「佐祐理さん、今日は大事な話があります」
「ふぇ? 大事な話、ですか?」
目の前の大切な人は小首を傾げて俺を見上げる。
一つ年上なのに子どものような仕草は魅力的で、俺の心を離さない。
それでいて時にはお姉さんみたいになるんだから愛しくてたまらない。
普段は年下のように、時には年上のように。
こっちが困ってしまうくらい抱きついてきたり、服の裾を掴んで離さない時だってある。
こっちがびっくりするくらい叱られたり、礼儀について叩き込まれる時だってある。
でも、そんな風にころころと姿を変える様子は本当にずっと見ていたいほどで。
俺は彼女が本当に好きなんだな、なんて思ってしまう瞬間だったりするわけで。
「―――――別れましょう、佐祐理さん」
「え?」
「佐祐理さんのこと、大好きです。でも……ちょっと重たい」
「え、え……ゆういち、さん?」
「良家のお嬢さんとただの高校生だと、少し辛いんです」
俺の言葉を理解できたのか、できていないのか。
きっと理解はできても納得はできていない。
仮に納得できたとしても理解なんてしたくない。
佐祐理さんの立場に俺がいれば、そうだと思う。
「うそ……ですよね?」
ぽつり、と消えそうな声が聞こえた。
「ええ。嘘、です」
嘘だと告げて、だけど佐祐理さんは涙を流した。
幸せな嘘
どうやら俺が思っている以上に佐祐理さんは純粋で真っ直ぐだったらしい。
ちょっとした思い付きから別れ話なんてしてしまったわけだが。
今になって思えば、どうして思いつきで別れ話をしてしまったのか自分でもさっぱりわからない。
別れる気なんて欠片もないのに。
万が一、別れる日が来るのなら俺が佐祐理さんに嫌われるか、死が二人を別つ時だけだ。
俺から別れを切り出すなんて日は来るはずもない。
「……祐一さん、嫌いです」
「だ、だから俺が本当に悪かったですって! 謝ってるじゃないですかぁ!」
「…………むー」
ぷい、と顔を背けられた。
そんな佐祐理さんに思わず溜息が漏れる。
もちろん彼女には気付かれないよう、心の中での溜息ではあるのだが。
普段は素直で聞き分けの良い佐祐理さん。
一方で、こうと決めたら梃子でも動かないほどの強さも持ち合わせている。
今はそれが……少なくとも俺にとっては、悪い方向に出てしまっているようだ。
俺の自業自得だけど。
「佐祐理さーん。許してくださいよ……ちょっとした出来心ですって」
「ちょっとした出来心であんなこと言っちゃう祐一さんは、もっともっと嫌いです」
「……うう」
昨日の別れ話の後。
佐祐理さんは涙を流しながら走り去ってしまい、俺は周囲に冷たい視線を向けられつつ追いかけた。
だが出遅れたことに加え、予想以上の脚力を見せる彼女に追いつくことができないまま俺がダウン。
結局、佐祐理さんは自分の部屋に閉じこもってしまったのだ。
昨日は部屋に入れてさえくれなかったのだが、今朝再度訪れると入室は許可された。
とりあえず佐祐理さんの両親に苦笑されながらも俺は今、こうしてここにいるんだが……。
「ほ、ほらほらベッドから出ましょう。そうだ、デート行きませんか、デート」
「………………」
「今日は俺が奢ります。精一杯尽くします。だから、ね? デートしましょう」
「……佐祐理は、そんな餌に釣られたりしないです」
「俺は単純にデートしたいだけだったりするんですけど」
「じゃあ余計に行ってあげません。祐一さんも寂しい気持ちを味わえばいいんですっ」
もぞもぞと布団の中に潜り込んでしまう。
綺麗な長髪がかろうじて見えるくらいまで潜ってしまっている。
中で猫のように丸くなっているのだろう、佐祐理さんの拗ね具合がわかるというものだ。
まあ、俺が佐祐理さんに嘘でも別れ話をされれば相当ショックだろうし。
いやまあ目の前が真っ暗になるだろうし。
だから佐祐理さんの対応も別に大げさじゃないっていうか、むしろ嬉しいし。
拗ねてるなら拗ねてるだけ、俺を想ってくれてるってことになるんだから。
「……わかりました。佐祐理さんが許してくれるまで、俺、ここにいますね」
そんな言葉に反応してか、佐祐理さんが少しだけ顔を出す。
もぞもぞ動いたかと思うと布団の中からこちらを伺うようにじーっと見てくる。
小動物が怯えているような、警戒しているような、そんな感じがして妙に可愛らしい。
思わず口元が緩んでしまうほどだ。
「むぅ。どうして笑ってるんですか?」
「いや、だって。こんなこと言うと怒られそうだけど……拗ねてる佐祐理さんも可愛くて」
「ふぇ…………だ、だめなんですからっ、そんな、ご機嫌取ろうなんてっ」
「そんなつもりじゃないですけどね。少しくらい、顔、見せてもらえると嬉しいなあ、とか」
「むー」
布団から目だけ覗かせたまま俺を睨む。
だが元々が可愛らしい顔立ちのせいだろう、怖さはなく、可愛さだけが際立ってしまっている。
まあ、恨みがましい視線だから怖くなくても俺の心はぐさぐさ痛い。
それを誤魔化すように、佐祐理さんが逃げ出さないうちに髪に指を挿しいれた。
柔らかな感触が気持ちいい。
引っかかりもなく流れるように梳けるのはさすがと言うべきか。
繰り返し繰り返し髪を梳いていると佐祐理さんが眠たげになってきた。
とろんとした視線で俺を見ている。
このあたり、子どものようで可愛らしい。
「寝てもいいですよ。起きるまで、ちゃんといますから」
「……寝ないです」
「そんな、無理しないでも。佐祐理さんが寝たからって帰ったりしませんよ」
「寝たら、祐一さんに……えっちなことされちゃいます」
「……………………しません」
「その数秒の間はなんですかっ」
がばあ、と起き上がる佐祐理さん。
髪に挿し入れていた俺の指も跳ね除けられる。
絹糸のような髪が一瞬だけ浮き上がると静かに流れ、佐祐理さんは上体を起こした。
布団は両手で太もものあたりに下ろしているから露な上半身はパジャマ姿。
初めて見た時に、普通のパジャマなんですね、と言って不思議がられた記憶がある。
佐祐理さんはお嬢様みたいなとこあるからネグリジェとかなんか、そういうの想像してたわけで。
実際は普通の女の子なんだが。
「…………」
なんだが。
布団の中で暴れたりもしたのかもしれない……パジャマが乱れている。
パジャマの薄絹を押し上げる胸元は小柄な体にしては自己主張が激しい。
薄絹しか身に纏っていないのだから余計に目立つ。
しかも両手を太もものあたりに置いているせいで、胸が良い具合に強調されていた。
腕に挟まれて押し出されるような感じになっている上、柔らかさを誇示するようにふにっとなってる。
そして何より微妙に捲れてしまっているパジャマのせいで、おなかが見えている。
処女雪のように白い、触ったらすごい気持ち良さそうな、おながが見えている。
胸はもちろんなんだが、やはり素肌というのは良いもので。
いつものリボンもしていない素の佐祐理さんだから、なんていうか……艶かしい。
喧嘩なんてしていなければ今すぐにでも抱き締めたい。
ぎゅーってしたい。
のだが。
「ふぇ? あの、祐一さん、なんで佐祐理の方から目を逸らすんです?」
「お嬢様、身支度をどうぞ」
俺からは目を逸らしているので見えていないが、おそらく自分の姿を確認したんだろう。
ふわあっ、なんていう可愛らしい声が聞こえる。
布団の中に潜り込んで乱れた服装を直していると思うが、着替えたほうが早そうだ。
もしかしたら俺は退室するべきなのかもしれない。
しかし迂闊に退室なんてしてしまうと今度は部屋に入れてもらえない可能性が出てくる。
ここは佐祐理さんのパジャマ姿を堪能するとしよう。
若干目的が変わってる気もするが気にしない。
「もう、祐一さんのえっち!」
「ちゃんと見ないようにしましたし、注意もしたじゃないですか」
「でも見ましたよね」
「あんな不意打ち気味に布団から出られたら見ないほうがおかしいですって」
「それはそうかもしれませんけど……恥ずかしいじゃないですか〜」
必要以上に俺を警戒している佐祐理さんはベッドから抜け出したものの、体にシーツを巻きつけていた。
それは逆に艶かしい色気を出しているのだが本人は気付いていないだろう。
まるでシーツの下は何も着ていないように見えるのだ。
髪は少し乱れているし、恥ずかしそうに頬を染めているので余計に女の子しているように見えてしまう。
青少年には目の毒。
いや、さっきまでのパジャマも目に毒だが。
いや、ある意味では毒じゃないんだが。
それでも俺は佐祐理さんにストップをかけなければいけないのである。
「佐祐理さん、シーツ外してください。逆効果ですから」
「逆効果、ですか?」
「あの、ですね」
「はい」
「…………その、余計に想像を掻き立てられる、とでもいうか」
「………………………………」
「まあ、そういうことなんで」
えいやっ、と佐祐理さんは無言でシーツをベッドに投げる。
そしてそのまま何事もなかったかのように笑顔で俺に向き直った。
今だけは貴女の笑顔が恐ろしい。
シーツを剥がしたことで再び胸元が悩ましいが、気持ち見ないようにする。
あくまで気持ちなので実際は見ているのだが。
仕方ないだろう、男の子なのだから。
目の前に薄絹一枚の可愛い女の子がいるならば見ないほうが失礼というもの。
ぽふ、と胸元で合わせた手のひらと眩しい笑顔が若干怖いけど。
「仕方ないですね〜。祐一さんを嫌い続けるのは無理みたいです」
「あの、言葉とは裏腹に全身から怒りのオーラが出てませんかマイハニー」
「そんなことありませんよマイダーリン?」
「……ごめんなさい」
マイハニー、と茶化した瞬間に佐祐理さんが胸元で合わせた手のひらに力が篭った。
マイダーリンのところなんて言葉の重圧が物理的衝撃を伴う寸前である。
それでも笑顔を崩さないあたりが佐祐理さんなのであるが、それが怖い。
可憐な口元からフフフと声が漏れ始めた佐祐理さんに俺は屈するように謝った。
本能というやつだろうか。
「ほんとに、もう」
はふ、と悩ましい吐息を漏らしながら、ベッドの中にいたせいで固まったらしい関節を伸ばす。
背伸びをするたび、腰を捻るたび、漏れる声は艶を帯びている。
天井に手を向け背筋を伸ばせば薄絹は上に引き上げられおへそが見えてしまう。
体を軽く左右に捻れば腰元と胸元が色っぽい。
何をしても絵になる人だな、と思う。
そんな柔軟体操を一通り終えた佐祐理さんは、とさっとベッドに座り込む。
枕を抱きかかえて不満そうである。
可愛らしいけど。
でも気持ち神妙に俯いた状態で俺は佐祐理さんの言葉を待つ。
「反省してますか?」
「はい」
「……佐祐理、本当に泣いたんですからね」
「はい」
「責任、取ってくれますか?」
「は―――――いぃ!?」
がばっと顔を上げて佐祐理さんを見る。
愛しい女性は悪戯が楽しくて仕方ない、とでも言いたげな笑顔で俺を見ていた。
どうやら俺が若干演技してるのもバレていたのか。
それとも随所に挟まれる佐祐理さんラブ視点がバレていたのか。
どちらにせよ佐祐理さんは機嫌を直しているようである。
「ね、祐一さん。佐祐理のこと、好きですか? 愛してくれていますか?」
「当たり前じゃないですか」
「それでは、今。このお屋敷には佐祐理のお父様もお母様もいます」
「はあ。会いましたから知ってますけど」
「部屋の前にはたぶん使用人の方がいます。呼べばすぐに来てくれるでしょう」
「……それは知らなかったけど。いるんですか?」
「はいっ、いますよ〜」
なんだろう。
仮に佐祐理さんが助けを求めれば俺は排除されるとかそういう仕組みだろうか。
排除方法は武力制圧チックに。
漫画で読んだ重火器をスカートに仕込んでいるメイドさんが脳裏をよぎった。
「そんな状況下で、今、佐祐理を抱けますか?」
「……ぁ…………………………ぅえ?」
脳裏に浮かんだメイドさんがマシンガンを乱射している。
もちろん標的は俺だ。
随分嬉々として撃っているのは気のせいだろうと思いたい。
「あ、の。佐祐理さん?」
「ふぇ?」
「本気……ですか? 両親が同じ屋根の下にいて、廊下に侍女が控えている状況で?」
枕を抱き締めながら佐祐理さんはにんまり笑う。
童女のような笑顔。
だが微量ながら黒さが検出されてしまいそうな笑顔である。
背筋を嫌な汗が流れ、喉が渇き、口元が引き攣って、俺は笑顔を取り繕えない。
なんともデンジャラスな展開になってしまったものだ。
「佐祐理を愛してくれてるんですよね。別れるなんて、嘘ですよね。そうですね……?」
枕を放り出すと呆けるように立ち尽くしている俺に歩み寄ってくる。
笑顔の質が、変わる。
俺の前に立った佐祐理さんは、くすりと笑う。
「ちょ、ちょっと、佐祐理さん! おおおおお落ち着いて!」
それを見ているだけで脳髄から蕩けてしまいそうになるほど蠱惑的な表情。
瞳に常の無邪気さはなく、時折見せてくれる若干サド入った扇情的な視線。
俺はそんな佐祐理さんに弱い。
ゾクゾクする。
相沢祐一という人間は、初恋の女性の印象が強くて年上に弱いのだ。
だから佐祐理さんがこういう風に俺をリードする気配を見せるだけでゾクゾクする。
魅せられたかのように、意識が凍る。
「いやですか?」
ゾクッと歪んだ快感に胸が躍る。
背徳の甘美な味が心に滲む。
後ろに手を廻して組んだ状態から俺を覗き込む佐祐理さんから目を離せない。
前に突き出された胸が、上目遣いの瞳が、その全てが俺を蝕んでいく。
佐祐理さんはこんな時でも綺麗な笑顔。
その質こそ別物だけれど、佐祐理さんを一言で表すなら笑顔という言葉が一番合う。
「佐祐理、ほしくないですか……?」
華奢な両手が俺の首に巻きついてくる。
しなだれかかるように俺の胸へと顔を寄せる。
熱い吐息が服越しに感じられて、心臓は破裂しそうなほどに脈を打った。
「ね?」
豊かな胸は柔らかさを誇るかのように俺の胸で歪む。
佐祐理さんが動くたびに形を変え、俺の心音は限界を知らないように早まる。
「祐一さん」
ぐい、と下に引っ張られたかと思えば耳元で囁かれた。
視線は同じ高さ。
すぐそこには瑞々しく、柔らかそうな唇。
覗き込んでくる佐祐理さんの瞳は俺を誘うような色。
「佐祐理さん―――――」
だから俺は、応えるように。
「あははーっ」
佐祐理さんを抱こうとしたところで、突き放された。
俺が前に出るのに合わせたかのようなタイミング。
両手で俺の胸を軽く押されただけで佐祐理さんの温もりは消えていった。
それに思わず呆然としてしまう。
こう、思いっきり盛り上げた……というか盛り上げられたテンションを流されたのだ。
思わず恨めしい目を佐祐理さんに向けてしまったとて、誰が俺を責められようか。
佐祐理さんの代わりに空気を抱き締めている自分の両手を見つめる。
ああ、空虚。
「嘘つきは嘘に泣くんです。どんな気持ちですか?」
「……鬼」
いつもの笑顔に戻った佐祐理さんは楽しそうだった。
悪戯が成功したからなのだろうが、俺としては堪ったものではない。
この気持ち、どうしてくれよう。
気が済んだのかベッドに座りなおしている佐祐理さんを見る。
色っぽい。
俺がその気になればそこは男と女……力の強さでは圧倒的に分がある。
だがそんなことをすれば現在地は倉田家、結末は見えている。
俺は涙を呑んで諦めるしかないのだ。
それに無理やりは好みじゃない。
佐祐理さんに無理やりされるのはちょっと楽しみだったりもするが。
軽く溜息を吐きながらクッションに腰を下ろした。
「ふふ、祐一さん可愛いですね〜」
「うう」
「祐一さんがあんまり可愛くて、つい佐祐理もいじわるしたくなっちゃいます」
「ううう」
最近たまに思うんだが俺はマゾ気質なのかもしれない。
どうにも佐祐理さんに追い詰められる状況を楽しんでいる節がある。
具体的には今とか。
まあ若干サド入ってる佐祐理さんとの相性は良さそうなので、それはそれで歓迎だ。
いやいやそれより今は現状打破をするべきである。
やり場のないテンションをどうするかではなく、佐祐理さんとの仲直りという目的を。
こればかりは真剣にやらなければいけない。
「今回の件は全面的に俺が悪かったので言い返せません……ですが」
「はい、なんでしょう」
「許してもらえますか? 俺もやりすぎたと思って、珍しく反省してるんですけど」
そんな俺の言葉から真摯な気持ちを汲み取ってくれたのだろうか。
佐祐理さんは笑顔を輝かせる。
「……珍しく、という余計な一言は照れ隠しと受け取りますね〜」
図星を突かれた。
ちょっと油断していただけに火照る頬を隠せない。
そんな俺を見て楽しんでいるのだ、目の前のお嬢様は。
そしてそんな俺を見て楽しんでいる佐祐理さんを見て、俺は楽しんでいるのだ。
ああ、効率的な関係。
「もう怒ってません。あの時も、怒るというよりは本当に哀しかっただけです」
「次からは前向きな嘘にしますから」
「あははーっ。そうですね、そうしてください」
佐祐理さんは前に流した髪を手でいじりながら答えた。
今回のことで辛い想いをしただろうに、前向きな嘘ならいい、だなんて何を思っているのか。
失礼ながらまたろくでもないことを考えているのか、と疑ってしまう。
俺をどうやっていじめようか、とか。
そして、それを少しだけ期待してしまうのだ。
だが髪を梳く佐祐理さんからは何も窺えない……どこまでも自然体。
「意外だ。まだそんなこと言いますかっ、とか怒られると思ったんだけど」
俺が不思議そうに聞くと、佐祐理さんは優しく微笑んでくれた。
大丈夫ですよ、とでも言いたげに。
「哀しい嘘は辛いだけです。でも、嬉しい嘘は喜べるじゃないですか」
「嘘なのに?」
「はい。嘘だとわかれば落胆はしますけど、佐祐理にとっては刹那の幸せも大切なんです」
「じゃあ、例えば」
考える。
前向きな嘘って、どんな感じなのだろう。
佐祐理さんはそれが楽しみなのか、楽しそうな笑顔を浮かべている。
なんだか期待に応えないといけない気分になってしまう笑顔だ。
その期待に応えられる言葉を、必死に考える。
「そう……ですね。佐祐理さん、俺はまだ学生です。幸せにしてあげられるかどうか、わかりません」
「はい」
「苦労もいっぱいかけると思います。でも、俺は佐祐理さんと一緒にいたいんです」
「……はい」
心臓が高鳴る。
これが嘘だとわかっていても、こうまで緊張するものなのか。
目の前に佐祐理さんがいるから余計に力が入ってしまう。
だけれど、嘘だとわかっているのに、目の前の佐祐理さんは幸せそうで。
さっきの言葉は嘘じゃないんだ、とわかる。
今この瞬間だけであっても……佐祐理さんは幸せなのだ。
「俺と結婚してもらえませんか? いや、違う。結婚しましょう、佐祐理さん」
「はいっ」
今日見た中で、一番綺麗な笑顔。
嘘を吐いたのに良かったと思えてしまうほどに綺麗な笑顔。
もちろん心は痛む。
だって、これは嘘だ。
それでも俺まで嬉しくなってしまうほど、佐祐理さんは嬉しそうだった。
「嘘、ですよ?」
「わかってます。でも、こういう嘘なら素敵だと思いませんか?」
ととと、と小走りに駆け寄ってきた。
そのまま座っている俺に抱きつきながら嬉しそうに話してくれる。
「佐祐理と祐一さんは恋人です。今は嘘でも、冗談でも……いつか、本当になるかもしれないじゃないですか」
「…………ぅ、あ、それは」
「だから嬉しいんです。幸せなんです。結婚しましょう、だなんて嫌いな人には言えないですから」
佐祐理さんの言いたいことが理解できた。
前向きな嘘、というのは相手との関係と考え方によっては幸せなのだ。
みんながみんなそう思うわけではないと思う。
だけど少なくとも佐祐理さんにとっては幸せと感じられて、それは俺にも理解できる感情。
「だから逆に別れましょう、なんていう嘘は哀しいんですよ? いつか、現実になってしまうかもしれませんから」
「……すみません。気持ち、改めてわかりました。大丈夫です。二度と別れようなんて言いません」
「あははーっ。佐祐理さんはお姉さんですから。許してあげますよ〜」
「ありがとう、佐祐理さん」
佐祐理さんを強く強く抱き締める。
少しでも幸せを感じられるように。
少しでも嬉しいと思えるように。
「ね、祐一さん。今すぐなんて言いません。でも、待ってます……待っていても、いいですか?」
「俺の台詞ですよ。今すぐには言えませんけど、待っていてもらえますか?」
胸の中で佐祐理さんは頷いてくれた。
それが嬉しくて、俺は佐祐理さんを近くに感じられるよう抱き締める。
壊してしまわないように優しく。
でも、離れていってしまわないように強く。
「はい。ずっとずっと待ってます。だから、それまでは……幸せな嘘を、大切にしておきますね」