少女はメールで打ち合わせをしていた。相手は少女の親友で、内容は明日の買い物のことで、その買い物は少女のもう1人の親友と行くつもりで、2人は初対面になるから自分が紹介しないといけなくて。
メールでの打ち合わせが終わったのか、彼女はパソコンから離れ、自室の電話の受話器を取った。慣れた手つきで押された番号は、明日の買い物に誘うつもりのもう1人の親友のものだった。
その狭間の揺れる心は
1.邂逅
夏休み、うだるような暑さが多少はましになるある夜のこと。黙々と宿題をこなしていた楓は自室の電話の音にその手を止めた。ディスプレイに親友の名前を確認して楓は受話器を手に取った。
「もしもし」
『もしもし、馬場さんのお宅でしょうか?』
「梢、私よ」
『あ、楓だったんだ。ねえ、明日暇?』
「うーん、時間は作れるけど、何なの?」
『買い物行こうと思うんだけど、楓も来ない?』
「そうね……いいわよ」
『じゃあ朝の10時に駅前ね』
「分かったわ」
『それじゃ、明日ね』
「ええ」
電話を切った楓はクローゼットに向かった。しばらく服とにらめっこして、明日のコーディネートを決めたら机に戻って宿題の続き。
お出掛けということもあってその日はいつもより早めに切り上げた。
翌日、麦わら帽に白のワンピースといういでたちで楓はいつもの駅前で梢を待っていた。
いつものようにきっちり予定の15分前に到着。持参した水筒のお茶を飲んで一息つき、そして麦わら帽を整えたところで自分に向かってくる少女に気がついた。
(無関係、無関係)
少女は楓と同じく白を基調とした服装をしていたが、服の要所にはフリルがあしらわれ可愛らしい日傘の下には麦わら帽ではなく白のボンネットという、要するにかなり目立つ格好をしていた。
楓は意識しないようにしようとしたのに、あろうことか少女の方から彼女に歩み寄ってきてぺこりと頭を下げられる。
(えっと、確か私は梢と待ち合わせをしてるのよね。じゃあこの子は誰なのかしら? 人違いだったりするのかな。というか注目されたりするの嫌なのにな)
隣に立ってやはり誰かを待っているらしい少女に少々戸惑いつつも、もともと人付き合いが苦手な楓は声をかけることが出来ず、ただ梢が来るのを待つしかなかった。
「楓、美琴、おまたせー」
(えっ、美琴って誰?)
程なくやってきた梢の第一声に楓は一瞬疑問を持った。そして隣の少女を見たら、なんと小さく梢に手を振ってるではないか。
「私が先に来て紹介する予定だったのにゴメンね」
梢の言葉にこくこくと頷く少女。
「梢、私は他に誰か来るなんて聞いてないわよ?」
「あ、言ってなかったっけ? でも私2人で行くなんて一言も言ってないよ」
「そうだけど……」
確かに梢はそんなこと言ってなかったが、今までは大抵2人だったのだから。
「で、この子は誰なの?」
「緋月美琴ちゃん」
「ヒヅキミコト?」
「うん。で、こっちが馬場楓ちゃんね」
続いて楓のことを紹介された美琴さんは先程と同じくこくこくと頷いた。
「ふーん。ま、よろしくね」
正直あまり関わりたくないタイプだったのだけれど。
梢の友人らしくこれから買い物に同行するということもあってとりあえずは普通に挨拶しておくことにした。
美琴さんは最初に会った時と同じようにぺこりと頭を下げたのだった。
梢がとりあえず移動してしまおうと言ったのでまずは電車に乗ることに。
目的地までは2駅だったので乗車時間はそれほど無かったけれど、それでも楓は美琴さんについてある程度梢から聞くことが出来た。なんでも梢の近所に住んでいる私達と同学年の子で、仲がよいこともあって出かける時はいつも梢が付き添っているらしい。
当の美琴さんは2人の話を静かに聞いていたのだけれど、やはりその容姿から視線が集まって、楓としては多少居心地が悪かった。もっともその美琴さんが梢の肩をつつかなければ、話に夢中になっていた2人はそのまま乗り過ごしてしまうところだったのだけど。
「でもなんで毎回付き添ってるわけ?」
「うーん、気付かない?」
駅に降り立った楓は車内の話で一番気になったことを梢に尋ねた。だけど梢は時々こういう風にあえて答えを先延ばしにすることがあって。本人曰く「毎回すぐに答え教えちゃうとつまらないでしょ?」とのことらしいけれど。
(えっと、美琴さんは可愛いから1人じゃ危ないとか、実は持病あるとか、うーん、何か大事なこと忘れてるような……)
楓が考えこんでいると、美琴さんが肩をつついてきた。振り返った楓の前で美琴さんは自分の喉を指差し、次に両人差し指をその前でクロスさせた。
「もしかして、話せないの?」
こくりと頷く美琴さん。
「そ、全く声が出ないわけじゃないんだけどある事情でしゃべれないんだわ、美琴は」
「じゃ、普段はどうやってやりとりしているの?」
『こうやって』
「わっ」
突然目の前に液晶画面を見せられた楓は思わず飛び退いた。どこから取り出したのか、美琴さんは小型の電子辞書のような物を持っていた。
「び、びっくりさせないでよ」
『ごめんなさい』
美琴さんは慌てた表情をしながらも、慣れた手つきですぐに返事を出してきた。
「梢、どっちから行くの?」
何となく居心地が悪くて、半ば強引に話題転換。
「うーん、午前中は北側、午後は南側かな?」
「そう、じゃあ行きましょう」
そう言ってさっさと歩き出した楓。行き先を答えながら、仕方ないなぁと梢にはっきり表情で返されたのが、少しだけ、悔しかった。
(やっぱ美琴より遅かったのはまずかったかなぁ)
梢は楓の後ろ姿を追いながらそう思った。2人ともあまり積極的に話しかける方じゃなくて、楓は人付き合い自体が少し苦手、美琴はそうでもないものの会話手段故に初対面の人には話しかけ辛い。それに楓は頭が固いところがあるから外見から美琴のことを勘違いしたかも知れない。
(ま、これからだよね)
落ち込みかけた自分にそう言い聞かせて、梢は美琴の手を取って楓を追いかけるのだった。
3人が買い物に降りた駅は私鉄2線とJRが通っていて、1区間分の料金で行ける範囲の中では一番お店の種類が揃っている。私鉄2線の駅の北側にはなんとなく若者向けな感じのする(というより小さい子供やお年寄りはあまり見かけない)施設があって、午前中の買い物はこの中でするつもり。ちなみに隣には総合遊戯施設があったり、少し歩けば郵便局やゲーム・アニメ関連のお店もあるけれど、今日はそこまでは行かない。
駅と歩道橋でつながっている2階入り口からエスカレーターで3階へ。降りたところがちょうど入り口となっている外資系レコードショップからまわることにした。
「見事に趣味がバラバラね」
楓がふと口にした言葉に梢は思わず苦笑してしまった。
楓の言う通り、梢はJ-POP(特に女性ボーカルもの)、楓はクラシックやJAZZ、美琴はロックやパンク系統のコーナーで足を止めていた。今は美琴がいろいろと見ているので自然と残りの2人が会話することになる。
「美琴も女性ボーカルとか聴くけどね、そっちは地元で買えるから。こっちの方が品揃え豊富だから色々見てるのよ」
そうこう話している間に一通り見終わったのか美琴が立ち上がった。何も手にしていないあたり、今回は特にめぼしい物はなかったみたい。楓が会計を済ませている間に、美琴はレジ横に置いてあるフリーペーパーの幾つかを手にしていた。
3階と4階の小物や服関連のお店を幾つか回った後、3人は4階の書店に来ていた。幾つかのお店を回っている内に2人がだいぶ打ち解けたこともあって、梢の気分も幾分か楽な物になっていた。
音楽とは違い、本に関しては女の子同士ということもあってか漫画やライトノベルのコーナーではかなり話が弾んで。他にも楓がいつものように学習参考書や法学関連の本を見て回ったり、美琴が詩集や教育関連の本まで見ているのに楓が驚いたり。その様子に思わず吹き出して楓に睨まれてしまったりもしたけれど、正反対のような、それでいて似たもの同士のような2人がこうやって打ち解けていくのを見ていて梢はなんだかとても心地よかった。最後の雑誌コーナーで美琴がゴシックロリータの手芸本を見ていた時の楓の表情は、苦笑しているようでどこか暖かみがあったような気がした。
書店を出た頃には午後1時を過ぎていて、昼食を取るにはちょうどいい時間になっていた。
「さてと、そろそろお昼にしようか」
エスカレーターで地階の飲食街に向かいながら梢は2人に話しかけた。
「そうね、今日はどこにするの?」
「それは美琴が決めてるみたいなんだけど……エスカレーター降りてからね」
美琴なら慣れているだろうけれど、それでもエスカレーターに乗りながらわざわざ液晶で会話したりするのはやっぱり大変だし危ないと思うから。
地階に着いて、もう一度美琴に行き先を訊くと、美琴は液晶じゃなくてお財布を取り出して1枚の紙を取り出した。
(あー、そういえば美琴ってそうだったわ)
それはお好み焼きのお店の割引券。2人の様子を気にしていて梢は忘れていたけれど、美琴は割引券を使うのが好きだった。
目の前の鉄板に油が敷かれ、生地や具がいい音を立てている。そんな様子を見ながら楓は午前中の出来事を思い返していた。
美琴さんは思ったよりずっとしっかりした人で。声にこそしないが店員さんにもしっかりとお礼をしたり、後ろに人がいる時は扉を腕で支えたまま来るのを待っていたりと、自分勝手な一部の同級生達どころか下手な大人よりも人間がちゃんと出来ている。
(やっぱり人を見た目で判断してはいけないわね)
最初は梢も何考えているんだろうと思ったが、やはり楓のことをよく分かっている。美琴さんみたいにちゃんとした人とは割と相性がいいのだ。一緒にいると視線が集まるのが少し難点だけど。
4人席の向かいに隣同士で座っている梢と美琴さんの食べている様子を眺めるのは結構面白かった。梢はいつものように豪快に、お皿を持ってかぶりつくように食べている。行儀がいいとは言えないけど、その食べっぷりは見ていて気持ちがいい。一方の美琴さんは、お皿に取った分をお箸で少しずつ切りながら丁寧に食べていた。その様子がとてもかわいらしくて、隣の梢の食べ方もあってとても女の子らしい。楓自身は美琴さんに近い食べ方をしていたけれど、多分あんなにかわいらしくは見えなかったと思う。
「ところで」
ドリンクの残りを飲みながら、楓は気になっていたことを尋ねることにした。
「どうして私も呼んだの? いつもは2人なんでしょ」
「あー、それはね」
『なんとなく。気になったから。』
美琴さんは膝上で液晶端末を叩いて見せてくれた。
「なんとなく?」
「美琴と私の家近いでしょ。前に楓が家まで来たのを窓から見てたらしくて、楓のこと話したら会ってみたいって。ほら、美琴って普通に話せないから」
「そう。で、その服装は?」
「美琴の普段着」
「は?」
あまりにもあっさり返されてかなり間抜けな返事をしてしまった。
「だから、美琴の普段着だってば」
「それは聞いたわよ。聞いたけれど……」
確かに梢はそう言ったけれど、それに美琴さんには失礼かもしれないけれど。こんなフリフリの服が普段着と言われてもちょっと信じられない。
「えーと、つまりいつもこんな感じの服を着ているの?」
「だからそうだって」
『そうですよ』
「変な目で見られたりしない?」
『慣れてますから』
そう返してくる美琴さんの表情はとても落ち着いていて、それが逆に楓の不安をあおる。
「そう、ならいいけど……」
『嫌ですか?』
「えっ、あ、えっと……」
読めない。多分本当に慣れているのだろうけれど、いきなり突っ込んだ切り返し方をされたのでかなり戸惑った。こんな人、今まで会った中にはいなかったし。
「私がちょっと、目立ったりするのが苦手だったりするから……ちょっと梢、何笑ってるのよ」
「いや、楓がうろたえるのって珍しいなと思って」
それはそうだけど、何も笑うことはないんじゃないかなって思う。まあ、楓も梢に逃げたわけだからいいけど。
「想像してた感じとは違ったでしょ。お馬鹿さんに見られがちだけど、ただ流行に乗っかって馬鹿やってる人達よりはよっぽどしっかりしてるからね。そうじゃなきゃ普段着でこういう服着ないと思うし」
「え、ええ……」
「ま、楓が気にしてるのは一緒にいると変な目で見られないかどうかだろうけどね」
「ちょ、ちょっと」
そこまではっきり言わなくても。
「心配しなくても美琴には楓が頭固いの話してあるから」
「梢ーっ」
否定出来ないところが悲しい。それに多分話しておいた方がよかったのだろうけれども。すっかり梢のペースになってるのが何となく悔しいからちょっと仕返し。
「大体、なんで美琴さんと一緒に来なかったの? 梢と一緒なら印象少し違ったかも知れないのに」
「楓、自爆してる」
「え?」
しまった、これじゃ印象が悪かったと言ってるようなものじゃない。
『梢ちゃんが忘れ物しなければよかっただけなんだけどね』
「うーっ、それを言われると痛いな」
なんかさりげなく助けられたような気もするけれど。
梢が頭を掻いている間に美琴さんは指を動かしている。美琴さんの会話手段だとどうしても会話ペースが落ちるのだけれど、それはまあ、仕方のないことだし。
『とにかく、服装に関しては譲れないので諦めてください。私にとっては大事なことですから』
「うーん……でも……」
「慣れればどうってことないよ?」
「そうかもしれないけど」
「どうしても嫌なら仕方ないけど、服装以外は嫌じゃないでしょ?」
「え、ええ」
「考え方次第だって。変な目で見てくる人なんて見た目でしか判断しない可哀想な人って思っておけばいいの。そんなの気にしだしたらキリがないんだから」
「……そうね」
梢の言うことはもっともだし。それに楓も、服装だけを理由に美琴さんとの関係を絶つのは勿体ない気がしていたので、とりあえず頷いておくことにした。
まだ午後の買い物もあるわけだし。
私鉄2線の駅の南側、JRと私鉄の駅の間には百貨店とそれに併設されたショッピングモールがあって、こちら側は子供からお年寄りまでいろんな人の姿を目にする。吹き抜けになっているイベントスペースは夏休みということもあってか小さな子供達が沢山集まっていた。
3人はショッピングモールを3階から順に見て回った。美琴さんにとってはこっちがメインだったらしくて、生地や糸を買い込んだり化粧品を見て回る表情はとても楽しそうだった。
一通り見て回って、ちょうど3時くらいになったので近くの喫茶店へ。ミックスサンドと飲み物を頼んで一息。
「一通り見て回ったけど、他に寄るところはないよね?」
梢の問いに2人とも頷く。
「それにしても随分買いましたね」
「あはは、美琴は自分で服作ってるからね。こういうの買うと高いらしいし」
そこら辺はよく知らないんだけれど。でも自分でこんな服作れるのはちょっと凄い。あ、そういえば。
「美琴さんって、お昼に服装にこだわりあるようなこと言ってましたけれど、どんなこだわりなんですか? 自作だからってだけじゃ無さそうですけど」
美琴さんはテーブルに端末を置いて長めの文章を打っている。程なくやってきたサンドイッチの1つ目を梢が手に取ったところでやっと端末を見せてくれた。
『こだわりというか、こういう服を着てる時間はそのまま少女としての私で居られる時間なんです。私にとってこの時間はとても大切なものですから、楓さんには悪いかもしれないですけど、だから服装に関しては譲れないんです』
「別に悪いなんてことはないけれど。でも、そういうことなのね」
紅茶に砂糖とミルクを入れながら、美琴さんは頷いた。
自分は清楚な服装が好きだけど、別にどんな服装でも自分なわけで。美琴さんみたいに考えたことはないし、楓には当てはまらないけれど。
でも、美琴さんにとってはきっと大事なことなんだって、端末を見せてくれた時の表情を見れば分かったから。そういうことなんだって思っておくのがいいんだろうなって、楓はそれ以上深くは聞かないことにした。
それにしても、本当に。
慣れているとか言いながら、その実凄く気を遣っているし。今まで楓の周りには居なかったタイプの人だけど(というよりこういう人って滅多にいない気もするけれど)、梢とも仲がいいみたいだし、美琴さんならお友達になってもいいかなって、そう思った。
ちなみに、美琴さんがミルクティーを飲むという図は、その服装と相まってものすごく様になっていた。
「それじゃ、またね」
「ええ。美琴さんも、もしよければまたご一緒しましょう」
待ち合わせをした駅前。満面の笑顔で頷いた美琴に微笑みを返して、楓は去っていった。
「よかったね、仲良くなれたみたいで」
笑顔で頷く美琴。この表情を見ていると2人を会わせてよかったなって思う。
会いたいと言ったのは美琴でも、実際に会わせようとしたのは梢だから。性格故にあまり友人のいない楓と、地元に限定すれば友人のほとんどいないちょっと訳ありの美琴と。
楓が美琴に気を許すかどうかが心配だったけれど、これならきっと大丈夫。
「今年の夏休みは楽しくなりそうね」
2人が関係を築いていくのを見ていられるから。
「そうだ、今度3人でプール行こうか……って冗談よ、冗談」
美琴の抱えている問題が気になるといえば気になるけれど、それはその時だから。
睨み顔の美琴の手を引いて、梢は笑顔で帰り道を歩いていった。
2.妖精街
『今度S駅まで付き合ってもらえませんか?』
美琴がそう切り出したのは夏休みも後半に入ったある日のことだった。
「S駅……何をしに行くの?」
楓がそう聞き返したのも無理はないと思う。あれから何度か会ってはいるけど、まだ美琴のことそんなに知らないから。
自分の部屋に持ち込んだポットで紅茶を入れながら梢は楓に説明した。
「美琴が服作りしてるのは前にも話したよね? 自分のも作ってるけど、純粋に作るの好きで作ってるとこもあって、自分が着ない分とかは古着屋さんで引き取って貰ってるのよ」
「そう」
『自分用のでも着なくなったのとかもありますけどね。出来の良いのはたまに雑誌に送ったりもしてますけど』
「で、こういった感じの服を専門に扱ってる行きつけの古着屋さんがあるからそこに持っていくの。お店の人に覚えられてるからやりとりも楽だしね」
「そうなの。でも、なんで私も?」
『それは……あの、3人で行きたいから、というのはダメですか?』
「う……」
あら美琴ってばストレートに。
美琴と会うようになってから楓がうろたえる場面を見る機会が増えて個人的には面白いんだけど、助け船を出さないとしどろもどろになった楓って話が一向に進まないから。
「私も来てくれると助かるな。いつも結構な量あるし」
量というか体積なんだけど。美琴の作る服って1着あたりのかさが結構あるから。
「ま、いいわ。そういうことなら付き合ってあげる」
ということで、梢達3人は週末に服を売りにS駅まで出かけることになった。
インターホンの音に梢ちゃんが玄関に走っていく。
今日は服を売りに行く日だから。梢ちゃんと2人で服を紙袋に詰めて美琴の家から運んできて数分、楓さんらしく予定より少し早めにやってきた。
待ち合わせを梢ちゃんの家にしたのは荷物が多いから。本当なら美琴の家が一番よかったのだろうけれど、事情があってそれは無理だから。
「おはよう、美琴さん」
程なく顔を出した楓さんに軽くお辞儀して。
「楓の分はこれね」
挨拶もそこそこに梢ちゃんが荷物を渡していく。計6袋だから2袋ずつ。一応お願いした立場だから美琴が一番重いのを持って。S駅までは途中電車を乗り換えて1時間以上かかるから、あんまりのんびりしているとお昼ご飯遅くなっちゃうしついでにお買い物をする時間もなくなっちゃう。
「あら、美琴さん日傘も差すのに大丈夫なの?」
「大丈夫だよ、よくあることだから」
梢ちゃんの言葉に頷く。服を売りに行く時っていつも大体こんな感じだし。
「じゃ、早いとこいこっか」
「そうね」
「それじゃ、いってきまーす」
梢ちゃんのお母さんに見送られて一路駅へ。
真っ青な空に浮かぶ太陽が今日は一段と眩しくて、蝉の大合唱にあわせて地面は早くも揺らめき始めていて。天気予報の今年一番の予想最高気温にも納得しながら、でもよりによってそれが今日じゃなくてもいいんじゃないのと美琴は心の中で毒づいた。
いくら慣れているといっても暑いのだ。日焼け防止の為に着ている長袖も、服装に合わせて被っているウィッグも。
汗をかきにくい体質だから、化粧崩れの心配はあまりないのだけれど。
電車に乗ってからは冷房が効いていて暑さは幾分かましになるけれど、暑さよりも温度差に弱い美琴としては体が保つか少し心配になる。弱冷車を選んで乗ってはいるけれど、今日はちょっと外が暑すぎるし。一応自分の荷物(売る服とは別の鞄)からカーディガンを着て羽織ってはいるけれど。梢ちゃんはそのあたり平気なのが、こういう時はちょっと羨ましい。楓さんは白のカーディガンを羽織っていて、共通点を見つけたみたいでちょっと嬉しくなったり。
途中、乗り換えの駅はいくつもの路線が集まっているいわゆるターミナル駅で、人が多い分それなりに注目も浴びるから楓さんは少し嫌そうにしていた。美琴からすれば自分の服装のせいももちろんあるけれど、この3人の組み合わせだからというのも少しはあるんじゃないかなって思う。楓さんはお嬢様って感じがするし(眼鏡かけたら才女な感じもしそう)、梢ちゃんは今日はボーイッシュなテイストで格好いい感じで、美琴は言わずもがな。真ん中の梢ちゃんを基準に2人の組み合わせで見ればどっちもそんなにおかしくないと思うけど、3人ひとくくりにすると結構面白い組み合わせかも知れないなって。楓さんが聞いたら反応怖そうだから口にはしなかったけれど。
S駅に着いたら西方面へ。このあたり、駅の東側には南北に商店街が通っていて年代問わず大勢の人でにぎわっているのに対して西側は洋服や雑貨にレコードショップなど若者向けのお店がとっても多い。当然若い子達が多いし、このあたりの店はいろんな服を扱っているからいろんなファッションの人がいて3人が浮くこともなかったりする。雑然とした空気とちょっと強引な客引きさえ気にしなければお買い物にはうってつけの街。
「あら、美琴さんに梢さんじゃないですか」
「あー、りっちゃん達じゃない。元気してた?」
「それは、もう。あ、その大荷物はもしかして」
「そ、これから売りに行くところ」
それにこのあたりには知り合いも多いし。ちなみにりっちゃん達はファッション繋がりのお友達。
「ところで、そっちの人は誰ですか?」
「ああ、私達の友人の楓だよ。今日は美琴に付き合ってもらってるの」
「へえ、そうなんですか」
「にしても今日はえらく人が多くない?」
「ああ、それはそうですよ。雑誌の撮影隊来ますもん」
「え、そうなの?」
そういえば言うの忘れてた。今日にしたのは半分そのためでもあるんだよね。
「いつもの場所ですけど、来ます?」
「多分ね」
「じゃ、せっかくだからお昼ご一緒しましょうよ」
「そうだね……あっ、楓、どうする?」
「えっ?」
突然話を振られて戸惑う楓さん。人付き合い苦手らしいし、無理に引っ張っていくのもなんだしね。
「そうね。私は別に構わないわ」
「じゃ、先に売って来るからそれからね」
「はい、それでは」
撮影場所に向かうりっちゃん達と別れて妖精街の裏通りへ。このあたりは並んでいるお店の種類によって通りに名前が付いていて、他にも南国街とか職人街とかいろんな通りがある。それとは別に名前の付かない細い路地なんかもあちこちにあって、その通称が裏通り。ということで目的のお店も妖精街の途中にある細い路地を少し入ったところにあったりする。
「あら、いらっしゃい」
店員の鈴華さんは美琴を見ると花のような笑顔で迎えてくれた。とりあえず売り物を渡して、そっちは美琴に任せて楓と二人で軽くお店の中を見て回ることに。
「なんかすごいわね」
裏通りとはいえ妖精街の一角だし、美琴が服を売りに来てる店だし。楓はこういうお店初めてなこともあって少し戸惑っているみたい。
「やっぱり初めてだとそう思うよね」
私も初めて連れてこられた時はそう思ったな、なんて思いながら、梢は慣れた足取りで楓を案内していく。楓も多分着ないだろうけど興味はあるみたいで。
「それにしても古着の割に高いのもあるのね」
「そりゃまあ、状態よくて人気があるものならね」
そんな会話を挟んだり、美琴みたいに自作持ち込みの人のコーナーがいつの間にか出来ているのに驚いたりしつつ、一通り見終わる頃には美琴の用事も終わったみたいだった。表情を見た感じ、今回も好評だったみたい。鈴華さんも笑顔だし。
「それじゃ、とりあえずりっちゃん達のとこに行く?」
「そうね」
美琴も頷いたことだし、とりあえず店を出ることに。
「また後でねー」
鈴華さんにそう送り出されながら、このあたりでは大きめの部類に入る総合商業施設へ。あれ、また後で?
「美琴、どういうこと?」
美琴に聞いてみても笑顔を返してくるばかりで。歩きながら端末打つのは大変だから後で教えてくれるだろうけれど。
妖精街と水精街の交わるあたりには既に10人前後集まっていて、美琴を見つけると大きく手を振ってきた。このあたりじゃ美琴って割と有名だから。
撮影は午後かららしくて、時間もちょうど良いので建物の中で昼食を取ることに。梢達はりっちゃん達と一緒に喫茶店へ。紅茶にサンドイッチという組み合わせはこのメンバーの基本オーダー。他にピザトーストやカレーピラフも注文してしばし談笑。
「美琴さんってこういった知り合い多いの?」
「んーっ、こっちでの知り合いは結構多いみたい。ファッションだけじゃなくていろんな分野の人と知り合いらしいよ。芸術関係から紡績関係から……」
「ぼ、紡績?」
楓の声を聞いて振り返った美琴は笑顔を見せてりっちゃん達との話の続きに戻っていった。別に梢達2人が浮いている訳じゃなくて。たまたま今こうなってるだけで、さっきまでは楓が質問攻めにあってたりもしたんだけど。ま、それはおいといて。
「結構顔が広いって言うか、ここら辺じゃちょっとした有名人? まあ、撮影会ちょこっと顔出した後に適当にお店見て回るつもりだし、その時に分かるよ、多分」
「ふーん」
「あ、そうだ。美琴、さっき鈴華さんと何話してたの?」
ちょっぴり忘れていたことを思い出して、ついでに向こうも話のキリのいいところだったから。ちょうど良いかなと思って訊いてみたら、美琴ってば結構凄い返事を打ってくれた。それはもう、ここにいる全員がビックリするくらいの。
頃合いを見て喫茶店を出て同じ建物のセレクトショップ前へ。集合時間になると人数も20人を超えていて、中には見知った顔も居たりするわけで。
「あれー、意外な人がいるー」
そんな声に振り返ってみたら何とクラスメイトが。
「あ、みっちゃん」
「こずっちが来るのは予想付いたけどかえちゃんも一緒とはねー。あ、みこっちゃんもこんちはー」
『こんにちはー』
「わっ、私はただの付き添いだけどね」
楓ったら動揺しちゃって。こんな所でクラスメイトに会うなんて思ってなかったからだろうけどね。
ちなみにみっちゃんこと大野美砂斗ちゃんはその明るさと気さくさで誰とでもすぐ仲良くなれるような人。美琴のことを知ってるのは、こっちで何回か会っているから。
「あれ、付き添いってことはかえちゃんは写らないわけ?」
「ええ、そうよ」
「えー、なんかもったいないなぁ。かえちゃん美人だし」
「そんな事言われたって、そもそも私撮影会あるとか知らなかったし」
「ええっ」
『ごめんなさい。私が言い忘れてたの』
「あらら、てことはみこっちゃんの手伝いだったわけね。それでも意外だけど」
「夏休みの頭あたりに知り合って、この前お手伝い頼まれてね」
「ふーん、どういう経緯か気になるなー」
『梢ちゃんのセッティングでガールミーツガール』
「ぶっ。ち、ちょっと美琴、会いたいって頼んできたのあんたでしょ」
思わず吹き出しちゃったじゃない。まあ確かに間違いじゃないんだけど、ガールミーツガールって。何か取り方によっては怪しい気がする。
「へー、こずっちが仲人役のお見合いねぇ」
案の定、みっちゃん勘違いしてるし(いや、わざと?)。
「ちっ、違うわよ。ただ美琴が楓に会ってみたいって言うから
3人で買い物に行っただけ」
「私は美琴さん来るの知らなかったけどね」
『梢ちゃん忘れ物して途中で取りに帰っちゃうものだから紹介してもらう予定が私が先に着いちゃったし』
誤解を解くつもりが集中砲火だし。こういう時は強引に話題変えないとどつぼにはまっちゃう。
「あ、でも楓、本当に写らないの?」
「えっ? だって、そのつもりで来てないし。それに梢はまだ大丈夫かもしれないけど、私だと明らかに浮くんじゃない?」
「そんなことないと思うけど、ねえ?」
梢の問いかけに美琴もみっちゃんも頷く。
「そ、そう? でも……」
『あ、だったらしばらく様子見てから決めたらどうですか?』
「それもそだねー」
と、美琴が上手い具合にフォローを入れてくれたのでこの件はひとまず保留と言うことになった。
撮影会の進みは順調で。20人以上居るけれど一人ずつという訳じゃなくて、仲のいい2〜3人が一組になって撮ることもあるから進みも結構早くて。
始まる前に楓さんにはああ言ったけれど、美琴としては楓さんと梢ちゃんと3人で写りたいなと思っていた。でも、無理強いするわけにもいかないし。どうしようか悩んでいる間にみっちゃんも撮り終わって。
「美琴、どうかした?」
悩んでいるのが表情に出ていたのか、梢ちゃんが話しかけてきた。
『うー、どうしようかなって』
「楓?」
『うん』
「美琴のしたいようにすれば? もう時間あんまり無いし」
確かに梢ちゃんの言う通り。美琴も同じ事を思っていたけれどどうにも踏み出せなくて、でも梢ちゃんに言われると何か背中を押された気分になって。
『あの、楓さん』
「なにかしら?」
『見ていて、どうです?』
とりあえず話しかけてみる。多分残り時間はあと数分くらいだから、悩み続けるより話した方がいいかなって。
「そうね。見てる分には悪くないけれど、自分が写る側に立つことを考えるとちょっとためらうところもあるわね」
『そうですか』
「美琴さんは?」
『え?』
「写る側に立つのって、どんな気分?」
『そうですね……悪くないですよ。少女としての記録にもなりますし、今の自分を認めてもらえる感じもしますし』
「そう」
他にも思うところはあるし、美琴ならではの悩みもなくはないのだけれど。それは今話すことじゃないから。
「美琴さんって、少女であることにこだわっているのね」
『えっ?』
「あ、気にしないで。別に深い意味はないから」
『いえ、当たってますよ』
そう、美琴は少女であることにこだわっている。本当は違うのかも知れないけれど、少なくとも少女というのは美琴にとって重要な要素であることだけは確かなこと。
あ、いけない。話が少し横道にそれてる。
『あの、楓さん』
「どうしたの?」
『その、もし嫌じゃなければなんですけど、梢ちゃんと3人で写りませんか?』
「えっ!?」
案の定、楓さんは少し戸惑っているけれど。
『さっきはああ言いましたけど、やっぱり私、3人で写りたくって。どうしてもって訳じゃないですけれど、なんて言うか、その……』
「いいわよ」
美琴が端末に打っていく文字をのぞき込みながら。言葉に迷ったところで楓さんはOKを出してくれた。
『えっ、いいんですか?』
「こういう機会ってそうあるわけでもないし、それに美琴さんの頼みだしね」
『えっ、それって……』
「断られたって言いふらされたらどんな目にあうか分からないもの」
『えーっ、私そんなことしませんよぉ』
確かにそれをやったら楓さんは大変な目にあうかもしれないけれど。
「冗談よ。美琴さんとならいいかなって思ったから」
『なんかそう言われると照れますね』
「そう? じゃ、梢と3人でね」
美琴は端末を閉じて笑顔で頷いた。
美琴達3人の撮影は一番最後で、梢ちゃんを真ん中に楓さんと美琴が少し顔を寄せるような構図になった。
「なんだか面白い組み合わせね」
撮り終わった後、楓さんがそう呟いたのが、美琴には少し面白かった。
簡単なアンケートを書いた後、美琴が撮影スタッフと何かやりとりしているのを傍目に梢は楓に話しかけた。
「楓、少し変わったね」
「え?」
「美琴に会うようになってから、何か丸くなったって言うか。さっきも一緒に写るのそんなに嫌がってなかったし」
「な、何を言っているの? 私はただこういうのも経験かなと思って……」
おー、戸惑ってる戸惑ってる。そんな事言っているけれど、以前の楓ならこういうのも経験だって言っても断っていたはずだから。
「良い傾向だと思ったの。楓って真面目だけど固いから取っつきにくい感じだし、クラスでも浮いてる感じあるし。美琴に会ってからいい表情するようになってるよ?」
「そ、そうかしら?」
「私が言うんだから間違いない」
「そう……」
少し照れるように返してくる楓がなんだか可愛くて。思っていたよりずっと相性のいい2人なのかも知れないなと、梢は思った。
集合場所のセレクトショップを覗いたり集まった人同士で雑談したりした後、昼食の時のメンバーは撮影隊と一緒にさっきも行った裏通りへ。というのも、鈴華さんの「また後でね」の意味がお店の取材あるから後でもう1回来てということだったらしくて。昼食の時に美琴がその話をしちゃったものだから(ついでにいえば梢が驚きすぎて他の人の興味を引いてしまったのもあるのだけれど)梢達3人だけじゃなくてりっちゃん達も一緒で、同行するにはちょっと人数多すぎやしないかとも思ったけれどそこはさっき美琴が話を通してくれていたらしい。
お店では鈴華さんたち店員の人や美琴みたいに自作服持ち込んでいる人、割とよく買いに来るりっちゃん達も取材を受けていた。梢と楓の2人は美琴のお手伝いで来ていたこともあって取材は受けなかったけれど、お店を見て回るシーンを何枚か撮られていた。
取材が終わって撮影隊の人達やりっちゃん達(この後予定があるらしい)と別れた後、少し楓の様子が気になっていた梢は少し突っついてみることにした。
「ね、楓。ひょっとして買いたいものがあるんじゃない?」
「うぇ?」
不意を突かれたのもあると思うけれど、何か最近反応が面白くなってきている気がする。ま、それはおいといて。
「確かこのあたりだったよね」
「え、ええ」
2人が足を止めたのはブラウス類が置いてあるコーナー。一言にブラウスといっても色々種類はあるのだけれど、楓の目にとまっているのは白のギャザーリングブラウス。ここら辺はやっぱり楓らしいなって思っていたら、さっきまでお店の人達と話していた美琴がいつの間にか戻ってきていた。
『あの、よければ1着ぐらいなら買ってあげますけど』
「えっ? そんな、わざわざ買ってもらうなんて」
『手伝って貰ったお礼ですよ』
「で、でも……」
『あ、私からじゃ嫌ですか?』
そんな事言って美琴、買ってあげる気満々でしょ。意識してかどうかは分からないけれど、今日の美琴は何か楓相手には妙に強い気がする。
「もう、美琴さんずるいわね」
『え?』
「そんな事言われたら断れるわけないじゃない」
『あ……』
「ま、気になっていたのは確かだし、せっかくだからお言葉に甘えることにするわ」
そう言って楓は気になっていた1着を美琴に手渡した。
その後、洋風街を服屋さんを覗きながら歩いたり職人街方面に歩いて芸術系のお店を覗いたりして、いい頃合いになったので葉緑街の裏通りにある喫茶店へ。
「それにしても美琴さんって本当に顔広いのね」
言われた当の美琴は喫茶店に置かれた演劇のチラシを取りにいって帰りに他のお客さんに捕まって何かやりとりしている。このお店のマスターとも顔見知りだし、職人街の芸術家さん達にも知り合いが多かったから。朝にも同じような話をした気もするけどこうして実感してみると改めて思うものなのだろう。まあ、美琴の知り合いは当然梢の知り合いにもなるんだけれど、美琴の方がそういう話が出来るからやっぱり美琴のって言う方がしっくり来るし。これで大学教授とかにも知り合いがなんて言ったらどんな反応をするのかなとかちょっと悪戯心も浮かんだけれど、それはやめておいて。
「ね。それよりも注文どうする?」
「梢達は?」
「私達はいつものケーキセットだけど」
「じゃ、私もそれで良いわ」
「ということで」
ここのマスターにはこれで注文が通じちゃう。それだけ梢達が常連客(といってもこっちに来る時だけなのだけれど)ということもあるけれど。
「美琴さん、さっきの人達は知り合い?」
『ええ。芸術系のNPOやってる人とカフェのオーナーやってる人』
やっぱりさっき言っちゃって良かったのかもしれない。楓ってば自分で地雷踏みにいくんだもの。
ここは裏通りでも目立たない感じの場所にある隠れ家的なお店だから、そういう人達が良く集まって一種のサロンのような場所にもなっているらしくて。聞き耳立てているだけでもなかなか面白いというのは美琴談。梢にはちょっと難しすぎて分からないこともあるけれど、楓は結構好きそうだなって思ったりして。
ケーキセットを食べながらの雑談は、今日の感想だったり夏休みの宿題のことだったり。宿題の話は1人だけ終わらせてない梢にはちょっと耳が痛かったけど。他の席から聞こえてくる会話に案の定、面白い店ねと楓がこぼしたり、もうすぐ夏休みも終わっちゃうねと少し寂しい話題もしながら立ち通しで疲れた足をしばし休める3人だった。
駅前の百貨店を少し覗いてから帰りの電車に。楓さんは疲れたのか梢ちゃんに体を預けて眠っている。
夕方のラッシュにはまだ早いけれど電車は混み始める時間帯だから、膨らんだスカートで座ったら邪魔になる気がして美琴は立っている。
「今日も楽しかったね」
梢ちゃんのその言葉に笑顔で頷く。ちょっと振り回しちゃったかもしれないけれど、楓さんにいろんなものを見せたかったから。私の好きな場所が気に入ってもらえたらいいなって、美琴は楓さんの安らかな寝顔を見ながらそう思っていた。
『今日はありがとうございました』
「私の方こそ、服買ってもらって……」
『手伝って貰ったお礼ですから気にしなくて良いですよ。それより、せっかく買ったんですからちゃんと着て下さいね』
「それは、もちろん」
いつもの駅前で。楓さんとはいつもここでお別れになるから、とりあえずお礼を言っておいて。笑顔の楓さんとこうして話すのは楽しいけれど、時間がもう遅いから。
『それでは、また今度』
「ええ、それではまた」
「じゃ、またねー」
そう言って、お互い軽く手を振ってそれぞれの帰り道についたのだった。
今日も楽しかったな、楓さんと一緒だったし、なんて思っていると。
「美琴、大丈夫?」
突然梢ちゃんがそんなことを訊いてきた。いや、突然じゃなくて多分気付いていて、楓さんの前では黙ってくれていたのだろうけれど。ばれちゃったものは仕方ないので少しだけ梢ちゃんに体重をかける。
「やっぱり。きつかったもんね、今日は」
梢ちゃんの言うやっぱりは車内や建物内と外との温度差のことで。美琴は見事にそれにやられて偏頭痛を起こしていた。
「ほら、肩貸してあげるから……って、それじゃちょっとみっともないか」
気持ちはありがたいけど、構図としてはちょっとアレかなと思うからそれは遠慮しておいて。
「ま、とりあえず早く帰ろ?」
荷物だけ持って貰って、2人で歩く帰り道。次に3人で会うのはいつになるのかなと期待しつつ、楓さんは梢ちゃんと違ってあのことを知らないから、それを考えるとふと不安になる。
「美琴」
表情に出ていたのか、梢ちゃんが話しかけてくる。
「大丈夫だよ、私がついてるから」
それが今の体調に対してなのか、美琴の不安に対してなのかは分からなかったけれど。梢ちゃんがついているから大丈夫というのは確かだから。それ以上考えるのをやめて、今はとにかく早く帰ることにした。早く帰って寝てしまうのが、この偏頭痛には一番効果的だから。
3.学園祭
2学期のメインイベントといえば多分学園祭。楓達のクラスは女装喫茶をやることになっていて。まあ、それ自体は問題ないというか予測通りというか。去年の学園祭で男子なのにメイド喫茶で筆頭ウェイトレスやらされて大好評だった松本君がいるから、彼に女装させることを前提に考えているのも分かっていたからそれはいいとして(本人曰く、ネタとしての女装じゃなければ構わないらしい)。9月も半ばを過ぎたあたりで、少々厄介な問題が出てきたのだ。
「衣装代が足りない?」
「そう。ちょっと計算間違えて内装と料理に振り過ぎちゃって」
文化祭実行委員が告げたこの事実は楓達のクラスにはあまりに重い事態だった。
「どうにかならないか?」
「うーん、普通の女装喫茶ならともかく内装ある程度作っちゃってる状態だし、私服でこういうの持っている人も少なそうだし」
大野さんあたりなら持っていそうだけれど、サイズが合うのかという問題もあるし。
パンフレット用に既に文化祭実行委員会が提出した店名は「カフェヴィクトリアン〜美女と野獣〜」。なんだかよく分からないこの店名は、大野さんが提案したビクトリア王朝時代をイメージした喫茶店と、女装の当たり外れ(つまり見た目完璧な女装と明らかに男と分かる女装)を美女と野獣に形容した梢の案が合体したもの。
それはともかく。喫茶店のイメージに合わせると衣装も中世欧州の上流階級の女性をイメージしたものになるのだけれど、そういう服ってあまり需要がないからまともに買うと1着あたりの値段はかなりするし、レンタルにしてもそれはそれで値は張るらしくて。大野さんは前に美琴さんに連れて行って貰った古着屋さんを利用する気でいたらしいけれど、今の状態だとそれでも用意出来るのは2〜3着らしい(ついでにいえば男女の体型差も失念していた感じがする)。
「私の分はどうにか出来るんだけれど」
「どうにかって?」
「演劇部の衣装を流用するとか、それが無理でも知り合いにあてがあるから」
そう語る松本君は体型も小柄な演劇部のホープ。男の子だけれど性格とかも女の子っぽくて(というか体以外は女の子って感じ)、去年筆頭ウェイトレスやらされたのも何となく納得出来る。ついでにいえば楓や梢とは幼なじみみたいな感じだけれど、中学に入ったあたりから楓とは少し距離が出来た気がする(学校では普通に話したりはするけれど)。それにしても、流用って。今年の演劇部は一体何をするんだろう? まさか演劇部まで去年の影響を受けている?
「でも問題は」
「他の人の分だよね」
6人・4人・6人のローテーション制(ちなみに6人のところには松本君が入る)の予定だから、体型のことも考えると足りなくなるわけで。
「私が体大きければどうにかなったかもしれないんだけどなー」
そういう大野さんも体型は小柄な方だから、持ってきても着られるのは松本君ぐらいだと思う。
「他の予算削って回す?」
「今からそれをするのも難しくない?」
そんな感じで堂々巡りになっている間にチャイムが鳴って。とりあえずこの議題は来週に持ち越すことになった。それが、土曜日の4時間目のこと。
「ね、こずっちにかえちゃん」
その日の放課後、帰り支度をしていた2人は大野さんに呼び止められた。
「さっきの話なんだけど」
「さっきの話って、衣装代のこと?」
「うん」
楓に頷いて続ける大野さん。
「あれ、みこっちゃんにお願いしてみるのはどうかな?」
「美琴さんね……」
確かに、あの人ならお願いすれば作ってくれる気もするけれど。
「でも、女装用の服なんて作ってくれるのかしら?」
「やってくれないこともないと思うよ」
そう返してきたのは梢。
「そうなの?」
「もちろん、ちゃんと着てもらえるって事が前提だけれど。それさえ大丈夫なら男子が着るとしても作ってくれるとは思う」
「みこっちゃんって結構そこの所こだわってるもんねー」
「だったら、なおさら問題あるんじゃないかしら?」
「だから多分野獣の分は作ってくれないと思うけれど。ま、とりあえず聞いてみる価値はあるんじゃないかな?」
「うーん、そうね。聞くだけ聞いてみる?」
「じゃ、私も行った方がいいかな」
「そだね、みっちゃんもおいで。私の家は分かる?」
ということで。明日は梢の家で美琴さんに会うことになった。女装用の衣装のお願いする為というのが、少し心苦しくはあるんだけど。
『なるほどね』
事情を聞いた美琴は、少し考えてから条件付でOKを出した。
『いいよ』
「本当?」
すぐに反応したみっちゃんは嬉しそうな顔をしたけれど。
『ただし条件。私が作る服を着る人は脱毛処理やメイクをちゃんとすること。梢ちゃんが言う「野獣」の分は作らないからそのつもりでいてね』
続く言葉に梢ちゃん以外の2人の表情が少し曇る。
「うー、予想はしてたけど男子でこの条件飲む人どれくらいいるかなぁ?」
「やっぱり厳しいんじゃないかしら?」
『何も全身脱毛しろとは言わないけどね。服に失礼がないようにして欲しいだけだから』
「それでもなー」
「ま、とりあえず条件付でもやってくれるって分かったんだから良いじゃない。今度案として出してみて通ったら頼むことにしよう、ね?」
「そうだねー」
楓さんも頷いているし、とりあえずはそういうことになったみたい。
『あ、それと。もし実際に作ることになったらサイズとかもちゃんと教えてね』
「うん、わかったー」
『あと、クラスに作れる人他にいないの?』
「あ……」
あら、みっちゃん固まった。でももし作れる人いるなら私にまで話が回ってこないはずだから。
『ある程度お裁縫出来るなら教えてあげなくもないから、一応それも合わせて聞いておいて』
とりあえずそう伝えておく。教える自信はあまり無いけれど、メイキング本とかはあるからそれを使えばどうにかなりそうだし。みっちゃんも小物のリメイクくらいなら出来るらしいし、こっちの知識結構あるから説明手伝ってくれそうだし。
『そういえばみっちゃん、雑誌ある程度持っていたよね?』
「あ、うん。あるよー」
『メイキングの所を読んである程度勉強しておいて。私一人だと話し方これだし教えるの大変だと思うから』
「うん、わかったー」
『あと梢ちゃん、そうなった場合の教室ここでいい?』
「え? うーん、人数多いと辛いかな。あ、ちょっと待ってて」
そういって階段を下りていく梢ちゃん。1階に広い部屋があったから、多分そこを使っていいかどうか訊きに行っているんだと思う。
「美琴さん、ごめんなさいね。何か巻き込んじゃって」
『あ、気にしないでいいですよ。こういうのも面白いですし』
「そう、ならいいんだけれど」
まあ、ネタ女装用に服の作り方教えるのはちょっとアレだけれど。自分が作って売った服だって今どうなっているかは分からないんだし、直接自分が頼まれて作る訳じゃないならいいかって、そこら辺は割り切れるつもり。それに人に教えるのって自分にとっても復習みたいな所があるから意外な発見があったりもするし。
「美琴、大丈夫そうよ」
『じゃ、決まったら教えてね。準備とかいるから』
「わかった」
その後しばらく雑談に興じてから解散して、楓さんとみっちゃんが帰った後、残った紅茶とクッキーで梢ちゃんとまったりと。梢ちゃんは多分、美琴のことを一番よく知っているから、外にいる時や他の人と居る時ほど気を遣わなくてもいいから。そういうのが嫌というわけでは決してないのだけれど、だから梢ちゃんと2人でいる時間というのは美琴にとって凄く大事だったりする。
「美琴、予想付いてたでしょ」
『うん』
ほら、こんな風に。
『というか、梢ちゃんもでしょ』
「うん」
こんな風に会話出来ちゃうのは梢ちゃんだけ。
『多分決定だろうね』
「そうだね」
『生地代とかは出してもらえるよね?』
「そりゃ、衣装代用意してあるもの」
『そうだよね』
きっと2人とも笑顔で。小さなお茶会を楽しんでしまえる、これはきっと、2人だけの特別だから。
「さて、そろそろ着替える?」
『そうだね』
「じゃ、その間に片付けておくね」
梢ちゃんの言葉に頷いて、お盆を持って梢ちゃんが部屋を出たのを確認して服を脱ぐ。本当はこのままの姿で帰りたいけれど、それをすると美琴は家でどんな目に遭うか分からないから。
週明けの月曜日。終礼の時間を使った学園祭の打ち合わせで、大野さんが衣装製作案を出した。
「……というわけだそうですが、松本君以外でやるからには本気で女装しようって考えている人はどれくらいいますか?」
文化祭実行委員の城さんの声に手を挙げたのは2人ほど。少ないだろうなとは思っていたけれど、これだと美女と野獣と言うより野獣だらけになりそうな気もする。
「それと、お裁縫とかある程度出来る人」
こっちは数人。ちなみにこういう服が作れる人はとは聞かない。もし居るのならとっくにその人に作ってもらうことになっていたはずだから。
「と、いうところだけれど。大野さん、どうですか?」
「うーん、美琴さんのことは佐藤さんの方がよく知ってるんですけど」
「じゃあ、佐藤さん」
「そうだね、ちょっと厳しい感じがするかな。美琴の作る分以外は教えて貰いながらだから、数を考えると不安もあるし。それと思ったんだけれど、このまま行くと店名の割に野獣率が高くなっちゃわない?」
後半の発言に数名うけていたけれど、確かに梢の言う通りで。
「じゃ、どうすればいいんだ?」
実行委員のもう1人、青柳君が問いかける。
「さっきの質問ほど積極的じゃないけど、別にそれくらいやっても構わないって人はいないかな?」
誰かが出したその意見を城さんが繰り返すけれどあまり状況は変わらなくて。というより男子勢、松本君の事ばかり考えてていざ自分達もと言う話が具体的になるにつれて消極的になっていっている気がする。多分、最初はみんな自分は大丈夫と思っていたのが時間が経つにつれ自分もやらないといけないのではと思うようになってきたからだろうけれど。
「あ、はい」
「馬場さん、何でしょう?」
「とりあえず先にローテーション決めて、組毎に美女と野獣の担当を考えるというのはどうかしら?」
だってそうでもしないと話が進まなさそうだし。
「えー、何だよそれー」
青柳君や一部男子には文句を言われたけれど。
「でも、一理ありますね」
「それに衣装のことも考えると体型を考えて分けないといけないから、そうした方が進めやすそうだね」
城さんや梢の意見もあって、先にローテーションを決めることになった。もちろんすんなりとは行かなかったけれども、梢が体型という一つの判断基準を示したこともあって衣装サイズ別にグループ分けしてからそれぞれ割り振っていく形になった。ちなみにすんなり行かなかったのは、やっぱり誰が免除になるかという点で。女装免除の場合は代わりに呼び込みや裏方をやることになるからどっちが楽というのはないんだけれど、本気でやる気の人と始めからネタ路線の人以外には、やっぱり女装への抵抗は大きいらしかった。
月曜日はローテーションを決めたところで時間切れになったので、表に出る人の担当分けは火曜日に。ここで梢の提案した体型別割り振りが効果を発揮した。ローテーションの各組に制服のおおよそのサイズ(S・M・L)別最大2人という形になったので、美女担当を体型別最大1人にすることで衣装数が大幅に抑えられることになったのだ。つまり、美琴さんに作ってもらう分が2着(松本君が小柄体型だから)。教えて貰いながら作る分は3着。思った以上に上手くいったなって、梢は苦笑していたけれど。
ここに来て男子勢も腹をくくったようで、以降の学園祭準備は比較的スムーズに進んでいった。
「ふー、終わりましたねー」
『そうですね』
「時間があれば美琴さんにも学園祭に来て欲しかったんですけどね」
『私も行きたいですけどこればかりは仕方ないですからね』
「ま、何はともあれありがと。それじゃみこっちゃん、お疲れさまー」
「ありがとうございましたー。学園祭終わったら写真送りますね」
『楽しみにしていますね』
休日に梢ちゃんの家に集まっての衣装作りは、間に中間考査の時期も挟んだけれど無事に完成して。最初は初対面の人達に、それも生まれて初めて服作りを教えるわけでかなり緊張したけれども、始めてみればこういうのもなかなかに楽しくて、みっちゃんも勉強してきてくれたおかげで思った以上にスムーズに進んで。最終日、無事完成した衣装プラスアルファ(美琴やみっちゃんが作り方を教えたリメイク小物)を持ってお礼を言いながら帰っていく面々を、梢ちゃんと2人で笑顔で見送った。
「終わったね」
『そうだねー』
そしていつもの小さなお茶会。
『でも大丈夫かな?』
「何が?」
『ちゃんと着てくれるかってこと』
「心配ないんじゃない? 経験者が居ることだし」
『そうだね』
「しかし美琴ってば凄いわ」
『そんなことないよー』
教えるのは初めてだったけれど、作るのはいつもやっていることだし。
「羨ましいなーって言ったら怒るんだよね?」
『うん。……まあ、複雑だけど』
たわいもない会話に入る、わずかに複雑な感情。共有している秘密は甘苦くて、時にこんな気持ちにもなるけれど。でもそんな2人だからこそ分かり合えることもあって。
「それにしても、ねぇ?」
苦笑しながらそう言う梢ちゃんに、だから美琴は笑顔を返せるのだった。
楓達の学校の学園祭は2日がかりで行われる。そして舞台観覧と展示や出し物が完全に分かれているので、舞台を見たいが為に出し物を見て回るのに支障が出るという事態は起こらない。
と、いうことで。1日目の午前中。舞台では演劇部が劇を繰り広げている。松本君の衣装流用発言に(結局他の衣装を用意する事にしたらしいけど)どんな内容なのか凄く気になっていたのだけれど、舞台内容を見て納得がいった。松本君は少女の心を持った男の子(主人公の弟)の役で、場面事に男の子の格好と女の子の格好をしていて。少女版衣装はゴシックロリータなので確かに流用も可能で、中性的な感じの薄化粧もしていてこうしてみると本当にどう見ても女の子な男の子。
(って、役と言うよりそのまんまじゃないの)
最初は心の中でそんな風につっこみを入れた楓だったけれども、劇が進むにつれて、別の意味で松本君そのもののように思えてきた。劇全体の中での立場は名脇役(あるいは準主演)といったところだけれども、楓は松本君演じる男の子から目を離すことが出来なかった。少年と少女の間で悩み苦しむ心。少年の姿の時の違和感と少女の姿の時の不安。認めて貰いたい気持ちと全てを失うかも知れない恐怖。その全てが、役の男の子じゃなくて松本君自身が抱えている悩みのように思えて。それほどまでに、松本君の演技は凄くて。でも演技じゃなくて彼自身のような気がして。終盤、主人公を含む家族に少女姿を見られて殴られて、捨て身になって全てを打ち明けるその姿はとても痛々しくて、思わずやめてと叫びたくなるのを抑えるので必死だった。物語はその後、主人公が弟の全身全霊の告白に影響を受けて思いの人に全てを打ち明けて結ばれるというハッピーエンドで終わったけれど。楓は感動だけじゃない涙をなかなか止めることが出来なかった。
午前中の舞台演目が全て終わって、教室では既に喫茶店の準備が進められていた。
「あ、梢、松本君は?」
「一樹なら美女作りのお手伝いしてるよ」
何となく気になって、梢に尋ねてみる。何でも舞台が終わった後、わざわざ化粧を落としてこっち用の化粧をし直して。さらに着替えを手伝ったり衣装担当の女の子に混ざってお化粧をしてあげたりしているらしい。普段から女子トークとかに普通に混ざっていたりしているけれど。お化粧まで出来るとは思わなかったから驚いていると。
「まあ去年経験してるし、部活でもああいう役回り多いらしいしね」
女の子と思ってたら実は男の子でしたとか、あまりに可愛いから女装させられたとか、少女姿でおとりになったりアイドルやらされたりとか(そりゃ確かにはまり役だけれど)。
それでも、何か女装にこだわりあるような感じだし、さっきの劇も演技と言うより彼そのものな気がしたし、自分であんなに上手くお化粧出来るなんて知ってしまうと案外普段からやってたりするのかなと思ってしまう。梢に聞いてもどうなんだろうねとしか返ってこないし。
それから少しして、1組目のメンバーが出て来たわけだけれど。
「見事ね」
その梢の一言が全てを表していた。松本君はさっきの劇とは一転、大人っぽいメイクで気品を漂わせて。他の2人も見事なまでに美女、もとい貴婦人の雰囲気を纏っていて。一方、残りの3人は見事なまでにミスマッチ。薄化粧こそしているのだけれどどう見ても男の人で、いかにも「着ちゃいました」な雰囲気が思わず笑いを誘う。
準備が整ったところで開店。去年の評判もあってあっという間に満席になる。楓は梢と一緒に行列の整理をしていたのだけれど、その中には意外な人も混ざっていた。
「あ、梢さんに楓さん、こんにちはー」
「あー、りっちゃん達も来てたんだ」
「あら、こんにちは」
「美琴さんが服を作ったらしいと聞いて来ちゃいました」
「なるほどね」
そんな偶然の出会いもあったりしつつ(やっぱり妖精街の人達は目立っていたけれど)、お客さんもきちんとルール(長時間の居座り禁止など)を守ってくれたおかげでお店の回りもよく、程良い忙しさの中で担当時間はあっという間に過ぎていった。
「あれ、鈴華さんまで?」
「そりゃ美琴の名前を聞いたら私だって来るわよ」
どうやら美琴が衣装担当の一部を担ったのは妖精街の人達の間では噂になっていたようで、この前同様特上の笑顔で現れた鈴鹿さんもそんな噂を聞いてやってきた1人だった。
「基本デザインしたのは他の人ですけどね」
「でも美琴製なんでしょ?」
「まあ、そうなんですけど」
梢と鈴華さんが笑顔でそんな話をしながら。楓と梢に松本君と妖精街メンバーは校舎内を歩いている。クラスの喫茶店は今は第2組のメンバーが切り盛りしている。4人だけれど、松本君が抜ける分お客さんも減るからちょうど良いらしい。その松本君は抜ける時にもわざわざ待っているお客さん一人一人に挨拶をしてからようやく開放された。楓達と一緒なのは梢がいるからと鈴華さんが何故か気に入っているから。
「で、これからどうするの?」
「とりあえず一樹の行きたいところ優先ね。私達と違って第3クールも入るんだから」
ということで、楓達の集団は松本君を先頭に幾つかの教室を回った。松本君が喫茶店の衣装そのままで出て来たこともあって行く先々で歓声を浴びたり(妖精街の人達が一緒なのもあったのかもしれないけれど)、鈴華さんがやたらと松本君に絡んだりしていたけれど、妖精街の人達と一緒だったり久々に松本君と一緒に行動したこともあって非情に楽しい一時となった。
第3組の交代時間が近づいてきたので松本君とは別れ、残りのメンバーで他の所を回ろうと思っていた矢先に城さんが早歩きでやってきた。
「ね、馬場さんに佐藤さん。青柳君達見なかった?」
「私達は見てないけれど、ひょっとして?」
「そのひょっとして」
「案の定ですか」
楓と城さんのやりとりに梢もあきれかえったらしく。
「相変わらずというか、青柳グループは全く……」
青柳グループ。青柳君を中心とした5人ほどのグループで素行が悪いことで有名。特に学級委員長の楓とは仲が悪くて何かと突っかかってくることも多い(衣装の件で楓が案を出した時も然り)。今回は実行委員もやっていたし、結構やる気なのかなと思っていたのだけれど。
「とりあえず見つけたら教えて」
「わかったけど、そっちはどうするの?」
「仕方ないから第2組の人に代役を頼むわ」
「そう。じゃあ探してみるけれど、あまり期待はしないでね?」
「わかったわ。ごめんね、馬場さん」
「クラスメイトなんだから気にしないの」
「そうね、ありがと」
そう言って城さんは来た時と同じように早歩きで戻っていく。
「何か大変そうね、手伝おうか?」
「いえ、そんな、悪いですよ」
「いいの、面白そうだし」
鈴華さんって、分からない。美琴さんとは別の意味で。
「楓、せっかくなんだし手伝って貰おうよ」
「でも、せっかく学園祭に来たのに内輪事で手を煩わせるのも……」
「いいの。鈴華さんこういうハプニング好きだから」
「そういうこと。さ、行きましょう」
そう言ってさっさと歩き出す鈴華さん。
「あ、待って下さいよ。迷ったらどうするんですか」
慌てて追いかける楓の後ろで。
「あ、りっちゃん達はどうする?」
「私達もご一緒します。一応鈴華さんが保護者ですから」
梢と律子さんたちがそんな会話を交わしていたり。
ということで、結局このメンバーのままで青柳君達を探し回ることになった。
青柳君捜索隊では妖精街メンバーが大活躍だった。特に鈴華さんのほれぼれするような名探偵ぶりや交渉術、そして体術は同性の楓でさえ思わず惚れてしまいそうなくらいだった。それに実際、見事に連れてくることも出来たし。
体育館放送室に居ることを突き止めた鈴華さんは青柳君達にカフェヴィクトリアンへの行き方を訊ねて、きれいな女の人だからって襲おうとした青柳君達を逆に倒してしまったのだ。梢ちゃんに連れられてクラスメイトが駆けつけた時には土下座する青柳君達という非常に珍しい光景が繰り広げられていた。もちろん律子さん達も聞き込み調査の時にはかなり力になってくれて、その容姿から各クラスの人達も凄く協力的で、中にはわざわざ男子トイレを調べてくれた人も出てきたくらい。
それにしても。
「鈴華さん、貴方一体何者なんですか?」
「あはは、ちょっぴり護身術かじってるからね」
「とかいいつつ、実は妖精街の防犯隊長だったりするのですー」
「なっ、なんで知ってるの?」
「あ、大野さん」
「あれ、適当に言ったのに当たってた」
何か納得がいくようないかないような。とにかく、無事に青柳君達を連れ戻して第2組の人と交代させて、楓達は大野さんも加えて校舎巡りを再開したのだった。
「それじゃ、私達はこれで」
「今日はいろいろとありがとうございました」
「あはは、楽しかったからいいよ。それじゃ」
笑顔で帰って行く鈴華さんたちを見送って、
楓達は教室へ戻っていった。
「お疲れさまー」
「あ、お帰り。早速だけど手伝って」
「ええ」
学園祭も1日目が終了して、今は後片づけの時間。喫茶店は大盛況だったようで、大半の人はやりきったという満足感が顔に溢れている。大方の片付けと、ついでに出納係の会計処理も終わって城さんが生徒会へ連絡して。衣装はどうするかで少し悩んだけれど、最終的には作った人に贈呈ということになって。打ち上げをしたいという人の気持ちも分からなくもないけど、疲れもあるし時間も遅いということもあって、それは明日ということで今日は解散ということになった。
帰り道、楓は久しぶりに松本君を誘って梢と3人で歩いていた。
「劇、すごくよかったわよ」
「そう? ありがと」
「ほんとほんと、楓ったらしばらく泣きっぱなしだったものねー」
「ちょっと梢、余計な事言わないでよ」
「だって、本当の事じゃない」
「あははははは」
「松本君も、そんなに笑うことないじゃない」
「ああ、ごめんごめん」
何か懐かしくて、でも楽しくて。その日の帰り道は笑い声が絶えることがなかった。
翌日、午前の舞台観覧に続いて閉会式で学園祭は終了。機材の片付けで遅くなる放送部の子を待ってから、教室に食べ物や飲み物を持ち寄って簡単な打ち上げをすることになった。松本君を始め、誰の女装がどうだったとか他のクラスや部活の出し物なんかの話も出つつ、ふと楓の事が話題となった。
「そういえば委員長、何か感じ変わりましたよね?」
「え、そうかしら?」
「うん、なんか優しくなったって感じがする」
「そ、そう?」
「青柳君探しの時に『クラスメイトなんだから気にしないの』って言ってくれましたし」
「なんか不思議な人達と知り合いみたいだったし」
「考えてみたら2学期に入ってから感じ変わってたよね」
こう色々といわれるとなんだかこっぱずかしい。事情を知ってる梢と大野さんはなんか笑顔で静観してるし。
「そうね、確かに変わったのかも」
楓の発言に一同振り返るものだからちょっと驚いたけど。
「夏休みに何かあったんですか?」
その質問には、はっきり答えることが出来た。
「ええ。美琴さんと知り合ったから」
「本当、楓は変わったよね」
打ち上げの終わった帰り道。今日は梢と二人で歩いてる。
「本当ね」
梢の言葉に笑って返せるようになったのだから、本当に変わったものだと思う。
「今学期に入ってからクラスの人とも結構話すようになってるし、良い意味で肩の力が抜けている感じがするし」
「そうね」
「美琴に会ってここまで変わるなんて思いもしなかったけど」
「ふふっ、そういう相性だったのでしょう」
「そうだね。会わせてよかったよ」
「ええ、感謝しているわ」
本当に。美琴さんとの出会いは楓にとってはとても大きかったと思う。美琴さんを通して知ったいろんな事や人はもちろん、美琴さん自身が楓に与える影響も。美琴さんは、楓が今まで開けてこなかった引き出しを沢山開けてくれたのだ。
今度、衣装作りをしたメンバーが美琴さんを招いての打ち上げを企画しているらしい。もちろん楓と梢も参加する事になっている。一体どんなパーティーになるのだろう? もちろんそれは予想のつかないことだけれども、美琴さんと一緒ならきっと素敵な会になると思う。
「梢」
「なに?」
「今度のパーティー、楽しみね」
「あはは、確かに」
そんな風に、2人で笑いあいながら。次に美琴さんに会う日を楽しみにしながら、楓は梢と一緒に帰ってゆくのだった。
4.少女
鏡に映った自分を見る。自分で作った服に身を包んだ女の子がそこに立っている。美琴はいつものように僅かな乱れを整えて、それから思い立ってもう一度鏡をじっと見つめてみた。そこに映っているのは、可愛らしい女の子。鏡に映っているのは自分なのだからそれは自画自賛なのかも知れないけれど。女の子が映っている鏡。それはそうだ、美琴は少女なのだから。いつもはそれで済むことなのに、今日に限って妙に不安になるのは何故だろう? 外は秋の終わりを告げるような、微妙に暗い薄曇り。だから美琴は、この憂鬱な気分は天気のせいなんだと思いこむことにした。
「なんかやな天気だな」
窓から外を眺めた梢は、ふとそんなことを呟いた。11月も中旬の空は薄曇りで、少し強めの風はまるで冬の訪れを告げているようで。でも、そんなこととは関係なく。ただ、何となく嫌な予感がした、それだけのことだった。扉の開く音がして、美琴が部屋から出てくる。何か今日はいつもより時間がかかっていた気がする。
「あ、遅かったね」
『うん。……どうかしたの?』
「えっ? なんでもないよ。ただ外を眺めてただけ」
『そう』
美琴はこういう事に鋭いから。あまり心配させるのも何だし、暗い気分でいるのも何だから。梢はわずかに浮かんだ不安を振り払って、楓と待ち合わせている駅前へと向かうのだった。
「楓、待った?」
「おはよう、そうでもないわ」
梢と美琴さん。楓の大切な人達。学園祭が終わって一段落ついて。久しぶりに服を売りに行くからと誘いを受けて、楓は駅前で待っていた。美琴さんと初めて会ってから、もうすぐで4ヶ月になろうとしている。それが長いかどうかは分からないけれど、楓にとって美琴さんは既にかけがえのない存在になっていた。
電車を乗り継いでS駅へ。西地区の妖精街の裏通りでは鈴華さんがあの笑顔で出迎えてくれて。美琴さんが服を売っている間に梢と2人で店内を見て回る。古着屋さんと言うこともあってか、前に来た時とはずいぶんと品揃えが変わっていて。でもそれはデパートとかの季節ものの入れ替えとはまた違う感じで、それがなんだか新鮮で楽しかった。美琴さんがまた何か買いましょうかというのを今回は断って、鈴華さんにまた来てねと言われながら店を出る。いつものように、穏やかな平日の1ページ。今日もまた喫茶店でお昼やケーキを食べたり、いろんなお店を覗いたりいろんな美琴さんの知り合いと会ったり。そんな1日に、なるはずだった。
「なあ、あそこにいるのって馬場と佐藤だよな」
どこかから聞こえた声に思わず辺りを見回す3人。梢の記憶が確かならその声は同じクラスで悪い噂の絶えない青柳君の声だった。
(まさかね)
学園祭の一件以来、何かと嫌な目で見てくる青柳君。でもまさか、こんな所で変なことしてきたりはしないだろうし。そう思って、それでも気持ち早足になって2人の腕を引いた梢。しかし次の細い路地を通り過ぎようとした時、左腕が思い切り引っ張られた。
「美琴っ」
振り向くよりも先に名前を呼んだ。梢の声に楓も事態に気付き、やむを得ず裏通りに入った2人。そこにはクラスで青柳グループと言われている、例の5人の男子の姿があった。
「よっ、こんな所で会うとは奇遇だな」
青柳君は美琴さんの首に刃物を突き付けながら話しかけてくる。
「な、何なの?」
青柳君の悪い噂は耳にしたこともあったけれど、まさかこんな事までするなんて。隣の梢の表情は悔しさに満ちあふれていて、楓は何をどうしたらいいか分からなくなっていた。
「なに、ちょっとしたご挨拶さ」
そういいながら嫌らしい笑みを浮かべる5人。どう考えても、ちょっとした挨拶なんかには思えなかった。
「心配はいらねえ、ただ学園祭のお礼をしようと思っただけだからよ」
そのお礼って、後ろに「参り」がついて本来とは違う意味で使われているものじゃないの? 考えてみれば青柳君達は美琴の事をよく知らないわけだし、服装であの時の妖精街メンバーと考えたのかも知れないけど。
「大人しくしていれば、すぐに帰してやるよ」
帰される頃には手遅れだと思った。だけど。美琴さんを人質に取られている以上、今の2人に抵抗する手段なんて、あるわけがなかった。
「まずはどいつにしようか」
美琴の喉元に刃物を突き付けたまま、明らかに悪意の伴った言葉を吐く青柳君。実はこういった裏通りには防犯カメラがセットされているから、こんなことしている彼等はほぼ確実に警察送りになるわけだけれど。だとしても、この状況はいろんな意味で危ない。このままだと警察官が来るまでに楓さんや梢ちゃんがどんな目に遭うか分からないし、美琴自身の命も保証されているものではないし。美琴としては2人を助けられるなら自分はどうなっても構わないのだけれど、そうなったら確実に2人は悲しむから。
じゃあ、どうすればいい?
とりあえず護身術をかじっている美琴は、この状態から抜け出す方法を知らないわけではないけれど。それだけじゃ、足りない。この5人の動きを一瞬でも止めてその隙に逃げないと、助けが来る前に捕まったら多分終わりだ。
ふと、美琴の頭の中で、ある方法が浮かんだ。それはおそらく高い確率で彼等を驚かすことが出来、逃げ出す隙を作ることも出来るとは思う。ただ、それは美琴にとっては捨て身に等しい行為。下手をすれば、美琴と名乗る存在は生き延びても美琴という存在は消えてしまうかもしれない。それに、この方法も絶対確実というわけではないのだけれど。それでも。今この状態を突破するには他に手はないと思うから。
(こうなったら、仕方ないか)
だから、美琴は心中でため息をついてから、やむをえず口を開いた。
「青柳君達って」
「え?」
「噂には聞いてたけど、本当にそういう人達だったんだ」
「なっ、お前一体だ……」
一瞬生まれた隙をついて、言い終わらない内に青柳君を投げ飛ばす。あの方向ならグループの人達が受け止めてくれるはず。
「ぼーっとしてないで、逃げるよっ」
そして絶句した表情の楓としまったという表情の梢の腕を取って、美琴は大通りへと飛び出していった。
3人が走っている姿は、美琴が有名なこともあってすぐに騒ぎになった。美琴が走っている。それはきっと誰もが初めて見る光景で、だから何かあるということは、美琴をある程度知っている人なら誰でも容易に想像が付いたのだろう。
全速力で人の多い公園広場までやってきた3人はとりあえず近くのベンチに座って息を整えることにした。だけど先の一件のため知らず知らずのうちに重い空気が漂っていた。特に美琴。さっきはああやって助けてくれたけれども、だからこそ今の表情はとても辛そうなものだった。
やがて、大分落ち着いた楓が美琴に話しかけた。
「えっ……と、男の子、だよね?」
その問いに美琴は無言で首を振る。あたりには騒ぎを聞きつけた人も集まりだしていて、今の発言が聞かれていたらかなり厄介なことになっていただろう。
「楓、だめ」
梢は周りに聞こえないくらい小さな声で、しかし強い口調で楓を止めた。
「美琴は女の子なの」
多分、楓は納得してないだろうけれど。表情からそれは分かったけれど。美琴が少女であることは否定してはいけないから。それは美琴の存在そのものに関わるから。
だというのに。
「みーつけた」
にやりといやらしい笑みを浮かべたそいつは、その声にビクッと震えて梢の腕にしがみつく美琴に構わずあっさりと言い放ってくれた。
「何なんですか貴方達は、美琴さん怯えてるじゃありませんか」
「美琴って、そこのフリフリ着た男のことか?」
よりにもよって、美琴を庇おうとしてくれた子に対して。周りにも聞こえる大きな声で。
緋月美琴。彼女に最初に会ったのは梢だった。あるいは美琴の誕生の瞬間に立ち会ったと言っても良いのかも知れない。その時のことはよく覚えている。あらかじめ言われていた合図を聞いて、扉を開けたらその部屋の中央に彼女は立っていて。梢が呼んだ名前に首を振って、手にした電子端末に名前を打って見せてくれた。その名前を読んだら、美琴は頷いて次の言葉を打ち込んでいった。
『梢ちゃん、私の最初の親友になって下さい』
梢がよく知っている、でもついさっき生まれたばかりの人からの、きっと初めてのお願い。断るわけがなかった。目の前にいる人は、美琴になる前からも親友だったのだから。
その日は夕方までずっと二人でお話して。生まれたばかりの美琴の不安や悩みも沢山聞いて。その日、梢は決意したのだ。美琴のことを、出来る限り守っていくと。
なのに、こいつは。梢や楓を傷つける為に美琴を利用しようとして、その美琴が抱えてきた悩みを土足で踏みにじって。美琴が「少女」でなくなったら、美琴という存在は消えてしまうというのに。梢の腕にしがみつくこの人自体が壊れてしまうかもしれないのに。
青柳の言葉に周囲は混乱していた。それもそうだろう。美琴はこのあたりでは有名な、自他共に認める「少女」なのだから。
過去形にしてはいけない。さっき美琴は存在そのものを賭けて私達を守ってくれたのだから。ここで梢が守らなければ、一体どうするというのだ。
「青柳、これ以上美琴に変なこと言ったら許さないよ」
美琴さんは男の子? 梢も美琴さんも否定しているけれど、声だけから考えれば明らかに男の子。それも、楓の聞き覚えのある声。偶然そういう声の女の子という可能性もあるけれど。
「何をムキになっているんだよ、お前の彼氏か?」
「黙れ、それ以上美琴を悪く言うな」
梢の態度を見る限り、それはまずない。梢は明らかに何かを知っていて、それを守ろうとしている。それはきっと、そういうこと。
それにしても、梢がここまで怒るなんて。これは一体、どういう事なのだろう? そこまでして女の子であることを守らないといけない美琴さんって、どういう存在なのだろう?
美琴さんと会ってから約4ヶ月。この間、2人はずっと楓を騙していたのだろうか?それは、きっとない。楓と美琴さん、そして梢の3人の友人関係はこれまでもかけがえのない時間を沢山生み出してきたし、これからも素敵な時間を作り出してゆけるはずだから。初対面の時こそ色々戸惑いはあったけれど、その後はずっと良い関係だったのだから。
(あっ)
そういえば、初対面の日。美琴さんは確かこんな事を言っていた。
『こういう服を着てる時間はそのまま少女としての私で居られる時間なんです。私にとってこの時間はとても大切なものですから、楓さんには悪いかもしれないですけど、だから服装に関しては譲れないんです』
(あの時は深く訊かないことにしたけれど、もしそういうことなら……)
もしそういうことならば。あの発言も、時に過剰とも思える気遣いも、しゃべれない理由も、少女であることにこだわっているのも、今こんなに震えているのに涙を流さない理由も。全部、納得がいく。
美琴さんは。少女でいることやこういった服を着ることを大事にしている訳じゃなくて。
そうやって少女として存在する間だけ、この人は美琴さんで居られるのだ。
だったら。この人が本当はどっちの性別かなんて関係ない。今この人が美琴さんである以上、今この人は女の子なのだ。だって、美琴さんは少女なのだから。それが美琴さんにとってどれだけ大事なことなのかはこれまでのつき合いで分かっている。そしてそれ以上に、こんな事になるリスクを負ってまで楓達を守ってくれたことが何を意味するかも。
梢と青柳君達……いや、もう敬称付けはやめよう。青柳達はまだにらみ合っている。周りの人達はざわついている。鈴華さんが走ってこっちにやってくる。大野さんたちはヒソヒソ何か話し合っている(きっと混乱しているグループなのだろう)。
楓は、落ち着いていた。きっと、自分の中で決着がついたから。
「そういうことだったのね」
思わず口に出た言葉はとても小さくて、でも梢と美琴さん、そして走ってきた鈴華さんには聞こえていた。
「楓」
「楓ちゃん」
美琴さんは怯えるように、後の2人は鋭い目で楓を見つめてきた。
「大丈夫。美琴さんは、女の子なんでしょう?」
楓の言葉に3人とも頷いた。鈴華さんも事情を知っている人なのだろう。
声を出したら少女ではなくなってしまうかもしれないのに、そこまでして守ってくれた美琴さん。お化粧が崩れてしまうと少女じゃなくなってしまうから今も必死で我慢している美琴さん。なのにあんな事言われて、こんな騒ぎになって。でも、大丈夫だから。私は、きっと梢も、多分鈴華さんも、何があっても美琴さんの味方だから。
こんな事で、美琴さんを失いたくなかったから。美琴さんにしがみつかれている梢の代わりに、楓は立ち上がって大声で言った。
「美琴さんは、女の子ですっ」
一瞬、時間が凍った。
楓の一声が、全ての喧噪を消し去った。
それだけ、楓の声は大きくて、澄んでいて、そして、心を揺るがす何かが籠もっていた。
静寂を破ったのは、やっぱりというか青柳だった。
「なんだ、馬場もその男を庇うのか?」
「青柳、美琴さんってこのあたりでは有名なの知ってた?」
「は?」
青柳は気付いてない。楓が今呼び捨てにしたことを。同じクラスにいれば、楓が名字を呼び捨てにするのは最後通告に等しい事くらい知っているはずなのに。
「もし私が大声で美琴さんを助けてって叫んだらどうなるかしら?」
「男だと分かって混乱した奴らが助けてくれるとでも?」
「周り、見てごらん?」
周囲の視線は今、青柳達に向けられている。それは紛れもなく疑念の視線。美琴さんに何をしたのかという視線だった。
「さっきまでの発言、撤回してもらえるかしら?」
楓は極上の笑顔で、しかし有無を言わさぬ声色で言った。
「撤回も何も、事実だろう」
「ふーん……そんな事言うんだ……」
青柳の後ろについているグループの2人ほどが明らかに怯えている。楓は気にせず、周りに聞こえるよう大きな声で話を続けた。
「じゃあ、美琴さんが男だという根拠を話して貰おうかしら。ここにいる人達全員に聞こえるようにね」
「そりゃ、男の声をしていたからさ」
「それだけ?」
「それで充分だろう?」
「声の低い女の人だっているでしょう?」
「いや、あれは明らかに男の声だった」
「じゃあ、仮に男の声だったとしてそれが美琴さんの声だという証拠は?」
「そりゃ、間近で聞いていたから間違いない」
「なんで間近で聞けたわけ?」
「それは俺が……」
そこで発言が止まる。どうやら気付いたみたい。
「俺が、何?」
楓が仕組んだ罠にはまったことに。でももう手遅れ。
「どうしたの、言えないようなことでもしたの?」
美琴さんを人質に楓達を脅していたなんて、この状況で言えるはずが無い。言えばこの場の全ての人を敵に回すことになるし、言わなければ青柳の発言は説得力を失う。
楓は鈴華さんとアイコンタクトを取った。追い詰められた青柳が取る行動は、大体予想がついたから。多分その前に決着はつくけれど、念のため。
「一つ良いこと教えてあげる。あの通り、というかここら辺の裏通りって犯罪対策に防犯カメラ設置してあるから。黙ってても無駄よ?」
楓と青柳がやりとりしている間に事情を聞いたのだろう。立ち上がりながら話した鈴華さんのその言葉に、とうとう青柳は凶器を取り出した。どのみち最初からばれているならと思ったのだろうけれど、それさえももう手遅れだったりする。
「と、いうわけだ。署までご同行願おう」
楓はにやりと口を歪めた。これだけの騒ぎになれば、こういう事は想定出来るのに。青柳達の後ろには、楓達の知っている警察官が3人立っていた。
一応関係者ということで楓達3人に保護者的な立場で鈴華さんもついてきた。とはいえ防犯カメラにはっきりと強迫の様子が映されていた上にナイフで襲おうとした現場もはっきりと見られていたので、ごく簡単なやりとりだけで楓達は解放された。一応、美琴さんの性別のことは聞かれたのだけれど、それは鈴華さんが何かを耳打ちしただけであっさりと取り下げられてしまった。
とはいえ、のんびり買い物などを出来る気分でも状況でもなかったので鈴華さんに連れられてお店の2階に上げて貰って。途中で買ってもらったコンビニのおにぎりを食べながら、美琴さんは梢に任せて、楓は小声で鈴華さんに訊ねた。
「あの、美琴さんのこと、知っていたんですか」
「そうね、楓ちゃんには隠しても仕方ないか。確かに知っていた、というより本人から聞いたのよ。あの子凄く気を遣うところがあるから、自分が着ていた服を売っても平気かなって」
「なるほど」
美琴さんは少女だけど体は男の子だから、そういうところにまで気を遣っていたのだろう。
「むしろこれからが大変かもね」
「えっ?」
「だって、この騒ぎをきちんと収められるのって、結局美琴しかいないんだもの」
「そう、ですね」
鈴華さんの言う通り、この騒ぎを収めるには美琴さん自身が動くしか無いと思う。
「ま、美琴には味方多いからそんなに心配しなくても大丈夫だよ」
「はい」
「楓ー」
梢に呼ばれたので梢達の所に行く。
「とりあえず服を売るのは済んでるし、お昼も貰ったから食べたら帰ろうと思うんだけど」
「そう。美琴さんは大丈夫なの?」
「まあ、なんとかね」
美琴さんはパックのコーヒー味の豆乳と一緒におにぎりをゆっくり食べている。
「送って行かなくても大丈夫?」
「いえ……そうですね、お願いします」
鈴華さんの申し出を少し考えて受けることにする。今は美琴さんのことが最優先だから。
「じゃあ、S駅までね」
「はい」
鈴華さんに駅まで一緒に歩いて貰って、そこからは3人で電車に乗る。いつもは美琴が立っているけれど、今日は美琴を挟むようにして3人で座って。幸い時間帯的にもそんなに混み合っていないので3人分の席の確保はそう難しいことじゃなかった。
いつもの駅前で、いつもならここで楓と別れるところだけれど。
「楓、悪いけど私の家まで来てくれる?」
今日は帰さない。
「別に良いけど、どうして」
「美琴のお願い」
「そう、わかったわ」
だって、美琴にそう頼まれたから。
梢の家に着いて、洗面台へ向かう美琴と別れて楓と一緒に梢の部屋へ。
「梢」
おそらく美琴は今、お化粧を落として着替えているところ。その間、話は自然と美琴のことになった。
「梢も知っていたのね」
「も、って?」
「鈴華さんは知っていたから」
「ああ、そういうこと」
梢は一息ついてから、ゆっくりと口を開いた。
「多分あとで本人が話してくれると思うけど、美琴のことなら多分私が一番よく知ってる」
「そう」
「美琴と初めて会ったのも私だし、最初の親友も私。他にも、美琴はあの姿のまま家に帰ってる訳じゃないこととか、美琴が色々悩んでいたこととか」
「色々って?」
「男の子と女の子の間だから、美琴って」
「男の子と、女の子の、間……」
「楓、そろそろ分かったよね。美琴が誰なのか」
「ええ、多分」
「まあ、私が言うより本人見た方がいいでしょ。ちょうど終わったみたいだし」
梢は階段を上ってくる足音に気付いてそう言った。そして直後に部屋の扉が開いて。姿を現したのは美琴……もとい、一樹だった。
「松本君……」
部屋に入った一樹を見て、楓ちゃんはそう呟いた。
「当たってた?」
「ええ」
梢ちゃんがそんなことを言っているということは、着替えたりしている間に私のことを話していたんだろう。そう思いながら一樹は2人の間にそっと腰を下ろした。
「一樹、いいのね?」
「うん」
梢ちゃんの言葉に頷いて、私は楓ちゃんと話を始めた。
「楓ちゃん」
「……懐かしい呼び名ね」
「そうだね」
「どういうことか、教えてくれる?」
「うん、そのつもりで呼んだから」
深呼吸して緊張を和らげる。
「私、ね。体は男の子だから」
「ええ」
「家族はもちろん男として育てるし、学校とかでも男子になるんだけど」
「そうね」
「でも、心は女の子寄りだから」
「寄り、なの?」
「うん。かなり女の子寄りだけど、やっぱり男の子として育ってきてるから。自分は男の子だっていう意識もあるわけ」
「そう」
「今は落ち着いて居るんだけど、中学校に入るあたりからそういう自分に気付いて」
「ええ」
「どっちなのか、わからなくなっちゃったの。男の子として扱われるし、確かに男の子なんだけど、どこかで違うって思って。心は女の子寄りだけど、だからって女の子というわけじゃないし」
「この前の学園祭の劇みたいね」
「うん。あれ演技じゃなくて私そのものだもん」
「やっぱり」
「わかってたんだ。で、あの頃はそういう気持ちを隠していて、でも少女的なものには凄く憧れがあって。そういう時期に偶然ああいう服のことを知ったの。最初は可愛いなくらいだったんだけど、雑誌とか読んでいると凄く少女的に思えて。でも私は男の子だからってしばらくは着なかったんだけど」
「去年のメイド喫茶?」
「それよりもう少し前。中学校の時に着る機会があって、それから。その時に似合うって言われたこともあって雑誌でお化粧とか勉強して、梢ちゃんに思い切って相談して協力して貰って、女の子として、お化粧してそういう服を着てみたの」
「そう」
「一樹のままだとやっぱり男の子としての意識が出ちゃうから、女の子としても名前も用意して」
「それが緋月美琴」
「うん。もちろん女の子としてそういう風にしてても体が男の子って言う事実は変わらないから、それはそれで悩みはあったのだけれど、梢ちゃんが支えてくれて。それで少女としての美琴が生まれたわけ」
「そうだったのね」
ここで一息入れる。とりあえず美琴については大体話したから。梢ちゃんの入れてくれた紅茶を一口飲んで、一樹は再び口を開いた。
「で、楓ちゃんに言わなかったのは、嫌われるのが怖かったから。今は大丈夫だけど、昔の楓ちゃんってそういうの分かってもらえそうになかったから」
「確かにね」
松本君に言われて苦笑する楓。確かに、昔の楓ならそんなことって相手にしなかっただろうから。
「で、今の松本君は?」
「私」
「え?」
「男の子とか女の子とかじゃなくて、そういうのひっくるめて私は私なんだって。そう考えるようになってからは結構楽になったかな」
「そう」
松本君は、大体のことは話したって顔をしている。だから、後は楓が気になっていることを聞いたらこの話はおしまい。多分この先、こういう話をする機会はよほどのことがない限りないと思うから、聞きたいことは今のうちに聞いておかないと。だって、やっぱり話している時の松本君、少し辛そうだから。
「美琴さんは?」
「え?」
「今の松本君にとって、美琴さんはどういう存在なの」
「そうだね……私は私、美琴は美琴、かな?」
「そう」
「あるいは、私は私、美琴は少女」
「なるほどね」
「やっぱり美琴でいる時間は大切なの。少女で居られる時間だから」
「心が女の子寄りだから?」
「そうね。私の本質は少女だと思うから。さっきの話と矛盾があるかも知れないけど、それはほら、人間だから」
そういって松本君は笑った。その笑顔はやっぱり女の子みたいで、やっぱり松本君なんだなって思わせるものだった。
「ね、楓ちゃん」
「なに?」
今度は松本君が質問してきた。
「美琴は、嘘つきだと思う?」
「どうして?」
「美琴は少女だし女の子だけど、私が男の子だから」
「そうね……」
楓は少し考えてから、こう答えた。
「嘘つきではないんじゃない?」
「どうして?」
「だって、美琴さんは少女で女の子なんでしょ?」
「そう……そうだよね」
それから3人はたわいもない雑談を沢山して。久しぶりの幼なじみ3人での小さなお茶会は、ささやかだけど、とても幸せな一時だった。
「楓ー、おそいよー」
「ごめん、珍しく私の方が遅くなってしまったわ」
期末考査の終わった12月の試験休み。3人はいつものように駅前で待ち合わせていた。今日は鈴華さんに会う為に。あの一件をどう収めるか、鈴華さんも色々考えていたらしくて、時期もいいからって一度相談しましょうと誘われたのだ。
ついでだから、気分転換も兼ねて作った服も持って。
「それじゃ、いきましょう」
「そうね」
いつものようにS駅へ。久しぶりに、美琴として。
あの事件のあった次の日から、学校に青柳グループは来なくなった。詳しい事情は知らないけれど、楓達以外にも何か事件を起こしていたらしい。
あの事件から少しの間、美琴として外に出るのが少し怖くて。梢ちゃんの家で勉強会とかはしていたけれど、それ以外に美琴になれる時間はなくて。そんな様子が想像ついたのか、鈴華さんは別に大丈夫そうだよって誘いのメール書いていた。だから久々に美琴として、3人で電車に乗っている。
S駅西地区の妖精街。知っている人達の反応は今までと変わりなくて(心配してくれている人も中にはいたけれど)、それがなんだか嬉しくて、ついつい笑顔になってしまう。
「よかったわね美琴」
『うん、楓ちゃん』
そうそう、あの日から楓さんは私のことを美琴って、そして美琴は楓さんを楓ちゃんと呼ぶようになった。あの事件自体はとても辛かったけれど、こうして3人の仲が深まったのだから悪いことばかりでもなかったわけだし。
鈴華さんには、自分のことを何らかの媒体できちんと発表したいって伝えるつもりでいる。美琴が少女で女の子ってことは、嘘偽りのない事実だと思っているから。
鈴華さんの元へ向かう3人には、あれからもう一つの変化があって。美琴の右手を楓ちゃんが、左手を梢ちゃんが握っている。荷物を持たせてしまって悪いなと思いつつ。でもそう言っても2人とも手を離してくれなくて(お話の時は離してくれるけど)。一人きりだと飛ばされてしまいそうになる美琴の心を梢ちゃんが掴み止めて、風に揺られていた心を楓ちゃんが掴み止めて。2人が支えてくれているようで、なんだか温かくて。ずっとこうしていたいななんて、ちょっとぜいたくなことまで思わず考えてしまった。
美琴の表情に明るさが戻っている。鈴華さんはああ言っていたけれど、梢もやっぱり心配で。でも妖精街の人達は前と変わりなく、美琴に接してくれて。楓と目があって、美琴に気付かれないようにウィンクを送りあう。手を繋いで歩く冬の妖精街はクリスマス仕様で、キラキラした街並みは、3人を優しく迎えているような気がして。2人で美琴の手をギュッと握り締めたら、一瞬きょとんとした後、くしゃくしゃの笑顔を見せてくれた。
これからも、3人で。
狭間で揺れていたその心、今はしっかりと繋ぎ止めて。