旅行先で、夜の女の子達の会話といったらこれしかない。
というより、こういう会話に流れていくコトが多い。
「ミキはさ、カッシーと付き合ってみたいって思ってるの?」
「さあ……正直ね、好きなんだけど付き合うのかどうかはわかんないな〜」
「んー、言っちゃう?」
「あたしから言うのはねー。やっぱりオトコからのを待つべきだと思うし」
ミキからの言葉に、私はちょっと意外に思って首をかしげた。
「自分からアクションは、起こしたくない?」
「と、いうかさ。ほら、付き合いだしたら重荷に感じることってあるでしょ?
今は友達付き合い程度だけど。恋人になっちゃったら、お互い求めるコトとかあるわけよ」
「求めるコトかぁ」
「そ。告って、アイツが恋人付き合いを重荷に感じるかどーかまではわかんないし。
だったら、向こうが重荷だと思わなくなって、向こうから告ってくるの待つわよ」
そんなものなのかな。
私は人ゴトながら、ミキの考え方に妙な説得力を感じてしまいながら頷いた。
「でさ、ナッちゃんの方はどうなの? カレシ居るって噂だけど、誰とも浮いた話をぜーんぜん聞かないし」
「え? 私!?」
突然話を振られて、私は口ごもってしまう。
……っていうか、『カレシが居るって噂』って何!?
どこからその話が流れてくるの!?
「な、なんでそんな噂が!」
「自分の噂、聞いたコトないワケ? 結構有名よ、ひそかに社会人のカレシが居るーって噂。
学校の中で、ダレカレと付き合ってるって話は聞かないし」
聞いたコトないよ! 私はますます戸惑った。
ミキが期待に満ちた目で私を見てくる。
そんな噂が流れてくるなら……しばらく、会うのはやめといた方がいいのかなぁ……。
思わずそんなことすら考えてしまうけれど、一瞬で考えを変える。
会うのをやめるなんて、無理。
「ほーら、顔赤くなった。やっぱり居るんでしょ?」
「へ?」
「だから、顔。赤くなってるわよ? 何かちょっとニマついてるし」
ぼぼぼぼぼぼ。
ほんのり赤みが差していた(らしい)私の顔が一気に紅潮するのがわかった。
「にっ、ニマついてなんか……!」
「居るんでしょ? カレシ。白状しちゃえば楽になるぞー」
ミキのイジワル……!
私は、目の前で小悪魔の表情をしているミキに、心の中でつぶやいた。
「………………居ます」
「よろしい」
満足顔のミキが、私の頭をなでなでしながら言った。
「で、社会人っていうのは? ホント?」
「う、うん」
「へー、いいなーいいなー、私も年上と恋愛してみたいっ!
どうやってオトしたのー!? そのカレを」
「ちょ、ちょっと待……!」
私が口を挟むヒマもなく、ミキが私に質問攻めしてくる。
そんなこと、広めないでぇー!
と、ミキが唐突に真顔になって中空を仰いだ。
「あー、でもそうかぁ。上條君かわいそー」
「え?」
私はミキの言葉が聞こえず、思わず問いかけなおす。
「あ、ううん、こっちの話」
手をひらひらと振りながら、はにかんで答えるミキ。
私は首を傾げたけれど、話題が逸れたのをいいことにほっとして、布団の毛布を被りなおした。
――でも、思い出したように質問攻めをしてくるミキのせいで(?)、なかなか寝付けなかった。
いつかまた 一緒に街を
私、西本夏美(にしもと なつみ)、17歳。友達のみんなからは、『ナッちゃん』って呼ばれてる。
東京の高校に編入して、高校2年になったばかり。
一応、高校生としてそれなりの身だしなみは身につけてるし、容姿も普通くらいだと思う。
性格は……まあ、周りからは『おとなしめ』って言われることが多い。
趣味は映画鑑賞とお茶淹れ。なんか、トシ行ってるみたいとかこれまた言われることが多いけど。
私の隣で朝食をつついているのは、諏訪美紀恵(すわ みきえ)、私と一緒に旅行に来た友達の一人だ。
ちょっと低めの身長に、くるっとした茶色い巻き毛とすべすべの白い肌をしてる、女の私から見てもすっごく可愛い女の子。
唇も綺麗なピンク色で愛らしく、目元もぱっちりしててまさに絵に描いたような子。
それでいていつも元気いっぱいで友達も多く、男子生徒にもて放題。
『ミキ』っていう愛称で親しまれてる。
「お、ミキにナッちゃん、おはよ」
一緒に朝食をつついていたところへ、背後から声がかかってきた。
振り向いた先にいたのは、背の高い2人の男の子だ。
「おっはよー、カッシーに上條君」
「おはよう、2人とも」
ミキが早速笑顔を振りまきながら2人に挨拶するのに続き、私も声をかける。
現れた男の子達の1人は柏谷耕哉(かしたに こうや)くん、今私達に声をかけてきた張本人。
バスケ部のエースで、黒い短髪が落ち着いた雰囲気をかもし出している。
『カッシー』っていうあだ名で呼ばれてる。
もう1人は上條直人(かみじょう なおと)くん、カッシーといつも一緒に居る、爽やかな男の子だ。
カッシーと同じくバスケ部で、彼のサポートに回ったりしてうちの高校の名コンビになっている。
ムードメイカーでもあって、教室で皆をいつも沸かせているのはもっぱら彼だった。
その割に、あだ名をつけられるのが結構嫌みたいで、彼をあだ名で呼ぶ人はいない。
今回、この旅行ができたのも上條くんのおかげだった。
街頭でやっていたくじで、1発で見事1等を獲得。京都三泊四日の券を貰ったんだ。
ペアのものが二組あったので、私とミキを誘ってくれた。
おかげでこうして京都のちょっとした旅館で、ゴールデンウィークの休暇を楽しめるんだもん、感謝感謝。
もっとも……センセイと一緒に居る時間があんまりなくなっちゃうのは、ちょっとさみしいけど。
ゴールデンウィークの間は、センセイといえども休みが若干取れるわけで。
一緒にゆっくりできる機会なんかもあるんじゃないかと思ってた。
そんな中、カッシーと上条君が『一緒に旅行行かないか?』と訊いてきて、迷った末に私はセンセイにこっそり相談したのに。
『せっかくの旅行なんだ、行って楽しんで来いよ』と言って、あっさりと旅行に行くのを承諾してしまった。
仮にも、男の子と一緒に旅行に行くんですけど。
……ちょっとくらい、『行くな』って言ってくれたっていいと思うんだけどなぁ……
彼女が他の男の子と会っていても平気なワケ? 鈍感、無神経!
なんて、心の中でセンセイに文句を言いつつも、やけくそ半分ながら結局私は旅行に来てしまった訳で。
ちょうど、毎月一度はあるお月様も通り過ぎた後だったから。
ちゃっかり春の京都を楽しんでたりするから、私もまあたまにはいいかなっと思ってしまったりする。
「ナッちゃん、おはよう」
上條くんが私の隣の席を引いて座ってきた。
取ってきたトレイをテーブルに置いて、私に声をかけてくる。
ここの旅館は、宿泊客全員に朝食を出してくれる。
食堂で部屋のキーについている札を見せれば、朝食のトレイを渡してくれるんだ。
塩鮭にだし巻き卵、佃煮にお雑炊、そして味噌汁。
「朝っから結構量が出てくるよなー、ここの朝食」
隣の上条君が割り箸を割りながらそんなことを言ってきた。
「そうかな? 普通くらいだと思うけど」
「朝練行くときだってそんなに食べないんだぜオレ。こんなに食えるかっての」
「ダメだよ、部活の時くらいちゃんと食べないと」
「ハイハイ、参りました」
上条君はからからを笑いながらお箸をつけた。
うちの高校のバスケ部って結構強い方らしく、都大会には毎回出場している。
練習内容も、相当ハードなんだろうなぁ。それなら、朝はちゃんと食べないと体、持たないのに。
いつも大丈夫なのかな、上条くん。
「なぁに上條君、アンタまたナッちゃんをたぶらかそうとしてるワケ?」
反対側の隣でカッシーと喋っていたミキが突然、上条くんの方に口を挟んできた。
え、いや、上条くんは別に私をたぶらかそうとしてたわけじゃないよね……?
「人聞きの悪いこと言うなよなー。ミキも顔の割に言うことキッツイ」
「失礼ねー。でもナッちゃんはダメだかんね、もうお相手が居るらしいから」
「ちょ、ちょっとミキ!?」
いきなりなんて事言い出すのー!?
私は慌ててミキの方を振り向いた。
「へ? じゃ、ナッちゃんって彼氏居るんだ?」
カッシーも興味津々といった顔で会話に混じってきた。
「そうなのよー、しかも年上! 社会人の人だってさ!」
「へぇーっ、マジで!?」
「わぁーっ、ミキ! ちょっとぉっ!?」
さすがに私は慌てた。
昨日の今日でしょ!? なんでそんなこといきなり皆にバラしちゃうのよぉっ!?
せめて上條くんにだけでも弁明しようと、私は彼の方に振り向いた。
(え……?)
上條くんが、いつになく真剣な目で私を見てきた。
真っ直ぐに、透き通る黒い瞳でじっと私の顔を見つめてくる。
ムードメイカーの彼はどこへやらといった、いつもと全然違う彼の真剣な雰囲気の目に、私はどきっとしてしまった。
「ナッちゃん、彼氏居たんだ?」
静かにそう問いかけてくる。
その真摯な瞳に押されて、私は弁明する勢いを殺されてしまった。
「う、うん」
正直に頷く。
そんな私の様子を、上條くんはじぃっと見つめているのがわかった。
彼の視線がちくちくと、痛いくらい突き刺さるのが感じられるような気すらしてくる。
そんな中、唐突にカッシーが口を開いた。
「そういや、俺今日の朝高宮を見たなぁ」
え……?
私は思わずカッシーの方へ勢いよく振り返った。
隣のミキが首をかしげて彼に問いかける。
「高宮、って、うちの担任の高宮?」
「そうそう! 高宮に見られそうになって慌てて隠れたけどさ。なんでこんなとこに居るんだよーって感じ」
「嘘っ、アイツも休暇にたまたまここまで来たっていうの!?」
「しかもさー、その高宮がカノジョっぽい人連れてたんだよ。背の高い美人を」
続くカッシーの言葉に、私は突然背中に冷水を浴びせかけられたような気がした。
胸がぎゅっと締め付けられるような苦しさを感じる。
「へー、あいつが。美人のカノジョを。やっるじゃん高宮も」
ミキが心底感心したような声を上げる。
――嘘
思わず叫びだしてしまいそうになるのを、ぐっと堪えた。
「……そ、それって、見間違いとかじゃないの……?」
私は恐る恐る、という感じでカッシーに訊いた。
ミキが何か怪訝そうな顔をしたけど、目に入らなかった。
「見間違いなんかじゃ断じてない! 俺が奴の顔を見間違えたりなんてしないからな」
「そうねー、いっつも高宮にいびられてるからねー」
「うぅっ、ミキぃそれは言わない約束だって」
カッシーが苦笑しながら言う。
けれども、私はそれどころじゃなかった。
「で、でも、だ……っ!」
『だって』と続けてしまいそうになった言葉を、途中で飲み込んだ。
こんなところで、言っちゃダメだ。
私はあふれ出してしまいそうになる口を、心を、必死に押さえ込んだ。
「? どうしたのナッちゃん?」
カッシーが首をかしげて問いかけてくる。
私はあわてて「ううん、何でも」と言って手を振った。
カッシーは不思議そうな顔をしたけれど、改めてミキの方に向き直って言った。
「でさ、今日は何処行く? 明日の朝にはもう帰りの新幹線のらないといけないだろ?」
「んー、実質今日が最終日だしねー。って言っても、USJも奈良公園も回っちゃったし」
「残るは……哲学の道?」
「それが妥当かなー」
ミキとカッシーが隣で今日の予定の打ち合わせを始める。
そんな二人を視界の隅に捕らえながら、私は俯いて考え込む。
『絶対カッシーの見間違いだ』って、必死に自分に言い聞かせる。
(……だって)
だって、私のカレって、その『高宮センセイ』なんだよ……?
俯いて、必死に自分に自問自答している私。
そんな私の様子を、またしてもじっと見つめている上條くんの視線に、今度は全然気付かなかった。
**********
高宮陽(たかみや よう)センセイ、24歳。私のクラスの担任の先生で、英語を担当している。
先生に就いてからまだ2年目らしいんだけど、生徒の大半から人気を集めている。
その理由はやっぱり、まるで同級生に話しかけるかのように振舞う彼の話し方。
上條くんに負けず劣らずクラスを沸かせることができる、数少ない先生だった。
それでいて、仕事面そのものはいたってマジメで、彼の作る試験で80点以上を取れる人はそうそう居ない。
毎回毎回、赤点の人は休み期間中に補習を受けなきゃいけなくて、カッシーを含めた成績が危ない生徒にはちょっと嫌われ気味。
校則なんかにも厳しくて、バイトなどしようものなら即処罰、屋上で煙草をすってる生徒を速攻で呼び出し。
なぜかそういうものにまで目端が利くらしく、彼が徘徊している日はなかなか目だった校則違反はできないらしい。
ちなみに、服装のチェックまで厳しく、スカートの短い女子生徒やピアスや腕輪をつけてる男子生徒はその場で直される。
センセイと私の関係のキッカケは、センセイと私のお兄ちゃんが学生時代の友達だったから。
高校に入学したその時に彼もこっちに越してきたらしく、
クラスでのセンセイの紹介があったその日に、彼が私の家に訪ねてきたのが最初。
それから、センセイはお兄ちゃんに会うためにしょっちゅう私の家に来るようになって。
その時は私が差し入れとかを出したり、場合によっては夕食に招待したりして。
気がついたら、センセイのことが好きになっていて。
センセイが私に告白してきた時は、本当に驚いて。
そして、本当に嬉しかった。センセイも、私とおんなじ気持ちだったんだ、って。
それから……私とセンセイの、学校内ではとうてい言えない恋人関係が始まったんだ。
私達は結局、この日はミキとカッシーの決めた”哲学の道”を通った。
結構、私はこの哲学の道を楽しみにしていた。こういうものに、興味があったから。
でも、今日の私は――結局、それを楽しむどころじゃなかった。
センセイ、どうしてこの旅館に居るの……?
来たんなら、どうしてメールか電話かで連絡をくれなかったの?
ドウシテ、オンナノヒトトイッショニイルノ……?
哲学の道を歩いている最中も、私の意識は別のところにあった。
気がつけば、ミキとカッシーが自分の遥か前を歩いていて。
上條くんは、私にペースを合わせるようにずっと傍にいたけれど。
メールを出して確かめようと思った。
今すぐ電話して、問いただそうと思った。
けれど、どうしても頭の中に思い浮かんでくるのは、最悪の状況。
もし、センセイが私に飽きてしまっているんだったら?
心は別のところにあったけれども、私を傷つけないために、私の傍に居てくれただけだったとしたら?
子供な私に嫌気が差してしまっているんだとしたら?
……もし、連絡したら『もう別れよう』だなんて言われたら……?
歩くは歩いたけれど、結局何一つ観光できないまま、楽しみにしていたはずの哲学の道を歩ききってしまっていた。
「ナッちゃん、ほんとに大丈夫?
……もしかして、その、アレ?」
ミキが私を覗き込みながら言った言葉で、私はまたはっと意識を現実に引き戻される。
私達は哲学の道を歩ききって、日が暮れかけた頃に旅館に戻ってきていた。
それでも、こんなに時間がたっても。
私の頭から、センセイの”カノジョ”らしい人のことが離れなかった。
「ううん、大丈夫。もう終わったから」
曖昧に頷いてみせても、ミキは納得していないような顔で頬を膨らませる。
「ナッちゃん」
と、突然背後から声がかかった。
振り向いた先には、神妙な顔をした上条くんが立っている。
「……何?」
「悪い、ちょっといいか? ミキ、ナッちゃん借りてくぞ」
言うが早いか、上条くんが私の腕を取って歩き出した。
「え、ちょっ……!」
「上條君!? ナッちゃんドコ連れてくのー?」
後ろからミキの声がするも、上條くんは神妙そうな表情を崩さず、ひたすら私を引っ張っていった。
「どうしたの? 上條くん」
人気のなさそうな廊下の隅までやってきて、ようやく私の腕を介抱してくれた上條くん。
振り向いて私のほうを向く彼に向かって、私はちょっと非難じみた目を向けながら問いかけた。
いきなり連れ出してくることないじゃない……
せめて、事情だけでも先に聞かせてくれればよかったのに。
「ナッちゃん、さ。今日、ずいぶん元気なかったけど。何かあった?」
「……ううん、何かあったわけじゃないけど」
「嘘だ」
私の答えを、ぴしゃりと一蹴する。「今日の朝から、何か変だった。……何か、あったんだろ?」
私の目をじっと、真摯な視線で見つめながら言う上条くん。
でも、その目は、どこか何かの感情に歪んでいて。
その視線のあまりの鋭さに、私は思わず視線を逸らしてしまった。
センセイとのことは、絶対知られちゃダメだ……!
「おかしくなったのは――担任のカノジョさんっぽい話が出てからだよな」
ビクッと体が震えてしまったのがわかった。
反応しちゃいけないのに。悟られたりしたらダメなのに。
けれども、上條くんは無慈悲に続けた。
「妙だとは思ってた。普段は他人の色恋沙汰には滅多に興味を示さないナッちゃんが、あんなに反応した。
それで……女の人と一緒に居たっていう彼が、担任だっていうことを否定しようとしてた」
どくん。
私の心臓が、冷ややかに高鳴るのを感じた。
「ミキも、ナッちゃんが社会人の彼氏が居るって言ってた。”学校の先生”も、一応は社会人だよな」
「な、にが……言いたい、の」
どくん。どくん。
張り裂けてしまいそうな自分の心臓を、無意識に抑えるように私は胸の前に拳を置いた。
「――付き合ってるんじゃないのか? 担任と、ナッちゃん」
「――ッ!!」
センセイとのことを、言い当てられてしまって。
私は、めいいっぱい上條くんから顔を背けた。
けれども、そうしてしまった後で。この行為が、肯定を表してしまうことに気付いて。慌てて視線を戻す。
「……付き合ってない、よ?」
なんとか、それだけを声に出す。
「じゃあ、どうしてそんなに動揺してるの」
「お……驚くよ。先生と付き合ってるのか、なんて訊かれたら」
ゆっくりと自分を落ち着かせながら、ゆっくりとそう言う。
とっさに言った言葉だったけれど、それなりに説得力もありそう。
私は、そのままその勢いを使って、頭の中で言葉を整理する。
「確かに……先生のことは尊敬してるし、頼りがいのある先生だって思ってる。
でも、男の人としてじゃないよ? ”先生”として尊敬してるの。憧れ、かな?」
絶対にばれたらダメだ。
私はそれだけを考えながら、ゆっくりと、けれども必死に言葉を紡いだ。
バレちゃったりしたら、私とセンセイは……
それ以前にセンセイも……
「だから、先生は先生であって、恋愛の対象にはならないよ。
……カノジョさんがいるとかのことも、だから気になっただけ。『好き』っていう感情じゃ、ないの」
自分で言っている言葉に、私は胸が痛んだ。
けれども、こんな嘘に。
この程度の嘘で、センセイとのことがバレないで済むなら、安いモノ。
そう言い聞かせながら、私は必死に『嘘』をついた。
その嘘が、絶対に必要な嘘であると信じて。
「……そっか。ナッちゃんがそこまで言うんなら、本当なんだろーな」
唐突に上條くんがそう言って、今までの真剣な表情を崩して笑顔になった。
意外にあっさり引いたのでちょっと驚いたけれど、その様子を見て私も内心ほっとする。
「わかってくれた?」
「ああ、悪かった。疑ったりなんかして」
「ううん。曖昧な態度とってた、私もいけなかったから」
一気に気が緩んで私もはにかんでしまう。
緊張が解けて、私は全身から脱力してしまった。
なんとか、言いくるめられた。
でも……おかげで、上條くんの前では滅多なことできないなぁ。
「本当にその社会人の彼氏って、高宮先生じゃないんだな?」
また、小さく胸が痛む。
けれども、一度は彼を説き伏せているから。
私は、戸惑うことなく、用意していた言葉を紡いだ。
「――シツコイよ。上條くん」
嘘をついてしまっていることには、心が痛むのだけれど。
それで彼が諦めてくれるのなら、納得してくれるのなら仕方がないと思う。
そう思って、私はちょっと責めるような目をして、上條くんを上目遣い目に睨んだ。
上條くんははぁっ、と大きくため息をついて。
そして、頭をかきながら言った。
「悪い、ホントオレ何度も疑っちゃったりして」
今度は私が、心の中でため息をつく番だった。
やっと、全部納得してくれた。
そう思って、肩の荷が完全に降りた気がした。
「もう、そんなにシツコイと、ホントに嫌われるんだからね」
口を尖らせながらそう言い放つ。いつもの調子だった。
軽く微笑みながら、どちらともなく笑い出した。
「いや、ホント悪かったって! ナッちゃんのことは諦めるよ。
その代わり――」
「? その代わり?」
いたずらっぽい目をした上條くんの言葉を促す。
けれども、私は完全に油断していた。
彼は、先ほどもうすでに爆弾を落としていたから。
もうこれ以上爆弾はないもとだと勘違いしていた。
「その代わり、今ナッちゃんが俺に言ったこと、これから担任の前でもう一回言ってやって」
瞬間、心臓が凍りついた。
「ど……どういう……」
私は震える声で、上條くんに訪ねなおした。
「いや、男のオレの目から見てさ。やっぱり、普段から担任ってナッちゃんぱっかりひいきにしてるなーって思ってたからさ。
担任の方も、実はナッちゃんのことが好きなんじゃないかって思ってたんだよ。
もし、担任に本当にカノジョさんが居るんだったら、ちゃんとナッちゃんの方からフッてあげないと、
そのカノジョさんが可愛そうだろ? 担任がナッちゃんに心が動いてるんだったらさ」
私は、緩みきったはずの背筋に、再び氷が登っていくかのような地獄を感じていた。
さっきの、私の嘘を……センセイの前で言えっていうの?
そんなことしたら、センセイが誤解しちゃうかもしれない。
『俺とのことは遊びだったのか』って怒って、呆られちゃうかもしれない。
センセイは、私のその言葉が嘘だって、わかってくれるの?
センセイと私の絆を守るための嘘だって、理解してくれるの?
理解してくれなかったら……きっと、別れを告げられる。
もう、二度とこれまでの私達には戻れないかもしれない。
センセイのあの甘い声を聞くことも、抱きしめてくれる温かい体温を感じることもできなくなる。
そんなのは――イヤ。
同時に、爆弾ばかり落とされていてすっかり忘れていた、センセイと一緒に居たらしいその女の人のことを思い出させられた。
なぜかセンセイは女の人と一緒に、この旅館に居た。
私には何の連絡もないのに。
事前に、私は旅行先とその旅館の名前までもセンセイに連絡していた。
同じ旅館だったとしたら、センセイがそのことに気付かないはずがない。
『同じ旅館に行ける』って、どうして連絡もしてくれなかったの?
そうすれば……皆の目を盗んで、一緒に会うことだってできたかもしれないのに。
どうしてその女の人と一緒に来てるの?
どうしてそのことを教えてくれないの?
私は必死に自分に言い聞かせる。
センセイの妹さんか、お姉さんじゃないかって。
けれどもその言葉は、私の頭の中で即座に否定される。
センセイに、兄弟姉妹はいない。センセイ本人から、そう聞いた。
じゃあ、その女の人は、ダレ……?
「……どうしたの? 言えないのか?」
上條くんのその声色に、私ははっと顔を上げる。
そこには、真摯な、けれどどこか歪んだ上條くんの目があった。
(もしかして上條くん、ホントはまだ私とセンセイのこと疑って……!)
私は血の気が引くような思いでその瞳を見つめた。
必死に、言い逃れようとするけれど。
「でも、これからって……休暇中の先生のところに行くわけには」
「これは担任が先生であるってこととは無関係だろ? じゃあ、別に今でもいいじゃん」
あっさり切り返されて。
私はぐっと言葉に詰まった。
上條くんは――確信してる。
私とセンセイが、本当は付き合っているっていうこと。
だから、ここで私を試すようなことを……。
ここで試して、証拠を掴もうとしてる。
上條くんが、突然妖しげな笑みを浮かべながら、私に言った。
「さっき、その担任が向こうの廊下の奥の方に行くのが見えたんだ。……行こうぜ」
彼の口調に、私は逆らえなかった。
**********
「……いた。あそこだ」
上條くんが廊下の先方を指差す。
目の前で廊下がL字に曲がっていて、その先は影になっていてこちらから直接は見えない。
私は、上条くんにならってわずかに曲がり角から顔を覗かせる。
その先には、確かにセンセイがいた。
夜の景色が見える大きな窓ガラスの前に備え付けてあるベンチに、
いつも通りのゆったりとした余裕の感じられる格好で座っていた。
会えないと思っていた彼を見つけて、ほんの少し嬉しいと思ってしまう自分。
けれども、次の瞬間その感情は暗いものに覆われた。
センセイの隣に――女の人が、座っていた。
その女の人は、センセイの隣で儚げな表情をして、景色を見つめていた。
おんなじ方向を、センセイも見つめている。
女の人が何かセンセイに話しかけているみたいだったけれど、さすがに話し声までは聞こえない。
(……センセイ)
さらさらとした長い滑らかな髪。きめ細かそうな白い肌。
可愛いというよりは美人と言えそうな、大人びた女の人。
その人が、センセイの隣に座ってる。
――私の、指定席なはずのセンセイの隣に。
「ほら、結構美人だよな」
私の隣にいる上条くんが、私にだけ聞こえる小声でそう呟いた。
心の中では目を背けたかったけれど、なぜか目を離せなかった。
幸せそうな二人の姿に、目を放せなかった。
それだけなら、まだ我慢できた。
けれども、現実は残酷で。
その女の人が、センセイに抱きついた。
その瞬間、私の頭の中が真っ白になった。
センセイはその様子に一瞬驚いたようだったけれど、すぐに笑顔になって。
私にしか向けないはずの、笑顔になって。
優しく、その女の人の髪を撫でていた。
「……ッ!!」
思わず大声で叫んでしまいそうになった。
けれども私は必死に声を飲み込んで。
嘘、と頭の中で否定して、目の前の光景が気のせいだと言いたかった。
それでも、何度見てもその女の人はセンセイに抱きついていた。
――センセイが、切なそうな表情で女の人を撫でていた。
「ナッちゃん!?」
後ろから、上条くんが囁き声で呼び止めるのが聞こえる。
いつの間にか私の足が勝手に後ろを向いて、走り出していた。
センセイ。
どうして。
女の人と。
抱き合って。
センセイ。
センセイ。
……
――センセイ――
自分の向かっている先など全然気にも留めず。
ドコに行ってしまっても良かった。
ただ、あの場所から離れたかった。
気がつくと私は、はぁはぁと荒く息をしながら人気のない廊下の壁に寄りかかっていた。
廊下を背にして、目を閉じて必死に息を落ち着けようとする。
でも。
目を閉じた瞬間、
瞼の裏にあの女の人がセンセイに抱きついている光景が現れて。
(……嫌ッ!!)
私は目を開いた。
目を閉じたら、あの光景が浮かんできてしまう。
私は目を閉じまいと、それこそ瞬き一つもしまいと踏ん張った。
「セ、ンセ……!」
瞬きすらできない目がものすごく痛くなって、涙が溢れ出す。
でも、その涙は目が痛いだけじゃない。
心が……私の心が、すごく痛かった。
必死に呟く私の声も、当然センセイに届くはずもなくて。
それでも、どこかでセンセイに聞いていて欲しいと思っている自分がいて。
私の心の中にあった、とても温かかった何かが。
一気に冷え切って、がらがらと音を立てて崩れ去っていった。
ひとしきり泣いて、顔が涙に濡れているのもそのままに。
私は、とぼとぼと見覚えのない廊下を歩いていた。
既にどっちから来たか、どっちに行けば部屋に戻れるのかわからなかった。
でも……部屋に戻れず、このまま消えてしまったほうがいいんじゃないかとすら思った。
(センセイ)
心の中でセンセイに助けを求める。
でも、私の必死の心の叫びは届かない。
それに。
どこかで『会いたくない』と思っていた。
センセイが女の人と一緒に居る場面に、もう遭遇したくなかった。
とっても綺麗な人だった。
私が本当にコドモに見えてしまうくらい。
センセイがあの人と付き合っていると言っても文句なく、むしろ第三者の目から見れば理想のカップルなのだろう。
「センセイの恋人は、私だもん……」
呟いてみるけれど、言ったその次の瞬間自分が惨めになった。
センセイだって、私みたいなコドモじゃなくて、もっと大人な女の人と恋愛したいはず。
教師と生徒という関係上、表立ってみんなに言えない。
会うことだけでも、自分の職の危険を伴う。
ふいに、昨日の晩にミキが言っていた言葉を思い出した。
『ほら、付き合いだしたら重荷に感じることってあるでしょ?』
『恋人になっちゃったら、お互い求めるコトとかあるわけよ』
もしかしてセンセイは。
ずっと、センセイを困らせてばかりいる私なんて、本当はもうとっくに飽きていて。
あの人みたいな、大人な女の人と一緒に居たいと思っていたんじゃないか。
誰に言っても、咎められることはない。皆から祝福してもらえる。
誰にも迷惑をかけずに付き合える、そんな女の人と恋人になりたかったんじゃないか。
疑心暗鬼になってしまっているとわかっていても、
私の考えは止まらなかった。
センセイは、もしかしてもう心はとっくにあの人に移っていたんじゃないだろうか。
でも、私を手放したら私がどうにかなってしまうことがわかっていて。
私のことは、もうとっくに『重荷』だと感じていたのに。
いやいやながらも、私を悲しませないように一緒に居てくれたんじゃないか。
「センセイ……!」
馬鹿みたい。
優しさだけで、ずっと一緒に居てくれたことを
『センセイも私のことが好きなんだ』だなんて勘違いして。
本当は、センセイの心の中に私の占めるところなんて、もう無かったのに。
なのに……。
どうして私だけ、こんなに心が痛いの?
センセイの心は離れてたのに、どうして私の心だけがこんなに痛いの?
ドウシテ……
「センセェ……ッ!」
ドウシテ、センセイノコトシカ カンガエラレナイノ?
「ナッちゃん?」
突然後ろから、聞きなれた声がして。
はっと振り返った瞬間に、頬に流れていた涙が舞い散った。
「――上條くん」
目の前に居るその人の名前を呟く。
「大丈夫か?」
私のすぐ前まで来た彼が、目線を私に合わせるように体を低くしながら、私を覗き込んだ。
目の前に居る上條くんの瞳は、とっても優しげで。
私の心を、まるごと包み込んでくれそうな雰囲気をかもし出していた。
彼の問いかけに、私は答えられず。
ただ、俯いてじっとしていた。
「――辛いだろ? 好きだってはっきり言えないことは」
上條くんの言葉に、私は涙に濡れた顔を上げた。
「何があっても、オレはナッちゃんの味方だからさ。
ナッちゃんが辛ければ、オレが傍に居てやる。どこにも行かずに、ナッちゃんを包み込んでやる。
――辛くても、心の傷の痛みが引くまで、オレが居てあげるから。
ずっと、ナッちゃんを守ってあげられるから」
「上條くん……」
枯れていたはずの涙が溢れ出してくる。
上條くんの優しさが嬉しかった。
私を心ごと包み込んでくれそうな温かさが嬉しかった。
「誰にもはばかれないで、一緒に居てあげる。
だから……おいで?」
上條くんがそっと自分の腕を広げる。
さすがに、そこに飛び込んでいくのは不安でいっぱいで。
戸惑って私は上條くんを見つめた。
「ナッちゃんが――”夏美”のことが、好きだから」
けれども、彼の底なしとも思えそうな優しさに。
私をどこまでもエスコートしてくれそうな大きさに。
私は、惹かれるように彼の胸に歩み寄った。
**********
「京都?」
目の前の女からつむがれた言葉を繰返し、俺は素っ頓狂な声を上げてしまった。
「そう、孝一と一緒に行こうかと思ってたんだけど、急にまた仕事が入ったとかって。
せっかく苦労していい旅館を取ったのよ、なのにヒドイと思わない!?」
若干怒りすら交えた表情で口を尖らせながら、彼女がまくし立てるように言った。
俺は高宮陽、高校の英語教師をしている現役バリバリの24歳。
教師としての自分の厳しさには、自分でも認めている。
どうやら何人かの生徒には嫌われているらしいが、それはそれで愛嬌があるのでよしとする。
そもそも、成績の低い奴らが悪いんだから仕方がない(鬼)。
まあもっとも、その生徒の一人に一目惚れしてしまったあたり、俺もまだまだだな。
でも、彼女を――夏美を手放すつもりはない。
教師と生徒という関係になってしまっても、出会えなかったよりは良かったはずだ。
そんな俺の今の彼女の名前は、西本夏美。
恥ずかしながら、この年齢で一目ぼれしてしまった相手だ。
けれども、彼女が可愛らしくはにかむ顔や、とても嬉しそうな顔で話しかけてくる様なんか、本当に可愛い。
(それに比べて、コイツはまたしても……)
――ちなみに、今俺の家の中に図々しくも入り込み、
目の前でぐちぐちと文句を言っている彼女の名は紫藤沙耶(しどう さや)、俺の従兄妹だ。
さらさらとした流れるような髪の毛と愛らしい唇が印象的な、まあ美人という部類に入るだろう。
もっとも、従兄妹として昔っから付き合いがあった俺は、特別な感情なんてない。
そもそも、沙耶は既婚者だ。
笹倉孝一(ささくら こういち)という、現在会社の重鎮をやっているやり手の男であり、大学時代からの俺の親友だった。
俺もこいつなら沙耶を幸せにできるだろう、と二つ返事で二人の結婚を認め、祝福してやった。
しかしながらさすがは重鎮ということか、孝一はかなり仕事に振り回され、
そんな彼に業を煮やした沙耶の愚痴を聞いたのは、一度や二度ではない。
今回もその一端だ。
全く、本当に可愛げのない奴だ。少しは夏美を見習えっての。
「陽だってさ、このゴールデンウィークは特に予定はないんでしょう?」
「そりゃまあ、無いけどな」
本当は、夏美と一緒にゴールデンウィークをゆったりと過ごしたかった。
けれども、夏美はどうやら友人達と旅行の券が当たったらしく、京都の旅館に行くとのこと。
しかも、その友達とは男だったとか。
それは夏美にメールで聞いていたが、正直そう聞いた時はむっとした。
『そんなこと、俺が許すか!』と思いっきり叫んでやりたかった。
けれども、『友人と旅行する』ということ自体は校則でも禁止されていない。
男女が、ということであっても男2人、女2人という構成では反対のしようがない。
何よりも……夏美に嫌な男とは思われたくなかった。
男友達が含まれている、というだけで、実際『友達と』旅行に行くということになっているのだ。
いちいち目くじらを立てて反対して、夏美にシツコイ男だとは思われたくなかった。
あまり夏美を縛っていたら、彼女に嫌われてしまいそうな気がしたから。
だから、しぶしぶではあったけれど……旅行を承諾した。
「もう、少しくらいは喜びなさいよ。ほら、ここの旅館なんだから」
「別に俺が喜ぶ筋合いは……」
何が悲しゅうて、お前の嫉妬に付き合ってやらにゃならんのだ。
そう突っ込んでしまいたかったけれども、沙耶がせがんでチケットを俺に見せた瞬間、絶句した。
その旅館の名前は……夏美がメールで報告した旅館と同じ名前。
(そういえば、夏美も京都の旅館に行くって……!)
なんて偶然だ。
もしかしたら、旅行先で夏美に会えるかもしれない。
ゴールデンウィーク中は夏美の顔を見ることもできないと思っていた俺に、一条の光が差した気がした。
って、でも待てよ。
夏美は友達とそこに行ってるんだから、当然のように夏美の友達が一緒のはずだ。
じゃあ、旅館で夏美に会えても、ロクな話なんてできるわけない。
ましてや、向こうでデート気分を味わうことなんてもってのほかだ。
俺たちの関係を、他の誰にも知られるわけにはいかないんだから。
そう思うと、途端に気分が沈んだ。
手の届くところに居るのに、話しかけることすらままならないなんて、生殺し状態じゃないか。
「……陽? どうしたのよ、喜んだり落ち込んだり」
「……いや、別に」
おっと、どうやら表情には出てしまっていたらしい。
俺はなるたけ『神妙そう』な表情を作りながら、考え込んだ。
正直、向こうで夏美の傍にいるというのは生殺し状態だ。
けれども、ゴールデンウィーク中にずっと夏美に会えないというのは、それまた辛い。
そこへ、沙耶からのこの誘いだ。
夏美の顔が見れるだけでも、かなりの収穫じゃないか。
「……仕方が無い、一緒に行ってやるよ」
そう答えたら、沙耶が顔をぱっと輝かせた。
いそいそと準備に自分の家に戻ろうとする。
(まあ、メールだけはしておくか)
いきなり行って夏美を驚かせてもいいのだが、夏美がボロを出さないとも限らない。
……まあ、そんなところも可愛いんだけど。
だからといってそうなっては致命的なので、メールは送っておくこととしよう。
『従兄妹から旅行の誘いが来たんだが、夏美と同じ旅館になりそうだ。
もしかしたら、そっちで会えるかもしれないぞ』
簡単にそうメールを打ち、送信ボタンを押す。
「な〜に、噂のカノジョにメール?」
と、その時突然すぐ後ろから沙耶の声が聞こえて、
俺の顔の横からぬっと顔を突き出して俺の携帯を覗き込んでいた。
「うおぁっ! コラ、急に来るんじゃねー!」
「いいじゃないの、私と陽の仲なんだし。
にしても、いっつも陽が言ってる『可愛いカノジョ』にメールしてたの? お熱いわね〜、羨ましい限りよ」
「やかましい! お前も少しはおしとやかさを身に着けたらどうだ!」
俺は携帯を隠すようにしながらぱちんと閉じた。
けれども、そのせいで俺は。
携帯の画面に、『送信に失敗しました』という文字が浮かんでいることに気付かなかった。
「……綺麗ね」
目の前の大きな窓からのぞく、京都の夜景を眺めながら。
俺の隣に座っている沙耶が呟いた。
「そうだな」
俺もその景色を眺めながら、曖昧に相槌をうつ。
けれども、俺は心の中では別のことを考えていた。
この景色を、夏美と一緒に見れればよかったのに。
旅館には来たものの、居るはずの夏美には今日の今日になっても全然見かけすらしなかった。
夏美の顔を見ることができるかと、期待して来たこの旅館だったというのに。
送ったメールの返事も返ってこないってのは、どういうことだ?
夏美はいつも、俺のメールには必ずといっていいくらい返事を返してくるのに。
明日あたりにはもう帰らないといけない。
「……孝一と一緒に、来たかった」
隣で、ぽつんと沙耶が呟いた。
驚いて彼女の方を向くと、沙耶が儚げな表情をして俯いていた。
「沙耶?」
俺は沙耶の顔を覗き込むように身をかがめた。
「ホントにね、楽しみにしてたのよ。孝一との旅行なんて、なかなかできないもの」
小さな声で、沙耶が語り始めた。
「結婚してから、孝一ってばずっと仕事だ仕事だって、一緒に居る機会もほとんど無くて。
私達、何のために結婚したんだろうって思うこともあった。
だから、結婚して……ハネムーン以来に一緒に旅行できるから。
すごく、楽しみにしてたのに」
(……沙耶)
あのいつも男勝りな性格を見せていた沙耶が。
俺は驚いてしまった。
けれども、ああそうかと俺は気付いた。
沙耶だって女なんだ。
彼氏……いや、今は旦那だが、男の傍に居て一緒に時を過ごしたいと思う気持ちは、沙耶だって一緒のはずだ。
いつも、文句ばかりたれていた沙耶だったけれど。
孝一といつも一緒に居られなくて、寂しい思いをしていたんだろう。
そう考えると、いつも俺のところに愚痴りに来ているのも。
孝一に迷惑はかけたくなくて、その鬱憤を俺のところで晴らそうとしているのだろう。
そんな時、俺はいつも沙耶を小ばかにしたような態度で。
それでも、そんな俺も沙耶に構ってやれたから、頼りにされていたのかもしれない。
「……沙耶、孝一はな。お前を置き去りにして仕事ばっかりを選ぶような奴じゃない。
アイツだって申し訳なく思ってるさ。沙耶と、一緒の時間を過ごせないことを悔やんでるはずだ」
俺の知ってる孝一は、確かに仕事に熱意を燃やすような男だったけれど。
彼女に割く時間はちゃんと作っていて、待たせた女には必ず何かのプレゼントを用意していたようなそんな男だ。
沙耶のことを想っていないなんて、ありえない。
「帰ったら、ちゃんと孝一と話し合えよ。
孝一の言い分も、ちゃんと聞いてやれ。絶対、お前の悪いようには思っていないはずだから」
優しくそう言葉を紡ぐ。
けれども、これはあながち人事じゃなかったんだ。
夏美と一緒の時間を過ごせない、そのことがとてももどかしいのは俺も一緒だったからだ。
教師と生徒という立場上、おおっぴらに街を一緒に歩くこともできない。
手を繋ぐことさえ許されない。学校で2人っきりで会うこともできない。
……目に見えるところに居ても、その手は届かないんだ。
「一緒に居てやれないことがあると思う。ずっとお前にもどかしい思いをさせてしまうことあるとは思う。
でも、孝一はお前をちゃんと愛してるはずだ。孝一を信じてやってくれ」
夏美も――俺を、信じてくれ。
「ありがとう、陽」
沙耶が涙目になりながら、俺に微笑みかけた。
その様子を見て、俺も内心ほっとしたのだが――
「!?」
突然、沙耶が俺に抱きついた。
「さ、沙耶……!?」
「……ごめん、陽お兄ちゃん。迷惑だってわかってるけど……久しぶりに、胸貸して」
『陽お兄ちゃん』
沙耶が高校に入ってから、めっきり使わなくなった呼び方だった。
そう呼ばれた瞬間、沙耶を妹のように可愛がっていた頃のことがよみがえって。
俺はふっと笑って、あの頃のように沙耶の頭を撫でてやった。
けれども、この時にちゃんと沙耶を振り払っていれば。
あるいは、廊下の向こうの方から走り去るような音に気付いて、追いかけていれば。
こんなことには、ならなかったのかもしれないのに。
その様子を見ていた夏美に、全然気づかなかったのだから。
「はー、なんだか無駄にリフレッシュしちゃったわ」
沙耶が部屋の中で晴れやかそうな顔をしながら言った。
どうやら、元気は戻ったらしい。
――それでこそ、沙耶だ。
コンコン
その時、俺たちの部屋のドアがノックされた。
こんな時間に、誰だ……?
沙耶も訝しげな顔をする。
俺は、そっとドアに近づいて、ロックを外して開いた。
目の前には、愛しくてやまなかった女が。
旅行の間に、ずっと会いたくて仕方がなかった女がいた。
「夏……ッ、に、西本?」
『夏美』と思わず名前で呼んでしまいそうになって、部屋の中の沙耶のことを思い出して。
名前を呼ぶのはまずいと思って、慌てて名字で言い直した。
夏美が、俺たちの部屋の前で俯き加減で立っていた。
「どうしたんだ、西本?」
思わず抱きしめてしまいたくなるのを、ぐっと堪えながら。
そう問いかけるけれど、夏美は俯いたまま。
かすかに聞こえる声で、呟いた。
「ちょっとだけ……話をしても、いいですか。”先生”」
「……で、どうしたんだ? 夏美」
しばらく廊下を歩いて、人通りの少なそうなところで。
ようやく俺の前を機械的に歩いていた夏美が、脚を止めた。
夏美の態度がおかしいと気付いてやれればよかったのだが、今の俺にはその余裕がなかった。
やっと、夏美に会えた。
ただそのことが嬉しくて、浮かれていた。
夏美は、それでも答えようとしない。
俺は、彼女を抱き寄せるように彼女のその肩に触れようとして――
「――嫌ッッ!」
ぱしっ、と乾いた音を立てて、
夏美に振り払われた。
あまりの出来事に、一瞬自分の目を疑って。
ようやく、夏美の様子がおかしいことに気がついた。
夏美に振り払われた時の、彼女のその瞳が憎しみと悲しみの交じり合う、歪んだ色に染まっていて。
心に何かが突き刺さるような感じがした。
やがて俯いた夏美が、震えるような声で言った。
「私に、優しくしないで下さい。
迷惑です」
迷……惑?
思わぬ夏美の言葉に、俺は思わず絶句した。
迷惑ってどういうことだ?
俺の何かが気に入らなかったのか?
何かしたか?
夏美は、俺が言葉を失ったその時。
俺の代わりに喋るかのように、話し出した。
「私は、先生のことは尊敬してるし、頼りがいのある先生だって思ってます。
それでも、先生は”先生”なんです。恋愛の対象じゃ、ありません」
俺の目を見ながら、夏美が搾り出すような声で言葉を紡いだ。
……恋愛の対象じゃ、ない?
どういうことだ?
どうして今になって、突然そんなことを……?
俺は、自分の胸の奥が急速に冷えていくのを感じた。
心臓が冷たい音を奏で始める。
「だから、先生も私を想ったりするのは止めてください。
先生が、ちゃんと好きな人にその想いをぶつけてあげてください」
何だ。
どうしてこんなことを言い出すんだ。
「ちょ、ちょっと待て夏美、何言ってるんだ。
俺は――」
「これ以上!」
突然、これまで小さな声でしか話していなかった夏美が、叫んだ。
その声の、あまりの大きさに。
そしてその声のはらんだ、悲痛な感情に。
俺は、自分の言葉を思わず飲み込んだ。
「……これ以上、私を騙すのは止めてください。
そんな優しさは、残酷なだけなんです。私にとっても、”あの人”にとっても」
騙す?
俺が、夏美を?
何だ。俺がいつ夏美を騙したって言うんだ。
いつも、俺は夏美に対してはずっと正直だったはずだ。
夏美に嘘をついたことなんて、ないんだぞ。
それに、”あの人”って誰のことだ?
夏美にとっても”あの人”にとっても残酷だって、どういう意味だ?
「どういうことだよ、夏美?
”あの人”って、誰だ?」
「……知らないふりをしてるんですか?」
夏美が、自嘲するかのような笑みを浮かべながら言った。
「その人のことが好きなんでしょう。だったら、気持ちはその人だけにぶつけてあげてください。
中途半端に、私に優しさを出すのは止めてください!」
「夏美!」
今度は俺が大きな声を出す番だった。
夏美の肩をがしっと掴んで、言い放つ。
「どういうことだよ? いつ、俺が夏美以外の女を好きになった?
俺はずっと、夏美以外の女なんて見ていない!」
「私、見たんですよ。センセイが、別の女の人と抱き合ってるのを」
「……抱き、合って?」
俺はますます困惑した。全く、身に覚えがなかったからだ。
夏美の言ってることがわからない。夏美の心がわからない。
けれども、『ただごとじゃない』という雰囲気が伝わってきて、底知れぬ不安に駆られた。
夏美を失ってしまうかもしれない不安に。
「気持ちはもう他の人に向かってるのに、どうして私を繋ぎとめようとするんですか!?
どうしてちゃんと割り切ってしまおうって思わないんですか!?
そんなの、人を傷つけるだけじゃないですか!
……最低!!」
『最低』
夏美の声が心の中にエコーする。
頭を何かでがつんと殴られたかのような衝撃を、感じたような気がした。
夏美は、それだけ叫んで俺をにらみ、そのまま背を向けて走り去っていく。
「夏美ッ!」
俺はその背に手を伸ばして彼女を追いかけた。
角を曲がったところで、彼女の後姿が止まっているのが見えたけれども。
夏美は、誰かに抱きついていた。
その『彼』に……その男の胸に飛び込んで、泣いていた。
「――上條」
俺はその男を知っていた。
夏美のクラスメートで、俺が受け持っているクラスの生徒。
上條直人。
なんでそいつに抱きついてるんだ。
どうして俺じゃなくて、そいつの胸の中で泣いているんだ。
夏美は俺の恋人なのに。
俺だけの夏美のはずなのに。
一気に感情があふれ出す。
目の前にいる自分の教え子を、はっきり憎いと感じた。
「これ以上、夏美を傷つけるのは止めてください。――高宮先生」
上條が、泣き崩れる夏美の頭を優しく撫でてやりながら
俺に向かって言った。
これ以上ないというくらい、俺をにらみつけて。
「行こう。夏美」
上條が、自分の腕の中にいる夏美にそう、優しく問いかけて。
夏美が、俺の方を向かないまま、こくんと彼にそう頷いて。
最後に、きっと上條が俺を一瞥し、夏美を連れて行った。
その時に。
俺が……心の中のもう1人の俺が。
卑屈になった俺が、自分に対して言い放ってきた。
教師である俺じゃ、夏美と一緒に恋人として振舞うことができない。
人の前で、恋人のように付き合うこともできない。
傍に一緒にいることすらできない奴に、何ができるって言うんだ。
上條は、夏美と同じ高校生だ。
夏美と付き合ったところで、誰一人咎める者なんていない。
一緒にいれない俺なんかよりも……隣にいることができる、あいつと付き合ったほうが夏美は幸せなんじゃないだろうか。
そう、俺に対して呟くもう一人の俺がいた。
「おかえり……って、どうしたの!?」
俺が部屋に戻り、扉を開けると、沙耶が俺を覗き込んできた。
どうやら俺は、そうとうひどい顔をしているらしい。
部屋に入った俺は、問いかける沙耶に対して答える余裕もなく。
ふらふらと、ショックがまだ消えやぬ頭を抱えながら、部屋の座布団に腰を落とす。
(どうしてなんだ?)
そのまま、俺は考え込んだ。
夏美の心が全くわからない。それがこんなに不安なことだとは思わなかった。
『これ以上、私を騙すのは止めてください』
『私、見たんですよ。センセイが、別の女の人と抱き合ってるのを』
どういうことなんだよ。
俺は夏美を騙したことなんてなかったじゃないか。
夏美が、「旅行に行ってもいいですか」って聞いてきたときだって、ちゃんと了解したじゃないか。
下手に反対してしまったりしたらそれこそ逆効果だ。
それに……抱き合ってたってのは何なんだよ。
俺は、夏美以外の女を抱きしめた覚えはないぞ。
他の女を抱きしめたりしたところで、夏美じゃない女に興味なんかない。
第一、どうして思い切って夏美への想いを打ち明けて。
夏美と一緒にやっていこうと思っていたのに、彼女を騙さないといけないんだ。
遊びのつもりや、軽い気持ちで告白したんじゃない。
自分の教師生命をかけてまで、そんな馬鹿なことをするか。
「……陽? どうしたのよ、大丈夫なわけ? そんな落ち込んで」
しつこく沙耶が俺を覗き込んできた。
うるさい、と沙耶を振り払おうとしたところで
(あ……)
沙耶の顔を見たところで気がついた。
さきほど……確か、沙耶の相談を受けて彼女が抱きついてきたのをそのまま受け入れた。
とはいっても、それは当然好きな女としてじゃなく、むしろ妹のような感覚だったのだが。
――もし、あの様子を夏美が見ていたとしたら?
ありえない話じゃない。
俺と沙耶が一緒にいたあの廊下は、先の方が曲がり角になっていて、その向こうに隠れる場所くらいはある。
そこで偶然夏美が、俺に抱きついてきた沙耶を見たとしたら?
あの時、俺は振り払ったりしなかった。
とすれば、あの様子はそこだけ見れば『俺と沙耶が想いあっている』ように見えたはずだ。
だとしたら。
夏美が言っていた『騙した』という言葉も。
俺と沙耶が実は好きあっていて。
それでも夏美のことを手放すまいとその気持ちを隠していた、と思われたんじゃないだろうか。
だから、彼女は『気持ちはその人だけにぶつけてください』だなんて言ったんじゃないだろうか。
(そんな……)
さすがに俺はうなだれた。
沙耶を気遣ってのことだったのだが、こんなことになるなんて。
それに、夏美があの場面を見ていただなんて。
どうしてあのタイミングで。
よりにもよって、あの場所であの瞬間を。
最悪だ――
**********
「ふっ……く……」
上条くんに優しく部屋まで連れて行かれて。
私は、ドアを開けたところで上条くんと別れた。
上条くんが優しげに微笑んで、私を抱きしめてくれたけれど。
胸の痛みは、止まらずに。
そのまま、涙となって私の目からあふれ出した。
「な、ナッちゃん!? どうしたの!?」
私が入ってきたや否や、中にいたミキが慌てて私に近づいてきた。
目に映る彼女の姿が、涙で歪む。
「ミ、キぃ……ッ!」
私は彼女の方に踏み出して、ミキの服の裾を掴んで寄りかかった。
「ナッちゃん」
泣き崩れる私を、優しく抱きとめてくれた。
ミキの優しさに触れて、私はまたしても涙が溢れ出してくる。
けれども。
すごく胸が痛かった。
センセイに嘘をついた。
恋愛の対象じゃない、だなんて。
気持ちをその人だけにぶつけて、だなんて。
私の心は、その逆なのに。
センセイは、きっとあの人のことが好き。
でも、センセイが私にくれた優しさが、温もりが、忘れられない。
センセイのことを憎もうとするたびに、次から次へとセンセイへの想いがあふれ出して。
どうして私じゃなくてあの人を選んだの?
どうして生徒だからって私以外の人を好きになってしまったの?
私が生徒じゃなくて、もっと大人な女の人だったら。
センセイは、ちゃんと私のことを好きになってくれてたの?
……センセイ……
「ナッちゃん、大丈夫? 何があったの」
ミキがそう問いかけてきて。
私は、ずっとミキにしがみついていたことに気付いた。
「――ゴメン、ミキ」
私が寄りかかっていた場所に、私の涙が滲んでいた。
ミキの服、汚しちゃった。
「そんなの、いいけどさ。
どうしたの? なんで泣いてるの、ナッちゃん」
私は、俯いて。
また、センセイのことを思い出してしまって。
瞼を閉じた瞬間に、センセイがあの女の人と抱き合っている場面が、瞼の裏に映し出されて。
胸が締め付けれらる。
「センセイが……他の人と付き合ってたの」
私は、静かにそう告げた。
俯いているのでミキの表情はわからなかったけれど、ミキの怪訝そうな雰囲気が声から伝わってくる。
「先生、って、高宮のこと?」
ミキの言葉に、こくん、と私はしずかに頷く。
「どうしてナッちゃんが、高宮のことでそんな、泣かないといけないの?」
「……」
俯いたまま、私は口をつぐんだ。
すると、しばらくたってからミキが感づいたのか。
「ま、まさかナッちゃんが付き合ってるっていう、社会人の恋人って……!」
やや震えるミキの言葉に。
また、私はこくんと頷いた。
「あの高宮がねぇ……」
布団の上に座り、涙まじりの私の話を根気強く最後まで聞いてくれたミキが
感慨深くなったかのように頷いた。
「私、もう何信じていいか、わかんないよ」
やっぱり目を閉じたら”あの光景”が浮かんできそうで。
目を閉じるまいと、涙のこぼれる目を必死に開きながら私は呟いた。
「でもねぇ、いくらナッちゃんのこと考えたからって、黙って他の人に流れたりする? あの高宮が」
何か、納得がいかないといった表情のミキが言った。
「第一、あの校則にあーだこーだとウルサイ、あの高宮よ?
よっぽどのことがないと、ナッちゃんと付き合おうなんて言いださないはずよ?
もし別の人に心が移ったなら余計よ。そのこと、ちゃんと言うはずでしょーに。
あの高宮だって、そういうとこははっきりするヤツのはずでしょ?」
「でも」
確かに、私の知ってるセンセイはそういう人だ。
教師と生徒なんて、と、自分の気持ちを押し隠して渋った私に「それでも」と言ってきたセンセイだ。
普段の彼が、校則やら規律やらにウルサイ人だっていうのは、私が一番知ってるつもりだ。
――少なくとも、『知っているつもり』だった。
「でもじゃないわよ。だってさ、ナッちゃん担任の言い分はちゃんと聞いてあげた?」
「……聞いて、ない」
「だったらさ、ちゃんと高宮と話し合いなさいよ。
もしかしたら、誤解なのかもしれないでしょ? 担任の言い分も聞かずに、一方的に塞ぎこんでたら、どうにもならないよ」
「わかってるよ――」
そんなこと、わかってる。
私は、センセイのことをちゃんと信じたい。
でも。
「でもセンセイが、本当にあの女の人に心が移っちゃってたら、私はどうすればいいの?
もしセンセイが『別れよう』って言ってきたら、私はどうしたら……ッ」
「ナッちゃん……」
後から後から、涙が溢れてくる。
センセイとはきっぱり別れたほうがいい、と口先でそんな感じのことを言ってしまったけれど。
そんなの、嘘。
私は、センセイとは別れたくない。
もし、センセイに別れようだなんて言われたら。
私は、きっと立ち直れない。
一生に一度、見つかるかどうかすら怪しいくらいの人だったのに。
こんなこと言い出した私に、センセイの方も愛想が尽きちゃってたかもしれない。
もしあれが誤解だったとしても。
あんな光景を見せられて。嫉妬して。
その人にこんなに嫉妬してる私を、センセイには知られたくない。
……嫌われたく、ない……
**********
次の日になって。
結局、私はほとんど眠ることができなかった。
目を閉じただけで、あの光景が瞼の裏に浮かんでくるのもあったけれど。
夢にだって、見たくはなかった。
センセイに別れを告げられるような光景なんて。
センセイから、何通もメールが届いていた。
何回も、電話がかかってきた。
けれども、私はそれらを全部無視した。
それがもし、別れの言葉だったら……?
もしそうだったらどうしよう、と、私は怖くてメールを開くこともできなくて。
全部削除した。
けれども、センセイの電話番号やメールアドレスだけは消せなかった。
今、私の手元にあるセンセイとの繋がりの証。
センセイが私は『大好きだ』って言ってくれた証。
――これだけは、消してしまいたくなかった。
「ナッちゃん、大丈夫?」
ミキが、朝食のために食堂に向かう道中に、私の顔を覗き込んでくる。
鏡はあまりはっきり見ていなかったけれど。
きっと私、ひどい顔をしてる。
髪を梳かした時に、我ながら顔色がすごく悪かったことを覚えてる。
私はミキに「うん」と頷いたけれど。
きっと全然説得力なんてないんだろうな、だなんて関係のないことを考えて。
自分で自嘲気味に笑った。
センセイとのことで、こんなにも苦しくなるなんて思わなかった。
センセイに初めて告白されたときは、とにかく凄く嬉しくて。
こんな時になって、こんなにも苦しくなるだなんて思いもしなかった。
他の人に心が移っていてもいい。
私のこと、もう好きじゃなくたっていい。
ただ、センセイにはまだ私のそばに居て欲しい。
私とは別れて欲しくない。
嘘でもいいから、別れるだなんて、言わないで――
「――夏美?」
食堂まで着いたところで、前の方から声がした。
聞きなれた声だった。
顔を上げた、その先に見えた人の名前を。
静かに、読み上げる。
「上條……くん」
そこには上條くんが立っていた。
私を見て、なぜか凄く驚いているようだった。
「大丈夫……なようには、見えないか」
上條くんが私に肩にそっと手を置いて、心配そうに覗き込んでくる。
私は、気丈にはにかみながら言った。
「ううん、私は大丈夫」
けれども、案の定上条くんは納得していないらしい。
眉をひそめて、私に問いかけてくる。
「嘘つくな。大丈夫なやつが、どうしてそんな蒼い顔してるんだよ。
もう少し、休んでた方がいいんじゃないのか?」
ゆっくりと、優しげにそう聞いてきてくれる上條くん。
その優しさと、肩に置かれた手の暖かさが嬉しかった。
でも……
「ううん。ホントに私は大丈夫だよ。
それに今日、東京に帰るんでしょ? 新幹線、間に合わないよ」
私は、朝起きてからはじめてぱっちり目を開いていった。
そして、精一杯の顔で笑顔を見せる。
きっと、元気そうな顔になってるはず。
私はそう自分に言い聞かせた。
「夏美」
辛うじて私に届く声で、上條くんが私の名前を呼んだ。
『ナッちゃんが――”夏美”のことが、好きだから』
昨日、泣き崩れる私にそう言ってくれた上條くんの言葉がよみがえる。
上條くんは私と同じクラスの生徒だ。
センセイと違って、付き合っても誰も何も咎めたりしないだろう。
一緒にデートすることだってできる。堂々と人前で手を繋ぐことだってできる。
皆が、私達のことをなんの迷いもなく祝福してくれる。
センセイとは一緒にできないことが、上條くんとは一緒にできるんだ。
私を優しくそっと包み込んでくれそうな上條くん。
彼となら、きっと付き合っていける。
センセイとのこともきっぱり忘れて、一緒にいることができるかもしれない。
――昨日はそう、思っていたのに。
「……どうして、そんなに無理してるんだ……?
どうして、オレを頼ってくれないんだ?」
そんな上條くんの呟きは小さすぎて、私の耳には届かなかったけれど。
触れてくる手の感触が違う。
包み込んでくれる体温が違う。
体から香ってくる匂いが違う。
上條くんと一緒に付き合って行けそうだと思っていたのに。
私の心が、体が。
『センセイとは違う』ということを主張して、悲鳴を上げる――
「……ナッちゃん」
肩に上条くんの手が置かれたまま。
俯いていた私の横から、ミキの声が聞こえた。
私がゆっくりと、首をミキの方へと向ける。
ミキが私を真っ直ぐと見つめてきた。
その視線だけで、私に問いかけてくる。
『決めるのは、ナッちゃんしだいだよ――』
「おーい、どうしたんだ?」
突然その場にかかった、場違いなほど能天気な声に。
私達一同、はっと顔を上げた。
上條くんの後ろから聞こえてきた声の主は、カッシーだった。
こちらの方を向きながら、怪訝そうな顔をしている。
「ううん、ゴメンなんでもない」
ひらひらと手を振ってカッシーに言ったのは、ミキだ。
上條くんも、ようやく私の肩から手を離して、私の方を気にかけながら体を向きを変える。
「ふーん……ま、いいけどさ。噂の高宮、来てるぞ」
え……?
『高宮』という名前を聞いて、私がはっと首を上げる。
カッシーが、親指でくいっと背後を指し示した。
(センセイ……)
その先にいたのは。
窓から照らされてくる太陽の光で逆光になっていたけれど。
まばゆいばかりの光を背後に、椅子に座って朝食を取っているらしいその姿は。
遠めに見ても――センセイだった。
(どうして)
どうして、センセイの姿が見えただけで、こんなに胸が苦しくなるの?
一目見ただけで、こんなに愛しさがこみ上げてくるの?
センセイは、一人で黙々と朝食を取っているようだった。
いつも私が見ている彼の食事ペースよりも、ずっと遅い。
そんな感じがしたけれど、その瞬間。
その感じが、私とセンセイとの思い出であることがわかって。
――胸から、余計に愛しさがこみ上げてきた。
そういえば、昨日センセイと一緒に居た、あの女の人が居ない。
センセイが突然こちらの方を向いた。
その瞬間、センセイと私の目が合って。
その切なげな表情をした目と、私の視線とがぶつかった。
――別れようだなんていわないで。
嫌いだなんていわないで。
このまま、センセイの恋人で居させて――
言いたいことはいっぱいあったのだけれど。
それが後から後からどんどんこみ上げてきて、言葉にできない。
突然その視界が塞がれた。
え、と私が見上げると、そこにあったのは広い背中。
茶色いジャケット風の上着の生地が見える。
――上條くんの背中だった。
センセイがこちらを向いたその時、センセイからの視線を遮るように、私を守るように――
センセイとの間に割って入ったんだ。
――!!
その時。
突然、私の視界がぐらりと歪んだ。
頭の中からキーンという音が響いたような気がして。
目の前が唐突に暗くなっていくのが分かる。
足元がぐらりとよろめいて。
上條くんの背中に手をつきながら、私の体が横倒しになっていくのがなんとなく分かった。
疲れが溜まったのかな……そういえば、昨日はほとんど寝てなかったし。
そんなことを考えながら、私の体が傾いていく――
『――夏美ッ!』
二つの声が同時に響いた。
一つは上條くんの声。
もう一つは忘れもしない……センセイの声だった。
私はすんでのところで意識を取り戻した。
とっさにテーブルに手を着いて、倒れそうな体を支える。
「大丈夫か?」
すぐ前にいた上條くんが手を差し伸べてきた。
けれども。
「夏美!」
別の声と共にその手が遮られた。
その声の暖かな響きに、私の心臓が一気に高鳴る。
「セ……ンセイ……?」
まともに出ない声を振り絞って、センセイの名を呼んだ。
見上げると、そこには会いたくてやまなかった人が。
すぐ傍に、凄く心配そうなセンセイの顔があった。
(――!!)
でも、その瞬間に私の頭の中にフラッシュバックしたのは、センセイが女の人と抱き合っていた”あの光景”。
「離してッ!!」
上條くんの代わりに差し伸べられたセンセイの手を、力の限り振り払う。
センセイがはっと顔をあげ、私を見つめてきた。
まわりで他に朝食を取っていた他の宿泊客が、何事かとこっちを見ているのが分かる。
あの人に触れた手で私を触らないで。
あの人に抱きとめられた腕で私を抱かないで。
あの人にも向けられた声で、私を呼ばないで――
「高宮先生!」
上條くんがセンセイと私の間に割って入った。
きっ、と憎悪すら含んだような目でセンセイを睨めつける。
けれども、今度はセンセイは突然、声を上げた。
いつも冷静そうな顔をしているセンセイが、周りのことなど歯牙にもかけず。
「――どけ」
静かながらも、怒りと焦りを含んだその声に。
その場に居た一同がはっとすくみ上がる。
「え……?」
けれど、その時かすかに聞こえてきたのは、ぽん、という乾いた音。
そして、意外そうな響きをもった上條くんの呟きだった。
カッシーが、いつになく真剣な顔をして上條くんの肩を叩いたからだ。
再び頭からキーンという音が鳴り出して、私の意識がすぅっと離れていこうとする。
ぐらぐらと頭の中がゆれるような感覚の中。
最後に感じたのは――
久しぶりに感じた、愛しいセンセイの腕の温かさだった。
**********
髪から心地よい感覚が伝わってくる。
暖かくて、とっても大きな手のひら。
私の頭の上で、そっと優しく包み込むように。
手のひらから愛情が伝わってくるように、私の頭をそっと撫でてくれる手。
その感覚を感じて、私はうっすらと目を覚ました。
頬に何か柔らかな感触がある。
どうやら、私は布団の上に寝かされて、その上から毛布をかけられているらしい。
頭をゆっくりと撫でてくれる感触は、判断するまでもなかった。
これまでも何度も感じた、この懐かしくて愛しい感触は。
手の暖かさは。感触は。香りは。
まぎれもなく、センセイのものだった。
――ずっと、こうしていたい。
こうしている間は、センセイは私だけを見てくれている。
もしかしたら、本当に好きな人は別にいるのかもしれない。
ただ単に、倒れたらしい私が心配でこうしてくれているだけなのかもしれない。
けれども、私を見てくれずに立ち去られるよりも、
私の傍に居て……私の頭を優しく撫でてくれる、この瞬間。
ずっと、この瞬間が続けばいいのに。
目を覚ましてしまったら、センセイの手がどこかに行ってしまいそうで。
もうはっきり目は覚めていたけれど、私は寝たふりを続けた。
「高宮先生……ナッちゃんは?」
その時、背後のほうから声がした。
その声もまた聞きなれた、高く可愛らしい声。
ミキの声だ。
「多分、疲れが来たんじゃないかと思うんだが、まだ目が覚めないな」
頭のすぐ上から、センセイの声が響く。
「新幹線の時間が近いんだろう? お前達はもう行きなさい。
西本の具合は俺が見ておく。目を覚ましたら、連れて帰るから。
お前達全員は無理だけど、西本一人くらいなら俺の今手元にある金でも、送り届けるくらいはできるからな」
センセイのその言葉で、ようやく私は背後の気配がミキ一人じゃないことに気付く。
2,3人くらい、ということはミキとカッシーと……上條くんだ。
ミキがセンセイに問いかけた。
「じゃ、ナッちゃんの目が夜までさめなかったら……?」
「西本が帰るのは明日になってから、だろうな。
心配するな。俺の生徒として、俺がちゃんと面倒を見るから」
「――はい、わかりました。行こう、カッシー、上條君」
そのミキの声と同時に、後ろの三人が立ち上がるのがわかった。
センセイが私を撫でてくれている手を離す。
それが、なんだか残念だった。
それに、センセイが私の面倒をみてくれるというのが。
嬉しい反面、悲しかった。
――私は『生徒』だと、『面倒を見なければならない子供なんだ』と言われているような気がして。
「沙耶、もう一晩この部屋を使わせてくれるよう、旅館の人に言ってきてくれ。
それと、西本のためにもう一部屋を取って」
あさっての方向に向けて放たれた、センセイの言葉に。
私は全身の体が硬直するのを感じた。
”サヤ”って、誰?
センセイを抱きしめていた、女の人なの……?
「わかったわ」という声が、別の方向から響いた。
やはりあの女の人なんだろう。もう一人の気配が、この部屋から出て行くのがわかった。
けれども……私は、その人に向かって泣き叫びたいのを、必死に堪えていた。
私のセンセイを取らないで。
私だけのセンセイに抱きつかないで。
センセイは、私の恋人なのに――
「どうした、上條」
その時、センセイの怪訝そうな声が聞こえた。
あの女の人が出て行くのとほとんど同時に、ミキ達も出て行くのがわかったんだけど。
一人だけ――上條くんだけ、出て行かなかったんだ。
「オレも残ります」
「馬鹿言うな。言っただろう、西本は俺が責任を持って帰す。
西本一人だけならまだしも、お前の面倒までは見きれないぞ」
「夏美を先生のところに、2人っきりになんてさせておけない!」
「人を獣みたいに言うな。俺はそんな男じゃない」
「先生と夏美は、付き合ってたんですか!?」
上條くんの言葉に、私は内心ビクッとしていた。
同時に、センセイの体もぴくりと震えたのがわかる。
勢いを得たかのように、上條くんがまくし立てるように続けた。
「いつも……高宮先生が夏美を見ていた時の目は、生徒を見る目じゃなかった。
それに夏美も、ずっと高宮先生を同じ様な目で見てました。
夏美にははぐらかされたけど、それがわからないほどオレは子供じゃない……」
そこで一旦言葉を切った上條くんが、問いかけた。「答えてください。先生と夏美は、付き合ってたんですか」
私の体が、かすかに震えた。
やっぱり、上條くんにはばれていたんだ。
センセイと私が付き合っているってことが。
センセイは何て答えるんだろう。
『そんなことあるわけないだろう』かな。
でも、センセイならもっと説得力のある言い訳を思いつくのかもしれない。
自分の生活だってかかってるはずだし、いつも頭の回転の速いセンセイのことだ。
でも……心のどこかで、『否定して欲しくない』と泣き叫ぶ自分が居た。
否定されたら、それが本当になってしまいそうで。
本当にセンセイと私の間にあったものが、断ち切られてしまいそうで。
「違う」
けれども、現実は残酷で。
センセイの言葉は、私の期待していた言葉じゃなくて。
私の胸が締め付けられ、目頭が熱くなっていく。
センセイ――
「付き合って『た』んじゃない。ing形――現在進行形だ」
私は一瞬、自分の耳を疑った。
センセイが、私とセンセイの仲を認めた。
それも、一番知られてはいけないはずの……同じ学校の生徒に。
上條くんが息を呑むのがわかる。
でも。
センセイが学校から外されてしまうかもしれないというのに。
センセイが私とセンセイの仲を認めてくれたことが、なぜか嬉しかった。
「ど、どういうことですか!? 教師と教え子が付き合ってるなんて――」
焦ったように上條くんが問い詰めようとするけれど。
「それがどうした? 学校側に言いたければ言え。俺は止めない」
腹を括ったかのようなセンセイの物言いに、上條くんがぐっと声を詰まらせる。
「教師を辞めさせられても、俺は後悔なんてしない。
それよりも、西本――”夏美”を手放すなんてことになるほうが、よっぽど後悔することになるからな」
そう言って、また私の髪を梳くように撫でてくれる。
私との仲だけでなく、上條くんの前で私を”夏美”と呼んだ。
センセイは、私のことに飽きてるんじゃなかったの?
まだ、センセイは私のことを好きでいてくれてるの?
――まだ、センセイの言葉を信じても、いいの?
「でも、高宮先生はさっきのあの女の人と付き合ってるんでしょう!?
オレは見ましたよ、昨日もあの人を抱きしめていたところを!」
「付き合ってるんじゃない。彼女は俺の従兄妹だし、そもそも彼女は既婚者だ。
旦那が忙しい人で、せっかくの旅行が台無しになったからと俺を誘った。
昨日は、旦那とのことで悩んでいたのを相談に乗っただけだ」
センセイ……
やっぱり、センセイはその人と付き合ってたんじゃ、ないの?
昨日抱きしめていたのは、その人をただ慰めるだけだったの?
じゃあ、センセイが好きなのは、まだ――
「俺が好きなのは、夏美だけだ。
今までも――そして、これから先も、ずっと」
センセイの言葉が、私の心に響いて。
私の心にずっと突き刺さっていた釘が、消え去ったかのように。
一気に、センセイへの感情があふれ出して止まらない。
その感情が、涙となって私の目からとめどなくあふれそうになる。
「でも、さっき夏美は先生の手を振り払ってました。
昨日も、夏美は先生に言ってましたよね? 恋愛感情はない、って。
だとしたら――」
やめて。
私は、言葉を続けようとする上條くんに、必死に心の中で叫び続けた。
そのことを言わないで。
センセイのことが嫌いになったんじゃないの。
センセイの心が他の人のものになってしまったんじゃないか、っていうのが許せなくて。
嘘をついちゃっただけなの……!
「たとえ夏美に嫌われていたとしても」
けれども、センセイはまた上條くんを遮った。「俺にはもう夏美しか居ない――ずっと、夏美を追いかける」
センセイ。
センセイ。
センセイ……ッ!
それが限界だった。
もう涙を我慢することなんてできなかった。
目から涙が一気に溢れ出して、止まらない。
「――夏美が迷惑と思うかもしれない、ってことは考えないんですか」
「普段の俺なら、そう考えてやめるだろうな。
でも、これは全部誤解が招いたことだ。このまま夏美に誤解で嫌われっぱなしなのは、後味が悪すぎるからな。
誤解をちゃんと解いて、それでも夏美がお前を選ぶようなら……」
けれども、そこでセンセイは言葉を切り、そして思いなおしたように呟いた。
「いや、それでも俺はあきらめ切れないだろうな。お前から、奪い返す」
語気は強くなかったものの、内包している意思の強さに。
上條くんがたじろぐのがわかった。
「夏美を好きになったその時から、覚悟は決まっていたんだ。
自分の教師生命をかけてまで選んだんだぞ。そう簡単に、手放してたまるか。
それでも、このことを学校側に言いたいなら――繰り返すが、好きにしろ」
しばしの間、両者の間に沈黙があった。
私は、もう何も言うこともできず、声を出さずに泣いていた。
センセイが、こんなに私を思っていてくれたことが嬉しくて。
反面、それなのにセンセイのことを疑ってしまった私が情けなくて。
昨日、あんな酷いことを言ってしまったのが、すごく悲しくて。
それでも、私をこんなに好きで居てくれる先生の気持ちが――
「……言いませんよ。こんな状態で学校側に言ったら、夏美が悲しむだけじゃないですか。
認めたくないけど。夏美は、まだ先生に惚れてる。
何もオレは、夏美をこんなになるまで傷つけるつもりがあったわけじゃないんだ。
こんなこと言ったって、夏美の気持ちが俺に向いてくれないと……意味がない」
上條くんが立ち上がる音が聞こえた。
「今日のところは……帰ります。でも、オレはまだ夏美のこと、諦めたわけじゃない。
絶対、夏美の気持ちを俺に向けさせて見せます」
ばたん、と扉が閉まる音が聞こえた。
「夏美……?」
堪えきれず、嗚咽を上げてしまった私に心配そうな声が届いた。
「夏美、大丈夫?」
優しく背中をさすりながら、囁くようにそう問いかけてくるセンセイ。
――私がこんなになったのはセンセイのせいだなんて、気付かずに。
「センセイ……ッ!」
体を起こした私は、そのままセンセイの胸に顔をうずめた。
「夏美……」
センセイが、切なそうな声で私を抱きしめてくれる。
全力で私を愛してくれてるセンセイの気持ちが、嬉しかった。
嬉しいのに……嬉しいから、どんどん涙が溢れてくる。
「夏美、沙耶――あいつとは、なんでもないから。
悩んでたから、相談に乗っただけ。付き合うだなんてことは、全然ないから」
「センセイ……怒ってないんですか」
「怒る? 何を?」
「私、センセイに酷いこと言いました」
触れてくる手の感触。
包み込んでくれる体温。
体から香ってくる匂い。
ああ、やっぱりセンセイなんだ。
ずっと私を好きで居てくれたセンセイだ。
センセイのスーツが涙で濡れるのも構わずに、私はセンセイにすがり付いて泣いた。
スーツからは、女性の香水の匂いは全然しなかった。
「センセイ――ごめんなさい……」
すがりつきながら、私は謝った。
私は、センセイのことを信じてなかった。
いつも『好きだ』って言ってくれてたセンセイのこと、信じてなかった。
こんなにもセンセイは、私のことを想ってくれてたのに。
「ごめんなさい……ッ」
センセイを信じてあげられなくてごめんなさい。
電話に出れなくてごめんなさい。
メールも返せなくてごめんなさい。
――あんな”嘘”言ってしまって、ごめんなさい。
だから……
「離れて、いかないで……」
もうほとんど懇願に近かった。
センセイに嫌われたくない。
何もかも、ごめんなさい。だから――傍に居させて。
「――夏美に、『恋愛の対象じゃない』とか『最低』なんて言われたときはどうしようかと思ったよ」
「ごめんなさい……っ、私、センセイがあの人のことが好きなんじゃないかって……
私みたいなコドモじゃなくて、あの人みたいな大人の人の方が、
だって、私じゃ一緒に街も歩けないし、誰かに見られただけでもダメだし、
だから私はっ、センセイが嫌いだから言ったんじゃなくて」
思いついたことを、思いついた順にしゃべる。
言いたいことが次から次へと、どんどん溢れてきて。
言ってることがすでに支離滅裂になってきてしまったけれど。
「よかった……嫌われたんじゃないのか」
センセイが私を一層強く抱きしめながら、安堵のため息をついた。
嫌われたのか心配だったのは、私の方。
でも、そう思ってもやっぱり、センセイだって、ずっと不安だったんだ。
あんなことを言ってしまって。センセイが私のことを嫌いになっても無理はなかったのだけれど。
――私の嘘で一番傷ついてたのは、やっぱりセンセイの方。
「夏美に、『男と旅行に行く』なんていわれて、内心ずっと止めたかったんだけどな。
口うるさいヤツだと思われるのも嫌だから黙ってた。
アイツに抱きしめられて、振りほどきもしなかったのも俺だ。
俺がもう少しちゃんと考えてれば、こんなことにはならなかったのに」
「違いますっ!」
センセイの自分を責めるような言い方を、私は必死で遮った。
センセイは何も悪くないのに。
私が勝手に嫉妬して。勝手に怒って。――勝手に、嘘ついて傷つけた。
悪いのは全部、私なのに。
「私が悪いんです……センセイに好きって言われたのに、何もできなくて。
センセイの邪魔になったり、傷つけてばっかり――」
「俺は邪魔だなんて思ってない」
今度はセンセイが私を遮った。
「――上條を見て、俺もつくづく思ったんだ。
同じ生徒の上條なら、夏美はもっと普通の恋人らしい付き合いができてたのかもしれない。
俺が教師じゃなければ、もっと夏美にも自由をさせてやれたのに」
――どうして?
「付き合ったって、教師の俺じゃ何もできない。
だから、俺の方こそ夏美の邪魔なんじゃないかって思っていたんだ。
夏美は――ただ、俺を好きで居続けてくれ。それだけで、いいんだよ」
――あんな酷いことを言ったのに。
――私一人の勘違いだったのに。
どうして、こんなに優しくできるの?
「はい」
センセイの言葉に頷いて。
そこで、一気に気が抜けてしまって……私は、急速に襲い掛かる睡魔に囚われて。
そのまま、沈むように眠り込んでしまった。
**********
「ん……」
そっと髪を撫ぜるその感触に、私は再び目を覚ました。
「悪い、起こしたか?」
暖かな感触が、頭に伝わってくる。
センセイの、手だ。
私は、寝ぼけ眼のままゆっくりと起き上がって、周りを見回した。
光の差し込んでくる襖。薄い茶色の天井。
私は、センセイの部屋のベッドでずっと長いこと眠っていたらしい。
「今、何時ですか」
辺りを見回しながら私は問いかけた。確か、私が倒れてしまったのは起きた後だから、8時くらいのはず。
「昼の2時くらい」
「嘘! そんなに眠ってたんですか、私」
「ああ、これ以上目を覚まさなかったら救急車呼ぼうかとも思ったくらいな」
そう言って、センセイはにやりと笑ってくる。
――こんな状況だっていうのに、私は彼の物言いに思わず笑ってしまった。
「ごめんなさい、迷惑ばっかりかけて」
「迷惑だなんて思ってない。言ったでしょ? 俺を好きでいてくれるだけでいい」
こくん、と私は頷いた。
そして、センセイの方を向いて、口を開きかけたその瞬間。
――きゅるるる。
「ひゃあっ!?」
突然私のお腹が鳴って、思わず自分のお腹を抱え込んだ。
ふと、センセイの方をちらりと見ると。
――声を必死でかみ殺すように、くすくす笑っていた。
ぼぼぼぼぼぼ。
一気に顔が紅潮する。
「さすがに、何か食べようか? 今朝だって、食べてないでしょ?」
「――ハイ」
センセイが私を連れて行ってくれたのは、ちょっと洒落たイタリアンレストラン。
お店自体は結構小さめなんだけど、それがいいアクセントになった感じ。
中は茶色い壁をベースに、色とりどりの飾りがかけてあって、華やかな雰囲気をかもし出している。
結構家族で来てる人が多いみたいで、小さな子を連れた人も居た。
お店の真ん中に、大きなテーブルがあってそこに野菜を中心とした料理が並んでいる。
一見サラダバーのようだったけれど、よく見るとリゾットやパスタのような、普通の料理も並んでいた。
『ここはピザが美味いらしいよ』とセンセイが言いながら、お店の人に注文する。
私がどれにしようか迷っていたら。
「ピザ、あまったら持ち帰りができるらしいからさ。色々頼んで、一緒に突っつこうか」
にこっと笑ってそう提案してくる。
ピザなんて、お持ち帰りができるんだ。
私はちょっと感心して、センセイに微笑みかけながら頷いた。
真ん中の大テーブルはやっぱりサラダバーだったらしいけれど。
普通の料理も並んでたから、それだけでも結構お腹いっぱいになりそうなメニューだった。
リゾットがとっても美味しくて、ピザが来る間ずっと食べていた。
やってきたピザは、シーフードピザと大豆(らしい)のピザの2品だ。
下の鉄板から加熱できるようになっているらしく、ずっと暖かいまま食べることができた。
味もすごく美味しくて、二人してはぐはぐとほお張っていた。
しかもデザートとして、3つもケーキがついてくるんだ!
ムースみたいなものからチーズケーキ、シフォンケーキやら色々なものが取り揃えてあって。
いっぱいある中から3つ選ぶということらしいから、目を輝かせてどれにしようか迷って。
そんな様子を見てたセンセイに笑われた。
そんな、普通の恋人なら当たり前のような光景だったけれど。
普段の私達では到底できないことが、すごく楽しかった。
結局、その日は東京に戻ることはしなかった。
私も結構疲れが溜まっていたから、というセンセイの言葉だったけれど。
案外、センセイも私と一緒のレストラン、楽しんでいたのかもしれない。
明日の夕方の新幹線を予約したらしい。
どうして朝じゃないんだって聞いたら、「内緒」だなんて言われた。
「そろそろ、寝ようか」
センセイが時計を見ながら言った。
そうか、もう寝ないといけないんだ。
私もつられて時計を見やる。針は、夜の12時丁度を指し示していた。
センセイが、ポケットから何かを取り出して、私に手渡す。
――旅館の鍵だ。
「そこが、頼んでおいた夏美用の部屋。そこで、ゆっくりと眠ったらいいよ」
私はゆっくりとそれを受け取りながら、センセイの説明をどこか遠いところで聞いているような気がした。
――センセイとは別の部屋で、寝なくちゃダメなのかな。
嫉妬とか、勘違いが重なって。
私はもう、1秒だってセンセイとは離れたくなかった。
センセイとは別の部屋で――安心して眠れる自信がない。
「夏美」
鍵を握り締めたまま俯いていた私に、センセイが声をかけた。
「多分、夏美はそこで寝たほうがゆっくりできるとは思う。
ここで眠ったら……多分、夏美が安眠できる保障はないから」
え……?
別の意味を含んだようなセンセイの物言いに、私が思わず顔を上げる。
それって、まさか――
「このまま夏美が残ったら、きっと俺は隣で眠るだけなんて、できない。
きっと、そうそうは寝かせない。加減も――多分できない。それでも、いいなら」
そこで、センセイは切なげな顔で私を見下ろしながら。
囁くように続けた。「……おいで」
私は、自分の顔が紅潮するのがわかっていたけれど。
そっと、手を広げるセンセイの元へと歩いていって。
その胸の中に、顔をうずめた。
その瞬間、センセイは私の顔を上げて、激しいキスをしてくる。
いつにないその強引さにちょっぴり驚いたけれど。
情熱的なそのキスに、私の目がとろんとなりはじめた。
ゆっくりと唇を離した先生は。
私のあごにそっと手を添えて、親指で私の唇をなぞり。
普段のセンセイとは似つかぬ、夜の帝王のような妖しく艶かしい笑みを浮かべて、
私に向かって、小悪魔のごとく囁いた――
「俺の最後の忠告を聞かなかった罰だ。夏美……俺の劣情、全部受け止めてもらうよ」
「あの、センセイ……?」
次の日の朝、旅館から荷物をまとめて、センセイに手を引かれて電車に乗ったその先の光景。
――哲学の道の前に、私達は立っていた。
東京に、帰るんじゃないの――?
「昨日、哲学の道に回ったときに、夏美は全然集中できなかったろ?」
「え……?」
確かに、昨日は私はセンセイのことがすごく気になっていて。
ずっとそのことばっかり考えていたから、哲学の道を歩いた時は全然集中してなかった。
哲学の道を歩くの、すごく楽しみにしてたのに。
――え?
ってことは、あれ、でも……!
「せ、センセイどうしてそれを……!?」
「さっき、諏訪に聞いた」
「諏訪……ミキに?」
「そう。だから、今日は残った時間、哲学の道を歩きなおし」
にこっと笑ってそう告げる先生。
私は、センセイの言ってることの実感がわかなくて、表情を固めたままじっとしていたけれど。
しばらく硬直していた後に、その内容がようやく頭の中に浸透してきて。
「そ、それって……センセイと、2人で?」
「そう。そういうわけだから――手、繋ごうか」
「え、でも、周りが」
けれど、そう言って周りを見回したところで気がついた。
そうか。
手を繋いでもいいんだ。
だって、ここは東京とはずっと離れた京都。
センセイと私が教師と生徒だなんて知ってる人は、どこにも居ないんだ。
私とセンセイのことを咎める人なんて、誰も居ないんだから。
センセイと2人っきりの、それも、初のデートだ。
「ありがとう、センセイ」
「東京じゃ、なかなかできないからね」
私は、手を繋いでにっこり微笑むセンセイに感謝した。
昨日も見た光景だったけれど。
全く見ていなかった私は、純粋に哲学の道を楽しんだ。
道端に並ぶ石像や彫像とかに一喜一憂して。
センセイの手を引きながら、あちこちへと駆け回った。
センセイが大きな声で私の名前を呼んでもいい。
センセイと手を繋いでも腕を組んでもいい。
他の人たちからは、私達は理想なカップルに見えているはずなんだから。
本当に東京じゃ、なかなかできないこと。
普通の恋人ができる幸せを、私は精一杯かみ締めた。
哲学の道を歩き終えて、私達は傍にあった小さなお店で軽い昼食を摂った。
これまたパスタみたいな料理がいっぱいあって。
あれこれ悩んでいたら、センセイが先取りして注文していた。
私一人じゃ、きっとメニューを決めることができなかったから。
そんな細かな配慮に、やっぱりこの人は紳士だなぁって、私はなんだか幸せに感じた。
「そろそろ、帰ろうか」
お茶を飲んでお店から出たら、センセイが時計を見ながら言った。
……もう、帰らないといけないんだ。
センセイが私の手を引いて、道に出ようとする。
けれども、私の足は動かなくて。
センセイの腕が、私の腕をひいてピンと張った。
「夏美?」
動こうとしない私を怪訝そうに振り返って問いかける。
「――帰りたく、ない」
私は、涙まじりに答えた。「もっと一緒に、センセイと街を歩きたい」
目の前のセンセイの顔が歪む。私の涙が、私の視界を曇らせた。
センセイを困らせていることは、わかってる。
でも、東京じゃできない、『普通の恋人』ができるデート。
一度その幸せを味わってしまった私は――
もう、二度とセンセイと街を一緒に歩けないなんて、耐えられない。
センセイとずっとここにいたい。
誰にもはばかれず、誰にも邪魔されずにセンセイと恋人でいられるここに、ずっと居たい。
私の涙は、次から次へと溢れ出してきて。
『泣いてばっかりだ、私』だなんて考えながらも、拭っても拭っても涙は止まらなくて。
そのまま、顔全体を手で覆った。
「――夏美」
ぽん、と両肩にセンセイの手を感じた。
顔を上げると、センセイが唇で私の頬を伝う涙を拭ってくれた。
「俺たちは、教師と生徒だっていう禁断の恋をしてしまった。
でも――それでもいい、会えなかったよりはずっといいはずだから、俺はこの出会いに感謝してる」
私は、センセイの顔をまじまじと見つめた。
センセイが優しげに微笑んで、続ける。
「夏美が卒業して。俺と夏美が教師と生徒じゃなくなったら、また一緒に街を歩こう。
そうなれば、誰も俺たちのことを咎めたりなんて、しないんだから」
「センセイ……」
私は涙を拭って、センセイの顔を真っ直ぐに見つめた。
センセイは満足そうに笑って、私に向かって頷いた。
「これが、一緒に街を歩く最後じゃないんだ。
夏美が卒業するまで……俺は、待ってる。またいつか、一緒に街を歩こう」
「はい」
私は、その場で止まっていた足を前に進みだした。
それと同時に、停止していた私達の恋も前に進みだした。
これは、センセイと一緒に街を歩ける最後じゃない。
私が東京に帰って、ちゃんと高校を卒業したら、センセイと私はもはや教師と教え子じゃない。
前に進むためにも、ちゃんと東京に帰って学校に戻るんだ。
センセイと、また一緒に思い出を作るために。
ねぇ、センセイは気付いてる?
私はセンセイを、ただ「先生」と呼んでいるんじゃなくて。
もっと愛情を込めて、「センセイ」って呼んでいることに。
学校では、私はセンセイの名前を呼ぶことができない。
それでも、私だけは特別なんだってセンセイ主張するための、私が学校で今できる精一杯の愛情表現。
きっといつか、センセイを名前で呼ぶことが、できたらいいな。
**********
タクシーに乗って、新幹線の駅まで着いて。
そこから改札口を通って、新幹線に乗って、東京につくまでの間。
センセイは、ずっと私の手を握っていてくれた。
最後の繋がりのようではあったけれど、これはハジマリ。
センセイと私とは、まだまだはじまってないんだ。
動き出す新幹線。
通り過ぎる京都タワー。
私の行く先には、東京タワーが見えてくるだろう。
そこまで行けば、私はまた前に進むことができるんだ。
隣の席に座っている先生と、目が合った。
私に向かって、にっこりと微笑んでくれた。
それだけで、十分。
私とセンセイの想いは、もう口だけで伝えるものじゃないんだから。
センセイとあの女の人が抱き合っていた光景。
そんなところを見て、センセイを拒絶してしまった私。
それでも、そんなにセンセイを拒絶してしまっても。
私は、心の中ではずっとセンセイとの繋がりを求めてた。
何度、センセイを諦めようと思っても。
やっぱり、私はセンセイじゃないとダメなんだと思い知らされる。
目に見えないけれど。
触れることも、味わうこともできないけれど。
甘いものとして、センセイと私の間はずっと何かで結び付けられてる。
この京都での間、私達も色々あったけれど。
結局それも、私達の愛を育む場所だったんだ。
人と人は、何かの繋がりがないと生きていけない。
独りだけで生きていこうと思っても、ほら。
気がつけば、誰かの隣で一緒に歩いていくことを望んでいる。
まだまだ、人と人との間の絆は成長することができる。
だから、私もセンセイとの思い出を、ずっと胸の中で育てていこう。
センセイと一緒になっても、その先もずっと。
きっと、私達の先に、輝かしい未来があることを願って――
今はまだ、一緒に街は歩けないけれど。
――キ ッ ト ア シ タ ハ サ ク ラ サ ク――