救世主候補召喚の儀。

それは、アヴァターを根とする世界樹の上に存在する数多の世界の中から、救世主の素質を持った者を呼び出す儀式である。

もちろん、救世主候補者が見つかったからといって直ぐ召喚できるわけではない。

赤の書を通じて相手に了承をとり、その上で初めて召喚が行われるのである。

一時的に多次元の世界と空間を繋げるためにかなりの時間と準備を必要とすることと、救世主候補者自体が滅多に見つからないため、滅多に行われることのないこの儀式。

そのため、その場には非常に緊張した空気が充満していた。



「それじゃあ、リコ、お願いね」

「……(コク)」



普段はとても教師とは思えないような態度ばかりしているダリア先生も、この時ばかりは真剣な目つきでリコに声をかける。

リコもその声にそれに頷くと、厳粛な雰囲気が漂う中、中央に描かれた巨大な魔方陣の上に向かってゆっくりと移動しはじめた。



「……それでは、始めます」



召喚陣の上に到着し、そう言った後一瞬だけ息を深く吸い込むリコ。

そして次の瞬間にはその小さな口から、どこか不思議な旋律が紡ぎだされはじめた。




「アニー ラツァー…… ラホク シェラフェット……」


















――――――――――――――<Duel Savior 黒の書 第21話>――――――――――――――――――



















(いよいよ、カエデがやってくるのか……)



目の前に召喚の呪文を紡ぐリコを感慨深げに眺めながら、大河は普段よりも少しだけ高く鳴り響く鼓動を感じていた。

彼女の姿を最後に見たのは何時だっただろうか……。

そんなに時間が経っていないはずなのに、何故か彼女に会ったのが酷く昔に感じられた。



「ベソラー コハヴ シェラヌ……」



涙で潤んだ目を自分に向け何か一言呟くとムドウに向かって駆け出し、そのまま散っていったカエデの最後の姿が脳裏に浮かぶ。

あの時彼女は一体何と言っていたのか今はもう知ることすらできない。

一瞬だけ見えた彼女の困ったような表情だけが脳裏に焼き付いていた。



「シシート アホット アフシャヴ……」



儀式は順調に進んでいく。

リコの紡ぐ旋律が召喚の間を満たし、徐々に濃密な魔力が部屋を充満させていた。



「……キュム シェラヌ カディマー」


そして遂に最後の一節が紡ぎ終わった。



(きた)

「きました」

「きたわね」



同時に、召喚陣の中心にある空間が歪む。

徐々に大きくなる空間の歪み。

そして、次の瞬間―――。



「――――っ!?!?」



――――まるで太陽のような光がそこから溢れ出した。





凄まじい閃光が目に飛び込み、視界が真っ白になる。

どうやら一瞬だけとはいえあれだけの光量を目に受けてしまったため、視力が暫く麻痺してしまったらしい。

恐らく周りのみんなも同じような状況に陥っているのだろう。

予想外の事態と目が見えないという恐怖に周囲が騒然とし始めていた。



(くっ、一体何が起きたってんだ!?)



予想外の事態に驚きながらも、必死に周囲の気配を探りながら、警戒体勢をとる。

今のところ感じ取れる気配からは、特に怪しげな行動を取っている奴は感じられない。

しかし、万が一の事を考え、いつでもトレイターを呼び出せる準備をしていた。



「みんな落ち着いて!!」



突如ダリア先生の鋭い声がその場にいた全員の耳をうつ。

同時に落ち着くざわめき。

いち早く正気に戻ったらしい彼女が、みんなに落ち着くように声を出したのだ。

流石は王宮直属のスパイというだけのことはあるらしく、人心誘導には慣れている。



「リコ、何がどうなったのかわかる? それと召喚の儀はどうなったの?」

「はい……あの光の原因は私にもわかりませんが……一応召喚の儀は成功したみたいです」



そう言って何故かいつの間に装着していたのかサングラスを装備していたリコが召喚陣の上を指した。



「リコ……あなたいつの間にサングラスなんて?」

「……秘密です」



ダリア先生が驚いた表情で突っ込むが、リコは気にした様子もなくサングラスを外すと、いつも通り無表情で返事をする。

視界が回復しそれを一緒に見ていた大河も、やっぱり『赤』だけにサングラスは常備しているのだろうか、と一瞬本気にしかかったほどである。



「ふう、一時はどうなるかと思ったけど……とりあえず召喚の儀自体は成功したみたいねぇん」



リコの指さす先に緑髪の少女が横たわっているのを確認して、召喚の儀が成功したことに安堵するダリア先生……と大河。

何故光が発せられたのかはわからないが、どうやらカエデは無事召喚されたようである。



「それにしてもぉ……最近の召喚は何かとトラブルが起こるわねぇん」



流石に普段は脳天気な彼女も、流石にニ会も連続してアクシデントが続いた召喚の儀式に不安を感じているらしい。

周囲の雰囲気が落ちついた事を確認しつつも、深い溜息をついている



「……うっ」



と、その時、微かなうめき声と共に召喚陣の真ん中で寝そべっていたカエデがゆっくりと起き上がる。

召喚直後ということもあり、意識がまだ朦朧としているのだろう……未だに体が左右にふらふらと揺れている。



「あららぁ、だいじょうぶぅ?」

「……」



彼女の事に気づいたのかダリア先生が少し心配そうに問いかける。

だが、カエデは軽く頭を左右に振ると、大丈夫だと言わんばかりゆっくりと頷いた。



「少し心配だったけどぉ大丈夫そうねぇん。ええっとそれで、確かヒイラギ・カエデさんだったわね? ようこそ救世主(メサイア)♪ あなたこそは、6人目の救世主候補よ」



先ほどまでの不安な表情が嘘のように、笑顔でカエデを迎えるダリア先生。

見事なまでの表情の切り替えである。



「私はダリア。この学園で戦技科教師しているの。よろしくね」



ダリア先生はまるで友人かなにかのようにカエデに自己紹介をしている。

相手がたとえ初対面であろうとも態度を変えずに接するという、ある意味教師の鑑のような公平さかもしれないが、彼女の普段の性格自体が既に模範的な教師から外れているのが残念なことである。



「それで、そこにいるのが今日から貴方のクラスメート……救世主候補者のみんなよ」

「カエデさん……でよろしいでしょうか。私はこの救世主クラスの委員長をしているベリオ・トロープといいます。これからよろしくお願いしますね」

「あ、私の名前は当真未亜です。そこにいる兄……当真大河の妹です」

「私はリリィ・シアフィールド。よろしくね」



ダリア先生がこちらを指さすとベリオ、未亜そしてリリィと順々に自己紹介を始める三人。

そして三人の自己紹介が終わり、大河の順番が回ってきたその時――。



「――――」



――大河はゆっくりと前に進み出ると、目の前の少女――カエデをを力強く抱きしめていた。










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恐らくそれは何時起こってもおかしくはなかったのだろう。

大河自身何度経験してもこの慣れない――いやそれどころか経験する度にしだいに抑えられなくなってきている感情の高ぶり。

毎日のように顔を会わす、嘗ての恋人達と同じ姿をした少女達を見る度に感じる『愛しい』という感情と『愛する資格が無い』がないという相反する二つの感情が引き起こすジレンマ。

それらは日を追うごとに少しずつ蓄積され、いつしか彼の心に多大なる負担を与えるほどにまで増大していった。

彼自身は気づいてはいなかったが、限界まで蓄積されたそれらは何時破綻してもおかしくない所にまで来ていたのである。



(カエデ)


そしてそれは遂に崩壊した。

引き金となったのが召喚の儀式にあったトラブル。

万が一、カエデに何かあったらという不安。

その直後、無事召喚されたカエデの姿を見た時の安心感。

その二つの感情の振幅が引き金となり、遂に大河の中に限界まで蓄積されていたものを一気に弾けさせたのだ。



(カエデ、カエデ!)



無意識に身体を動かす大河。

まるで自分に欠けた物を取り戻すかのように、目の前にいたカエデに近づいていく。

その動作のあまりの自然さに彼の周囲にいた誰もがそれを止めようとは思わなかった。

唯一標的とされたカエデは身構えるかのような体勢をとるが、大河は何事もなかったかのように彼女の肩に手を添えると、壊れ物を扱うかのように優しく、されど力強く抱きしめた。

懐かしい感触……。

懐かしい香り……。

懐かしい温もり……。

何もかもが二度と感じる事ができないと思っていた感覚が彼の五感を支配する。

その間、抱きすくめられているカエデはおろか、周囲にいる誰もが動きを止めていた。

だが、この時、大河がカエデを抱きしめたのはカエデだけが特別だったからというわけではない。

たまたま、今回、その引き金になったのがカエデだったというだけなのだ。

そして、これが彼がこの時代にやってきて初めて味わった至福の時間だった。

何故ならこの時彼は、この世界にきてから一瞬とはいえ初めて心からの安らぎを感じることが出来たのだから。



しかしながら幸せというものは長く続かないというのが世の常というものである。

彼がカエデを抱きしめてから数秒後、再び止まっていた時が動き出した。










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(あれ……?)



初め、大河は何が起こっているのかわからなかった。

気づけばいつの間にかカエデが自分の腕の中にいたるのである。

何故そうなったのかを思い出そうにも、まったく思い出せない。

リリィ、ベリオ、未亜の三人が自己紹介したころまでは思いだせるのだがその後のの記憶がさっぱりなのだ。



「大河、アンタまた……」

「大河くん……」

「お兄ちゃん……」



後ろから怒気、呆れ、そして殺気を含んだ三種類の声が聞こえてくる。

特に一番最後の殺気、恐らく未亜のものだろうが、相変らず鳥肌が経つほど凄まじい。



「――っ!?」



その殺気に反応したのだろうか、呆けた表情をしていたカエデが自分の置かれている状況に気づき、腕を振り解きながら後ろに飛び下がる。

そして右手を宙に差し上げると、少し静かな声で呟いた。



「来たれ、黒曜」



同時に光の粒子が彼女の右手を包み、輝くような黒い手甲現れる。

そして次の瞬間にはこちらに向かって小さくステップを踏むと、そのまま手刀を首筋向かって突きだしてきたのだ。



「――っ!?」



以前ならばモーションすら見えなかった手刀。

だが、今回はその手刀が自分の首元に向かって突き進んでくるのをはっきりと見てとることができた。

そして同時に体が条件反射といっていいほどの反応速度で動く。

無意識に突きだしてきた手刀に対して身体を反転身させ、その軌道上から身体を移動しながら回避行動をとったのだ。

先ほどまで自分の首のあった場所を到達する直前で静止する手刀。

元々脅しのつもりで寸止めをするつもりだったらしいのだが、まさか回避をされるとは思っていなかったのかカエデは驚きの表情を浮かべていた。



「はい、そこまで!」



同時に本日二度目の鋭いダリア先生の声が響く。



「もう、ちょっとちょっとぉ、大河君のセクハラ攻撃に驚いたのはわかるけど、少しやりすぎよぉん。今度からは注意してねぇん」



そして歩きながらこっちに近寄ってくると、今度は気の抜けた声でカエデに注意をしてくるダリア先生。

先ほど聞こえた鋭い声は幻聴だったのかと思わず耳を疑いたくなるほどの差である。

だが、その弛んだ表情でカエデに話しかけているダリア先生が、一瞬だけこちらに視線を向けると軽くウインクをしてきた。



(や、やばい……)



大河はそう思った。

常人はおろか並の動体視力ではモーションすら見えぬカエデの手刀。

それを急所にくる攻撃に対して条件反射で回避行動をとってしまうという破滅の軍勢と戦っている時に身体に染み付いた癖で思わず回避してしまったのだ。

しかも、間の悪い事にあのダリア先生が見ている目の前でだ……。

王宮直下のスパイである彼女ならばつい先ほど行った一瞬の攻防が全て見えていてもおかしくない――いや、寧ろ見えていて当たり前だろう。



「それじゃあカエデさん、もう召喚器の方は呼び出しちゃったみたいだからぁ〜、さっそく試験に初めても良いかしら?」

「構わない、いつでも死ぬ覚悟はできている」

「ようし、それじゃあ試験の相手は……」



唇に人さし指を当てながらこちらを見るダリア先生。

当初の大河の予定ではここで自分が名乗りをあげる予定だったのだが、頭が動転しておりそんなところではなかった。



「はい! 私がやります」



そしてそんな大河の心情など知るはずもないリリィが早速名乗り挙げる。

大河もその声を聞いて正気に戻り、慌てて自分も名乗りを挙げようとする。



「あらぁ、リリィちゃんがやりたいのぉ?」

「はい、是非やらせてください」

「でも、ごめんねぇ。今回は大河君にして貰う予定なのよぉ」

「え、ど、どうして私じゃダメなんですか!?」



だが、結局は名乗りを挙げることは無くなった……いや挙げる必要がなくなった。

ダリア先生は再び一瞬だけ何かを企むかのような表情でこちらを見ると、説明を求めるリリィに視線を戻し答え始める。



「だってカエデちゃんは大河君と同じ前衛系でしょう? だったら相性の悪い後衛職のリリィとやるよりも、同じ職業同士戦わせた方が実力がわかり易いと思わな?」

「で、でも……」

「それにぃ、召喚されて行き成り救世主クラスの中でも主席の貴女とやらせるのは少し可哀想でしょうぉ?」



救世主候補生の中でも主席、その言葉にリリィの耳がピクリと動く。



「た、確かに行き成り『主席』の私とテストじゃあ可哀想ですね」

「そうでしょうぉ。だから今回は大河君に譲ってあげてくれないかしらぁん?」




やたら『主席』という部分を強調するリリィ。

ダリア先生はそれを聞いてニンマリとした笑みを浮かべながら話を誘導している。



「大河、今回は仕方ないけど貴女に譲ってあげるわ」



そしてその言葉に誘導された気づかぬリリィは、誇らしげな態度でこちらを向きながらそう答える。

何しろリリィは救世主クラスの中でもトップでありたいという感情が非常に強い。

ダリア先生がそのリリィの自尊心を上手く刺激し、まんまと彼女を丸め込んだのであった。



「それじゃあ相手も決まったことだし、カエデちゃん、貴女の実力みせてもらうわね」

「……」



カエデがコクリと頷くの確認すると、スキップしそうな勢いで闘技場に案内していくダリア先生。

それを見た大河も思わず、もしかしたらばれてないのでは、と希望を持ってしまう。

だが、そんな大河の横をダリア先生が通り過ぎようとした瞬間――



「貴方の実力も見せてもらうわよぉん、大河くん」



――そんな台詞と共にそんな希望は一瞬にして打ち砕かれることとなった。



「ほらほらぁ、みんなぁ、さっさと闘技場に移動するわよぉん」



目を大きく見開く大河を後目にダリア先生は何事もなかったかのように皆を誘導しながら闘技場へ向かっていく。



(こりゃあ、手抜きはできないな……)



ダリア先生の後姿を見ながら大河はそう思った。

何しろ態々釘を刺すような台詞を残していったのである。

もしも実力を出さず、わざと負けるような事をすれば、余計に怪しまれることになるのは間違いないだろう。



「こらぁ、大河! アンタがいないとテストができないでしょうが! さっさと来なさいよ!」」



その場に立ち止まっていた大河に、遠くからリリィの呼ぶ声が聞こえる。

しかも、このまま止まっていればその内フレイズノンでもとんできそうな勢いだ。

それを見て、慌てて駆け出していく大河。



(まあ、結局は当初の予定通りか……)



結局、当初予定していた通りトレイターとアビスの力を封印したまま、本気で戦うことを決めた大河。

奇しくもそれは、本気でカエデと戦いたいという大河の目的と皮肉にも叶える結果となっていた。















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(ありえない……)




深い闇の中、アビスは信じられないと言った表情を浮かべながら自分の中に回収したあるモノを見つめていた。

それらはカエデが召喚された際発せられた光に紛れながらこの世界に現れた所を、大河すら気づかれぬようアビスが自分の中に回収したモノ達だった



(どうして……)



それらは既に消滅したはずのモノ達だった。

いや、たとえ残っていたとしてもここに来れるはずの無いモノ達だった。



(……そうか)



そしてしばらく理由を考え続けた結果、漸く一つの結論に思い当たる。



(それほどまでに……のことを)



そのモノ達をどこか羨望の眼差しで見つめるアビス。

そんな彼女の視線の先には、まるで意思を持ったかのように瞬く複数の光の球が浮かんでいた。





あとがき
最近感想が増えてきて、少し嬉しい気分のシロタカです。
さて、次回はいよいよ大河VSカエデです。
どのような結果になるのかは作者である私にもわかりません。

それでは次回:「Duel Savior 黒の書 第22話」でまたお会いしましょう。