劇場版機動戦艦ナデシコ
―――また一つの物語―――
あちらこちらで光を放ちながら爆音を撒き散らし、戦闘が激化している様子を見せていた。
無人兵器の数割はナデシコCに搭載されているA.I思兼と電子の妖精、ホシノ・ルリの力によって
無力化されていた。
しかし、地球連合宇宙軍最高の電子戦能力を持つ彼らで数割と言う事は、それだけ火星の継承者たちの
コンピューターシステムは硬かったのだ。
一向に停止していかない無人機をエステ隊が手当たり次第に落としていった。
ただ、多勢に無勢。
明らかに劣勢に立たされていた。
それはナデシコ側に付いているもう一機の戦艦、ユーチャリスも同じ状況にあった。
こちらはブラックサレナといわれるエステバリスの追加装甲を取り付けた強襲用特殊武装を装着した一機だけだった。
黒百合の名を冠せられているだけあり、その容姿は黒色に塗装されており、確実に相手を落としていた。
しかし、それは無人機相手の事。
火星の継承者の中でもかなりの戦闘能力を誇る北辰とその部下たち相手には多少、分が悪かった。
「どうした?復讐者よ」
錫杖を突き刺され、あちこちを損傷したブラックサレナに対して嘲笑を浮べた。
しかし、かなり強固な装甲のため内部のエステバリス自体にダメージは無かった。
まだまだ戦闘意欲の衰えていないアキトはその言葉に怒りを高める。
「北辰……」
「くくくっ、無様だな。ここに墓標を立てるか?」
「北辰!!」
ブラックサレナの全身に搭載されたブースターが火を噴いた。
驚異的な加速で北辰の夜天光に迫る。ディストーションフィールドを展開して突っ込む。
怒りに駆られたアキトに冷静と言う言葉は無かった。
夜天光を守るように六面が並ぶとミサイルを放った。ディストーションフィールドを展開している
ブラックサレナにダメージはほとんど無かったが、目潰しにはなった。
爆煙でさえぎられた視界。
抜けた先に北辰は居なかった。すぐにシステムにアクセス。
夜天光の居場所がすぐに表示された。自機の後ろ。
機体を反転させる前に衝撃が襲った。
「脆い、脆いぞ! 復讐者!!」
「くっ…!!」
ハンドカノンを乱射するものの、ディストーションフィールドを持っている夜天光には決定打を
当たられない。
あせる気持ちを抑えたものは視界のブレだった。
うっとおしい六面を落とそうか、と考えていたときに視界にノイズが入った。
バイザーに損傷は無いはずだった。ならば、考えられる事は…。
「ラピス」
小さいウィンドウが開く。
金色の瞳の少女が映し出される。顔面に異様な光の模様が浮かんでいた。
少し苦しそうに目を細め、息を荒くしている。
答えは期待できない。
「ラピス」
もう一度、呼びかけた。
返事の変わりにノイズが入る。データの送信率が低下しているのが原因だろう。
使い物にならないバイザーを脱ぎ取ると、そこにはその少女と同じ金色の瞳があった。
彼の顔面にも多くの光の模様が浮かんでいた。
ブラックサレナのメインカメラとリンクさせ、外の映像を見る。
バイザー装着時よりは遥かに視界が狭まるが、戦闘に支障は無い。
再び、北辰に目標を定める。
「敵の数が多いですね」
ユーチャリスの少女と同じ金色の瞳を携え、顔面にはそれ以上に多くの模様を浮べたホシノ・ルリは必死で演算処理を行っていた。
しかし、一向に無人機が機能停止する様子が見られない。
落ち着いた口調の裏では必死になって次の手を考えていた。
一時撤退。
それが彼女の最良の手段であるが、それに伴う被害を考えれば迂闊に何とも出来なかった。
辛うじてエステ隊のおかげでナデシコの被害はそれほど無かったが、撤退となるとそう簡単にはいかない。
A級ジャンパーが確かに居るが…。
「ハーリー君」
「は、はい!」
「ナデシコを任せます」
「へっ?」
たったそれだけの会話。
それが彼女と同じ金色の瞳を持つ少年に対する言葉であり、命令であった。
そして、それが次の手の布石。
「ちょ、ちょっと艦長?」
「リョーコさん」
彼の声は彼女に届くことなく、ルリは次の指示を出していた。
『何だ?いま、忙しいんだ…っと、堕ちろ!!』
「私をユーチャリスまで運んでください」
『あ?正気か?ルリが居なくなったらナデシコはどうなるんだ?』
「ハーリー君が居ます。急いでください」
返事を待たずに一方的に通信を切る。
そして、次につないだ場所はユーチャリス。
「あなたがラピスさんですね」
『……』
「あなたの力を貸して欲しいんです」
『アキトノ為ニナルノ?』
「はい」
『……分カッタ』
「すぐ、そちらに向かいます」
通信を切ると、ウィンドウボールが消え、メインオペレートシートが移動をしていく。
ブリッジに到達するとツインテールの髪を揺らして格納庫へ向かった。
後ろで「艦長〜!!」と情けない声が聞こえたが、無視してただ走る。
彼女が着いた時にはすでに赤に塗装されたエステバリスが待機していた。
「ほら、行くぜ!!」
「はい、お願いします。向こうには了解を得ていますので」
「分かった!!」
狭いコクピットに乗り込むと、リョーコは全速力でユーチャリスに向かった。
通信をつなぎ、ハッチを開けてくれるように頼むと受け入れるようにハッチが開いた。
滑り込むようにエステバリスが中に入る。
「ほら!後は頼むぜ」
「はい、何とかしてみます」
ハッチから飛び出すと、再び戦火に身を投じた。
ルリも自分のできることをするために、ユーチャリスのブリッジへ向かった。
そこにはすでにブリッジに降り立っていたラピスの姿があった。
「ドウゾ」
「はい」
ラピスに促され、メインオペレートシートに乗ると回りにウィンドウボールが展開された。
瞬時に状況が表示され、ルリのナノマシンは活性化を始めた。
一方、ラピスは傍のシートでルリのサポートを行いながら、アキトの補助をしていた。
まだ、北辰たちとアキトの戦いが続いていた。
「ハーリー君聞こえますか?」
『あ、艦長〜 どういうことなんですか〜?』
「ナデシコCと私の能力だけでは制圧が出来ませんでした。そうなれば、ユーチャリスの能力も使わないわけにはいかないでしょう」
『えっ?って、ことは……』
「はい、ハーリー君は思兼と共に仕掛けてください。私はユーチャリスのA.Iと共に仕掛けます」
『む、無茶ですよ〜 ナデシコの制御で一杯一杯なんですから〜』
「泣き言は聞きません。行きます」
強制的にウィンドウを閉じるとルリは自分自身の全てを賭けてハッキングを仕掛けた。
金色の波紋が顔面に浮かぶ。
そして、金色の瞳にラインが走り、データのやり取りが始まった。
一方、ナデシコの方もハッキングが始まっていた。
同じく金色の瞳にラインが走り、顔面の波紋が一際、光った。
二機の戦艦によるハッキング攻撃を受けた無人機は生きていた半数が機能を停止した。
やはりナデシコを操縦しながらハッキングに慣れていない上に、ルリ自身も使い慣れないA.Iでは本領発揮できていなかった。
「……」
『艦長〜』
「…撤退しましょう。ハーリー君はエステ隊を格納して一足先に逃げてください。私はこのままユーチャリスに乗ったままで居ます」
『で、でも…』
「作戦はある程度、出来上がっています。ですからハーリー君はそのままナデシコに乗っていてください」
『……分かりました』
エステ隊が徹底していく中、ブラックサレナはまだ死闘を繰り広げていた。
六面を二機落とすことまで出来たが、劣勢は今だ、変わらなかった。
すでに背中のメインブースター一機は機能を停止しており、肩のブースターと脚部のブースターのみで
戦闘行っていた。
右のハンドカノンは銃身が焼きついてしまっており、弾を放つ事が出来なくなっていた。
追加装甲は傷つき、綺麗なフォルムは原型を失いつつあった。
『アキトさん』
「ルリちゃん?」
戦闘中に邪魔するように入った通信に驚いた。
金色の瞳がまだハッキングを掛けていた頃の名残のように瞳にラインが走っていた。
『撤退してください』
「…悪いが出来ない」
『今でなくても倒せます』
「無理だ」
『アキトさん。今は撤退してください』
「北辰は殺す」
『アキトさん!!』
「……」
『今は引かなければいけません…』
「……くっ…」
アキトはブラックサレナを反転させると、六面と夜天光に背を向けた。
微かに手が震えている。
『逃げるか? 復讐者』
「……」
『くくくっ…惨めだな』
「…北辰!!」
『アキトさん!!』
通信が二つ入る。
どちらを取るべきか。戦略的に考えれば確かにルリのほうが正しい。
だが、アキト自身の怒りがそれを認めない。
機体を再び向けようとする。
『アキトさん!今は抑えてください!!』
「……」
『どうした? 復讐者』
アキトを挑発するような口調。
ふつふつと怒りが湧き上がってくる。顔面の波紋がさらに光り輝く。
「北辰……必ず、次は殺す」
『ふっ、負け犬が』
歯噛みするものの言い返せないアキトは、ブラックサレナを全力でユーチャリスに向けて飛ばした。
何とか月の格納庫まで来るとアキトは苛立ちを一気にぶつけた。
ユーチャリスは中破、ブラックサレナも外装は中破。内部のエステバリスも小破といった状況だった。
「クソッ!!」
壁を思いっきり叩き付けた。
鍛え上げられた肉体の一撃は壁を陥没させた。しかし、手の甲の肉が抉られ血が飛び散る。
ナノマシンがそれを修復に取り掛かる。
そして二撃目。
三撃目。
四撃目。
それを止める事が出来る人間は居なかった。
ラピスもルリもそして、月基地の管理をしていたエレナさえもその様子を見るだけしか出来なかった。
「……」
「……」
「……」
ただ、壁を鳴り響く音だけ。
壁があるところまで陥没したところで、アキトはやっと手を止めた。
「…アキト君」
「何だ?」
「落ち着いたかしら?」
「……あとどれくらいでユーチャリスとサレナは直る?」
「そうね…半日、と言ったところね」
「……もっと早くしろ」
そこまで言ったとき、再びアキトの視界がぶれ、急激に見えなくなっていった。
肌に伝わる感覚も薄くなってきた。
それと同時にルリの後ろで倒れる音がした。
ルリが振り返るとそこには血の気を失ったラピスの姿だった。
「ラピスさん!」
「ラピス!!」
「……ちっ…」
エレナが近寄ると、脈、呼吸が極端に低下していた。
もともとラピスはルリの複製品であり、実験体であった以上、それほど長い寿命を想定されて
造られているわけではない。
多少の寿命面の欠陥があったところで、彼らには問題などない。
また別の奴を作ればいいだけのことなのだから。
そのため、ラピスの寿命はそろそろであった。
「…エレナ。どれくらいでラピスは目を覚ます」
「目を覚ますには数時間で良いわ。でも、リンクは出来ないわ。すぐに倒れる」
「……どれくらいでリンクできる?」
「ユーチャリスが直るくらいかしら?」
「ちっ……使えん」
「アキト君!!」
「……」
視界が極端に低下し、他の感覚も極端に低下した身体を支えつつ、奥へ消えていった。
エレナとルリ、そして倒れたラピスがその場に残された。
「……エレナさん」
「何?」
「アキトさんはどうやって感じているのですか?」
「あのスーツのおかげよ。スーツに伝わるデータをラピスが処理してアキトに伝えているの。
だから、味覚と嗅覚以外の感覚は補えているわ。視覚はバイザーで触覚は黒のスーツから
聴覚は耳の内部に装着した補聴器で補っているの」
「……」
ルリはラピスを見つめながらエレナの言葉を聴いていた。
ラピスとルリの共通点。それは一言であげるならマシンチャイルド。
造られた子供。
情報を操るために作られ、そして情報を扱う事がその存在意義。
そして地球連合軍最高の電子戦能力を誇り『電子の妖精』の二つ名を冠せられている彼女が
ラピスの代わりにアキトの感覚を肩代わりしても問題は無いはずである。
「エレナさん」
「何?」
「ラピスさんにインストールしたリンクシステムのソフトを私にもインストールしてください」
「なっ! ルリちゃん! それがどういうことか分かって言っているの?! あなたに自由がなくなるのよ?!」
「はい。それでも私はアキトさんの力になりたい。だから、願うんです」
「でも、あなたは」
「軍など辞めれば良い事です。私はアキトさんの力になりたい。それだけを願っています」
「ルリちゃん」
「もう、あの人と別れるのは嫌です。これから一緒に居るためにもお願いします」
「…私の一存では決められないわ。何より、アキト君はあなたとのリンクを望まないと思うわ」
「分かっています。何度も言いますが、アキトさんの力になりたいんです」
「分かったわ。ドクターと掛け合ってみるから…」
何も出来ないアキトはユーチャリスのA.I「神産巣日」のサポートを受けて、部屋までたどり着いた。
もともと、ラピスを助ける前までは神産巣日のサポートを受けていたのだから、昔に戻ったと考えれば良い、と割り切っていた。
自室のベットに倒れこむと、全身から力を抜いた。
度重なる実験で崩壊しかけた体はもはや現代医学で治るはずも無かった。
それでも復讐を果たすためにはまだ持って貰わなくてはならない。
「まだだ…」
手を力いっぱい握り締める。
バイザーの下の顔にうっすらと光の流れが現れた。
「まだだ……必ず殺す。北辰」
その名を呟くとさらに光が強くなっていく。
殺気がその部屋に充満していく。
あの時、殺せなかった事への苛立ち。
殺す事を止めたルリへの苛立ち。
自分をこのような身体にした者たちへの怒り。
そして、人を悲しませることしか出来ない自分への怒り。
それが、彼が殺気を放つ理由だった。
「ユリカ……」
それが彼の行動理由だった。
そう、彼のかつての行動理由だったのだ。今はすでに行動理由が変わっていた。
ただ復讐。
それだけの為に彼は今まで動き続けていたのだ。
本当に助けたいのか?
そんな自問自答を何度、繰り返してきたか?
かつては「助けたい」と思っていただろう。だが、人を殺す事に抵抗を無くなってからは
そんな事もどうでも良かった。
ただ、殺したい。
それだけだった。
「俺は……何がしたいんだ?」
問いかけたところで、答えを返すことが出来るのは自分。
そして、自分に答えを持ち合わせていないから、結局、答えられず黙る事になる。
身体の力を抜いて、少し眠ろうか…と考えたとき、急に触覚が鮮明になった。
違和感を受けて目を開ける。
視界も神産巣日のサポート時より遥かに鮮明だ。
「……神産巣日。ラピスは?」
【医務室に居ます。まだ意識は覚醒していません】
「何?」
本来ならラピスのサポートが無ければ、こんなにもはっきり見えないし、感じられない。
しかし、感じ取っている。
「……」
アキトは起き上がると医務室へ向かった。
“プシュッ”
エアが抜ける音と共に扉が開いた。
「あら? アキトくん」
「ドクター、何故ここに居る?」
「居ちゃ駄目かしら?」
「……ラピスは眠っているな?」
「ええ、まだ意識は戻っていないわ。それがどうしたの?」
「なら、何故、俺の感覚はリンク時と同じように鮮明なんだ? 神産巣日ではここまで出来ないはずだ」
「新しいパートナーが出来たからよ」
アキトはその言葉に違和感を受けた。
神産巣日のような思兼級A.Iでもアキトの感覚は平常者の五割ほどまでしか引き上げることが出来ない。
ラピスのおかげで初めて通常の人並みに感覚を手に入れることが出来たのだ。
そこまで考えて一瞬、嫌な予感がよぎった。
A.Iではラピスに及ばない。
しかし、今の感覚はラピスのサポートを受けているときと同等だった。
ならば、ラピスのようなマシンチャイルドがアキトをサポートしている事になる。
「まさか……!」
「そのまさかよ」
イネスのその言葉と共にさえぎられていたカーテンの向こうから一人の少女が姿を現した。
「ルリちゃん……」
「あなたの新しいパートナーよ」
「よろしくお願いします」
顔面に見えるか見えないか、ぎりぎりの波紋を顔に浮べたルリが頭を下げた。
「どういうことだ!!ドクター!!」
激昂して詰め寄るアキトに対してイネスは涼しげな顔のまま「彼女が望んだことよ」とだけ言った。
それにアキトの視線がルリに向かった。
「どういうことなんだ?ルリちゃん」
言葉はイネスの時より言葉遣いは優しくなっていたが、微かに殺気が篭っていた。
そんな事に気付いていないようで、ルリは淡々と言った。
「そのままです。私がアキトさんの感覚になることを望みました」
「ルリちゃん……それがどういう事か分かっているのか?」
「イネスさんから話は聞いています。アキトさんのサポートをする以上、私自身の自由は無い、と言う事でしょう?」
アキトのサポートは遠隔でも可能だが、その場合、思兼級のA.Iのサポートが無ければ不可能であった。
すなわち、ルリは戦艦に乗り続けてアキトのサポートをするか、もしくはアキトの傍でサポートをするかのどちらかである。
どちらを選んでもルリには個人の自由は存在しない。
「なら、何で!!」
「傍にいたいからです」
「ルリちゃん……」
「アキトさん。私がどれだけ悲しかったか分かっていますか? 私一人でどれだけ寂しかったか分かっていますか?
生きている事も知らせて貰えず、ただ死んだものと思いながら一人で生きていた事が
どれだけ辛かったか分かっていますか?諦めも出来ず、ただ悩む日がどれほど苦しいか分かりますか?」
「……」
「もう、一人は嫌なんです」
「まだ分かってくれないのか?俺はもうテンカワ・アキトじゃない。君が待っているテンカワ・アキトは幻想だよ」
「パートナーになる以上、知っておかなければならないことだと言われて、アキトさんの事はイネスさんから聞きました」
「なら、何故?」
「愛しているからです。例え、アキトさんがユリカさんのことをまだ愛していたとしても私の気持ちは変わりません。
愛しているからこそ傍に居たいんです」
ルリの金色の瞳がバイザー越しにアキトの瞳を射抜いた。
どこまでもまっすぐで、どこまでも純粋な瞳。
それを見れば見るほど、アキトはルリを傍に置く事に罪悪感に苛まれていった。
多くの人を殺し、多くの血を浴びて、もはやそれが日常と化したアキト。
殺す事に抵抗は無く、むしろ快感になってきている自分に嫌悪感と諦めを抱いていた。
「ルリちゃん。俺はもう気が狂ってるんだよ? 笑って人だって殺せるし、何の抵抗も感じない。
そんな男を好きになったって、ルリちゃんが狂うだけだよ」
「狂うだけでアキトさんの傍に居れるなら、私は喜んで狂います。だから、傍に居させてください!」
必死なルリの姿を見ていると、アキトも諦めが出てきた。
おそらく何を言っても無駄だろう。
『狂う』事は簡単に出来る。
しかし、『狂った』後もなおアキトのように生きる事が難しいのだ。
彼の場合は狂っている事を受け入れ生き延びた。それを出来る人間など早々いるはずがない。
大抵は狂い、そして壊れ、人生が終わるのだ。
だからこそ、The prince of darknessとしてのテンカワ・アキトを
受け入ることなど自殺行為に等しかった。
ラピスはもともと自我と言うものがほとんど無く、感情自体もほとんど存在しなかった。
だからこそ、血まみれの光景や拷問の様子。果ては人体解体の様子も普通に見ることが出来た。
しかし、ルリは違う。
すでに人格が存在し、感情も存在する。社会的秩序も分かっている。
狂う事は火を見るより明らかであった。狂い、壊れていく様を見なければならないのか?
一瞬、アキトはそう思ったが、今更であった。
笑いながら人を殺せるほど、狂ったのだ。
今更、身近に存在する人間が狂って死に行く様などどうって事無いだろう。
自分にけじめをつけたアキトは、そのまま何も言わずに身を翻して医務室を出て行こうとした。
「アキトさん!」
ルリの声がアキトを引きとめた。バイザーの内側で瞳を閉じた。
「ルリ。普段のリンクレベルは2で構わない。戦闘時は最低でも3以上だ」
それがルリを受け入れた証拠だった。
驚きの表情が顔に浮かぶ。
アキトはそのまま出て行った。
「目が覚めたようね。ラピス」
「……」
倒れてから約三時間後。ラピスは医務室のベットの上で目覚めた。
自分自身の状況を把握してから、リンクをつなごうとしてイネスに止められた。
「ナゼ?」
「あなたの身体はもうボロボロなの。だから、あと数時間はアキト君とはリンクできないわ」
「ナラ、アキトガ困ル」
「大丈夫よ。代わりが勤めているから」
「……私ハ処分?」
実験体の頃の思い出があるのだろうか、そういった返答をした。
イネスはそんなラピスを寂しげな瞳で見つめた。
「大丈夫よ。アキト君はあなたを捨てないわ。あなたが死ぬまで傍に置いてくれるわよ」
「……」
リンクしているときに感じる頭の重さが無く、すがすがしさと共に寂しさを憶えた。
リンクにある種の絆を感じていた彼女はその絆が無くなった事に穴を感じたのだ。
「そうそう、ルリちゃんがね。あなたに伝えてことがあるからユーチャリスのブリッジに来てって言われたわ」
ルリの伝言を受けたラピスは馴染みのあるユーチャリスへ向かった。
「大丈夫ですか?」
「ハイ」
「そうですか。実はラピスさんに頼みたい事があるんです」
「ハイ」
ユーチャリスのメインオペレートシートで搭載されているA.I『神産巣日』と会話していたルリが
ラピスが来たと同時に降りてきた。
「あと約三時間後にナデシコCと共同戦線を張るつもりです」
「……」
「前回、火星の継承者のシステムを全て停止させる事が出来ませんでした。そこで今回は
ナデシコに搭載されている思兼と神産巣日の連携を行うつもりです」
「ソレハ前回、失敗シタ」
「はい、今回はイネスさんに頼みまして思兼と神産巣日のリンクシステムを急遽、作って貰いました。
それによって前回の150%から200%まで能力を上げることがシュミレーションした結果、出ました」
「私ハ何ヲスレバ良イ?」
「ラピスさんには私のサポートとアキトさんのサポートをお願いします」
「分カッタ」
数時間後
再び、ナデシコCとユーチャリスは火星の継承者の本拠地に姿を現した。
前回の敗走があるため、それほど敵側は焦っていなかった。
数時間で新しいことなど出来まい。それが継承者側の考えであった。
それがことごとく裏切られた。
「ハーリー君。いきます」
『は、はい』
ウィンドウボールが展開され、情報が次々と表示されていく。
ルリの横ではラピスも同じようにルリほどではないがウィンドウを開いていた。
次々と掌握されていく継承者側のシステム。
防衛システムは大半が沈黙し、無人兵器も全部、停止していた。
さらに有人機の大半も機能を停止していた。
そこで初めてエステ隊が出撃した。
ユーチャリスからもブラックサレナが出撃した。
「ラピス、頼む」
『ハイ』
ユーチャリスの船首に着地すると北辰を待った。
エステ隊はすでに残った有人機と戦闘を始めていた。その爆音を背後にそれは現れた。
夜天光とそれに仕える者たち。
先の戦闘で二機欠けていたが、敵機に慌ても混乱も無かった。
『来たか、復讐者』
「貴様を殺しに来たぞ!北辰!!」
『威勢だけは一人前だな』
ブラックサレナのブースターを全開にして突っ込む。
六連が前に邪魔するが、ものともしない。
今回はラピスとのリンクレベルが4で戦場の状況が前回より把握できているからである。
六連の動きが分かる。
的確にハンドカノンがコクピットを貫いていく。
不可思議な動きをとる彼らも先読みされてしまっていては意味が無い。
一機
二機
三機
次々と堕ちていく。
そして黒百合はついに因縁と戦うこととなった。
「後はお前だけだぞ! 北辰」
『では殺りあおうか? 復讐者よ』
両者共にぶつかり合う。
ディストーションフィールドがぶつかり合い、両機とも距離があるにもかかわらずはじけ飛んだ。
ハンドカノンを放つが全弾回避される。
夜天光からもミサイルが放たれるが、サレナも回避。
どちらも一歩も引かない状況だった。
高機動でぶつかり合う機体。
至近距離からハンドカノンを放つ。
相手のディストーションフィールドを貫いた。左腕を吹き飛ばしたが、夜天光もランサーで
肩のパーツを傷つけた。
損傷率は夜天光のほうが上。第二撃目を仕掛けようとして視界が暗転した。
「なっ!」
【ラピス、生命維持に異常発生】
神産巣日の知らせでハッキングを一時的に停止させた。
振り返ればコンソールに倒れこんでいるラピス。
「ハーリー君。ハッキングは一人でお願いします。もう、制圧が終わっていますから後は破られないようにしてください」
『ちょ、ちょっと艦長?!』
それとほぼ同時にアキトから通信が入った。
『ルリ!』
「はい!」
その一言だけで通信を切ると、ラピスのことも気になったが、今はアキトのサポートと思いルリはリンクをつないだ。
リンクレベル6
ラピスも到達できなかった最高リンク。
全ての状況を把握しながら、アキト自身には一切、負担を掛けないというものだが、サポート側に負担が掛かる。
「アキトさん、繋ぎました」
聞こえているか分からないが、一言だけ伝えるとハッキングの様子を知らせるウィンドウだけ開けておくと、
大半の意識をアキトの為に割いた。
伝わってくる感覚が頭をかき乱すが、すぐに脳内で処理が行われる。
光の模様がくっきりと浮かび上がる。
敵軍の支配率はいまだに100%のまま
彼はちゃんと食い止めているようですね、とかすかに残っている意識の中で考えていた。
一方、アキトは今までに無いほどの視覚に笑みを浮べていた。
普段のリンクではバイザーから伝わる情報を伝えるだけだったが、レベル6はバイザーから入ったデータを解析、予測を立てた。
アキトが望む未来を作り出すことであった。
全てが分かる。
夜天光の次の行動。
最良にして絶対の行動。
未来まで見えるその視覚に酔っていた。
何処に放っても夜天光にあたり、夜天光の攻撃は回避できた。
「どうした? 北辰」
『くっ…』
「あの時の大口はどうしたんだぁぁぁ!! 北辰んんっっ!!」
狂気に満ちた笑みを浮べながら、ハンドカノンを連射していく。
じわじわと獲物を追い詰めていく射撃。
接触と共に放たれるハンドカノンは的確に夜天光の装甲を剥いでいった。
「じわじわと殺してやるよ……」
フィールドランサーを振るうが一撃も決められない。
むしろ振れば、アキトの一撃が綺麗に決まっていった。
外部の赤い装甲が弾け、内側の配線があらわになっていく。電気が飛び散り、アラームが鳴り響く中、
北辰の闘争心だけは衰えていなかった。
かつて、自分より実力が下だったものが今では逆転していた。
ブースターを吹かし、紙一重で避けようとするがなぜか直撃する。
まるで未来が見えているかのような一撃。
苛立ちと悔しさ、そして燃え盛る闘争心を持つ北辰に対してアキトはどこまでも残酷だった。
口元に笑みを浮べながら、バイザーを通して見える未来。
そこに映っているものは血まみれの北辰とそれを見下げる自分。
それを喜ばずしてどうする?
「まだだよ…まだなんだよ」
手に力が篭る。
ハンドカノンから放たれた一撃はまた夜天光を捉えた。
腕を掠る程度の一撃。それでよかった。ゆっくりとじわじわと殺したいのだから。
「くくくっ……くははははっ……あはははははっっ!!!」
笑い声がコクピットに響く。
(面白い、面白い、面白いぞ!! 北辰)
ダイレクトに伝わってくるアキトの狂気にルリは一切、顔色を変えずに情報を処理していった。
「さぁて…そろそろ終わりしようかなぁぁ!! 北辰よぉ!!」
メインカメラを打ち抜き、バランスを崩した夜天光にアキトは一切の手加減も無く、ハンドカノンを叩き込んだ。
赤い装甲が血のように飛び散り、弾け飛ぶ。
「はははっ!!! 踊れよ、北辰! お前の舞台だぞぉ!!」
コクピットだけはなるべき原型を残し、手足を吹き飛ばし、頭部を破壊して初めて胴体に掛かる。
他はすでに決着が着き、誰も彼もアキトの狂気を見つめるだけだった。
ただ、その場からハンドカノンを放ち続ける。
夜天光の全てを塵に変えてから、初めて静寂が訪れた。
「くくくっ……」
ただ、コクピットで笑い続けるアキトに通信を入れるものは居なかった。
「……みんな…」
ミスマル・ユリカの第一声が放たれた。
緊張と言えるだろう。今の今まで遺跡と一体化しており、どんな事が起きているのか分からなかった。
記憶を失っていてもそれは予想の許容範囲内といえるだろう。
それほど、イレギュラーな事なのだ。
続く言葉は…アキトとルリを覗く全員が緊張の面持ちで見つめていた。
「老けたね」
「「「おおおっっ!!」」」
全員がホッとした。
いつものユリカだった。どこか抜けたようなボケた答えこそが彼女だった。
掛けられたシーツを持ったまま起き上がるとあたりを見回した。
元ナデシコクルーの面々が見つめる。
「……?」
と、不思議そうにもう一度、見回した。
「…あれ?」
「ど、どうしたの? ユリカさん」
「アキトは?」
「「「えっ?」」」
安心はほんのひと時のことだった。クルーたちがユリカの発言に固まった。
確かに今のアキトは全身黒ずくめであり、昔と雰囲気が随分と変わっている。
しかし、誰もがその人物をテンカワ・アキトとはじめて見た時に分かった。
何より、一番『アキト、アキト』とアキトの事を想っていた人物が見分けられないはずが無い。
それがユリカ、アキト、ルリを除くクルーの見解だった。
「ア、アキト君なら…ほら…」
ミナトが驚きの表情のままアキトを指差した。
一方、指を指されたアキトのほうは動揺の様子も無く、ただ立っているだけだった。
その傍でルリも無表情で立っていた。
「だって、アキトはそんなに冷たくないよ?」
無邪気、と言うべきなのか。
能天気な声が残酷な現実を突きつけた。誰もがそれを知っていた。しかし、認識できないほどのものではないはずだ。
「……」
「ユリカさん」
「ねぇ、私のアキトはどこ? ルリちゃんは知らない?」
「ユリカさん。現実はしっかりと見るべきです」
ルリの一切に感情の篭ってない一言にアキトを見た。
バイザーの下の瞳は何を見ているのか?
しばらく見詰め合っていたが、マントを翻してその場を立ち去ろうとした。
「ア、アキト!! お前、何処に行くつもりなんだよ!!」
「…ユーチャリスに戻る。ルリ」
「はい」
アキトの呼びかけにルリが傍へ歩み寄る。
かつてのラピスとアキトの関係のように映った。
かつてのクルーたちとは少し離れた位置に居たイネスに話しかけた。
「ドクター」
「何かしら?」
「ラピスを頼む」
「分かったわ。ルリちゃんを大切にね」
「……ああ」
小さく返答するアキトにイネスは口元をほころばせた。
少しだけ打ち解けたみたいね…と、思っていた。
そしてその隣に居たエレナ。
「エレナ」
「分かっているわ。ルリちゃんの除隊届けでしょ?」
「ああ」
「お願いします」
「ええ、あなた達にふさわしい言葉かどうかは分からないわ。でも、お幸せにね」
「……」
「……」
その言葉に二人は答えられず、ただ黙るだけだった。
振り返ればまだユリカがアキトを見つめていた。しかし、その瞳にあるものは疑惑、困惑、不信だった。
かつての純粋にアキトを見つめる瞳は無かった。
だからこそ、諦めが着いたのだろう。
元から、そんな可能性は胸にあった。自分自身の復讐に意味があるのか? と問いかけ、いつしか
意味が無い、と答えが出ていた。
ユリカが自分のことを認識できない。そう思っていた。
日が経つにつれ、かつての自分からどんどん遠のいていく。それを自覚しながらも、ひたすら手を血で汚してきた。
視線を落とす。
そこにはまだ少女と女性の狭間にいるルリが見上げていた。
(ユリカは俺を認めず、ルリは俺を認めた)
ユリカとルリの間にどれほどの違いがあったのだろうか?
金色の視線を見つめながら考える。
分からない。
別に分からなくても良い。
ルリが着いてきてくれるなら……。
アキトはそう割り切った。
狂うなら一緒に狂おう。
そして、共に堕ちようか。
黒いマントを広げる。
漆黒の空間にルリを誘った。彼女は口元にかすかな笑みを浮べてそのマントの中に入った。
マントで彼女を包む。
二人が光に包まれて、消えていった……。
あとがき
えー、ずいぶんとこのHPに馴染んできた氷人です。
新境地にばかり足を踏み込んでいる感じですが、新境地もナデシコで打ち止めようと思っています。
さすがにこれ以上、バラバラに投稿するのは…。
短編でWind、エヴァ、そして今作のナデシコ。長編ではKanonと四つに手を出してしまっている
という現状なので、これ以上増やさないつもりです。
内容ですが…。
私はルリ派の人間でしてアキト×ルリというのが一番だと思っています。
ということで書いてみましたが…
すいません。アキトが少し狂ってます。
ちなみにルリも何処となく違う雰囲気になってしまいました。
IFということで劇場版を書いてみました。
もし、最終決戦で敗退してルリがアキトのサポートをしたら?という状況です。
また変なIFを書くことがあると思いますが、そのときもまたお付き合い頂ければ幸いです。
では、どこかのあとがきで……