プロフシア社会主義共和国連邦の成立を単純化して語れる歴史家は後にも先にも現れないだろうと言われている。世界情勢に対して大いに影響のある事柄がありすぎて、それら全てを総体として語る以外に未だ方法が見当たらないのが原因とされている。何処から語れば良いのか、それは歴史家個々人によっても未だまちまちなのだ。

 故に私は私自身の体験を元にこの文章を記す事にする。つまりプロフシアにおける前政権であるプロフシア帝国と極東の新興国家である天越との衝突を一つの節目として、プロフシア人の私が祖国に起こった悲劇を今一度記そうという試みである。

 五十年後に、百年後には祖国が恐怖と欠乏から逃れられている事を私は願って止まない。我が身の悲惨を、我が部隊の悲惨を、我が祖国の悲惨を我らの未来の同胞が忘れる事の無いように記したい。まずは私が天越という国を直接体験したドーレ高地攻防戦の話から入っていこうと思う。――ペルデオストク陸軍大尉マリョーカ=ロブコフ




愛国のカタチ

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 殺意が渦を巻く戦場の直中、我が軍は対天越防衛線の要所であるドーレ高地要塞を維持していた。それは私が体験した中で最も過酷な戦場であると断言出来よう。我がプロフシア擁する軍隊の様に、雲霞の如き物量がある訳ではない。ヴェルフェニアの様な整然として統率の取れた機械化部隊でもない。だがそれでも、彼らは恐ろしく手強い敵であった。

「聞きしに勝る、って奴だなこりゃ」

 部下であり友人でもあったルーブ=アンドレイが双眼鏡で敵の動向を監視しながら、疲労の濃い表情のまま呟いた。実際に我が軍が二千近い手勢でこの陣地を護っているというのに、相手にしている敵の数は千に満たない寡兵でしかないのだ。二倍以上数の差がありながら、我々プロフシアは天越の将兵に手を焼いていた。

 何しろ、敵兵一人一人が人間の規格を遙かに逸脱する能力を持っているのだ。今も三十メートル程先にいる天越の兵士が、五秒に満たない短時間に味方の陣地に一撃を加えて離脱していた。我々も数を頼みに弾幕を張って敵兵を近づけない状況を作ってはいるが、補給にも限りがあるのは自明である。敵は補給切れを待っているのだ。

「あれこそが夏国の魔法使い、仙人共を打ち砕いた天越の抜刀隊だろうよ」

 そう、敵の部隊は基本的に近接武器である刀でしか攻撃してこない。だが天越最初の対外戦争である越夏戦争の圧倒的な戦果を世界が目の当たりにして以来、刀と拳銃でしか武装していない抜刀隊を前時代的な装備だと馬鹿にする者はいない。

 文字通り目にも留まらぬ疾さで戦場を駆け抜け、銃火器の照準が合わさる前に味方(正面切って彼らと戦っていた二二一三隊と二二一五隊は私の目の前で彼らの余りの強さに潰走、我が二二一四隊は私とアンドレイを除いて戦死。二二一一隊と二二一二隊に臨時で吸収された)の首が宙を舞っていった。近接攻撃に特化した極東最強と名高い天越の魔法使い、それが抜刀隊である。聞くと実物を目にするのでは全く違う、そんな当たり前を切に思い知らされたのがおよそ一時間前。最早隊の誰もが強がりを言う気力すらなくなっていた。

「何とかなんないのか、ロブコフ隊長殿。お前だって第一級資格持ってる魔法使いだったろ」

「何とかなるなら、とっくに何とかしてるさ」

 嫌味ったらしくアンドレイは私を隊長殿と呼んで注文を付けるが、本当に手が付けられないのだ。私がプロフシアの魔法使いであるからこそ、彼らのやっている事の本質が分かるのである。

「私を含めたプロフシアの魔法使いは設置型の魔法行使が主だからな、抜刀隊の様な機動力を頼みにした戦いには相性が悪い」

 音声や挙動を鍵としたヴェルフェニア式の一般的に使われる魔法よりも、プロフシア式の魔法は安全性において一歩抜きん出ている。ヴェルフェニア式の様な場所を選ばない汎用性はないが予め物や場所に設置しておく為、使用における術者の未熟に起因する魔力暴発の危険性はほぼ無いと言っても良い(設置時に暴発する事はあるが大体が死傷者は魔法使い一人に限定される為に、魔力汚染以外の二次被害の可能性も殆ど無い)。

「使えねぇな」

「悪かったな」

 吐き捨てる様に言ったアンドレイに私は投げ遣りに謝罪する。

 天越の魔法使いである抜刀隊は、我々プロフシアの魔法使いとは似て非なる存在であると同時に対極に位置する存在である。

 彼らも物体に魔法を設置する方法で魔法を行使するのだが、彼らは敵ではなく主に味方に対して魔法を行使する。剣に魔法を「設置」して凄まじい切れ味を持たせ、靴に魔法を「設置」して軍馬もかくやと言うスピードで戦場を駆け抜け、軍服に魔法を「設置」して板金鎧並の装甲を持たせて戦うのだ。肉体そのものを魔法で強化して戦う夏国の仙人と、プロフシアの設置魔法使いを掛け合わせたようなものだと考えれば良いだろう。

 さながら人型をした戦車が走り回っていると考えても大差あるまい。ただし幾ら外側を強化した所で、中身は強化されていない(薬物による強化はされている可能性があったが)ので彼ら抜刀隊はどこの魔法使いよりも短時間で活動限界が来る。故に今のこの状況の様に、建物へ籠城して防衛戦を行えば膠着状態が作り出せると言う訳だ。更に魔法使いはその特殊性から、何処の国でも数がそれ程そろっていないのは変わりない。恐らく敵数百の内、抜刀隊は約三割から四割が精々であろう事が予測される。攻城兵器の類で攻撃する気配はない。

 籠城戦に弱い敵部隊とこのまま膠着状態が続けば、やがて消耗の激しい抜刀隊を擁する彼らの方から撤退するのは目に見えていた――筈だった。

「しかしよぉ……腹減ったな」

「言うな」

 もう我々は水を補給しただけで、かれこれ一日固形物を口にしていない。非常時の為の携帯食はとっくに底を突いている。言葉にする必要もなく、身体は栄養補給を切に要求していた。頭の中に消えないしこりがわだかまっている様な、重く鈍い疲労感が付きまとっている。こんな身体状態では、如何に精強を誇る我が軍でも満足に戦闘行為が出来るか怪しいものだ。最後の補給隊の到着は一週間前だったか。

 戦況が混迷を深めてゆくにつれ臣民に対する戦争税政策が限界に達し始め、補給が滞り気味になってきたのがドーレ高地における現状に影響を与えているのである。更に天越軍の強さを目の当たりにしていない貴族達は、我々将兵に対して厳しい批判を浴びせている始末だ。曰く「つい最近興った新参の小国相手に、何を手こずっているのか」と。

 そんな安全な場所で騒ぎ立てる貴族達に業を煮やしたのか、それとも重税に苦しむ民衆が立ち上がったのか帝都モトランドではクーデターが起こって内紛状態だと聞く。食料や弾薬を含めた補給がこのドーレ高地で滞りがちになっている事実と、無関係ではあるまい。

 上官は決して語ろうとはしなかったが、私を含めた下士官の間ではもはや公然の秘密であった。

「……敵軍に動きあり、ロブコフは無線を用意」

 ドーレ高地では電力その他資源を極力節約する事になっており、人員が極限まで削減されているのだ。本来通信など私の役割ではないのだが、そんなことをいっていられる状況でない事など私自身百も承知である。私は慣れた手付きでテーブルの上にあった送受信機を取った。

「敵兵数およそ……七百いや待て、……白旗、だと?」

 アンドレイの口調に焦りが見て取れる。私も彼の言葉を聞いて、すんでの所で無線のスイッチに掛けた指を止めた。

「どう言う事だ」

「知らん、とにかく敵が白旗を掲げて近付いてくる」

 私は疑問を残しながら、アンドレイの見た事をそのまま司令部へと伝えた。何故だと自分で思うものの、見当は付いていた。それは悪夢であり、一番有り得て欲しくない可能性であり、一番現実的な予想であった。彼ら天越軍は確かにこの戦局を一変し得る程の決定力がある訳ではないが我々を追い詰めている事自体は事実なのだ、白旗を揚げる理由がない。

 それから程なくして、プロフシアと天越の戦争終結の報が将兵達に伝えられた。理由は双方の戦争継続が困難になった事、そして帝都モトランドの軍事クーデターが原因である。危険思想として言われてきた共産主義が、ついに北の地で世界に対して牙を剥いたのだ。猛烈に勢力を拡大していく共産主義の脅威の前に天越は敵を失い、我々プロフシアは仕える国を失ったのだ。

 共産主義臨時政権は我々帝国の残滓を資本家や宗教家と共に一掃し、体制を完成させるつもりだと言う。天越軍は東プロフシアの比較的大きな都市であるサンデグラード近郊まで撤退し、そこで共産主義を食い止めるのだという。そして我々元プロフシア帝国軍にもそれを手助けして欲しい、という事らしい。

「俺は嫌だぞ、ロブコフ」

 共同部屋でアンドレイは私に漏らした。戦争継続が困難で国中に厭戦気分が蔓延している中ドーレ高地防衛部隊の意向は言う迄も無く、元プロフシア帝国陸軍の極東戦線の七割が天越との終戦に同意している。

「俺は同族に銃を向ける事など出来無い」

 一方共産主義政権に味方した西方の治安及び防衛部隊は、革命の熱狂そのままに敵対勢力を駆逐せんとプロフシア東側へと雪崩れ込んで来ようとしている。このまま手をこまねいていれば革命軍と元帝国軍の衝突は避けられず、尚且つ士気の決定的な違いを鑑みるだけでどちらが勝つかは誰の目にも明らかである。

「俺は革命側に付く」

 更に味方と共産主義側に付いた民衆に、裏切り者と罵られながら銃火を交えねばならないのだ。それがアンドレイは耐えられないのだと言う。その気持ちは私も軍属である以上、私にも痛い程良く分かる。

「本気か、アンドレイ」

 だが赤色テロルで両親を失った私は共産主義が許せないのだ。何の罪も無い一般市民を標的にしてテロ活動を行う輩の国を、どうして信用出来ようか。共産主義以外の思想を禁止し、一切の宗教を禁止するなどプロフシアの歴史にあるどんな過酷な王朝もしなかった政策だ。気に食わぬ者を粛正と称して処刑していくなど、既に正気の沙汰ではあるまい。

 人がヒトである限り、完全な共産など出来る筈が無いのだ。

「ああ、俺は味方に銃は向けられない。モトランドには、お袋が待ってるんだ」

 アンドレイの決意は固い、恐らく私が共産主義を許せぬのと同じくらい固いのだろう。私は両親を奪った共産主義が許せぬ、彼は両親に銃を向ける事が許せぬ。彼我に何の違いがあろう。これ以上私と彼が近寄れる箇所はあるまい、軍事クーデターが彼と私を分かつのだ。

「アンドレイ、反逆はその場で銃殺だが分かっているか」

「は、充分承知の上であります」

 それが彼との最後遣り取りとなった。僅かな沈黙の後、私とアンドレイは腰の拳銃を抜いて互いに発砲したのだ。私の銃撃はアンドレイの眉間を、彼の銃撃は私の脇腹を貫通していた。銃声の後、アンドレイの身体が前のめりに倒れるのがやけにゆっくりだった。血が部屋を汚す。味方殺しの、友人だった男を手に掛けた事が私の心を確実に汚した。

「……サノバビッチ」

 スラングが私の口を吐いて出た。痛みと熱さと寒気が身体を支配し脂汗が滲む。左手で傷口を押さえるが、血は止まりそうも無い。新しく出来た銃創から出る鮮血が軍服を赤く染め上げていく。銃声を聞きつけてやって来たらしい味方の物音を聞きながら、私の意識は闇に呑まれた。




 そこで私はペンを一端置いて顔を上げた。結局、祖国プロフシアでは革命政権が成立する事となったのだ。一方元プロフシア帝国軍は極東地域である旧沿海州に逃げ込み、国号をペルデオストクとしてサンデグラードを首都に政府を作った。当初現地住民は彼らを余所者と反発していたが、後のプロフシア連邦政権の大粛正を目の当たりにしてからはそれ程問題も起こっていない。ペルデオストクは元の帝国とは国力も体制も程遠く、奪還しようと言う気概も無い。

 だがこれで良かったのだと私は思う。建物の外で無邪気に遊んでいる子供を護るだけで、充分なのだ思うのだ。祖国奪還とお題目を掲げて戦争を仕掛けるのは簡単であるが、果たしてそれで一体どれだけの人間が幸せになれるのか。着々と力を付けるプロフシア連邦は不安だが、何としても我々が食い止めねばなるまい。それが過酷な戦争を経験した我々の使命であり義務なのだから。

 脇腹に残る銃弾の跡を見る度に、私は自ら手に掛けた友の事を想うだろう。

「……サノバビッチ」

 下品なスラングが、最近は口癖になりつつある。