Dearボクの辞書





 ボクには最近までまるで意味の理解できない言葉があった。

 それは『萌え』という言葉についてである。

 辞書どおりの意味で踏まえるならば、

『萌える』:若芽が伸びる。

 となっている。
 しかし、近頃ニュースなどで取りざたされる『萌え』は何かが違う気がする。

 どうしていまさらこんな言葉が気になるようになったのか、それは―――

「なぁ、萌えって一体どういう意味だ?」

 と聞いてくる友人がいたからである。

 彼の話によると、高校に入ったばかりの彼の兄が休日も外に出なくなり、自分の部屋に引きこもってパソコンでゲームばかりしているのだという。
 彼が兄にそのことを尋ねてみると「高校で知り合った先輩から色々教えてもらったから」とか何とかで『萌え』というものに目覚めたらしい。

 正直、この話を聞いていて世間で跋扈している『萌え』の意味が余計わからなくなった。
 草木が伸びることに目覚める? まったくもってわけがわからない。

 ボクの友達の話を聞いていてもまるで要領を得ないので、ボクと『萌え』に目覚めた(?)という兄を持つ友達、皆川くんと、自称『萌え』について理解しているという友達、横川くんと一緒に休日に皆川くんのお兄さんに会いに行くことにした。






 正直に言おう。まず初めに先立つものは後悔だった。

 はっきり言わせてもらうと、皆川くんのお兄さんはボクの目から見てはっきり言わせてもらうと「変態」だった。

 そのときの様子を、ボクの主観を交えつつできる限り回想しようと思う。







―――コンコンッ

 皆川くんが、彼の兄の部屋をノックする。少し間があって「はいよ、どーぞ」というお兄さんの声が聞こえたので、ボクたちは部屋に入った。

「ん? なんだ。三人して何の用だ?」

 お兄さんが不思議そうにボクたちに尋ねた。皆川くんが言いづらそうにしてたので、代わりにボクが言おうとしたとき、

「お兄さん、オレたちに『萌え』について教えてください」

 と、自称『萌え』について理解しているはずの横川くんがそう鯉口を切った。その喜々とした横川くんの目に一抹の不安をボクは感じていた。

「いや、そのぉ『萌え』についてなんて語れるもんじゃないよ。て言うかお前らにはまだ早い」

 なにか奥歯に物の挟まったような言い方をするお兄さん。『萌え』とはそこまで何か難しいものなんだろうか。

 でも、テレビで「萌え〜〜っ!」とか言ってる人たちはとても頭がよさそうには見えなかった。むしろ、非常に頭が悪そうに見えた。
 もしかしたら、『萌え』というのは人の頭を悪くすることなのかもしれない。それならお兄さんがボクたちにまだ早いということの意味が会う気がする。

 そう思っていたときに、横川くんが「やっぱりあゆが一番ですよねぇ?」

 そう、言ったとき。お兄さんの目がカッと開いて、眼の色が変わる瞬間というものをボクは目撃してしまった。

「なに言ってんだよ、栞が一番に決まってんだろ!」

 と、強く言い出すと、横川くんとの凄まじい応酬が始まった。
 次第にヒートアップしまくっていく二人の会話から聞き取れる単語だけを上げていくと

 アイスクリーム、たいやき、納豆、牛丼、いちごサンデー、奇跡、まいの小さい頃が、いやなゆきが、はちみつくまさんは最強、うぐーに決まってる、そういえば風子は、ヒトデ、せんべいパン、お前にレインボーetc

 なんだかよくわからないけど、人と食べ物が『萌え』に関係しているんだろうか? て言うか聞いていたらどうも出てくるのが女の子っぽい名前しかない。そういえばテレビで「萌え」という単語を発していたのは男性しかいない。
 ってことは、萌えってのは男性が女性に対して(?)言う言葉だということなんだろうか?

 でも、目の前でよくわからない単語と怒涛の早口での状況説明(?)と『萌え』や『萌えるよなぁ?』、『○○って萌えねぇ?』という言葉を聞いている限りじゃちっともなんとことかわかりゃしない。



 だけど、そう思った数秒後にボクは『萌え』というものがなんとなく理解できた。



 横川くんが図々しくもお兄さんに机の上にあるノートパソコンの中を見ていいか? と聞いて、お兄さんがそれにOKを出して、すかさず横川くんが電源を入れる。ちょっと待って、お父さんは使いづらくなったといつもぼやくOSが立ち上がる。

 そして、お兄さんのパソコンの強烈なインパクトを持つ壁紙がボクの目の前に現れた。


 裸の女性の絵だった。全裸ではなかった(下のほうが描かれていないのでよくわからない)が、上半身をさらけ出した女性が絡み合っている絵(眼が大きめで結構マンガっぽい)がボクの目の前に現れた。

 ボクは正直目の前の光景に唖然としていたが、横川くんはそれにまったく気にも留めずあれこれとお兄さんと話しをしている。

 隣に座っていた(横川くんとお兄さんの舌戦の最中に座布団を勝手に出してボクと一緒に座ってた)皆川くんの方を横目で見やると、皆川くんもボクと同じような表情をしていた。
 ボクと同じことを考えたのか、横目でこちらを見やる皆川くんとばっちり目が合ってしまった。
 目の前にはいまだに熱く何か多分きっとまず間違いなく『萌え』に関係する何かを話し合ってる横川くんとお兄さん(もういちいち横川くんとお兄さんで呼ぶのも面倒なのでので変態二人組みとしよう)

 目の前の二人の姿を背景にボクたちはたぶん完璧なアイコンタクトができた。

(………皆川くんの部屋に行っていい?)
(ああ、いいよ。一緒にストUでもやろうか)
(あ、いいねぇ。そうしよそうしよ)

 そうして、変態二人をお見合いのような感じでお好きにどうぞと置き去りにして、ボクと皆川くんは皆川くんの部屋でゲームをすることにした。



 ボクと皆川くんがこのゲームをやると、いつもそれは熾烈を極めた。

 PS2でもなくXboxでもなく、スーパーファミコンのスト2で遊ぶのが近頃のボクたちの間でのはやりだった。

 皆川くんはいつも白い胴着の空手家を、ボクは見事に頭のてっぺんが見事に真平らに整えられたアメリカ軍人をずっと使っていた。
 対空の必殺技も遠距離攻撃をするにもタメの必要なボクのキャラに対して、遠距離攻撃の技の早さやバランスのよい対空の必殺技のコマンドを有しているにもかかわらず、皆川くんが常に勝ち続けるということもなくいつも勝負は互角だった。

 どれぐらい互角かというと、以前、百本連続勝負をやったときに四十五勝四十五敗十引き分けと素晴らしいほど互角だった。


 そんなわけでいつもと同じように互角の勝負をしていたら………


「おい、テメエらっ! 今から貴様等に『萌え』の何たる科をわかりやすく説明してやるから耳の穴かっぽじって頭フル回転でありがたく聞きやがれ」


 変態の片割れ(年上)があらわれた。
 ボクの頭が痛くなったような気がした。気のせいだと解ってるけど痛くなった。


「とりあえず資料はこちらにご用意いたしましたのでこちらをどうぞー」


 小脇に何かを抱えた変態の片割れ(年下)があらわれた。
 ボクの頭痛が現実になりそうだ。


 そんなわけで、二時間にもわたる『萌え』についての講義が変態二人組みによって行われた。

 まぁ、変態二人組みの主観が入りまくりつつもそこそこに論理的な展開を見せた二人による講義は、ボクにとってはなかなか興味深く、そして解りやすいものだった。

 要約して説明すると、『萌え』とは可愛い女の子(この可愛いの基準がまた色々と存在する)を見て興奮することを『萌える』というそうだ。

 またこの『萌え』方にも人それぞれの形があり、性的対象として興奮するのは『萌え』には当たらず、あくまでプラトニックに可愛いものを可愛いと素直に表現するのが正しい『萌え』であるらしい。
 二人を見ていると、とりあえずは二通りの『萌え方』があるのがわかった。

 半ばやけになったかのようにベッドにある枕を持ち出していたすら叩きまくって有り余った『萌え』エネルギーを打撃力に変換してひたすら悶える打撃型の『萌え』

 そして、なにやらツボに来るシーンが発生すると身をくねらせて、何か新しい芸術的なポーズにでもなりそうな表現型の『萌え』

 どちらにせよ端から見てるボクらにとっては警察にでも突き出したくなるような変態二人組みだった。

 ついでに、この場で属性という興味深い……わけでもないが、とりあえずこういう変態じみた人たちの行動を語る上で欠かせない要素があることがわかった。
 属性、というのは要するにこの人たちがどういうものに反応して『萌える』かというものの大まかな分類わけだそうだ。


 その代表例としては――――

『ネコミミ』;要するに頭に猫系の形の耳をつけてる姿。
動物的な要素がいいらしい。

『ツンデレ』:出会った当初はそっけなかったりつんけんしているのだが、仲良くなるにつれてベタベタに甘えてくる性格のこと。

『幼馴染み』:世話焼きなタイプがよくみられ、主人公(プレイヤー)との心的距離の近さ

『妹(義妹)』:主人公(プレイヤー)のことをお兄ちゃんと呼び、何かにつけてベタベタとしてくるのが多いらしい。

『ロリ(ツルペタ)』:()の中身とほぼ同義として扱われる。要するに幼女

『巫女』:袴姿がなんとも言えないらしい。

『ブルマー』:足の露出具合の多さがいいそうである。

『スクール水着』:ボクの主観から、露出が多い方がこのての人たちの好みだと思っていたのだが、どうやらそれは誤解なようで、スクール水着だからこそいいらしい。
通な人(?)は旧スク(?)でなければダメな人といるのもいるそうだ。

『メガネ』:眼が悪いということに加えて、メガネをしている姿が知的な雰囲気を醸し出すそうだ。
これに関してはボクも一理あるといわざるを得ない。
確かにメガネをかけてる人はなんだか無条件で頭がよさそうに見えてしまうから。

『メイド』:このごろ流行りの女の子の一形態で、テレビでも結構取り上げられている。
行く人々は「ご主人様」と呼ばれることに何か特別な優越感を感じるようだ。

 と、まぁこんな具合にそれぞれツボともいえる『萌える』ために必要な要素があるようだ。
 ちなみに変態(年上)はメイド+メガネを崇拝気味に偏愛していて、変態(年下)はツンデレ+幼馴染という組み合わせが好きなそうだ(この二人の意見を聞いたあと、お互いの意見に対して自分の意見しかぶつけない不毛な議論が発生した)

 さらには、萌えボイス(非常に耳につく甘ったるい声)なるものまで聞かされて、ついでに電波(脳内に非常に強いインパクトを残す)ソングと呼ばれる歌を延々二時間も聞かされた。



 ここまで精神的に疲れた日は今までには多分ないだろう。
 だがしかし、一応、皆川くんの当初の希望通り『萌え』というものがどういうものかわかったのでその一点だけに関してはよかったと思う。いや、本当によかったのだろうか?


 そう思いながらボクは家に帰り着いた。


「ただいまー」

 戸を開けて、玄関で靴を脱いで居間に入ると、

「おかえり、おにーちゃんっ」

 妹の沙雪がボクの足に抱きついてきた。

「ただいま、沙雪」

 そう言って、沙雪の頭を撫でてやる。眼を細めて沙雪が喜ぶ。
 少し視線を落とすと、沙雪の小脇に絵本が抱えられていた。

「夕飯、食べたらな。それからよんでやる」
「うん、ありがとう!」



 夕飯を作って食べたあと、ボクは沙雪に絵本を読んでいた。

「むかしむかしあるところに――――」

 ボクと沙雪は、実のところ血を分けた兄妹ではない。

 二年前にボクの母さんと沙雪の父さんが再婚して、ボクと沙雪は兄妹となった。

 はじめの頃は、沙雪も警戒心バリバリだったのだが、それも半年ともたなかった。

 それというのも母さんも義父さんもともに働きに出ていて帰ってくるのが少々遅いため、当然のように沙雪の相手をする人がボクしかいなく、必然的にボクと沙雪は仲良くなった。

 子犬のように遊んでくれとせがんでくる沙雪はとても可愛かった。


 そして最近のボクの趣味は、この可愛い妹に『嘘』を教えることだった。


「群れになったらオスのライオンは狩りをしなくて、狩りをするのは雌のライオンだけなんだよ」
「カバは血のように真っ赤な汗を流すんだよ」
「ハヤブサは新幹線よりも速く飛べるんだよ」
「チーターは100メートルを一秒で走れるけど、狩りが必ず成功するわけじゃないんだよ」
「キリンは牛のように鳴くんだよ」
「パンダは笹があれば他に何もいらないぐらい笹が大好きなんだよ」


 こんな感じで、本当の中に嘘を紛れ込ませて少しずつ沙雪に嘘の知識を増やしていく。もちろん本当のことのほうが多いが、それでも少しずつ間違った知識を教えていくのはなんとなく楽しかったりした。


 なんとなくだが、あの変態二人組みがボクのこの考えを読み取ったら、それこそが『萌え』だよとか何とか言われそうな気がする。

 いまさらだが、彼らの『萌え』というものに理解を示せそうな気がした。



 でも、絶対にボクの今抱いてるこの気持ちは『萌え』じゃない。誰がなんと言おうとそうなのだ。

 そんな、知らなくてもいい言葉を知ったとある日のことだった。




 その日、ボクの辞書に新たな言葉が加わった。







『萌え』:可愛いものを可愛いと思うこと