エイプリルフールの初デート
 
 
 
――――1
 
 
 
 
 桜の舞う公園。
 中央に位置する噴水は、今日も元気に業務をこなし、時折、七色の虹を作る。
 それに気付いた子供達がわいわいと集まりだすのも、また日常。
 
 辺りは夕焼け。風に舞う桜は夕焼け色で、噴水の水もまた橙色にキラキラと。
 
 目だけを動かして公園の時計を確認。17時、50分。いえ、そういえば栞さんがこの時計は10分遅れているといっていましたから――もう、18時。本日は、土曜。
 確か、そう、私の記憶に間違いがなければ、今日は午前中で授業が終り、そして目の前の彼女の頼みで此処に来た、はずなのですが。
 
 いい加減、お尻が痛いです。
 
 表情は微塵たりとも変化はさせないが。美汐は内心で溜息をついた。
 
 こんなことなら。相沢さんのように逃げ出せばよかったと。
 
 少しくらい、ポーズを変えてもいいですよね?そっと腰を持ち上げ――
 
「あ、天野さん、動いちゃダメです」
「――すいません」
 
 鉛筆の先をこちらに向けて目の前に座る友人――栞さんがそう言い、頷いた私に満足げな笑顔を見せて、また絵に没頭。
 上げかけた腰をもう一度固定して、こっそり、内心で溜息をつく。
 何故あれほど急いで相沢さんが逃げ出したのか、ようやく分かった気がします。
 辺りは夕焼けを通り越し、何時しか空の半分は黒。子供達は、ばいばーい、と大きく手を振り家へと帰る。
 
 心の中で。今日何度目か分からない溜息を美汐は漏らし――
 
「できましたっ!」
 
 完成した絵に、絶句して。考えて。
 
「――抽象画だったんですね」
「美汐さんですっ!」
 
……目の位置が馬のようなの位置にあるような気がするのですが、私、ここまで酷い顔をしていたでしょうか――?
 
 逃げ出した相沢さんが、恨めしい。さっきというには間がありすぎる、今日の下校時刻を思い出す。
 
 
 
 
 授業終了のチャイム。机の中の教科書類を取り出して、鞄に詰めていると。
 
「おーい、みっしーいるか?」
 
――相沢さん、ですか。
 
 その愛称で呼ばないでくれと何度言っただろう、彼はそれでも止めてくれない。そして、その愛称で呼ばれるときは、大抵私をからかう時。
 諦め半分に鞄を持って立ち上がる。表情は一切顔には出さず、澄まし顔で。
 
「何の用でしょうか相沢さん。それとその愛称で呼ばないでくれと何回言ったと思うんですか?」
「ん?確か49回」
 
 目指せ50回!そして100回!と両手を腰に当てて自慢げな相沢さんに、ポーカーフェイスが崩れかける。数えていたんですか、貴方。
 相変わらず、無駄なことには全力を出す人ですね、こっちは頭痛の種が何時までたってもなくなりませんが。
 最近お馴染みになりつつある頭痛に頭を振って、気を取り直す。
 まぁ、それでも。彼への恩は消えるものでもないですし、消したくなんて――いえ、失言です唯の戯言。
 
「と、ではなく。みっしー、明日――」
「あ、祐一さんっ!」
 
 相沢さんが何か言いかけた時、教室の扉の前――そう言えばここに立っていると帰る人の邪魔ですね――まで走りよってきたのは、栞さん。そういえば、彼女も相沢さんにお世話になった人、だそうです。
 にこにこと嬉しそうに相沢さんに走り寄る栞さん。手に、大きなスケッチブックを持って。
 げ、と相沢さんの顔が引き攣ったのは何故でしょう。そのまま彼はくるりと背を向け、
 
「明日暇か?暇だったら噴水公園で昼の2時頃。ダメなら携帯に連絡よろしく、でないと佑ちゃん泣いちゃうぞー、ということでさらばっ!」
 
 一息で早口言葉のようにそう言って、颯爽と去っていく相沢さん。
 
「えぅ、逃げる人なんて嫌いですっ!」
 
 そしてそれを追いかけようとする栞さん、あ、そういえば。
 
「栞さん、少しよろしいですか?」
 
 走り出しかけた栞さんが、ずるりと滑る。その隙に相沢さんははるか彼方。――借り、一つですね。なんて思いつつ。
 
「噴水公園って何処にあるか知っていますか?」
「時計がきっかり十分遅れている、あの噴水公園ですか?」
 
 そうなんでしょうか。分かりません、と言うと――
 
「えぅ、そうですか―――あ、でも祐一さんが言った噴水公園ならその公園ですね」
 
 ではそこを案内してくれませんか、と言うと、栞さんはほんの少し考えるような仕草をする。
 まぁ、きっと内心では、相沢さんを追いかけたいんのでしょう。
 などと思いつつ――そういえば。私にとって友人というのは真琴と彼女、それに相沢さんくらいしかいないんですよね。
 
――正確には、友人を作らなかった、ですが。
 
 相沢さんは、真琴がらみの件。栞さんは、相沢さん絡みで知り合って。
 
――奇跡は起こったのですから。そろそろ、他人と接触を持ついい機会なのかもしれません。
 
 どれだけ他人を遠ざけようと、唯一人では生きてはいけず、どれだけ心を置き去りにしても、あの子は帰ってこないのですし。
 ふっと自嘲の笑みが浮かんで――
 
「んー、じゃあギブ・アンド・テイクでいいですか?」
「はい?」
 
 栞さんの提案を、危うく聞き逃すところでした。
 
「噴水公園に案内するついでに、絵のモデルになってください」
 
 にっこり笑顔の彼女の提案。すぐ終わるだろうと軽い気持ちで頷いていた。
 
 
 
 
――――2
 
 
 
 
 襖を開いて、部屋に入る。
 お風呂上りの体はぽかぽかと火照り、若干熱いくらいです。
 そして――部屋の惨状に、少し溜息。
 
 服、服、服。地面を覆う服の群れ。
 まぁ、私とて一人の少女。相沢さんの誘いは、やっぱりデートなんでしょうか?そう考えるだけで、やはり顔は熱くなってしまうもの――って、そうではなく。
 手身近の服を持って、体に当ててみる。
 
――小さい。
 
 無言で畳んで、部屋の隅に置く。今まで服に気を使ったことがなかったのが本当に悔やまれる。小さくなって着れなさそうな服すらあるというのは――さすがにどうかと。
 とりあえず着れる着れないの分別をして、さて。
 悩む。普段どうりが一番でしょうか?それとも、少し勇気を出して派手目の服とか?
 髪型は――長い人は、色々と工夫の使用もあるのでしょうが、と髪をいじりながら考える。
 リボンなんて、似合わないでしょうし。そもそも私のイメージがというか、なんというか。
 香水とかも?いえ、さすがにやりすぎな気が――ですが、学校に香水をつけてくる人もいますし――
 
――余り深く考えない方が、いいのかもしれませんね。
 
 時計を見れば――既に一時。いつもなら12時には布団に入っているのに――まぁ、寝過ごしたりは、しないでしょうが――
 電気を消して、布団に入る。
 ふぅ、と深く溜息をついて、暗い天井を見上げながら、明日のことを考え――って、明日?
 
 がば、と起き上がって、壁に掛けられたカレンダーを見る。
 見えません。いえ部屋が暗いので当然ですが。電気をつけて、もう一度カレンダーを見て。
 
「そんな酷な事はないでしょう――」
 
 今日は、3月31日。
 つまり、明日はエイプリルフール。
 約束は今日ですから、約束自体が嘘というのはないでしょうが――不安を抱えつつ。布団の中へ。
 
 眠れないかも、しれません。なんというか、色々な意味で。
 
 私にとって。初デートだっていうのに。
 
 はぁ、と溜息をついて。
 
「こんな酷な事はないでしょう」
 
 とにもかくにも。まず、私のすべきことは――明日に備えて、眠ることでしょうか。
 それが一番難しい気もするんですけれど。
 
 
 
 
―――そして、翌日。
 
 4月の1日。エイプリルフール。
 
 悪天候に見舞われることもなく。空は蒼穹。
 穏やかな風はゆるゆると雲を運び、時折桜を風に舞わせ、噴水の水面にはゆらゆらと桜の花びらが浮かび漂う。
 
 噴水公園のベンチ。
 
 一際目立つ姿で、彼女はそこにいた。
 若干俯き、顔を真っ赤にしながらも。
 ワイシャツにジーンズという、ラフな格好をした彼女の待ち人は――その姿に若干、驚き引き攣った笑みを浮かべながら、それでも普段どおりに、右手を挙げて口を開く。
 
「よっすみっしー」
「――だから、その呼び方は止めてくださいとあれほど……」
 
 反論も、最後までは続かずに。
 はぁ、と美汐が溜息――安堵の溜息を、ついた。
 
「でも、良かったです。相沢さんが人として不出来ではなくて」
「は?」
「いえ、“これ”では――もしかしたら声をかけずに帰ってしまうかと――」
「いや、実は結構本気で悩んだ」
 
 むっ、と美汐が祐一を睨むと。
 
「嘘だって。今日はエイプリルフール、だろ?」
 
 早速ですか、と苦笑が浮かぶ。
 こういう嘘なら歓迎ですね、そんなことを思いながら――自分の場合を考えて。そう、例えば。相沢さんがタキシード姿で立っていたら私はどうするでしょうか?
 
 
 
 なんだか。ありえそうで怖かった。
 
 
 
―――確かに、私でも声をかけるのを躊躇うでしょう。というか逃げるかもしれません、なんて思いながら、自分の姿を見下ろしてみる。
 
 一際目立つその姿――着物姿。着物は桜色、帯が若草色、つまり春をイメージしたそれは、確かに綺麗、美汐に似合ってはいが、とにかくやたらと目立つ。
 それは、美汐自身の美貌と、施された薄化粧もあいまって。
 
 今朝。相沢さんと出かける、その一言でまさかあれほど母が喜ぶとは思わなかった。あれほど――母が暴走するとは思わなかった。
 
 
「初デートよーっ!!!美汐の初デート!おとーさん何のんびりトースト食べてるのっ!?」
 
 
 脳裏に蘇る母の声は即刻廃棄。着せ替え人形の辛さを体験学習する日が来るとは思いませんでした。なんだかぐったりしながらも、顔を上げると。
 
「さってと、じゃ、行くとしますか」
 
 相沢さんの、悪戯っぽい笑顔があって。
 す、と自然に、手を握られ、って、え、えぇぇ!?
 
「どうした天野、真っ赤だぞ?」
 
 にやにやと笑う相沢さんは、確実に確信犯ですね?確かに、男性と手を繋いだのなんて、幼稚園以来ですが、私だって、からかわれているばかりじゃありません。
 繋いだ手を一度離して。するり、と相沢さんの腕に自分の腕を滑り込ませる。
 
「行きましょう、相沢さん」
「あ、――あぁ、行こうか、お姫様」
 
 そうして、相沢さんが歩き出す。ちょっぴり顔が赤いですよ、相沢さん。
 
 まぁ、そんなことを言ってしまえば。
 
 私の顔はトマトみたいに真っ赤なんでしょうけれど。
 組んだ腕に、胸が当たって――はぅ、こ、これ、女性も恥ずかしいものなのですね。
 
 真っ赤な二人が公園を出る。
 春の日差しは穏やかに。桜の花びらは風に舞う。
 
 
 
 
――――3
 
 
 
 
 目の前の、棒状のソレの先端を、口に含む。
 先端から、れろれろと舐め、途端広がる、甘い味。
 やや息苦しくなったので、一旦口からソレを出し、躊躇う事無く、私は二口目を――
 
「なんか、えろっちぃ」
「――?何がですか?」
 
 いや別に?そういって、相沢さんも手にもつアイスバーをぺろりと舐めた。
 気のせいか。私のアイスはやたらと溶けるのが早い気がするのですが。
 手に持った棒状のアイスは、暖かな陽光を受けて溶け出しているのに、相沢さんのアイスは――
 
 がぶり、と。相沢さんは4分の1ほど残ったアイスを“食べた”
 
――成程。
 私は舐めているから、それでアイスが温まった、と。まぁ、あのような食べ方は私の流儀に反しますが。
 ですが、急がないと着物に溶けたアイスが――背に腹は、変えられませんか。
 相沢さんがするように、がぶり――いえ、かぷり、とアイスを食べる。相沢さんの顔色が悪くなったように見えるのは何故でしょう?
 
 とかく、人の行き交う商店街。
 な、ながれといいますか、その、相沢さんと未だ腕を組んだまま、あ、天野美汐、た、只今逢引中です。
 
「どした天野?顔が真っ赤だが」
「いえ別に」
 
 にやーっと笑う相沢さんは、もしかして――気付いたのでしょうか。
 あぁ、もう。アイスを食べるのに集中です。えぇ、そうすれば他の事なんて――
 
「あ、天野、口元にアイスついてるぞ?」
「え?ど、どこですかっ?」
 
 ハンカチを取り出して、慌てて口元を拭おうとして――お、お化粧してるんでしたっけ、は、はぅ、どうしましょう――?
 これはもう一生の不覚と言って差し支えな――
 と、私の心情なんてお構い無しに、唇の右端を、そっと相沢さんの指が触れ、
 
「嘘でした」
「う、そ――?」
 
 うそ。USO。嘘、嘘ですかっ?!
 それは、つまり――
 
「エイプリルフール、って事」
「――っ」
 
 顔が引き攣ったのを自覚。そう、嘘ですか。嘘なんですか。悪戯ですか。
 
「――、では私は今、非常に怒っています」
 
 うふふふふ、と微笑みながら。
 えぇ、そうです。“私は今、非常に怒っているのです”
 相沢さん、どうしたんですか、そんなに怯えて。
 
「え、エイプリルフール、だよな?」
「さぁ?ただ、“私は非常に怒っているのです”嘘か本当かは分かりませんけれど」
 
 にっこり笑って。相沢さん、因果応報と言う言葉、知っていますか?
 
「――ゴメンナサイ」
「相沢さん?どうして謝ったりするんですか?」
「いや、ちょーっとからかいすぎたかな、とか」
「大丈夫ですよ、“私怒ってなんかいませんから”」
 
 ぐ、と相沢さんが詰まる。あ、なんだか相沢さんが良く私たちをからかう理由が分かった気が。なんだか、これ、結構――
 
「あー、天野さん?ぬ、ぬいぐるみとか好きですか?」
 
 きゅぴぃん。と。
 美汐の目が光った。
 視線の先には、確かに。ぬいぐるみが陳列されたウィンドウが。びく、と祐一が一瞬祐一が身構える。
 
 
 曰く。
 
 
 あれは獲物を追うハンターの目をしていた、と。
 
 
「相沢さん」
「ど、どうした?」
「私はぬいぐるみなど興味がありませんがしかし私といえど健全な女子高生でありいえ、だからと言ってぬいぐるみが好きだとか可愛いものが好きというわけではございませんがしかしですねそう、相沢さんが普段おばさんくさいなどというから女子高生が好みそうな物ということでこのぬいぐるみを私は見たいと思うのですがこれは断じて可愛いものが好きというわけではありませんからソレをお忘れなく、さぁ、では、参りましょう」
 
 美汐が往く。腕組みをしたままだったので、絶句、続いて苦笑する祐一を引きずって。
 空は快晴。夕焼けにはまだ早い―――
 
 
 
 
 きらきらと。美汐の目が、輝いていた。
 そう、ポーカーフェイスでありながら、その目だけは、まるで玩具を目にした子供のよう――間違いは、ないか。
 商店街には不似合いな、その大きな店は、ぬいぐるみの専門店――まぁ、つまり。ぬいぐるみの、山、山、山。
 猫犬うさぎからゲームの、漫画の、アニメのキャラクターから魔物、更に果ては本物の1/2サイズの「家」とか。
 
「こんなん買ってどうするんだよ……つかどこに置くっ!?」
 
 祐一の鋭い突っ込みは、しかしキラキラ瞳のみしおちゃんには届かない。
 ふらふらと手身近にあった犬のぬいぐるみの山の前まで行き、
 
 だきっ。
 
 ぬいぐるみを抱きしめて――
 
 
 
 
 
 
 
 抱きしめて―――
 
 
 
 
 
 
 
 
 抱きしめて。
 
 
 
 
 
 
 
 
「相沢さん何をぼんやりしているんですか?まさかぬいぐるみに魅せられているとかですか?」
 
 いや、お前な?と地面に膝をつくほどに祐一が脱力。無理もない。
 しかし、美汐の興味は次の山――羊のぬいぐるみの山へと移行。
 はぁ、と祐一は溜息をつきながら――美汐のことは、とりあえず放置しておくことにした。
 無駄に広い店だ、周囲には子供から老人まで意外に年層広くかなりの数の人がいる。はぐれない様、天野の傍で暇を潰すか、そう思い、手近の山――猫のぬいぐるみを手にとってみる。
 
 名雪への土産――は、まぁ、今度だな。
 
 だって、これは天野とのデートなわけで。デート中に他の女への土産なぞ、いくらなんでも男として最悪だろう。
 白と黒の猫。どっかで見たような?首を傾げつつ、山に戻して、美汐の方を――見て。
 
 狐のぬいぐるみを。俯き加減に抱きしめる美汐で、視線が止まる。
 
 吹っ切れてないんだな、と。少しだけ、悲しくなった。
 いや、帰ってきたのは真琴で。彼女にとっての妖狐ではなかったのだから、それは、仕方のないことなのかもしれないけれど。
 
「あーまの」
 
 敢えて軽い調子で呼びかける。
 ぴく、と美汐が反応し、狐のぬいぐるみを置いた。
 くるり、と振り返った美汐の表情は、完全なる、ポーカーフェイス。
 
「どうかしましたか、相沢さん」
「それ、欲しいか?」
 
 もしかしたら。天野がぬいぐるみを好きなのは―――
 そんなことを考えながら、聞き、けれど美汐は一度そのぬいぐるみに目をやって、
 
「いえ――いつまでも、引きずっていていいものではないでしょうから」
 
 儚げに、それでも、美汐は微笑み、言った。
 
「私は、あの子のことは忘れませんが――もう、引きずらないと、誓いま――いえ、“誓いません”」
 
 今日は、エイプリルフールですからね、心の中で、美汐は呟き。くしゃり、と。頭を撫でられた。
 
「強い美汐にご褒美だ」
「え?」
 
 頭に手を置かれたまま、見上げた相沢さんの表情は――笑顔。優しい、笑顔。
 
「ぬいぐるみ、どれでも一つ、プレゼント」
「本当ですかっ!?」
「嘘」
 
 …………。
 
「“嘘”が、“嘘”だって」
 
 苦笑する相沢さん。ですが、性質が悪すぎです。
 などと思いながら、それでも美汐は幸せ満面。
 近くの山に走り出そうとして――その前に。
 
「どうして、ですか?」
「ん?」
 
 聞きたい、事があった。
 
「どうして、私と、デートをしようと思ったんですか?」
「――」
 
 黙って先を促す相沢さんに。
 
「同情ですか?私が、私だけ、まだ、立ち直れていないからですか?」
 
 それは。あの。冬の日に起きた奇跡の数々。
 けれど、私が立ち直れていないから、それで?それで、デートをしてくれているのですか?
 聞くのが怖くて。
 聞かないのが怖くて。
 知らないのが怖くて。
 知ってしまうのも、また怖い。
 
 
――それでも。聞きたいと、思ってしまった。
 
 
「少なくとも。俺は。好きな奴以外ともデートする。どんな理由が無くても、な」
 
 
 そう言って。笑いながら、肩をすくめる相沢さん。
 エイプリルフール。
 半分嬉しく、半分恨めしいですね。
 
 きっとこれ以上は聞いても無駄でしょうから。
 
 ふぅ、と溜息一つ。どんなぬいぐるみがいいでしょうか?
 
 上げた顔は、キラキラと輝いていた。
 
 
 
 
――――4
 
 
 
 
―――そして。
 
「――相沢さん、えっと、今、何時でしょうか?」
「あー、11時半、だな」
 
 祐一が腕時計を確認し、告げる。
 そろそろ真夜中といってもいい時間。ようやく、二人は店を出た。というか、追い出された。営業時間は11時までなのだから、まぁ、仕方がないことではあるのだが。
 祐一からのプレゼント――美汐の着物姿に良く似合う、愛らしい子犬のぬいぐるみを腕に抱き。ちょっとぎこちない笑顔を浮かべて。
 
「あ、相沢さん?“私はぬいぐるみが好きですから”」
「ああ、よっく分かったよ、天野」
 
 はぅ、と呻く美汐の頭を、祐一が撫でて――更に美汐が真っ赤になった。
 エイプリルフールも直終る。二人は夜道を帰宅中。
 夜空には星が瞬き、街灯が道を照らす。
 
「あ、そうだ」
 
 ぽん、とばかりに手を打って。相沢さんが、一つ頷いた。
 
「なんですか?」
「いや、ちょっと時間あるか?」
 
 言われて、考える。時間も時間。早く帰るには越したことはないにせよ、今まで延々とつき合わさせた相沢さんの誘いを断るのは、人として不出来でしょう。
 大丈夫です、と一つ頷くと、くるりと相沢さんは踵を返し、
 
「こっち」
 
 そう言って、歩き出す。
 楽しげな相沢さんに、何処へ行くのですか?などといっても無駄なこと。それくらいは、分かるつもりです。
 だから、私は無言で従い――そして、今日の始まりの場所についていた。
 ざぁ、と桜の木が風に揺る。
 
「夜桜。綺麗だろ?ここ、冬も綺麗だけど、俺は春の夜景の方が好きかな」
 
 寒くないし?と笑って言う相沢さん。
 
 月明かりは、朗々と。
 
 青白い月光を受け、桜の花が紫に。噴水を囲むようにして、神秘的に咲き誇る。
 
「どうだ、天野?気に入ったか?」
 
 相沢さんの声が聞こえる。
 私は、ただただ頷いた。
 
「あーまの」
 
 相沢さんが呼びかけて。私がそちらを向くと、カシャリ。
 
「まぁ、実物には劣るけど――こうして残しておきたいからな」
 
 悪戯っぽく微笑んで。相沢さんの携帯画面には、私と噴水、それに夜桜。
 見て、そして自分の姿を見下ろせば。
 私の着物も、薄紫。
 ざぁ、と風が吹き、花びらと、私の着物を舞わせ、振袖をはためかせる。
 
「相沢さん、これからはもう嘘をつかないでくださいね?」
「いいや?俺は“嘘をつく”ぜ?」
 
 相沢さんは、やはり笑ってそう言いました。
 
「そろそろ、か」
 
 小さな小さな、呟き。私が聞き取れたのは、ただの偶然。
 相沢さんが、どこかを見て。私もつられて――噴水公園の時計を見ると、11時、49分。
 確かに、そろそろ帰らないと。
 
 ですが。その前に。
 
 カチと。分針が一つ動いた。同時に、私は唇を開く。
 
「相沢さん、一年以内に。私と結婚するつもりがありますか?」
 
 卑怯だ、と誰かが言った。
 
「――あぁ、勿論」
 
 ゆっくりとした動作で振り返り、相沢さんは、おどけるように両手を広げて、笑う。
 読めない。相沢さんの心が、読めない。
 強いて言うなら、その笑顔は――酷く、穏やかな、ソレでしょうか。
 
「言いましたね?」
「あぁ、言ったが?」
 
 ふ、とひとつ息を吐き。
 
「あの時計、十分遅れているんですよ、つまり――」
 
 へぇ、と少しだけ。相沢さんが驚いた顔をして――苦笑する。
 
「嘘をつく、って。昨日、言っちまったしな」
 
 参ったよ、天野。そう言って、再び両手を広げる相沢さん。
 
「――ですけど、フェアじゃない。だから、相沢さん。まずは恋人から、はじめませんか?」
 
 相沢さんが、きょとん、とした顔になり――そして、笑った
 
「かぁーいーなー、みしおんは」
「な、みしおんってなんですか!?」
「みしおんはみしおん。みっしーの方がよかったか?」
「どちらかといえばみっしーの方が――って、そうではなくっ!」
 
 はっはっは、と笑う相沢さん。
 
「ところで、あの時計が遅れてるっての、誰から聞いた?」
「?栞さんからですが?」
 
 あぁ、なるほど。と相沢さんは頷いた。
 
―――あ、れ?
 
 考える。今の口ぶり。この時計が遅れているのを、私自身の知識ではなく、誰かから伝え聞いた、それを前提とした質問。
 まさか、いえ、でも――
 そして振り返ってみて、気付く。携帯のディスプレイ、あれは、確かに正確だった――
 だとするならば。“そろそろだな”帰る時間が?それとも―――?相沢さんのさっきの答えは、
 
「相沢さん、もしかして、相沢さんは――」
「さ、帰るぞみっしー、明日、じゃなくて今日の放課後は恋人になっての初デートだ」
「だからみっしーは止めてくださいと、て、は、はつでーと……」
 
 美汐の顔が真っ赤に染まる。
 
 夜でよかった、と祐一は思う。こんな真っ赤な顔、見られなくてすんだから。
 
 月明かりは朗々と。
 エイプリルフールは終り、さぁ、次は、嘘のない、デートをしよう。