朝。

 未だ覚醒せず、全てが曖昧な感覚の中。

 始めに感じたのは違和感だった。

 寝起きで朦朧とする頭、霞んでいる視界の中、何故かそれだけは明確に感じる違和感。

 はっきりとはしない思考で、それでもその正体を探ろうと周囲へ視線を巡らせ……俺はそれに気付いた。

 仰向けに寝ている状態。

 その視線の先……視界が、いつもよりも低いことに。

 天井が、僅かにだが遠い。

 大した違いではないが、でもそれは確かな違い。

 そしてそれは別に寝相が悪くて地面に落ちたわけではなく……そもそも、天井自体がいつもと異なっていた。

 だが知らない天井というわけではなく、それもまた見知った天井。

 ……まあ、こういう風にして見るのは初めてのような気もするが。

 徐々に鮮明になってくる思考の中、現状は大体思い出してきていた。

 しかしそれをさらに確認するため、視線を真横へと移動する。

 と、そこには予想通り。

 見知った顔――俺が寝ていた。

 視線を天井へと戻し、思考を先へ。

 ……そう、昨日は北川やみんなで――


「……ん?」


 瞬間再び違和感を感じ、首を捻る。

 はて、何かおかしい気が……?

 何がおかしいのかと、もう一度視線を巡らす。

 確かに天井はいつもとは違うが、それはここが居間だからだし。

 隣にはちゃんと俺が寝てるし……俺?


「……え〜と」


 一先ず視線を再び天井へと戻す。

 目を擦り、数度瞬きを繰り返す。

 そうして再び隣へと視線を移動させると。


「……寝ぼけてるわけじゃない、か」


 消え去ってるとか見間違いなんてことは、残念ながらなかった。

 恐る恐る触ってみると、確かに感触があるから幻でもない。

 もしや臨死体験では、などと考えてもみたが、よく考えたら物に触れている時点でそれは無いだろう。

 こうして布団にも寝てたわけだし……ん?


「布団で寝てた……?」


 ……そういえば、昨日は俺一人で居間に寝たわけじゃなかったような……。

 そしてその隣に寝てた人物といえば……。


「…………え〜と……確か、洗面所には鏡があったはずだよな」


 一瞬思考をとある可能性が掠めたが、そんなことを認めたくは無かった。

 同時に悪足掻きだと分かってもいたが、とりあえず洗面所へと向かう。

 鏡の前に立ち、覗き込むと……嫌な予感に限ってよく当たるとはよく言ったものだ。

 金色の髪に、トレードマークのように立つ一本のアンテナのような癖毛。

 ――そこには、予想通り北川の顔が存在していた。


「はっはっは……なんじゃこらーーー!!!」


 とりあえず全力で叫んでみた。


























 ポワソン・ダブリル


























「……しっかし、本当にお前と居ると退屈しないよなぁ」


 とりあえず一通り叫び、しかしそうしていても何も解決しないことに気付き居間に戻ってきてみれば、そこには俺――もとい、俺の姿をした北川が微妙に不機嫌そうな顔で待っていた。

 どうやら先ほどの俺の叫びで起き、そのことに関して不満があるようだったが、それも俺の顔を見た瞬間吹き飛んだらしい。

 というか、そんなものを感じてる余裕などないほどの驚きを感じ、やはり俺と同様に叫んでいたのだが。

 そしてとりあえず俺は、俺の姿をした北川がある程度まで冷静になるのを待ってから、俺の姿をした――ああもう面倒だ、普通に呼ぶとしよう――北川と話をした。

 ちなみにまず始めに行ったのは、夢であるかどうかを確かめること。

 そしてそれを確認する方法といえば、やはりこれしかないだろう。

 手っ取り早く確認するためには、痛みを感じるかどうかを試せばいい。

 即ち――頬を抓る。

 勿論自分で痛い思いをするのは嫌だから、相手のをだが。

 しかしそこはさすが北川。

 どうやら俺と同じ事を考えていたらしく、それを提案した次の瞬間俺たちは互いの頬を抓っていた。

 ……まあ、結果的に双方が夢でないことを確認できたのだからよしとしておこう。

 痛む頬を押さえながら次に試そうと思ったことは、漫画とかでよくある互いの頭をぶつけたら元に戻るのではないかということだった。

 痛そうではあったが、しかし背に腹は変えられぬ。

 思い切ってぶつけ……結局、夢でないことを再確認しただけだった。

 そうして俺たちはとりあえずこれで夢で無いことと、安易な方法で元には戻れない事を確認したところで先ほどの北川の言葉へと繋がる。

 溜息交じりのその言葉は、確かに否定できるものではないのだが――


「確かに否定は出来ない……が、さすがに今回は俺に責任はないぞ?」

「今回”は”って辺りが、何というかアレだな」

「やかましい。自分でもどうかと思ってるんだからつっこむな」

「……ま、何にしろ相変わらず運命の神様に好かれてるってことか」


 そう言いながら肩を竦める北川。

 その、姿は俺なのに北川の仕草をしたり、そもそも自分の姿をこうして見てるというのに相変わらず違和感を感じるが――


「そんな神様に好かれてもまったく嬉しくないがな。まあ、それはともかくとして、だ。とりあえず現状の整理をしないか?」

「……そうだな。まずそれをやらないとどうしようもなさそうだしな」


 北川の言葉に頷くと、とりあえず俺は何故こんな状況になったのかを確認するために思考を昨日へと飛ばした。

 まず始めに思い出されたのは、昨日の夜のこと。

 大勢で食卓を囲んでみんなで楽しく馬鹿騒ぎをしている光景。

 秋子さんはいつも通り微笑を浮かべていたが、その顔がいつもよりも嬉しそうで楽しそうだったのは俺の見間違いじゃないと思う。

 そして、この時点では確かに俺は俺だったし、北川は北川だった。

 まあ、当たり前だが。

 そうじゃなかったらその時に大騒ぎになってたはずだし。

 その時点で普通だったのだからそれ以上前に遡る必要は無いのだが、もしかしたら原因はもっと前にあるかもしれないので一応遡ってみる。

 格ゲーで真琴や栞をボコボコにして天野や香里に怒られる俺と北川。

 トランプのババ抜きで最後に残った俺と天野の一騎討ち。

 しかし天野の巧妙な罠に引っかかり負けた俺。

 ……違う、あれは俺が顔に出やすいんじゃなくて、天野が張った罠のせいだ。

 誘導尋問とは卑怯なり。

 誰にか分からない言い訳をしながらもさらに記憶を遡る。

 そしてついにみんなが家に訪れた場面になり――


「……あれ?」

「どうした?」

「いや、現状を把握するために、まずは昨日のことを思いだしてたんだが」

「が?」

「……そういえば、昨日は何で集まったんだっけ?」

「はぁ? ……相沢、とうとう若年性健忘症にでもかかったか?」

「いや、冗談抜きに本気で記憶に無いんだ。というか、そもそもいつの間にかそんな流れになってたような気がするんだが……」

「ったく、仕方ねぇなぁ。俺が教えてやるから今度は忘れんなよ?」

「だから忘れたわけじゃないと言っているが……まあいい。とりあえず教えてくれ」

「うむ、仕方ないから特別に俺が直々に教えてやろう。昨日はだな……」

「昨日は?」

「昨日は……何で集まったんだろうな?」

「……おいこら。人のことを散々言っておきながら……てめぇもじゃねぇか!」

「いや、よく考えたら俺は元から知らなかったんだな、これが。美坂から、みんなで集まるらしいから来ないかって誘われたから参加しただけだからな」

「……ちっ、この役立たずめ」

「やかましい」

「しかし……となると昨日集まった理由は分からないままってことか……参ったな」

「……というか、そもそもよく考えたらそれは知る必要があるのか? 別にそれを知ったからといってこの状況が何とかなるわけじゃないだろ?」

「いや、確かにそうだが、何となく気にならないか? こう、全然関係ないことでも、分からないことがあるとすっきりしないだろ?」

「まあ、確かにそれは分かるが……分からないんなら仕方ないんじゃないか?」

「いや……分からないのなら、分かるやつに聞くまでだ」


























「で、本当にそれだけの理由で来るか……相変わらず凄いな、お前は。……ある意味」

「行動力があると言ってくれ。それに、さすがに部屋の中に入ったりはしないぞ? ……名雪一人ならば別だが」

「……それはそれで問題ないか?」

「直接起こしにいかないと起きないんだから仕方あるまい」

「それはそうかもしれないが……まあ、何にしろやっぱり相沢は羨ましい生活をしてるってのを再確認したって感じだな。毎日女の子のパジャマ姿を拝めるとか羨ましすぎんぞ」

「それじゃあ俺と変わるか? 今なら名雪を毎日起こしてついでに早朝マラソンも出来る特典が漏れなくついてくるぞ?」

「それは断る。さすがにそれは俺では難易度が高すぎるからな」

「ならそれぐらいの役得はあっても構わないだろう? 俺はそれをほぼ毎日やってるんだからな」

「それはそれ、これはこれ、という言葉を知ってるか?」

「この理不尽野郎め。……まあ、それは置いといて、とりあえずそろそろ声を掛けるか」

「そうだな。このままここで話してたらただの嫌がらせだしな」


 北川の言葉に頷くと、扉の前に立ち軽く三回ほどノックをした。

 扉へと耳を傾けしばらく待つ……反応、無し。

 もう一度、今度は強めに三回ノックしてみるも、それも効果無し。


「……さすがにこの程度じゃ起きないか」

「ま、俺が同じ事やられても寝てる自信があるし、この程度じゃ起きないだろうな」

「まあな。なら……おーい、起きろー!」


 今度はドンドンという音が鳴るほど強く叩きながらさらに声を掛ける。

 名雪だったらこのぐらいやっても絶対起きないだろうが、しかし今この部屋に寝ているのは名雪だけじゃない。

 ならば。


「……しかし相沢よ。昨日集まった理由を知りたいがために、わざわざそこまでして起こすか? ……外道だな」

「気になって他のことを考える余裕がないんだから仕方ない」

「……外道なうえに自己中心的か。最悪だな」

「やかましい。というか、別に俺だって考え無しでやってるわけじゃないぞ? ここに寝てるのがちゃんと――」

「う〜ん……誰〜?」


 北川と言い合っていると、不意にドアのノブが回る音と共に声が聞こえてきた。

 さすがに眠そうではあるが、この喋り方はあいつに違いない。

 いや、そもそも名雪が起きるわけが無いからあいつしか有り得ないのだが……でも何か違和感があるような?

 そんなことを頭の片隅で考えながらも、とりあえず用件を伝えようと口を開き。


「お〜、悪い悪い。実はな――」


 ちょっと聞きたいことがあるんだ、という言葉は、しかし口からは出なかった。

 視界の端には北川の姿が映っているが、わざわざ確認しなくても絶句しているであろうことは容易に分かる。

 何故なら――


「……北川君? どうしたの、何か用?」

「……あ、ゆ……?」

「……? そうだけど……本当にどうかしたの?」

「……いや……」


 何と言っていいものか、一瞬言葉に詰まる。

 目の前には、眠たそうにしてはいるが、首を傾げ不思議そうにしている一人の少女。

 その口調は、確かに予想通りあゆのものだった。

 だが、その声……というか姿は……。

 瞬間、先ほどの違和感の正体に思い至る。

 ああ、なるほど、これなら違和感感じるよなぁ……。

 などと思いながらも、とりあえず俺は精一杯の言葉を口にしていた。


「……とりあえず、洗面台で今の自分の姿を見て来い」

「え? う、う〜ん……何があるのかちょっと怖い気もするけど……祐一君も何も喋らないし。……でも、分かったよ」


 洗面台に何か仕掛けてあるとでも思ったのか、少々警戒しながら、でも素直に下へと降りていく……多分あゆ。

 階段を降りる音を聞きながら、俺たちが顔を見合わせていると……やがて。


「――嘘!?」


 そんな声が、下から響いてきた。

 まあ、普通はそうなるよなぁ、などと俺たちが頷いていると。


「――やったー! 本当に名雪さんの姿になってる!」


 しかし続いて聞こえてきた声、というか内容は、何故か嬉しそうで。

 あまりに予想外のその反応に、俺たちは互いに間抜けな顔を晒していた。


「「……は?」」


























「……え〜と……二人が何でそんな顔してるのかがボクには分からないんだけど……」

「私も分からないんだけど……北川君……じゃなくて、祐一? 何でそんな顔してるの?」


 あれから約十分。

 とりあえずということで名雪も苦戦の末――主に俺が――起こし、俺たち四人は一先ず居間に戻ってきていた。

 どうやら入れ替わってしまったのは俺たちだけではなかったらしい。

 あゆは名雪の身体に、名雪はあゆの身体に。

 それぞれ入れ替わっていた。

 が、しかしその二人の反応はというと。


「……むしろ、何でお前らが嬉しそうなのかが俺には疑問だ」


 何故かとても嬉しそうだった。

 まるで欲しがってたオモチャを買ってもらった子供の如く。


「というか……だから何で祐一たちがそんな顔をしてるのかが私たちには分からないんだけど?」

「そうだよ。だって、入れ替わることが出来たんだよ? 喜ぶのが普通じゃないの?」


 だから何でこの状況を喜べるんだ。

 そう言おうと思っていた言葉は、しかし次のあゆの一言で吹き飛んだ。


「――今日は、そういう日なんでしょ?」

「……は? いや、お前は一体何を――」

「……あ。あゆちゃん、もしかしたら、祐一たちは慣れてるからなんじゃないかな?」

「あ、なるほど。確かに、慣れてるんならボクたちみたいに嬉しくないのかもしれないね」

「うん、きっとそういうことなんだよ」


 二人はそんなことを言いながらうんうんと頷いている。

 俺はというと、二人の言葉を聞きながら呆然としていた。

 ……今日はそういう日?

 こいつらは一体何を言ってるんだ?

 北川の方へ視線を向けると、やはり頭上にはてなマークが沢山浮いててもおかしくないような顔をしていた。

 しばしの間、俺たちはそのまま相変わらず楽しそうにしてる二人のことを眺めていたのだが、ふとそうしている場合じゃないことに気付く。

 二人の口ぶりからすると、どうやら何故こんな状況に陥っているのかを知っているようだ。

 どうして知っているのかなど疑問は尽きないが、それらは後で聞けばいいだけの話。

 まずはそのことについて聞くのが先決だろう。

 俺はそう思考を纏めると、口を開いた。


「……なあ、二人とも、聞きたいことがあるんだが……いいか?」

「聞きたいこと? 別にいいけど……ボクに答えられることなの?」

「ああ、それは多分大丈夫だ」

「私も構わないけど……何?」

「さっきあゆが言ったことなんだが……」

「……ボクが言ったこと?」

「ああ……今日がそういう日って、どういう意味だ?」

「え? どういう意味って言われても……そのままだと思うけど?」

「……分かった、言い方を変えよう。そういう日ってのは、一体どんな日のことだ?」

「どんな日って……だから。――自分が普段から入れ替わってみたいと思ってる人になることが出来る日、でしょ?」

「――は? いや、いつから今日はそんな日に――」

「祐一もおかしなことを聞くよね? ――だって、昨日そうだって私たちに教えてくれたの祐一なのに」

「……へ?」


 名雪の言葉を聞いた瞬間、俺の脳裏にある光景が過ぎった。

 それは、昨日の夜も深まった頃。

 もうみんなが寝ようと居間から部屋に戻ろうとした時のことだ。

 何気なく時計を見た俺は、そこで日付がすでに変わっているのを発見した。

 もうこんな時間なのか、と思うと同時、瞬間俺はあることに気付いたのだ。

 そう、日付が変わってるということは、すでに今日は……。

 考えた瞬間には俺の口は言葉を放っていた。


「なあ、みんな誰かと入れ替わってみたいと思ったことはないか? 実は、今日はそんな風に自分が普段から入れ替わってみたい思ってる人と姿を交換することが出来る日なんだぞ?」


 そんな、咄嗟に考え付いた”嘘”を。

 そう、昨日の日付は三月の三十一日。

 つまり今日は四月一日――エイプリルフール、だったから。

 へ〜、そうだったんだ、という感心したような五対の視線と言葉、それに呆れたような視線・悔しがる視線などを感じながら、とりあえず一番始めに嘘を吐けたことに満足していたのだが。


「……まさか、あの嘘が原因とか言わないだろうな……?」


 さすがにあの時とは状況が異なるし、違うとは思うのだが……。

 いや、でも有り得ないとは言えないし……。

 と、俺がそんな風に悩み、考えていると――


「ねぇ、祐一?」

「何だ? 今俺は考え中なんだが」

「あ、そうだったの? ごめんね」

「……いや、まあ、考えたところでどうにかなるもんでもないから別にいいんだが……で、何に用か?」

「あ、うん、ちょっと聞きたいことがあったんだけど……」

「聞きたいこと?」

「うん……今言った嘘って何のこと?」

「……あ〜」


 瞬間俺の脳裏に浮かんだのは二つの選択肢。

 このまま本当のことを話してしまうか、やめるか。

 しかしそれは、すぐに考えるまでもないことに気付く。

 これが普通の四月一日ならば話は別だが、今は状況が状況だ。

 そもそも話さないことに対するメリットが一つも無い。

 意味が無いどころか、逆にデメリットしかない。

 本来なら今日気付いた時か明日にでも言おうかと思っていたのだが……まさか二人がエイプリルフールという日を知らないとは思わなかった。

 不本意ではあるが、このまま全てを話すしかないだろう。

 さすがに本当に俺の嘘が原因だとは思わないが、このままだと話し合うにも支障が出るし。

 俺はそう考え、全てを話すために口を開き――


「……まず、二人に訂正しておくことがある。実は本当は今日は……エイプリルフールっていう日なんだ」

「……えいぷりるふーる?」

「そう。訳すと、まあ、そのまんまだな。四月馬鹿ってことで……今日は嘘を吐いてもいい日、なんだ」

「……え?」

「本当は微妙に違うからそう言い切ると語弊があるんだが……まあ、そういうものだと思って間違いない」

「……何言ってるの、祐一君? だから、今日は自分が普段から入れ替わりたいと思ってる人になることが出来る日でしょ?」

「いや、だからそれは俺の嘘で」

「……あ、分かったよ、あゆちゃん。祐一、そんなこと言って私たちのことを騙す気なんだよ」

「あっ、なるほど……でも、祐一君にしては分かりやすいね」

「いや、あの、だからな」

「だよね〜。幾ら私たちだって、こうやって実際に体験してるんだから騙されるわけないのにね〜」

「お前ら、人の」

「さすがに嘘を吐いていい日なんてのがあるわけないもんねっ」

「話を……」

「も〜、本当に祐一は私たちのことを見くびりすぎだよ〜」

「……駄目だこりゃ」


 二人とも俺の話など聞く耳持たぬ状態だった。

 もっとも、現状を考えればそれも無理ないだろうが……これまでの俺の言動を考えれば余計に。

 ふと横を見てみると、北川もどうしたものかといった感じの顔をしていた。

 おそらく、俺の言ってることが正しいんだということを言いたいのだろうが、そうは言っても信じてもらえそうにないことが分かっているからだろう。

 下手に発言すると、俺と共謀して二人を騙そうとしてる、などと取られかねない。

 これ以上状況が悪化するのは勘弁だが、しかしかといって好転するアイディアも浮かばない。

 何も言ってもおそらく逆効果にしかならないだろうし。

 ……まあ、結局自業自得なわけだが。

 とはいえ、このままでは結果的に名雪たちも困ったことになりかねないし……どうしたものか。

 と、そんな風に悩んでいると。


「あ、やっぱり皆さんすでに起きていらっしゃいましたね〜」


 救いの女神の声が聞こえた。

 バッ、と勢いよく声がした方向へと顔を向ける俺たち。

 いつの間にか居間のドアは開いており、そこには。


「……やばい、凄い違和感が……」

「……慣れてきたと思ったが……さすがにこれは違和感あるな」


 にこにこと笑顔を絶やさない様子の舞と、無表情の佐祐理さんの姿が。

 予想通りではあったが、やはりあの二人も入れ替わっているようだ。

 ……が、これは幾ら何でも違和感ありすぎだろう。

 正反対な二人だけに、入れ替わった時の違和感がもの凄かった。

 だが、今は何とかそれを気にしないようにしなければならない。

 二人にも名雪たちを説得するのを手伝ってもらわないといけないのだから。


「わ〜、お二人共入れ替わることが出来たんですね〜」

「あはは〜、はい、無事舞と入れ替わることが出来ました〜」

「……出来た」

「舞っていつもこんなに高いところから見てたんだね〜」

「……佐祐理の身体で見る景色……かなり嫌じゃない」


 その会話を聞きながら、俺は非常に嫌な予感を感じていた。

 驚いてた、というか違和感を覚えていたせいで何となく話すタイミングが掴めず黙って話を聞いていたのだが……まさか。

 ふと、嫌な想像が頭を過ぎる。

 ……いや、そういえば。

 再び蘇る昨日の光景。

 あの嘘を言った時、果たしてあの二人はどんな反応をしていただろうということを考え――


「え〜と……舞、佐祐理さん?」

「はぇ? 何ですか〜?」

「……何?」

「ちょっと聞きたいことがあるんだけど……いいかな?」

「あはは〜、私は別に構いませんよ〜?」

「……構わない」

「え〜と……じゃあ、遠慮なく。二人は、今日は何の日か知ってる?」

「ふぇ? え〜と……確か、今日は自分が普段から入れ替わりたいと思ってる人になることが出来る日、でしたよね?」

「……寝る前に祐一に聞いた」

「……やっぱか」


 ガクリ、と身体中の力が抜けた。

 何か、今日は嫌な予感ばかり的中している気がする。

 二人の目は冗談を言ってるそれではなく、本気のそれだった。

 希望に輝いてた北川の顔も一気に絶望へと変化している。


「え〜と……何故そんなことを?」

「あっ、祐一君ボクたちに通用しなかったから今度は佐祐理さんたちを騙そうとしたんだよ、きっと」

「ふぇ?」

「……騙す?」

「も〜、祐一も懲りないよね〜」


 相変わらず好き勝手に――もしかしたら普段の仕返しのつもりなのかもしれないが――言っている名雪とあゆ。

 しかしもう俺には二人の言葉を否定するだけの気力も残されていおらず。


「……誰か、助けてくれ」


 そう呟くのが精一杯だった。


























「……で、そういう訳で私たちは叩き起こされたわけね」

「まあ、事情は大分かりましたけど……驚いてる暇もありませんね」


 そういう二人は、やはり入れ替わってるらしい美坂姉妹。

 これまた違和感が激しいのだが、さすがに慣れてきたし何よりそんなことを言ってる場合でもない。

 ちなみに二人は俺の部屋で寝ていたのだが、そこを本当に叩き起こすようにして先ほど起こして居間へと引っ張ってきた。

 そして事情を話して今に至るわけだが――


「いや、本当に悪いとは思ってるんだが……」

「すまん、美坂に栞ちゃん。だが、これ以上は俺たちだけでは無理だったんだ」

「……はぁ、分かったわよ。確かに大変なのは本当みたいだしね」

「私たちは名雪さんたちを説得すればいいんですよね?」

「よろしくお願いします」


 情け無いと思わないでもないが、しかし今は見栄やプライドを気にしている場合じゃない。

 このままだと俺たちも困るが、結果的に名雪たちも困る事になってしまいかねないのだから。

 ……まあ、結局身から出た錆なのだから、そんなことを気に出来る立場に無い、とも言うが。

 まあ何にせよ、残念ながら俺たちには彼女たちの力を借りる他方法が残されていないのだ。

 溜息を吐きながらも、名雪たちの方へと向かってくれる香里たち。

 名雪たちのことを一生懸命説得しようとしているその姿を。

 これからは冗談とか言ったりするのは少し控えようかなぁ、などと考えながら、少し離れたところから眺めてるしか俺に出来る事はなかった。

 そして説得開始から約十分。

 香里たちの説得が効いたらしく、名雪たちは漸くにして事態を飲み込めたようだ。

 さて、これでようやく――


「って、そうだ、その前にあいつらも起こしてこないとな」

「……そうね。どうせならば全員で話し合った方がいいものね」


 ということで、一先ず全員で話し合うために真琴の部屋へと行くことになった。

 とはいえ全員で言っても意味が無いので、とりあえず俺だけが、だが。

 階段を上り向かうは真琴の部屋。

 佐祐理さんたちによれば部屋を出てくる時にちょうど天野が起きるところだったらしいので、少なくともどっちかは起きてるだろう。

 そう思ったので、部屋の前に立つとノックもそこそこに中へと入る。


「お〜い、入るぞ〜、って、やっぱりもう起きてたか」


 部屋の中央付近には二つの布団が並んでおり、そのうちの片方に天野が呆然とし座っている。

 その視線は隣で丸まって寝ている真琴にジッと注がれていた。

 ……まあ、驚くのも当然だわな。


「え〜っと……ということは、お前は真琴か?」


 驚いているということは、やはり天野たちも入れ替わっているという事だろう。

 そう思い、今度は少し大きめに問いかけるというよりは確認するような感じで真琴(?)へと声をかけた。

 どうやら今度はちゃんと届いたようで、それに反応し呆然としたままこちらへと向く視線。

 そして、その口が開き――


「……北川さん?」


 って、北川さん!?

 真琴はそんな言葉遣いじゃないぞ!?

 予想外の呼ばれ方に一瞬混乱し……しかし、さすがに俺も慣れてきたらしい。

 混乱はすぐに収まり、瞬間ある可能性が頭に浮かぶ。

 もしかしたら――


「いや……驚かないで聞いて欲しい……いやまあ、無理だとは俺も思うが、それでもあまり驚かないように頑張ってくれ。……実は俺は相沢祐一なんだ」

「……相沢さん、ですか?」

「ああ……信じられないとは思うがな。だが、信じてもらうしかない。ちなみにこれはエイプリルフールのネタじゃないからな。誓ってもいい」

「……はあ」

「で、だ。まあ、とりあえずそれは置いといて、一つ確認したいことがあるんだが……もしかして、天野、なのか?」

「はい? え、ええ、勿論そうですが……ああ、なるほど、そういうことですか」


 つまり、天野たちは入れ替わらなかったということらしい。

 でも、それなら何で呆然としてたんだ?

 何か一人で納得してるし。

 と、その時俺たちの会話で起きたのか、真琴が目を開きこちらへ視線を向け。


「なーご」


 鳴いた。

 って、鳴いた!?


「ま、真琴!?」

「いえ……どうやら、真琴はこちらのようです」


 驚愕する俺を尻目に、一人いつの間にか冷静さを取り戻している天野は自分の隣に座っている一匹の存在を指差した。

 それで俺は瞬時に理解した。

 まさか、そんなことを予想していなかったが……


「……つまり、ピロと真琴が入れ替わった……?」

「そのようですね」


 それに反応したのか、真琴(?)はピロ(?)が鳴いたのと同じように鳴くと、鋭い視線を俺に向けてくる。

 それは見覚えのある視線であり、そこで漸く俺は、ああ、こいつは真琴なんだな、と納得することが出来た。

 にしても――


「……天野、驚いて無いな? こんな状況だってのに」

「いえ、十分驚きましたよ? 何せ、起きてきた真琴に話しかけたら返ってきたのは先ほどのような鳴き声だったのですから」

「ああ、なるほど。さっき呆然としてたのはそういうことか」

「はい。そして何故こんなことになっているのかを考えいたのですが……北川さんの姿をした相沢さんが現れたことで納得できた、ということです。もしかしたらそうなのでは、という考えはありましたし」

「でも……だとしても」

「……それなりに、色々と不思議なことは体験していますから。特に、相沢さんと知り合うようになってからは」

「あ〜……確かに、な」


 確かに、そう言われてみれば普通では体験できないような不思議なことを結構な数経験してる気がする。

 ならば、多少の耐性が出来ていたとしてもおかしくない。

 考えてみれば俺たちも驚いたのは最初の間だけだったし、あゆたちに至っては最初から順応していた。


「なるほど……納得した。まあ、それはともかくとして、とりあえず居間に行かないか? 今からみんなでこれからのことを話そうってことになってるんだが」

「そうですか……分かりました。ですが、その前に少しよろしいでしょうか?」

「ん? どうかしたか?」

「いえ……まずは布団を片付けてしまおうと思いまして」

「ああ、なるほど……手伝うか?」

「いえ、すぐに済みますので……真琴の分はこのまま残しておいた方が良さそうでしょうし」

「……確かにな」


 真琴の姿をしたピロは、再び布団に丸まって寝ていた。

 その姿につい苦笑が浮かぶ。

 こいつは本当に気楽でいいな、などと考えながら。

 布団の片付けは本当にすぐに終わったようで、俺たちは一先ず居間へと戻っていった。

 ちなみにピロの姿をした真琴は、自分は関係ないとばかりにピロの隣でやはり丸まって寝ていた。


























「……しかし、本当に何が原因なんだろうなぁ……」


 呟きながら何となく見上げた空は、嫌味なほどに晴れ渡っていた。

 視界の端には白い雲が映ってもいるが、それが逆に空の青さを引き立てる。

 それは光を遮るほどでもなく、だからといって光は強すぎず、眩しすぎず。

 四月の太陽は燦々と照っていた。


「……本当にこいつらは、俺たちが悩んでようが何をしてようが関係無しだよなぁ……まあ、当然だが」


 自分勝手に空に文句をつけながら、それでも空を眺め続ける。

 俺は今、一人二階のベランダで日向ぼっこをしていた。

 階下などからたまに聞こえて来る声をBGMに、のんびりと思考を働かせる。

 今は、全員が揃ってから大体三時間程度が経過していた。

 あれから、とりあえず全員で色々と話し合った。

 それぞれが考え付く限りのことを挙げ、それがどんなに馬鹿らしいことでもみんなで本気で考えた。

 例を挙げるならば……。

 集団幻覚。

 特殊メイク。

 催眠術。

 もの凄く希少な病気。

 何者かの陰謀。

 実は今までのが夢でこっちが現実。

 などなど……。

 様々な意見が出、なんか根本的に話し合いが必要なものがあったりしたような気もしたが、しかしそれらそれら全てを真面目に。

 しかし結局どれも推測や想像や空想の域を出ず、手掛かりすらも得られなかった。

 ちなみに途中でそれとなく昨日集まった理由を聞いてみたのだが、どうやら特に理由は無かったらしい。

 何となくみんなで集まりたくなったから、とは一応の発案者らしい名雪の言葉。

 結局大したことはなかったわけだが、まあ結果オーライというやつだろう。

 集まってからはずっとそんなことを行い、しかし今ではみんなはそれぞれ好きなことをしていた。

 俺はこうして日向ぼっこをし、声から察するにみんなは下で遊んでいるのだろう。

 とはいえ、別に諦めたというわけではない。

 ジッと考えてるだけではなく少し息抜きをしたらどうかという、秋子さんの意見に従った結果だ。

 ……いやまあ、他人の身体で色々と試したいということもあったのは事実だが。

 実際のところ、俺たちは身体が入れ替わってるだけで他に害はなかった。

 ずっとこのままというのは色々まずいが、少しの間……それこそ一日二日ぐらいならば問題は無さそうだ。

 あゆたちに至っては喜んですらいるし、香里たちも悪い気はしていないようだった。

 それに俺も……実はあまり悪い気はしていなかった。

 ちなみに俺がこうして日向ぼっこをしているのにも、一応理由はある。

 別にずっとこうしているわけではなく、俺も数分前まではちゃんとみんなと一緒に色々と遊んだりしていたのだが。

 まあ、ぶっちゃけて言えば疲れたのだ。

 始めは本当に息抜き程度だったのに、いつの間にか俺たちは本気で遊び始めていた。

 しかも何かみんなして異様にテンションが高かったし。

 ……いや、俺も人のこと言えなかったけど。

 まあ、いつもと違う状況という事がそうなった原因の一因であろう。

 ……単純に朝からずっと話し合いばかりでストレスが溜まってたということも否定できないが。

 何はともあれそういうわけで、一時間程度ではあったが何か異常に疲れているのだった。


「……でも、これはこれでいい経験って言えばいい経験ではあるんだろうな……普通はこんなこと経験できないし」


 もっともそれを言えば、俺たちはそんな経験を他にも幾つかしてきているわけだが。

 中には少し笑って話せるような内容じゃないこともあったが、しかし今はそれらを懐かしい思い出として時に笑って話すことが出来る。


「これも、いつかは笑って話せるようになるんだろうか……?」


 とはいえ、別に今回は悲しんだりする要素は皆無なのだが。

 まあ、前提条件としてちゃんと俺たちが元に戻れる、ということがあるが。

 と、そんなことを考えていると。


「ん? ……北川か」

「よう……見ないと思ってたらお前もここに来てたのか……」

「……まあな」


 ふとガラス戸の開く音に視線を向ければ、そこには俺の姿をした北川が。

 疲れた表情を見せながら、こちらへと向かってきていた。


「やっぱ、お前も疲れたか?」

「さすがにな……しかし、何でみんなはあんなに元気なんだろうなぁ」

「……まったくだ」


 と、頷いたその時ある言葉が頭を過ぎり、俺は北川へと視線を向ける。

 多分北川も同じ事を考えたのだろう。

 視線が交わり、互いに苦笑を浮かべた。

 何というか――


「俺たち、おっさん臭いよな?」

「まったくな……これからは、美汐ちゃんのことをどうこう言えないぞ?」

「……だな」


 再び、苦笑。

 それから、ふと視線を空へと戻す。

 空は相変わらずの、晴天。


「……しかし、今日は本当に良い天気だよなぁ」

「……まったくだな」


 それ以上は俺も北川も話すことなく、ただ静かな時が流れた。

 聞こえてくるのは階下の騒ぎと、木々のざわめきや鳥の鳴き声など。

 それらを聞きながら、しばらくの間俺たちは日向ぼっこを楽しんでいた。

 のだが――


「祐一さ〜ん、何処ですか〜?」

「北川君、何処〜?」

「……はぁ。やれやれ……どうやら、ゆっくり休んでる暇も無いみたいだな」

「のようだな」


 俺たちは互いに苦笑を浮かべると、ベランダを後にしとりあえず居間の方へと歩いて行ったのだった。


























「……で、俺たちが居なくなってる間に一体何があったんだ?」


 そうして戻ってきた居間は、何故か大惨事に見舞われていた。

 砕け、破片が散乱している、おそらくは元お菓子たち。

 何とか割れてはいないようだが、そこら辺に転がり中身を零している幾つかの茶碗。

 テーブルは倒れ、椅子もそのほとんどが倒れている。

 そのあまりの様子に、ドアを開けた状態で俺と北川は固まっていた。

 一体何があったのか理解出来ず――とその時、俺の視界を何か黒い影が横切った。

 しかも、大小一つずつ。

 それに我を取り戻し、何かと影を視線で追うと――


「猫〜、猫〜」

「ふぎゃー!」


 瞬間、惨状の理由を理解した。

 そして、そういえば今名雪はあゆの身体だから猫アレルギーは発生しないんだっけな、と。

 どこか他人事にそんなことを考えていた。


「ちょ、ちょっと、名雪! だからちょっと落ち着きなさいって言ってるでしょ!」

「真琴、あなたも少しは落ち着きなさい!」


 と、ふと声のした方に半ば反射的に視線が向く。

 瞬間、目が合った。


「……大変だったな、香里、天野」

「……ええ、分かってくれて嬉しいわ」

「私の監督不行き届きでもあるのですが……さすがに疲れました」


 そう言う香里と天野は、本当に疲れた様子だった。

 まあ、あれを相手にしてたらなぁ……。


「にしても、何時の間にこんなことになったんだ? ついさっきまでは和やかに遊んでたような声が聞こえてたんだが……」

「……本当に、ついさっきまでは和やかにみんなで遊んでたんだけどね」

「真琴も、水瀬先輩が自分を見たらこうなると分かっていたのでしょう。ずっと部屋に閉じこもっていたみたいですが……」


 ……ああ、真琴が呼びに行った時に付いて来なかったのはそういうことだったのか。

 てっきり面白くなさそうだからだとでも思ったんだが……真琴は真琴なりに考えてたって事か。

 ……お詫び代わりに後で肉まんでも買ってやるかな。


「……でも、さすがに我慢出来なかったんでしょうね」

「まあ、本当に楽しそうだったからな……真琴が耐えられなくなったのも仕方ないか」

「とはいえ、未然に防ぐ手がなかったわけでもありません。私が真琴は一人で居るということを忘れ、皆さんと遊んでしまったせいでもあるのですから。……私にも、責任の一端はあります」

「いや、それを言うならみんな同じだろ。それに、真琴ももう子供……かどうかはともかくとして、そこら辺の予想は付くだろ? とはいえ、だからこそ真琴は注意してたと思うんだが……何で見つかったんだ?」

「それが……どうにも運が悪いとしか言いようがないのよね。真琴ちゃんも本当に警戒してたんでしょうけど……さすがに名雪がちょうどトイレに言ってたなんて思いもしなかったんでしょうね。しかも、ちょうどトイレの前を通った時に出てくるなんて」

「それは……まあ、本当に運が悪いとしか言いようがないな」

「それで、あとは……」

「いや、それで十分分かった。が、一つだけ良いか?」

「何?」

「そういえば、他のみんなはどうしてるんだ?」

「一応、相沢さんたちを探す事と兼任ということで避難してもらっています。場所が場所ですし、人が多ければいいというものでもありませんから」

「確かに、それが正解だな。……にしても、ってことはさっき俺たちを呼んだのはこのためか……ま、仕方ないか」


 溜息を一つ吐くと、視線を北川へ。

 今まで事の経緯を黙って聞いてた北川だったが、俺の視線に気付くと言いたいことが伝わったのか、苦笑を浮かべた。

 それだけで十分ではあったが、俺は一応確認の意味も込めて敢えて口を開いた。


「んじゃ北川、早速だが仕事みたいだぞ」

「みたいだな。ま、しゃーないわな。美坂や美汐ちゃんまでもが頑張ってるってのに俺たちがサボってるわけにもいかないしな」

「期待してるわよ?」

「……ま、頑張るさ」

「さて……それじゃあ名雪&真琴捕獲作戦と行くか」


 俺たちは顔を見合わせて頷くと、未だドッタンバッタンやらにぎゃー、やら聞こえる方向へと走った。


























「はぁ……さすがにかなり疲れたな……」

「う〜……猫〜」

「いい加減諦めろ。というか、お前はちょっと自分のやったことを反省しろ」

「反省はしてるよ〜。でも……う〜、折角今ならアレルギー出ないのに〜」

「ったく、だからってあんなに暴れるやつがあるか!」

「う〜……暴れたのは基本的には真琴だよ〜。私はその後を追っかけただけだもん」

「追いかけるという行為自体が駄目だってことにまず気付け」

「だって……う〜」

「……はぁ、やれやれ。仕方ない……真琴、ちょっと来い」


 どうやら名雪は本当に反省しているようであり、しかもその姿が本気で哀しそうだったため、俺も言い過ぎたかな、と反省した。

 が、言ってることは間違いでは無いし、実際被害も出ているため撤回する気は無い。

 もう一度こんなことが起こられても困るし。

 そんなわけで妥協案として、真琴を名雪に触らせてやろうと思ったのだが、


「……う、うな〜?」


 先ほどのことで警戒しているのか、さすがに真琴もすぐに来ようとはしなかった。

 名雪の様子を窺いながら、ゆっくりと近付いてきている。

 ……まあ、それも仕方ないだろう。

 実際、俺たちと猫というのはかなり大きさの違いがある。

 それに元々は真琴なわけで、真琴にしてみれば自分の何倍もある巨人に近付こうとしているわけだ。

 しかも、真琴はその巨人に突然追いかけられたわけだからなぁ……警戒するのも当然だ。

 まあ、警戒してた名雪が突然現れたからって全力で逃げ回った真琴も悪いような気もするが……考えてみれば、自分の数倍あるやつに追いかけられてたんだもんなぁ。

 そりゃ怖い。

 ……トラウマになってなきゃいいが。

 まあそれはともかくとして、とりあえず今名雪は冷静だからそこまで警戒することは無いだろう。

 何よりこのままではやり辛くて仕方ないし。


「大丈夫だ。名雪もさっきは突然のことで興奮しただけだろうからな。今は冷静だから行き成り襲い掛かったりはしないだろうし、そん時はまた俺が責任持って止めるさ」


 その俺の言葉に安心したのか、真琴は今度は普通の速度で近付いてくる。

 それでも微かに警戒するような様子が残ってるのは、まあ、仕方ないだろう。

 近付いてきた真琴に手を差し出し、掌に乗せ――


「ほら」

「……え、え〜と?」

「なんだ、触らないで良いのか?」

「う、ううん! 触りたい! 触りたい……けど、いいの?」

「……まあ、反省してるようだしな。ただし、そっとだぞ?」

「う、うん……ありがとう、祐一!」


 俺から真琴を受け取ると、名雪は本当に嬉しそうに真琴を撫で始めた。

 始めは真琴も警戒が抜けなかったみたいだが、撫でられるのはやはり気持ちがいいのだろう。

 すぐに目を細め、気持ち良さそうにし始めた。


「う〜……やっぱり猫って可愛いよ〜。幸せだよ〜」

「……うな〜」


 そんな二人を眺めながら、ふと視線を周囲へと巡らせてみた。

 ちなみにここは居間で、一応全員集まっていた。

 しかし誰も何も話さず、ぐたーっとテーブルに突っ伏している。

 理由は単純で、先ほどまで全員で名雪と、っていうか主に真琴がだが、暴れまわったところを直していたからだ。

 まあ、幸いにして損傷とかはほとんど無かったため、そっちの心配はなかったのだが……それなりに被害は広範囲にわたっていたため結構疲れた。

 もっとも、その前までずっと遊んでたせいもあるのだろうが。

 今この場で元気なのは、名雪と真琴ぐらいだ。

 ちなみに秋子さんはいつの間にか消えていた。

 何処かに出掛けたのか、仕事にでも行ったのか……。


「……ま、いいか」


 秋子さんのことだから何か考えがあるのだろう。

 そう結論付けると、至福そうな名雪たちを横目に、俺も少しでも疲れを癒すためにテーブルへと突っ伏した。

 ……はぁ、本当に疲れた。


























「……ん……あれ? 俺、一体……」


 ぼんやりとした頭のまま、ゆっくりと身体を起こす。

 居間に入り込んでくる光は、いつの間にか茜色になっていた。


「あ〜、あのまま寝ちゃったのか……」


 どうやら、疲れを癒すために突っ伏していたらそのまま寝てしまったらしい。

 そしてそれはどうやらみんな同じだったらしく、少し視線を動かすとみんなの寝顔が見渡せた。

 勿論その中には俺の姿をした北川も居るわけで……俺は自分の寝顔というものを初めて見たのだった。


「朝はごたごたしてて見てる余裕なんてなかったからなぁ。……しかし、何というか……微妙に気恥ずかしもんだな……」


 まあ、普通は自分の寝顔を直接見るなんてこと有り得ないもんなぁ。

 これもある意味では貴重な体験ってことか?

 ちなみに隣で真琴と遊んでいたはずの名雪は、どうやら遊び疲れたらしくこちらもテーブルに突っ伏し寝ていた。

 その隣には、これまた遊び疲れたのか真琴も寝ている。

 それを微笑ましく思っていると、ふと気付いた。

 名雪や真琴に毛布がかけてあることに。

 いや、よく見てみれば名雪だけではなく全員に毛布がかけてあった。

 後ろに振り返ってみれば、地面に毛布が落ちている。

 どうやら、俺にも掛けられていたらしい。

 一体誰が……と考え、しかしそれはすぐに分かった。

 というか、みんなここに寝ているんだから、こんなことを出来るのは一人しか居ない。


「……あら? 祐一さん、起きたんですね」

「あ、秋子さん」


 そんなことを考えていると、どうやら台所にいたらしく、そちらから出て来た秋子さんに話しかけられた。

 いつの間にか帰ってきていたらしい。


「ふふ……どうやら楽しく遊べたみたいですね? みんな幸せそうな顔で寝ています」

「ええ、みんな遊び疲れたんでしょうね……まあ、とはいえそれだけじゃないでしょうけど」

「……そうですね。もしこのまま元に戻れなかったら、そういう不安もあったでしょうから」

「ええ。……もっとも、不安部分はほんの少しで、後は普通に疲れただけでしょけどね。実際俺も、遊んでる時はそんなこと考えませんでしたから」

「ふふっ……そうですか」


 笑みを浮かべ、優しい顔でみんなのことを見ている秋子さん。

 それは慈愛に満ちており、見ているこちらの心が癒されるようでもあった。

 と。


「あ、そうだ、秋子さん」

「はい?」

「毛布、ありがとうございました」

「ああ……いえ、そのままでは幾ら春とはいえ風邪をひいてしまいますから」

「いえ、それでも……有り難かったのは変わりませんから」

「あら……それでは、どういたしまして、と答えておきますね」

「はい、そうしておいてください。……あ、それと、そういえばさっきは何処かに行っていたんですか? 姿が見えませんでしたけど」

「ええ、先ほどは少し商店街に買い物に行っていたんですよ」

「買い物に?」

「はい。さすがに昨日の今日では材料が尽きてしまいましたら」

「ああ、なるほど……でもそれなら、俺や北川に言ってくれればよかったのに。手伝いましたよ?」

「いえ、皆さん楽しそうに遊んでましたし……それに、準備の時にちゃんと手伝ってもらいますから」


 そう言い微笑み秋子さんに、俺はそれ以上何も言う事が出来なかった。

 まったく、やっぱり秋子さんには敵わないな。

 と、そんなことを考えていると。


「う、う〜ん……」


 俺たちの会話のせいか、みんながもぞもぞと起き出した。


「あら……みなさんの邪魔をしてしまったみたいですね」

「いえ、もう夕方ですし、ちょうど良かったんじゃないですか?」


 そんなことを話してる間にもみんなは徐々に起き出し、結局五分もしないうちに全員が起きることになった。

 ……勿論、名雪を除いて、だが。


























「……ふぅ。さすがに春とはいえ、この時間帯は結構冷えますね」

「ですね〜」

「……ん」


 夕焼け色に照らされた街。

 そこを、俺・佐祐理さん・舞の三人で歩いている。

 俺の手には買い物袋が一つ。

 俺が買い物袋を持ってることから分かる通り、俺たちは買い物のために外に出ていたのだった。

 どうやら秋子さんが買い忘れてた物が幾つかあったらしく、それを買いに行く役目を俺たちが買って出たというわけだ。

 今はその帰り道で、でも仕上げに使う物だったりすぐに使う物では無いらしいので、秋子さんに言われた通り俺たちはゆっくりと帰路を辿っていた。


「……しかし、今日は疲れる一日でしたね」

「確かにそうですね。……でも、楽しかったです」

「……ん。楽しかった」

「……そうですね」


 頷きながら、ふと空を見上げる。

 昼間嫌になるぐらい晴れ渡っていた空は、今も変わらず。

 しかしだからこそいい感じに、夕焼け空が広がっていた。


「……どうやら、明日もよく晴れそうですね」

「え?」

「ほら、綺麗な夕焼けですから」

「なるほど……確かに、綺麗な夕焼けですね〜」

「……ん、確かに綺麗。でも、祐一」

「ん? どうした、舞?」

「それは、迷信」

「ふぇ? そうなの?」

「いやまあそうだが……こういう時は知ってても敢えて乗っとけって」

「……ごめん」

「いや、謝るほどのことでもないんだが……舞らしいっちゃ舞らしいしな」


 苦笑を浮かべ再び視線を空へ。

 夕焼けを背景にしながら。


「……確かに、楽しかった、かな?」


 過ぎった幾つかの光景に、再びそれを確認するかのように呟いた。

 それは今日の昼間の出来事。

 みんなで遊んでいた光景で、今思い返しても未だ違和感は感じるけれど。

 それは間違いなく楽しいと、確かにそう思えたから。


「……そうですね」


 俺の言葉に、同じ事を考えていたのか今度は佐祐理さんが頷く。

 先ほど俺が言ったのとまったく同じ言葉のそれは。


「それに……今日は発見したことも色々ありましたから」


 しかし俺とは異なり、そんな言葉も続いた。


「発見、ですか?」

「はい。例えば……舞は、いつもこんな風に高い位置から世界を見ているんだということを、知りました」

「……私も、佐祐理はいつもこんな風にみんなのことが見えてるんだってことが分かった」

「それは、本人からすれば何と言う事の無いことですよね? 当たり前の、簡単なことです。……私は、舞のことなら大抵のことを知ってるつもりでした。けど……こんなことすら分かっていなかったんですよね。それも、私が知った事の一つです」

「佐祐理さん……でも、それは」


 仕方ないことだと思った。

 何でも知りたいと思うのは分かるけど、でもそれは現実には難しいことだから。

 しかし、そう言おうと思っていた言葉は。


「……でも、今回のことで私たちはそれを知る事が出来た」

「え?」


 先に放たれた舞の言葉に遮られる結果となった。

 俺と佐祐理さんの視線が舞へと向く。

 舞はいつもと同じような……でもどこか微笑みを浮かべているような表情で、言葉を続ける。


「……まだ、お互いに分からないことが沢山あるってことが分かったから。だから」

「……うん、そうだね。それを知ったって事は、私たちはまだまだ分かり合えるってことだもんね」


 舞の言葉を佐祐理さんが受け取り、紡ぐ。

 そうすると二人は視線を絡ませ。


「……ん。まだ、時間は沢山あるから」

「うん……これからもよろしくね、舞」

「……うん。よろしく、佐祐理」


 そう言って互いに微笑み合った二人の顔を、俺は素直に綺麗だと思った。

 夕焼けに照らされ、赤く染まった顔は、今でも少し感じていた違和感を吹き飛ばすほどで。

 俺は、本当の親友とはこういうものを言うのだと知り。

 とても羨ましいと思った。


























「……暇だ」


 まな板を叩く音。

 楽しそうな声。

 漂ってくる匂い。

 それらを感じながら、視線を台所に注ぎ。

 しかし何をするでもなく、俺はただぼーっとしていた。

 みんなが今台所で秋子さんの手伝いをしているため、やることが無いからだ。

 本当は俺も手伝おうと思ったのだが、俺に出来ることが無さそうだったし、何よりこれ以上は台所に入りきれなかったのだ。

 ちなみに北川は、疲れたから夕食まで寝てくるとか言って、今は俺の部屋で寝ている。

 真琴もさすがに猫の姿では何もすることが出来ないので、おそらく寝ているのだろう。

 北川たち同様寝るには眠気が無く、他にやることは思いつかない。

 そのためこうしてぼーっとしてるのだが――


「……暇よねぇ」


 不意にかけられた声。

 それに驚いて声のした方に視線を向けてみれば。


「……手伝いをしてたんじゃなかったのか?」

「あたしが手伝ってたことは終わっちゃったのよ。それで、元々ギリギリだったからいつまでも居たら邪魔かと思ってここに来たってわけよ」

「……なるほど、な」


 いつの間に来たのか、香里が座っていた。

 というか、気配感じなかったぞ?

 ……まあ、それだけ俺がぼーっとしてたってことだろうが。

 しかしまあ、確かに俺がもう入れないぐらいギリギリだったもんなぁ。

 何も無いのならばここに戻ってくるのは当然か。

 包丁とかも使ってるから危ないし。

 ……ん?

 包丁……?


「……そういえば」

「どうかしたの?」

「いや、今まで気付かなかっんだが……身体が入れ替わってるのに手伝いとかして大丈夫だったのか? 料理ってことは包丁とかも使ったんだろうし……いつもと感覚が違うんだから危ない気がするんだが」

「……随分と今更ね」

「まあ、そうなんだが、今ままで何でか思いつかなかったでな」

「そう……まあ、結論から言えば、その心配は無いわ」

「……そうなのか?」

「……相沢君、あなた忘れてない?」

「何がだ?」

「あなたが今使ってる身体は北川君の、つまり他人の身体なのよ? でも、昼間遊んだりしてる時それを意識したことがあったかしら? みんなに対して違和感を感じたことはあっても、自分の身体が上手く動かないといったことに関しては思わなかったんじゃない?」

「……そういえば」


 言われて初めて気付いた。

 思い返してみると、確かに今日身体が思い通りに動かなかったことはない。

 いつも通りに動き、まったく違和感を覚えなかった。

 だからこそ先ほどのことにそれまで気付かなかったわけだが――


「……考えてみりゃ、不思議だよな。普通他の人の身体に入れ替わったのなら普段通りに動かないと思うんだが」

「……それはそれで、今更だと思うわよ?」

「え?」

「入れ替わってるって時点で不思議なんだから、それ以上は何が起こっても不思議じゃないわよ。それに、相沢君は普通って言ったけど……普通の人はそんな体験したことないから分からないじゃないかしら?」

「……なるほど。確かに、な。でもまあ、本当に、変なことにまた巻き込まれたよなぁ……」

「……そうね。でも」

「ん?」

「……あたしは結構悪くないと思ってるわよ? こうして栞の姿になってみて初めて気付けたこともあるから……そう、今まで分かってたと思ってたことが、実はよく分かっていなかったってこととかね」

「……香里?」

「ねぇ、相沢君、知ってた? 栞の身体って小さいのよ?」


 問いかけるその言葉は、しかし何処か独白のような響きを持っていたように聞こえた。

 俺は一瞬迷い……結局感じたままに、敢えて何も言わず耳を傾けることにする。

 すると、やはり香里は答えを求めていたわけではなかったらしく、言葉は続く。


「私はね、分かってた……いえ、分かってるつもりだった。毎日顔を合わせてるんだから、そんなこと分かりきってるつもりだった。でもね、こうなってみて、私が思ってた以上に栞の身体は小さかったんだってことに気付いたの。……そう、こんなに小さい身体で、栞は頑張ってたのよね」


 それは、まるで懺悔。

 後悔の想いを乗せた言葉は。


「それなのに、私は――」

「あ、お姉ちゃんそんなところに居たんですか!」


 しかし、突如聞こえてきた栞の声に遮られる。

 声のした方に視線を向ければ、いつの間にかそこには栞が立っていた。


「……栞? どうかしたの?」

「どうかしたのじゃありませんよ! まったく、こっちは一生懸命頑張ってるっていうのに、何サボってるんですか!」

「サボるって……あなたねぇ、人聞きの悪いこと言わないでよね。あたしはちゃんと自分のノルマ終わらせたわよ?」

「なら手伝ってくださいよっ。こったはまだ終わってないんですから」

「……はぁ。まったくもう……分かったわよ。それで、あたしは何を手伝えばいいのかしら?」

「佐祐理さんたちのところがまだ時間がかかるらしいので、そちらをお願いします」

「分かったわ」


 頷くと香里は立ち上がり、台所の方へと歩いていく。

 何となくそれを見送っていると、ふと栞が先ほどの位置に立ったままなのに気付いた。

 栞もすぐに後を追うものだと思っていたのだが、香里が見えなくなっても動く気配は感じられない。

 俺が訝しく思い、声をかけようとしたその時。

 栞は香里が向かった方を見つめながらポツリと呟いた。


「……まったく、お姉ちゃんは困ったものです」


 一瞬俺は、それは香里が他の人を手伝わなかったことを責める言葉だと思った。

 が、すぐにそうでないことに気付く。

 それにしては言葉の調子が微妙におかしいような気がし、それになによりその顔が――


「……本当に、困ったものです」


 栞は再び呟いた。

 調子も、表情も、先ほどと同様のそれに、俺は声をかけるべきかどうかを悩み。


「どうしてお姉ちゃんはいつもああなんでしょうか……」


 続いた言葉に沈黙することを選んだ。

 それは独り言のようでもあり、誰かにただ聞いて欲しいだけのように思えたから。


「私のことを小さい小さいって……確かに私はお姉ちゃんと比べれば小さいかもしれませんが……色々と!」

「し、栞?」
 
「でも……お姉ちゃんだって私と大してかわらないじゃないですか。……小さいじゃないですか」

「……栞」

「こんなに小さい身体で全部一人で決めて、全部一人で背負い込んで。……少しは、私にも話してくれてもいいじゃないですか。……お姉ちゃんは、自分勝手過ぎるんですよ……」


 言葉が途切れ、沈黙が流れる。

 独白はそれで終わりなのか、栞からはもう言葉を発せられる気配は無い。

 俺は何も言えず、また栞も何か言葉を求めている様子ではなかったのでそのまま黙り。

 台所から聞こえてくる声がどこか遠くに感じた。

 と。


「さて、それでは私もそろそろ皆さんのお手伝いに戻りますね」


 不意に俺の方を向き、今までの調子を微塵も感じさせない声に笑顔。

 あまりに唐突なそれに一瞬面食らい、しかしすぐに栞の言いたいことを理解し。


「そうか、頑張れよ」


 だからこそ俺も普通に返した。


「はい!」


 台所へと向かい、遠ざかる背中。

 それは確かに香里の姿であり、髪は長いし、ウェーブもかかっている。

 どこからどう見ても見間違いようもないはずなのに。

 何故か、それが先ほどの栞の後姿に重なり。


「一人で背負い込む、か」


 俺はふと頭に浮かんだ言葉を口にしていた。

 栞が香里に向かい呟いたその言葉。

 栞は、分かっているんだろうか?

 それは……そのまま自分にも当て嵌まることに。


「確かに……困ったもんだな、あいつらは」


 ただの自分勝手ではなく、相手を想っての自分勝手。

 まったくもってタチが悪い。


「……やれやれ」


 溜息後苦笑。

 何だかんだ言っても、やっぱりあの二人は姉妹なんだよな。

 俺は再び居間に一人きり、暇になったので。

 元に戻ってから、あの頑張り屋の二人のために何か出来ることはないかと、そんなことを考えていたのだった。


























 そして時は過ぎ、夕食。

 昨夜と同じ人数で囲まれた食卓は、やはり昨夜と同じように全員のいただきますという声と共に賑やかに始まった。

 相変わらず違和感は拭えないが、ここまで来るとそれでも大して気にならなくなってくる。

 これは元に戻ったら戻ったで少しの間混乱するかもなぁ、などといったことを考えながら箸を動かす。

 料理は相変わらず絶品。

 それに舌鼓を打ちながら、ふと今日のことを思い出す。

 まあ、まだ何も解決していないし、そもそも今日はまだ終わってもいないのだが。

 でも。

 思った。

 やっぱり今日は楽しかったな、と。

 それこそ、色々と。

 みんなも楽しめ、そして何かしら得るものがあったんじゃないかな、とみんなの楽しそうな顔を見ながら思ったりもする。

 不安はあったし、勿論今でもあるけど……今日の出来事は後で楽しく話せそうだな、などとも思いながら。

 箸と話は進んでいった。

 宴もたけなわ。

 料理はなくなってきたが、それに反比例するかのようにみんなの口数は増えていく。

 騒がしく楽しい空気の中、しかしただ一人だけほとんど喋っていないやつが居た。

 俺の真横の席に座ってるやつ……あゆだ。

 始めはそうでもなかったのだが、徐々に口数が減り、ここしばらくはまったく喋っていないような気がする。

 俯き、何かを考えているようだった。

 そんなあゆのことを眺め、どうするか考え。


「なあ、あゆ。どうかしたのか?」


 結局、聞くことにした。

 あゆはそれで自分が今どんな状況なのかに気付いたらしく、慌てて顔を上げると取り繕うような笑顔を浮かべる。


「え、え〜と……べ、別に何でもないよ?」

「何でも無いわけないだろ? さっきからずっと何か考え込んでる様子だったじゃないか」

「あっ、と……見られてたんだ」

「……そりゃ隣だからな。嫌でも目に付くさ」

「……そっか」


 それでもやはり話す気はないのか、それとも迷っているのか。

 あゆは再び俯いてしまう。

 どちらとも判別しにくかったが、とりあえず俺は少し待ってみることにした。

 あゆから視線を外し、みんなの様子を何となく眺め。


「……みんな、ちょっと聞いて欲しいことがあるんだけど、いいかな?」


 どうやら決意したらしいあゆの声をそうしながら聞いていた。

 突然のことで驚いたみんなは一瞬止まり、そして次に一斉にあゆへと視線を向ける。

 それに少し躊躇するような様子を見せたが、しかしあゆははっきりと喋りだした。


「……ごめんね、突然。しかも、みんなが楽しんでる時に」

「それは別にいいんだけど……どうかしたの、あゆちゃん?」

「うん……実は、今回みんながこうなっちゃった原因が分かったかもしれないんだ」

『え!?』


 それは、本当に突然だった。

 その場に居る全員、秋子さんまでもが驚いた表情を見せている。

 何を悩んでるのかと思ってたら、まさかそんなこととは――


「……あゆ、それは本当か?」

「うん……と言っても、あんまり自信は無いんだけどね……」

「いや、だとしても今はまったく手掛かり一つない状況だからな。とりあえず、話してくれないか?」

「うん……分かった。実はね――」


 あゆが話してくれた内容とは、簡単に言えばこういうものだった。

 まず、さっき寝ていた時夢の中に天使が現れ、言ってきたらしい。

 自分のせいで大変なことになってしまってすいません。

 あなたの望みを叶えたかっただけなんですが、それは余計なことだったみたいでした。

 でもそれは一日だけしか持たないので、明日起きれば元に戻ってる、と。

 そして最後にもう一度謝ると。

 でも喜んでもくれたみたいでよかった、と言い消えたらしい。

 そしてそれを見た時、あゆは思い出したのだそうだ。

 昨日――日付的には今日だが――夜寝た時、同じような夢を見たことを。

 その時確かに自分の望みを聞かれ、本当に今日俺が言った通りのことが起こるのならば、起こって欲しい、と答えたことを。

 分かりましたと言い、消えた天使の事を。

 そこで話は終わったが、しかし誰も何も話す気配は無かった。

 あゆも再び俯き、言ってしまったことを後悔するような顔をしている。

 ……確かに、突拍子も無い話ではある。

 天使があゆの願いを叶えてくれたなど、普通は信じないだろう。

 が、それを言うならばこの状況事態が普通では無い。

 それに俺たちは色々と不思議な体験をしているし、舞や真琴などはその具体例みたいなものだ。

 天使などの存在が居て、あゆの願いを叶えてくれたとしてもおかしくないような気もする。

 と――


「……ねぇ、月宮さん。一つ確認してもいいかしら?」

「え? う、うん、いいけど……?」

「夢に現れた天使の人……人って言っていいのか分からないけど、まあ、とにかくその人は明日起きたら元に戻ってるって言ったのよね?」

「うん、そうだけど……?」

「そう……」


 そう言うと香里は視線を時計へと移動させ――


「なら、あと五・六時間しか残っていないのね」


 そんなことを言った。

 続き。


「……そうですね」


 天野が頷く。

 そして、二人のそれに一番反応し驚いたのは、やはりというかあゆ。

 驚愕を表情に貼り付け――


「え!? か、香里さんに美汐ちゃん、それって……」

「あら、何か間違ってるかしら? 昨日と同じぐらいに寝るとするとそのぐらいになると思うんだけど?」

「いえ、美坂先輩、皆さん昼寝をしましたからもう少し寝るまで時間あるのではないでしょうか?」

「確かに……そういわれればそうね」

「そ、そういうことじゃなくて! ……二人とも、ボクの話、信じてくれるの?」

「当然でしょ?」

「当然ですね」

「な、何で?」

「……月宮さんもおかしなことを言うわね。それじゃあまるで信じて欲しくないみたいよ?」

「そ、そんなことはないけど……でも、こんな話」

「信じられないような話というのならば、私たちは他にも沢山経験していると思いますが?」


 あゆはまさか信じてもらえるとは思わなかったのだろう。

 先ほどからずっと顔からは驚愕の表情が消えていない。

 そして他のみんなはというと、どうやら香里たちに同感らしく、頷き笑みを浮かべている。


「ま、そういうことだ。それに、もしその話が本当はただの夢だったんだとしても、別に害があるわけじゃないだろ? 確かに元に戻れてないのは困るが、だからといってその話を信じなかったら元に戻るわけでもないしな」


 俺たちの言葉や、みんなの様子に安心したのか、あゆはほっと息を吐くとようやく安心した様子を見せた。

 表情に漸く笑みが戻る。

 そして。


「さて、んじゃ時間もあまりないことだし、再び騒ぐとしますか!」


 北川のその言葉を合図にして、それまでの雰囲気を吹き飛ばすかのように宴が再開されたのだった。


























 周囲は暗闇に包まれ、光は存在しないと言ってもいいほど。

 聞こえて来る音は、微かに虫の鳴き声や時計の針の動く音。

 それと、隣から漏れてくる寝息のみ。

 そんな中で、俺は一人で考え事をしていた。

 まあ、一人とはいえ隣には北川が寝ているのだが。

 あれから数時間が経ち、日付もすでに変わっている。

 みんなはおそらく今頃夢の中だろう。

 そんな中俺が何を考えいたかというと――


「……さっきからずっと何考えてるんだ?」

「――っ!」


 不意に話しかけられ、夜中だというのについ声を上げそうになってしまった。

 それを何とか堪え、視線を隣へ向けると――


「……寝たんじゃなかったのか?」

「いや、どうにも隣のやつが何か考えてる様子だったんで、寝るに寝れなくてな」

「……悪い」

「アホ、冗談だ。……まあ、何となく寝れなくてな」

「……そうか」

「で、何を考えたんだ?」

「ん〜……まあ、ちょっとな」

「……月宮が願ったことに関してか?」

「……俺ってそんなに分かりやすいか?」

「さあ、どうだろうな? 俺も何となく思っただけだし……まあ、少なくとも分かりづらいってことはないわな」

「……そうか」


 闇の中、一瞬静寂が訪れる。

 そんな、北川の顔もよく見えない状況だったからかもしれない。

 ただ、誰かに話したかっただけなのかもしれない。

 まあ、理由はともかく。


「……まあ、実はその通りなんだが。……俺があんなことを言わなかったら、こんな風にはならなかったんじゃないか、とか考えちゃってな。考えてもどうにもならないってことは分かってるし、別に後悔してるってわけでもないんだが……こう、どうにもすっきりしなくてな」


 俺は自分でも意外に思うほど素直に自分が考えていたことを話していた。

 俺の言葉に、北川は何か考えているのかしばらく何も言わなかったが。


「……考えすぎだ、アホ」


 唐突にそんなことを言ってきた。


「……確かに考えすぎかもしれないが、アホはないだろ、アホは。これでも真面目に考えてるんだぞ?」

「真面目に考えてるからアホなんだよ、お前は」

「ぬぅ……」


 あまりにもはっきり言うからか、俺は何となくそれ以上反論が出来なかった。

 しかし北川は俺のそんな様子など関係無いとでも言うかのように、どこか諭すような口調で続ける。


「確かに今回のことはお前の嘘が原因かもしれないが、別にいいじゃねぇか。誰もお前を責めやしねぇって。というか、むしろ感謝するかもしれないってのによ」

「……感謝?」

「ああ。最初は確かに驚いたし、どこかで不安を感じてもいたが……でも、今日は楽しかったぞ? 色々と今まで気付けなかったことに気付けたりもしたしな。多分みんなそうだと思うし……お前もそうじゃないか?」

「……まあ、確かに楽しかったし気付けたことなんかもあるが……」

「だろ? ならそれでいいじゃねぇか。お前が考えたところですでに起こったことは戻らないし、そもそもそれももう終わりだ。それに、今日のことが無かったことになって欲しいなんて、多分誰も思っちゃいない。ほら、お前が考える必要は何処にも無いだろ? 反省したり後悔するっつっても、何をするんだ、って感じだしな。分かったか? 分かったら、さっさと寝ちまえ。俺もそろそろ眠くなってきたんでな」


 北川が言ったことは、確かにその通りだった。

 でもおそらく俺が一人だけで考えていたんでは思いつかなかっただろうことでもある。

 いや、仮に思いついたとしても、それは言い訳だとか考えたような気がする。

 ……ああ、そうか、俺は結局――


「……北川」

「あん?」

「ありがとうな」

「やめろって。別にお前のためを思って言ったんじゃなくて、俺が寝たいから言っただけなんだからな」

「そうか……ああ、それと」

「何だ、まだ何かあるのか?」

「そんなこと言うなんて、似合わねぇぞ」

「やかましい! さっさと寝ろ!」


 そう言うと、北川が微かに動いた気配がした。

 おそらく、こちらに背中を向ける体勢にでもなったのだろう。

 その様子に、俺は笑みを漏らしながら。

 ――本当にありがとうな、北川。

 心の中でもう一度礼を言い、目を閉じた。

 何となく、よく寝れるような気がした。


























 鳥の囀りが遠くに聞こえ、瞼に微かな光を感じる。

 それらに引っ張られるように徐々に意識が覚醒へと向かい、身体が目覚めて来るのが分かる。

 もう朝か……。

 何となく考えたそれに従うように、薄っすらと目が開いていく。

 どうやら、今日は昨日とは異なりすっきりと起きることが出来そうだ。

 はっきりとしてきた思考の中、そんなことを思うのとほぼ同時に目を完全に開け。


「……あれ?」


 そうして視界に入ってきた天井に、つい声を上げていた。

 別に実は天井が無くて青空が開けていたとかいうことはなく、そこにちゃんと天井はある。

 しかし問題はむしろその天井にあるわけで。

 いや、別にそれ自体に問題は無いのだが、今の状況を考えるとそれはやはりおかしく。


「……もしかして、夢だったのか?」


 何故天井が俺の部屋のそれなのかを考えた瞬間、ふとそんなことを思った。

 同時に頭に浮かんだ夢オチという言葉に、でも確かにそれなら辻褄は合うと、俺は半ば納得していた。

 みんなが入れ替わるなんて、幾ら何でもどうかと思うし。

 ……にしても、ということは一体何処からが夢だったんだ?

 俺が自分の部屋で寝ているということは……みんなで集まったのも夢ってことか。

 となると、二日分の夢を見ていたということになるが……まあ、夢だしおかしくもないか。

 俺はそんなことを考えながらもとりあえず身体を起こし。


「……ん?」


 そこでふと何かがおかしいような気がした。

 だがそれが何かまでは分からず、それを探ろうと視線を巡らし――そこで、俺の隣にベッドがあるのに気付いた。

 ……はて、何故そこにベッドが?

 ベッドがあるのにわざわざ床に寝るなどということをした記憶は無いし……となると、寝ぼけて落ちたか?

 いや、それにしてはこの感触からいって下に布団が敷かれてるみたい、だ、し……?


「……あ、れ……?」


 布団を確認しようと自分の身体を見下ろし、しかしそこで俺の思考と身体が凍りついた。

 目の前に広がっている有り得ない光景……というか、その変な物体を見てしまったから。

 いや、決してそれ自身が変というわけではなく、ここにそれがあることが変という意味であって――


「……う、う〜ん……」


 不意に横から聞こえてきた声に一瞬で我を取り戻し、ゆっくりと恐々といった感じで視線を向ける。

 と、そこには――


「……え、と……何故、私の隣に栞さんが居られるのでしょうか……? ……と、いうよりも……もしかすると、ここは相沢さんの部屋、ですか……?」


 瞬間感じる既知感。

 視界に入る姿と、聞こえた口調。

 それに違和感も感じるのだが、既知感の方が勝っており……俺は現状を理解した。

 理解してしまった。

 しかし、それに対して何かを考える前に俺は天井を仰ぎ。


「――治るどころか悪化してるし!」


 とりあえず昨日に引き続き全力で叫んでみた。

 ――どうやら、騒動はまだまだ続くらしい。