「────知らない天井だ」
というか天井ですら無かった。
目が覚めた先に広がる光景は青い空に白い雲。
うん、今日もいい天気である。
「……」
それにしても何故俺はこんなところで寝転んでいるのだろうか?
寝ていたのなら、目の前にあるべき光景は実家の狭い自分の部屋の天井の筈なのだが。
なのに今見えるのは清々しいほどの朝の風景だった。
……朝?
「って、学校!?」
飛び起きるように身体を起こす。
そういえば今日は学校の登校日だった気がする。
早く準備しないと遅刻してしまう。
「…………ん?」
ふと、周りを見回してみるとそこはあたり一面荒野が広がっていた。
何処だよここ。
今までこんなとこ見たこともないんだが。
フランチェスカの公園……にしては殺風景過ぎる。
っていうかなんか向こうの遠くに山が見えるし。
「…………山!?」
まだ寝起きでボーッとしていた意識が一気に覚醒する。
俺が知っている地元で山なんてあるわけない。
っていうか何気にあれは日本にある山じゃない。
岩が大きく隆起したようなあの山はどちらかというと中国の水墨画に出てきそうなイメージだ。
「い、いやいや。 落ち着けー、落ち着け俺。 とりあえず深呼吸だ」
わざとらしく口に出しながら必死に自分の心を落ち着かせようとする。
大きく息を吸い込んで、中に溜まった二酸化炭素をゆっくりと吐き出す。
それを幾度か繰り返すと、幾ばくか冷静さを取り戻してきた。
それと同時に、徐々に昨日の記憶も蘇ってくる。
「────そうだ、あの男!」
あのフランチェスカの制服を着た少年。
あいつと戦っているうちに鏡が割れて、何故かそこから光が漏れ出してそこから……。
「そこから、どうなったんだ?」
まったく記憶に無い。
気が付いたらここにいた、ということぐらいしか分からない。
今のままでは全くの情報不足だった。
せめてここが何処か分かれば少しは考えようがあるんだが。
「もしかして誰かに寝ている間に拉致られた、とか? ……その割には拘束もされてないし、こんな荒野のど真ん中に放置する意味もないだろ」
自分の考えを否定する。
多分、あの少年がなにか知ってそうだが残念ながらここにはそれらしき人影は無い。
と、言うか人どころか街すらも無い。
「……俺にどうしろってんだ」
途方にくれる俺に、追い討ちを掛けるように腹の虫が鳴る。
相乗効果でみるみると俺の気力が萎えていく。
別に空腹でも人は生きていけるけど、食べ物を食べなきゃ活力だって湧いてこないのだ。
「あー……もう、これからどうすればいいんだ」
「────……さい! もう……に…て!」
「ん?」
その声が聞こえたのは丁度、俺が頭を抱えだした時だった。
02【理想は道連れ世は乱世】
どうやら、声は岩陰になっていた場所から聞こえていたらしい。
声の元を手繰って覗いてみると、そこには変な格好をした男三人と、それに囲まれている一人の女性がいた。
明らかに平穏じゃない雰囲気を漂わせるその四人は、こちらに気づくことも無く口論を続けていた。
「だから、もうこんなことはやめてください! こんな意味の無いことを繰り返して一体何の意味があるというのですかっ?」
「姉ちゃんもしつこいなぁ……。 何度言えば分かるんだよ。 なあ、アニキ?」
「俺たちはあんたに身包み剥いで置いていけって言ってんだよ。 こんな簡単なことも分からないのか?」
「そんな下賎な要求、分かりたくもありません!」
「ね、ねえちゃん、お、おとなしくアニキのいうことをきくんだな。 アニキはおこると、こ、こわいんだぞ」
……かなり剣呑な雰囲気だ。
追い剥ぎ、というのだろうか。
初めて見るが、あの三人今にもあの女の人に飛び掛かってもおかしくないほど苛立っているようだ。
しかし、あの女性も度胸がある。
あんな大の大人三人を相手に全く怯まずに言い返している。
「私が言いたいのはですねですね、略奪行為をやめてということなんです! あなた達のせいであの村の人々は困っているんですよ!?」
「と、言われてもな。 俺たちはそれでおまんま食べてきてるんだ。 止めたりなんかしたら生きていけねえのさ」
「別に働けばいいでしょう!?」
「……ったく、小うるさい女だ」
「どうしますアニキ。 見てくれはいいみたいだし……」
そう言って舐めつけるような視線を向ける小さい男。
面倒くさいのでリーダー格らしきアニキ、ちびっちゃいチビ、やたらと太いデブと命名しよう。
「そうだな……。 売れば高くなるかもしれん」
物騒な言葉と共にアニキが懐から取り出したのは鞘に入ったナイフよりも若干大きめの剣を取り出す。
おいおい、かなりやばくないか……!?
「!? い、一体なにをするつもりですかっ!」
「おいおい、姉ちゃんこれ見ても分からないのか? ……俺たちがあの村でしたこと知らないわけ、無いよなぁ?」
「ヒヒヒ、あんたならいい金になりそうだ」
徐々に、女性との間合いを詰めていく三人組。
それに対して彼女のほうはじりじりそこから逃げるように後ろに下がる。
……どうやら、特別なにか護身術かなにかを習っていたわけではないらしい。
それなのに三人の強盗相手に言い争いを続けていたなんて無謀にも程がある!
「くそっ」
俺は、寝転んでいた近くにあった愛用の刀を手にすると、無策のまま四人の所へと走り出していた。
馬鹿なのは分かっているが、性質なんだからしょうがない!
「待てよ!」
「あん?」
「なんだぁ?」
「……?」
突然割り込んできた俺に、不躾な目線を向ける三人。
後ろにいる女性も困惑しているらしい。
そりゃ自分たちだけしかいないと思っていた場所に乱入者が入れば驚きもするか。
「あんた達、いい年した男が三人でよってたかって女性を襲おうなんて恥ずかしいとは思わないのか?」
「小僧が何言ってやがる!」
こちらの言い方が気に入らなかったのか、チビが肩をいからせてこちらとの距離を詰めようとする。
それにしても、近くに来て分かったのだが、こいつの声甲高過ぎて癪に障る。
「まぁ、待てよ」
そんなチビを目つきの悪いアニキが制した。
そして、チビを下がらせると今度は自分でこちらとの距離を詰めてきた。
手にはあの剣が握られたままだ。
「兄ちゃん、あんまカッコつけようとするなよ。 早死に、したくないだろ?」
ヒタヒタと、刀身をこちらの頬に当てながら薄笑いで話してくる。
近くで見ると、それが本物だということが分かる。
一瞬身が竦みそうになったが、相手に悟られまいとすぐに気を取り直す。
「それにしても兄ちゃん……いい服着てやがるな。 ここらでは見かけない服だ」
「それが、どうした」
「兄ちゃんがその服を脱いで、有り金全部置いていったら、兄ちゃんだけは見逃してやるぜ?」
「そりゃいい! 良かったなオマエ、アニキがいい人でよぉ!」
黙って話を聞いていれば、好き放題言ってくれる。
今にも胸倉を掴みにいってしまいそうだが、身体を全力で抑える。
その震えが、相手にはどうやら恐怖のあまり竦み上がっていると勘違いしているようだ。
「……私のことはいいですから、早く逃げてください」
後ろの女性も同じように思ったのか、自分のことを棚に上げて俺に忠告をしてきた。
まったく、誰のせいでこんなことに巻き込まれたと思ってるんだ。
とにかくそれらを黙殺して、ゆっくりと息を整える。
重要なのはタイミングだ。
「……なぁ、ほんとに見逃してくれるのか?」
「ああ、約束は守ってやる。 なんならお前も仲間にしてやろうか?」
「へぇ、そうか。 ……ああ、そういえば────」
「あ? ────ぐへっ!?」
完全に油断したアニキの鳩尾に鋭い蹴りを食らわせてやった。
それは他の二人も同じだったのだろう。
突然の攻撃でよろめいたアニキを見てチビとデブが明らかにうろたえた。
よし!
「さあ、今のうちに早く逃げろ!」
「で、でも……」
「いいから! 街があるんだろっ? そこから助けでも呼んできてくれ!」
「は、はいっ」
なおも渋る様子を見せていたが、俺の言葉に力強く頷くと村があるであろう方向へと走っていった。
……なんとか彼女だけは逃がすことには成功したか。
だが、あの男達が俺も逃がしてくれるはずもない。
「くっそ……やってくれたな」
「生意気なヤツめ。 どうなっても知らないぞっ!」
「ゆ、ゆるさないんだな」
彼女を逃がしている間に三人組は体勢を立て直してこちらを睨みつけていた。
全員殺気だった表情をしているが、あの少年に比べれば軽いものだ。
……どうやらあの戦いで多少は殺気に耐性が出来たようだ。
剣術家として喜ぶべきか、難しいところだ。
「もちろん、ただで見過ごしてもらおうとは思ってないさ」
「覚悟は出来てるみたいだなぁ」
「そんなヒョロい武器でオレたち三人を相手にしようなんざ、笑っちまうぜ!」
「お、おわらいぐさ、なんだな」
こちらを完全に見下している。
確かに多勢に無勢ではあるが、こちらの実力を知らずに油断しきっている。
いつも爺の相手をしていて相手の力量をある程度分かるようになったが、この三人は爺にもあの少年にも遠く及ばない。
「……」
嘲笑を黙殺して、刀を抜き放つ。
同時に意識を完全に切り替えて、ゆっくりと正眼の構えを取る。
その気配に只者ではないと感じたのか、三人組が思わずたたらを踏む。
「ぬ……。 デク、行け!」
「わ、わかったんだな」
……どうやらデブの名前はデクと言うらしい。
デクと呼ばれた男は、アニキの命令を忠実に守り俺に襲い掛かってくる。
巨漢から繰り出される攻撃は確かに威力はありそうだが、如何せん振りが直線的で、しかも行動が緩慢過ぎる。
「わ、わるいけどアニキのめいれいだから……」
「そうか、よ!」
振り下ろされた剣を紙一重で避けて、刀を袈裟懸けに振るう。
確実に仕留められるタイミングだったが、それは思いもよらないことで防がれた。
「こ、こいつの体脂肪幾つあるんだよっ!?」
柔らかすぎる脂肪がこちらの剣戟を防ぎ、あまつさえ弾き返してきた。
驚異的な脂肪の持ち主だ。
「あう……いたいんだな」
しかもその脂肪と言う名の鎧で相手のダメージは全くといっていいほど無い。
刃引きをしていなければこの脂肪ごとこいつを斬り伏せることが出来たのにと思う反面、真剣でなくて良かったと安堵もした。
確かに悪人であることに間違いは無いだろうが、流石に俺には殺人を犯す覚悟なんて無い。
「なんだぁ、その軽い攻撃は? そんなんじゃあデクは倒せやしないぜ!」
「……見ているだけのやつに言われたくねぇな」
「んだとぉ!?」
「待てよ、チビ。 ────デク、殺してもいいが服は破くなよ」
「わ、わかっだぁ」
今度は剣を握っていない左手を無造作に振るってくる。
なんてことはない一撃だが、この巨漢から繰り出されるとなると話は違ってくる。
なんとか刀で受けるが、その凄まじい力でそのまま後ろに吹っ飛ばされてしまう。
「くそ、この馬鹿力め……!」
「ケケケ、あんまり無理すんなよ! お前はか弱いお坊ちゃんなんだからよぉ!」
その様子を見てチビが更に調子に乗ってこちらを挑発してくる。
見ているだけのやつの台詞なんてどうでもいい。
今は、このデカブツを倒すだけだ。
狙いは一点。
構えを八相に変え、相手の出方を待つ。
葛葉派一刀流の基本は後の先。
カウンターでこそ真価を発揮する。
「来いよ、デカブツ。 綺麗に料理してやるぜ」
「む、むぅっ! い、いってくれるんだな!」
こちらの挑発に簡単に掛かったデクは、さっきと同じように大振りでこちらの脳天を叩き割らんと剣を振りかざす。
どうやら、さっきのせいでこちらの攻撃は通じないと油断しきっているのだろう。
だが、それこそが勝機に繋がる。
俺は相手が剣を振り下ろす前に鋭い刺突を放った。
狙いは眉間。
いくら分厚い脂肪があろうとも顔面まではその鎧は存在しない────!
「せぇりゃあぁ!」
「ぐえ……」
まったくの無防備のままこちらの攻撃を受けたデクは、小さな呻き声を上げるとゆっくりと倒れていった。
どうやら、軽い脳震盪を起こしたようだ。
とりあえず、これで一人は戦闘不能だ。
「デ、デクッ!?」
「……油断大敵って言葉、知ってるか?」
デクが倒されるなんて予想もしていなかったのか、チビとアニキが明らかに動揺する。
そして、その隙を俺が見逃すはずも無い。
踏み込みと同時にチビの懐に潜ると、そのまま柄尻で鳩尾を突く。
複数が相手の時にわざわざ一人一人相手をしてやる必要は無い。
「ぎゃっ」
「チビっ!?」
蛙が潰されたような声を出してチビが崩れ落ちる。
急所に全力で加えられた一撃は、相手の肺を圧迫して全ての息を吐き出して失神へと至らせる。
手下二人をあっという間に倒されたアニキは、呆然とこちらを見ていた。
そのアニキに向かって刀を向ける。
「さて、残りはあんた一人だが……。 この二人みたいになりたいか?」
「……ひっ」
「別に俺はあんた達が逃げようと構いはしない。 だが、あくまで抵抗するなら……分かってるよな?」
「……く、くそっ。 今日のところは見逃してやる!」
なるべく酷薄に告げると、アニキは苦し紛れの負け惜しみの言葉を吐き出した。
「おら、お前ら早く起きろ!」
「ぐぇっ」
「ぬぅ」
地面で大の字で伸びていた手下を乱暴に蹴り起こすと、こちらに一瞥をくれてそそくさと逃げ出していった。
その間約五秒。
恐るべき逃げ足だった。
「……結局なんだったんだ、あいつら」
ただのチンピラみたいだったけど、それにしても変な服を着ていた。
あれじゃあまるで昔の民族衣装みたいだ。
まあ、今はそんなことは考えなくていいか。
「取り敢えず、あの人が助けを呼んできてくれるまで待つか……」
自分一人ではどうしようもない。
とにかく、あの人が戻ってくることを信じて待とう。
その後、俺が疑問に思っていたことを聞けばいい。
そんな事を考えながら俺は今まで剥き出しにしていた刀を鞘に戻した。
彼女が戻ってきたのはあれから十分もしないうちだった。
隣にはなんかやたらと馬鹿でかい薙刀を携えた少女が一人。
多分、大体俺と同じ歳くらいだろう。
……そんな少女が身の丈もある薙刀を持って走ってくる姿は中々シュールなような気がする。
「あ、あの男の人たちはっ?」
「それなら大丈夫。 もう追い払ったから」
「そうですか……。 よ、よかったぁ」
それで気が抜けたのか、女性は足から力が抜けたように地面に膝をついた。
どうやら本当に俺を心配していてくれたらしい。
「私のせいであなたが大変な目にあったらどうしようって、気が気じゃなくって……」
「いや、ほらこの通り俺も無傷だし、そんなに気にすることじゃないよ」
「……元はと言えば姉上が一人で黄巾の輩を説得しようなどと無謀なことをしたせいです。 猛省して下さい」
「うぅ……」
明らかに自分よりも年下の少女に窘められる女性。
まぁ、少女が言っていることは確かなんだし、仕方ないかもしれないけど。
「で、でもね関羽。 私やっぱり話し合うことこそが大事だと思うの」
「低俗な黄巾が話し合いなどに応じるわけがないでしょう。 それと、私のことは愛紗で結構ですと何度言わせれば気が済むのですか」
「ちょ、ちょっと待った!」
「……?」
今、なんか聞き捨てがたい単語が飛び出さなかったか!?
慌てて俺が少女の説教に口を挟むと、少女は明らかに不審な者を見る目でこちらを睨んできた。
「……なにか?」
「いや、ちょっと気になったんだけど。 君の名前、今なんて言ったっけ?」
「あ、この子は関羽って言うんですー。 ちなみに字は雲長って言うんですよっ」
「ちょ、姉上っ!?」
関羽雲長。
俺の記憶が正しければ、三国志の中でも随一の武将。
青龍偃月刀を手に劉備を補佐し続けた豪傑だ。
「……」
「な、なんだいきなりまじまじと人を見詰めてっ」
「……関羽?」
「確かに私の名前は関羽だが。 それが何か?」
間違いないらしい。
これは……一体どういうことなのだろうか。
「すまん、一個質問、いいか?」
「はぁ、構いませんが」
「ここって日本、なのか?」
「にほんとは、何です? 関……じゃなくて愛紗、知ってる?」
「……いえ、私は存じ上げませんが」
「えっと、じゃあここは一体、何処なんだ?」
「ここは幽州啄郡です。 ほら、あそこの稜線に見える山、五台山を見て頂ければ分かると思うんですけど……」
「つまり、ここは日本では、ない、と」
「恐らく」
「残念ながら」
幽州啄郡。
その言葉は三国志の中で見たことがある。
確か、劉備玄徳の生地だった筈だ。
つまり、ここは中国なのか?
そこまで考えて、ふと嫌な予感が頭を過ぎった。
関羽、幽州啄郡、劉備の生地、関羽が姉上と呼ぶ女性。
まさかとは思うが、一応確認を取ってみる。
「つかぬことをお聞きしますが、あなたの名前もお聞かせいただけますでしょうか?」
「……? なんでいきなり口調が丁寧になってるんですか?」
「いや、それはどうでもいいんですけど。 とにかく」
「はぁ……。 私の姓は劉、名は備。 字は玄徳と申します」
……関羽に劉備。
こんな偶然があるのだろうか。
「姉上! 迂闊に姓を名乗られてはいけないと何度も!」
「……愛紗。 私の命を助けてくれた恩人に対して名を偽るなんて、無礼な真似を出来るはずがないでしょう?」
「ですが!」
「ごめんなさいね。 この子、ちょっと心配性なのよ」
「はぁ」
「そういえば、まだあなたの名前を聞いていませんでしたね。 出来ればお教えいただけますか?」
「ああ……、名前を聞いておいて名乗らないなんて、失礼だよな。 俺の名前は北郷一刀だ」
「一刀さん、ですか。 良い名前です」
そう言ってこちらの頬も緩んでしまうような優しい笑みを浮かべる劉備とは対照的に、関羽は明らかに面白くなさそうな顔をしていた。
まぁ、見知らぬ男に大切な人があっさりと懐くのを見ていれば、そりゃ不快に思うかもしれない。
劉備がニコニコする度に関羽の視線が厳しくなっていった。
さて、この現状をどうしようかと一人悩んでいると、再び遠くから誰かの声と走る音が聞こえてきた。
「おーい、姉者、姉様ーっ!」
「あら、鈴々」
「まったく、遅いぞ鈴々」
鈴々と呼ばれた少女は、これまた身の丈を越える矛を片手で軽々と持ち上げながら、あっという間にこちらに走り寄ってきた。
あんな重いものを持っているとは思えないほどの俊敏さだ。
「もう、二人とも鈴々を置いていくなんて酷いのだっ!」
「ご、ごめんね、急いでたから……」
「そもそもお前が犬と戯れているのが悪いのではないか」
「むぅー……だってぇ。 あれ、このお兄ちゃん誰ー?」
今気づいたと言わんばかりにこちらに不思議そうな視線を向ける少女。
……というかかなり小さい。
矛の大きさで勘違いしていたが、近くで見ると俺の胸までぐらいの身長しかなかった。
下手したら俺よりも四歳以上は年下なんじゃなかろうか。
「この人はね私の命の恩人の北郷一刀さんよ」
「へー! お兄ちゃんが姉様を助けてくれた人なんだ。 ありがとっ!」
「いや、俺は当然のことをしただけで……」
「じゃあ鈴々も自己紹介するのだ!」
人の話を聞けよ。
「鈴々の姓は張、名は飛。 字は翼徳! 真名は鈴々なのだ!」
「……張飛って、あの張飛?」
「? よく分かんないけど鈴々はその張飛なのだ!」
「鈴々、でたらめを言うな。 お前がそんなに有名なわけないだろう」
「でも知らないうちに鈴々ってばすっごい有名人になってるかもしれないのだ!」
天真爛漫に笑う張飛と名乗った少女を見ながら、俺は瞼を押さえて思考を巡らせた。
見知らぬ土地。
古めかしい格好の強盗。
そして劉備、関羽、張飛と名乗った三人の女。
そのどれもが俺が今までいた日本とは違っていた。
そもそも、現代の日本にこんなに開けた土地がそうそうあるわけも無い。
と、なるとここは、あくまでも推測の話でしかないのだが。
「……三国志の、世界ってやつか?」
タイムスリップ、というやつだろうか。
確かに昨日のあの現象は普通では考えられないものだったけど、だとしてもこんな唐突な展開があるなんて全く考えもしなかった。
アニメや漫画じゃあるまいし、こんな突飛な出来事があってたまるか、とは思うのだが。
今感じているものすべてがこれが現実だと主張している。
「……はぁ」
────認めよう。
ここは確かに日本ではなくて、俺の全く知らない土地であると。
そう考えれば少しは気が楽になってきた。
うちの家訓は生きてさえいればどうとでもなる、なのだ。
今ほどこの言葉を痛感したことは無い。
「そういえば気になったのですが」
「ん?」
「あの……あなた様は何処からやって来たのですか? 見たところ私たちとは違う服装をしていらっしゃいますし、持っている武器も少し変わっているような……」
「それは私も気になっていました。 もしや、異国の者では?」
「あ、いや俺は……」
この時代、まだ中国──いや今は後漢と言ったほうがいいのだろうか。
とにかくこの時代はまだ日本との交流はあまり盛んでは無かった時代だ。
そもそも日本はまだ縄文時代だし。
中国に比べて文化レベルがかなり違う。
一応倭として認識されているが、今の俺の格好からでは信じてはくれないかもしれない。
……こうなったら、口先三寸で誤魔化すしかない。
「ああ、俺はここじゃない異国からやってきたんだ。 ここにはちょっと武者修行に来たんだよ」
……流石にちょっと無理があるだろうか。
しかし、三人は俺の服装をまじまじと見詰めると一言。
「なるほど」
「やはりそうであったか」
「へー、鈴々初めて見るのだ」
「……」
納得したらしい。
なんというか拍子抜けというか、もう少し疑われるものと思っていたんだけど。
「それにしても珍しい服ですね……。 ほら、太陽の光が反射して綺麗に光ってますよ」
「多分、それはこの服がポリエステルだから……」
「ぽりえすてるというのですか。 うぅむ、異国とは珍妙な名前の服があるのですね」
「ねーねー、この剣なんか変だよね。 曲がってるし、妙に細いし、こんなんじゃあ鈴々の蛇矛を受けたら粉々になっちゃうのだ」
「この刀は別に真っ向から攻撃を受け止めるものじゃないからな」
「ほう……刀というのですかそれは。 ちょっと見せてもらってもいいですか」
三人の中で最も芸達者そうな関羽に、抜き身の刀を手渡す。
先ほどまでの戦いで刃こぼれや歪みが出来た様子は全く無い。
一応うちの流派専用に打ってもらった代物だから、頑丈さで言えば他のものとはかなり違う。
そのせいで少々無骨な感じはするが、その無骨さを俺は気に入っている。
「見たところ、刃がついていないようですが……」
「ああ、斬れないよう刃引きがしてあるんだ。 それでも本気で振れば骨くらいは簡単に砕くことが出来る」
「ふむ……相手の無力化を前提とした武器ですか。 そんな考えで造られた武器を見るのは初めてです。 ……それにしてもこの曲線は中々美しい」
劉備と張飛を置いてけぼりにして刀を見ることに没頭している様子の関羽。
差し出したその場で見続けているため俺と関羽の距離はかなり近かった。
どれくらい近いかというと、彼女のほのかな良い匂いが香ってくる程には。
俺が下がれば済む問題なのだけど、今の俺は真剣に刀を眺める関羽の姿にちょっとばかり見惚れていた。
「なるほど……よく分かりました。 …………何か?」
「あ、いや、なんでもない。 ははは」
刀を受け取って納刀しつつ慌てて関羽との距離を離した。
関羽はそんな俺を怪訝な目で見ていたが、余計な詮索はしようとしなかった。
そのことに内心ホッとしながら、彼女に気づかれないように乱れた動悸を整える。
「んー…、武者修行ですか……」
「どしたのだ、姉様?」
そんな二人の様子など気付いていないのか、なにやら思案顔の劉備。
「────そうだわ! ねぇ、愛紗っ」
「……姉上がそういう顔をする時は、碌でもない頼みごとをしてくる時ですね」
「もう、そんなこと言わないで聞きなさい。 ねぇ、先日出会った占い師のこと覚えてる?」
「はぁ。 確か、管輅と名乗っていましたが」
「私、あの人に言われたの。 近い日に、将来に関わる出会いがあるって。 それはきっと、一刀さんのことよ」
「この男が、ですか?」
疑いの眼差しでこちらを指差す関羽。
いや、確かにそう思うけど無闇に人を指すな。
「ね、一刀さん」
「は、はい。 なんでしょう?」
「よろしければ、なんですけど。 私たちに協力してくれませんか?」
「……協力?」
何だか変な話になってきたような……。
「私の名前は先ほど名乗った通り劉備玄徳。 今は一介の平民ですが中山靖王劉勝の末裔にして、漢王室の血を引いている者です」
「漢王室……」
文献で読んだことがある。
劉勝とは、前漢の六代目皇帝である景帝の息子だ。
好色家だった為に五十人以上の子供が存在し、その孫だけでも百人以上もいたらしい。
まぁ、それだけ多くの血筋が分かたれたために系図が断絶した家も多く、劉備の家系もその一つなんだとか。
「……私はこの騒乱の世を平定し、人々が苦しまず、笑顔でいられる国を作りたい。 それが、漢王室の末裔たる私の使命だと思っています」
そう語る彼女の目は本気だった。
誇張でも嘘でも建前でもない、真剣そのものの瞳。
「愛紗と鈴々は、そんな私の意志についていきたいと言ってくれました。 私は二人と義姉妹の契りを交わし、その忠義に報いたいと誓ったのです」
「……愛紗と鈴々?」
関羽と張飛じゃないのか?
「ああ、異国の人は知りませんよね。 愛紗と鈴々というのは関羽と張飛の真名です。 この国の者は姓と名、字の他に真名と呼ばれる名前を持っているのです」
「……真名はその者に信頼を寄せられた者しか呼ぶことを許されない。 もし他の者が呼べばそれは侮辱に他ならないのだ」
「話が逸れましたね。 ……ですが、そうは思ってはいるものの、今の私には力が足りません……」
「姉上……」
俯き、手を震えるほどにきつく握り締める劉備。
信頼を寄せてくれる二人に応えられない自分が不甲斐ないのだろう。
よっぽど二人を大切に思ってるんだろうなぁ。
「だから、私には少しでも夢を実現できる力が欲しいのです。 ────そこで!」
「は、はいっ?」
「一刀さん、私達に協力してくださいませんかっ?」
いきなり俺の手を握り締めて懇願の眼差しを向ける劉備。
……なんだか知らないけど変な展開になってきたなぁ。
「ちょ、姉上一体何をっ!?」
突然の劉備の行動に関羽もびっくりしたのか素っ頓狂な声を上げていた。
張飛のほうはといえばそんな関羽の様子を不思議そうに見つめていた。
なんとなくこの三人の立ち位置が分かってきたような気がするなぁ。
「別に、無理にとは言いません。 私には戦力と呼べるものは一切無いし、これからのことだって明確な目処は立っていないですし……」
「あ、姉上そんなに落ち込まないでくださいっ」
「そうなのだっ。 鈴々と姉者がいれば百人力なのだ!」
自分の言葉に落ち込んでしまった劉備を慰めようとする関羽と張飛。
まあ、それはそれとして。
さてどうしたものか……。
確かに、この誘いは有難い。
こっちはこの世界について右も左も分からない身だし、このまま一人でうろついていてものたれ死ぬのが関の山だろう。
そんな俺にとってこの誘いは正に天の助けだ。
しかし、俺の知っている三国志とこの世界が同じであるのならば、これから彼女達と行動を共にするということは常に戦いと隣り合わせの生活をしていかなければならないということだ。
最悪、死ぬ可能性だってある。
もちろん、腕に多少の覚えはあるし簡単にやられるつもりもない。
だがそれは命の遣り取りを抜きにした場合だ。
今まで人を殺すために刀を振るってきたことは一度も無い。
「……」
自分の刀を見る。
……爺なら、こんな時なんて言うんだろうな。
「一ついいかな」
「はい?」
「俺は人を斬ったことなんてない。 そんな覚悟だってまだ決められてないし、そんな奴がいたら足手まといになっちまうと思う」
きっとそれはこの時代に生きる人からみれば甘い考えなのかもしれない。
こんな時代に不殺を貫くには俺の実力は全然足らない。
だから、近いうちに必ず嫌でも人を斬らなければならない事態に直面するだろう。
「そんな奴でもいいんなら、微力ながら協力させてもらってもいいかな」
「本当ですかっ?」
「……本気か?」
「一応、本気さ。 それに、俺は女性にあんな顔でお願いされて無碍に出来るほど冷淡じゃない」
喜ぶ劉備とは反対に、いぶしかむ様な顔でこちらを見る関羽の問いに肩を竦めながら答える。
どうせこの世界で俺が生きる為に役立てられる技能と言えば、刀を振るうくらいしかない。
なら、ここで一人悶々と悩み続けるよりもまず行動するべきだ。
「たったそれだけの理由で、お前は剣を振るうというのか?」
「別に十分な理由だと思うけどなぁ。 ま、こちら側のメリットも考えてあるし、持ちつ持たれつってことで」
「……? めりっととはなんだ?」
「あー…そっか、こういう言葉はこっちには無いんだよな。 メリットっていうのは利益ってことだよ」
当ても無く流浪するよりは、彼女たちと一緒に行動したほうが元の世界に戻るための情報を集められそうだしなぁ。
それに俺の知識も多少は役に立つかもしれないし。
「で、劉備……さん。 どうかな、こんな俺でも君たちの手伝いをさせてもらえるかな?」
「……」
そんな俺を何故か呆然としながら見つめる劉備。
……なんか変なことを言っただろうか、俺。
だがそんな表情も数瞬後には喜びの表情に変わっていった。
そりゃもう嬉しいってオーラが溢れ出しそうなくらいに。
俺よりも年上なんだろうけど、表情がころころとよく変わる人だ。
「あの、こちらこそお願いしますっ」
「やったのだ! お兄ちゃんも鈴々たちの仲間になったのだー!」
「こうしてはいられないわ。 鈴々、早速村に戻って有志を募り、黄巾の人たちに対抗出来るようにしましょう!」
「村の者の情報では県境の谷に潜んでいるという話だ。 行動を起こすのなら、なるべく早いほうがいい。 鈴々、頼むぞ」
「合点承知なのだー! よーし、鈴々張り切っちゃうぞー!」
言うが早いか、張飛は物凄い速さで元来た道を走っていった。
俺はと言えばあまりにも急な展開に驚くしかない。
話に置いていかれて現状を把握するだけで精一杯だ。
「えーと……。 もしもし?」
「さぁ、私たちも急ぎましょう。 四人で力を合わせて人々の為に頑張りましょうね!」
「いやだから劉備サン?」
「もう劉備なんて他人行儀な呼び方はやめてくださいよ。 仲間なんですから真名で美生って呼んでくださいねっ」
「あ、姉上っ!? そんなに簡単に真名を呼ばせるなどと──!」
「もう愛紗も一刀さんは私たちの仲間になったんだから、そんなに怒らなくてもいいじゃない」
「私は別に怒ってなどいません! ただ、素性も分からぬ男に対して無防備過ぎると言っているのです!」
「だから、あのなぁ……」
なんか頭痛くなってきた……。
声を荒げる関羽に、その叱責を笑顔で受け流す劉備の後を追いながら嘆息する。
こんなんで本当に大丈夫なのか?
「だー! もうとにかく人の話を聞けー!」
……まぁ、とりあえず。
退屈だけは絶対にしなさそうだなぁ……。
後書き
劉備の真名の美生はメイシェンって読んでください。