人って、生まれてから死ぬまでにいったいどれだけの嘘をつくんだろう?

 ボーっと青い空を眺めていたら、不意にそんなことが頭をかすめた。

 隣の男に聞けば、そいつは無表情に、さてね、と切り捨てた。

 でもこいつはこういう男なわけで。それを承知の上で私はこいつの隣にいるわけで。

 だから、

「ふーん」

 そんな意味もない返事で終わらせた。

 ゆっくりと視界の中で動いていく白い雲。

 綿菓子食べたい。

 雲を見てそんなことを考えるくらい頭が良い天気になっちゃってるから、そんなことを考えるんだろうか。

 さらさらと髪を撫で付ける風。隣の男の体温。揺らぐ雲。

 あー、ぬくい。

 身体に渦巻く倦怠感。これはほんの少しタバコに通ずるものがあるかもしれない。

 きっと、私が求めているのもタバコと同じなんだろう。

 頭が空っぽになる。そんな日常。

 意味があるかないかすらわからない日常。

 でも、これは間違いなく私とこいつの日常。

 この日常は、

 ……真実なんだろうか。




















   




















 友人曰く、私は面白い奴らしい。

 らしい、というのも私自身はそういう自覚をしたことがないからだ。

 とりあえず、会話をしている。聞かれたことに答え、話の内容に突っ込むところがあれば突っ込む。笑いを取る。そういうことはする。

 でも、それって別に普通だと思うわけで。

 だって皆していることだし。というか、皆がしていなければきっと私はそういう態度を取ってない。

 ただ学んだから。

 友人をそつなく作るためには、そういう行動が一番なんだ、と。

 まぁ、あれだ。

 面白い、と思われるということは受け入れられている、ということだから良しとする。

 でも、こういうときにふと思う。

 私って嘘吐きなのかな、って。






 嘘の定義付けって難しいと思う。

 どこからどこまでが嘘なんだろう。

 あいつにも聞いたことだけど、人間生きていく上で嘘なんて必ずつくわけで。

 よく聞く、良い嘘と悪い嘘。

 とまぁ、そういう括りをする以前に嘘は嘘なわけであって。

 嘘って、つまり人を騙すこと。

 自分の都合の悪いことを悟らせないように、とか相手を気遣って、とか。嘘と一言で言ったところで千差万別だろう。

 それはわかる。

 で、だ。

 そうなると、私っていう存在はもうそのほとんどが嘘なんじゃないかなぁ、と思うわけです。

 ……私は、物心着いたときには施設に住んでいた。

 親がいなかったんだ。

 いや、別に死んだわけじゃない。生きていることは確からしい。

 なんというか……まぁ、あれよ。蒸発というかなんというか。とにかくひどい有様だったらしい。

 そうしてどっちかが先に家を出て、残った方も私を持て余して施設の前に捨てて行った、と。

 意地悪で有名な同じ施設の男の子が教えてくれた。先生の慌てようから恐らく本当であろうと思ったし、この歳になれば自分で調べることだってできる。

 まぁ、でもそれを聞いた当時も、私は別になんとも思わなかったわけだけど。

 私にとっては両親という響きすら、その時点で他人だった。なんの絆もない赤の他人。

 普通は捨てられたとしても、そう割り切れるものじゃないらしい。別に割り切っているつもりもないけど。

 なぜだろう。そんなのは自分でもよくわからないけれど。

 でも、私は昔から――今に至るまでずっと、その『絆』と呼べるモノには縁の無い女だった。

 努力すれば手に入れられたのかもしれない。

 でも、絆を得るのに努力っていうのもどーにも納得いかないわけで。

 結局のところ、いつの間にか私はいざこざが生じない程度の無難な距離を保つ癖を身に着けていた。

 遠すぎず、近すぎず。

 その距離を保つために、興味も無い話に乗り、笑い、涙し、喜び、突っ込み、肩を叩き合った。

 学園生活なんてその象徴。

 苦に思ったことは無いけれど、どことなく空虚な感じは抜けなくて。

 人は生きていく上で嘘をつくけど。

 私は生きていること自体が嘘に感じるもんで。

 あー、馬鹿馬鹿しい。

 で、すっごい虚しい。

 そう思っていたわけですよ。

 で、そんなおり、学校で一人の男と出会ったわけで。






 その男を一目見た瞬間に理解した。

 あぁ、同類だ、と。

 そいつも同じ感覚を得たんだろう。

 で、運命というか偶然というか。

 友人に誘われるがままに立候補した委員会の会合で、私とそいつは隣になった。

 別に同類だから興味を持った、とかそんなわけじゃない。

 けれど委員会という、話をしなくちゃいけない領域の中でいつも通りの無難な会話をしていて、更に確信したわけで。

 あぁ、こいつ同類。むかつくくらいに同類なんだと。

 そんな相手に無難な話をするのも馬鹿馬鹿しい。で、どっちからともなく会話は素となり始めた。

 で、その延長線上というかなんというか、一緒にいることが多くなった。

 そのせいで私とそいつが恋人とかいう括りに勝手に収められ、勝手に囃し立てられて、で、いつも通り私は笑いながら拒否したと。

 でも結局拒否すればするほど話は肥大化するもんだから、途中から拒否しなくなり、いつの間にか公認のカップルとなった。

 当の本人たちは好きだの愛しているだの言い合ったり、キスしたりしているわけじゃないと言ったら、驚くだろうか?

 ま、でもそのおかげでこいつといる時間がかなり増えた。

 そうしてわかったことが一つある。

 素でいる、っていうのがとっても楽なんだ、ということ。

 そいつも聞いた話じゃ、クラスでは随分な人気者らしい。面白くて、誠意があって、やるときはやる奴なんだとか。

 でも私はこいつのそんな一面を見たことは一度もない。

 ただボーっとしていて、どこを見ているかすら定かじゃない瞳で、ただそこにいる男って感じ。

 ……まぁ、向こうからすれば私もそうなんだろうけど。

 でもきっとこいつも私といるのは楽なんだろう。

 面倒な絆という細い糸を維持するための仮面を外すことのできる、唯一の場所が二人の場所なんだ。

 仮初の親に、仮初の友人。仮初の世界。

 生きていく上で無くてはならない、不確かな絆というものに縋るために、取り付けた仮面。

 別段それを苦だと思ったことはないはずなのに、それを外したときに楽だと思うんだから……結局私は自分の心にすら嘘をついていたということなんだろう。

 まぁ、でも。

 それを言ってしまえばこの関係も仮初。恋人なんていう決め付けの皮を被った、おかしな関係。

 でも、それでも一緒にいるのはやっぱりこの安心感からだろうか。休憩場所としてなのだろうか。

 きっとそうなんだろう。

 私とこいつの中で絆が生まれる、なんてことはまずあり得ない。

 こいつがどういった人生を辿ってきたか知らないし、知るつもりもないけれど、どうせ私と大して変わらないだろう。

 そういうわけで、私もこいつも絆なんていうものが軽薄。ただでさえわからない物を、わからない者たちが紡ぐこともない。

 じゃあ、

 いまこの二人を繋げているのはなんなんだろうか。

「ね、あんたさ」

「んー?」

 覇気のない返事が返ってくる。

 とはいえ声に気力が無いのは私とても同じこと。特に何かを言うつもりは無い。

「私たちってさ、なんだと思う?」

「……なんだ、やぶからぼうに」

「んー、いや、特に意味は無いけど。強いて言うなら空見てたから?」

「理由がまったく意味不明なんだけど……そうだなぁ」

 考え込む気配。……こいつの思考はめちゃめちゃ長いから気長に待つことにする。

 けれど、答えは予想以上に早く返ってきた。

「絆、じゃないか?」

「…………は?」

 予想外も予想外。ふわっと投げた敬遠球を思いっきりフルスイングでグランドスラム叩き込まれたかのように予想外。

 おかげで数秒間時が止まってしまいましたとも。えぇ。

「ん? 驚いてるか?」

「そりゃあもう。ここ十数年で一番驚いたくらいに」

「十数年って、お前何歳だよ」

「女に年齢聞かないでよ」

「っていうか同じ学年なんだから年齢知ってるよ。それはさておき、そうか驚いたか。無感情なお前が珍しい」

「あんたに無感情って言われたくないわねぇ」

「ごもっとも」

 とか言いながら、はは、と笑う。

 ……うわ、笑ってるところ初めて見た。なんていうか……キモッ。

「お前いま失礼なこと考えただろ」

「すごいすごい。よくわかったね? それも絆のたまもの?」

「さて、どうだろな」

「煮え切らない言葉。っていうか、まさかあんたから絆なんて言葉を聞くとは思わなかったわ」

「奇遇だな。俺も言うとは思わなかったよ」

 わけのわからないことを言う。

 言ったのは自分だということを理解してないんだろうか?

「理解しているつもりだが?」

「……いや、つか凄すぎ。どうしてそう考えていることがダイレクトにわかるわけ?」

「まぁ、あれだ。伊達に数年の付き合いじゃないと」

「私とあんたが知り合ってからまだ二ヶ月も経ってないけどね」

「そんなもんか? なんかもっと随分と長い間一緒にいた気がしたけど」

「それは――」

 確かに、そう、かもしれない。

 自分で言っておいてなんなんだけど、正直二ヶ月というのは違和感を受ける。

 忙しなく移ろう偽りの自分とそれを取り巻く世界。

 ただ周囲との関係を維持するがためにテレビを見て、話題を増やし、好きでもない趣味に走り、流行とほぼ同時に止め、その繰り返し。

 その時の流れから外れたこの空間には……それだけの安らぎがあったのか。

「きっとさ。俺らが考えているほど絆っていうのは深く大層なもんじゃないのさ」

「もしあんたが物語の主人公だったら、話を壊すような台詞ね」

「良いんだよ、俺は。むしろ主人公らしいつったらお前の方だろ」

「まさか」

「ま、それはさておき。ともかく絆ってのはさ、ぶっちゃけ今の自分にその相手が必要だったら、もうそれは絆だろう?」

 それは同意しかねる。なぜなら、

「それってただ単にパラサイトじゃない。必要な相手が絆って、変」

「あぁ、悪い。言葉が足らなかった。それが互いにそうであったなら、だよ。つまり生物で言うところの共生」

 また難しい例えを使う。

 ……いや、別に難しくもなんともないか。読んで字の如し、だし。

 しかし、となると、つまりは、

「なに、あんたにとって私って必要な存在だったの?」

「昔からは想像もつかないけど、今じゃそうらしい」

「すごく引っ掛かる言い方。もうちょっとこう、素直に言えないわけ?」

「素直なのは仮面の方。今の俺は素なんだからさ、これくらい許せよ」

 なんという言い方か。あまりの上から発言に怒りが込み上げてきそうなものだが、それもない。

 っていうか、怒るってどうするんだっけ?

「ま、あれだ。別にお前がいなかった昔も普通にやっては来れたけどさ。お前と知り合ってこういう場所が出来て、もう無理だろ」

 あ、なるほど。

 なんとなく理解した。

 怒ることを忘れた理由。

 いつも怒っているのは仮面を着けた私だ。

 そんな感情すら、周囲との摩擦を避けるための一つの手段でしかないなんて。

 でも、それを忘れている、ということは仮面を外していることすら忘れていたわけで……、

「こんなの知っちまったら。きっと無くなったら何もできなくなる」

 ……あぁ、それはそうかもしれない。

 こんな平穏を知ったから。こんな温もりを知ったから。

 だから私はこいつと一緒にいるんだろう。

 そこに恋だの愛だのなんていう感情は無いけど、でもそれだけが絆の形じゃないと。こいつはそう言いたいんだ。

 相変わらず遠まわしな奴。なら最初からそう言えば良いものを。

「四十点」

「あん?」

「もっと要点をまとめて正しい語法を使いましょう」

「お前の日本語も相当壊れていると思うがな」

「……ま、まぁ否定はしないけどさ」

 仮面に慣れてしまったせいか、素での会話なんてボロボロそのものだ。

 ま、仕方ない。だってそんなのほとんどこの二ヶ月だけのことなんだから。

 そして、これからも続くのだろうか。

 へんてこな言葉が応酬する、この無為で無骨な二人組の共生は。

 ……んー、面倒くさい。

 考えるのやーめた。そもそもこの場での私はとんでもなくボーっとしているのが売りのはずだ。

「売りなのか」

「売りなのよ」

 というわけで、ボーっとする。

 気の落ち着く場所。気が安らぐ時。

 私たちの見上げる先、青空と白い雲がある。

 太陽は、暖かい。風は、涼しい。

 あー、良い感じ。

「春ねぇ」

「春だなぁ」

 傍から見れば、きっと私たちは荒唐無稽。

 この日常も外から見れば偽りそのものだろう。今風に言えば、ありえない。

 でも、こんな日常もやっぱり私たちにとっては真実だ。

 全てはきっと表裏一体。

 外が真実である皆と外が嘘である私たちはきっと住む世界が反転している。

 けれど、外から見た偽りは中から見れば真実になる。

 なら、きっとこいつの言う絆もまた、嘘であり真実なんだろう。

 要は受け取り方次第ということ。

 いや、視点の違いかな?

「お前考えるの、止めてないよな?」

「うっさい。そういうときもあんの」

「そうか」

 きっと根っこは単純。

 人なんて結局そんなもん。

 私にはこいつが必要で。

 こいつには私が必要で。

 それだけのこと。

 いままで自分から最も遠い物だと思っていた絆が、それでもOKだと言うのなら、

「ま、それもありだね」

 そう思えるくらいには、私は今を生きているらしい。