闘技場の中心で相対する二人。
両者とも既に己の召喚器呼び出し、相手に向けて構えている。
「それじゃあ二人とも、準備は良いかしらぁん?」
ダリアの声に同時に頷くふたり。
相変わらず気の抜けそうな声にも関わらず、二人は全身を緊張させたままお互いの視線を交差させていた。
そう、後はダリアの一声で己の精神を戦いの場へと移行できるように。
「それじゃあ――試合はじめぇぇ!」
そんな二人の状態を見て取ったダリア。
そして大きく息を吸い込むと声高々に試合の開始を告げた。
――――――――――――――<Duel
Savior
黒の書 第22話>――――――――――――――――――
初めに動いたのは大河だった。
ダリアの掛け声と同時に、直前まで限界に引き絞っていた筋力が開放される。
爆発的な加速。
数メートルあった二人の距離が一瞬で零になる。
「――はっ!!」
一閃。
大気を引き裂く音と共にトレイターが振り下ろされる。
しかし、振りぬいたその先にカエデの姿は無い。
大河が大きく振りかぶった瞬間、既に彼女の身体はトレイターの間合いの外に飛び退いていた。
だが、これは大河にとって予想の範囲内。
勢いをそのままにさらに一歩踏み込み追撃をかける。
「――!」
驚いたのは大河の攻撃を回避するため空中へと飛び退いたカエデだった。
あけた筈の間合いが一瞬で詰められたことに、一瞬大きく目を見開く。
彼女の身体は未だ空中。
普通の人間は空中では自由に動けない。
本来ならばこれで詰み。
空中で回避行動の取れないカエデはあえなくトレイターの餌食となるはずだった。
だが――
大河の二撃目が到達する寸前、カエデの身体が再度加速する。
二段ジャンプ。
召喚器によってブーストされた能力が常人には不可能なそれを可能とした。
再びトレイターの間合い外へと逃れるカエデ。
だが、いくら常人を超越していたとしてもやはり人間。
いくら召喚器の力を借りようとも、魔法の使えぬ彼女が常時空中に居られるわけもない。
その体はいずれ重力に逆らえず落ちてくる。
どう足掻こうとも着地するその一瞬だけはどうしても体が硬直するのだ。
もちろんその隙を大河が見逃すわけがなかった。
落下地点を予測し、その地点目がけてとどめの三撃目を繰り出そうとする。
「――!?」
が突如、大河の足が止め、自らの前方にトレイターを盾のように構える。
直後、軽い衝撃が大河を襲う。
辺りに硬質な音が鳴り響き、乾いた音を立てて大河の足元に数本の刃落ちた。
「あ、あっぶねぇ……」
そう、それは忍者が持つ特有の武器苦無だった。
カエデは地面に着地する寸前、常人の目では捉えきれぬほどの速度で苦無を放ったのだ。
もしも、カエデの手が一瞬霞む瞬間を大河の目が捉えていなければ確実に直撃していたことだろう。
「よく……かわしたな」
体勢を整えたカエデが少し驚いた表情で大河を見つめる。
彼女にしてみれば完全に相手の不意を突いたはず一撃。
タイミングに狂いは無かったはずだし、苦無の速度も申し分ない。
寧ろ当たるのが当然の結果であったはずの一撃。
それを防がれたことにカエデは少なからず驚きを感じていた。
「ま、不意打ちには慣れてるもんでな」
大河はそんなカエデにニヤリと笑みを浮かべる。
彼の言葉に嘘はない。
何しろいつ何処から敵が襲ってくるか解らない敵地のど真ん中で戦い続けてきた彼だ。
多少の不意打ちには考えるより先に身体が反応するようになっていた。
初撃の奇襲は失敗……いや、それどころか逆に奇襲を喰らう羽目になってしまった。
予想よりも自分とカエデの技術の差が大きいことを大河は実感させられる。
(ま、そんなに簡単にはいかねぇってことだな)
だが、戦いはまだ始まったばかり。
まだ、彼の全てを出し切ったわけではない。
柄を握る手に力を篭め、再びトレイターを構える大河。
カエデもその大河を見て、すっと腰を落として身構える。
「それじゃあ……仕切り直しだ!」
その掛け声と共に、大河はカエデ目掛けて駆け出した。
観客席で二人の攻防を見ていた女性達の心を、二つの感情が支配していた。
一つは驚愕。
そしてもう一つは軽い落胆であった。
驚愕を感じていたのは三人の女性。
未亜、リリィそしてベリオである。
彼女達は全員大きく目を見開き、目の前で起きている戦いを見つめていた。
目の前で起きている攻防。
それは前衛ではない彼女達でも、十分にハイレベルなものだと理解できる戦いだった。
「どうして……あのバカにあんな動きができるのよ!」
だが、リリィはそう叫ばずには居られなかった。
そう、そのハイレベルな戦いを新しい救世主候補者だけが行っているのであれば何の問題もなかった。
だが、現実は違う。
今彼女の目の前で彼女にハイレベルだと思わせた戦いをしている人物の片割れ。
それを行っているのが当真大河だという事実が彼女には信じられなかったのだ。
「私と戦った時と……全然違う……」
そしてそれはベリオにとっても同様であった。
この間自分と戦った時からは想像もできないような、鋭い動き。
もしも、今の動きを自分との能力測定試験の時にされていれば自分は勝てただろうか……。
その答えを知る者は彼女のすぐ傍……いや中にいた。
(これは……予想以上だねぇ)
そう、もう一つ彼女の人格ブラックパピヨンである。
前衛系である彼女は今の大河の実力をベリオ以上に理解していた。
大河の動き、あれは訓練で身についたものではない。
型に当てはまらぬ自由奔放な攻撃。
しかし、それで居て急所に対する攻撃に対しては確実に反応する。
あれは実戦で培った動きだった。
恐らく今の大河とベリオがやり合えばまず勝ち目は無い。
いや、それどころか自分がでても結果は変わらないだろう。
(でも……もう少し防御を気にしたほうがいいんじゃないかねぇ)
だが、そんな彼の戦いを賞賛する彼女に、たった一つだけ不満を感じさせるのが彼の戦闘スタイルだった。
急所に対する攻撃に関しては確実に反応するくせに、それ以外の攻撃に対してはかなり無頓着なのだ。
致命傷さえ受けなければ良い。
そんな戦い方だった。
「お、お兄ちゃんって……あんなに強かったんだ……」
そして一番驚愕が大きかったのは彼の妹でもある未亜だった。
兄妹という関係になってからずっと一緒にいた兄の存在。
小さい頃は自分を守るために喧嘩ばかりしていたのは知っている。
だが、いくら喧嘩慣れしている兄とはいえ、ここまで強いなどとはまったく知らなかったのだ。
「でも……お兄ちゃん、格好いい」
だが驚愕もつかの間、彼女の頬が赤らむ。
どうやら予想外の兄の雄姿に惚れ直してしまったらしい。
代わり羨望の眼差しが向けられていた。
「……はっ!」
だが、その兄の雄姿を眺めていた未亜はふとある事に気づく。
ベリオの戦いの時とはまるで違う大河の動き。
しかも、良く見ればやたら真剣な表情をしているのがわかる。
あの兄があんなに真剣にがんばっている理由。
それは何か……。
「ベリオさんの時よりカエデさんの時の方があんなにやる気をだしてる……まさか」
普段の考えられないほど真剣な態度。
そして彼自身の持つ生来の性格。
それらのヒントから未亜はその答えにたどり着いた。
「お兄ちゃんはベリオさんは好みじゃなくて、カエデさんみたいなのが好みなの!?」
まったくもって勘違いである。
だが、そう思い込んでしまった未亜。
既に火照って赤らんでいた頬は元に戻っており、代わりに黒々とした嫉妬の炎が背後に燃え上がっていた。
「ということは、この試合にお兄ちゃんが勝っちゃうと……きっとお兄ちゃんはカエデさんにコスプレを要求したり、訓練だと偽ってとんでもないことしたり、カエデさんを木にぶら下げてあんな事まで……しかも最後には……だめ、絶対にだめ!」
まるで見てきたのではと思えるほど具体的な妄想を口にする未亜。
傍からみればかなり怖い。
事実リリィ等は未亜が独り言を言い始めた時点で少し距離を置いている。
ちなみに逃げなかったべリオも、その独り言の中に自分の名前がでた所を耳にした瞬間、笑顔のまま一瞬だけ、そうほんの一瞬だけだが非常に大きな青筋がたてていた。
どうやら大河はこの戦い、結果はどうあれ地獄を見ることには変わりはないようだ。
さて、そんな三人を余所に冷静に戦いを観察をしていたのはリコとダリアである。
特に、ダリアの方は大河の動きを瞬き一つせず見つめていた。
(召喚器の補助を除いた技のキレは傭兵科のトップクラスと同等ぐらいか……でも、急所に対する攻撃だけに対しては凄まじい反応速度ね……しかも手足の腱もしっかり守ってるわ。やっぱりあの動きは実戦で覚えたと見て間違いなさそうねぇん)
大河の動きを逐一分析しながら、その能力を推し量ろうとするダリア。
どうやら彼女もパピヨンが推測したものとほぼ同じ内容を推測しているらしい。
(でも、確かに凄いといえば凄いけど、やっぱり技術や練度でいえばヒイラギさんと比べると見劣りしちゃうわねぇん)
改めて観察してみれば当初予想していたよりも実力はある。
だが、細かくみてみれば相手に攻撃が当たりそうになる瞬間だけ僅かにスピードが緩んだり、急所以外の攻撃に対しては防御が雑だったりと特別に凄いというわけでもない。
予想以上と言っても範疇を超えるレベルではないということだ。
あの程度ならば仮に敵だったとしてもそれほど脅威になるとはダリアには思えない。
もしかしたら、大河が戦いに関する才能があってこの世界にきて開花したのではないかと言われれば納得できないこともないレベルである。
(やっぱり考えすぎだったのかしら)
王女をモンスターの群れから救い出した彼を見た時、何か感じるものがあったのだが勘違いだったのだろうか。
どこか期待していただけに、軽い落胆がダリアの胸中を漂う。
(ま、大河君とヒイラギさんが予想以上にできる子だってのが解っただけ、これはこれで良いのかしら)
ベストな結果は得られなかったが、ベターな結果が得られた事にとりあえず納得するダリア。
必要な情報を得た彼女は、彼女は観察モードから観戦モードへと移行していた。
しかし彼女がたった一つだけ気づかなかったことがあった。
今まで平和な世界に居たはずの大河が、行ってきた喧嘩で狙われる急所はせいぜい顎か鳩尾、もしくは股間ぐらいもの。
そんな彼が、手足の腱といった滅多に狙われる事の無い急所にもこれほどまでに過敏に反応するようになった理由に。
素早い動きで虚と実の二種類の攻撃を連続で繰り出してくるカエデの猛攻。
それらを必死に凌ぐ大河であったが、徐々に追い込まれつつあった。
出血こそないものの痣だらけの体。
直撃こそされぬものの徐々に削られていく体力。
このまま行けば大河の負けが必至なことは誰の目にも明らかであった。
(そろそろだな……)
だが、大河は諦めてはいなかった。
そう、彼はずっと待っていたのだ。
カエデに自分の隠し玉をぶつけるための瞬間を。
大河は戦う前からカエデに勝つ方法をずっと考えていた。
何しろ相手は戦闘のプロフェッショナル。
普通に真正面からやりあえば、今の自分に勝ち目は薄い。
そんな相手に勝つには普通ではない攻撃方法が必要だった。
初撃に行った奇襲もその考えの一つ。
だが、予想通り彼女にはそんな『普通の奇襲』は通用しなかった。
そう、彼女に勝つためには本当の意味で奇想天外な方法が必要なのだ。
「――ぐっ!?」
途切れることなく放たれるカエデの攻撃。
その中の一発が大河の防御をすり抜けて彼の身体に突き刺ささる。
一瞬途切れる呼吸。
しかし、大河は気力で緩みかけた防御を立て直す。
今は耐えるしかない。
既に体力は残り少ない。
恐らく勝負を仕掛けるチャンスはこの猛攻が終わった後しか残されていないだろう。
仕掛けるタイミングを待ちながらカエデの猛攻に耐え続ける大河。
そして幾度目かの交差。
その瞬間はやってきた。
「――っ」
大河は攻撃が止んだ瞬間、残った力を振り絞って動きを止めたカエデに向かって突進した。
同時にトレイターが光を帯び、一瞬でその形を変化させる。
形態は、斧。
巨大な斧と化したトレイターはそのまま大地を浅く抉りながら下から上へと振り上げられる。
巻き上げられた砂塵は、予想外の攻撃に回避が遅れたカエデ向かって襲いかかった。
全てはこの一瞬のため。
たった一度しか通用しない奇襲。
この奇襲を行うためだけに大河はこの戦いの中一度もトレイターを変化させていなかったのだ。
そして大河の作戦は見事に成功した。
濛濛と舞う砂煙に周囲を覆われたカエデは、一瞬だけ身体硬直させる。
それはほんの僅かな隙。
だが、この戦いにおいては致命的な隙であった。
砂埃の向こうに見えるカエデ目掛けて、剣形態に戻したトレイターを振り下ろす大河。
斬。
確かな手ごたえが彼の手に伝わる。
大河は勝利を確信した。
が――。
「……え?」
濛濛と舞っていた砂煙が消える。
本来ならばそこにあるべきカエデの姿は無く、代わりにあったのは一本の太い丸太……。
大河は目の前の光景を理解するのに数瞬を要した。
そしてそれを理解した瞬間、自分の失態を悟った。
背後に生まれる気配。
振り返ろうとしたが、それは時は既に遅しだった。
大河の首筋を鋭い痛みが襲う。
それを最後に彼の視界は暗転した。
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様々な人々が行き交う街の大通り。
道脇には立ち並ぶ多くの露店。
店主が威勢の良い声で客引きをしている店もあれば、主婦のおばさん相手に値引き合戦を繰り広げている店もある。
だが、そんな活気に満ち溢れた大通りの中に一人、大量の荷物を抱えながら沈んだ雰囲気で歩く男がいた。
「はぁ……結局負けちまったなぁ……」
深い溜息と誰に言うでもなくそう呟いた男。
そう、当真大河である。
あの日、カエデとの戦いに大河は敗れた。
それもベリオの時とは違い、本気で勝ちに挑んだ戦い。
対等な条件化で全力で戦った結果がそれだったのだ。
なまじ自信があっただけに、大河の受けたショックは大きかった。
「それに、何でか知らねぇけど未亜とベリオに説教までされちまうしさ……」
ただでさえ落ち込んでいた大河の精神に更に追い討ちをかけたのが未亜とベリオによる説教だった。
理由は不明。
何故か大河は気絶から目覚めると謂れの無い説教を数時間受ける羽目になってしまったのである。
「しかも、せっかくの休みも指導でパーか」
そして止めが今日の今朝言い渡されたカエデからの指導であった。
いや、正確にはカエデの指導という名目のもと、リリィ、ベリオ、未亜の三人から言い渡されたお使いであった。
彼の背負っているリュックや手に持っている袋の中身は主に日用品。
もちろん、カエデの指導という名目なのでカエデの物が主だがそれ以外の物も大量に含まれている。
量が量だけにかなりの重量の荷物だが、既に封印を解除している大河にとって本来ならばこの程度の重さは大した苦にならない。
だが、肉体的ではなく彼の受けた精神的なショックが普段以上にそれらを重く感じさせていた。
「まあ、そろそろ腹の減ったし、昼飯にすっかぁ」
午前から買い物をしていた大河の腹の虫もそろそろ空腹を訴え始めている。
大河は辺りを見回し空いていそうな店を探し始めたが、今はちょうど昼食時。
大通り沿いにある店は何処も彼処も人だらけであった。
どうやらここでの食事は無理らしい。
大河は近場の店を諦め、どこか空いている店を探して通りに沿って歩き始めた。
「ふう、美味かったぁ」
食事を終えた大河は満足そうに大きく息をついた。
結局、あの後空いた店が見つけられなかった大河は道端の露店から幾つか食料を調達した。
そしてあの思い出の展望台で遅めの昼食を迎えたのだ。
空腹が満たされたことによって、軽い眠気が大河を襲う。
大河はその欲求に身を任せごろんとその場に寝転がった。
視界に広がる雲ひとつない真っ青な大空。
爽やかな風が時折大河の髪を優しく撫でる。
大河は服の内ポケットから大事そうに一個の幻影石を取り出した。
これは唯一、大河がトレイター以外に前の世界から身につけていた物だった。
「……」
映し出される映像。
それは大河を中心に数人の女性が寄り添うように集まった集合写真だった。
皆が皆幸せそうに笑顔を浮かべている。
その姿はこの世界に居る彼女達となんら寸分違わなかった。
「でも、やっぱり違うんだよな……」
だが、この世界に来て暫くたった頃から大河はある事実に気づき始めていた。
前の世界で嘗て愛した彼女達とこの世界にいる同じ姿をした彼女達。
姿、声、匂い、性格までまったく同じにも関わらず、やはり違う女性なのだと。
自分が愛した女性達はやはりもう居ないのだと。
そのまま暫く幻影石から映し出された写真を眺める大河。
そして、そのまま映像を閉じるとそっと幻影石を懐にしまった。
「さてと、そろそろ買い物の続きをしねぇとな」
眠気を振り払い大河はゆっくりと立ち上がる。
そして脇に置いていた荷物に手をかけた。
「暴走馬車だぁぁぁぁ!」
直後、大通りに悲鳴が上がった。
その悲鳴に大河は慌てて大通りに向かう。
するとそこには騎手を失い暴走する馬車と、それから必至逃げ惑う人々の姿があった。
「おい、女の子が!」
その場に居た誰かが叫ぶ。
馬車の走る進路上。
その進路のど真ん中に、真っ白なワンピースと大きなリボンをした少女が倒れていた。
恐らく逃げる際に足を捻ったのだろう。
立つことすらできず、その場に蹲っていた。
「くっ!」
大河は脇目も振らず少女目掛けて駆け出していた。
少女と大河の距離はおよそ100メートル。
いくら召喚器によって強化された肉体といえど5秒はかかる。
だが、馬車と少女の距離は既に残り僅か数十メートル。
どう足掻いても間に合わない。
もうだめだ。
誰もがそう思った次の瞬間。
緑色の影が少女と馬車の間に割り込んだ。
「紅蓮衝!!」
掛け声と共に放たれた巨大な炎の塊が暴走する馬車に激突する。
その凄まじい衝撃は、加速していた馬車もつ運動エネルギーを相殺し、そのまま荷台を吹き飛ばした。
影の主、それは先日大河と戦ったヒイラギ・カエデであった。
何故彼女がここにと大河は疑問に思ったが、カエデが少女を助けてくれたことにほっと一安心する。
だが、ここでカエデにとって一つ予想外の事態が起きた。
吹き飛ばした馬車の荷台の破片。
その中の幾つかが直ぐ傍にあった建物の壁面で跳ね返り、彼女目掛けて飛来してきたのだ。
しかも彼女は大技を放った直後。
筋肉が硬直して動けない状態だった。
「はっ!!」
しかし、その破片当たることはなかった。
そう、その事態にいち早く気づいた大河がそのままカエデの前に割り込み、その破片を吹き飛ばしたのだ。
木片が今度こそ細かく砕け散る。
砕け散った小さな破片が大河の頬を浅く切ったが、その後ろにいるカエデと少女には傷一つ及ばなかった。
まさに一瞬の出来事。
辺りに一瞬静寂が訪れる。
そして僅かな沈黙の後、盛大な喝采が巻き起こった。
「す、すげぇ!」
「お、おい、あれって噂の新しい救世主候補者様と史上初の男性救世主候補者様じゃねぇか!?」
「本当か!?」
「さっすが救世主候補者様だ!」
あちらこちらで飛び交う賞賛の声。
それもそうだろう。
噂にしか聞いたことの無かった救世主の力を目の前で拝見することができたのだ。
しかも絶体絶命の少女の命を颯爽と救い去ったシチュエーション。
これに住人が興奮しないわけがなかった。
「間一髪だったな」
そんな喝采の中、大河はカエデに声をかけた。
だが、カエデは焦点合わぬ目で大河の顔を見つめるだけで反応がない?
「どうしたんだ?」
「ち……」
「ち?」
「血ぃぃぃ!?!?」
大きな悲鳴。
直後、カエデは顔真っ青にしてその場に倒れてしまった。
大河は一瞬、先ほどの事で誰が怪我をしたのかと周囲を見回した。
だがいくら見回しても出血を伴うような怪我をしている者の姿は見当たらない。
一体彼女は誰の血を見たのか。
顎に手を当て数瞬悩んだ後、大河は漸くその原因をつきあてた。
「あ……俺か」
そう、それは大河自身だった。
先ほどの木片で切れた頬から血が滴り、それが顎に当てた手に付着していたことに気づいたのである。
カエデが突然倒れたためか、いつの間にか騒然となっている周囲の住民。
このままではまずい、そう思った大河はカエデをその場で抱き上げた……そうお姫様だっこで。
その姿に沸きあがる喚声。
「それじゃあお嬢ちゃん。元気でな!」
そして助けた少女にそう告げると颯爽とその場から立ち去っていった。
もちろん、途中置いてあった荷物はちゃんと回収済みである。
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取り残された少女と住人。
双方とも唖然とした表情のままその場に止まっていた。
「おーい、大丈夫かぁ!」
と、そこに駆け寄ってくる男性が一人。
その声にはっと正気を取り戻した少女は振り返った。
「あ、お兄ちゃん」
どうやらその男は助けられた少女の兄らしい。
よほど急いで駆けてきたのだろう。
かなり息を切らしている。
「だ、だいじょぶだったか、レン!?」
「うん、私は大丈夫だよお兄ちゃん。救世主候補者様が助けてくださったの」
その元気な姿に安堵の溜息を漏らす兄。
そして、同時に妹救ってくれたのがあの噂の救世主候補者様だということに驚きを感じていた。
「是非ともお礼を言わないとな……で、その救世主候補者様はどこに?
「えっと、それが……ついさっきまでいたんだけど、直ぐにどっかに行っちゃった」
「そうか……それじゃあ今度改めてフローリア学院に御礼を言いに行かないとな」
「そうだね。……あ、でも私、救世主候補者様の名前聞いてなかったんだ」
兄の提案にぱっと笑顔を浮べたレンだが、相手の名前を聞いていなかったことに気づき、しゅんと落ち込む。
その様子に何か良い案は無いものかと考えていた兄は、ふとあることを思い出した。
「そういえばリャンがフローリア学院で働いてたな。あいつなら救世主候補者様の事についても詳しいはずだからきっとわかるはずだ」
その言葉に今度こそぱっと笑顔を浮かべる妹。
それは命の恩人にお礼を言える嬉しさだけでなく、最愛の兄と途中までだが二人っきりでお出かけができるという約束ができたら喜びからであった。
「そうだ、ついでだから皆も誘っていくか」
だが、その喜びは次の兄の言葉で一瞬で粉砕されることとなった。
妹の頭の中には本人曰く友人、幼馴染、同僚と名のつく数人の女性の姿が浮かび上がっていた。
あとがき。
大よそ1年ぶりの更新になるのでしょうか。
長らく更新していなかったので、とっくに読者の方からも見放されていたのですが
久々にやってきた萌のみの丘掲示板にて、読者の方からの言葉に再起してみようと思い立ち筆を取ってみました。
次回の更新がいつになるかは解りませんが、もしよければ今後ともよろしくお願いします。
追記:最後の方に出てきた謎の兄弟の会話は本文には恐らく関係ありません。