだろうに街の防衛にはかなりの兵を動員し、こちらを決して近づかせることは無かった。
これは張宝自身の統率能力の高さと、黄巾党の前身が農民達であったことによる飢えへの強さにあるのかもしれない。
これにより攻城は思うような成果を得ることが出来ず、今日までの膠着状態の要因の一つと言える。
また、補給部隊の残党がどうやら黄巾党の拠点までこのことを報せたのか、散発的にではあるが黄巾党の兵が襲撃に来ている。
救援部隊とも言える黄巾党の軍ではあったが、優秀な将兵がいない彼らは無陣形でこちらに突っ込んでくることしかしてこなかった。
この迎撃には俺と鈴々が調練を任されていた兵と共に出陣し、陣形の強みというものを身をもって思い知ることになる。
付け焼刃とはいえ陣形の正しい使い方を知っているか否かでこれほど違うとは……。
というわけで思わぬ形で二面攻撃を受ける羽目になり、あまり余裕のある戦いとは言えない状況になっていた。
そんな時に公孫賛が援軍として来てくれたのは本当に僥倖としか言いようがなかった。

「よう、久しぶりだな美生」
「かれこれ、一年振りぐらいですか……。 お互い大変な役目を任されて大変ですね」
「ハハハ、お前なんてただの平民から一夜にして県令だからな。 まったく美生の突拍子の無さは相変わらずだな」
「うぅ、酷い言われようです……」

本陣の中でも一際大きい大天幕の中で、美生と公孫賛は久しぶりの再開を果たしていた。
案の定というか、既に予想していた通り公孫賛も女性で、このまま行くと有名どころの将は全員女じゃないかという予感が脳裏によぎる。

「美生から聞いていたとはいえ、本当に公孫賛と親しかったんだな……」
「流石は私が仕えるに相応しいと見定めた姉上、と言うべきか」

人脈もまた才の一つ、ということか……。
公孫賛と親しげに話す美生を愛紗と一緒に眺めていると、不意に公孫賛がこちらに気付いた。

「美生、こいつらは?」
「私の義妹の関羽と、異国からいらした北郷一刀さんです」
「異国の……? 確かに見慣れない格好をしてるが……」

確かにフランチェスカの制服は見たこと無いだろうなぁ。
そもそも化学繊維だからこの時代で作れるわけが無いし。
美生と最初に出会った時もそうだったが、この時代の人に会う度に物珍しい目で見られるんだよな、コレ。
まぁ、俺の一張羅だから着替えるわけにもいかないが。

「劉備玄徳が義妹、関羽雲長と申します。 どうぞ、お見知りおきを」
「北郷一刀です。 この国には武者修行の為に参りました」

俺と愛紗が揃って会釈すると、公孫賛はむず痒そうに顔を歪めると苦笑を浮かべた。

「かたっ苦しい挨拶をされるのは苦手でね……。 オレとしては少し軽いくらいが丁度いい」
「は、はぁ……」
「あらあら、露花(りゅうは)ったら相変わらずなのね」
「オレとしてはその真名で呼ばれるのも勘弁してほしいんだけどな……。 そんな名前オレの柄じゃない」
「いいじゃない、可愛くて。 私は好きですよ?」
「いや、だから嫌なんだが……」

公孫賛は諦めるように深い溜息をついた。
なんとなく私塾時代の二人の力関係を窺い知れるやり取りである。

「と、とりあえずその話は置いておくとして。 美生、今どうなってるんだ? 私が聞いた話と随分状況が違っているように思うんだが……」

確かに普通なら変に思うだろう。
公孫賛に出した遣いには、張宝が啄県に攻め入るらしいので助けてほしいぐらいしか伝わってなかったし。
今の策が決まったのが公孫賛へ遣いを出した後だったから当然といえば当然だが。

「えぇっと、それはですね……。 実はそこの一刀さんが考えた策を使った結果で」
「ほう?」

美生がここまでの簡単ないきさつを公孫賛に説明する。
公孫賛は話が進むたびに感嘆とも、呆れとも取れる相槌をとりながら最後まで美生の話を聞くと、複雑な表情で俺の方を見た。

「よくもまぁ、そんな無茶な策を思いつけるもんだな……」
「……おい愛紗、これで俺は何人に同じ事を言われたんだ?」
「何を言っているんだ一刀。 私が記憶している限りでは十人は軽く越えるが?」
「…………」

もう、好きにしてくれ。
何とでも言えばいいさ、チクショウ。

「だがまぁ、普通ならこんなこと思いつくわけがない。 なるほど、張宝が策に嵌るわけだ……」
「……言外にお前はおかしいと言われたような気がするんだが」
「そう拗ねるな。 全く、美生といいお前といい面白いやつだよ、ホントに」

公孫賛伯珪。
思っていたよりも随分とイメージが違う人物だ。
太守という立場と、異民族との戦いで名を馳せたということから、随分と堅い性格を想像してたんだが……。
いや、美生の親友なのだからこっちのほうが当たり前……なのか?

「んでオレ達はなにをすればいいんだ?」
「え?」
「え、じゃないだろ。 普通ならオレとお前達の兵で総力戦にでも持ち込むところだけど、相手は街の中。 搦め手を使った奴がこの後どうするか考えてないなんてことはないだろ?」
「へぇ……」

随分と察しがいいじゃないか。
これなら今から俺が提案しようとしている囮のことも承諾してくれるかもしれないな。

「そのことなんだが、公孫賛さんには正門への攻撃の指揮を執って欲しい。 もちろん、俺達の兵も含めてな」
「それは構わないが……。 お前は指揮に回らないのか?」
「俺達は少数精鋭で別の門から直接張宝の首を狙う。 街のことなら俺達のほうが詳しいからな」
「……なるほど、つまりオレ達に囮になれってことか」
「そういうことになるな」

俺の答えに、公孫賛はすぐには返事が出せない様子だった。
当然のことだ。
囮になれと言われて即受諾するやつがいたら、それは命令した奴を盲信しているか、ただのバカだ。

「もちろん、無理にとは言わない。 どちらにせよ公孫賛さんの力があれば力押しでも勝てるだろうしな」

俺達の兵と違い公孫賛が率いる兵は異民族との戦いや、黄巾党の討伐などで十分な経験を持っている。
そんな彼らの力を借りれば、街に篭っている黄巾党を引きずり出し勝利を手にすることも十分可能だ。

「でも、頭である張宝の首を取ればもっと楽に勝てる。 そうすれば被害も少なくてすむ」
「確かに、道理ではあるな」
「なれば話は早いではないですか」

そう言って天幕に入ってきたのは独特の意匠が施された槍を携えた少女だった。
槍を持つ姿に違和感は無く、愛紗や鈴々と同じくかなりの使い手であることがうかがい知れた。

「一騎当千の武を持つ者の力があれば、張宝の首を取るなど容易いでしょう。 少なくともこの場にはそれに値する者が四人いることですし、私としては異論はありませぬが」
「お前なぁ、客将のくせに勝手に話をすすめるな! っつーか勝手に中に入ってくるなよ!」
「これは異なことを。 私は公孫賛殿の家臣になった覚えはないゆえ、すべきことは己で決めさせてもらっているだけですが」
「……はぁ、そもそも一騎当千の猛将とやらが何人もここにいるのか?」
「ええ、先程出会った張飛殿に、私。 そして私の目の前にいるお二人が」

そういって、少女は俺と愛紗を指差す。
確かに鈴々と愛紗は誰しもが認める一騎当千の腕前を持っている。
この少女も言うからには相当腕に自信を持っているのだろう。
だが。

「おいおい、それは買い被りすぎだ。 俺は彼女達ほど強いわけじゃあないし、そもそもあんたとは初対面だ。 何故そんなことが分かる?」
「中々面白いことを言う御仁だな。 私も武将の端くれ、相対した者の力を見極められぬほど愚かではない」
「……おい、美生。 こいつが言ってること本当なのか?」
「ええ。 愛紗や鈴々、一刀さんの力が無ければ今の私は無かったと思います」
「あ、姉上……」

自信満々に俺達のことを語る美生だが、そういう風に褒められる経験なんて全然無いから妙に気恥ずかしい。
愛紗も面と向かって美生に褒められたせいで顔を赤くして俯いてるし。
公孫賛も値踏みするようにこちらを見てくるしで、妙に居辛い空気が……。

「……お前の言いたいことは分かった。 でも、オレも何千っつー兵を束ねる主だ。 そう簡単に返事を出せるほど身軽な立場じゃない」

例え相手が親しい間柄であったとしてもな、と付け加えて済まなそうに公孫賛は美生のほうを向いた。

「おや、その割には劉備殿の救援の要請にはすぐに応じていたようですが?」

ニヤリ、と不敵に笑うと少女はここに来る前の公孫賛のことを話した。
そのことを知られたくなかったのか、公孫賛は顔を赤らめて激昂すると慌しい口調で誰もしろと言ってないのに言い訳を始めた。

「お、お前なぁ!? そんなことあるわけないだろ! あれはただ張宝を討てばオレの名も上げられると考えただけであって!」
「全く、心配であったならば心配だったと素直に言えばよいではないですか。 公孫賛殿も素直ではありませんなぁ、はっはっは」
「露花、あなた……」
「ち、違うぞ? 全然違うんだからなっ? ただオレは討伐からの帰りで、偶然啄郡から近かったから、それだけなんだからな!?」

……顔真っ赤にして弁解されて、信じろと言われてもなぁ。
もしやこれが巷で噂のツンデレというやつなのか?
公孫賛がブンブンと腕を振って否定すればするほどに、美生の笑顔が眩しいものになっていくという光景を眺めながら及川が言っていたことを思い出した。

「ふぅ、十分笑わせてもらったのでこれで失礼いたしましょうか。 では、私については先程言った通りですので。 何か変更があるのならばまた後ほど」
「お、おい趙雲、待ちやがれ! ……ったく、行っちまいやがった」

公孫賛の制止も聞かず、足早に天幕から去っていく少女の後姿を見ながら、耳を疑った。
いや、そんなことを言ったらこの世界に来てからずっと耳を疑いっぱなしなんだけど。

「なぁ、公孫賛さん。 さっきの彼女の名前なんだけど……」
「あいつの名前は趙雲子龍。 うちに来る前までは流浪の旅をしていたらしいが、槍の腕前は一流でな。 その力を見込んでウチの客将になってもらってるんだが……」
「あら、一刀さんと似たような身の上なんですね」
「でも性格は大違いだ。 腕は立つが歯に衣着せぬ物言いと、己に対する絶対的な自信が難点でね。 オレも扱い方に悩んでるんだ」

やれやれと肩を落とす公孫賛の姿は、本当に彼女のことで悩んでいるらしかった。
趙雲子龍。
関羽や張飛と同じく劉備の部下として、五虎大将軍と呼ばれた一騎当千の武人。
ただ者じゃないとは思ってたけど、まさかあの趙雲が彼女だったとは。

「……すまん、話が逸れたな。 んで、趙雲がどうしたんだ? もしかしてあいつのことが気に入ったとかか?」
「か、一刀さん……?」
「いや全然違う。 ただ、変わった奴だったなと思ってさ。 だから美生、疑う様な目で俺を見ないでくれ」

まるで俺が初対面の女性に手を出すような軽い男みたいじゃないか。
確かにここに来てから出会うのは女性ばかりだけど、そんな目で見たことは一度たりとてないぞ。
俺の言葉に一応納得したのか、美生は先程の視線を誤魔化すように咳払いをすると恥ずかしそうに微笑を浮かべた。
どうやら俺をそういう風に疑ったことを恥じているらしい。

「確かにありゃ変人だけど、お前も十分変な奴だと思うぞ?」
「同じ類ゆえ、なにがしか引き合うものがあったのかもしれませんね」
「お、お前らなぁ……」

俺はあそこまで唯我独尊じゃないぞ。
だが、そうやって弁明しても分かってはもらえなさそうなので口を塞ぐ。
こういう時は美生がフォローしてくれるが、気休め程度にしかならないしな。

「と、とりあえず話を最初の話題に戻そう。 公孫賛さん、囮の件だけど改めて受けてもらえるかな?」
「露骨な話題変換だな、オイ」

呆れるように話す公孫賛だが、彼女としてもこの件は一番重要な話なのですぐに真剣な顔になる。
恐らくはこの案を受け入れることで被る自分達の被害と、作戦の成功の比率でも考えているのだろう。
その顔は今まで美生に見せていた友人のものではなく、一県の太守を任される者の顔になっていた。

「いいだろう、美生の言葉を信じてお前達の腕に任せてやる」
「それでは……」
「ただし、一つだけ条件がある」
「引き受けてもらえるのなら、出来る限りの条件は飲むさ。 いいだろ、美生?」
「ええ、構いません」
「一刻だ。 オレ達が囮になって時間を稼ぐのは一刻だけ。 その時間が過ぎたらオレ達は街の中に本格的に突撃する」

つまり、街の損害を気にすることなく強行的に張宝のところまで突撃するってことか。
俺達としては街の被害は出来る限り抑えたい。
だが、公孫賛にとってはそんなことは関係ないってことか。

「ふふ、露花ったら相変わらず優しいのね?」
「美生……?」
「別に囮になるからって時間稼ぎをする必要は無いのに、わざわざそうやって私達の考えに合わせてくれるんですもの」
「……買い被りすぎだぞ、美生」
「ええ、そういうことにしておくわ」

……なるほど、そういうことか。
美生の言葉で、公孫賛の本当の意図に気付く。
確かに、正門から攻撃を加えて陽動しろと言っても、そこから張宝を目指しちゃいけないってことにはならない。
だが、正面から突撃すれば兵はもとより街自体の被害も馬鹿にはなるまい。
だからこそ、公孫賛は俺達に時間の猶予を与えることで出来る限りその必要性を無くそうとしているらしい。
それは、美生の親友だからこその配慮なのか。
一年ぶりだというのに、その内心まできちんと把握している二人の間柄に素直に感嘆する。
俺と趙雲が同類って言われたけど、むしろ美生と公孫賛のほうが同類だな。
だからこそこうやって二人の立場が違ってしまった後も親しくしていられるのかもしれないな。

「分かった。 俺達が突入を開始してから一刻後、何の変化もない場合はそちらのほうで張宝討伐を行ってくれ」
「そうさせてもらう。 作戦は何時開始するつもりだ?」
「部隊の再編もあるしなぁ。 愛紗、どれくらい必要だと思う?」
「そうだな……。 半日もあれば事足りるだろう」
「なら、半日後に。 それまでに陽動隊の再編成と、俺達突入部隊の編成を行う。 公孫賛さんもそれでいいか?」
「ああ」

これで全ての用意は整った、か。
天幕から出て街の方を伺う。

「……そろそろ、取り戻させてもらうぜ張宝」

さぁ、もう一踏ん張りだ。
今日でこの戦いを終わらせる。
だが、それはこれから激戦が起こることも予期していた。





半日後。
既に日は傾きかけ、もうすぐ夜が訪れようとしている逢魔が時。
俺達が公孫賛軍と合流したことは、既に街の中にいる張宝達にも伝わっているだろう。
そのせいだろうか、街の周囲には緊迫とした空気が流れていた。
現在俺達は街に入るための門の一つ、唯一無数の鎖で固定された門の前で待機していた。
ここは城に最も近い場所でもある。
……潜入する為にここだけ土で埋めたり、絶対に開けられないようにすることはしなかったが、見つからなくて良かった。
この門が見える範囲で見張りがいる様子は無い。
どうやら正門に展開した公孫賛軍に気を取られて周囲の警戒が疎かになっているようだ。

「……よし、手順を再確認するぞ。 公孫賛軍が攻撃を開始してから突入を開始。 全速力で城まで駆け抜ける」
「敵がいた場合はどうする?」
「基本的に無視していい。 障害になると思う奴だけ倒せばいいからな。 城に侵入し張宝を倒すことが最優先事項だ」

俺の言葉に静かに頷く一同。
今ここにいるのは俺に愛紗、鈴々と自ら志願した趙雲の四人。
軍議の時に趙雲が言っていた通りのメンバーだった。
まぁ、単独で敵に包囲された場合に突破出来るのはこの四人ぐらいだろう。
他の皆は全員公孫賛軍と共に正門の攻撃に回っている。
美生も公孫賛の補佐として戦場に立っている。
これは本人が公孫賛に頼んだことらしい。
まぁ、一番攻撃が激しい所とはいえ、公孫賛の近くならば安全だろう。
俺や愛紗がいない分、劉備軍側の指揮に問題が出るかと思ったが彼女がいれば大丈夫だ。

「城への進路は打ち合わせの通りだ。 迷っても探す時間は無いから気をつけるように」

念を入れて鈴々を見る。
……この中で不安なのは鈴々と、街の中に入ったことが無い趙雲だ。
趙雲の方は街の簡単な見取り図を見せて、彼女が記憶するまで教えた。
だが、実際に街に入るのと地図を見るのとでは感覚が違う。
まぁ、俺や愛紗の後を追ってきてくれれば迷うことはほぼないだろうが……。
敵に囲まれて孤立しないように気をつけなければ。
簡単な打ち合わせを済ますと、再び沈黙の時間が過ぎる。
ジッとしているのが苦手な鈴々ですら口を塞ぎ、突撃の時間を待っていた。
……遠くからはざわめきが風にのって聞こえてくる。
もうすぐ攻撃が開始されるのだろうか。
剣戟の音が聞こえてきたら、それが合図だ。

「……」

目を閉じ、精神を集中させる。
今までの戦いは敵の渦中に入り込んでも味方がいたから無理を通せたが今回は違う。
こちらの数は四人。
敵に囲まれれば自然とお互いのカバーは疎かになる。
そうなれば己の武力だけが頼りになる。
自分の本来の戦い方を思い出せ。
今まで自分が行ってきた修練を無駄にしないためにも。

「……!」

まず、音が聞こえた。
辺りを震わせる怒号がここまで届き、自分の身体を震わせた。
次いで、鉄が何かを弾くような音が鳴り響き、それが止まないようになった。
正門で戦いが始まったようだ。
……ここから一刻。
それが俺達に与えられた猶予だ。
でもそれは公孫賛が言葉にはしなかった信頼の証でもあるように思えた。
お前達には、一刻もあれば十分だろう?
そう言っている様に。

「鈴々!」
「がってんしょーちなのだっ!」

俺の合図と同時に鈴々の蛇矛が唸りを上げる。
轟音と同時に門を固定していた鎖が弾け飛び、街への侵入路が確保される。
それにしても相変わらずの剛力だ。
鎖はもちろん金属製だが、それをこうも容易く破るとは。

「よし、皆行くぞ!」
「ああ」
「分かっている」
「よーし、とっかーん!」

最初から全速力で門を駆け抜ける。
正門の方では今でも激しい戦闘の音が聞こえてくる。
どこかで火が上がっているのか、暗くなりかけの空が一部赤く照らされ煙が上がっている。

「! て、敵だ! 敵がここにいるぞ! 囲めー!」
「ちっ、やっぱり見つかるか!」

正門へ向かっていたのだろう。
十人程の集団に見つかり、武器を向けられる。
黄巾党は全員黄色い布を頭に巻いている。
それが味方の区別の役割もしているのか、布を身に着けていない者は即敵として判断されるようだ。

「ここは私に任せてもらおうか」
「お、おい趙雲!」

敵を視認すると俺の隣を趙雲が駆け抜けて敵へと単身突撃していく。
どうやら俺達に追従していたのは本気の速度では無かったらしく、駿馬のような速さで敵へと走る。

「貴様達のような雑兵が私の足を止めるなど百年早いぞ!」

立ち止まることなく自分の槍が届く範囲にまで近づくと、敵の反撃も許さずに目にも留まらぬ速さで槍を振るう。
まず一歩目で二人を倒し、返す槍で後ろにいた敵を薙ぎ倒す。
一度も止まることなく敵を倒していく姿は最早暴風のようだった。
そして瞬きをしない内に敵の半数がやられ、狼狽する敵に容赦の無い追撃を掛ける。

「お前達には私の奥義を見せる必要も無い!」

俺達が追いつく頃には既に残りの一人を倒すだけとなっていた。

「た、助けてくれ! 俺はただ張宝様の命に従ってただけなんだ!」
「その言い訳、あの世で貴様達に殺された者の前でしておくのだな」
「ぎゃ……っ!」

見苦しく命乞いをした敵を容赦なく打ち倒した趙雲を確認し、辺りを警戒する。
……どうやら周囲に敵はいないらしい。
先程の声でここに敵がやってくる危険もあるから、直ぐに離れなければ。

「あそこに見える高い建物が俺達の目的地だ! 行くぞ、趙雲!」
「承知した。 露払いは任せてもらうぞ」
「むー! 鈴々も敵を倒すのだ!」
「……つっこみすぎて俺達を見失わない自信があるなら好きにしてくれ」

この中で最も足が速いのは先程の突撃を見るに趙雲で間違いないだろう。
次いで俺と愛紗が同程度で鈴々がそれに続く、といったあたりか。
鈴々も身体能力で言えば俺を上回るが、蛇矛という重い獲物を手にしているせいで長距離を走るというのには向いていない。
なので鈴々には残念だろうが最後尾でついてきてもらうことになる。
後ろを見張るのも大事なことなので、出来ることなら俺か愛紗辺りが一番いいんだろうが……。

「趙雲、そっちじゃない! こっちの狭いほうが敵に見つかりにくいし、結果的に近道になるんだ!」
「む……。 それならそうと早く言って欲しいものだな」

俺の制止の声にすぐに進路を変更する趙雲。
……やっぱり細かい進路は覚えにくいようで、先頭を行く趙雲はこうやって道を間違えそうになる。
こうなると俺が趙雲に気を向け、愛紗が後ろに続く鈴々に気を配る、という図が出来上がる。

「……正門に向かう兵の数が少なくなったな」
「だな。 こりゃ兵の配備がほぼ終わったと見て間違いない」

あれだけの大人数が正門の前を包囲していたのだ。
備えをしていないほうがおかしい。
まぁ、そのほうが俺達にとっては都合がいいんだがな。

「張宝が正門防衛の指揮をしているという可能性も、無くはないが……」
「こちらを攻める前に偵察まで寄越してくる慎重な奴が、戦いの最前線に立つとは思えないぞ」
「だな」

むしろ一番後ろの安全な場所で全体を見極めて指示を出しているほうが可能性は高い。
いまや兵の数では張宝に勝る俺達だが、それが素直に正面突破でくるとは相手も考えてはいまい。
むしろ伏兵を用意して別のところからも攻めてくると考えているだろう。
だが、まさか少数精鋭で張宝本人の首を狙ってくるとは思わないはずだ。
そんなことを考えながら狭い道を使って敵の目を掻い潜りながら城へと急ぐ。
最初に発見された時から、敵に見つかってはいないが用心に越したことは無い。
大きな道は当然敵が使っているだろうし、もしそんなとこで見つかればすぐさま包囲されるだろう。

「城がいよいよ近づいてきたな。 敵がいないのには少々不満ではあるが、このまま張宝の元まで直行させてもらおうか……っと」
「……そうはいかないみたいだがな」
「はっ、それこそ私が望む展開だ」

城の周囲には多数の黄色い布を巻いた男達が立っていた。
ということは、やっぱり張宝はこの中か……。
俺達の予想が的中したことに一瞬安堵するが、すぐさま気を締めなおす。
城に入るにはこの門を通るしかない。
別の入り口を探す時間は、俺達に与えられた猶予では無理だ。
つまり、道は唯一つ。

「よし、このまま突っ切る!」
「きょーこーとっぱなのだー!」
「敵か! やつらどこから入り込んできやがった!」

それぞれの獲物を構えて突撃してくるこちらに気付いた敵が、すぐに迎撃態勢を取る。
ここを守る任を任されているだけあって、先程の相手とは違うようだ。
だが、こちらにはこの先武の力で名を轟かせる関羽と張飛、趙雲という豪華メンバーが揃っている。
彼女達ならば雑兵の百や二百は相手にはならないだろう。

「用があるのは張宝のみ! 命が惜しいのであればそこを退け!」
「まぁ、掛かってきたとしても私の愛槍の餌食になってもらうがな?」
「誰でもいいからかかってこいなのだー!」
「っつーわけで、あんた達にはここで倒れてもらうぜ!」

そのままの勢いで敵の中へと突撃していく。
まず最初に突っ込んだのが趙雲だ。
さっきよりも数倍の敵がいるというのに、その目に戸惑いは一切無い。
むしろ自分の槍を思う存分振るえることに喜びを抱いているようだった。
例え四方を囲まれたとしても槍を縦横無尽に操り、敵の包囲に綻びを作りそこへと飛び込みまた別の敵の相手をする。
槍のリーチの差を生かした攻撃は黄巾の兵の反撃を許すことなく打ち倒していく。
そしてそんな趙雲の背中を守るのが愛紗だった。
長大な偃月刀が生み出す力は凄まじく、相手の武器を破壊した上でその身ごと切り裂いていく。
趙雲のように一人ひとりを確実に倒していくのではなく、幾人の敵を一度に戦闘不能にまで持ち込むその技量は正に敵知らずだった。
点と面に秀でた二人が組んだ今、それは最早暴風に等しい効果を生み出している。
ある者は吹き飛ばされ、またある者は崩れ落ちるように彼女達の足元に倒れていく。
周囲には血煙が舞い、戦いは一方的に進んでいく。

「どうした、貴様ら! 私に手傷の一つでも負わせてみろ!」
「数で私を押そうなど愚の骨頂! 誰も私の足を止めることなどできぬわ!」

趙雲が挑みかかるように吼え、愛紗が敵の士気を挫くように一喝する。
その一方で激しい音が響くのは鈴々だ。
彼女は単身敵に挑みかかり、持ち前の豪腕で目前の敵を打ち払う。
その動きは愛紗や趙雲とは対照的に野生的で、敵の真っ只中というのに自由自在に立ち回り敵の攻撃を次々と防ぐ。
敵の攻撃を限界まで屈んで避けたと思うと、その勢いのまま跳躍し敵の頭上を越えて背後に回る。
唖然とする敵を余所に蛇矛を繰り出し、他の敵を巻き込んで吹き飛ばす。
彼女の場合、何かを考えて動いているわけではあるまい。
いうなれば本能の赴くままに、といったところか。
それでも敵を余裕で倒していくのだから天性の才とは全く恐ろしい。

「どけどけどけーい! 鈴々の邪魔をするやつらは全員ぶっとばすのだー!」

言ってることはどこか幼稚で可愛らしいのだが、やってることは敵にとって脅威そのものだ。
んで、そんな楽勝ムードの中一人苦境に立たされている俺。
ぶっちゃけ他の奴らと違って獲物が長柄でないのが辛い。
敵を確実に倒そうと思えば接近せねばならず、それは命を危機に晒すことも意味している。

「せめてどっちかの方についてけば良かったか……!」

だが鈴々はズンズンと前に前にと突っ込んでいくし、愛紗と趙雲のほうは自分が切り殺されかねない。
故に自分ひとりでここを切り抜けなければならないのだが……。

「いくら敵に囲まれようとも同時に攻撃できるのは四人まで。 つまりその四人を倒していけばどれだけの敵にも対応出来るとは聞くけど……」
「死ねやぁ!」
「こりゃ随分とキツイ、な!」

背後から切りかかってきた敵を半身で避け、姿勢が崩れた所を脳天に刀を叩き込む。
味方がやられたことに隙を見せた一人の手首を打ち据え、肋骨を砕いていく。
正直、刺突が出来ないのがつらい。
刃の無いこの刀ではせいぜい骨を折るのが関の山で、刀というよりは打撃武器に近くなってしまっているのが難点だった。
だが、贅沢は言っていられない。
敵の剣を先んじて刀で抑えつつ、空いた片手で掌底を叩き込む。
イメージするのは足、腰、肩全ての運動の力を手の先に伝えること。
爺が肩でやっていた技を思い出す。
しかし、爺のようには上手くいかずに敵がよろめくだけだ。
本来ならば発勁のように敵の意識を刈り取り吹き飛ばすほどの威力を発揮できるのだが……。

「つまり俺じゃあまだまだ修練が足りないってことか!」

蹲った敵の身体を容赦なく踏み倒し、また一歩前進する。
悪態をつけるだけの余裕がまだ自分にあることに内心驚く。
危険な状況になればなるほど精神が研ぎ澄まされ、頭の後ろ側にも目があるような気持ちだった。
敵の攻め気を読み、刀で逸らし、あるいは体捌きや他の敵を盾にすることでことごとくを避け続ける。
まともに刀で受けるのは愚策中の愚策だ。
例え普通の刀よりも頑丈に作られているとはいえ所詮は刀。
受ければ受けるほど刀身が歪み、強度を損なう。
幸いなのは俺に向かってきた敵が少なかったことだ。
大抵は愛紗達に蹴散らされ、そうでないものは彼女達の強さに気圧されて戦意を失っていた。
十分程もすれば目に見える程に敵の数は減り、相対する敵も最早勝てるとは思ってはいないようだった。
これは、好機だな。

「このまま抜けるぞ!」

愛紗達に聞こえるように大声で簡潔に告げると返事も聞かずに走る。
一歩目から全速力で敵の間を駆け抜け、邪魔な奴がいたら適宜投げ飛ばしたり殴り飛ばしていく。
そうやって走り続けていくと、ついに敵の包囲を抜け、城の入り口へと辿りつく。
周囲を見れば愛紗達もほぼ同時にここまでやって来たらしい。
互いの無事を確認すると、そのまま城の中へと急行する。
ちょっと気になって後ろを振り返ると、二百人にも及ぼうかという黄巾党の兵が倒れていた。
……この中でよく生き残れたな。
今更ながらに自分がどれだけ危険な死地にいたのかを自覚する。
趙雲には自分も一騎当千に類すると評価されたが自分にはそんな自信は毛頭ない。
せいぜい、死なないようにするのが精一杯なのだ、自分は。

「……こ、ここまで来れば一安心だろ」

城の中に入り、敵の姿がようやく見えなくなった時ようやく俺達は一息つくことが出来た。
刀に付着した血を拭い、息を整える。
ここまで来れば張宝のいる場所まではあと少しだろう。
感覚的に残された時間は後半刻も無い。
どうにかして張宝の居場所を突き止めなければならないんが……。

「張宝の居場所なぞ、探すのは簡単だろう」
「……どこからそんな自信が出てくるのか是非拝聴させてもらうぜ」
「つまり、敵が多い場所を辿っていけば頭の所まで行けるということだ。 つまりはあのように」
「……げっ」

趙雲が指差す先には我先にと俺達のほうへと走ってくる敵の姿が。

「軍の一番上の人間を守るにはそれだけ多くの兵をあてがえばいいというのは道理だ。 ふむ、確かに簡単だな」
「つまりは、敵を蹴散らせばいいのだ」
「簡単に言ってくれるぜ、全く」

せめてもの救いは通路が狭いせいでそれだけ一度に相手にする兵の数も少ないということだろう。
まぁ、その分愛紗達が負担を減らしてくれるだろうし楽といえば楽かもしれんが。
微妙に他人任せなことを考えつつ、俺達は再び敵の渦中に突っ込んでいった。






「……賊が入り込んだか」

外から聞こえる音とは別に、城の中から誰かが争う音が聞こえる。
用心の為にここにも兵を置いていたが、この様子では幾ばくもしない内にここまで辿り着いてくるだろう。
本来ならば別働隊がいたとしても門のところで食い止められるだけの兵は置いておいたつもりだ。
そして彼らが時間を稼いでいる間に正門の部隊から救援を送るつもりだった。
しかしそれが破られた今、狭い城の中では数の優位性を活用することが出来ない。

「これでは一軍を率いるものとしては失格だな……。 倒れていった同胞に顔向けが出来ん」

ああ、一体どこから間違えてしまったのか。
最初は、姉上と共にこの腐敗しきった世を正すために立ち上がった。
姉上はそこいらにいる自称道士とは桁が違った存在で、あの人の力があればどんな事でも出来ると思った。
南華老仙という名乗る男に太平妖術の書を授かった姉上はその力で腐りきった官軍を打ち倒し、私や末の妹である張梁も姉上と共に戦い続けた。
そのうち我らに賛同した農民達が集い、数十万という信者を集めるに至った。
彼らは全て今の王朝に反感を持つ者であり、いつか来る平穏の時を手に入れることを誓い合った同志だった。
しかし、黄巾党に集まるものが増える度に、最初に抱いていた思想は徐々に人々の中でずれ始めていった。
下の兵達は強奪を繰り返すようになり、同じ立場であった農民達を苦しめ、結果無駄な血が流れていく。
そして時が経つごとに各地で将達が立ち上がり、それぞれの力で黄巾党の討伐へと向かうこととなる。
最初のほうこそ官軍を圧倒していた我らだったが、それは逆に各地の武将達を表舞台に出させる原因にもなってしまったのだ。

「黄魔、黄鬼と呼ばれ、最早我らは正義の徒では無くなったのかもしれん。 だが、我らは止まれぬ。 止まるわけにはいかんのだ!」

ここで止まってしまえば、民だけの力で世を築き上げていくという散っていった者の望みを裏切ることになる。
それだけは、なんとしても阻止しなければならなかった。

「姉上。 ここで禁忌を破ること、お許しください」






「ここか!」

並み居る敵を吹き飛ばし、扉を抜けるとそこは謁見の為に作られた大広間だった。
だが、一気に開けた室内には、兵の姿は見当たらない。
これだけの空間ならば兵を配置し、こちらを向かえ討つには十分な場所でもあるのに関わらず、だ。
いるのはただ一人。
玉座に座り、こちらを静かに睥睨する一人の女性。

「……あんたが張宝か」
「四人、しかもまだ二十にもいかぬような者達ばかりとは……。 世も末というものだな」

味方は一人もおらず、正に絶体絶命の状況だというのに張宝には動揺は一切無いようだった。
自分の死を覚悟したのか、それとも自棄になったのか。
だが、すぐに両者とも違うことを悟る。
諦めた人間がどうすればあんなに意志の強い目を見せることが出来る。
あれは、絶対に負けぬと心に決めた者だ。
油断をせず、いつでも抜けるように刀に手を置く。

「地公将軍張宝よ。 何のつもりで我らの街に攻め入ったのか、それは問わん。 その報い自らの命で償ってもらおう」
「いいや、お前の命はこの趙雲が貰い受けよう。 正義の道を行くものとして、貴様達の行いは決して許さん」
「正義、か……。 は、ははははははッ!」

張宝は、趙雲の言葉に突如笑い出した。
一体何が可笑しいのか、大声を出しあまつさえ腹を抱えて笑い続ける。
それに頭に来たのが笑われた趙雲だ。
彼女は顔を真っ赤にして槍を構える。

「貴様、何が可笑しい!」
「くくくっ……。 正義を語る娘よ、貴様は知らないだろう。 正義など、見る者が変われば悪にもなるということをな」
「否、正義は不変。 悪には決して染まらぬ!」
「ならば悪に染まった正義がお前に引導を渡してやろう。 我が名は張宝! 南華老仙より授かった道士の力、とくと見るがよい!」

言葉と同時に、張宝の身体から大量の紙が舞う。
その数は膨大で、すぐに張宝の姿すら見えなくなる。

「くそ、目眩ましか!」
「うにゃー! 前が見えないのだ!」

しかし、いつまでも紙が待っているわけでもない。
しばらくすると紙の吹雪は止み、その先にいる張宝の姿を捉えられるようになる。
張宝はその場から一歩も動いてはいなかった。
ただ、一つ違うことはその右手に剣を持っていることと、その剣が光を発していることだけだった。

「……なんだあの剣は?」
「さぁな。 でもただの武器じゃないことは確かだ」
「紙で鈴々達を脅かそうなんて、ふざけてるのだ!」
「いや、これは脅しなどではない」

張宝が剣を構えると、更に光が強くなる。
そして、驚いたことに床に散らばった紙も淡く発光し始めた。
光はどんどん強くなり、それは徐々に何かの形を作り出す。

「まさか、妖術の類か!」

愛紗の言葉に答えるように、光の中から黄色い装束を纏った者達が現れる。
その手には剣や槍など、思い思いの武器を持ち生気の無い瞳で一斉にこちらを見つめていた。
そこに敵意や殺気は一切感じられない。
まるで彫刻や人形のようだ。

「うにゃにゃ! 敵がたくさん出てきたのだ!?」
「これぞ姉上が南華老仙より教わりし術の一つ、符より傀儡を作り出す御業よ!」
「紙一つで兵一人か。 なんとも人間離れした技だな」
「冷静に言ってる場合か! 一気に形勢逆転されたぞ!」

今俺達の前には大広間を埋め尽くさんとするばかりの兵が蠢いていた。
しかも張宝の言うとおりだと、符があればいくらでも増やすことができるのだ。

「洒落になってねぇなぁ、オイ」
「しかし所詮は傀儡。 張宝さえ倒せば術も解けるだろう」
「やることはさっきと同じだな」
「邪魔な奴らはぶっとばーす!」
「お、おぉ……ぅ……ぁ」

呻き声を上げながら近づいてくる傀儡に刀を構える。
のろのろと歩くところを見ると、どうやら動きは鈍いようだ。

「張宝の首は早い者勝ちだな」
「ならば頂くのはこの私だ。 この中で一番速いのだしな?」
「むー、鈴々が一番強いから鈴々が倒すのだ!」
「どーでもいいが、来るぞ!」

誰が手柄を上げるか口論を始めた三人を余所に、ついに傀儡が攻撃を開始した。
単純に武器をこちらに向け、突撃してくるだけだがそれだけでも十分迫力がある。
なにしろ数が多い。
大瀑布のように襲い来る敵は、まるで果てが無いように思えてくる。

「我が黄魔の傀儡の波に飲み込まれるがいい!」
「甘いわぁ!」

突き出される武器を愛紗の偃月刀の一振りで弾き返す。
自らの武器を弾かれた傀儡はそのまま姿勢を崩すが、それは全体のたった一部だ。
最初に攻撃を仕掛けてきた傀儡を押しのけて、更なる傀儡が飛び込んでくる。
人間でない故の無謀さ。
どれだけ被害を出そうとも命令を果たすその動きこそが、何よりの脅威だ。

「くっ、鈴々! 敵の群れに楔を打ち込め!」
「りょーかいなのだ!」

愛紗の言葉と同時に脇から鈴々の蛇矛が飛び出す。
鈴々の重い一撃は幾人もの敵を吹き飛ばし、敵の波に道を作る。

「このまま張宝の元まで行くぞ!」
「ああ!」

鈴々が作った道も数秒後には敵に再び呑まれるだろう。
それを阻止する為に、愛紗の偃月刀と趙雲の槍が突風のように舞う。
だが、威力で勝る鈴々の蛇矛のように一撃ですぐに前に行ける、というわけでない。
目前に群がる傀儡を切り裂き、突き崩していくしかないのだ。

「鈴々、先程の攻撃はもう一度出来るか!?」
「うー、猛虎粉砕撃を出すにはちょっと狭すぎるのだ!」

獲物が長すぎる鈴々の蛇矛は、密集した敵の中では取り回しがしづらい。
そのせいで彼女本来の力を発揮することが出来ずにいた。
それはつまり場所さえ確保出来ればもう一度あの攻撃を繰り出せるということだが……。

「ならば私に任せてもおう!」

敵の攻撃を捌いている俺達の背後で、趙雲が叫ぶ。
槍を片手に、力を込めるように上半身を思い切り捻る。
そして一瞬の溜めの後、それを全て開放する。

「星雲神妙撃!」

咆哮と同時に繰り出されるのは怒涛の連続攻撃。
振るわれる槍は疾風にして迅雷。
神速の域に達した趙雲の槍は無数の残像を生み出しながら、敵を打ち倒していく。

「張飛!」
「おう、なのだ!」

そして趙雲の攻撃によって作られた空間に鈴々が躍り出る。
まるで獲物を狙う獅子の如く限界まで身を屈め、標的を定める。

「うぅにゃー! これが鈴々の必殺技!」

全身をバネにして、爆発的なスピードで敵に肉薄する。
そして繰り出された一撃は、まるで交通事故のような破砕音を鳴り響かせる。

「猛虎! 粉! 砕! 撃ーッ!!」

直撃した敵はその四肢をあらぬ方向に捻じ曲げられながら吹き飛ばされる。
だが、それでも足らぬとばかりに蛇矛の牙はさらなう獲物を求めて直進する。

「うりゃりゃりゃー! 張宝はどこだー!」

彼女にとっての本当の目的はただ一人。
それ以外はただの障害物にしかならないのだ。
そして俺はというと……。

「お、重! そして怖っ!」

敵から強奪した槍で必死こいて攻撃を防いでいた。
この物量相手に斬れない刀は無謀すぎるので、手近にあった武器で対応するしかなかったのだ。
んで、慣れない武器で戦うわけで当然愛紗達みたいに活躍出来る筈もなく。
なんとか趙雲の見よう見まねで敵を食い止めるのに精一杯になる羽目になっていた。

「ったく、いい加減にしやがれ!」

槍の柄で傀儡の足を払い、体勢の崩れたところへ刺突で止めを刺す。
修行の一環でこういった長柄の獲物を持ったこともあったが、それは武器の特性を把握するためで本格的に修めたわけじゃない。
倒れた傀儡は紙に戻り、また新たな傀儡が襲い掛かってくる。
何体倒してもキリがないぞ、これは。

「む、見えたのだ!」

鈴々の言葉に振り返ると、張宝の姿を確かに確認できた。
あの玉座から一歩も動かず、剣を手に瞑想するかのように目を閉じている。
……ということはあれが、傀儡を操るために必要な条件ということか。
人のみでこれだけの数の傀儡を操るにはやはり莫大な集中力が必要らしい。

「鈴々、そのままやつの剣を壊せ! きっとあれが術の媒体になってるんだ!」

光る剣なんて普通ありえない。
ならばきっとあれが傀儡を召喚するための道具なのだ。
つまり、あの剣さえ壊せばこの敵の群はただの紙に戻るはず。

「とぉーりゃー! 覚悟なのだ!」

蛇矛を地面に突き刺してまるで棒高跳びの選手のように大跳躍。
そのまま傀儡の一人の肩に着地し、地面に伏せる前に更に前へと跳ぶ。
鈴々の身体能力があっての芸当は張宝との距離を一気に蛇矛の射程圏内へと縮める。
そして放たれる骨すら切り裂く強力無比の一撃は。

「あにゃっ!?」

張宝を捉えることなく明後日の方向に振り下ろされた。

「な、何っ!?」
「うにゃー!」

目標を見失った鈴々は、そのまま着地を失敗しごろごろと地面を転がる。
そして、張宝は先ほど居た場所から数メートル離れた場所で静かに佇んでいた。

「どうした、小娘。 霞でも斬ったか?」
「避けたのか、あの一撃を……?」

距離、威力申し分の一撃だったはずだ。
普通ならば絶対外すことは無く、確実に張宝を討つことが出来た。
だが、張宝はその一撃を事も無げに避けて見せたのだ。
そんな動き、ただの道士に出来るはずはない。
出来たとすれば、それは妖術か人並みはずれた身体能力を持つ者だけだ。

「何故、という顔だな。 我が術は符より傀儡を作り出し、それを操る。 だが、これにはもう一つ使い方があってな……」
「!?」

張宝の着ていた外套がはだけ、その下が露になる。
そこにあったのは四肢に貼られた無数の符。
それらは不気味な光を放ちながら張宝の身体を淡く照らしている。

「自らの肉体に使うことで、己を操る禁術……」

ここで張宝が初めて構えらしきものを取る。
まるでオーケストラの指揮のように剣を掲げ、こちらに殺気をぶつけてくる。
……その動きに隙は全く見えない。
まるで、熟練の武士のように。

「術者さえ厭わなければ、己の限界すら超える力を生み出す外道の業よ」

ギシリ、と剣を握る手に力が込められる。
誰も動かない。
傀儡すら糸が切れた人形のように沈黙し、ただこちらを眺めている。

「この術を使うと、傀儡の指示が疎かになるのが欠点だが……。 何、貴様達を斃すにはそれで十分だ」
「──貴様」

槍を構えなおし、趙雲は怒気を含んだ瞳で張宝を睨みつける。
それは自分の正義を否定されたからか、それとも外道の力で十分と言われた武人の矜持か。
そしてそれは愛紗と鈴々も同じ。
各々の武器を張宝に向け、静かに闘志を漲らせる。

「張宝、ここがお前の終着点だ。 この戦い、ここで終わらせる」

今まで使っていた槍を放り投げ、腰に下げた刀に手を掛ける。
俺の技が、どこまでこの人の道を外れた女に通用するか。
そんなことはどうでもいい。
今は、斃すことだけを考える。
美生が守ろうとするものの為に。
公孫賛の信頼に応える為に。
そして何よりも、生き残る為に。

「……葛葉派一刀流、北郷一刀。 推して参る!」
「我が名は関雲長! 我が命は姉上の為に! その為ならばこの偃月刀は鬼をも切り伏せよう!」
「劉備玄徳が家臣、張翼徳! 鈴々の蛇矛を恐れぬのならかかってこいなのだ!」
「常山の昇り龍、趙子龍……。 我が正義を侮る愚かさ、その死をもって知るがいい!」
「……来るがいい。 この地公将軍張宝の死力を持って、貴様らを黄泉路へと案内してくれる!」

最初に動いたのは愛紗だ。
驚異的な踏み込みでもって、一息で張宝に肉薄する。
狙いは頸部。
その一撃でもって奴の意識を命ごと刈り取る!

「喰らえぃっ!」

視認することすら難しいその偃月刀を、張宝は跳躍することで回避する。
驚くべきはその高さ。
己の背丈をも越える跳躍力は、正に人外と言える。
そして遂に手にした剣が振るわれる。

「その首、頂くとしようか!」

跳躍の最中だというのに構わず剣を振るう。
だが、愛紗には未だ届かぬ位置でどうやって彼女の首を取るというのか。
その答えは、次の瞬間に飛び出した。

「剣が、伸びた!?」

剣がいくつもの刃に分断され、鞭のように愛紗へと襲い掛かる。
なんて出鱈目。
そんな武器、普通ならありえない!

「関羽、油断をするな!」

すぐに愛紗の隣に立ち、剣を弾き返す趙雲。
その間に張宝は静かに地面に着地し、元に戻った剣を構えなおす。

「剣っていうよりも鞭だな、あれは……。 しかも斬れる分性質が悪い」
「届く距離は私の槍程度か、それ以上か……。 いずれにせよ、面白い!」
「どうした、こちらからいくぞ?」

蛇腹剣をゆっくりと頭上で振り回し、勢いをつけていく。
遠心力で速度を増す蛇腹剣は、風を切りながら徐々にその範囲を広げていく。

「はぁっ!」

一息で振り下ろされる刃は、床を噛み砕きながら俺達に肉薄する。
その軌道は無秩序で、蛇のように喰らい付こうとしてくる。

「蛇の扱いなら鈴々の方が上なのだ!」

甲高い音を響かせて蛇腹剣が弾き返される。
だが、決して砕かれることは無く再度牙をむいて鈴々を襲う。
普通ならばこんな構造の剣など脆くなってしまうだろう。
しかしこの剣は鈴々の一撃にも壊されること無く、反撃を可能とする。

「にゃ!」

剣は鈴々の蛇矛に絡みつき、その動きを封じる。
しかし両者の力が拮抗しているのか、震えながらも微動だにしない。
そんな好機を趙雲が見逃す筈も無い。

「どうした張宝、懐ががら空きだぞ!」
「くっ」

確かに蛇腹剣は攻撃の届く範囲が異様に広い。
だが、その分近距離に対応しづらくなり死角が増える。

「その首貰った!」

更に愛紗も仕掛ける。
二方向から迫る刃に、張宝はその限界を超えた動きで無理やり蛇矛から剣を振り解き、後ろへと大跳躍する。
咄嗟の動きだったのだろう、二人の攻撃を避けたはいいが、張宝の姿勢は崩れ剣もまだ本来の姿に戻ろうとする最中だった。

「俺がいることも忘れてもらっちゃ困る!」

身体を限界まで前屈みに、足が千切れよとばかりに全力疾走。
その動きに気付いた張宝が、慌てて蛇腹剣を振るう。
再度刃が伸び、俺に向かって襲い掛かる。
その刃を、急制動をかけ身を思いっきり捻ることで回避する。
刀を抜けばその分動きが遅くなるから、抜きたくなる気持ちを理性で押さえつける。
身体を回転させ、その横を刃が通り過ぎるのを風で感じる。
そのまま再び回った勢いで走り出し、張宝へと駆け寄る。
愛紗や鈴々、趙雲も別方向から飛び出し、今度こそ張宝へ止めを刺す!

「ぬ、ぐっ……! 傀儡よ、我の身を守れ!」

それを防ぐのは先程まで沈黙を保っていた黄装束の傀儡。
自らの身を盾にして、主への攻撃を食い止める。

「吹き飛べ!」

バキリ、という音を鳴らし張宝の腕が振るわれる。
自らの腕すら厭わない鬼気迫る一撃に、俺達は同時に弾き飛ばされ張宝との距離が広げられる。
しかし、その代償は大きかったらしく剣を握った腕はダランと下げられ血がポタポタと滴り落ちる。

「はぁ、はぁ、はぁ……! ぐ、く……!」

外道の力を手に入れても所詮は人に過ぎない。
その身に過ぎた力は自分に返って来る。
既に張宝の足はガクガクと震え、息も荒い。

「それが、人道を外れた代償というわけか……」
「…………」
「既に勝敗は決した。 無駄な抵抗はするな、張宝」

愛紗の勧告に、それでも決して手にした剣を離そうとはしない。
もう立っているのもやっとだろう。
一体何が張宝を立たせているのか。

「私は負けぬ……。 黄巾の旗の下、志を共にした仲間の魂に殉ずるためにも……!」
「……張宝、まだやるというのか」
「く、はははっ……。 この心の臓の鼓動止まるまで、この張宝決して止まらん!」
「……そうか」

最早言葉は不要だ。
後は命の遣り取りにて決着をつけるのみ。
既に周囲にいた傀儡達はおらず、周りにはその成れの果てであった紙が舞い散るだけだ。
張宝の身体は、既に術を行使することも出来ないほどに疲弊していた。
……多分、次の一合で終わる。
恐らく本人もそのことは自覚しているだろう。
まるで残った命を吸い取るように身体に貼られた符が光を増していく。
そして、舞っていた全ての符が床に落ちた瞬間。

「ぬ、ぅぅううおおおおおッ!!!」

張宝の、全身全霊を掛けた最後の一撃が繰り出される。
その刃には張宝の身体に貼られていたものと同じ符が貼り付けられ、本当に生きているかのように舞い踊る。
慣性の法則を無視した軌道は荒れ狂う嵐のようだ。

「はあぁぁぁっ! 星雲神妙撃ぃ!!」

その全てを趙雲の神速の突きが防ぎきる。
金属同士がぶつかりあい、周囲に火花を散らす。

「張飛ぃ!」

蛇腹剣を大きく弾き返し、叫ぶ。
その頭上には蛇矛を構えて今正に落下しようという鈴々の姿がある。
その狙いは刃と刃の繋ぎ目。

「砕けろなのだー!」

蛇矛の重さと、落下スピードで増した鈴々の一撃は刃を繋ぐワイヤーを軋ませる。
そして、その重さに耐えられなくなったワイヤーは甲高い音と共に千切れた。

「ぬっ……!?」

張宝は急に軽くなった蛇腹剣にバランスを崩される。
そこへ俺と愛紗の二人が襲い掛かる。
その気配を察知したのだろう。
張宝は短くなった蛇腹剣を振り回し、その攻撃を防ごうとする。

「おぉッ!」

あと少しで、直撃するというところで限界まで我慢していた刀を解き放つ。
呼気と同時に閃いた剣閃は一寸の狂いも無く蛇腹剣にぶち当たる。
そしてその切っ先を僅かにずらし、蛇腹剣の軌道を修正する。
修正先は床。
猛烈な勢いで地面と激突した蛇腹剣はそのまま深々と突き刺さり、簡単には抜け出せなくなる。

「やれ、愛紗!」

最早張宝を守るものは何も無い。
この一撃に全てを懸けた張宝には、もう動く余力すら残されてはいまい。

「覚悟!」
「が……はっ……!?」

愛紗の渾身の一撃は、張宝の身体を袈裟懸けに肩から胴を切り裂いた。
鮮血を撒き散らしながら、まるで操り糸が千切れたように張宝の身体はガクンと膝をつきそのまま大地に伏せた。
握っていた剣は持ち主の死と同調するように砂のように崩れ、貼りついていた符もあたり一面に散らばっていく。

「地公将軍張宝の最期……か」

血溜りに沈む張宝の亡骸を眺める。
一体彼女が何の為に戦っていたのか、今では確かめるすべは無い。
それでもきっと彼女には信念があって、譲れぬ大切な何かがあったのだろう。
少し離れた場所に落ちていた彼女の外套を拾ってその身体に掛けてやる。
弔うことは出来ないが、これくらいならば許されるだろう。

「さて、急いで公孫賛達の元に戻ろう」
「……ああ」
「早く姉様の手助けに行くのだ!」

その後の結果は言うまでもないだろう。
頭を失った兵の辿る運命など、一つしかないのだから。






戦いの終結後、一夜を陣で過ごした後公孫賛軍は自らの領地へと戻る用意をしていた。
元々討伐の帰りだったのだから、兵達も早く自分の家に帰りたいのだろう。

「露花、私の無茶な頼みを聞いてくれてありがとう。 改めてお礼を言わせてもらうわ」
「気にすんなって。 でもいいのか? 張宝の首を取った手柄をオレに渡してくれるなんてさ」

あの後、張宝を倒したのは公孫賛の客将である趙雲ということにしておいた。
そもそも公孫賛の手助けがなければ勝てなかった戦いだ。
これくらいの礼はしなければいけないだろう。
まぁ、張宝を倒したということになった本人は、明らかに不服そうな顔をしていたが。
実際打ち倒したのは愛紗だったし、趙雲にとっては自分で倒せなかったことに納得がいっていない筈だ。

「今そんな手柄を手に入れたところで、私には無用の長物だから」
「黄巾党の教祖の側近の首を無用の長物と言うか……。 まったく、やっぱりお前は変わってるよ美生」
「ふふっ。 積もる話はあるけれど、今引き止めては兵の方達に申し訳ないでしょう」
「そうだな。 よし、それじゃあ引き上げるか。 趙雲、帰るぞ」
「……それなのですが、公孫賛殿。 私はあなたとは一緒に帰りませぬ」
「はぁっ!?」

突然趙雲から言われた離脱宣言に驚きを隠せない公孫賛。
それは俺達も同じことで、あの愛紗すらビックリしていた。

「張宝を討ったことで確信したのです。 これからの世は大きな風が吹くだろうと。 私はその風に身を任せて大陸を巡り、相応しい主を探したいと思うのです」
「確かにお前とはいつでもオレの元を離れてもいいって約束はしてたけど、随分と急な話だな」
「なに、元よりあなたは私の主には相応しいとは思ってはいませんでしたからな。 必要なのは切欠だけでしたので」
「お前……本人の前でよくそんな事言えるな……」

趙雲の性格を知っている公孫賛だからこそ許してくれる暴言だが、他の人間が耳にしたらただでは済まないだろうに。

「確かに公孫賛殿は勇気はあるが、それだけだ。 民の上に立ち、乱世を制する王となるには器が足りぬ」
「じゃあ、誰なら相応しいっていうんだ?」

趙雲に器が無いと言われた公孫賛が嫌味っぽく問う。
だが、趙雲は我が意を得たとばかりに言葉を続ける。

「まず、魏の曹操ですな。 あれほど有為の人材を愛し、そして上手く使える人間はそうそうおりませぬ。 欲しい物の為ならば戦いすら厭わぬその貪欲さもまた、英雄としての素質と言えましょう」
「他には誰が居るのだ?」
「呉の孫権も侮れぬ存在でしょう。 先代の孫策に比べれば、幾らか保守的ではありますが……。 かの者が英雄としての素質に目覚めたのならばこの大陸を治めることも不可能ではないでしょう。 ……そして後一人」

そう言って美生を見る。
意味深な瞳を向けられた美生は何のことだと不思議そうな顔をしているが、そんな彼女の様子を見て趙雲は面白そうに微笑む。

「これは私の主観ではありますが、目の前にいる劉備殿もまた王としての器に相応しいかもしれませんな」
「わ、私がですか……?」
「確かに劉備殿はまだ名も知られぬ一地方の県令に過ぎませぬ。 ですが、あなたには他の二人には無い力を持っている。 これは案外面白いことになるかもしれませぬぞ?」
「当然だ。 姉上ならばこの乱世を鎮め民のために善政を行ってくれるだろうと確信している」
「い、いきなりそんな規模の大きな話をされても、私困るんですけど……。 た、確かにそうなればいいなぁとは思ってますが」
「お前、今さらっと物凄い発言したぞ」

何気に黒いぞ、美生。
公孫賛も同じことを思ったのか、苦笑いしていた。
お互い、視線を交わして溜息。

「まぁ、そんなわけで私はこの大陸を歩きながら相応しい主を探そうかと」
「何を言う。 王に相応しいと言った者の一人がここにいるではないか。 どうだ、姉上の下に就く気は無いか?」

それは背を預けて戦った者として、彼女の強さを知っているからの頼みだろう。
確かに今の俺達にはこの乱世を生き残るための強さも、知恵も足りない。
有能な者は一人でも欲しい。

「嬉しい誘いではあるが、一度は決めたことだ。 それを反故にすることは出来ん」
「むぅ、意外と強情なのだ」
「自分の融通の無さは自覚しているが、こればかりはどうしようもない。 だが、仕える人物は自分の目で見極めたいのでな」
「そうか……」

そう言うと、愛紗は残念そうに肩を落とした。
本気で彼女が仲間に来て欲しかったのだろう。
それは俺も同じことだが、趙雲にはどれだけ言っても無駄だろう。

「それに、私は知らなければならぬことがある。 この大陸が今どんな状況で、そしてどうなってゆくのかを、な」
「ま、無理強いはよくないからな。 その目で存分と見て回ってくるがいいさ」
「うむ、そうさせてもらおう。 ……関羽殿に張飛殿、お前達と共に戦えたことは我が誇りだ」
「私もだ。 お主のような者と共に戦えて嬉しかった」
「鈴々も趙雲と一緒に暴れられて楽しかったのだ!」

三人は握手を交わし、それぞれの武運を祈りあった。
これからのことを知っている俺にとって、趙雲の言葉は戦いの激化を悟らせた。
この後黄巾党は張角の病死でその土台を崩されて、黄巾の乱と呼ばれる争いは集結を迎える。
だが、董卓が献帝を擁し朝廷を掌握することで始まる新たな争いはそれすらも上回る戦いの火種となる。
その戦いが始まる前に、なんとしても俺達は力をつけなくては。

「おいおい、俺は無視か」
「ははは、北郷殿を忘れてなどおらぬよ。 ちょっとした悪戯心というものだ」
「それ余計性質悪ぃよ!」
「趙雲さん」
「……む?」
「また、会えますか……?」

美生の問いに、逡巡の後彼女を見つめ返す。
その瞳には、なにかを期待するようであり、何か熱いものを感じた。

「ええ、約束しましょう。 まぁ、もっともその時はあなたの敵かもしれませぬが?」
「それでも、あなたとまた会えることを楽しみにしています」
「──は、はっはっはっは! やはり劉備殿は面白い!」

ひとしきり笑い終えると、趙雲は傍らに置いてあった荷物を手にする。
どうやら、もうそろそろ出発するらしい。

「行くのか、趙雲」
「ええ。 少しの間ではありましたが世話になりましたな、公孫賛殿」
「なぁに、オレとしちゃあ手綱の握れない暴れ馬の世話を見る必要が無くなって清々してるぜ」
「私も、融通の聞かない堅物の主の下から離れられて心が軽くなったようですな」

憎まれ口を叩きながら、二人は友人のように笑いあっていた。
これが二人なりの別れの挨拶なのだろう。

「では、私はこれで」
「俺達のところに来たかったらいつでも来な。 うちはいつでも人手不足だからさ」
「他に行くあてがなければ、是非に」

そう頷くと、一房だけ伸ばされた髪を翻し、俺達に背を向けて去っていく。
その姿に未練は無く、一度も振り返ることも無く姿が見えなくなっていった。

「んじゃ、オレも帰るかな。 美生、遼西郡に帰った後にちゃんとした挨拶をしに来るからな」
「ええ、待ってるわ」

簡単な別れの挨拶を交わすと、公孫賛もまた自分の領地へと帰っていった。
他の郡からの援軍も見送ると残ったのはこの街に居た者だけになる。
今まで一万を越す兵がいたというのに今では再び二千足らず。
本当ならこれが普通なのだが、今までの環境のせいか寂しさを感じる。

「さ、私達も街に戻りましょうか」
「今まで避難していた者達も迎え入れなければなりませんし、急ぎましょう」
「鈴々、早くご飯が食べたいのだー!」
「……」

まだ美生は予想もしていないだろう。
この後再び壊された街の修繕やら食料の補充などで寝る暇もすらない地獄の政務が待っているなどと。
ただ一人その未来にひきつった笑みを浮かべながら、出来ることならサボリたいと内心思う俺なのであった。
まぁ、それは無駄な悪足掻きにしかならないのだったが。
なにはともあれ、啄県で起きた張宝との激しい戦いはようやく終結を迎えたのだった。