美生と関羽の後を追って、先行していた鈴々と合流するために街にまでやって来た。
しかし、そこで見たのは何者かによって襲撃を受け、酷い有様になってしまっていた街の姿だった。
「……これは」
「なんと惨いことを……」
あちこちから火の手が上がり、なにかが焼ける焦げ臭い匂いが辺りに充満していた。
辺りを見回せば倒れている人達の姿が見える。
呻き声を上げる人もいれば、ピクリとも動かない人もいた。
……初めて見た惨状に、胃液が逆流してきそうだ。
それは美生も同じだったのか、青ざめた表情で街の有様を呆然と眺めていた。
関羽はといえば、倒れそうな美生の身体を支えつつ、血が滲むほどに拳を握り締めていた。
「一体何が……」
「恐らく、黄巾の者達の襲撃を受けたのでしょう。 とりあえず、今は鈴々と合流して事情を聞かなければ」
「鈴々……。 あの子、大丈夫でしょうか」
「あの鈴々がそう易々と雑兵にやられはしないでしょう。 しばらく待てばすぐにでも飛んで────」
「姉者ーっ!!」
「……すぐにでも飛んできたな」
声のしたほうを見れば、元気な様子の鈴々がこちらに走り寄ってくるところだった。
その姿を見て多少は安堵したのか、美生もさっきに比べれば顔色が良くなっていた。
確かに、あんなに元気な声を聞けばこの暗鬱とした気持ちも少しは晴れる。
「鈴々、無事だったのね」
「鈴々がそんなに簡単にやられるわけないのだ」
「それはともかく。 鈴々、ここで一体何があった?」
「あ、うん。 実は鈴々が来る前に黄巾党がこの街を襲ったらしいのだ」
「やはりそうか……。 恐らく例の県境に潜んでいた輩共でしょう」
口調は穏やかだったが、滲み出る怒気は隠し切ないようだった。
口は抑えられても、震える肩までは抑えきれないらしい。
きっと身体の中では抑えられない激情が渦巻いているだろう。
……その対象が俺でなくて本当に良かったと思う。
「鈴々、無事な人達は何処に?」
「動ける人達はみんな酒家に集まってるのだ」
「それじゃあ鈴々、その場所に連れて行ってちょうだい。 そこで事情を聞きましょう。 愛紗も、いいわね?」
「────は。 それが一番だと思います」
「一刀さんもそれでいいですか?」
「俺は何も知らないから、美生に任せるよ」
「そうですか。 じゃあ鈴々、酒家まで案内してくれる?」
「うん!」
鈴々が先導して俺達は酒家にと向かう。
それにしても、黄巾ってのはこんなに酷いことをしているのか……。
本で知ってはいたが、実際に見るとなると話は別だ。
こんな景色を見ていると俺の住んでいた時代がどれだけ平和だったかと思い知らされる。
……これから俺はこの時代で生きていかなけりゃいけなんだよな。
胸の中に渦巻く不安や恐怖を掻き消すように、俺は三人の後を追って歩き出した。
03【決起】
鈴々が案内してくれた酒家は、街の隅のほうにあった。
そのお陰なのか周りに比べれば損壊は少なく、人が集まるには十分な場所と言える。
中に入ってみると、そこには傷を負って治療を受けている者や、焼き出されて煤に塗れた人々が思い思いの場所に座っていた。
年齢も性別もバラバラだが、唯一うな垂れた表情だけは一致していた。
店内には暗いムードが立ち込め、絶望感が漂っていた。
「酷い有様だな……」
「皆さん、大丈夫でしょうか……?」
「……アンタたち、一体何のようだ?」
店に入ってきた俺達に気付いたのか、比較的無傷な男の一人が話しかけてきた。
どうやら、ここのリーダーらしい。
他の人といえば、質問はこの男に任せ、こちらに不躾な視線を送るだけだ。
「私達は、黄巾の暴虐を憂い、対抗しようと立ち上がった者達です」
「官軍が俺達を助けに来てくれたのかっ!?」
「……いや、残念ながら私達は官軍ではない」
官軍という響きに一瞬人々の目に希望の光が灯ったが、それもすぐさま霧散してしまう。
「で、でもみんなを助けたいって思ってるのはホントだよ!」
「子供がなに言ってやがる。 相手は大勢だぞ……大人の俺達でだって対抗出来なかった奴らに何が出来るっていうんだ」
鈴々が励まそうとするも、空しい返事が返ってくるだけだ。
よっぽど手酷くやられたらしい。
その言葉からはどこか諦めのようなものが感じられた。
「しょうがないだろ。 あんな大勢の相手、俺達が相手に出来るわけが無い」
「そんなに多かったのか?」
「分かるだけでも四千は下らないだろうよ。 もしかしたら、もっと多いかもしれんがな」
「……そんな人数で攻め込まれれば、こんなちっぽけな街なんて落とされるしかないんだよ」
この人達だって悔しいに違いない。
でも、攻め込まれた時の恐怖で、足が竦んでしまっている。
「あいつら、引き上げるときにまた来るなんてぬかしやがった。 次は、俺達だって無事に済むなんて保障は無い」
「じゃあどうしろっていうんだよ! 次に狙われるのは残されてる食料だぞ! これ以上持っていかれたら生活だって儘ならねえっ」
「んなことは俺だって分かってるよ! 俺の嫁や娘だって、何時餌食にされるか……っ! けどよ、あんな野獣みたいな盗賊崩れ達と戦って、勝てる見込みがあるのか!?」
「それは……」
「無いだろ? くそ、官軍は助けに来ないのかよっ! そもそもこの戦乱だって役人達が好き勝手やってきた結果じゃねえか。 どうして関係ない俺達まで巻き込まれなきゃならねえんだよ!」
憤りの余り拳を机に叩きつける男。
……彼らの言うとおり、この時代の政府は腐敗しきっている。
賄賂は当然の如く、権力にまみれた役人達が好き好きに税を徴収し己の利益にしてしまうなんてよくあることだったらしい。
中央の管理もおざなりで、全土に渡ってこんな理不尽な政治が続けられていたようだ。
そんな王朝を憂い、立ち上がったのが張角を筆頭とする黄巾党。
しかし、そんな黄巾も結局は己の欲の為に力を振るい、人々から強奪などを繰り返す有様だ。
大規模の強盗と何ら変わりない。
まぁ、だからこそ各地から英傑が立ち上がり、結果的に時代は変わることになるのだが。
……だけど、そんなことは今ここにいる彼等には関係の無いことだ。
今現在の状況こそが彼らの生きる時代であり、未来のことなど知る由も無いのだから。
「今更そんなこと言い合っていたってどうにもならないだろ。 ……明日にも、また奴らが襲ってくるかもしれないんだからな」
「……明日もまた襲撃があると?」
「だろうな。 俺達は奴らに弱い街だって目を付けられちまってる。 この街から奪い取れるものが無くなるまで、あいつらは何度でも来るだろうな」
「くそっ! 黄巾の奴ら舐めやがって……!」
「だったら、この街から逃げよう! 街ぐるみで逃げるくらいしか俺達が助かる方法なんて無い!」
「馬鹿なこと言ってんじゃねえ! ここは俺達の先祖様達が汗水垂らして築き上げた街なんだぞ!? それを俺達が守らなくてどうするんだっ!」
「んなこと言ったってよぉ! 命が無けりゃ意味が無いだろうが!」
……これは、拙いかもしれないな。
意見が真っ二つに分かれてしまって、今にも殴り合いが始まりそうな雰囲気だ。
美生も鈴々も、どうすればいいのかうろたえた表情だ。
一方の関羽はと言うと、一人なにやら考え事をしているらしく、俯きながらなにやらぶつぶつと呟いていた。
関羽といえば三国志では武にも知にも通じた名将だ。
もしかしたらこの意見をまとめられる様な凄い案があるのかもしれない。
「────一つ、提案がある」
そんなことを考えていると、関羽が意を決したように口を開いた。
大きな声ではなかったが、その凛とした声に周りの大声が静まり返る。
「……なんだよ。 なにか助かるような方法でもあるっていうのか?」
「無いこともない。 ……いや、ある」
「ほ、本当か!? どんな方法だ、教えてくれ!」
「……その前に、聞きたい事がある」
「なんだよ?」
「皆、この街を守りたいか? その為の覚悟は、あるか?」
そう言って、店にいる人々の顔を見回す関羽。
……覚悟、か。
あの荒原で俺が言った言葉だ。
果たして俺にもあるんだろうか。
この時代に来て間もない俺には大切なものなんて何一つ無い。
あるとすれば自分の命くらいなものだ。
だが、己の命欲しさだけに振るう剣は斬るべきものを見失った愚かな剣でしかない。
……爺がよく言っていた言葉だ。
斬るべきものを見、それを行う為の義を知ること。
俺はずっと爺を越える為に、そして先祖達が目指した境地が何なのかを知りたくて剣を振るってきた。
でも、今ここには爺はいない。
俺の目標は、この時代に来たことで無くなってしまった。
その新しい何かを、俺はここで見つけられるのだろうか?
「あるに決まってるだろうが!」
「ここは俺達の爺さんや婆さんが作り、俺たちがずっと暮らしてきた街だ。 守りたいと思うのは当たり前のことだ」
この人達には、ある。
それが少し羨ましい。
さっきまで徹底抗戦と逃亡という意見で真っ二つに分かれていた筈なのに、今では誰一人として異論を挟まない。
皆、守りたいに決まってるんだ。
「ならば、我らと共に戦おう」
「いや、だからな。 戦うったって勝てる方法があるのかっ?」
「勝てる」
「……その自信の根拠は一体何なんだ?」
「私達には、姉上が……いや、劉備様がついているからだ」
「劉備様? ……誰だよ、それ」
「あ、あの私ですけど……」
おずおずと挙手する美生。
いや、そんなに怖気ついてどうするんだよ。
「姉上は身なりこそ平民に窶しているが漢の皇帝、景帝の血を継ぐ者。 今の乱世を憂い、この国を平定する為に立ち上がったのだ」
「……皇帝の血族ってこの娘が?」
「どっからどうみても普通の村娘にしか見えないが……」
「そんなことないのだ! 姉様はホントに平和の為に────」
「だとしても、アンタ一人であの腐った宦官達をどうにか出来るわけないだろ。 ……お嬢ちゃん、夢物語なら他で語ってくれ」
「貴様ら────!」
「……愛紗。 待ちなさい」
「しかし!」
なおも反論しようとする関羽を宥める美生。
……まぁこの反応は仕方無いかもしれない。
皇帝の血を引いているとは言っているが、実際は未だ権力も持たないただの女性でしかない。
確かに三国志の通りならば、将来的には一国の主にまで昇りつめる人物ではあるが、それもまだ先の話だ。
関羽や鈴々のように、全員がその理想に感じ入るとは限らない。
「いいのよ、愛紗。 皆さん、私の義妹がご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
「ったく、勝てるっていうから何かいい方法でもあるかと思ったけど、とんだ期待外れだったよ」
「────ですが。 私は、皆さんが戦う戦わないに限らず黄巾党の討伐に向かいます」
「馬鹿なことを言うな! 相手は四千の大軍勢、そんなのをたった一人で迎え撃つっていうのかっ!」
「姉様だけじゃない、鈴々だって一緒に戦うのだ!」
「私もそうだ」
「……皆さん。 私は勝てる算段があるから戦うのではありません。 守りたいものがあり、目指すものがあるからこそ戦うのです」
「…………」
「無謀と笑ってくれても構いません。 ですが、私はもう自分に嘘はつきたくないのです」
そう言って一礼すると、美生は店の外へと出て行ってしまった。
慌てて関羽と鈴々がそれを追いかけてゆき、俺もその後に続いた。
その間、店の中にいた村人達は俯いたままで、反論してくる人は誰もいなかった。
「あ、あああぁぁぁああ……。 わ、私ったらなんてことを……」
店から少し離れた所で、美生はなんか物凄い勢いで落ち込んでいた。
どうやら、先ほど酒家で言ってしまったことに今更後悔しているらしい。
「つい頭に血が上ってついあんなことを……。 うぅ、猛省しなければ……」
なんというか、放っておいたら穴でも掘りそうな勢いだった。
これは本当にさっきまで街の人達に対して毅然と話していた人物なんだろうか。
「姉上、申し訳ありません。 私があんなことを言ったばかりに……」
責任を感じているのか気落ちした表情の関羽。
その謝罪に美生は首を振った。
「ううん、愛紗は悪くない。 確かにあれも選択の一つであったのは間違いないもの。 でも、あの人達には生活があるし、守らなければいけない家族もいるわ」
「ならばやはり戦うべきでは……」
「……命を惜しむのは決して臆病なことではないわ。 無益な戦いなんて、本当はしないほうがいいんだもの」
「でもそれじゃあ黄巾の思うつぼなのだ!」
「そうね……」
美生自身、そのことが分かっているのだろう。
力の無い笑みを浮かべながら、鈴々の頭を撫でる。
「でもだからこそ、私は抗うと決めたの。 誰かに救いを求めるのではなく、誰かの救いの求めに応えるために」
「姉上……」
「秀でた武勇も、優れた智謀も何も無い私がこんなことを言うのは確かに馬鹿なことかもしれない。 でも、私は自分の志に嘘はつけない」
そう言って、美生は関羽と鈴々を抱きしめた。
突然のことに二人はびっくりして身動きの取れないままに、美生の腕の中に収まってしまった。
「そう思えるようになったのは二人のお陰よ……。 二人と出会って私の背中を押してくれたから私はそう思えるようになったんだもの」
「あ、姉様苦しいのだー」
「姉上、離してくださいっ。 は、恥ずかしいですから……!」
「ふふふ、二人ともありがとうね」
もう一度強く抱きしめると、美生は二人を解放した。
鈴々は照れた顔のまま嬉しそうに笑い、関羽は赤くなってしまった顔を必死で抑えようと深呼吸を繰り返していた。
その様子に、俺はつい顔の表情を緩めて苦笑した。
いい関係だなと思う。
この三人に血の繋がりは無い。
でもそんなものが必要が無いくらいにこの三人は信頼によって強く結ばれていた。
「だから、私は逃げない。 私の夢のためにも、義妹たちの信頼に応えるためにも」
それは彼女の誓いだ。
ひたすら真っ直ぐで、だからこそ力強さを感じる彼女の覚悟。
「それでこそ私の姉上。 この関羽、何処までもその志の下についてゆきます」
「鈴々も、ずっと姉様と一緒なのだ!」
「……一刀さん、力を貸してくれると言った早々にこんな事になるなんて申し訳ありません。 旅の身上でこんな私についてきてくれると言ってくれたこと、深く感謝します」
「……」
「しかし、これから行うことは悪足掻きにすぎません。 でも、街の人々が逃げる間の足止め程度にはなるでしょう。 一刀さんも彼らと一緒に────」
「────逃げるなんて、誰が言った?」
「え……?」
まったく、唖然とした顔をしなくてもいいだろ。
確かにこんな少人数で四千の黄布党とやりあおうなんて無茶にもほどがあるさ。
正直怖いし、逃げ出したいとも思っている。
だけど、逃げた先で俺は自分の無事を喜べるだろうか?
答えは断じて否、だ。
「俺も一緒についていく。 生憎と俺は女に逃げろと言われて、はいそうですかと従うほど厚顔無恥じゃないんでね」
覚悟が無いから刀を振るえないだと。
理由が無いから戦えないだと。
目標が無いから進むべき道が分からないだと。
そんなことは逃げる口実でしか無い。
もっと単純で明快な答えがここにあったじゃないか。
「俺は、俺の信じた義を貫く。 約束は守るもんだぜ? 仲間になるって言ったんだ、俺もお供させてもらうのは当然だろ」
言ってしまえば気が楽になった。
まったく、こんなことでウジウジ悩むような性格じゃないだろ俺は。
自分が正しいと思ったことを突き通す。
それでいい。
それでこそ俺だ。
「それに、こんなところで易々とやられたりするつもりもない。 悲壮感は結構だけど、最初から命を捨ててちゃあ勝てるものも勝てなくなっちまうぞ」
「……そうだな。 やるならば、勝つ。 姉上の為にも、ここで朽ちるわけにはいかない」
「鈴々たちならきっとやれるのだ!」
「一刀さん……」
「美生、やってやろう。 黄布党のやつらに一泡吹かせてやろうぜ」
「は、はい!」
うん、いい笑顔だ。
「で、これからどうするんだ?」
「決まっている。 明日攻めてくる黄巾党を迎え撃つ、それだけだ」
「……いや、流石にそれは無茶だろ?」
「姉者は考え無しなのだ」
「それはお前にだけは言われたくないぞ鈴々」
それにしてもどうしたもんかな。
四人で出来ることなんてたかが知れている。
しかも相手は四千。
単純計算で千倍
少なくともその半分くらいはいれば手の打ちようもあるんだが……。
「────待ちな!」
その声がしたのは丁度そんなことを考えていた時だった。
振り返ると、そこには酒家にいた人達の姿があった。
中には怪我をしながらも肩を貸してもらって歩いてきた人の姿もあった。
「あなた達、一体どうしたんですか?」
「……俺達はこの街が好きだ。 この街で生まれて、この街で育ってきた。 だからこの街が好きだって思いは誰にも負けねえ」
「だけど、黄巾の連中に襲われて怖気ついちまった。 本当は自分達で守らなきゃいけなかったのに」
「怖くなって、誰かが助けてくれるのをどこかで望んでたんだ。 情けない話だけどな」
「嬢ちゃんに言われて思い知らされたよ。 この街は俺達が守らなきゃいけねぇ。 誰かの手で守ってもらってちゃご先祖様に申し訳が立たねえ!」
彼らの姿には、この街を守るという自負と、決意がありありと見て取れた。
先ほど酒家で燻っていた時とは全然違う。
それは戦う者の目だ。
この街で生きて、この街で死んでいく。
そのことに誇りを持つ、村人としての意志。
「あんなこと言っちまった手前ばつが悪いけど……」
先ほど酒家の中で話の中心にいた男が前に出る。
そして、深く、ゆっくりと頭を下げた。
「頼む。 俺達の街を、守らせてくれっ!」
その頭を、美生は真剣な目で見つめていた。
そして、表情を緩めながら関羽のほうへと顔を向け、
「愛紗」
「はっ」
すぐにその意図を察した関羽が男の前に進み出る。
流石は義姉妹、ということなんだろうか。
「我らは同じ志を持つ同志だ。 その同志に頭を下げるのは止めてくれ」
「嬢ちゃん……」
「共に戦おう。 そして、一緒にこの街を守ろう」
「……ああ!」
関羽が差し出した手を、男が力強く握った。
その光景を見ながら、俺は美生に近づき彼女にしか聞こえないように話しかける。
「よかったな。 美生」
「はい。 でも、まだこれからです」
「そうだな……」
確かに、これは始まりにすぎない。
これでようやく黄布党に対抗出来るようになっただけだ。
「では、早速他の人々にも召集をかけ、戦の準備に取り掛かろう。 鈴々、お前は身軽そうな者を数名ほど集め、黄巾党の居場所を偵察してきてくれ」
「りょーかいなのだ!」
「うむ。 ……さあ、皆の者! これより反撃の狼煙を上げるぞ。 武器を持てるものは私に続け! 黄巾の奴らに、目に物見せてくれようぞ!!」
返る声はもう、轟音としか形容出来ない。
鼓膜を破る程の雄叫びは、衝撃となって俺の身体を揺さぶった。
そして、同時に高揚感が湧き上がってくる。
いい気分だと感じる。
自然と笑みが零れる。
自分でも自覚をしたことのない、武人としての、歓喜の笑みだった。
数時間後、俺達は再び酒家に集まり、机の上に広げられた地図を見ながら話し合っていた。
その頃には偵察に行っていた鈴々も帰還し、いよいよ黄巾党との戦いに向けて会議が行われようとしていた。
今この場にいるのは俺と関羽、戻ってきた鈴々に街のリーダー格の男──簡雍というらしい──の四人だ。
美生はここにいても出来ることがないからと、怪我人の手当てをしにいった。
「集められた者の数は約二千。 これには軽度の怪我人もいますが、戦うことには支障はないでしょう」
「一応、武器は蔵に残されていたものが使えそうだ。 黄巾党のやつら、奪っていったのは金と食料だけだったからな」
これは嬉しい誤算だった。
街の貯蔵庫はあらかた荒らされてはいたが、大半の武器は無事なままでその場に放り出されていた。
しかもそのほとんどが手入れをされたままで使われていない新品同然のものばかりだ。
この街のお偉いさんが軍備にどれだけ力を抜いていたか思い知らされたが、今の俺達にはそれも助けになっていた。
「鈴々、黄巾党のほうはどうだ」
「鈴々たちが黄巾党の奴らを見つけたのは、ここなのだ」
そう言って、地図の一部を指す。
……ここからあまり離れているわけではなさそうだ。
どうやら、本当に明日にでも再び攻めてくるつもりらしい。
「あいつら、こっちが何もしないと思い込んで油断してたから姿が確認出来る位近づいても気付かれなかったのだ」
「奴らにしてみれば私達が反旗を翻すことなど考えもしていないだろうからな。 で、人数と武装は?」
「街の皆が言ってた通り、大体四千くらいかな? みんな貧乏っちい武器で、あれじゃあ野盗と同じなのだ」
「ふむ……。 武器の差は考えなくともいい、ということだな」
問題は数か。
戦う準備が出来たとは言ってもこちらの数は相手の半分しかない。
別に物量だけが全てとは言わないけど、数の差は戦場で重要な条件の一つだ。
「とは言っても相手は四千。 それに対してこちらは二千。 まぁ、相手が烏合の衆ゆえ、考え無しに突撃を繰り返してくるだけでしょうが」
「つっても馬鹿正直にそれに付き合ってたらこっちがもたない。 問題はどう戦うかだな」
「奴らはこちらが戦おうなどとは露ほどにも思わずに油断しきっています。 そこに付け入る隙があるでしょう」
「となれば、奇襲か」
一度しか使えないが、成功すれば効果は絶大だ。
しかし、それに失敗すればこちらが負けることになる。
奇策は相手がそれを想像していないからこそ用いれる一度だけのチャンスだ。
「ですが、この街の周囲にそんなことに利用できそうな地形は無い。 夜襲も考えましたが、駄目ですね。 訓練もしていない村人が闇夜で武器を満足に振るうことなど出来ないでしょう」
関羽の言葉に、俺は窓の外から見える空を見る。
陽が落ちて、外は星と月の明かりで薄らと照らされている。
俺が元いた時代に比べれば随分と明るい。
だけど、それで彼らが十分に戦えるかと言われれば、無理と答えるしかない。
ましてや、大人数が衝突する戦い。
下手をすると同士討ちなんて事態になりかねない。
「んー……ちょっといいか?」
「なにかいい案でも?」
「あるにはあるけど、上手くいけばもしかしたらやれるかもしれないぐらいのもんだよ。 俺みたいなのの生兵法じゃ、博打みたいなもんだし」
「いえ、参考として聞かせて欲しい。 今は少しでも案があったほうがいいですから」
「わかった。 もしおかしかったとしても笑わないでくれよ」
地図を使いながら、なるべく簡潔に説明する。
案自体は、俺が漫画などで見たものを自分なりにアレンジしたものだ。
浅知恵だと笑われるかもしれないと思ったが、反応は意外と悪くは無かった。
「……どうだ?」
「突拍子もない作戦ですが、不可能ではないでしょう。 問題は統率力と合図の時機ですが……」
「やっぱ無理があるか」
「いえ、皆を幾つかの部隊に分け、それぞれで行動を割り振れば可能かもしれません」
この場を仕切っている関羽は、この作戦には賛成のようだ。
「なら、俺は街の奴らにそのことを伝えてくるぜ。 他にもなんかあったらすぐに教えてくれ」
簡雍も、そういうとすぐに酒家から飛び出して村人が待機している広場へと行ってしまった。
なんだかどんどん話が進んでるんだが、これでいいんだろうか。
「いや、言いだしっぺは俺だけど、こんなにあっさり決めちゃっていいのか? 他にも色々話し合ったほうがいいと思うんだけど……」
「おそらくこれ以上話し合っても打開策は無かったでしょう。 今は時間が惜しい。 それに、そう悪くはないと思いますが」
「そう、なのか?」
「愚直に迎え撃つだけよりは遥かにマシですね」
そう言って一息つくと、眉尻を下げて苦笑した。
「これが成功すれば被害は最小限に抑えられるでしょう。 あとは、実際の戦場でそれが実現出来るか否か……」
しかし、そう言った顔に不安は無かった。
何故なのか、と思うと顔に出ていたのか、関羽が答える。
「この街の者達には気迫があります。 今の彼らなら大丈夫だと確信してもいいでしょう」
「自信家だな」
「自信が無ければこんな作戦を認めようとはしません」
そりゃそうだ、と同意する。
まぁ、なにはともあれ指針も決まった。
この後も部隊の編成やら、村人への作戦の説明、武器の配分を考えないといけないが、するべきことが決まればそういうのは早いものだ。
明日には全てが決まる。
勝つか、負けるか。
生きるか、死ぬか。
まったく、この世界に来てから一日も経っていないというのになんとも波乱な幕開けだ。
なんで俺がこんな目に、なんて考えたりもするけれどこうなったら腹を括るしかない。
「勝とう。 なんとしてでも」
関羽も、鈴々も頷く。
勝つ。
余計なことは今は考えず、それだけを考えよう。
夜が更ける中、街の火は長い間消えることは無かった。