あの戦いから一週間。
黄巾党を退けた俺達は、今度は街の復興に全力を注いでいた。
なにせ半数以上の家を焼かれ、食料だって十分な量は残されていなかったのだ。
このままでは生活するのもままならない状況だったのだが、皆の頑張りもありなんとかやっていけそうだ。
関羽が言うには、美生が率先して指導に当たっているかららしい。
普通、上に立つものというのは命令をするだけで後は下のものにやらせることが多い。
前の県令もその例に漏れず、自分だけ楽をして仕事は部下や村人にやらせていたらしい。
でも、美生は違った。
自分から予算に目を配ったり、他の街からの援助を要請するために自ら出向いたり精力的に活動していた。
それ以外にも炊き出しを手伝ったり、介護が必要な人たちの治療にも励んでいた。
今までの県令と違い、ちゃんと自分達を見てくれる美生に村人も呼応して、結果復興は順調に進んでいる。

「よーし、一旦休憩だ! 皆、ちゃんとご飯食べろよー!」

ちなみに、俺はというと壊れた家などの修復の陣頭指揮に当たっていた。
とは言っても殆どの仕事は職人の人がやるし、実質の仕事はお手伝いに等しい。
ぶっちゃけ、お飾りのトップだったりする。
とは言っても街中の家を直すのだから、その人員はかなりの数だ。
それを纏める為に、指揮を取る人は必要なのだそうだ。

「ダンナァ! 一緒に食いに行きやしょうぜ!」
「劉備様の飯は早く行かないと無くなっちまいますからね。 さっさと行きましょう」

ちなみに、前の黄巾党との戦いで俺の部隊だった人たちも一緒だった。
そのせいなのか、修復に当たっていた人たち全員の俺に対する呼び方がダンナに固定されていた。
……最早諦めるしかない。

「悪い、俺はこれから鈴々の所に行かなくちゃいけないから」
「そうですかい。 じゃあ、俺達はお先に」
「張飛のお嬢さんによろしく言っておいてください」

昼食を取りに向かう皆と別れて、一人鈴々が待っている城門に向かう。
鈴々が任されているのは、街の外の警邏だ。
黄巾党を倒したといってもそれはごく一部でしかない。
何時別の黄巾党の軍がここを襲ってくるのか分からないのだ。
だから、こうして俺達は街の外に出かけてパトロールの仕事をしているわけなのだが。
武将としての実力はピカイチだが、戦い以外のことはまだまだ未熟な鈴々にはぴったりの任務と言える。
いや、嫌味でもなんでもなく。
人には向き不向きというのが存在するのだ。

「さぁて、頑張りますか!」

今の俺は、凄く充実していた。
この世界での生活は学校生活とは違って、自分が今何をすべきかというのを常に考えさせられる。
ただ望めばなんでも手に入る元の世界とは全く違うのだ。
最初はそれが不憫だとも思ったが、慣れればそんなのは気にならなくなった。
むしろ気に入り始めていたほどだ。
こうして皆で協力し合って生きていくということに、俺はこんな生活も悪くないって思う。
だから、今はこの街を守るために全力を尽くそう。
誰に命じられたわけでもない、俺の意思で。











05【新たな明日に】











今日は、黄巾党との戦いがあった場所を中心に見回ることにした。
全域をカバーするにはまだまだ人数は足りないが、部隊を幾つかに分けてなるべく広範囲を索敵出来るようにしている。
その総数は前回の戦いと違って五百人しかいないが、これでも街の人員を多めに割いてもらっているほどだ。
贅沢は言っていられないし、どちらも大事な仕事なのは皆分かっている。

「ふむ……この地域は異常なし、と。 鈴々、お前んとこはどうだった?」
「全然大丈夫だったよ。 人の気配なんてなかったし、イジョーナシなのだ」

鈴々の報告を受けて、地図の一部に○を付ける。
こうして印を付けてまだ見ていない地域を確認出来るようにしているのだ。
死角がないとは言い切れないが、これで少しは効率的に出来るはずだ。

「あの後から一週間……。 このまま何事も無く平穏に過ぎてくれればいいんだが……」
「鈴々はつまらないのだー」
「……物騒に蛇矛を振り回しながら言うな」

実際、戦いが無くてうずうずしているのだろう。
矛を振るう機会はと言えば、警邏隊との訓練ぐらいしか無いし。

「姉者も忙しくて一緒に訓練してくれないし、姉様も出掛けっぱなしだから、鈴々退屈なのだ」
「しょうがないだろ、二人とも忙しいんだから」

美生は復興の為に色んな所に顔を出しているし、愛紗もその補佐の為に美生と一緒に出掛けることが多い。
結果、鈴々が二人と会う時間はかなり少なくなってしまっている。
こうして俺とは頻繁に顔を合わせているわけだが。

「むー……」
「ほら、さっさと別の地域の見回り行くぞ」

不満げな鈴々の頭を撫でてやり、地図を見ながら別の地域に向かおうとした矢先に、前方から一頭の馬が全速力で走ってきた。
あの馬は、確か部隊間の連絡を行うために配備されたものの筈だ。
ということは、別の部隊に何かあったのか。

「報告! ここより離れた森林付近にて、黄巾党らしき人影を発見したとのことです!」
「相手の規模はどのくらいだ?」
「それが、見かけたのは数人ほどだけで……。 恐らくはどこかで陣を張っているかと」
「分かった。 全部隊を集めてすぐに向かおう。 あんたは他の部隊にこのことを伝えて集合するよう急いで向かってくれ」
「了解!」

俺の命令を受けて、再び砂煙を上げながら走り去っていく連絡兵。
……やっぱり見逃してはくれないみたいだな。
さて、どうしたものかと考えていると、隣にいた鈴々はやけに張り切っていた。

「ついに鈴々が大暴れする時がきたのだ……!」
「……頼むから張り切りすぎて一人で突っ走らないでくれよ」

鈴々の場合、ありそうで怖い。
残念ながら止めに入ってくれる愛紗もいないし、俺がなんとかしないといけないのか……。
だが、無いものねだりをしていても仕方ない。
とりあえず黄巾党の対処を考えなければ。

「もー、なにをぐずぐずしてるのだ。 早く行って黄巾党の奴らを蹴散らしに行くのだっ」
「いや。 俺達はすぐには奴らと交戦しない。 そもそも相手の規模も分かってないんだぞ」
「だからといってここで考えてても何も始まらないのだ!」
「……まずは皆と合流しよう。 黄巾党を見つけたという人の話を聞かないとどうしようもない」

息巻く鈴々を宥めながら、これから始まるであろう黄巾党との戦いを考える。
狙いはほぼ確実に俺達の街であることに間違いは無い。
下手をすると前回と同じ規模の黄巾党が潜んでいる可能性がある。
……ここは慎重過ぎて損をするということは無い。

「北郷様、各地域の警戒を行っていた部隊全て集合完了しました」
「分かった、直ちに対策を考える。 発見したと言っていた部隊は?」
「既に待機しています」
「よし」

今、街に戻って応援を頼む時間は無い。
ここで後手に回れば街にまで被害が及ぶ可能性がある。
そもそも外壁の修復も済んでいないこの状況では、街の中にいる人にも被害が出てしまう。
それだけは絶対に防がなければ。

「行くぞ、鈴々。 俺達だけでなんとしても黄巾党を倒す」
「がってんしょーちなのだ!」






「……つまり、見たのは斥候と思わしき数名ぐらいなんだな」
「はい。 本隊は確認出来ませんでしたが……」
「いや発見できただけでも十分だ。 ……それにしても森にか。 妙だな」
「妙ってなにがなのだ?」
「確かに、森林は気づかれずに進軍するには最適かもしれない。 でも、あそこは大部隊で通れるほど開けてもいないし、そもそも街まで距離がありすぎる」

ならば、わざわざ進軍速度が遅れる森林よりも、荒野から進んできたほうが効率的だ。
だとしたら何故敵は森にいるのか。

「敵が、行動を開始する気配は?」
「今のところは何も。 どうやら休憩を取っているようで」
「……」

相手の数が分からぬ以上、下手に突撃するわけにもいくまい。
もしも相手の数がこちらよりも圧倒的に上回っていたとしたら、俺達はあっというまに殺されるだろう。

「……そういえば、気になったことがあるんですが」
「なんだ、言ってみろ」
「いや、近くに川があったからなんでしょうが、やたらと馬の嘶きが沢山聞こえたんです」
「馬……?」
「元々、自分は馬を扱って商いをしていたんですけどね、馬というのは糧秣をかなり消費するんです。 それに乗り手も騎兵ともなれば普通の乗馬とは違う技術が要求されます」
「それだけの技術を持つ者は黄巾党の中にはあまりいない、と?」

確かに前の戦いで馬に乗っていた者は殆どいなかった。
それが前の作戦が上手くいった要因の一つではあるのだが、殆ど最初の奇襲で馬が驚いて逃げ出したということもあったのだ。
あの時は敵を倒すことで頭が一杯で馬のことなど気にする余裕も無かったが……。

「……どちらにせよ、黄巾党にしては奇妙な感じだな」

これが普通の軍ならば納得出来る。
この時代、馬というのは貴重な機動力だ。
その突破力は、歩兵とは比べ物にならない。
だが、黄巾党のようにその殆どが兵役の経験が無く、平民だった人々の集まりの彼らとなれば話は別だ。

「で、お兄ちゃんはどうするのだ?」
「そこなんだよなぁ……」

ここで愛紗ならスパッと良い案を出してくれそうな気がするんだが……。
いや、彼女に頼りっぱなしなのも男としては情けない。

「とりあえず、この人数でやれることをやろう。 黄巾党の予想進路は分かるか?」
「あそこには道が一つしかありませんし、馬が通れるような場所はそこしかないでしょう」
「なら、俺達はそこで隠れて待ち伏せする。 挟み撃ちに出来るといいんだけど、なんか丁度良い場所は無いか?」
「それならば一箇所心当たりが……」
「なら早速行動に移そう。 さぁ鈴々、これから忙しくなるぞ」

伏撃の手はずを整えると、すぐさま全軍に出発を告げる。
相手が何時動き出すか分からないし、相手に気づかれぬように配置につく必要もある。
ここからは速度が命だ。
このままのこのこ進んでうっかり相手と鉢合わせでは目も当てられない。
美生達への連絡のため、一応早馬を走らせはしたがこの調子では戦闘に入る前に応援が来ることはまず望めまい。
この戦い、俺達だけで勝たなくちゃいけない。
前に比べれば数はあまりにも少なく、握った手の中からジワリと汗が出てくる。
こちらの数は少なく、相手の全容も分からずに、しかも訓練をしてきたとはいえまだ一週間しか経っていない未熟な兵ばかりだ。
……この前の戦いもそうだったが、今も不安で胸が押し潰されそうになる。
しかし、上にいる者が不安な態度を取るわけにもいかないので、表には決して出さない。
深呼吸を三度繰り返し、心を落ち着かせる。
大丈夫だ、きっとなんとかなる。
今は、そう信じるしかない。






待ち伏せのポイントには半刻ほどで到着した。
森の中でも起伏があり、道からは見え辛く、上からは監視しやすい場所であり、道自体が狭く挟撃には最適なポイントと言えた。
何故こんな場所を知っていたのかと聞いてみれば、この周辺は木材を作るためによく通っていたという。
なるほど、職業柄この辺りの地形はよく知っているという訳だ。
地の利というのは相手からアドバンテージを奪う大事な条件の一つ。
特に後手に回るこのような迎撃戦では、少しでも自分側に有利な条件下で戦うことは定石である。

「……」

休憩だとしたら恐らく一刻程の時間だろう。
長すぎれば兵の士気が削げられ、短すぎれば体力が削げられる。
ここに来るまで半刻過ぎ。
黄巾の軍が来るのはもうそろそろだろう。
敵に見つからないよう、全員に声を出さないよう伝令を出しているため、周りは静寂そのものだ。
風が葉を揺らす他には、それぞれの息を吐く音が小さく聞こえるのみ。
その殆どの息は荒く、緊張していることを主張していた。
無理も無い。
その殆どが兵役の経験の無い者ばかりである。
先日一度戦いを経験しているとしても、この恐怖に抗うにはあまりにも足らな過ぎた。
声が上げられればどれだけ良かっただろうか?
前の戦いのように大声を張り上げることは、恐怖を振り払うには最も有効な行為だ。
己を鼓舞し、奮い立たせることは大事なことだが、今はそれが許される状況ではない。
耐えなければならない。

「……っ」

だから、静まれ俺の心臓。
震える脚を、腕で抑える。
目を瞑り、刀の感触だけに集中する。
大丈夫、自分を信じれば良い。
勝てるというイメージだけを思い描く。
息が整い、震えが止まったのを確認して、ふと隣の鈴々に視線を送る。

「ぅー……」
「……」

鈴々はと言えば、緊張の欠片も無くこれから始まる戦いに我慢が出来ないようだった。
子供ならではの図太さというか、彼女自身の性格のなせる業なのか。
少なくとも先程まで緊張していた自分が馬鹿に思えてきそうだった。

「……? 何なのだ?」
「……いや、なんでもない。 それよりちゃんと前を見てろよ」

皆もそんな泰然とした鈴々の姿に触発されたのか、若干張り詰めた空気が和らぐ。
そうして暫くすると、遠くから馬の蹄の音が聞こえてきた。
それもかなりの数だ。
一気に周囲の空気が引き締まる。

「敵を十分引き付けてから横合いから強襲する。 狙うのは馬だ。 落馬させて相手の士気を挫く」

突撃が早すぎれば騎兵の餌食になり、遅すぎればそのまま機動力の差で街まで行かせてしまう危険性が生まれる。
重要なのはそのタイミング。

「突撃の合図はこちらでする。 合図を出したらまず弓兵が敵に対して斉射一回。 正確に狙おうとしなくてもいいから、とにかく馬の足を止める」

元々こちらの弓兵の数は微々たるものだ。
弓というのは扱いが難しく、一朝一夕で容易く使えるものではない。
一週間の訓練でようやく弓を引いて矢を射ることが出来るようになったぐらいだ。
そもそもそんな状態で狙いを定めろというほうが無茶な注文だろう。

「その後弓兵は後退、残りの全員で突撃を仕掛ける。 後は前と同じくなるべく一対一は避けるように。 いいな?」

声を出さずに頷く皆。
それを確認したところでようやく敵の姿が視認出来るようになる。
向かってくるのは全員馬に乗っているようで、頭には黄巾党の一員であることを示す布を頭に巻いていた。
確認できるだけで規模は約六百、僅かに相手のほうが数では上回っている。
だがそれはまだ不利と呼べる範囲だ。
この程度の差ならばどうとでも出来る。
黄巾党の軍はこちらに気づく様子もなく徐々にこちらとの距離を縮めてくる。
……残り約五百と言ったところか。
手を挙げて、合図の用意をする。
それに呼応して、弓兵が前に出て弓を構えて斉射の準備に移る。
後四百。
鈴々の闘気がヒシヒシと伝わってくる。
鈴々は突撃の一番槍である。
彼女なら例え相手が馬に乗った相手でも問題無く倒せるに違いない。
この中で最も心強い味方だ。
敵との距離、三百。
気づく様子はまだ無い。
中腰になり、すぐにでも走り出せる体勢に切り替える。
左手で鯉口を切り、すぐさま抜けるようにする。
二百、接敵まで後数秒。
深呼吸を一回。
浮き足立たないように逸る気持ちを抑える。
百を切った。
出来るだけギリギリまで敵を引き寄せる。

「……今だ、斉射ッ!」

その声に弾かれるように矢が放たれる。
命中を確認する暇も無く次の行動に移る。
ここで悠長に構えて時間を浪費する余裕は無い!

「弓兵下がれ! 総員突撃ィ!!」

命令を出す前に先に走り出していた。
坂を一気に下り、敵の下へと疾走する。
矢がきちんと命中したらしく、黄巾党の軍は動揺しているようだ。
何十頭の馬が嘶きを上げて暴れ出す。
その周りに居た馬も触発されて手綱の制御から外れていく。
この時点で落馬した者を確認し、なお走る。

「おおぉぉぉ─────ッ!」

雄叫びを上げ、恐れを振り払う。

「にゃにゃにゃにゃーッ!!」

そして併走しているのは鈴々だ。
命令を出す前には既に走り出していたというのに、どうやら鈴々も同じタイミングで走り出したらしい。
そしてそれに続くように後ろから走ってくる皆の声が背中を震わせた。

「て、敵襲だ! 全員迎撃体勢を……!」

今更こちらに気づいた敵の指揮官が命令を飛ばそうとする。
しかし、そんな暇を与えるほど俺は甘くない。
声がした方を確認し、方向を修正。
そのまま接敵する!

「しっ!」

呆然とこちらを見ていた敵の一人に狙いを定めて勢いのまま跳躍。
その鼻っ柱に思いっきり刀を叩き込む。
鼻骨が折れる感触が伝わり、相手が鼻血を撒き散らしながら馬から崩れ落ちる。
残念ながら殺傷能力に欠ける俺の刀に馬を狙える程の性能は無い。
出来ることは兵を直接狙うだけだ。
だが、それだけで十分!

「……!」

着地と同時に、今度は別の敵に標準を定める。
刀は使わず、振り返る勢いを利用して馬の腹に全力の回し蹴りを見舞う。
悲鳴を上げながら暴れる馬から落ちる敵の姿を確認し、更に走る。
背後でもつれ合うように馬が衝突し、倒れた馬の下敷きになった者の悲鳴が聞こえる。
周りでは数瞬遅れて接敵した味方が戦う音が響いている。

「てりゃー!」

そして俺と同時に突撃した鈴々はと言えば、自慢の蛇矛を振り回し、馬ごと敵兵を薙ぎ払っていた。
振り回した蛇矛が敵の肩を切り裂き、胴まで届き、それでも足らぬと馬まで切り裂いていく。
なんという剛力だ。
例え幼い少女の姿をしていようと、彼女の名は張飛翼徳。
その名に偽りは無く、一騎当千の戦いぶりと言えるだろう。

「……少なくとも俺にあんな派手な戦い方は無理だな」

戦いの中にあるというのについ苦笑してしまう。
だが、決して油断はしない。
体勢を立て直した敵が一騎、こちらに槍を構えて向かってきていた。
だがこれにまともに付き合う道理は無い。
そのまま足を止めずに走り続ける。
敵がこちらの頭を狙って刺突を繰り出してきた。
それをぎりぎりのところでかわし、すれ違いざま槍の柄を思いっきり引っ張ってやる。
片手で手綱を握っていた相手は容易く綱から手を離され肩から思いっきり地面に叩きつけられる。
馬の速度が加えられているとはいえ所詮は素人、狙いなど簡単に見切れる。
最低限の敵を相手にし、黄巾党の軍の中枢へと駆け抜ける。
狙いはただ一つ敵の指揮官の首だ。

「邪魔だ!」

脛を狙って刀を振るう。
寸分違わず叩き込まれた刀は敵の骨を砕き、痛みに気を取られた敵を馬から崩れ落とす。

「な、何をしている! とっとと奴らを殺せ! 相手はただの農民だぞ!?」

動揺しているのか、上擦った声で命令を飛ばす男。
先程と同じ声だ。

「見つけたぜ……」

気づけば獰猛な笑みを浮かべていた。
敵の頭と狙いを付けたが、先日の戦いで軍を率いていた者と違い相手はこちらを見て竦みあがっている。

「はっ、この根性無しめ……! 俺は劉備が懐刀、北郷一刀! やるってんなら容赦はしないぜ?」
「こ、この……!」

流石に敵の指揮官の周りは守りが厚い、が相手は騎兵ばかり。
馬の強みはその機動力、突進力であるのにこう密集していては逆に身動きがとれまい。

「お兄ちゃんに続けー! とっかーんっ!」

更に後ろでは敵をあらかた蹴散らした鈴々が味方を集結させてこちらに向かっていた。
血煙を上げながらこちらに猛スピードで迫る少女の姿を見て、ついに指揮官が怯え出す。
もちろん、その隙を見逃す筈が無い。
間合いを一気に詰めると、敵に武器を構える余裕も与えずにその足をがっしりと掴む。

「ちぃええぇええい!」

そのまま、足を一本背負いの要領で投げ飛ばす。

「ひ、ぎゃっ!?」

蛙が潰されたような声を上げて地面に叩きつけられた指揮官は槍も手放して完全に戦意喪失状態だった。
刀を納刀し、歩いて近づく俺の姿を見ると後退りながら助けを乞っていた。

「た、助け……!」
「悪いなぁ、こっちも戦いなんで、な!」
「が……っ!」

思いっきり右肩を踏みつけて身動きを取れないようにして、無防備な顔面に拳をぶち込む。
激痛にあっさりと意識を失った指揮官を確認すると、周りに激を飛ばす。

「敵の指揮官は破った! 後は残兵を蹴散らすだけだ!」

その一声に味方の士気は上昇し、逆に敵の士気は見る間に下がり逃げ惑う兵が出始めていた。
……これで詰みだ。
頭を失い統率を無くした兵が辿る末路は敗北しかない。
戦いはそれから十数分ほどで終わっていた。
その後無事な兵を集め、すぐに負傷した兵の応急処置を始める。

「被害は?」
「……三十人ほどやられました。 重軽傷者に至っては百人単位になりますが」
「三十人か……。 覚悟はしていたとはいえ、つらいな」
「お兄ちゃんは出来る限りのことをやって被害を最小限に抑えたのだ!」
「その通りでさ旦那。 もっと自分を誇ってください」
「……ああ、そうだな」

だけど、死んでいった者を被害と一括りに纏めるにはまだ心の整理がつかない。
決して無傷で勝てるなどと夢物語を期待していたわけではない。
畜生、まだまだ甘いということか。

「敵は?」
「十数騎ほど逃げたものがいましたが、後は全て倒しました」
「生きている者は全員捕縛して街に連れて行く。 すぐに縄を掛けてくれ」
「はっ!」

周りを見れば人や馬が血塗れで倒れていた。
俺達の服も血で所々が赤く染まり、血の濃密な香りが漂っていた。

「一応は勝ったが……、やっぱり腑に落ちないな」
「なにがなのだ?」
「結局戦った黄巾党は全員騎兵だった。 普通こんな編成おかしいだろ?」
「んー……そうかなぁ?」

武には秀でていてもまだまだ子供の鈴々には軍の運用などというものはあまり考えたことが無いのだろう。
だが、師である祖父から幾つかの兵法を教えられ、愛紗に今の時代の軍の知識を覚えさせられた俺は違和感を感じていた。
最初はこいつらは単に町に侵攻しに来ただけだと思っていたが本当は別の目的があったのではないか?
そんな疑問がふと頭に過ぎる。

「……とにかく負傷者を運ぼう。 詳しい話は捕まえた兵から聞けばいいさ」

戦いは終わった。
今はとにかく一刻も早く街に帰りたい……。
でもまだまだ帰った後も休む暇はあるまい。
そんなことを考えながらこれから待っている仕事の山につい溜息を付いてしまっていた。






「……ほう、負けたか」
「は、はい。 敵の伏撃を受け部隊は壊滅。 なんとか後退出来た者は私を含め十数人程で……」
「なに、別に責めている訳ではない」
「は……」

そんな幽州から数十里離れた場所に設営された天幕の一つ。
一刀達に破れ命からがら逃げ出した兵の一人が頭を垂れてとある人物の前に跪いていた。

「では、報告せよ」
「……我々は啄県より十五里程離れた森にて行軍中敵と接触、奇襲を受けて壊滅状態へと陥れられました」
「規模は?」
「目算でも千はいかず、多く見積もっても七百程度かと……」
「……あわよくばそのまま街まで制圧出来れば良かったのだが、流石に欲が出すぎたか」
「も、申し訳ありません」
「お前達を責めているのではない。 お前達は十分任務を果たしてくれた」
「有り難きお言葉。 その言葉だけで散っていた同志達も浮かばれます」
「うむ、では下がってよい。 残りの者達にもよくやったと伝えておけ」
「はい。 では、失礼します」

一礼して、去っていく兵士。
それを睥睨しつつ、女は一人これからのことを考える。

「幽州の反抗、か……。 姉上からただちに殲滅せよとは言われているが敵はたかが七百程度の雑兵共。 一体姉上は何をそんなに危惧しておられるのやら」

ここにはいない長姉のことを思う。
一ヶ月ほど前に病に伏せられ、今では広宗の城で静養されてはいるが、面会は出来ずじまいである。
今は伝令を使って姉の命令を承ることしか出来ないのが現状だ。
果たして、姉上は大丈夫なのだろうか……。

「……早くお体を良くして頂くためにも姉上の懸念されている芽は早めに摘んでおくことに限るか」

姉上は我らにとって大事な存在だ。
彼女がいなければ私達の戦いは無意味なものへと成り下がってしまう。
全ては、我ら太平道の為に。

「蒼天已死 黄天當立 歳在甲子 天下大吉……。 この地公将軍張宝、来るべき黄巾の未来の為に万難全てを退けてくれるわ……」