「……ふぅ」
数時間程度の休息を済ませ、見張りがてらに城壁に上ったのはいいんだが……。
改めてみるとすごい景色だと実感させられる。
外に広がるのは人工物の一切無い大地であり、それがどこまでも続いている。
一応整備された道もあるが、元居た時代に比べればそれも粗末なものだ。
そして、街のほうに振り返る。
消火も終わり、落ち着きを見せてはいるが、被害は甚大だった。
復興にも時間がかかるだろうし、なにより亡くなった人達の弔いもしなくてはいけない。
……だが、それはこの戦いが終わった後の話だ。
「にしても、残ったのはこれだけか」
誰もいない城壁に来たのは見張りの他にも目的があった。
今の俺の持ち物のチェックだ。
あの時は色々あって確かめられなかったが、今後の為にも何があるか再確認する必要がある。
ポケットに入っていたのは財布に携帯電話、それに家の鍵。
出掛けた理由が理由だけに、必要最低限のものしか持っていなかった。
とりあえず、使えそうなのは携帯電話くらいなものか。
まぁ、当然の如く圏外になってはいるが他のものに比べれば使い道はあるだろう。
それにしたってバッテリーの問題もあるから、必要なときがくるまでは電源を切っておくことにする。
「……結局、元の世界に戻れる手掛かりになるようなものは無し、か」
原因だと思われる鏡の一部分でもあれば何か分かったかもしれないが、結局自分の手元にあったものしか残らなかった。
あの男も、俺と同じくこの世界に飛ばされたんだろうか?
まったく、分からないことだらけだ。
「あれ、一刀さん?」
「────美生か」
考え事をしていたせいか、後ろに来ていた人物の気配に気付かなかったらしい。
手にしていた携帯を懐に収めて振り返ると、そこには言葉の通り美生の姿があった。
彼女も先ほどまで仮眠をとっていたはずだ。
「まだ寝てなくていいのか? 疲れただろ」
「それはそうですけど、こんな状況でいつまでも寝てもいられませんから」
「あんまり無茶するなよ」
「はい。 あ、後で残った食料で炊き出しするので一刀さんもちゃんと食べに来てくださいよ?」
「ん、了解」
傍らに置いておいた刀を手に取る。
確かな重みと感触。
今から俺はこれを使って人と戦わなくてはいけない。
稽古とは違う、本物の実戦でだ。
「……不安、ですか?」
顔に出ていたのか、美生が気遣うような口調で聞いてくる。
刀をベルトに無理やり差し込みながら、苦笑する。
「不安なのは否定しない。 けど、それはそっちも同じだろ?」
「あはは……」
返ってきた答えはこちらと同じく苦笑。
そんな時でも他人を気遣えるのはこの人の美徳なんだろう。
「ま、自信満々でいるよりは少しくらい不安を感じるくらいが丁度いいんじゃないかな」
「そうなんですか?」
「変に自信持って挑むと、不測の事態が起きたときにすぐに対応出来なくなる。 だから、ある程度は悪い状況も考えて行動したほうがいい」
勿論、爺の受け売りだ。
どんな場合でもイレギュラーというのは発生しうる。
必要なのはそれに即対応出来る心の持ち方だ。
「んー…そういうものなんですか……」
「それよりもだ。 美生」
「はい?」
「ホントについてくる気か? 他の人達と待っててもいいんだぞ?」
作戦の打ち合わせの時に、美生が言った言葉だ。
皆さんが行くのならば、私も行く。
もちろん、関羽は必死に止めていた。
鈴々も危険だと忠告した。
俺も、何も言わなかったが反対している。
「皆が戦うのに、私だけ安全な場所で待ってるなんて嫌ですよ」
「だけど、危険だ」
「それも承知の上で、言ってるんですよ?」
「……関羽は納得しないだろうな」
「愛紗は心配性すぎるんです。 ……それに、私には全てを見届ける義務がありますから」
「義務?」
「元はといえば私が先導したようなものですし……。 それに、世を平定しようとする者が安全な場所で安穏としているのは間違っているでしょう?」
……美生の目は本気だ。
たった一日しか彼女との付き合いは無いが、かなりの頑固者なのは嫌というほど思い知らされている。
きっと、こちらが何を言っても無駄だろう。
「……分かった。 だけど、無茶なことはするなよ? もしなんかあったら俺が関羽に殺される」
「はい!」
やれやれ、関羽に睨まれるだろうな。
まぁ、美生の固い意志を見れば彼女も妥協してくれるだろうが。
ため息をつきながら、もう一度城壁の外を見る。
もうすぐ、日が昇る。
そうすれば戦いの刻だ。
04【暁の出撃】
今、俺達の目の前には武器を持った村人達が並んでいる。
その数、二千。
黄巾に立ち向かうために立ち上がった人々だ。
元々黄巾党も、王朝の圧政に蜂起した民衆の集まり。
それが逆に人々を苦しめ、同じ民衆が戦うことになるとは皮肉としか言い様が無い。
「皆の者、よく集まってくれた。 黄巾党は所詮野盗崩れの烏合の衆、皆の力があれば必ずや勝利を手にすることが出来るだろう!」
皆を鼓舞する関羽の声に返ってくるのは昨日以上の轟音だ。
皆が手にする武器を掲げて、雄叫びを上げる姿は否が応でもこれから戦が始まることを自覚させた。
自分でも気付かないうちに手が震えていた。
果たしてこれは武者震いなのか、それとも恐怖なのか。
その震えを、刀を握り締めて抑える。
これからの戦で、俺も何故か隊の一つを任されることになった。
一応作戦の立案者だし、数少ない武道の経験者だからだそうだが、果たして俺が他の人達を率いることなんて出来るんだろうか。
……いや、やらなくちゃいけない。
この作戦は、一つの隊でも行動が乱れれば全てが台無しになってしまう。
失敗は許されないのだ。
「……では、姉上。 皆に一言お願いします」
「ええ」
この義勇軍のリーダーは美生、ということになっている。
まぁ、元々村人達の蜂起の立役者だったし、皆を纏めていた関羽の主でもある。
このことには誰も異論を挟まなかった。
「えー……、ごほん」
皆の前に立って、咳払い一つ。
先ほどまで喧しいほどだった鼓舞の響きも一瞬で消え、静寂だけが残る。
今ここにいる全員の視線が美生に向けられている。
「色々言うべきことはあったけれど、殆ど愛紗が言ってしまったので私からは一言だけ。 ────勝ちましょう」
最初の一言で愛紗が気まずそうに顔を歪め、それを見た鈴々がくすくすと笑っていた。
そして、次の言葉で空気が一気に引き締まった。
「この一戦は全て勝利の為に。 勝って、そしてこれからの未来を掴み取るために私達は戦うのです。 だから……」
死なないでください、と声には出さず口の動きだけに留めていた。
それは、きっと彼女の弱さであり強さなのだ。
そのことを理解した者は了承の笑みを返し、分からない者もまた自分たちの未来の為に武器を掲げた。
「……きっと彼女が王になったらいい国が出来るんだろうな」
「当たり前だ。 姉上が統治する国が素晴らしくないはずがない」
そんな光景を見ながら、ふと呟いた言葉は関羽にも聞こえていたらしい。
戦場の相棒である青龍偃月刀を握り締め、その瞳は姉と慕った者から一瞬たりとも逸らすことなく見つめ続けていた。
そんな顔をふいにこちらに向けた。
先ほどの一途な目とは違い、物凄いジト目だった。
「それはそうと、北郷。 お前姉上の戦場への同伴を認めたそうだな?」
「……関羽だって結局は認めたじゃないか」
もちろん、前線には決して出ないという条件でだ。
俺の想像通り、美生の意固地なまでの意志に関羽も最終的には諦めのため息と共に彼女の同伴を認めた。
鈴々は呑気に姉様は鈴々が守るのだー、とか意気込んでいたが、その時に俺に向けられたおっそろしい程に怒気を孕んだ愛紗の顔は未だに鮮明に思い出せる。
ありゃもう鬼とか夜叉とかそういう類のもんだ。
しかもそれを俺だけにピンポイントに向けてくるのだから堪ったものではない。
ぶっちゃけあの時は足が震えてたぞ、絶対。
あの時美生は先に俺が了解したと言っていなかった筈なのに、勘の鋭い関羽にはバレバレだったらしい。
流石は三国志屈指の武将だ。
こんなことでそれを実感したくは無かったが。
「私の場合は不承不承だ。 確かに士気は上がるだろうが、戦を知らない姉上をわざわざ危険な場所に立たせたくは無い」
「俺だって同じ気持ちだって。 だけどあんな真剣な目で訴えられたら無下にも出来ないだろ?」
数ある三国志のゲームで魅力値が常にMAXな劉備サンにお願いされたら、そりゃ仕方ないと思う。
「た、確かにそれはそうだが……。 だとしてもそれを諌めるのが臣下の務めというものだろう」
「それを出来なかったお前が言うかね……」
「うっ」
かなり薮蛇だった。
ここで更につっこんだら面白そうだが、それはそれで後が怖いし、これから大事な戦があるので追求はしないでおく。
「とりあえずは、だ。 美生が戦に出るって言った以上下っ端はそれを全力でお守りするだけだろうよ」
「そうだな……。 しかし、お前は私と一緒に最前線の突撃部隊の隊長をやるんだから護衛は無理なのだが?」
「……それこそ野暮ってもんだぞ」
とりあえずは自分達の所で抑えとけば美生に危険はやってこないってことだ。
それは関羽も分かっているのか、それ以上は何も言わずに俺の肩に手を置いた。
そして、無言のまま自分が率いる部隊の下へと歩いていく。
「さて、んじゃ俺も行きますかね……」
俺に任された部隊の総数は二百余名。
今まで人を率いたことすらない俺にとっては途方も無い人数のように思えた。
それでも、やらなくちゃいけない。
何度も自答しながら、彼らが待つ場所へと歩く。
「お、ダンナじゃねぇか。 そろそろ出撃かい?」
その中で、軍属経験のある初老の男性が話しかけてきた。
元々は兵士だったらしいが、怪我を機に生まれ故郷で農業をしていたらしい。
槍を持つその姿は、他の皆と比べると様になっていた。
「ダンナって呼び方止めてくださいよ、俺そんな風に呼ばれるほど歳も食ってないしすごくもないですから」
「いやいや、この作戦を考えたのはダンナらしいじゃねぇか。 別に謙遜しなくても大丈夫だぜ?」
「ははは……」
こうやって軽口を叩ける人は、この中ではそんなにいない。
度胸とかそういうのではなく、経験が問題なのだ。
誰しも農民や、商売をしていた人たちばかりで、そのほとんどが戦いを知らない人ばかり。
そんな素人ばかりの寄せ集めの集団が武器を持って戦おうというのだから、緊張するのは仕方の無いことなのだ。
戦いに出ようとする中でこうやって平然としていられる存在は貴重であり、救いでもあった。
「さて、爺さんが言ったとおりもうすぐ出撃だ。 皆、準備はいいか?」
答えは武器を掲げた音と、肯定の返事だった。
少なくとも、悪いムードではない。
悲壮感や、恐怖はあまり無いようだった。
不安はあるだろうが、故郷を守るという気概が彼らを支えてくれているのだ。
「よし。 それじゃあ黄巾党の野郎共に目に物見せてやろうぜっ!」
俺も負けていられない。
今、俺の肩には二百名の命が掛かっているのだから。
「常に二人一組となって敵に当たれば百戦して百勝しよう。 後は、作戦通りに行動すれば必ずや天は我等に微笑むだろう!」
『応!!』
「天運は我等にあり! 怯むな! 勇気を奮え! 妻を、子を、友を……そして仲間を守る為に!」
『応っ!!!』
出陣の前に、関羽が先頭に立ち人々を鼓舞していた。
村人たちも、声を上げることで士気を盛り上がらせて戦いに備える。
本来なら、進軍の時にもなるべく皆の士気が下がらないように鼓舞を行うべきなのだろうが、今回は奇襲なので流石に無理だ。
二千もの人数が動けば隠密などは望めるはずも無いが、出来る限り相手に気づかれぬように近づきたい。
今回は速さこそが重要なのだ。
「姉上、物凄いはりきってるのだ」
「……ま、確かにやる気は凄い伝わってくるな」
「よーしっ! 鈴々もがんばっちゃうのだっ」
自分の身長もあろうかという蛇矛を軽々と振り回して、鈴々はこれからの戦いが待ち遠しくてたまらないといった感じだ。
とりあえず危ないから武器を振り回すのはやめて欲しいが、鈴々も頼れることに変わりは無い。
言ったら、調子付いて変な失敗しでかしそうだから言葉には出さないが。
「作戦の要は鈴々達なんだから、暫くは我慢しろよ?」
「うー……分かってるのだ」
自分も最前線で思いっきり戦いたかったのだろう。
鈴々は不承不承と言った表情で頷いていた。
やれやれ、まだまだ子供ってことだろうな。
「……むー」
「な、なんだよ?」
「今、お兄ちゃん失礼なこと考えてたでしょ?」
「……んなことはないぞ」
変なところで鋭いやつめ。
「それでは皆の者、行くぞ! 全軍進撃!」
『オーッ!!』
「ほら、出撃だぞ。 さっさと自分の部隊に戻れ」
「む……それじゃあ、お兄ちゃん後でね」
「おー」
駆け足で配置に戻る鈴々に、ヒラヒラと手を振って見送る。
これから戦いだっていうのに持ち前の明るさは相変わらずだ。
「まったく、緊張感の無いやつだなぁ」
そう呟く俺も、ついつい頬が緩んでいた。
出撃を告げようとしたら、後ろにいた男の人たちがニヤニヤしていた。
お前らもか。
鈴々が手に入れた情報通り、黄巾の陣営は街からそう離れていない場所に待機していた。
しかし、時間が早朝なので動きは殆ど無く、篝火の煙がちらほらと上がっているだけだ。
奇襲というのは、別に夜にやる必要性は無い。
相手が、『この時間ならば攻めてくるはずが無い』などといった考えを逆手にとればいいだけの話だ。
例えば今。
黄巾党の連中は、街の人々が反旗を翻すなど考えもしていないだろう。
なにせ、一度は襲撃をした場所だ。
その時になんら対抗出来なかった街など、彼らにとってはいいカモでしかない。
しかし、皆は立ち上がった。
それだけでも相手にとっては十分うろたえる理由になるはずだ。
黄巾党の連中も元々は農民などの不平不満が積もり積もった平民だ。
そんな者たちが徒党を組み、数の力で暴挙を振るってきただけだ。
だったら、士気という時点で俺たちは既に勝っている。
なにせ背負うものが違うからだ。
そしてこの時間。
意外と早朝というのは人々は油断しやすい。
確かに夜と比べて視界は明るく、戦うのには問題は無い。
だが、殆どの人間は寝起きやその前は隙だらけだ。
それが黄巾党のような連中なら尚更。
恐らく、見張りなど立てているはずも無い。
更に、俺たちは日の出を背に立っている。
日の光が強いこの時間、逆光のせいでこちらの姿は確認しづらいだろう。
「……いけるか?」
「まだこちらに気づく様子は無いようだ。 恐らく、大丈夫だろう」
「そうか」
全軍に緊張が走る。
ここから先は、決して留まることは出来ない。
決着がつくまで、どちらかが敗北するまで戦い続けなければならない。
張り詰めた周囲に、関羽の声が響く。
裂帛の意思を込めた一声は、一瞬にしてこの場を戦場に変えた。
「────全軍、突撃いぃぃぃぃぃッ!!!」
『──!!』
最早声にすらならない雄叫びが、早朝の静寂を引き裂いた。
全員が、全速力で敵陣へと駆け抜ける。
これだけの音を出せば敵にもすぐに気づかれただろう。
さて、相手が態勢を立て直すのにどれくらいかかるか。
敵陣がどんどん近づいてくる。
相手はまだ動揺していて、組織的な迎撃の用意は出来ていない。
「弓を持っているやつを優先的に倒せ! 敵と戦う場合は守る者と止めを刺す者の二人一組で挑め、以上!!」
必要なことだけを告げると、更に加速する。
向こうでは、関羽も率先して敵陣へと乗り込んでいく。
刀を抜き放ち、動揺している敵の一人に狙いを定める。
「ふ……っ」
そのままの勢いで、全力で首を打ち据える。
刃がついていたら首を撥ねる一撃は、容易に相手の意識を刈り取る。
その一撃で勢いを殺しつつ、後ろから突進してくる槍の攻撃を身体を半身にして回避。
身体の前を通り過ぎた槍の穂を刀で両断して、驚愕する相手に鞘の一撃を見舞う。
寸分たがわずこめかみに叩き込まれた攻撃によって、相手が崩れ落ちる。
達人である爺の攻撃を見てきた俺にとっては、この程度の攻撃は簡単に見切れる。
一瞬で二人を倒した俺に動揺する周囲の敵の一人を見定めて、走る。
一歩で間合いを詰め、二歩目で刀を抜いて切り上げた太刀は顎を跳ね上げる。
「次ぃっ!」
周りを見れば、既に戦いは至る所で始まっていた。
関羽の言うとおり、一人の敵に二人で挑む仲間は、順調に敵を撃破していく。
そんな様子を見て、一瞬自分が持つ刀に目をやった。
……義はこちらにあるといっても、結局やっていることは人殺しだ。
やらなければ、こちらが殺されると分かってはいるがそれでもやり切れない思いがある。
だけど、悩むのは後だ。
心が鈍れば、刀も鈍る。
「おおぉぉおぉぉ──!」
迷いを振り切るように、声を振り絞る。
戦いが終わるまで、止まることは出来ない。
「ひ──っ!?」
背後で、息を呑む音が聞こえた。
振り向けば、仲間の一人が腰を落としていた。
そして、その先には槍を構える頭に黄色いバンダナを巻いた男の姿。
「…………!」
下に転がっていた折れた槍を持つ。
そのまま、陸上の槍投げの要領で投げ放つ。
投擲された槍は、狙いを若干はずして敵の目の前に突き刺さる。
突然文字通り横槍が入った敵は、驚きに硬直する。
少し予想とは違ったが、足止めには成功した。
それを確認して、一歩目から全力で疾走する。
敵から後数歩というところで、跳躍。
そのまま、敵の横っ腹に跳び蹴りを見舞う。
「げふっ!?」
なす暇も無くぶっ飛ばされた相手は、他の黄巾党の人間を巻き込みながら転がっていった。
そのまま、誰かに踏まれて視界から消える。
「……大丈夫か?」
「は、はい」
「よし、他の奴と合流して戦え。 決して一人にはなるなよ?」
俺が助けた青年は、その言葉に頷くと武器を拾って後方に走っていった。
それを確認して、周囲を見る。
……段々反撃が激しくなってきたな。
そう考えたところで、戦場に鐘の音が鳴った。
「……どうやら関羽も同じ考えだったみたいだな」
まぁ、あの関羽なら当然か。
知らない間に乱れた息を整えて、思いっきり息を吸い込む。
「北郷隊、総員退却! 直ちに戦線より離脱しつつ追撃に注意しろ!」
出せうる限りの声で放った命令は、直ぐに周りの人間に伝わった。
打ち合わせ通りだった合図に、部隊の人間はすぐに踵を返して戦場から退避していく。
鮮やかな退却に、逆に唖然に取られる黄巾党を尻目に突撃のときと同じく全速力で走る。
「お、追えー! 奴らをぶち殺せっ!」
すぐに気を取り直した敵が、背後から追ってくる。
ここまでは予想通り。
弓兵を優先的に倒したお陰で、背を向けた状態で矢が飛んでくることは殆ど無い。
そのお陰で、後ろにかまうことなく全員が走っていく。
「全力で退却しろ! 敵に捕まるなよ!」
突出してきた敵を牽制しながら、背後に檄を飛ばす。
とりあえず、逃げ遅れた味方はいないようだ。
……そもそも、逃げる間もなく殺された人もいただろう。
逃げ遅れた時点で、命は無い。
それは殿を務めている俺も例外ではない。
作戦通りとはいえ、それとは関係無く襲い掛かってくる死の恐怖は拭いきれるものではない。
「……っ! なるべく散開して走れ! 少しでも敵を分散させるんだ!」
軍に匹敵する兵力を保有する黄巾党ではあるが、統率力ではかなり劣る。
張角ら、三兄弟のカリスマ性に引っ張られているだけで、一旦乱戦になればその指揮系統は無いに等しい。
そして広がれば広がるほど、隊長の命令は伝えづらくなり、組織的な行動が取り辛くなる。
もちろん、その分こちらの守りも薄くなるが、無事を祈ることしか出来ない。
「あと少しで合流地点……。 そこまで辿り着ければなんとか……!」
全力疾走で突撃し、迅雷の如く瞬時に退却した代償は徐々にではあるが足と肺に影響を及ぼし始めている。
爺との過酷な修行で体力には自信があるが、初めての実戦と、死の恐怖で予想外に体力が消耗していた。
俺でさえそうなのだから、他の人たちにとってはそれ以上の苦しみが襲っているはずだ。
今は、勝利への気合と死んでたまるかという根性でなんとかなっているが、それが一旦途切れた瞬間崩れ落ちてしまうだろう。
そんなことにならない為に、一刻も早く鈴々達と合流しなければ。
一方の黄巾党は、自分たちの勝利を確信していた。
確かに奇襲で被害を被ったとはいえ、それでも数ではこちらに分があった。
なによりも、今敵はこちらに背を向けて逃亡しているのだ。
それは、相手がこの黄巾党に勝ち目がないと判断したからに他ならない。
それならば後は、逃げた連中を皆殺しにしてしまえばいい。
小癪にも牙をむいた鼠に、その行いの愚かさを教え込ませてやるのだ。
「殺せ! 俺たちに歯向かうなんて舐めた真似をした奴等は、悉く皆殺しにしろ!」
しかし、彼らは頭に血が上って気がついていなかった。
追撃する自分たちの戦果はほとんど上がってはいなかったことを。
逃げる相手に有効なのは、射撃による面制圧だ。
追いかけるよりも遥かに効率的であるし、なによりもこちらの被害が全くない。
しかし、それを可能にする弓兵は黄巾党の軍勢には殆ど存在しなかった。
先ほどの奇襲で、弓を持っていた者は殆どやられてしまっていたからだ。
そのせいで、彼らは逃げる村人を追いかけて直接殺すしかなかった。
もちろん、そのことで彼らが不利になるというわけではない。
数では勝っているのだし、逃げる相手を追うというこの状況では士気もこちらのほうが上の筈なのだから。
だが、彼らは知らない。
窮鼠が猫を噛むだけでは済まない事もあるということを。
何よりも、彼らが追い詰められた鼠などではなく、武器を持ち戦うことを決めた者達であるということを。
その戦場から、更に遠方。
そこには、戦いを見守る美生と、それを守る守備部隊の姿があった。
この位置からは戦場となっている場所は遠いため、細かい状況は確認できない。
しかし、金属が打ち合う音や、悲鳴や怒号は聞こえてくる。
風に流されて血の匂いが鼻腔に入ってくる。
それだけで、美生は足元がグラリと揺れる錯覚に陥った。
「……くっ」
「大丈夫ですか?」
「……私は、大丈夫です」
喉から振り絞るように、それだけ告げると再び戦場に目をやった。
胃が逆流しそうだ。
目から涙が零れそうになるのを必死に抑える。
ここで背を向ければ、私は彼らに不信を抱いているということになってしまう。
人の上に立とうとする者が、そんなことでは駄目だと心に命ずる。
私は、この戦いを見守る義務がある。
例え戦うことは出来なくとも、私は見続けなくてはいけない。
足が震えそうになって、痛みで誤魔化すように拳を握り締める。
「報告! 奇襲部隊が合流地点に到達! これより突撃部隊と合流し最後の攻勢に出るようです!」
「ありがとうございます。 あなたは下がっていてください」
「はっ」
報告を受けたと同時に、銅鑼の音が響く。
前方では、待機していた鈴々の部隊がこちらに向かっていた部隊と合流するために進軍を開始していた。
「愛紗、鈴々、一刀さん……。 どうか、無事で……」
私には、ここで三人の無事を祈ることしか出来ない。
願わくば、彼らが無事に戻ってきますように。
怒号を上げながら追いかけてくる黄巾党の追撃を必死で逃げ続けていた一刀の耳に、銅鑼の音が聞こえてきた。
ようやく、鈴々達との合流地点に辿り着いたのだ。
「よし、各自そのまま全力疾走! 本命が来るぞ、花道を開けろっ!!」
『応っ!』
さあ、ここからが本番だ。
さっきの奇襲は、この作戦を成功させるための布石に過ぎない。
行動を開始する際、総数の約三分の二を俺たち突撃部隊に割り振った。
更に、美生に万が一のことが無いように守備部隊を三十人ほど。
残りの人数は果たして何処にいるのか。
鈴々が率いるその残りの約三分の一は、戦場から離れた位置に待機していたのだ。
黄巾党に気づかれない遠方で、ずっと俺たちが来るのを待ち続けて。
それこそが真の突撃部隊。
鈴々達と合流することで、俺たちはこれから本格的に攻勢に打って出る。
「よーし! みんな、鈴々に続けなのだーっ!!」
『オーッ!』
銅鑼を鳴り響かせながら、蛇矛を持って怒涛の勢いで走ってくる鈴々。
そして、それに追従する人々に道を開けるように、俺たちが散開する。
そうすることで、相手には突然新しい敵が突っ込んできたように思えるだろう。
しかも、逃げていた俺たちを追いかけてバラバラに散った箇所を突き破るように。
「さー、鈴々のお通りだー! 邪魔するやつは全員ぶっとばすぞーっ!」
いきなり突撃してきた鈴々達が自分達を蹴散らす姿に、黄巾党の連中は動揺した。
逃げ続けていた相手が突然二手に分かれ、その間から新しい敵が出てきたのだから無理もない。
油断を突かれた形になった黄巾党は、迎撃用意を取ることも出来ずにそのまま鈴々部隊と衝突した。
「全軍反転! 我らはこれより攻勢に打って出る! 鈴々達に続けっ!!」
そして、俺達も関羽の合図と共に反転し、再度攻撃に移る。
その間にも、鈴々は大きく広がっていた黄巾党の陣の一部を両断するように攻撃を続けていた。
もちろん、そうなれば挟撃の危険もあるが、そんなことは俺達がさせない。
鈴々達に注意が向いた敵は、攻勢に出た俺達に打ち倒されていく。
直ぐにその場は、阿鼻叫喚の戦場となった。
血煙が舞い、怒号が響き、誰かの悲鳴と、誰かの雄叫びが四方八方から聞こえてくる。
先程の奇襲とは違い、今度は相手も全力で反撃してくる。
関羽に教えられた通り、二人一組で敵にあたってはいるが、それでも無傷で済むはずも無い。
眩暈と吐き気が体を襲うが、それを気力で振り払い眼前の敵に集中する。
「ぅうおおおぉぉおぉおぉぉぉッ!!!」
目を逸らしてはならない。
逸らした瞬間、誰かが死ぬ。
刀を鈍らせてはならない。
鈍らせた瞬間、仲間が死ぬ。
心を乱してはならない。
乱した瞬間、己が死ぬ。
「ぜあぁっ!」
鞘で、全力で相手の喉を突く。
潰れたカエルのような声を出しながら、敵がその場に崩れ落ちる。
更に横にいたもう一人の膝を打ち砕き、転倒したその男の胸に足を叩き付ける。
あばらの折れる感触が、はっきりと足に伝わってきた。
泡を吹いて気絶する敵を確認する間もなく、次の敵を探す。
「もう少しだ! あと少しで敵は崩れる! 残る力を振り絞れ!」
関羽の声に、あと少しで勝機が見えることを確認する。
そして、ふとやけに敵の数が多い場所を発見した。
……恐らく、あそこに黄巾党の大将がいる。
「関羽、敵の大将を見つけた! 今から突撃する!」
「待て! 私も行くぞ!」
青龍偃月刀を振り回して、敵を蹴散らしながら関羽が走りよってくる。
一振りするごとに、敵が吹き飛ぶ姿は、流石としか言いようが無い。
「あれが、大将がいる場所か」
「多分な。 あそこだけやけに人が密集しているし統率がいい」
「つまり、指示している者があそこにいるということだな」
恐らくは、と無言で頷いて肯定する。
大将さえ討てば統率を失い、軍としての力は失われる。
そうすれば後は各個撃破をするだけだ。
「行くぞ」
「ああ」
合図もせずに、同時に敵の密集地に突撃する。
それに気づいたのか、槍を構えた黄巾党の男達がこちらに矛先を向ける。
無闇に攻撃してこないということは、落ち着いているということを意味している。
確信する。
敵の大将はその先に立っている。
「劉備玄徳が義妹、関羽雲長! 我が青龍偃月刀を恐れぬのなら掛かって来い!」
「武器を向けるのなら容赦はしない! 俺の刀で悉くを打ち砕く!」
関羽の大振りの一撃で何人かが吹き飛んだ。
その隙をつこうとした奴らを、俺の刀で牽制し、抑える。
そしてその間に偃月刀を構えた関羽の一撃で止めを刺す。
やっていることは村人に言っていたことと変わらない。
しかし、その効果は見違えるほどだ。
迂闊に攻撃すればやられると知った男達は、無意識に後ろに下がる。
勿論その動揺を見逃すほど関羽は甘くは無い。
躊躇した者を容赦なく切り伏せ、敵を蹴散らしていく。
そして目前に周りとは違い、鎧に身を包み、大剣を手にした男の姿が見えた。
「ええい、何をやっている! 相手はたったの二人、とっとと殺せ!」
「ならばお前が我らの首級を取ってみるがいい!」
関羽もその男がこの軍を率いる者だと確信したのだろう。
迷うことなく一直線に男の下へと走る。
関羽を止めようと左右から配下の男達が近づくが、その男の一人を全力で蹴り飛ばす。
「おおっと、お前達は近づかせないぜ?」
一刻も早く大将を守りに行くべきか、それとも俺を先に倒すべきか。
その一瞬の思考は、致命的な隙を生んだ。
もちろん、それを見逃すことはしない。
刃がついていない刀は、切り裂くことは出来ないが、骨くらいなら易々と砕くことが出来る。
腕を、わき腹を、足を、首を砕く確かな感触が刀から伝わってくる。
そして関羽は俺が足止めをしている間に大将と一騎打ちで対峙していた。
「小癪な……! たかが小娘の分際で黄巾党に歯向かうとは!」
「言いたいことはそれだけか。 ならば、終わりとしよう」
黄巾党の大将が、関羽に襲い掛かる。
手にした大剣で彼女の体を両断しようと振りかぶるが、関羽のほうが数倍速い。
腹を切り裂かれ、血を吐きながら男は地面へと倒れこみ、二度と動き出すことは無かった。
一瞬、周りの黄巾党の兵士が沈黙した。
「大将、討ち取ったり! 皆の者、今こそ勝機! 決着をつけるぞ!」
関羽の声が戦場に響き渡った。
そして、その声に弾かれる様に黄巾党の兵士達が背を向けて走り出した。
彼らにとって大将とはその中で最も強い者のことだ。
その人物が勝てない相手に、自分が勝てるはずが無い。
そうした関羽に対する恐怖が、彼らを敵前逃亡に導いたのだ。
「やつら、逃げていくぞ!」
「よし、すぐに追撃をかける! 今度はこちらから追いかけてやるぞ! 我に続け!」
青龍偃月刀を振りかざし、周囲を鼓舞しながら関羽が再び駆け出した。
後の結末は語るまでも無い。
総崩れとなった敵に残されたのは、敗北という選択肢しか無いのだから。
「皆、大丈夫ですかっ!?」
敵をあらかた倒した後戻ってきた俺達を待っていたのは涙目になった美生だった。
先程まであの惨状を見ていたせいか、顔は青褪めていたがとりあえずは大丈夫そうだ。
「姉上、ただいま戻りました」
「鈴々頑張ってきたのだ!」
「ただいま」
返り血で服が少し汚れてはいるが、三人とも五体満足で帰ってこれた。
ふと体を見てみれば、何箇所か斬られた後があった。
戦いの途中でつけられたんだろうけど、興奮していたのか気づかなかったようだ。
「三人とも無事で良かったです。 でも……」
後ろを見れば、傷を負った人々が肩を貸しあって歩く姿が見える。
他にも、槍の柄で作られた急造の担架に乗せられた人の姿もある。
そして、その上に布が被せられ、顔が見えないようにされたものも。
勝ったとはいえ、犠牲が全く無かったわけではない。
何十人もの人が殺され、多くの人が傷ついた。
そのことは美生の知っているのだろう。
無言ではあったがどこか悔いるような表情でその光景を眺めていた。
「……とりあえず、街に帰ろう。 俺達は勝ったんだ」
「ああ、早く街の人々を安心させなければ」
「そうですね……。 では、皆さん帰りましょう」
皆を先導するように歩き出す美生。
そしてそれに続く俺達。
しかし、その時俺は見逃さなかった。
前を歩く美生のその拳。
血が滲むほど握り締められたその拳は、己の不甲斐無さを悔いるように震えていた。
その後、俺達は意気揚々と街に凱旋した。
そんな俺達を街に残っていた人々は笑顔で迎え入れてくれた。
帰ってきた人の無事を喜び、抱きしめあっていたり声を掛ける姿を見ると、無事に戻ってこれたという思いが強くなる。
しかし、その一方で沈痛な面持ちで涙を流す人の姿もあった。
恐らく身内を亡くした人たちなのだろう。
出来る限り死体を運び、家族の下に届けたが、中には遺体が見つからない人もいた。
あまりにも戦場の死体の数が多すぎて誰が誰なのか分からなかったのだ。
中には、誰のものか分からない体の一部なども転がっていた。
戦ったことに後悔はしていない。
だけどもっと上手くやっていれば、もしかしたら今家族に抱きかかえられて息絶えている人を助けることも出来たんじゃないかと思う。
もちろん、それは俺の独りよがりな考えだ。
亡くなった人は、二度と帰ってこない。
その運命は誰にも覆すことは出来ない。
「わ、私を県令にっ!?」
そんな沈んだ思いを吹き飛ばすかのような声が、突然耳に入ってきた。
なんだなんだとその先に目をやるとそこには驚きの表情を浮かべる美生と、それを囲うように沢山の村人の姿があった。
「そんな、いきなり言われてもこ、困りますっ」
「いや、俺達は決めた! あんたならこの街をもっといい街に変えてくれる!」
「で、ですが」
「頼むよ。 この街の県令は前の騒ぎで逃げちまった最低の野郎だった。 もう、俺達は朝廷は信じない」
「俺たちの街は、俺たちが守る! ……けど、俺たちだけで街を治めることは出来ないからさ」
「それで、私ですか?」
「ああ、あんたなら大丈夫だって俺達は信じることにした。 頼む!」
頭を下げる村人達に戸惑う美生。
そりゃああんな大人数に頭下げられたら仕方ないかもしれないけど。
「……な、関羽。 県令ってなんなんだ?」
「簡単に言えば、街の支配者といったところだな。 本来ならば、朝廷から遣わされた者がその任に就き、租税を集めたり、反乱に備えて軍備を整えたりするのだが……」
「つまり、前の県令ってやつはその責務を投げ捨てて自分だけ逃げたと」
「そういうことになるだろう」
「むぅ、そんなことするなんて酷いヤツなのだ!」
どの時代にもそういう腐った奴っていのはいるものなんだな。
呆れながらため息をつくと、美生がこちらを見ていた。
どうやら、助けを求めているらしいが……。
「…………」
「ぇー……」
何故か関羽はコクリと頷いていた。
どうやら、受け入れろということらしい。
隣で鈴々もコクコクと義姉の真似をするように頷いていた。
ちょっとショックを受けたような顔で今度は俺を見る。
俺にどうしろってんだ。
「あー…その、なんだ。 頑張れ?」
それ以外にどう言えと。
まぁ、これはいい機会だろう。
本来の三国志ならば、劉備はこれから義勇軍を立てて黄巾党と戦うことになる。
彼が土地を治めることになるのはそれからずっと先のことであり、今の段階で県令になるのは決して悪いことではないはずだ。
もちろん、そのことで歴史と差異が生じることはあるだろうが、そもそもがありえないことでいっぱいなのだ。
歴史を知っているという強い武器は失われるかもしれないが、それ自体が役に立つとも思えなくなってきたことだし。
「……分かりました。 そのお話、受けましょう」
「本当ですかいっ!? それなら話は早い、皆のところに案内します!」
「新しい県令様を皆に紹介しなくちゃな!」
「よーし、今日は宴だ! 勝利と、新しい県令の就任を祝って派手にやろう!」
「あ、あのちょっと……? わわ、手を引っ張らないでくださいーっ!」
あっという間に村人達に連れられてしまった美生。
「さて、私は姉上の元に行かなくては」
「鈴々も一緒に行くのだ」
「分かった、んじゃな」
きっと困っているだろう美生を手助けするために後を追う関羽と鈴々の二人と分かれることにする。
俺も彼女達の後に付いていってもいいのだが、まだやるべきことがある。
戦いの後始末をしなければならない。
気が付けば、日が落ちていた。
流れる汗を拭って、辺りを見回すと一面の地面が盛り上がり、その上には家の残骸から拾ってきた柱などが刺さっている。
ここに埋めたのは亡くなった人たちの亡骸だ。
出来る限り運び込んだ遺体は多く、こうやって埋葬するにもかなりの時間と労力を費やしてしまった。
だけど、これはやらなくちゃいけないことだ。
今回の作戦を立案した俺には、その義務がある。
「ふぅ……」
ずっと地面を掘り続けていたせいで腰が少し痛む。
亡くなった人の家族にも立ち会ってもらい、埋葬を続け最後に身元が分からない遺体を埋めた。
南無阿弥陀仏の一つでも唱えてあげたいところだが、この国の宗教とは確実に違うから止めておく。
街のほうを見れば、まだ騒いでいるのか明かりと音が郊外からでも確認できる。
流石に今更宴に入るのも躊躇われるし、何より今まで墓標を立て続けて汚れてしまっている。
そんな身なりで騒ぐわけにもいくまい。
「やれやれ……代わりの服を探さないとな」
このまま一張羅で過ごすわけにもいかないし、明日にでも誰かに服を貰おうと思ったところで誰かの気配を感じて振り返る。
「こんなとろこにいたのか」
「関羽か」
そこにいたのは予想外なことに、関羽だった。
てっきり彼女はずっと美生の傍にいるものだと思っていたのだが。
「どうしたんだ? 美生のところにいなくてもいいのか」
「いや、私はただ差し入れに来ただけだ」
そう言って上げた右手には、酒瓶がぶら下がっていた。
そしてもう片方の手には二人分の杯。
「俺の国では、俺の歳じゃあまだ酒を飲んじゃいけないんだけどな……」
「じゃあ、いらないんだな?」
「いや、いただく」
関羽から杯を手渡されて、酒を注いでもらう。
杯に注がれた酒は白く濁っており、日本酒とはまた違う香りがした。
「では、まず一献」
「ああ」
一気に煽るように飲み干すと喉が焼けるような感触と共にアルコール特有の後味が口内に広がった。
かなり強いお酒らしく、結構きつい。
「……悪くはないな」
空になった杯を差し出しておかわりをもらう。
今度は一気に飲み干すことはせず、チビチビと飲んでいく。
関羽も、いつのまにか地面に座り一緒に街を眺めていた。
「勝ったな」
「ああ」
「でも、犠牲になった人がいた」
「……後悔しているのならお門違いだぞ。 彼らは覚悟を持って戦いに挑んだ。 そのことに責任を感じるのは彼らを愚弄しているようなものだ」
「分かってるよ」
こんなのは、ただの感傷だ。
そんなことぐらい、自分でも分かってるさ。
「俺は、今日初めて戦場というものに出た。 俺の国じゃあそんなことは無かったからな」
「お前の国に、戦いは無かったのか?」
「昔はあったんだけどな。 今は、平和なもんさ」
そう、今こうしていて初めて実感する。
俺がいた日本は、この国に比べれば本当に平和だったんだと。
誰かに殺されるという恐怖もなければ、飢える心配も無いし、衣食住に困ることも無い。
それが、どれ程大切なことだったのか。
「ならば、何故武者修行などしようと思ったのだ?」
「……成り行きってやつだな。 確かに強くなりたいとは思っていたけどこんな状況になったのは予想外だった」
そもそも武者修行ってこと自体でまかせなんだけど。
それに気が付けば違う世界だなんて誰が予想できるかっていうんだ。
「だけどさ。 今のこの状況は成り行きなんかじゃない。 自分できちんと決めたことだから安心してくれ」
「ふん。 姉上の期待を裏切られては困るからな」
「っと、ああそうだ関羽──」
「待て」
突然、半目になって睨む関羽。
いきなりどうしたんだ。
「なんだよ」
「その呼び方、なんとかならないのか?」
「いや、関羽は関羽だろ。 それ以外にどう呼べと」
「……姉上も、鈴々も真名で呼んでいるのに、何故私だけ関羽などと呼ぶのだ」
それはあなたが怖いからですなどとは口が裂けても言えまい。
実際、初対面のとき射殺すような視線を送ってきましたからね、あなた。
「別に、呼んでいいとも言われてないし……」
「ならば、これからは真名で呼んで構わん。 すでに私達は同じ主の下で共に戦う仲間なのだからな」
「……そっか」
あの戦いで、俺も少しは認められた……と思ってもいいのかなこれは。
俺はゆっくりを息を吸って、呟く様に名前を呼んだ。
「……愛紗。 これでいいか?」
「ああ。 これからは私もお前を一刀と呼ぼう」
「なら愛紗、その酒瓶ちょっと貸してくれ」
「? ああ、いいぞ」
不思議がる愛紗だったが、ちゃんと酒瓶を渡してくれた。
その受け取った酒瓶を片手に、俺は墓標の一つの前に立った。
名前が刻まれたその下に眠る人が誰なのか、俺は知らない。
それでも、この人は街や家族や仲間のために文字通り命を賭して戦ってくれた仲間だった。
その墓標に、酒瓶の中に残っていた酒を全部掛けてやる。
「……許しは乞わない。 だけど、後悔はさせない。 だから安心してここで眠っていてくれ」
この街は、この国は、俺達が守って見せるから。
どうか、安らかに。
「行こう、愛紗。 美生達の所に戻ろう」
「……ああ」
彼らの眠る墓標に背を向けて歩き出す。
街に向かう間、一度も俺は振り返りはしなかった。
俺達は、立ち止まってはいけない。
彼らの死に、報いるためにも。