今日も今日とて、らぶらぶ日和。
 双方の保護者や親類一同には呆れられてるが、そんなの知ったことじゃない。
 もう会えないはずの二人が再び出会えたのだ。
 愛は一層燃え上がり、爆発を起こして当然ってものだろう。
 あー、なんか完全に影響されてるな、俺も。
 いつから『愛』だのこっぱずかしいことを平気で考えられるようになったのやら。
 だが、今は毎分60連呼しようが平気だ。いや、むしろ快感だ。
 愛沢祐一、もとい相沢祐一、いざ愛しの君の元へ!
 夏だから、とかかわいそうなモノでも見るような目はやめてくれキミタチ。


 茶菓子を乗せた盆を片手に階段を軽快なステップで駆け上がる。
 行くわよ! アン・ドゥー・トロワ!
 うわっ、危ねえ危ねえ。危うく踏み外しかけちまったぜ。
 さーて、ごたーいめーん。
 俺は意気揚々と自室の扉を開けた。


「あ、祐一さん。待ってました」

 部屋の中心には愛しの栞の姿が……。

「どうかしましたか? 何か付いてます?」

 姿が……。

「あ、おいしそうなクッキーですね。やっぱり秋子さんの手作りですか?」
「状況を……」
「はい?」



「状況を説明しろぉぉぉ!」



 水瀬家全体を俺の咆哮が突き抜けた。
 秋子さんと名雪が留守だったことにこれほど感謝した日はなかったかもしれない。








幻のはっぴーえんど








 確認しよう。
 俺の記憶が正しければ、俺と栞は世間で言うカップル、恋仲という間柄だ。
 だから、先に部屋に上らせていた栞が一糸纏わぬ姿で布団にくるまりスタンバイということも珍しくない。
 黒髪を枕に投げ出し、布団から際どいラインをこちらにちらつかせる姿は、さながらシーザーを落としたナイルの魔女。
 もう一瞬で戦闘態勢に突入だ。
 しかしだ、これはどう解釈すべきなのだろう?


 楽しそうにトランクス(トラ柄)を身につけている彼女の姿は。


「状況を説明しろ! 何を考えてそんなモンはいてるんだ!?」
「もう、祐一さんったら鈍いですね。好きな人と同じものを身につけてみたいってのは、ごく普通のことじゃないですか」

 ああ、なるほどね。ペアルックってやつね。
 うん、たしかに悪くない。
 ……って。

「モノによるわっ!」

 何が悲しくて、彼女が男の下着はいてる姿を見なきゃならんねん。
 せめてさあ、ぶるまぁとかスパッツとかスクール水着とか、ねえ?
 それかいっそノーパン。
 いや待て、俺。今はペアルックの話だろ。

「じゃあ何か? 俺がスカートをはいてるところを見たいか?」
「きっぱりとお断りします」

 にこっ。
 笑顔で言い切られた。
 ああ、トラ柄が眩しい。

「それにですね、祐一さん」
「何だ?」
「かわいければ何を着ても似合うんです」

 にこにこ。
 腰に両手を当てて、エッヘンと胸を張る栞。
 もうその笑顔だけで十分です。言葉以上に説得力ありすぎ。
 一瞬でも理屈抜きにかわいいって思ってしまった俺の負けだ。

「それになかなかいいんですよ、これ」
「ほう、どのへんが?」
「そうですね。まずはき心地ですか」

 はき心地、ねえ。
 自然とトラ柄に注目してしまう俺。
 うっ、よく見ると俺のサイズだから足を通す部分がダボダボだ。
 スカートとパンツは向こうに脱ぎ捨てられているし、中はノーパン?
 いや、トランクスはパンツなのであってそれが正しい着用方なのだが、座ったり足を上げたりしたら足の隙間から中身が見えるんじゃないだろうか?
 何かめちゃくちゃそそられるんですけど、その余ってるところ。

「開放感、その一言につきます。女の子の下着といえばぴっちりが普通ですけど、これはその逆でそれがとても新鮮です」
「そりゃ俺のサイズだし」
「いえ、それもありますが、そうですね……」

 少し目を閉じて考えた後、栞が口にちょんと人差し指を当てる。

「思い出の感触ですね」
「何じゃそりゃ」
「祐一さんは経験ないですか? 子供のとき川や噴水の中で転んで、ズボンだけをはいて帰るあの感触を」
「ああ、あれね。確かに、どこか違和感あるのにクセになるんだよな、あの感覚」
「ええ、そうです。あの感覚が今ここにあるんですっ」

 幼き日の思い出を誇示するかのように、栞の元で輝くトラ柄。
 ああ、なんて眩しいんだお前は。
 シマシマだの水玉だのスケスケだの白だのと常々胸を躍らせていた俺の邪念が洗われるようだ。
 偉大なり、トランクス。嗚呼、トランクスフォーエバー。

「でも、やっぱり余っちゃいますね。祐一さんのですから」

 そう言ってトラ柄の前の部分をポスポスと叩いてみせる栞。
 まあ、ね。そりゃ男性用だからあるべきモノのない栞がはいたら当然余っちゃうだろう。
 ポスポスって空気の抜けるような音はつまりアレだ。
 トランクスをはいた『女の子の音』なのだ。

「栞、ワンモアー」
「はい?」
「その前面叩き」
「ああ、はい」

 栞は栞で何か楽しいらしい。
 嬉々として俺のアンコールに答えてくれる。

「行きますっ」
「おうっ」

 何故か妙に気合が入ってる二人。
 素晴らしきかな、愛の力。
 両手を広げて栞が構えを取る。
 いざっ。

 ポス、ペシャッ……

 一回目は『女の子の音』、二回目は何か乾いた、そう肌を打つような音。

「あっ……」
「おおっ!」

 栞のはいているトラ柄は俺のトランクスである。
 さらに言うなら『俺>栞』だ。
 何が言いたいかと言うと、サイズが合ってないんだなこれが。
 栞のウエストだとゴムが完全に収縮した状態で、辛うじて引っ掛かってるという状況だ。
 つまり、気を抜いたらずり落ちる。
 んで、栞の今の状況はというと、足の根元付近までトランクスがずり落ち、大事なところが露わこんにちは寸前の状況。
 幸いにして前面部を叩くために振り下ろした両手が、覆いとなり、ストッパーともなったため大惨事は避けられたようだが。

「び、びっくりしちゃいました」
「お、俺はドキドキしたぞ」

 照れ笑いを浮かべながらつつつっとトランクスを引き上げる栞。
 くぅうううううっ!
 大惨事の方を見たかったぞお兄さんは!
 いやっ、この究極のチラリズムも捨てがたい。
 神様、イタズラな偶然をもう一度プリーズします。要求します。
 え? ダメ? やっぱりそうですか。分かりました、諦めます。
 栞を愛していればそんな機会はいつでも巡ってくるでしょうから。
 ていうかビバ! トランクス!
 今夜はお前をはいて寝てやるぜ。いや、抱いて寝てやる。
 なんたって栞のはいたトランクスだし。

「あ、祐一さん。このトラ柄さん気に入りました。いただいてもいいですか?」

 ……え!?
 いただく?
 つまり、栞が栞のはいたトランクスを持って帰る?
 俺の下には残らない?
 俺はトランクスを抱けない!?

「駄目だっ! そいつは今夜、俺が抱きしめてやるんだ」
「……はい?」

 なんたって栞のはいたトランクスだから。
 って、馬鹿馬鹿。んなこと本人の前で口走ってどうすんだよ、俺。
 うわぁ、あからさまに不審の目が向けられてる……って、あれ?

 にこっ。

「そういうことでしたら……」

 びっ、と笑顔で向こうを指差す栞。
 その先には、脱ぎ捨てられたパンツとスカートが……。

「パンツ交換ですっ」
「その手があったか!」

 パンツ交換。
 ああ、なんて甘美な響きだろう。
 これが恋人同士ってやつか。
 名雪、香里、北川……早くいい人を見つけろよ。
 とにかく、頂きます栞様。
 愛しのあなたが御御足(おみあし)を通された純白のパンツを。

 パシャッ、ジー……

 パンツを持ち上げ、眼前に持っていった瞬間、閃光とともにそんな音が聞こえた。
 恐る恐る音のした方に振り返る。

 にこー。

 ……さも愉快そうにほくそ笑んでいるアクマがいた。

「あのー、栞さん。その手のカメラはなんでございましょうか?」
「証拠写真です」
「はあ、何のでしょう?」

 だらだらと背中から脂汗が止まらない。
 ブービートラップを踏むってのはまさにこんな気分だろう。
 いい加減気付かない俺も馬鹿だが、栞の甘い態度には必ず裏がある。
 パンツ交換? よく考えろ。
 どこの世界にそんな恥ずかしいイベントを喜んでやるカップルがいるんだ。
 一気に冷えた頭は、自分の置かれた状況と馬鹿さ加減を極めてクールに分析してくれた。
 ああ、俺は馬鹿だよ。でもな!
 こんなかわいい子にああいうことやられて興奮しないなんて男じゃないだろ!
 いや、それを熟知してツボをついてくるから尚の事コイツはタチが悪いんだが。
 ていうか、ここ数日、栞が妙に甘々な態度を見せてくれるからついつい浮かれていたが……。
 よく考えると、見事にハメられた。全てはこの一瞬のための撒き餌だったのだ。

「祐一さんが私にぞっこんだという証拠写真です。あと、祐一さんが非行に走るのを抑制する効果もあります」
「ひ、非行とは……」
「他の女の人にこの写真を見せます。『こ、こんな人だったなんて』って驚く姿が目に浮かんじゃいますね」

 思いっきり芝居がかった口調で状況を説明してみせる栞。
 もういい、よくわかった。
 その写真がばら撒かれたら俺は社会から抹殺されるってことが。

「よ、要求は何だ?」
「要求だなんて、まるで私が脅迫してるみたいなことを言わないで下さい」

 にこにこ。
 十分脅迫だっつーの。

「そうですね、強いて言うなら」

 指を口にちょんと当てる。
 ああ、なんか凄まじく嫌な予感が……。

「これからも、もっともっと私を愛してくださいっ」

 予感が思いっきり外れた。

「へ? そんなのでいいの?」
「そんなのって何ですか! 重要なことです!」

 気が抜けてぽろっと漏らした言葉に栞はひどく憤慨の様子。
 いや、だって、何かとんでもなく理不尽なこと要求されるんじゃないかって思ってたわけで。

「そうは言われてもな、それっていつものことだし」
「それでもです。男の人はいくつも愛を持てるっていうから不安なんです」
「栞……これだけは言わせてくれ。俺が愛するのは美坂栞って女の子だけだ」
「祐一……さん」

 栞を抱き寄せて耳元に囁く。
 ぽうっと赤くなる栞の顔。
 まったく、こんなにまで俺のことを愛してくれるお前以外愛せるわけないじゃないか。
 でも、ごめんな。だらしなく見えるせいで、お前を不安にさせてしまって。
 まあ、香里に名雪、それに(あまり状況は想像したくないが)秋子さんと美人が身近に揃ってりゃ不安になるのも仕方がないか。
 俺だって栞の身近に美男子が溢れていたら不安になるもんな。

 さてと、栞には悪いが、この隙にカメラは回収させていただこう。
 後々何に使われるか分かったもんじゃないしな。
 すーっと、栞が持つカメラに手を伸ばし……。

 パシッ!

「おっと、そうは行きませんよ祐一さん」
「げっ」

 間一髪、栞に脱出されてしまった。
 もちろんカメラの奪還はならず。

「本当は既成事実を作ってしまうのが確実なのですが、私はまだ学生の身。これは保険として取っておきます」
「既成事実ってアンタ……」

 既成事実ってアレですよね?
 今作ってしまったら割と取り返しがつかなくなるアレ。

「それにですよ、考えてみてください」
「何を?」
「私と祐一さんの子供が年頃になった時、ベッドの下に隠していた本が見つかったとしましょう」
「ふむ、我が子ながら逞しい息子だな」
「慌てふためくその子に私がアルバムを見せながら言うんです。『大丈夫、お父さんも昔はこんなことしてたんだよ』って」

 むぅ、いいなそれ。
 偉大な父の背中を見て、育つ息子。
 なかなか絵になる風景だ。

「で、娘だったらどうするんだ?」
「お年頃になった時に、パパに内緒でアルバムを見て大笑いします」

 にこっ。
 ……『にこっ』じゃねえよ、ロクでもねえ。
 一瞬でも『いいなそれ』とか考えた自分が泣けてくる。
 ていうか、父の威厳丸つぶれじゃん。

「返せっ、絶対処分する」
「嫌ですっ」


 どったんばったんと水瀬家で二人っきりの大運動会。
 途中、またトランクスがずり落ちて栞がひっくり返る。
 半ケツ状態で前のめりに倒れた栞を見て……なんだかかわいそうに思えてしまった俺は結局写真を取り戻すことが出来なかった。
 仕方ない、既成事実とやらが出来た時にアルバムからこっそり抜いて処分しとこう。















 ―――翌日、学校。

「本当に気に入ってたのか? それ」
「はい?」
「いや、それ。制服の端からはみ出てる」
「もちろんですっ。このはき心地は最高ですよ。サイズが合わないので新しいのを買ってきましたけど」

 嬉々とした様子で食堂への道を進む栞。
 冬服同様決して裾が長いとは言えない我が校の女子制服のスカートからは、ちらちらトラ柄が見えてたりする。

「恥ずかしくないのか? 一応それもパンツだぞ」
「大丈夫です。これは見せパンツですから」

 栞、それは見せて喜ばれるようなパンツじゃない。
 裏を返すと、見られてもさほど困らないパンツともいえるが。
 ていうか、下手をすると対精神核兵器。
 何も知らない人が、そよ風のいたずらでそれを目にしようものなら肝を潰すだろう。

「でも、俺がかわいいって思ってればそれで良しなんだよな」
「はいっ」





 泡となって消えたはずの人魚姫が帰ってきた。
 あの童話に付け加えられたハッピーエンド。
 それがこんなのでも、まあいいんじゃないかなと俺は思う。









※後書はソース最下部にコメントアウトしてます。
読んでくださってありがとうございました。