「……張宝の軍勢による侵攻か」
「ああ、つまりはそういうことらしいな」

先の戦いで捕らえた黄巾の兵を尋問に掛けたところ返ってきた答えはこの一言に尽きた。
尋問と言っても愛紗が首筋に偃月刀を当てるだけで簡単に吐いてくれたが。
これに関しては何の苦労も無く情報を得ることは出来たが、その先が問題だった。
張宝といえば黄巾党でもトップの側近である。
その張宝が率いる軍勢となれば先の戦いの比ではあるまい。
下手をすれば万に匹敵する敵と戦わねばならないだろう。
対するこちらの戦力といえば二千にも満たない疲弊した者ばかり。
今回ばかりは絶望的と言ってもいい。

「さて、どうするかな関羽将軍?」
「茶化すな、馬鹿者。 とにかく姉上に報告せねば話は始まらん」

未来のあまりの暗さに軽口の一言でも言わなければやってられない。
背筋に冷たい汗が流れるのを自覚しながら、俺達は美生がいる部屋へと足を向けたのだった。










06【奇策】










「なんてことですか……っ」

俺と愛紗の報告に、美生は二の句が告げないようで暫くの間頭を抱えたまま俯いていた。
周りには書簡の束が出来ており、彼女の仕事の多忙さが表れていた。

「姉上、しっかりして下さい。 姉上が取り乱せば臣下にもその影響が出ます」
「ええ、ええ。 分かっているわ愛紗……」
「ま、仕方ないだろ。 誰だってこんな状況になりゃ取り乱したくもなる」
「一刀ッ!」
「……こういうのが特殊なだけなんだからさ、まずは深呼吸でもして落ち着きな」
「は、はい……」

愛紗の厳しい叱責は右から左へ受け流すとして、まずは美生に落ち着いてもらわなければ話にもならない。
まだ県令にもなりたての少女にこの重責は酷だ。
それでも大声で喚き散らしたりあからさまにうろたえない辺り流石はかの劉備玄徳、と言うべきか。

「……ごめんなさいね、落ち着いたから話を進めましょうか」

俺の言うとおり数回ほど深呼吸をして落ち着いたのか、美生が愛紗に話の先を促す。

「此度の戦において重要なのは三つ……とは言っても極基本的なことではありますが、すなわち兵力、兵糧、そして城塞です」
「いずれも十分とは言えないのが問題ね……」

まず兵力においては言わずもがな、こちらの戦える者は先の戦いで疲弊した四百ばかりに今は街の修復作業に当たっている千ほどしかいない。
対する張角の勢は少なくとも五千、万には届く筈だ。
多く見積もっても二万はいかないだろう、というのが俺と愛紗の共通見解である。
例えこちらが黄巾の軍を一度退けたとはいえ所詮は一介の街に過ぎない。
相手が驕るだろうとかそういう楽観的なものではなくこれは事実だ。
次に兵糧だが、これも兵力と同じく不足気味というのが現状だ。
ここ一週間である程度改善されたが、それでも十分とはいえないだろう。
そして城塞。
これは防衛戦にとっては無くてはならないものだ。
幸いこの街は県令が住む場所なので城壁があるにはあるのだが、黄巾党が強奪に来たさいに幾つかの箇所が破損してしまっている。
これを無視していればいざ戦いになったときに致命傷になるのは必定だった。

「まず兵についてですが、先の黄巾との戦いを聞きつけた周囲の街の者達から私達の傘下に入りたいとの申し入れが幾つかありました」
「足りなければ、ここが破られれば次はおたくの街だとでも脅せばなんとかなりそうだな」
「な、中々乱暴な案ですね……」
「兵糧は……今ある蓄えでは三日が限度でしょう。 現在も城に残っていた物を売り払ったりして確保するようにはしていますが……それでもよくて一週間といったところでしょうか」
「最悪、女子供には避難してもらって兵だけで篭ればもう少しはもつ……筈だ」
「この場合はやむ得ないでしょう」
「城壁に関してですが、これは現在民家の修復班にも号令をかけて総員で修理をさせています。 あと二日ほどで問題ない程度には直るとの報告が上がっています」
「はぁ……、頭が痛くなることばかりね」

最後の報告を聞いた後には再びこめかみに手をやり眉間に皺を寄せる美生。
このまま素直に防衛戦になったとしてもこちらの勝算は零に等しい。
ここは、少しでも策があればいいんだが……。

「なぁ、せめてどこからか援軍を頼むことは出来ないか?」
「無理を言うな! 私達はまだ名前も知られぬ新参者だぞ。 誰が好き好んで援軍など寄越してくれるというのだ!」
「……確かにそれは認めるけどな」

それでもどこかの有力諸侯とかが力を貸してくれれば、張宝との戦いもかなり変わってくるはずだ。
挟撃という形になれば張宝の退路を塞ぐことが出来るかもしれないし。
……無いものねだりしても仕方ないけど。

「でも援軍を頼むっていうのは良い案だと思うんだが……。 そうすれば作戦の幅も広がるし、勝機も見えてくる」
「それは私も同感だが、楽観が過ぎる。 援軍を頼むにしても時間が掛かる上に敵の攻撃が何時来るかわからない今、承諾してくれるかも分からない不確かなものに頼るわけにはいかん」

なんとも手厳しい。
そりゃ確かに俺も確実な一手とは思ってはないけど。

「援軍……。 そうよ、援軍だわ!」
「あ、姉上?」

だが美生は何か良い案でも思いついたのか唐突に椅子から立ち上がった。

「なんで彼女のことを忘れてたのかしらっ。 彼女ならきっと私の助けに応えてくれる筈だわ!」
「姉上、何かツテでもあるのですか?」
「私がまだ私塾に通っていたときの親友が、太守をやっているという連絡をもらったことがあるの。 この前まで母の看病で会うことはなかったけど……きっと彼女なら私達の力になってくれるはず」

それが本当なら寝耳に水だ。
愛紗も美生の意外な繋がりに驚きを隠せないようだった。

「そ、その話本当なのですか?」
「本当よ。 それに相手があの黄巾党の張宝ならば名を上げるのにも一役買うはずだし、彼女にとっても損は無いわ」

黄巾党が倒れれば、後に始まるのは群雄割拠の時代となる。
そうなる前に少しでも名を上げておくことは誰しもが考えていることだろう。

「じゃあ、早速遣いを送るべきだな。 時間が無い今、どんな行動も迅速に起こすべきだ」
「姉上、その親友の方はどちらにいらっしゃるのですか?」
「遼西郡にいるはずだけど……。 ここ一年はまともに連絡を取ってないからまだいるかどうか……」
「おいおい、そこで自信なさげに言わないでくれ」

それにしても遼西郡か……同じ幽州だし、連絡を取るのには最適かもしれないな。
あれ、でも遼西郡ってどこかで見たような気が……?

「なぁ、美生その親友の名前って何ていうんだ? 遣いをやるにしても名前が分からなきゃどうしようもない」
「名前、ですか……。 彼女の名前は公孫賛。 字は伯珪です」
「……マジスカ」

……まさかここでその名前が出てこようとは。
確かに公孫賛に援軍を頼めるとなれば、戦況は大きく変わってくる。
少なくとも公孫賛が来てくれるまで持ちこたえれば勝つことだって不可能ではないだろう。

「名前が分かっていてもその人物が今も太守をしているとは限らないと思いますが……」
「いや、公孫賛ならいるだろう。 間違いなく」
「……彼女のことを知っているのですか?」
「あー、いや、美生と出会った時にも言ってただろ、武者修行の旅をしてたって。 その時に公孫賛の名前を聞いたことがあるんだ」

これは、流石に苦しいか?

「なるほど、それなら納得です」

あっさり受け入れられました。
俺が言うのもなんだが少しは人を疑ったりとかしようぜ、美生。

「そうですか、彼女は今もきちんと太守を勤め上げているのですね……」
「それならば話は早い。 早速文を送りましょう」
「ええ。 内容は私が書いておくから、愛紗は伝令の用意をしておいてくれる?」
「はっ!」
「一刀さんは鈴々達の所へ行ってこの事を通達、最悪女性と子供達を避難出来る態勢を整えておいてください」
「了解!」
「援軍の要請の準備が整い次第皆を招集して軍議を行います。 全ては迅速に。 いいですね?」





「と、いうわけで張宝と一戦やらかすことになった」
「ダ、ダンナ流石にそれは穿ちすぎやしないですか……?」
「いや、これぐらい要約しないと察してくれない奴が一人いるからなぁ……」

簡雍の呆れた声に、少し諦めの入った声で返す。
で、その察してくれない奴はと言えばこれから始まるであろう苛烈な争いに心を馳せていたりする。
あー、これくらい気楽にいられれば俺ももっと楽しく暮らせるんだろうなぁ。

「で、で、何時敵は来るのだ!? どれくらいなのだ!? 強い奴はいるのか!?」
「……そこまでは知らん。 少なくとも一万は来るとは予想してるが」
「い、一万……」

俺達の話を聞いていた人々の間に動揺が走る。
以前戦った黄巾党の一派でも精々四千だった。
あの時でもこちらの二倍強程だったというのに今回は更に倍以上となれば想像するだに恐ろしい。

「一万ってどれくらいなのだ?」
「あー……。 とにかく一杯ってことだ。 とにかくお前は愛紗か美生に数字でも教えてもらえ」
「うっ……。 鈴々、数字は苦手なのだ……」

ホントにこいつはこと戦に関しては戦うこと以外に興味が無い奴だな。

「とは言っても一応援軍の目処は立っているし幾つかの対策は立てているつもりだから多少は安心してくれ」
「多少という辺りに不安が残るんですが……」
「とりあえずここに集まっている皆に頼みたいことは二つだ。 まずは女子供の避難の準備、そして他の街への兵の徴兵。 とりあえずはこれだけはどんなことがあっても必要だからな」
「徴兵とは言っても我々にそんな権限は……」
「確かに今回狙われてるのはこの街だが、次に襲われるのは別のところだ。 これは決して他人事じゃないんだよ。 とりあえずこの前申し入れしてきたところの資料を渡しておくからまずはそこへ行ってくれ」

リストアップした街の名前が書かれた紙と、地図に印をつけたものを簡雍に渡す。
彼は前の黄巾党との戦いでも部隊の一つを任せたこともあり、この街の衆の中でリーダー格についている。
現在は警邏隊以外の非常時の兵の管理を任せている。

「簡雍、後十人ほど選出して徴兵に向かえるようにしておいてくれ」
「分かりやした」
「で、他の皆は分担して街の皆に避難の用意をするように勧告する者と、戦の用意をする者に分かれて行動してくれ」

とは言ってもここまで大雑把だと分けづらいので更に細かく分ける。

「まず避難勧告には俺の隊を、戦の準備は鈴々の隊に任せる」
「分かったのだ!」
「で、街の修繕班は家屋の修繕を一時中止して城塞のほうを集中的にやってくれ。 これが出来なければ守るものも守れないからな」
「直ちに」
「暫くした後に隊長には軍議の召集があるから、それまでに出来る限りのことはしておいてくれ。 以上!」

解散を命じると皆すぐさま自分の持ち場へと戻っていった。
そうして残されたのは俺と鈴々のみとなった。

「さて、鈴々。 というわけだからお前は愛紗と合流して作業にあたってくれ」
「むーっ。 鈴々だけじゃ不安なのかー?」
「ああ、不安だ」

はっきり認めるなー! と駄々をこねる鈴々を片手で宥めながらさてどうしたものかと考える。
今回の戦、正攻法ではまず勝機はない。
となれば公孫賛の援軍に望みを託すしかないのだが、その相手がやって来るまでにどれ程かかるのか。
即日駆けつけてくれるというわけにもいかないだろうし、多く見積もって二週間は持ち堪えなければならない。
二週間もの間、ここで張宝の攻勢を凌げるか?
素人考えとは言えここでは否と考える。
城塞があるとはいえ首都に作られるほど堅固な作りでは無い上に十分な兵を配備出来ない今、本来の防御能力を発揮出来る筈は無い。

「さて、どうしたもんかな……」

ここに名軍師みたいな人物がいればきっと起死回生の策を思いついてくれるんだろうが……。
鈴々は直情戦闘バカだし、愛紗は確かに文武両道であり頭が切れるが正攻法を得意とする為か奇策などは考え付かない。
美生は……そもそも戦いに縁遠い人物だし。

「奇策……奇策ねぇ」
「何をそんなに頭をうならせてるのだ? 早くいかないと皆待ってるのだ」
「そういやそうだった。 それじゃあまた後でな」

とりあえずここでじっと考えていても仕方ない。
今は自分の仕事をしなければ。
頬を叩いて気を引き締めると、小走りで自分の隊が待っている場所へと走っていった。





数刻後、再び美生の執務室に集まった頃には日がそろそろ落ちようかという夕刻時だった。
この頃になると街の皆にも現在の状況が知れ渡り、慌しく動き回る音がそこかしこから聞こえてくる。

「現在上谷郡の協力はなんとか得られました。 明日には代郡、広陽郡にも援助を請いに行こうと思いますがこれも大丈夫だと思います」
「ここが破られれば他人事ではないからな。 下手をすればここを足がかりに自分達の所にも手を伸ばされかねない」
「とは言っても千の兵と、物資の援助程度しか承諾してはもらえませんでしたが……」
「それでも十分です。 今は猫の手も借りたい程なのですから……」

ちなみに劉備が公孫賛宛に出した手紙は遼西郡まで早馬を使っても五日はかかるという。
これで援軍が来たとしてもやはり二週間近くはかかるということだ。

「作業に当たっている者の報告では、城塞の方は報告通り明後日には問題ない程度には修復出来るかと」
「避難勧告も完了した。 装備の方は全員分揃えてある」

これで今のところの戦の準備は粗方終わったというところか。
しかしここに集まっている全員の顔は鈴々を除いて浮かないものだった。

「くそ、いっそ逃げられれば俺達の命だって助かるのによ……」
「馬鹿野郎! 俺達がなんで戦ってるのか忘れたのか!?」
「でもよ、こんなの勝てるわけないって! 相手はどれだけいるのかも分からないってのに!」

そんな重い空気に耐え切れなくなったのか、一人の男が弱音を吐いた。
それを諌めようと簡雍が怒鳴るが、却って動揺は広がっていき、俺や愛紗達を除いた全員が騒ぎ始める事態となった。

「ええい、お前達静かにしないか! ここで騒いでも何も始まらぬぞ!」

愛紗もついに堪忍袋の緒が切れたのか怒声を放つが、周囲の声も同じくらいに騒がしいので全員の耳に届かなかった。
鈴々もその隣でいい加減にするのだー! と叫んでいたが気を荒げている皆には馬耳東風といった所だ。
ついに愛紗が実力行使で黙らせようと青龍偃月刀を手にした。

「ちょ、こんな狭い部屋でんなもん振り回したら俺も危ないだろうが!」
「離せ一刀! こやつらを黙らすには一度殴らねばならんのだ!」
「おま、それ殴るもんじゃなくて薙ぎ払うものだろうがー!」
「──皆さん、お静かに」

そんな騒ぎの中、美生の一言だけで全員が揃って黙った。
決して大きな声ではない。
しかし決して逆らえない空気を纏った一声は全員の耳に何故か届いていた。

「あ、姉上……」
「にゃー、姉様すっごい怖いのだ……」
「ここで問答を繰り返した所で相手が待っていてくれるわけではありません。 私達がすべきことは何ですか? 答えてみなさい!」

ギラリ、と最初に弱音を吐いていた男を睨みつけながら問いつける。
そんな美生の視線に気おされたのか、男は背筋をこれでもかと伸ばして口を開く。

「こ、この街と民を守ることです」
「分かっているのならばその為にどうすればいいかを考えなさい。 私達の肩にはこの街の人だけでなく、他の街の者の命も掛かっているのですよ」
「は、はい……」

うお、怖っ。
有無を言わせない言葉に、今まで殺気立っていた奴らも直立不動で聞いていた。

「なんか美生が半端なく怖いんだが……」
「私もあんな姉上を見るのは初めてだぞ……」
「あれか、普段穏やかな奴ほど切れると怖いってことなのかこれは」
「──愛紗、一刀さん」
「は、はい!」
「なんでしょうか姉上!」
「まずは街の人たちの安全の確保からするようにして下さい。 その為に、幾つか避難民を受け入れてくれそうな街を調べて後日交渉出来るように」

そう言って美生が一息つくと、さっきまでの張り詰めた空気は嘘のように消え、直立不動だった者達も肩の力が抜けたように安堵の溜息をついていた。
そんな皆の様子を見て、自分が今何をしたのか自覚したのか美生の頬が赤く染まる。
どうやら自分でも知らないうちにやっていたらしい。

「と、とりあえずそういうことですから、後の事は皆さんに任せます。 戦については私は門外漢ですので……」
「でも美生は私塾に通っていたんだろ? それなら全くの無知ってことはないだろ」
「わ、私はどちらかというと内政の勉強をしていましたから……。 兵法のことなら愛紗のほうが詳しいですし」
「ならその兵法に詳しい愛紗に聞くか。 どうすればいいと思う?」
「そうですね……。 今の状況では篭城以外に手立ては無いと思われますが……そうなると援軍が来るまで持つかどうか」

問題はやはりそこなのだ。
こちらが街に篭りっぱなしでは相手に手が出せないままじりじりと削られるだけになってしまう。
かといって街に出てしまえば数にまかせてあっというまに制圧されてしまう。
犠牲を承知で撤退戦をするという選択肢もあるが、それでは周囲の街にも被害も出てしまうだろう。
いっそのこと黄巾党の奴らをどこかに閉じ込められれば楽なんだけど。
まぁ、そんな場所があるはずがないし、どうやってそこへ黄巾党の軍勢を誘い出せっていうんだ。

「あれ……?」

そういえば三国志の話で今と似たような状況の話を何処かで見たような気がするんだが。
あれは確かどこだったか……。
そういう搦め手といえばやっぱり諸葛亮だよなぁ。
諸葛亮、諸葛亮……。

「……!」

思い出した。
……もしかしたらこの手ならこの少ない兵力でも黄巾党の軍勢を押さえ込めるかもしれない。
しかし、今思いついたことは愛紗達にとっては荒唐無稽な話だ。
それを信じてくれるかどうか……。

「なぁ、一つだけいい作戦思いついたんだけど聞いてくれないか?」
「なんだ、やぶからぼうに。 躊躇せずに言ってみればいいだろう」
「いやぁ、余りにも無茶苦茶だから怒られそうで」
「言う前から怒ると決まった訳ではあるまい。 言ってみろ」
「んじゃ言うぞ。 ……この街を黄巾党の奴らに奪わせる」
「お前は馬鹿か!」
「ほらやっぱり怒ったじゃねぇか!」

しかも胸倉まで掴んで今にも殴られそうな勢いだ。
助けを求めようと美生の方を向くが、こちらもこちらで正気を疑うような目で見られた。
無意味と思いつつ今度は鈴々の方にも顔を向けるが、こっちは愛紗と同じく怒りの表情でどういうことなのだーとか叫んでいた。
予想はしていたとはいえここまで反発されるとは……。

「ちゃ、ちゃんと考えがあるんだって! とりあえずはこの胸倉を掴んでいる手を離して欲しいんですがっ!」
「……これでくだらないことだったら今度こそお前をこの青龍偃月刀で切り刻むぞ」
「い、イエスサー」

偃月刀を首元に当てながら脅される。
これは本当に下手なことを言ったら首と胴がオサラバしかねない。
俺は慎重に言葉を選んで皆に説明する。

「まず問題なのは公孫賛が援軍に来てくれるまで如何にして張宝を押さえ込むかってことだ。 ここは分かるよな?」
「当然だ」
「んで、俺達には篭城して凌ぎ切る程の力は無いし、かといって打って出たとしても数の差で押し切られるのは明白」

ここまでは今ここにいる者達全員が分かりきっていることだ。
だからこそより生き残れる可能性の高そうな篭城を選ぶのが定石と言えば定石なのだが。

「で、ここで逆転の発想。 逆に相手をこの街の中に押し込めておいて篭城戦をさせるんだ」
「……は?」
「えぇっと、一刀さんそれはどういうことですか……?」
「つまり、奴らをこの街におびき寄せて閉じ込めるってことだよ」

先程俺が思い出した戦い。
それは長坂の攻防とも呼ばれる戦いの一つ、新野城での諸葛亮の策だった。
あの時、諸葛亮は数で圧倒的に勝る曹操の軍に対抗するため、わざと城を空けて相手の油断を誘い奇襲を仕掛けたという。
残念ながら俺には敵を奇襲した後の一連の相手の動きの予測など出来ない。
だが相手を倒すことは不可能だが押さえ込むぐらいならばなんとな出来るだろう。

「もちろん、それ以外にも相手をこの街に縛り付ける策はちゃんと考えてある」

これは卑怯を飛び越えて卑劣な一手なので、ここで正義感の強い愛紗達に聞かれれば荒れるだろうから黙っておく。

「ついでに、張宝が率いる軍の為に補給も来るだろうからこれも叩く。 そうすれば食料も手に入るし、相手は逆に兵糧攻めに出来て一石二鳥ってわけだ」
「確かにそれが本当ならばやらぬ手はないが……」
「ふざけんな! 俺達の街を囮に使おうってのかよ!」

今度は簡雍が俺の胸倉を掴んで怒鳴りかかってきた。
更にこちらは弁明も聞く気はないようで拳を振りかざしてくる。
もちろん、俺もただ殴られる訳にはいかない。
こちらの相手の襟元を掴み、一気に懐に潜りこんで背負い投げの要領で簡雍を思いっきり床に叩きつけた。

「がは……っ」
「落ち着け。 気持ちは分かるけど何も聞かずに殴りかかってくるのはこちらとしても遠慮してもらいたい」
「て、手前ぇ……!」
「一刀さん!」
「……確かにあんた達がこの街を守る為に戦ってるのは分かる。 でもよ、その為に皆が死んじまったら元も子もないんだぜ?」

……もしかしたら公孫賛の援軍は来ないかもしれない。
美生にとってそれは万が一にもありえないことなのかもしれないが、それは危惧しなければならない事だ。
そうなれば間違いなく俺たちは殺される。

「ここで真っ正直に戦っていればここの奴らは全員あの世で顔を合わせることになる。 なら、俺は臆病だとか卑怯者だとか罵られようとも生きる道を選ぶ」

生きていれば次に繋ぐことが出来る。
次に繋いでいけば美生達が目指しているこの地の平定だって不可能では無いかもしれない。
その為ならば、俺はどれだけでも生き恥を晒したっていい覚悟がある。

「俺は、道徳だとか正義とかなによりも、皆に生きていてもらいたいんだよ!」
「お前……」
「……ったく、柄にも無いこと言っちまった。 今の台詞は忘れてくれていい。 とりあえず俺の案はこれだけだ」

皆に生きてもらいたいとかなんつー恥ずかしいこと言ってるんだ俺は。
そういうのは美生の管轄だろ……。
ついつい激情に駆られて要らないことまで言ったが、少なくともそれが俺の本心だった。

「お兄ちゃん、今の言葉すっごくカッコよかったのだ!」
「よせよ、鈴々。 あんな台詞で褒められたら背筋が痒くなるぞ」

苦笑気味に鈴々の頭を撫でる。
さっきまでは街を囮にするという俺の策に憤っていた筈なのに、今は純粋に俺のことを褒めてくれている。
そんな天真爛漫さに心癒される。

「……くそ、そんな事言われたら何も言い返せねえじゃねぇか! 俺はあんたの策に命を掛けてやる! だけどこれが上手く行かなかったら地獄の果てまで追いかけてやるからな!」
「簡雍……」

観念したように腕を組んでその場に座り込んだ簡雍は、もうどうとでもしてくれといった感じに俺の策に乗ってくれた。

「一刀さん、私は……」
「……美生、お前の考えからしたら俺の考えは愚かかもしれないな」
「いえ。 一刀さんのほうが正しいのかもしれません。 人がいれば街はいくらでも直すことが出来ます。 私が守りたいのは民の命であって建物では無いのですから」
「姉上がそう言うのであれば私が反対する意味も無い。 それにお前は前の黄巾党との戦いの実績もあるしな」

美生と愛紗も賛同してくれた。
そうなると他の者も頷くしかない。
次々に頼んだぞ、といった台詞と共に
ここまで信じられちまったら、失敗なんて出来ないな……。

「俺はただ策を一つ言っただけなんだけどなぁ……。 なんで皆の命を背負うような羽目に」
「ぶつぶつと愚痴を叩くな。 さっさと皆に指示を出せ、責任者」

ああもう、どうとでもなれだ畜生め!

「それじゃあこれから皆に張宝を策に嵌める為の用意をしてもらうぞ! 簡雍は今日と同じように他の郡に援助の要請を。 ついでに避難民の収容も頼んでおいてくれ」
「はっ」
「愛紗には簡雍の残りの兵と自分の隊を使って街から離れた場所に陣を張ってくれ。 張宝との戦いではそこが本陣となるからきちんとやってくれよ」
「任されよう」
「鈴々は残っている兵糧を愛紗の張る陣へと運ぶように」
「合点しょーちなのだ!」
「俺の隊は斥候としていつでも張宝の軍が来てもいいように見張りを立てる」
「では、そのように配備いたします」
「城塞を修復していた者は引き続き作業を続けつつ、正門と俺達が逃げる門以外のところを全て抜け出せないように塞いでおくように」
「了解!」
「美生も、それでいいな?」
「ええ、お願いします」

ここでの最高権力者である美生の承諾を得れば後は事を進めるのみ。

「それじゃあ皆、頼んだぜ!」

さぁて、ここで上手く策に嵌ってくれれば敵は街に閉じ込められて数の利を奪われこちらが有利になる。
しかし、策が外れれば守るべき城塞の無い陣にいる俺達は数に押し切られて一巻の終わり。
のるかそるか。
さぁて、今から北郷一刀一世一代の博打劇の始まりだ!