夕日が山にかかり、だんだんと辺りは暗くなっていく。
 
 時折強く吹く風で川面が波立ち、草木が揺れる。
 
 自転車が一台、川縁の遊歩道を走る。
 
 二人からは、同じ口笛。
 
 同じ笑顔。
 
 
「もっと速くならないのー?」

「こっちはもう何時間こいでると思ってんだ…?」

「まだとーたる三時間半、ってとこ?」

「お前、歩いてた時間忘れんなよ…」

「その分休んだでしょ」

「大体道あってんのか? っていうか目的地分かってんだろうな?」

「大丈夫だいじょーぶー」

「はぁ…ま、迷ってないならいいけど…っと!」


 気合を入れ直し、速度が上がる。
 

「わっ、わっ」

「本気で行くぞ、優」

「うん」


 優は肩をしっかりと掴み、体を前に預けて目を閉じる。
 
 そして再び口笛を、アップテンポで吹き始めた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 10分後。
 

「ぜぇ…ぇ…あぁ…はぁ…」

「え〜〜〜っと〜〜〜…お疲れ?」

「お…つか…れ…」

「ここからもうすぐだから、降りて歩いてく?」

「いや…もう…ちょっと粘る…後どれくらいだ…」

「次の橋で左に曲がってすぐのところ」

「OK、とっとと着いて、休もうぜ」

「大丈夫? たっくん」

「今さら心配しても遅いっての…どうせ帰りも漕ぐんだ、ちょっとくらいかわんねーよ」

「そーだねー」

「だからお前が言うなっての!」


 ほえ、という顔をした後で優は笑い出した。
 
 結局二人して笑った。
 
 いつの間にか川沿いの家が途切れ。
 
 二人だけが薄闇の中に浮き上がった。
 
 いよいよ川と別れを告げ、彼らは目的地に近づく。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「で」

「で?」

「ここがそうか」

「ここがそうだよ?」

「…何にもないな」


 自転車を止めて辺りを見渡す。
 
 
 なぜかぽっかりと空いた暗闇。
 
 森の中でも、丘の上でもないのに開けた土地。
 
 優は慣れた動作でひょいっと降り立った。


「何にもないから選んだんだよ、言ったでしょ?」

「ああ、すっきりさっぱり見事に何にもない、原っぱだ…なんでこんなとこがあるんだ」

「ほんと、近くにないからすっごい捜したんだよ」

「それにしても遠いだろ…」

「自転車で一時間半は遠くないと思うけど」

「街中で大抵のことが足りる人間には遠いんだ」

「たっくん家旅行しないしね」

「全員趣味じゃないし」

「楽しいのに…」


 そう言うと、優は原っぱの真中まで走っていき、そのままごろんと転がって大の字に寝そべった。
 
 
「んー…気持ちいい…」

「ちっ、先にやられたか

「早い者勝ち早い者勝ち」

「負けてたまるか」

「もう負けてるよー」
 
 
 
 
 
 
 
 




 風が草をなでる音だけが聞こえる。
 
 二人は左右に同じ格好で、ただ上だけを見つめていた。
 
 
「今何時?」

「あー…7時半、まだか?」

「8時ぐらいからだから、後ちょっとだね」

「了解、一応言われたとおり懐中電灯持ってきてるけどつけとくか」

「うん、でも始まったら消してね」

「へいへい、月も無いし、もうすぐ真っ暗になるか」

「そう、月が無いから今日はうってつけなんだよ」

「へぇ、月が無いのがいいのか」

「いいの」

「変なとこにこだわるのな」

「変じゃないのに…」


 少しだけ会話が止まる。
 
 でもそれは前振り。
 
 互いが互いを知り尽くした間。


「ま、楽しむとしますか、流星群」

「流星群、楽しみだよね…」












 形作り












 それは松原辰也にとって普通の金曜日だった。
 
 朝、隣りの家の松田優17歳幼馴染が出てくるのを待ち、自転車に乗せて登り坂を越え、余裕を持って学校に到着。
 
 同じクラスの別々の席につき、それぞれの友人との話に興じる。

 午前の授業はノートだけはきっちり取り、話は上の空。前の席の友人と余裕を見ては遊ぶ。
 
 昼休みには部室で購買のパンを食い、午後の授業は腹の膨れに満足して寝る。
 
 そして放課後友人と共に将棋部に顔を出す。
 
 全く普通の金曜日だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「文化部にも華が必要だっ!」

 パチ

「だが引き受けてがいない」

 パチ
 
「捜せばきっといるはずだ!」

 パチ
 
「綺麗どこはもう運動部に全部確保されている」

 パチ
 
「お前彼女いるしな!」

 パチ
 
「それはそれ、これはこれ。後詰みな」

 パチ
 
「ぬがーーーー! やはり彼女パワーか、彼女がいるからかっ!! この力の差は!!!」

「なんだよ…それ。おい、タツ、この馬鹿をどうにかしてくれ」

「メンドイです」

「けっ、お前だって彼女いるからだめだだめだ、俺は独身貴族の会を作る!」

「といってるが、タツ」

「優は妹のよーなもんで、そういうんじゃないですって」

「うむ、いつもどおりの返答、これがないとここに来た気がしない」

「副部長…そこで暴れてる部長止めてくださいよ」

「ぬぉーーーー!!! 幼なじみで毎朝一緒に登校して出席番号が前後であれだけ可愛いのに彼女じゃないとかぬかすその口、今日こそ叩き割ってくれる」

「口をどうやって割るんですか…」

「じゃ、もう一局指して俺に勝ったらタツを好きにしていいってことで」

「やったらーーー!!!」

「好きにしてください…」


 これもいつもの風景で。
 
 部長が副部長に勝てないのもいつものことで。
 
 達也は持ち込んだ本を読み、ついでに置いてある一週間分の漫画も読む。
 
 さらに文化部棟の他の部室に顔出しをし、時間を潰して。
 
 そして下校時刻になると友人達と別れ、自転車置き場で優が来るのをのんびりと待つのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 松田優は普通に金曜日を過ごしていた。
 
 朝、隣りの家の松原辰也17歳幼なじみ、に自転車に乗せてもらって余裕を持って登校する。
 
 クラスの違う辰也と別れ、自分のクラスで友人達とおしゃべりをして。
 
 昨日の夜夜更かししたので午前中は完全に沈没し。
 
 かといって起こされて屋上でお弁当を食べた後の午後の授業も、考え事をして余りノートは捗らなかった。
 
 そして放課後は合唱部で思いっきり歌う。
 
 普通に、過ごしていた。
 
 
 
 
 
「さっ、ゆー、愛しの『たっくん』がお待ちかねよ」

「そんなんじゃないよー」

「もうその台詞もこれで6年目じゃない?」

「そうそう、幾ら後押ししても進展しないから」

「これまでも色々セッティングしたのにねー」

「だからー、たっくんは弟みたいな…そんな感じ? うん、そんな感じ」

「誰も聞いてないわよ」

「はいはいごちそうさま」

「相変わらずねぇ、ていう優がお姉さんってあり?」

「あはは、無い無い、明らかに優が妹妹」

「うぅー、凄く失礼な事言ってる…」

「ほら、松原いるよ、皆もからかわないで」

「うん、じゃーまたあしたねー」

「また明日ー」

「ばいばいー」












 合唱部の他の部員と別れ、優は辰也の所へ小走りでやってきた。
 
 周りの自転車をふわふわした足取りでかわしているのが危なっかしい。
 
 その勢いでくるっと回転して綺麗に達也の自転車の荷台に納まった。
 
 
「10.0」

「待った〜?」

「今来たとこ」

「うん、待たせてごめんね」

「行くぞ、掴まれ」
 
「おっけ〜」


 いつも通りのやり取りを終え、二人は家路に着く。
 
 夕日に向かって坂をのんびりと下る。
 
 優は後ろで最近のお気に入りの曲を口ずさみ。
 
 辰也はそれに合わせて口笛を吹く。
 
 辰也が好きな曲を吹けば。
 
 優はそれに合わせて、うろ覚えの歌詞を口ずさんだ。
 
 ゆっくりと進む二人を誰もが目を止めて見届け。
 
 一日の終わりだと、実感する。
 
 そんな日常。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「到着」

「お疲れ様〜」


 辰也は思った、今日は何も自分から言っておくことも無い。

 ならば、優は自転車から降りたらいつもの様に「明日もよろしくねー」と言って家の中に飛び込んでいく。
 
 それを見届けてから家に入るんだ、と。


 そうなる、はずだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 一向に声がしないので振り返った。

 彼女はその場で突っ立っていた。

 その顔つきが余りに、真剣だったので。
 
 辰也は声をかけるのを躊躇った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「あ…あの…ね?」

「ああ…」

「そ…その…あ…あっ…あ…」

「落ち着け、とりあえず落ち着け」


 ようやく言葉を発するまで一体どれだけ経ったのか。
 
 短いはずなのに、長い永い時間が過ぎた気がした。
 
 時計を見たかった。
 
 
 
 見れるわけなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 息を吸って
 
 吐いて
 
 のの字を飲んで
 
 意味も無く回転してしゃがみこんで頭に指を当ててそこからジャンプして
 
 ようやく戻って来た。
 
 
「あのね、明日、一日私と」

「…あぁ」

「付き合ってください!」

「…いいけど?」

「うん、それだけ! それだけだからー!!」


 言い切るや否や優はダッシュで家の中へ突っ込んでいった。
 
 一人、残された辰也はぽつり、とこぼした。
 
 
 「…何時何処に行くんだ?」












 それから三時間後、優から明日についてのメールが送られた。











「あー…あー…いっちゃったぁ…」


 自分の部屋に入ってようやく一息ついた。


「すごく不自然だったし…やっぱり上手くいかないよねー…」

 
 ばふっ、とベッドに飛び込みクッションに顔を埋めた。
 
 ふとカレンダーを見上げて、印のついた土曜日に目をやった。
 
 
「…だめだね、私…」


 そういうともう一度顔をクッションにやり、だらしなく寝そべった。
 

「こうでもしないと出来ないんだ…でもたっくんだって悪いんだから…」





 集合時刻も行き先も彼に告げていない、ということに気付いたのはそれから3時間後だった。
 














 いい天気だった。
 
 初夏の日差しが眩しくて、一度開けたカーテンを慌てて閉める程に。
 
 窓の向こうがお互いの部屋、何てファンタジーなことは無かったが、優はもう一度カーテンを開けなおすと隣りの家を見つめた。
 
 小さくおはようと呟くと、気合を入れてタンスに向かった。
 
 
 
 
 
 昨日より熱くなかった。
 
 パジャマの汗が気にならないのはいいことだ。
 
 眠い目をこすりながら今日の予定を思い返し、辰也は気温に感謝した。
 
 さて、何をするか…と思案した結果、自転車の鍵をどこに置いたか記憶を探ることにした。
 
 



 今日は土曜日だ。

 風が少しばかり強い。












「遅いな」


 時刻は11時。
 
 辰也はもう一度、今日の天気に感謝した。
 
 愛車のタイヤに空気を入れ直すために持ち出していた空気入れを片付け、本を読み始めた。
 
 待つのには慣れていた。
 
 休日に出かけるのに誘うのもいつものことだ。
 
 
 
 
 
 明らかにセットにされている辰也と優は校外では男女のグループから少し外れた場所にいる。
 
 セットと見られることに別に両者抵抗もなく、二人で遊びに行くのも恥ずかしくも何ともない。
 
 恥ずかしい恥ずかしくない以前に、全く当然の事のように二人はやってきた。
 
 
 
 誘うのは辰也、考えているのは優。
 
 あまり自分から切り出さない優の意図を汲んで辰也が持ちかける。
 
 予定を立てるのは優の役割。
 
 肉体労働は無論男子。
 
 自転車は代替わりしても変わらない乗り手。
 
 口笛を吹くのは辰也で歌を口ずさむのは優。
 
 どこからどう見たってお似合いの二人、とはこの二人だと言われ続けてきた。





「あれ、そういえば…いつ誘ったっけ? 今日」


 ドアの開く音がする。
 
 小走りで外に出てきた優が
 
 
「待った?」


 いつもより綺麗に見えて
 
 いつもの返事が出来なかった。















 駅近くのデパート。
 
 一通りのショッピングを終え、広場のベンチで軽い食事を取ることになった。
 
 
「今日は私持ちでいいよ」

「へ?」

「だから、今日は私が持つの」

「いや、何を?」

「だーかーらー」

「何か変なもん食っただろ」

「人の好意を無駄にしちゃ駄目だよ」

「大体金あるのか? いつも俺に集ってんのに」

「集ってないよ、ちょっと借りてるだけだし」

「変わらないって、で?」

「昨日臨時収入があったから大丈夫」

「ふーん、昨日、ね」

「それにたっくんお金持ちだから」

「日々の努力の賜物だ」

「使ってないだけなのに」

「使い所が本しかないし」

「だからいつものお返しで、今日は私が持ちまーす!」

「全然繋がっていない」





 テイクアウト。
 
 
 余り人の寄り付かないデパート裏のベンチでのんびりと頬張る。
 
 コーラがいつもよりさらに薄いように辰也は感じた。
 
 右を見る。
 
 
「おい、鼻」

「鼻?」

「鼻、鼻の上」

「マヨネーズついてる」

「んー?」

「はいはい、ちょっと待ってろ」


 ティッシュを取り出すため、優の鞄に手を突っ込む。
 
 
「ほれ、こっち向いて」

「ん」


 ハンバーガーを頬張りながら顔を近づける。
 
 ティッシュを当てると、丸で子犬に水をかけたみたいに首を振った。
 
 
「…そうしてると何にも変わんない」

「何?」

「お前は優だな」

「変なたっくん」

「…変なのは俺の方か」


 くしゃくしゃに丸めて、ゴミ箱へ放り投げる。
 
 
「やべ、ポテトまで味がしない」


 風に流されて外れた。















「なぁ、ほんとに行くのか?」

「そうだよ、地図もちゃんと準備してきたし」

「全く、準備がいい」


 いつから用意を始めてたのか、今日の予定はスムーズすぎる。
 
 辰也は途中疑問を感じていた。


「そこまで行くために今日は色々早めだったんだな」

「当たりー」


 時間は五時。
 
 まだ夕方と呼ぶにはあたりは明るかった。
 
 昼を食べてから、ゲームセンター・本屋・喫茶店と回るパターンはもう何度目か分からない。
 
 普段ならどこかでもたついてもう六時になっているはずが、途中で優が必ずキリをつけていた。


「あー、調子狂う」

「大丈夫?」

「体調じゃない、何でかは分かってるんだけど」

「じゃあよろしくねー」

「はいはい、理由くらい聞いてくれ」


 自転車を漕ぎ始める。
 
 目的地は駅から家を挟んで反対側。
 
 いつもよりかなり遠く離れた場所。
 
 初めて行く場所。





「なぁ、何でそんな今日はくっついてるんだ?」

「なんでだろーね?」

「こっちが聞いてる」

「うん…何だか、こうしてたい」

「そっか」


 普段よりしっかりと辰也にしがみつく。
 
 目的地が近づくたびに、なぜかこのままつかないで欲しいな、と優は思った。
 
 このまま自転車でずっとどこかに行きたい。
 
 辰也が口笛を吹き始めた。
 
 遅れて歌を。
 
 一番好きな曲を。
 
 
「…やっぱり、だめ」


 ささやきは風に飛ばされて。
 
 前に届くことは無かった。















 風が無くなってきた。
 
 段々と暗くなっていく。
 
 そう、暗く、暗く。
 
 草むらを時折風がなでる音が、やけに、耳につく。
 
 つけていたライトの光量を絞る。
 
 二人はじっと、寝転がって上を眺めていた。





「曇…だな」

「うん」

「見えるのか?」

「うん」

「知ってたろ」

「うん」

「何でここに来たんだ?」





 元より新月の夜。
 
 余計に周りが見えなくなっていった。
 
 その中で、優の白い服だけが。
 
 



「今度ね」





 一息。





「今度、ね」





 もう一つ。







「引っ越すんだって」




 何かを言おうとしたが、辰也の唇は固まったままだった。




「その前に、どうしても伝えたいことがあったから」





 強い風が吹き抜けた。
 
 手を顔から離した時、辰也の横には優はいなかった。





「言うね?」

「ああ…」

「私、たっくんのことが、好き、大好き、誰よりも好き、ずっと好きだったの」





 暗闇の中、一人だけ静かな白さを携えて優は辰也を見下ろしていた。

 辰也は、顔を上げて彼女を見つめていた。






「付き合って…ください」





 雫が音も立てずに下に落ちた。

 もう風は吹かなかった。




















 一台の車が、道路脇に止めてある。
 
 男女が一組、原っぱに寝転がっていた。
 
 寝転がって空をじっと眺めていた。
 
 二人の空間が広がって、辺りを、空を、星すらも。
 
 
「久しぶり、だ…」


 辰也はゆっくりと頷いた。
 

 返事は無かった。





 本当に綺麗な夜空だった。
 
 月が無い分、星がはっきりと。
 
 何分こんな場所はもうほとんど残っていない、静かな空き地。
 
 
「今なら分かるな、これは確かにいい場所だ」


 辰也はもう一度頷いた。
 
 
 返事は無かった。
 
 
 
 
 
「何か言ってくれ」

「何で振ったの?」

「また直球だな、その質問は」





 今日は平日、水曜日だ。












「ほんと、何で振ったのかな」

「まさか理由も無しに振ったの?」

「いや、あると言えばあるけど」

「じゃあ教えなさい、さっさとね」

「そう言うなよ、由宇」

「辰也の事を知りたいから」

「…そういうことをさらっと言うなよ」

「じゃあ何を言えばいいの?」

「普通にしてくれ」

「さっきのが私の普通なのよ、わかる?」

「身に沁みて理解してるよ」

「嫌?」

「悪くない」

「素直に好きって言えばいいのに」

「後で言うよ」

「で、何で振ったの?」












「ごめん」

「…」


 風は無かった。
 
 ただ、涙は止まらなかった。
 
 
「それは出来ない」

「うん、そう言うと思ってたよ」


 優の涙は止まらなかった。
 
 ただ、表情はいつもの様に笑っていた。
 

「遠いのか?」

「海の向こう」

「それは遠いな」

「九州だけどね」

「どの道遠い」

「会いに行くって行ってくれないんだ」

「彼氏じゃないからな」

「そうだよね、うん、そう言うと分かってたよ」


 辰也はその顔を、しっかりと見つめていた。
 
 目を逸らしたくなかった。





「あーあ、やっぱり振られちゃった」


 クルッと回転すると、もう一度あお向けに寝転がった。
 
 
「ほんとね、二週間前からずーーーーーーっと考えてた、こんな事になる前に言っとけば良かったなーって」

「そうだろうな」

「それで、丁度流れ星が見れるから、それと一緒に言おうかなって」

「お前らしいな」

「ちょっと少女漫画の読み過ぎかな…曇ってても大事なところでは晴れたり、そんなの願っちゃった」


 雲の向こう側に、流れ星があったとしても。
 
 
「はっぴーえんど、だったら良かったのに」

「そうかもな」

「自分で振っておいて冷たいー」

「悪い」

「でも、謝らないでね」

「じゃあもう言わない」

「うん」


 もう終わった恋は、戻る事は無い。










 二人は頭を互いにつき合わせる形で寝転がっている。
 
 優は顔を拭わなかった。
 
 
「流れ星、見える?」

「どうだろうな…」

「見えなくても、願ったら届くかな」

「案外届くかもしれない」

「じゃあ…」



 大きく息を吸って…










「たっくんのーーーーーーーーーーーーーーーーーーばかーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

「ちょっとまてーい!」










「待たないー」

「いや、今の願いじゃないし!」





「たっくんよりかっこいい人見つけて、自慢してあげる」

「頑張れ」

「じゃあたっくんは私よりいい人じゃないと彼女にしちゃダメ」

「まじかよ」

「うん、本気」

「何でお前に彼女の選考までされなきゃ駄目なんだ」

「だってそうじゃないと悔しいもん」





 そう言った彼女の顔にはもう涙の跡しかなかった。





 遠くで何かが光った気がした。












「全然説明になってない、0点」

「綺麗に話をまとめたってのに」

「なんでそんなにいい子だったのに振ったのよ」

「振ってなかったら由宇と逢えてない」


 瞬間、由宇は真っ赤になった。


「あー、赤くなったろ」

「…卑怯」

「自分からはいいのに、言われるの苦手なんだな」

「ええ、そうよ、悪い?」

「いや、悪くない」


 由宇が顔を逆側に向ける。
 
 ぶつぶつと言ってるのを無視して辰也は紡いだ。





「多分…あんまり長いこと一緒にいすぎたんだろうな。お互いにもうお互いを異性として見れなくなってた、と俺は思ってた」

「でも違った、でしょ」

「お互い好きだった、ってのは認める。そういう意味ではあの頃ずっと嘘をついてたことになるかもしれない」


 由宇は黙って聞くことにした。


「でもそういう意味以上に、お互いの事を知り尽くしすぎてた」

「あんまり知りすぎると、逆にその関係を維持したくなるんだ、壊れるのが怖くなる」

「お互いに踏み出せなくなって、そのまま五年前まで来て」

「優の方が切り出してくれて、後腐れなく打ちとめることが出来た」





「ちょっと待って、じゃあお互いに好きだったって知ってたわけ!?」

「勿論、知ってた」

「あっきれた、どうしてそれで付き合わないの」

「ほんとに、今から思うとどうにかしてる」

「私が傍にいたらいたら絶対くっつけようとするわよ」

「ああ、周囲も躍起になってた」





「それじゃあ、初めから振るつもりだったのね」

「あー、ちょっと違う、ほんとは引越しの話だと思ってたんだ」

「引越しも知ってたわけ…」

「ああ、流石に十うん年の付き合いだ、すぐにおばさん…あいつの母から話を聞いてた」

「…」

「それでも張りぼての日常を続けられてたのは凄かったと思うな、我ながら」

「私にはできそうもないわ」

「俺もやれと言われてやれるわけじゃない、それなりにショックだったから続けてたんだと思う」

「そう…」

「嘘を隠すのが苦手なのに、よくもまあ二週間続いたもんだ」

「辰也、ポーカーフェイス苦手だし」

「正直なんだよ」

「素直じゃないけどね」





「あいつも振られるって分かっててやったからな」

「分かってて告白するなんて、馬鹿みたい」

「そうだな、その…一種の『形作り』だ」

「形作り?」





 ああ、と言うと、辰也は上半身を起こした。
 
 そのまま由宇の方を見ずに言った。





「負けると分かった時に、気持ちの整理をつけるためにやるものさ」

「そういうのって私は嫌いね」

「それでもそれが二人には必要だった」

「遠距離恋愛、って考えは無かったの?」

「全然無かった、離れることが、二人にとっての終わりだったから」





 そう、離れることが二人の時間の終わりだったから。
 
 だからけじめをつけなければいけなかった。
 
 絶対詰まないと知りつつも、せめて迫りたかったから…
 

「別に好きじゃない、っていう嘘を外した瞬間、その嘘がホントになった、てとこかな」

「後悔してる?」

「全然、それも約束の内だし」

「ほんとに?」

「ちゃんとあいつよりいい人を見つけた」

「バーカ、二度目は無いわよ」

「嘘じゃないぞ」





 突然再び体を倒される。


「うっ…ん………」


 長く、深い口づけ。


「ぷはっ…」

「嘘なんかじゃないわよ」

「ありがとう」

「礼を言われる筋合いも無いわ、私が好きで、あなたが私を好きなら、問題ない、でしょ?」

「ほんと、その通りだ」

「大学で初めて見たとき、凄い仲のいい幼馴染がいたって聞いたとき、あなたと初めて喋ったとき、あなたと初めて二人きりになったとき、あなたに告白したとき、どの瞬間も私にとって今までに無い感情の高鳴りを感じたわ、ああ、これが恋なのね、って。ええ、あなた結構ファンが多いのよ? 自分では気付けてないでしょうけど、誰も彼女の事を口に出してあなたに近づかなかっただけ、分かる? そりゃ私だってきついかなって思ったし嫉妬もしたわ? でもそれで止まるようなことはしないの、だって」





 一拍置いて、彼女はもう一度飛びついた。





「好きだから」





 今度は辰也からキスをした。












 夜空に流れ星が溢れる。
 
 二人は肩を並べて、それを眺めていた。
 
 雲一つ無い空。
 
 明日の一限は授業が無い。






 流れ星がまた一つ落ちた。





 確かに、約束は叶えたかな、と辰也は感じた。
 
 あれ以降、個人的には連絡を取っていない。
 
 あっちも上手くやっていれば、それは両者にとって幸せだったんだろう。
 
 左側の由宇はぼーっとしている。
 
 全く、優とは正反対の性格だがそれが良かったのかもしれない、だからこそ合った。
 
 彼女といると昔より喋ることが多い、喋らないと伝わらない、と言われるから。
 
 ここに連れて来たのは辰也だった。
 
 優に報告するならここしかない、と思ったからだ。





 ふと、右側を見た。
 
 あの日の涙顔の優が、そこに見えた。
 
 
 
 そういえば
 
 あの日
 
 もし流れ星が見えたら
 
 今隣りにいるのは
 
 優だったのだろうか
 
 
 
 もしそうだとしたら、やっぱりタイミングが悪かっただけなのだろうか。






 振り返る。


「何?」

「いや、やっぱお前の方がいい」

「?」

「だから、大丈夫だ」

「そう、ならいいわ」


 たとえ会話が成り立たなくても彼女の方が好きだと。
 
 今もし会っても胸を張って言える。





 もう振り向かなかった。
 
 どうせ胸の中にいる。
 
 それが消えることはあるまい。





「ねぇ?」

「何?」

「今度…自転車に乗せてくれない?」

「…ああ、いいよ」

「やっぱり、彼女が羨ましいから」


 そう言いながら、由宇はハンカチを辰也の顔に当てた。
 
 辰也は空気入れをどこにやったか考えつつ、あの日の分まで星と一緒に涙を流した。