「うーん、不思議だ。どうして俺はいかにも怪しげな拘束台に張付けられてるんだろう?」
今、彼が言ったように彼は暗い部屋の中で、そりゃもうとんでもなく妖しげな拘束台に張付けにされていた。
拘束台なんだから誰かを拘束する物だ。
つまり、何かしても暴れたり逃げたりしないようにする物。
そんな物に縛り付けられてる時点で彼の運命はある程度見えてるといえるだろう。
そんな哀れな子羊の名は相沢祐一、水瀬家居候一号にして向かう所敵だらけの高校三年生である。
「さて、祐一さん? 覚悟は出来ましたか?」
そう言って部屋の奥の闇から現れる水瀬家家主である主婦、水瀬秋子。
その手には何だか色だけで胸いっぱい、トラウマいっぱいのジャム。
「いや、もう何の覚悟かさっぱり訳わかんないんですが、覚悟出来てませんって言うか、お願いですから命だけは助けてください」
祐一の要求は至極真っ当なものだった。
実際、祐一は何も知らないし気が付けば張り付けにされてたのだから覚悟のしようがない。
それでもとっさに命乞いをするのは流石と言うべきか、そんな状況に慣れた事をご愁傷様と言うべきか。
「うふふ……さぁ、祐一さん、あーんしてください」
「断固拒否します」
「そんな事言わずに……美味しいですよ?」
「嘘だ!? 何かっ!? 何か今動きましたよ、そのジャム!?」
「あらあら……元気があっていいじゃありませんか」
「そんな食物を超えた食物なんて嫌です」
祐一は文字通り命がけで秋子を諦めさせようとするが、そんな簡単に引き下がるはずも無く……
「えいっ♪」
「ごぶぁ!?」
祐一の一瞬の隙をついてスプーンに掬ったジャムを祐一の口に放り込む秋子、行為自体は微笑ましいのだが祐一にとってはそんな微笑ましさなど皆無である。
みるみる苦悶の表情に変わっていく祐一。
「どうです、美味しいですか?」
「ごばっ!? ごごぐんげふげふぁ!?」(これ、口の中で暴れてるんですけどっ!?)
「あらあら、喜んでもらえて嬉しいわ」
「げふぇ!? げがふぁごぐふぉあ!?」(ぐぁ…嬉しいとかいうレベルじゃないです!)
口の中に跳び跳ね回るジャムに喉を突かれた所で祐一の意識は落ちた。
悪夢、タコ殴り、名誉と尊厳と信用と失ったであろう恋愛フラグ、ブロー三発と右ストレートにデートの約束、あと多分エロ本
「ごべっばーーーーーーーっ!?」
謎の雄叫びと共にベッドの上で身を起こす祐一。
その身体は寝汗でベトベトになっており、朝風呂は必須だろう。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……な、なんて夢を……」
『う、うぅっ……』
「ん?」
息を整えた祐一の耳に微かな声が飛び込んでくる。
その声は息も絶え絶えで疲弊が窺えた。
祐一はマメに整頓された自室をベッドの上から見渡す。
特に何も無いか……と思われたが……
「ん? なんだあれ?」
床に見慣れぬ人形が落ちていた。
手の平くらいの大きさの青い髪で昆虫っぽい羽の生えた人形。
よく見ると、その人形は全身ずぶ濡れであり、さらによく見ると微かにプルプルと動いていたりする。
祐一はベッドから移動し、ひょいとその人形を摘み上げる。
その瞬間。
「いやーっ!? お願い、食べないでーーっ!? わ、わたしなんて食べてもお腹の足しにならないし、美味しくないし、た、多分栄養価も低いと思うの」
「…………」
「ね? ね? 考え直して? ほら、知性のあるものを食べるのって抵抗あるじゃない? ねぇ、あるよね? あると言ってーーーっ!?」
人形はとんでもなく早口で喋りだし。
「う、うわぁっ!?」
驚いた祐一は全力で喋る人形を床に叩きつけた。
「ふむふむ……事情はわかった」
水瀬家ダイニング。
そこで羽人形の言い分を聞くことにした。
傍聴者は祐一と寝起きの名雪、早起きなあゆと秋子の四人である。
水瀬家にはもう一人、沢渡真琴という人物がいるのだが部屋からは出てきていないようで、恐らく漫画を読んでいるのであろう。
羽人形曰く、自分は妖精だという。
妖精の中でも天候を司る妖精であるらしく、属性(?)は晴れで、天気を晴れにすることが出来るらしい。
妖精はもう一人の妖精である雨の妖精と散歩に来ていたのらしいのだが途中ではぐれたらしい。
当然、妖精ははぐれた雨の妖精を探す事を決意。
で、はぐれた付近である祐一の部屋を探している最中にあやまって、寝ている祐一に食べられ、死を覚悟した所で祐一が目覚め口から吐き出されたという顛末だという。
「つまり、話を要約すると…………あんな夢を見たのはお前が原因かーーっ!?」
「あんな夢?」
「オレンジが……いや、なんでもない」
「…………」
「…………」
興味本位で聞いてきたあゆと半寝だった名雪は身体をビクっと震わせる。
半寝だった名雪が完全に覚醒し、秋子だけが何だかよくわからないような顔をしている。
「まぁ、そんな訳で……えーっと名前は?」
「え? 俺か? 俺は相沢祐一という何の変哲もないただの高校三年生だ」
即座にあゆと名雪が、嘘ばっかり……と小さく洩らしたのだが、祐一は無視しさらに話を続ける。
「で? そこの羽の生えた不思議生命体、名前は?」
「誰が不思議生命体よっ! せめて優雅に妖精、もしくは美の化身と呼びなさい!」
「身体はスモールだが態度はビッグだな……お前、自分で『美の化身』とか言って恥ずかしくないのか?」
「大きなお世話よ。それと私に名前なんて無いわ。妖精だし」
「仕方ないな、俺が名前を付けてやろう」
「いらないってば」
心底嫌そうに顔を歪める妖精。
あゆと名雪はパンを齧りながらその様子を見ており、秋子はいつも通りの風体であらあらと頬に手を当て様子を見ている。
「まぁそう言うな、そうだな……殺村きょ『却下』ってなんでだー!?」
「名前なんて別にどうでもいいわよ、それより貴方……雨の妖精を探すのに手伝いなさい」
「それは無理だ、今日は用事があるんでな」
「そんな用事なんて却下よ。貴方は私を食べようとしたんだから、私の心の傷を埋めるだけの事をしてもらわないと」
「寝ている俺に近づいた妖精が悪い」
「あんたねぇ……まさかちょっと顔に近づいただけでこの身が食べられるなんて思わないわよ」
祐一と妖精がギャーギャーと言い争いをしていると、名雪が横から素朴な疑問を問いかけた。
「ねぇ祐一」
「ん? 何だ名雪?」
祐一は頭に妖精を乗せながら聞き返してくる。
その妖精は食べられた仕返しなのか、祐一の頭をガリガリと噛みつけているのだが、祐一には効いていない様である。
「今日の用事って何?」
「……これといって大した用事は無いぞ」
「今の間はなに?」
「キニスルナ」
「あんた! 大した用事じゃないなら、私に協力なさいよ!」
「実は一大イベントがあるんだ」
「……やっぱり、何か用事があるんだ……」
「いや、無いぞ」
「無いんだったら私に協力……」
「実は大した用事なんだ」
「で、祐一、用事って何?」
「だから気にするな、それより名雪。今日は香里と栞と一緒に映画に行くんじゃなかったのか?」
どうも会話の雲行きが怪しい上にループしつつあったので、話を逸らす祐一。
あゆと秋子はその様子を何をするとも無しに見ているのだが、あゆの方はどことなく不服そうに見ている。
「あっ、そうだったよ。早く仕度しないと……」
そこにタイミング良くインターホンが鳴る。
恐らく香里と栞だろう。
祐一はこれ幸いとダイニングを後にして玄関に向かう。
「はいはいっと、まだ準備が出来ていないから二人とも中で入って待っていてくれ」
祐一はそう言いながら玄関を開けて、来訪者を招きいれようとした。
「へぇ、相沢さんは何処かお出かけですか。まぁ、相沢さんが誰と何処に行こうと私には関係ありませんが」
「…………」
扉を開けた祐一の動きが固まった。
扉の向こうには美坂姉妹はおらず、代わりに夏という事もあり少しだけ露出度が高くなった私服の天野美汐がいた。
一見、普通の言葉の様に聞こえるが美汐の言葉にはどこか棘が含まれており、どこと無く不機嫌そうなオーラを放っている。
「天野……か?」
「ええ、そうですが、何か?」
「いや、天野の私服ってもっとアレだと思っていたからな……すごく似合っていて、正直、少し見とれた」
「そ、そうですか……」
かあぁ、と顔を真っ赤に染めた美汐が俯く。
白を基調としたワンピースに日差し避けの麦藁帽子、それと首にはエメラルド色の石を埋め込まれたペンダントをかけており、まさしく夏少女といった風体である。
正直、麦藁帽子はどうかと思いましたが、変に思われるどころか目の前の先輩には好評の様なので結果オーライですね、と心の中で思う美汐。
それでも、褒められたら褒められたでこそばゆい美汐は、何とか顔を上げて話を逸らす。
「相沢さんは相沢さんで、奇妙な物を着けてらっしゃいますね」
「言うな、取り外したくても取り外せない呪いのアイテムなんだ」
美汐の視線の先には、『誰が呪いのアイテムよっ!』と言いながら祐一の頭をガジガジと齧る妖精の姿があった。
「……妖精、ですか」
「まぁ、言い分を信じるならな……それにしても、驚かないんだな」
「……まぁ、世の中不思議な事なんていくらでもありますでしょうし、私も似たような経験もあります」
ダイニングに通された美汐が事の顛末を聞いてその感想を口にする。
以前に妖狐に会った経験もあるし、実際に目の前に実物があるのだから信じるしかないだろう。
ちなみに、美汐は真琴と遊ぶ約束をしているので水瀬家に来た……と言うことになっている。
無論、真の意図は別にあるのだが。
「で、それよりも相沢さんは何処かにお出かけですか?」
美汐の言葉に棘が生まれる。
彼女にとっては、そんな妖精なんかよりも、気になる先輩の動向の方が重要事項なのだ。
美汐の言葉に、仕度を終えた名雪と特に予定が無いので祐一と遊ぼうと考えていたあゆは異口同音に祐一の用事を問い詰める。
祐一がのらりくらりと三人の『口撃』をかわしている様子を、コーヒーを淹れてながら微笑を浮かべて見ている秋子。
少し賑やかな水瀬家の朝の情景に、さらに一波、波紋が起こった。
ピンポーン
「ほら名雪、今度こそ香里達が来たぞ。出かけて来い」
「う〜」
名雪が唸りながら玄関の方に向かっていく。
その様子を見ながら祐一は、まだまだ止まりそうに無い美汐とあゆをどう攻略するか思案し始める。
ああ、そう言えば二人を陥落してもまだ頭の上のを何とかしないとならんのか……と、道のりが長い事にげんなりしている祐一。
妖精は頭の上にいるものの、齧っても効果が無い事を悟って、どうやって祐一を働かせようかと思案中である。
それでも、理由はわからないが祐一の頭を齧り続けてはいるのだが。
「祐一」
そんなそれぞれの思惑が交錯する中、何故か玄関から戻ってきた名雪が祐一を呼んだ。
祐一は名雪の方を振り向いて、名雪の頬がヒクついている笑顔を前にして、ほぼ直感的にこの場から離脱しないと危険だと察知した。
「皆、悪いが俺は今から世界の平和を守る為、けろぴー軍団と戦いに行くから探さないでくれ」
「祐一、お客さん」
祐一のボケを無視して、出て行こうとする祐一の首を掴み、引き攣ったままの笑顔で名雪が言い放つ。
名雪の後には何だかよく解らないがとんでもなく不機嫌なオーラを放っている美坂姉妹がおり……
「……遅いから迎えに来た」
「さっ祐一さん♪ 今日は一日中、三人でデートですよー」
さらにその後に、美坂姉妹とは対照的にこの上なく幸せそうな佐祐理と、普段は見せないような柔らかい笑みを浮かべている舞の二人が居た。
「祐一、ぴろ何処に行ったか知らな……って、なに、この状況?」
二階から、ペットを探しに降りて来た真琴の第一声がそれだった。
しかし無理はない。
水瀬家の全人口の二倍近い人数がダイニングに集まっており、皆が静かにただ黙って祐一の方を見ているのだから。
「な、何なのよこれ……祐一ってば、また何かしたの? それよりぴろ見なかった?」
「真琴、ぴろを探しているのか? それなら一緒に探してやろう、きっとぴろは外だ、一刻も早くぴろを捕獲する為に急ぐぞ!」
そう言って、脱兎の如く逃げ出そうとした祐一を名雪が捕まえる。
「逃げようたってそうはいかないよ、祐一」
「な、名雪、それに香里に栞。映画に行くんじゃなかったのか?」
「ええ、行くわよ。ただ、まだ上映時間まで間があるからくつろいでいるだけよ」
「祐一さんの予定も気になりますし」
にべもなく言い放つ美坂姉妹。
ちなみに祐一は、名雪、あゆ、美坂姉妹、美汐からは刺すような冷ややかな視線を
佐祐理、舞からは期待の籠もった視線を
秋子からは楽しむような視線に晒されている。
何なんだろう、このプレッシャーは?
俺はただ舞と佐祐理さんと一緒に水族館に行くだけで、やましい事は何一つないのに何で言い出せないんだろうか?
そもそも、最初、俺はみんなで行こうと言ったのだが、佐祐理さんがチケットが三枚しか無いからという理由で三人で出かけることを提案して俺は仕方ないからそれに賛成して……
ああ、なるほど、三人分しかチケットが無いから言い出しそびれているのか俺は。
などと、本能の警告すら見事に勘違いする祐一。
筋金入りの鈍感男である。
「あははーっ、今日の祐一さんは佐祐理と舞と三人でデートですよー」
「祐一、早く仕度する……」
二人がそう言うと、さらに祐一を襲う視線が強くなる。
祐一は既に半泣きに近い。
水瀬家の夏のダイニングは空調が効いている訳でもないのにとても冷たく感じられた。
祐一が何も言えずに場が停滞する。
数十秒か数分か……どれ位の時間だったかすらわからない停滞空間を打ち破ったのは、祐一の頭の上で我関せずと、他の事に思考を裂いていた妖精だった。
妖精は齧りつくのを止めてこう提案した。
「よし、決めたわ! 相沢祐一! あんた、雨の妖精を探しなさい! ……と言ってもあんたは納得しないだろうから、一つプレゼントを出すわ。それでどう?」
てっきり祐一の頭の上の妖精を人形か何かだと思っていた美坂姉妹、佐祐理、舞に事情を説明する。
ちなみにこの四人、頭の上に人形を乗せてる事には大して驚いてはおらず『祐一だし、また変な事をしようとしてるに違いない』という共通見解だったらしい。
「妖精さんには悪いけど、祐一は私たちが連れて行く」
「そうですねー、今日はデートですから明日にでもしてくださいねー。明日の朝にはお返ししますから」
舞、佐祐理は自分たちのデートの邪魔をされる訳には行かないので、やんわりと祐一の所有権を主張。
何気に佐祐理が聞き捨てなら無いことを言っているので、さらに場の雰囲気が冷たくなる。
「ちょうどいいわ、祐一だけじゃなくて貴女達にも手伝ってもらおうかしら」
と、まったく人の話を聞かずに自分の案にうんうん頷く妖精。
もちろん、名雪たちはともかく、舞、佐祐理が了承するはずも無いのだが続く妖精の言葉に心揺らされることになる。
「勿論タダとは言わないわ。見つけてくれた人に妖精のキスをあげる。私達にとってはタダのお呪いに過ぎないけど、人間がその恩恵を受けたなら常識的範囲の願い事を一つ叶える事ができるわ。どう?」
妖精の提案に一同の動きが止まった。
「で? 常識的範囲ってどの辺りまでなんだ? たいやき十個とかか?」
「あっ! 祐一君、たいやきを馬鹿にしてるねっ!?」
「たとえだ、たとえ」
たいやきを馬鹿にした祐一に憤るあゆ。
祐一はどうどう、とあゆを落ち着かせながら話を進める。
「で? できるのか?」
「当たり前よ。ふざけてるの?」
「じゃあ、イチゴサンデー100個とかも?」
「そりゃま、出来るけど……100個貰ったとしても食べきれないわよ?」
「じゃあ、アイス1000個とかも出来るんですか?」
「だから出来るけど……1000個もどうするつもりよ……」
「牛丼10000杯……」
「無理よ、10000杯は無理……っていうか、10000杯もどうすんのよ? 牛丼屋でも始める気!?」
「肉まん100000個は?」
「常識的範囲を逸脱してるわよっ! さっきから食べ物ばっかり……しかも大量にどうするつもりよっ!?」
祐一の頭で地団駄を踏む妖精に祐一が簡潔に答える。
「食うに決まってるだろ? 言っておくがあいつらはマジだ。それとアイス千個は常識的範囲なのか?」
「ま、ギリギリ限界ってとこかしら? 妖精のキスはそう言った願い事には向かないのよ。無から有を作るのは大変だから。それと瞬間的な願いもキツいわね」
「……どういうこと?」
「そうねぇ……例えば貴女!」
ピシィ! と舞を指差して格好をつける妖精。
しかしミニサイズなので、どうしてもちょこまかとしたイメージが拭えない。
「貴女は牛丼が好きみたいだけど……仮に貴女は毎日一杯の牛丼を食べると仮定するわ。すると一年で365杯。でも、願いは300個までしか出せないとしましょう」
「……足りない」
「願いは365杯の牛丼だけど実際は300杯しか出せない。でもそれは願い事の仕方が悪いからよ」
「……?」
「妖精のキスっていうのは持続型のお呪いなの。365杯の牛丼を出すのは無理でも一年間毎日牛丼を出すことは可能なのよ」
「なるほど。常に効果を発揮し続けるような感じの願い事にした方がより大きな恩恵を受けれるようになるわけね?」
香里が得心したように頷く。
妖精も『おねーさん、大正解!』と香里の方を指差している。
「そう言えば、まだ願いを聞いてない人もいるわね……ウエーブヘアのお姉さんは何がお望み?」
「あたし? そうねぇ……」
香里が少し考え込む。
しかし、それもすぐに終わり願いを言う。
「とりあえず、受験に合格する事が願いかしら? 学んだ事が常に身につくようにとか」
「なるほど、学業成就ね。でも、お姉さん、なんか頭良さそうに見えるんだけど、成績良くないの?」
「香里は学年で一番なんだよー」
「別に、願わなくてもいいじゃない」
「あのね、本番で力出せなきゃ意味無いでしょ? 何が起こるかわからないんだから」
香里の言い分も尤もである。
次に妖精は美汐を指差して願いを促す。
「はい! じゃあ、次はそこの妙におばさんくさい人ね」
「相沢さん、そこの妖精、握りつぶしてもいいですか?」
いきなり、おばさんくさいと言われた美汐は深く静かに憤る。
しかし、見知らぬ妖精にまでおばさんくさいと言われる彼女も相当のものだろう。
ちなみに、祐一は腹を抱えて笑っており、それを見た美汐が思いっきり祐一の足を踏みつけたのは余談である。
「まったく……ペットは飼い主に似るといいますが……もう少し礼儀を知ってください」
「誰がペットよ!」
「誰が飼い主だ!」
二人が同時に突っ込む。
ペットと飼い主かどうかはさておいて、二人はどこか似通った部分があるのかも知れない。
「で、願いは?」
「…………」
瞳を閉じ、静かに考える美汐。
暫らくの間、無言で沈思黙考していた彼女だが、突然、真っ赤になって目を開いた。
両手は頬に添えられており、顔からは湯気がでそうな勢いである。
「決まった?」
「え? ええ! 一応は」
「何?」
「えーっと……意中の人と結婚してお嫁さんになるというのは……どうでしょうか?」
シーンと水瀬家ダイニングが静まりかえる。
美汐は顔から火が吹き出そうな程、顔を真っ赤にして妖精の……即ち祐一の方を見つめる。
「あ……う……」
いつもそっけない後輩の恥らった仕種や表情にドギマギする祐一。
ついで、祐一の顔も赤みを帯びる。
「あらあら♪」
ニコニコと水瀬家家主は二人の様子を嬉しそうに眺める。
自分の甥のことである。甥が幸せになる一つの可能性が見れて嬉しい秋子。
他のメンツはどことなく面白くない風な表情で成り行きをみている。
「ど……どうでしょうか?」
「あ、ああ、ちょっと頭がフリーズしてたわ。てっきり美味しいお漬物の作り方とか聞いてくるような気がしたから」
「本当に失礼ですね」
「ごめんごめん、うん、出来るわよ」
「ちょっと待て! それって常識的範囲内なのかっ!?」
「んー、もともとある人間の気持ちのベクトルを変えるだけだから、大したことじゃ……」
「大事だよ、こんちくしょう!」
「いちいち、うるさいわね! はい、次! 何となくお嬢様っぽい人! 貴女の望みは?」
「ふぇ? もしかして佐祐理のことですか?」
お嬢様っぽい人と呼ばれて首を傾げる佐祐理。
単に残りが三人で、女が二人だから、自分の事か? と聞いただけで本人にお嬢様という自覚は持っていない。
それでも動作の一つ一つが洗練されているので、妖精にはそう映ったようだ。
「そうよ。あんまり悩みなさそうだけど、何が望み?」
「あははーっ、佐祐理にだって悩みはありますよ。どうしても欲しいものがあるんです」
「何? また食べ物?」
「違いますよー、佐祐理が欲しいのは祐一さんです」
再び水瀬家に静寂が訪れた。
刺すような視線が佐祐理と祐一に向けられる。
佐祐理は顔を少し赤らめてはいるものの、笑顔で祐一の方を見る。
祐一は何が何だか解らない、といった表情である。
「佐祐理さん」
「はい、祐一さん」
「俺なんか貰っても使い道なんてないぞ? 料理させてもお湯入りのカップ焼きそばが出てくるのが関の山だ」
「はぇ?」
「洗濯だって、俺が舞や佐祐理さんの下着とか洗うわけにもいかないだろ? そういう事はメイドさんにでも……」
「あはは……さ、佐祐理は祐一さんを労働力として欲しいわけじゃないですよ……」
佐祐理は疲れた風にそう呟く。
妖精は腹を抱えて祐一の勘違いを笑っており、祐一は何だかよく解らないまま妖精に笑われている。
「あはははははっ! こいつ、相当鈍いわね。それにしてもこんなののどこが良いわけ?」
「全部です」
「俺……大したこと出来ないんだけどなぁ」
「はーい、朴念仁は黙ってる。結果だけど、可能よ。さっきの願いと同じ原理だもの。労働力としてもそれ以外としてもね」
頑張りますよー、と幸せそうな顔でガッツポーズをとるお嬢様を見て、祐一はやっぱり佐祐理さんは可愛いなぁ、とか、でも気合を入れる程のものでも無いよなぁ、とか思っていた。
「で、最後にそこの三つ編みのお姉さんは?」
「あらあら♪ お姉さんと言ってくれるのは嬉しいですけど、私なんておばさんでいいんですよ?」
「貴女をおばさんなんて言ったら全国の自称お姉さんが反乱起こすわよ」
「これでもこの娘の母親なんですけど……」
秋子が娘の後ろに立って後から名雪を包み込むようにして抱きしめる。
妖精は信じられない、といった表情をしたが、気を取り直して願いを聞く。
「はいはい、それで願い事は?」
「これといって特には無いんですけど……強いて言うなら祐一さん『だっ、駄目だよ!(ですよ!)』」
秋子の言葉に反応して一斉に吼える八人の娘、しかし……
「……に起こされる前に名雪が起きれるようにして欲しいんですけど……駄目なんですか?」
「…………」
8人の盛大な勘違いに場が停滞する。
本人の秋子は駄目なのかと首を傾げており、祐一はやっぱり何もわかっておらず首を捻り、妖精は妖精で難しい顔をしている。
「で? 出来るのか?」
「無理ね、常識的範囲を超えてるわ」
「どっ、どういう意味なんだよー!」
「やっぱり駄目ですか……」
「お、お母さん!? やっぱり!? やっぱりってなに!?」
「……まぁ、常識的範囲じゃないよなぁ……」
「祐一も納得しないっ!」
「で、そう言えばあんたの願いを聞いてなかったわね」
「無視しないでよー!」
「俺か? 古今東西、男子学生の願いと言えば決まっているだろ?」
「何よ?」
無視された名雪はう〜う〜唸っており、妖精とあゆ、秋子以外の者はまた何かとんでもない事を言い出すのではないかと不安げに見ており、秋子はいつも通りの笑顔で、あゆはすでに溜め息をついている。
そんな状況で彼はキッパリと言い切った。
「金! 名声! 地位! 権力! これを求めずして何が男子高生だっ!」
「うぐぅ……やっぱり……」
「あんたの常識的価値観を一度問いただす必要がありそうね。当然ながら却下よ」
「なんでだー!?」
「せめてどれか一つになさい。そうすればそれなりの願いは叶うかもね」
「ところで一つ聞きたいんだが……」
「何よ?」
「どうしてそこまでして雨の妖精とやらを探すんだ? ほっときゃその内帰ってくるんじゃないのか?」
「雨の妖精は気まぐれなのよ。すぐ帰ってくるかも知れないし十年ほど帰ってこないかもしれないの」
「十年って……えらく長い気まぐれね」
「妖精にとっちゃ十年なんてあっという間よ。だけど人間にとってはそうじゃない。雨の妖精が十年家出するっていうのは、イコールこの地に10年間雨が降らないって事なのよ」
「……それって無茶苦茶大事なんじゃないか?」
「大事なのよっ! だから私がこんな人間には分不相応な交換条件出してるのよ! いい? わかった? 解ったならとっとと探しに行く!」
うがー、と吼える妖精に気圧されて祐一達は水瀬家を後にするのだった。
「しっかし……どうやって探せばいいんだろうなぁ……」
水瀬家から出てきて玄関を出たところで祐一がぽつりと呟いた。
そう言えば……と悩む十人、探すのはいいのだが、探す対象が対象な為に普通の探し方にはいくらか制限が出てくるだろう。
はぁ、と溜め息をつきながら祐一が空を見上げた。
空は青く、雲一つ無い。
気温は高いが、都会の蒸し暑さは無くて清々しい暑さとでも言うべき暑さ。
日差しは強いが、まだまだ夏の風情と笑っていられるレベル。
……と、祐一『は』感じていた。
「うぐぅ……暑い」
「あははーっ、ちょっと今年は暑すぎですねー」
「こんなに暑い夏なんて嫌いですっ!」
「そうね……これはちょっと堪えるわね」
「……妖精さん見つけないとこれが毎日」
「じょ、冗談じゃないわよぅ!」
わーわーと騒ぐ皆を見て祐一はそれほど暑いだろうか? と祐一が首を捻っていると横合いから叔母に尋ねられる。
「祐一さんはこの暑さ、大丈夫なのですか?」
「え? いや、そりゃまぁ暑いですけど……昔住んでた場所の方が暑かったですし……『ああ、夏だなぁ』くらいにしか……」
思ってません、と祐一が続けようとした時に、祐一が奇異の視線で見られている事に気付く。
「祐一……極悪人だよ……」
「いいたい事は解るが、よく考えてみろ」
「うにゅ?」
「この程度の暑さで大丈夫ってことは、ここに来るまではこれ以上の暑さに曝されてたってことなんだぞ?」
「う……」
「羨ましいのなら、今度行ってみるか? きっとこれ位の暑さでへばってたらあっちでは溶けるだろうな」
「う〜〜」
「はぁ、確かにちょっと暑いかも知れないが、こんなにいい天気なんだから……」
と言って再び祐一が空を見上げようとして気付いた。
水瀬家の屋根の上。
そこに見える影。
「おい、真琴。ぴろを探していたんだったっけ?」
「うん。祐一、見つけたの?」
「ああ、見つけたが……今はそっとしておいてやれ」
そう言って祐一はぴろのいる水瀬家の屋根を指差す。
そこには、ぴろが見知らぬ白いネコと二匹でちょこんと屋根に座っていた。
「春だなぁ……」
「はぁ? 何言ってんの祐一? 今は夏じゃない」
「あらあら♪ 真琴、そういう意味じゃないのよ」
「……?」
真琴は首を傾げるばかりで、秋子の言ってる意味が理解できることは無かった。
「さて、どうやって見つければいいと思う?」
「うぐぅ、どうって……」
「さすがに十年も家出されたらここの住人にはいい迷惑だ。何とかして雨の妖精を見つけないといけないんだが……やっぱり聞き込みか?」
「祐一さん、ここは何組かに分かれて手分けして探した方が早いと思います」
秋子の提案にそうですね、と頷く祐一。
じゃあ、それで……と皆が散らばろうとした時に、さらに秋子がぽろっ、と呟いた。
「そう言えば、願い事が反発しあう場合はどうなるんでしょうね? 例えば、祐一さんが名雪を起こしたいと願って、名雪が眠り続けたいと同時に願ったら」
「多分、打ち消しあうんじゃないんですか?」
「……っていうか、どうして例題がわたしなの? おかあさん」
「もし打ち消しあうんでしたら、願いが叶わないかも知れませんね。皆が同じ願いをする前に自分だけ先に願いを叶えて貰ったりしたなら話は別でしょうけど……」
秋子は頬に手を当てて困ったわ、と溜め息をついた。
その言葉を聴いて、八人の乙女が固まる。
八人の乙女達は自覚している。
恐らくこの八人の本当の願いは同じものだと。
しかし、皆がそれを願ったなら、たとえあの鈍感大王を振り向かせたとしても、すぐに打ち消されるのだ。
つまり、秋子は言外にこう言ったのだ。
『祐一さんが欲しいのなら、他を出し抜いて雨の妖精を手に入れて、さっさと妖精のキスをしてもらって他の者に渡る前に妖精に帰ってもらえ』
少なくとも彼女達にはそう聞こえた。
彼女達の雰囲気が一変する。
ちょっと賑やかな休日モードから、一世一代の大舞台に立っているかの様な、つつけば爆発しそうな雰囲気の中……
「あれ? みんな一斉に黙ってどうかしたのか?」
この鈍感大王だけはやっぱり気付いていなかった。
ともあれ、この話によって皆、バラバラに探す事となった。
【名雪・秋子の場合】
「う〜……おかあさん、どこにいると思う?」
「そうねぇ……祐一さんの部屋の近くで離れ離れになったのだから、祐一さんのお部屋に何かあるのかも知れないわね」
いかんせん、妖精を見つけ出すには情報が足りない事を自覚していた秋子は、直接探すよりも情報を集めなおした方が確実だと踏んだらしい。
名雪はその意見に賛成し、祐一の部屋に母親と共に入ると、何かおかしなところは無いか探してみた。
探す事十数分、秋子は最初こそしきりに見回っていたものの、今ではベッドに腰掛けて娘が甥の部屋を物色しまくっている様を『あらあら』なんて言って微笑みながら見ているだけであった。
「う〜……なんにもないよ……」
「あらあら……名雪、観察不足ですよ?」
秋子はベッドから腰を上げると祐一の机の前に立った。
そしておもむろに『失礼しますね』と言ってから机の上にのった。
さらに秋子はそこから背伸びして隣にある洋服箪笥の上に手をのばして、手探りでそこを探り……
「あら?」
予想していたものとは別の感触に疑問符を浮かべ、手に当たった何かを引き寄せ……
「あらあら……」
ちょっと驚いたような、ちょっと困ったような表情でそれを見た。
下から見ていた名雪にもそれが何かは解った。
背表紙にもいかにも如何わしい絵が載っていたからである。
「…………」
「…………」
黙りこむ水瀬親娘。
手にしたものはいわゆるエロ本であり『まぁ、祐一も男だし持ってるんじゃないの?』と思いつつも、特に詮索せずにいた一品である。
とりあえず、これを持ったまま机の上に佇むのもどうかと思い、秋子が床に下りて『困ったわ』と言わんばかりの表情で右手を頬に当てていた。
「う〜……祐一、不潔だよ」
「名雪? 祐一さんも年頃の男の子なんですから仕方ないんじゃないかしら?」
「納得いかないよ……大体、そんな本を見るくらいなら……」
「あらあら……」
会話こそ娘を宥める親の図なのだが、その会話内容とは裏腹に名雪の視線はそのエロ本に釘付けであり、秋子は何となくパラパラとその本を捲っていたのだが、そういう本が実際に売られていることは知りつつも、実物を見たことの無かった秋子は次第にエロ本に視線を奪われるようになった。
「さ、最近の若い娘さんは過激ですね……」
「…………」
こういう物に免疫の無い秋子と名雪、秋子は擦れた声でなんとかそうもらすだけの気力があったが、名雪にいたっては顔を真っ赤にしたまま無言である。
それでも視線を外さないところを見ると興味はあるらしい。
そのままエロ本を読み続け、読み終え本を力なく祐一の机の上に置いて数十秒、はたと自分達が探していたものはこんないかがわしい書物ではなかった事を思い出した。
「どうやら、この部屋には妖精さんのいた形跡は無かったみたいですね」
「そ、そうだね。別の場所を探してみよ、おかあさん」
「そうね、名雪」
内心、これ以上変なものを見つける前に早くこの場から去りたかった二人は、そそくさと祐一の部屋を後にしたのだった。
【栞・香里の場合】
「栞、何か案はあるかしら?」
「え〜っと……とりあえず適当に探してみようかな、って思ってましたけど」
「適当ってあんたね……まぁいいわ、とりあえずあの晴れの妖精から話を聞いてみましょう、まだ何かあるかも知れないわ」
……と、いう事で水瀬親娘と同じく一旦、水瀬家に戻る美坂姉妹。
リビングにいる筈の晴れの妖精に話を聞こうとしたのだが、肝心の晴れの妖精の姿が影も形もない。
既に誰かに持っていかれたらしい。
「抜かったわ……先を越されたみたいね……」
「どうするんですか、お姉ちゃん?」
「そうね……聞き込みっていうのは却下ね。『妖精を見かけませんでしたか?』なんて馬鹿みたいに聞きまわっていたら、下手すれば救急車呼ばれるわ」
「じゃあどうするんですか?」
「雨の妖精っていうのがそもそもよく解らないんだけど……雨……もしくは水に関係する場所に居るんじゃないかしら?」
「水に関係するところ……炊事場?」
「お風呂場もそうだし、それに外の可能性も考えたらそれこそキリが無いわね……というか、あの秋子さんが家の中のこと……特に水を使うような場所の異変を見逃してるとは思えないし……やっぱり外かしら? あとトイレとか」
「炊事場がお風呂場かトイレですか……一匹見つけたら五十匹はいそうな感じがします」
「そんなのに願い叶えてもらっても素直に喜べないわね……」
すごく嫌そうな顔をする香里。
何か嫌な思い出でもあるのだろう……もっともそれにいい思い出を持つ者はごく稀だとは思うが。
そうは言いつつも、如何せん情報不足のために栞曰く『一匹見つけたら五十匹はいそうな感じ』のする場所を探してみる美坂姉妹。
お風呂場とトイレを探してみたが、妖精がトイレにハマっていることも風呂に浸かっている事も当然のように無く、二人は炊事場を探し始める。
がさごそと流しの周辺を香里が調べる事数分、やけに静かだなと思っていたら、いつも賑やかな栞の反応が無いことに気付いた。
いつもは無駄にうるさいのだが、静かなのもそれはそれで不気味だ。
香里は流しを調べながら後で何か調べている筈の栞に振り返らずに話を振ってみた。
「珍しいわね、栞がこんなに静かなんて」
「…………」
「そういや栞は妖精を見つけたとして、何を願うのかしら? やっぱり相沢君とのこと?」
「…………」
「……調子狂うわね、何か言いなさいよ」
「…………」
「…………栞?」
何を言っても反応が無い栞を不審に思い、後を振り返ると栞が戸棚を空けて中を覗き込んでいる状態で固まっていた。
ピクリとも動かない栞。
「何見てるのよ、しお……り……ひぅっ!?」
ひょいと栞の頭をずらして戸棚の中を覗き込んだ香里。
その中には視覚が拒絶反応を起こしかねない凄まじい光景があり、その一番向こう側にオレンジ色の光を見たような気がしたところで香里の意識は闇に飲まれていった。
【真琴・美汐の場合】
「さて、そもそもあの無礼な妖精の知り合いというのが、まったく存在からして不明な点が多いのですが……真琴、解りますか?」
「ごめん美汐……わかんない」
「謝ることありませんよ、真琴。それが普通です」
美汐は溜め息を一つついて沈思黙考する。
(あまりにも不明な点が多すぎですね……そもそも妖精というのは何か、どんな習性を持っているのか、姿形や大きさもそう言えば聞いていませんでした)
(まぁ、姿形はあの無礼な妖精と同じと仮定したとしても、それ以外が何も解っていないというのが痛いですね)
美汐が冷静に今の状況を分析する。
しかし分析すればするほどやる気の削がれる情報ばかりだった。
(水瀬先輩と美坂先輩のチームは無礼な妖精を発見した現場である水瀬家を重点的に探すようですね……川澄先輩と倉田先輩のコンビは外で相沢さんと月宮さんのコンビも外……)
(相沢さんはこういった事になると突発的に行動力が増しますね……真っ先に無礼な妖精を確保したその判断はおそらく的確でしょう)
(……という事は川澄先輩ペアは何も持たずに外へ出かけた訳ですか……あれだけの情報で外を探しても無駄骨なのは自明の理……何か妙案でも思いついたのでしょうか?)
(さて、水瀬家か外か……どちらを探すのが正解でしょうか……困りましたね)
「美汐ー? 探さないのー?」
「真琴は妖精が水瀬家の外か中かどちらにいると思いますか?」
「それは解らないけど、真琴は中がいいと思う。外暑いし」
「確かに……今日みたいな日に外で長時間の活動は体調を崩しかねませんね」
その意見に納得して水瀬家に入る二人。
とりあえず片っ端から探していくのだが、妖精はおろか手掛かりすら見つからない。
「困りましたね……やはり外でしょうか?」
「あぅ……」
「仕方ありません、外へ…………」
真琴の部屋を探したあとで、仕方なく外へ行こうとした二人の前を水瀬親娘が顔を真っ赤にして、心なしか早足で祐一の部屋から出てきてそのまま階段を下りていく。
一体何があったのだろう? と祐一の部屋に入ってみることにした。
美汐は流石に勝手に人の部屋に入ることに躊躇したが、真琴が気兼ね無しに入っていったので続くように入る。
真琴は部屋を見渡し、何かに気付いて祐一の机へと近づき、机の上に置かれている物に気付いた。
「あ、祐一のエロ本だ」
「……!?」
「美汐、顔が真っ赤」
「ま、まままま真琴! 何て物を手にとって……ああ、開いて見せなくてもいいですから!」
べろーんと中を広げて見せる真琴に美汐が目をつぶりながら抗議した。
真琴は顔を若干紅潮させながら中を見ていた。
祐一の悪戯でエロ本を買いに行かされた真琴が、二度と引っかからない為にそういう本を調べまくった結果、多少の耐性がついたのである。
「うわ、祐一ってこういうのが好きなんだ……」
「真琴、お願いですから一刻も早くソレをゴミ箱に……」
「あっ!? ほら見て見て美汐! これ美汐そっくり!」
「……!?」
「あう……祐一がコレを見てると思うと何か腹立つ」
美汐が薄目を開けてソレを見てみると、確かに多少自分と似ている女の子があられもない姿でポーズを取っていた。
(相沢さんがこういう娘が好きだというのなら……もしかして私は結構優位なのでは? しかし……まるで私の裸を見られている様な気がしてかなり恥ずかしいですね)
そんな事を思いつつ美汐は真っ赤になっているであろう顔の頬を両手で押さえて部屋から退散していくのであった。
【舞・佐祐理の場合】
やけに気合の入ったサマードレスに白いつばの帽子を被り、銀のブレスレットをした佐祐理。
いつものリボンを外しストレートのロングヘアに佐祐理とおそろいのサマードレス、同じく白いつばの帽子と同じ銀のブレスレットをした舞。
全く同じ服装の二人は全く違う表情で悩んでいた。
「舞、妖精さんが何処いるか解りますか?」
「……わからない」
「あははーっ、佐祐理もですよ」
「困った……」
「えーっと……雨の妖精さんは晴れの妖精さんの相方だよね」
「多分……そして晴れの妖精さんは騒がしい」
「つまり、雨の妖精さんは騒がしいのが好きってことでしょうか?」
「……わからないけど可能性はある。この近くじゃ駅前か商店街が一番騒がしい」
「あははーっ、それじゃあ、そこへレッツゴーですよーっ!」
……と言う事で、何処にそんな体力があるのか上級生コンビは頑張りすぎている太陽をものともせずに商店街まで走っていく。
走る事十数分、舞と佐祐理が商店街に着いて辺りを見回してゆく。
聞き込みなどしなくても、雨の妖精が晴れの妖精と似たような姿形ならば、人目についたならば既に騒ぎになっている筈である。
だが、未だ騒ぎにはなっておらず、別にいつもと変わらぬ商店街である。
「ふぇ……ここにはいないみたいですね……」
「…………残念」
「あははーっ、ちょっと疲れちゃいましたねー」
「……佐祐理、あそこでカキ氷売ってる」
「じゃあ、あれでも食べて少し休憩にしよっか、舞」
そう言って佐祐理はイチゴシロップのカキ氷を買い、舞は宇治金時を買って、店の前に設置してあるパラソルの影にあるベンチに座ってカキ氷を頬張っていた。
二人が祐一も一緒だったら楽しかったのに……と思いながら夏の景色を見て涼んでいると、見かけた顔の人物が歩いていた。
「あ……久瀬」
「ほんとだ、久瀬さーん!」
人目も気にせず大声で久瀬を呼び、ぶんぶん腕を振る佐祐理。
久瀬はギョッとした表情でそちらを向き、駆け足で二人の所へ走ってきた。
「街中で……大声で…はぁ、はぁ…呼ばないで下さい」
「はぇ? でもお知り合いを見かけたら挨拶しないといけませんよ」
「……久瀬は知り合い」
「はぁ……貴女達はいつもシンプルでいいですね」
「あははーっ、あれこれ考えるより先に行動した方が楽しいですから」
「それでこんな暑い日にどうしたのです? 買い物でしたら今日でなくとも別の涼しい日にした方がいいと思いますが」
「……久瀬」
「なんですか?」
「……妖精さん、見かけなかった?」
「…………」
舞のあんまりといえばあんまりな質問に、久瀬は無言で舞の額に手を当てた。
少々火照っているが、よくよく考えればこの暑さだ、暑さで頭がパーになったのか単に火照っているだけなのか判別がつかない事に気付き手を離す。
「……何?」
「頭大丈夫ですか?」
「あ……あははーっ……」
先程のあんまりな質問の逆襲とでも言わんばかりのあんまりな質問をする久瀬。
少なくとも倉田さんは普通そうに見える……と言っても普段からの行動が微妙におかしいので微妙なラインだが。
まぁ、一応普通という事にして、普通な倉田さんが先の川澄さんの言葉を特に否定しない所を見ると何か事情があるのだろう……例えば妖精の形をしたぬいぐるみを落としたとか。
そしてそれをぬいぐるみという事をワザと隠したままで僕の反応を見て楽しむ……なるほど倉田さんならやりかねないな。
妖精=妖精のぬいぐるみか何か……と推測した久瀬。
そして引っかからないですよ、という意思を込めて久瀬が口を開いた。
「で、それは何処で落としたのですか?」
「……確か祐一の部屋ではぐれたと言っていた」
「だったら相沢君の部屋を探すのが筋じゃ無いのです『見つけたぞ、この偽者妖精っ!』かぁっっっっっ!?!?!?!」
久瀬のもっともな言葉が終わる直前、とんでもない速度でぶっ飛んできた祐一の跳び蹴りが久瀬の頭にクリーンヒットして久瀬の身体が商店街の中を転がっていった。
あっけに取られる舞と佐祐理を差し置いて祐一がグッタリとして明らかに意識を失っているであろう久瀬の服の襟をガクガクと揺すり何か吼えている。
「おい、起きろクソ妖精! 今すぐ俺の名誉と尊厳と信用と失ったであろう恋愛フラグを回復させろっ!」
「…………」
「お前、気を失ったフリしてれば助かると思ったら大間違いだぞ!」
最早、何が何だか解らない舞と佐祐理の元に、新たにあゆが何故か棒の先に紐をくくりつけその紐に縛られて釣り上げられた魚みたいな状態になってる妖精を持って凄い勢いで走ってきていた……
「うぐぅ! どいてどいてーっ!」
『待ちやがれーーーー!』
……何故か色んなおじさん達に追いかけられて。
ただ事ではない事を感じ取った二人は、祐一の元に走っていき事情を聞きだそうと声をかけた。
「祐一さん! 一体何事ですか!」
「あ、佐祐理さん。こいつ、何か変な事ありませんでした?」
「はぇ? 特に何も……いつも通りの久瀬さんでしたけど?」
「ちっ……ってことは本物か」
「祐一くん! 雨の妖精さんは!?」
「駄目だ、コレは本物の久瀬だ……とりあえず一旦ずらかるぞ」
「うぐぅっ! ボクたち悪者みたいだよ!」
「ふぇっ!? 何だか解りませんけど佐祐理達もついていきますね」
「……祐一、早く行かないと追いつかれる」
久瀬の襟から手を離し、ゴンと後頭部を打ち付ける久瀬を放置して祐一達は夏の商店街を駆け抜けていくのであった。
【あゆ・祐一の場合】
「うぐぅ……名雪さんは秋子さんとだし、栞ちゃんは香里さんとだし、真琴ちゃんは天野さんだし、舞さんも当然佐祐理さんとだし、祐一くんはもう姿無いし……」
(ボク一人かぁ……)
いつものカチューシャにジーンズとTシャツを着ただけの、美汐や舞、佐祐理とはまた違った夏らしい服装のあゆは途方に暮れていた。
(今は皆、作戦を練ってるみたいだけど、ボクが余るのは間違いなさそう……まぁ最終的には他を出し抜かないといけないのだから一人の方が気楽なんだろうけど……)
ボクは溜め息を一つついて当てもなく妖精さんを探しに行こうとして……
「おっ、暇そうなあゆあゆ発見、よし特別に荷物持ちに任命してやろう」
「うぐっ!?」
ポンとボクの頭の上に手を置いた祐一くんに捕まった。
ポンポンと嬉しそうにボクの頭を叩いている祐一くん。
祐一くんはいつもこうだ……ボクが寂しい時にはいつだって…………いつだって…………
「うぐぅ! 女の子に荷物持ちさせるなんて祐一くん横暴だよ」
「大丈夫だ、重いもんじゃないからな」
ほれ、と祐一くんが何かを渡してくる。
それは棒の先に紐がくくりつけられており、その紐の先には晴れの妖精さんがぐるぐる巻きにされて縛られていた。
「…………なに、これ?」
「何って、見たとおり妖精ナビゲーターだが?」
「誰が妖精ナビゲーターよ! 解きなさいよ!」
「大体、こーゆーのはゲームだと先ずは重要アイテムっぽいのを手に入れておくんだ、これが無いと攻略不可とかの場合もあるしな」
「私はアイテムじゃないわよっ!」
祐一くんがボクの背中を押して、妖精さんがわめきちらして、ボクはいつの間にか笑顔になって歩き出していた。
「でだ……俺達はその雨の妖精とやらがどんなのか全くもって解らんのだが……どうなんだ、そこのとこ」
「そういや言ってなかったわね……基本的に私と同じよ。そりゃ顔のつくりとかは違うけど種族として見るなら同じよ」
「うぐぅ、妖精さんが何処に行ったかとかの心当たりは?」
「無いわよ。言ったでしょ? アイツ、凄く気紛れだって。アイツの行動に意味は無いし、アイツはアイツで割と感性で動いてるから見つけるのが厄介なのよ」
はぁ、と溜め息をつく妖精。
今までも苦労させられたのであろう、溜め息から苦労が滲み出ているような気がした。
「あ、そう言えば言うの忘れてたわ」
「なんだ?」
「アイツ、変身能力持ってるから。一回見たものには大体化けれるようになるから注意して」
「そんな重大な事言い忘れるなよ……本当に探す気あるのか?」
「し、仕方ないじゃない! ちょっと言うの忘れてただけなんだから!」
「しかしそうなると厄介だな……見分けはつくのか?」
祐一がそう言うと、妖精は『う〜ん』と唸り、しばらくしてから答えた。
「見分けがつくのとは少し違うけど……もし雨の妖精が化けた奴だったら気絶させると変身が解ける筈よ」
「見ただけじゃ解らないのか……かなり困ったな」
そう言いながらあゆに妖精棒(祐一命名)を持たせて何気なく歩いていると前からブルマ姿の女子が大勢走ってきていた。
こんな暑い日に精がでるなぁ……と感心しつつ、しっかりとその生足を目に焼き付ける祐一。
そんな祐一を冷ややかな視線で見ているあゆ。
それだけならば日常の一コマで済まされたのだが、本日はそうはいかなかったらしい。
「見つけたわよ相沢くん!」
「へ?」
「乙女の柔肌を覗き見た罪、万死に値するわっ!」
走り過ぎて行く筈の女子たちが一斉に祐一を取り囲んでボコにしていく。
ゲシゲシと踏みつけられる祐一は何が何だか全く解らないまま、とりあえず丸まって嵐が過ぎるのを待った。
「これに懲りたらもう覗きなんかしないことね!」
「……はい」
やいのやいの言いながら去っていく女子。
祐一は未だ何が何だか解らず、隣にいるあゆの視線は限りなく冷ややかになっていた。
妖精はというと、紐に吊り下げられブラブラと揺れながら何やら考え込んでいる。
「祐一くん、さいてー」
「ちょっと待て。俺は何も覚えが無いぞ! 何で見るもん見て無いのに痛い目に遭わなければならんのだ! せめて下着姿ぐらい見ないと割に合わな……げぶっ!?」
馬鹿なことを言い出した祐一のレバーに一発いいのをぶち込んだあゆ。
そのあゆは溜め息をついて祐一を待つ事無く歩いていく。
「ねぇ、相沢祐一……念のために聞いとくけど、あんたは身に覚えが無いのよね?」
「ああ」
「…………あんたは身に覚えが無くて、でもさっきの娘たちは確信を持ってあんただと断定していた」
「そうだね」
「……で、雨の妖精には見たものに変身出来る能力があって、そいつとはぐれたのはあんたの部屋の近く」
「…………おい……まさか」
「……どうやらそのまさかみたいね。ほら団体さんがおこしよ」
妖精の指差す先には『見つけたぞ食い逃げー!』などと言いながら走ってくるおじさん達が多数。
祐一はその光景に戦慄してとりあえず逃げ出す。
「なんで俺があゆみたいに食い逃げの罪を背負わにゃならんのだー!?」
「人聞きの悪い事言わないでよ!」
「おい、あゆあゆ。食い逃げのプロとして、この場合どうすればいいのか意見を聞かせてくれ」
「ボクはあゆあゆじゃないし、食い逃げのプロでもないもん!」
夏の日差し降り注ぐ街を駆け抜けていく二人と一匹。
何も考えずに走る二人に神が味方したのか、目の前に何故かパジャマ姿でうろついているもう一人の祐一の姿。
祐一はその姿を確認するや否や、大地を蹴り見事な飛び蹴りを披露した。
「喰らえっ!」
「……!?」
一方、パジャマ祐一は後ろの騒がしさに気付き、振り返った瞬間、本物が自分に向かって攻撃してきている事に気付くが既に時遅く、胸に蹴りを喰らって転がっていく。
しかし、思ったよりダメージが少なかったのか、すぐに起き上がり逃げ出しはじめた。
「待ちやがれー!」
「…………」
パジャマ祐一が逃げ、祐一達がそれを追いつつおじさん達に追われ、おじさんたちが祐一を追う構図で走り続ける。
徐々におじさんたちと祐一達との間に差ができるものの……パジャマ祐一と祐一の差が詰らない。
よくよく考えれば同じ身体を使っているのだから、容易な事では詰らないのだが。
そんな膠着状態のまま商店街まで来てしまった一行。
あまり多くない人ごみに紛れてパジャマ祐一の姿を一瞬見失い、そのまま見つけられなくなってしまった。
「何処行った!?」
「うぐぅ……いないよ」
「男のくせにだらしないわね」
急いで辺りを見回す祐一だが、パジャマ姿で目立つ筈の自分が見つけられない。
……と、そこでたまたま商店街を歩いている久瀬を発見した祐一。
一時期はいがみ合っていた相手だが、今の関係は良好。
故にある程度腹を割って話しても大丈夫だろう……もっともそんな悠長に話している時間は無いのだが。
「お〜い! 久〜瀬〜!」
「…………」
返事をしない久瀬に駆け寄ってゆく祐一。
いつもなら皮肉の一つくらい飛ばす久瀬が何も言わない時点で明らかに様子が変なのだが、急いでいる祐一は気付かない。
「久瀬っ! パジャマ着た俺を見なかったか!?」
普通の人が聞いたら間違いなく変な顔するか哀れんだ視線を受けそうなセリフを大声で言ってのける祐一。
だが久瀬は気にする風でもなく商店街の奥を指差した。
「さんきゅ!」
祐一は簡単に礼だけ言って走っていく。
人ごみを器用に避けて、スピードを落とさず、周囲に自分の姿を探しながら祐一は夏の日差しの商店街を駆け抜けてゆく。
そうして辿り着く。
少し先にある出店にあるベンチに舞と佐祐理が座っており、その二人と喋っている久瀬。
(久瀬? ちょっと待て……さっき久瀬に…………ははーん、なるほど久瀬に化けたのか)
(しかも舞や佐祐理さんと楽しそうに話なんてしやがってー! 本当なら、はからずとも今日は二人とのデートだった筈なのに……どちくしょー!?)
こうして祐一は躊躇いも手加減も同情も無く、全身全霊を込めた跳び蹴りを放つのだった。
「だったら相沢君の部屋を探すのが筋じゃ無いのです『見つけたぞ、この偽者妖精っ!』かぁっっっっっ!?!?!?!」
なす術も無く吹き飛ぶ久瀬。
舞と佐祐理は呆気に取られて成り行きを見るだけである。
そして最初の一撃で意識どころか飛ばしちゃいけないものまでトビかけてる久瀬に向かって、ありったけの怨嗟と魂の叫びをぶつける。
「おい、起きろクソ妖精! 今すぐ俺の名誉と尊厳と信用と失ったであろう恋愛フラグを回復させろっ!」
「…………」
「お前、気を失ったフリしてれば助かると思ったら大間違いだぞ!」
こうして祐一一行は久瀬が本物だと悟り、舞と佐祐理と合流し、先の偽久瀬の居た方に向かって追撃の手をうまくかわしながら向かっていくのであった。
【北川の場合】
俺……夢でも見てるんだろうか?
目の前に『俺』がいる。
断っておくが鏡を見ているなんてオチではない。
目の前に変な人形が現れたと思ったら、瞬く間に俺に変身してたんだ。
あの人形はどこかの秘密道具の類か何かだったんだろうか?
「あー、あー……よし、今回は声も完璧だ」
目の前の究極ナイスガイが発声練習をしている。
さすが俺。
傍目からでも滲み出るナイスガイオーラが億ナイスガイ単位で感じ取れるだろう。
「それなのに、どうして美坂はなびいてくれないんだろう? この世の七不思議だ」
俺がこの世の不条理を嘆いていると、遠くから相沢の声が聞こえたような気がした。
声のした方に振り返ってみると相沢達がすごい勢いで走ってきていた。
「舞! 右を頼む」
「……わかった」
何なんだろうな? と思い隣のナイスガイを見てみると大胆不敵に腕組みをしていた。
何だかよく解らんが、腕組みしてても大丈夫な状況らしい。
俺も倣って腕組みしてみた。なんだか偉くなった気がするな。
俺が満足していると、ナイスガイが俺の手を掴んで俺も一緒にグルングルンとコーヒーカップの乗員よろしく回される。
「さぁ! これでどっちが本物の俺かわからんだろう!」
ナイスガイの言葉を聞いてるのか聞いてないのか解らないが、俺の目の前で相沢は跳び蹴りをしてきた。
とっさに避ける俺。
だが、それも予想済みだったのか跳び蹴りを避けてすれちがう瞬間、相沢の腕が俺に向かってのばされる……
「一人ク○スボンバー!!」
「俺はマスクしてね……げぼぁ!?」
相沢はそのまま俺の首を抱えるようにしたまま仰向けに地面に着地、地面と相沢の腕に挟まれた俺の首に強烈な衝撃。
間違っても良い子はマネしちゃダメだぞ?
薄れゆく意識の中、隣のナイスガイはどうなったんだろうと思い見てみると、川澄先輩のチョップ一撃でノされていた。
ダメじゃん……俺……
「あ、あははーっ…………」
「あ、あんたらって…………」
「祐一くんがこうなのは驚かないけど、北川くんももうちょっとマシな死に台詞があったんじゃないかなぁ……」
「最後までツッコミでしたね……普通、あの場面なら『一人じゃクロスじゃないだろ!』あたりが妥当だと思ったんですけどねー。すぐにマスク狩りに思考がのびる辺り慣れてますねー」
「佐祐理さんもあの漫画しってるんだ?」
「あははーっ、祐一さんから借りたんですよ。舞もハマっちゃって……おかげで一時期、祐一さんの身体が大変な事になりかけましたけど」
「そ、そうなんだ……」
あゆが心の中の舞にパ○・スペシャルをかけられている祐一に合掌して、舞のチョップによって仕留められた妖精を紐でぐるぐる巻きにしてゆく。
逆に解放された晴れの妖精が『う〜ん』と伸びをしていた。
「まぁ、何にしろ相手が祐一さんと舞だったことと、変身する相手が北川さんだったことが運の尽きでしたねー」
「祐一くんなら、北川くんが二人いたら二人とも殴るに決まってるもん。よくよく思えばどうしてここまでの仕打ちで親友やってるのか解らないけど」
あゆが妖精を縛って、さてどうしようと頭を悩ませる。
自分と祐一だけで妖精を捕まえたのなら何の問題も無かったのだが、実際に捕まえたのは舞だ。
そんなあゆの苦悩を見て取ったのか、佐祐理がお気楽に回答を出した。
「これで四人とも一個だけ願いを叶えられますねーっ!」
「でも、互いに干渉するような願いをしたら打ち消しあうんじゃ……」
「……だったら干渉しなければいい」
「舞さん……」
いつの間にかあゆの近くにまで来ていた舞が続きを答えていた。
「別に私たちは祐一を曲げてまで祐一を欲しいとは思わない。曲げられた祐一は嘘の祐一」
「舞さん……?」
「あははーっ、佐祐理達の目的は祐一さんを心の底から虜にすることです。そんないつ解けるとも解らないものなんてかえって邪魔ですから」
「佐祐理さん……?」
「あゆさんが何を願うかは自由です。仮にあゆさんがそういうことを願っても、そんなものなんてすぐに打ち破って見せますよーっ!」
「……だから気にせず使うといい」
「うぐぅ! ボクだってそんなのに頼らないもん!」
あゆが気合をいれる。
そうだ、自分の力で手に入れないで何が恋だ。
恋というものはその過程が重要で、醍醐味で、それがあるからこそ手に入れた時にその輝きが増すのだ。
原石は磨いてこそ初めて宝石の輝きを持てるのだ。
磨かぬ原石は砂利にすら劣る。
「おっ? どうしたんだあゆあゆ。気合入っているな。まぁ、あゆの胸を大きくするならそれくらいの気合は必要だとは思……ぐばぁ!?」
「そんなこと頼まないもん! 祐一くんの馬鹿!」
ちょっとした冗談がストマックブローとなって返ってきた祐一。
腹を抱えてうずくまっている。
「ほら、あんたたち、そこに一列に並んで! キスしにくいじゃないの!」
そそくさと並ぶ四人。
祐一もすぐさま復活していたりするところを見ると、実は大して効いていなかったのか、それとも執念がなせる業なのかのどちらかだろう。
妖精が何やら呪文を唱えて舞、佐祐理、あゆの順番に額にキスしていく。
そして祐一は何の冗談か、唇を突き出して待機しており、今度はあゆだけでなく、舞のチョップとあゆのレバーブロー、佐祐理の足踏み付けを喰らって沈黙した。
「じゃあ、私たちは行くわ。縁があればまた会いましょう」
それだけ言って、あまりにもあっけなく妖精たちは姿を消したのであった……
「まて! 冗談だから! プリーズ、キスミー!」
三人にボコられてキスをされなかった祐一の叫びを残して……
「良かったのかい?」
「何がよ?」
元の自分たちの居るべき場所に戻った雨の妖精が晴れの妖精に問うた。
「『妖精のキス』だよ」
「それがどうかしたの?」
「酷いんじゃないかい? せっかく頑張ってくれたのに、そんな嘘ついて騙して」
雨の妖精が少しばかり気の毒そうな声で喋るが、晴れの妖精は呆れ顔で答えた。
「原因作ったアンタには言われたくないわよ。何にしろあの娘達にはあれでいいのよ」
「……?」
「嘘なんていうのは物事の一面に過ぎないわ。願いを叶えるなら何にしろ努力が必要で、それがやがて実を結び現実と成すのよ。あれはその最後の一押しをするだけ……だけど条件さえ揃っていればそれできっと願いは叶う。その時初めて呪いが真実になり、嘘は現に溶けて現に実を咲かせ現実となるの」
「だけど叶わぬ願いだってあるだろう?」
「そんなの知ったこっちゃ無いわよ、何でも叶うなんて言って無いんだし。もうちょっとマシなことを願いなさいってことよ」
「まるで詐欺師だ」
「偽者の姿になって散々引っ掻き回してくれたアンタにだけは言われたく無いわよ」
現世での祐一達の姿を覗いてやろうかと思い……やめる。
既に栓無いことだ。
あくびを一つして、晴れの妖精は眠りに落ちる。
いい事した後はいい気分で眠れそうだと思いながら……
「まて! 冗談だから! プリーズ、キスミー!」
「あははーっ、しょうがないですね祐一さんは」
号泣する祐一に佐祐理が後ろから近づいて……
後ろから包み込むように抱きしめて……
「ん……」
「………………………………へ?」
祐一の右のほっぺにキスをした。
驚愕する祐一と舞とあゆ。
「さ、佐祐理さん!? い、いいいいいま……」
「はぇ? だって祐一さんキスして欲しかったんですよね?」
「そりゃそうだけど、俺が言ってたのは佐祐理さんのじゃなくて……」
しどろもどろになって祐一が弁明すると、弁明すればするほど涙目になっていくお嬢様。
お嬢様は後ろから祐一を抱きしめたままの体勢で、かすれる様な声で呟く。
ちなみにこの時の祐一の全神経が背中に当たる柔らかい二つの感触に集中されている事は言うまでも無いことであろう。
「そ、そうですよね……佐祐理のキスなんか祐一さん欲しくないですよね……」
「いや、もうありがたすぎるちゅーか、ここで死んでも一片の悔い無しというか……うひゃあ!?」
囁く佐祐理とは反対側の左の頬に突然キスする舞。
祐一が慌ててそちらを向くと顔を真っ赤にした舞の姿。
「……祐一、その声は失礼」
「ま、舞?」
「佐祐理の真似をしただけ……」
「あははーっ、舞は恥ずかしがり屋さんですねーっ、本当はもっといっぱい……きゃあきゃあ♪」
いらないことを言おうとした佐祐理に舞がチョップの雨を降らせる。
佐祐理は祐一の身体から身を離し、いつもの笑顔に戻って舞から逃げ回る。
舞は顔を真っ赤にしたまま佐祐理を追いかけだして、その場に祐一とあゆだけが残る。
「……? どうしたあゆあゆ、俺の顔を凝視して……ははーん、さてはあゆも俺にキスを……」
「うぐぅ! 違うよっ!」
あゆの叫びと共に祐一の顔面に叩き込まれる右ストレート。
「げば!? ……お前、最近、凄く早く手が出るようになったな…………ガクリ」
『なんか真琴みたいになってきたなぁ……』などと思いながら大地に倒れ伏す祐一。
あゆは、はぁ、と溜め息をついて祐一の顔を覗き込むようにしてしゃがむ。
「うぐぅ、どうしてこうなっちゃうんだろ? ボクも本当は……」
そこで言葉を切って祐一の額にキスするあゆ。
祐一が意識を失っているとはいえ恥ずかしかったのか、すぐに顔を離して言葉を続ける。
「こういうことしたいのに……はぁ……」
あゆは溜め息と共に祐一の頭を膝枕させて空を見上げた。
この状態を少しだけ維持する事を願い事にするかどうか迷いながら……
雨の妖精が捕まったとは言え、今はまだまだ雨は降りそうに無かった。
……で、家に帰ると……
「あ、祐一。祐一の部屋のエロ本、みんなにバレちゃってるわよ?」
「なに!?」
俺が家に帰ると真琴が開口一番、そう言った。
最初の悪夢から始まった今日という厄日はまだ終わらないというのか。
「…………」
「…………」
「…………」
鬱になりながらリビングに入ると、すごい笑顔の天野と名雪といつも通りの笑顔の秋子さん。
そしてリビングのテーブルには、ぽつんと俺のエロ本だけが置かれていた。
みんな笑顔のくせに会話が無いのがかえって怖い。
「アディオス!」
俺は本能に従って逃走を試みたが、既に後ろを舞と佐祐理さんとあゆにふさがれていた。
「あははーっ! 祐一さん、さぁ、どうしてそんな本を手に入れたのか事情を説明してくださいねー」
「……祐一、キリキリ吐く」
「ボクも祐一くんがそれで何をしようとしていたか気になるよ」
舞と佐祐理さんに両腕を捕らえられて、あゆの小柄な身体の何処にこんなすごい力があるんだと言いたくなるほどの握力で手が握られて、指先が赤を通り越して白くなっている手を見て脱出不可能を悟った。
「そういえば、栞と香里の姿が見えんが」
「二人は水瀬家の台所の露と消えたわよ」
「…………ご愁傷様としか言えんな」
最後の抵抗を試みたが精神ダメージが付加されて返された。
どうやら必至という状態らしい。
俺は、内心どうなってるのか想像もつかない怒れる姫様達のいる現実から逃避して本日の収穫と被害を考えてみた。
本日の収穫……天野、舞、佐祐理さんの可愛らしい姿(脳内保管済) 乙女のキス×2
本日の被害………………うぅっ……
「割りに合うかーーーーーっ!」
その叫びもむなしく、俺の心の中にある本日被害欄に新たな被害が追加されるのであった。
悪夢、タコ殴り、名誉と尊厳と信用と失ったであろう恋愛フラグ、ブロー三発と右ストレートにデートの約束、あと多分エロ本 【終】