エピローグ
ヴェルフェニア帝国の各メディアは事件の翌日、帝国立エテル魔法学園における殺人事件について一斉に報道合戦を開始した。学園長や内務長官、教育省の高官達も各雑誌社や新聞社の取材を受けている様だった。軍事上の機密事項や歴史の暗部に触れる事件の為、ノーコメントが多く取材陣は苦労をしている事が推測出来た。
「魔法と言う未だ解明し切れていない物を軽々しく扱った反動が来ているのでは無いか。事件を未然に防げなかった学園側の反省と、魔法使用の一層厳正な基準が今、求められている」
帝国新報の号外はそんな一文で締め括られていた。紫十郎はテーブルに座し新聞を広げ、珍しく目を通している。右肩からは三角巾が掛けられ両手で紙面を保持出来無いのが多少辛いが、今の様に新聞そのものをテーブルの上に置いて左手で捲ればそれ程苦にはならない。
死者は全てで十三人に上る、とメディアは報じている。教育省や学園側の会見を基に全てのメディアは記事を書いている為、表向きはただの魔法実験の暴走と言う事になっている。疑問を呈する報道も勿論あったが魔法学園と言う閉鎖社会の壁は厚く、どの新聞社や雑誌社も推論以上に踏み込んだ記事には至っていない。
軍事上の機密に対し、報道の自由に対する拡張を叫ぶ声がメディア各社に広がりつつあるのが現状だ。
「紫十郎さん、起きていたんですね」
隣の部屋で寝起きするリエンが、簡易食堂のテーブルで新聞を読む紫十郎に声を掛けた。幾分か元気を取り戻した彼女が、食堂を切り盛りする中年女性にAランチを頼む。威勢の良い掛け声が彼女の鼓膜を揺さ振り、食べ物の良い匂いが胃を蠢動させる。ふとした、何気無い出来事一つ一つが、彼女に生を実感させる。
紫十郎の方はクロワッサンにコーヒー、コンソメスープと言う至って簡素な食事である。食事も簡素だが、服装も簡素そのものであった。二人は同じ服装、滅菌衣を着ていた。
二人がいる場所は数週間前まで、彩菜が暮らしていた第三医務室だ。
「生きる、って苦しいです」
Aランチを載せたトレイにプラスチック製のコップに冷水一杯を紫十郎の席の正面へ置き、リエンが座る。小分けにされた顆粒の薬を一袋分冷水で飲み下すと、数秒を置いて彼女の顔が歪む。水に溶けてしまった分だけでも相当に苦いらしく、咳き込んでいた。魔族化を抑える為の薬を何とか体内に入れて、彼女は食事に移った。
「これを毎日飲んでいれば、彩菜ちゃんは生きていられたんですよね」
「そうらしい」
あの凄惨な事件は殆ど教師会に仕組まれたものだった、とゲオ=グラームス教師は二人に説明した。最初からリエンの中に魔族の因子が含まれている事を承知の上で放置していたらしい。因子が何の影響で核へと変わるのか、それを掴む事こそが教師会の目的であった。その過程で死者が出ても止む無し、と言う教師会の態度に当然リエンは憤然となった。
そんな学術的な興味であれだけの死者を出したと言うのか、そんな事の為に古都 彩菜は死ななければならなかったのか、ゼス=ルシカ先輩は死ななければならなかったのか、とリエンはゲオ教師に掴み掛かった程だ。そんな事をしても何もならない、と紫十郎が彼女をゲオ教師から引き剥がして説明が続けられる。
教師会はリエンを自らの監視下に置くつもりだ、と告げる。ゲオ教師によると『蒼霞』は魔族の繁殖に対する興味深い研究対象らしい。だが『蒼霞』の復活はヴェルフェニアに多大な被害を及ぼす事は分かり切っている事である。故にまだ危険の少ないと目される、『蒼霞』の能力が半覚醒状態にあるリエンを使って研究を進めようと言うのだ。この事件で魔法に対する不審が高まりつつある中、魔法省や教師会は名誉回復に躍起になっているのである。
明るみに出なければ、帝国全体にプラスであれば、それは肯定されるのだ。どんなに目を覆う様な人権無視の研究となろうとも、暗部の無い歴史など無いと首脳部は決定するだろう。研究者は後ろ暗さを感じつつも、やはり己の仕事と割り切って自らの手を紅く染めるだろう。
「実験動物として扱われるのが嫌ならば、俺の様な教師会の掃除屋になるしか無いがな」
ルシカも紫十郎も殺されてしまった場合、教師会の方の部隊が動いた事だろう。彼ら魔族の因子を持った人間は、古来より異端者であり食い詰め者であり人類に仇成す敵として扱われてきた。その風潮は今でも変わっておらず、文明の恩恵から遠い地では未だに昔ながらの差別が蔓延している。リエンの様に、魔族の核を持っている者ならば、その風当たりは益々強くなる。その事実が漏れれば、メディアが面白可笑しく書き立てるかも知れない。アルミナス家の政敵が政治の道具として持ち出すかも知れない。
どちらにせよ、彼女が生きる道は社会的に閉ざされてしまうだろう。彩菜に貰った命。彼女が命と引き替えに救った自分。それを簡単に投げ出す事は、リエンにとって彩菜に対する裏切り行為に等しい。それが嫌ならば、自分を利用し彩菜やルシカを殺した教師会の犬になるしか無いのだ。
残酷な話だったが、紫十郎はそれを同情しない。彼の境遇もまた、似た様なものだったから。
「わたし、生きたいです。彩菜ちゃんを死なせた理由の一端をわたしが握っているから、わたしが簡単に死んで良い筈が無いんです」
それは怒り。理不尽に対する、不純物の無い乾いた怒りである。
「だから、わたしも掃除屋になります」
「……上層部に掛け合ってみよう」
人生は選択の連続で出来ている。良い選択なのか、悪い選択なのかは後になってからでないと判別が付かない。ヒトとヒト以外の境界線を行き来する魔法使いにあっては、その選択は他の数倍にも及ぶ。命の危険が伴う場合も多い。それでも、選ばなければならない。選べなければ、一人前とは言えないのだ。
「第三医務室を出たら、二人でアークス市に新しく出来る『初音桜』に行きませんか? 割引券がまだ、余っているんです」
「良し、当面の目標はファーストフードを食う事と体調を整える事。約束を違えるなよ」
「紫十郎さんこそ、怪我を早く治して下さいね」
二人とも、笑みが自然に零れた。生きている実感であり、間違い無く喜ばしい事なのだ。幸福を幸福と正しく認識出来る事の、何と素晴らしい事か。ただ生きる事がこれ程に喜びを生み出すなどと、リエンは今まで知らなかった。当たり前の再認識、それは彩菜に対する感謝に繋がる。
リエンはもういない親友に対して、心の中で今一度別れを告げた。
「魔法使いに二言はありませんね? 忘れてたら、女性向け成人漫画買いに行かせますよ」
「趣味には口を出さないつもりでいたが、やはりリエンの性癖は相当アレだな」
「アレって何ですかアレって!」
笑いに満ちた紫十郎の謝罪に、リエンの口調は益々荒れる。だが二人とも、何処か楽しげである。
それは一人前には程遠い、だが道を選び始めた半人前の魔法使い達(リトル・マジシャンズ)が織り成す拙い詩。