「あ、そろそろダーリン達のお勉強が終わる時間ですの」
「あら、もうそんな時間なのね」
「それじゃあ、今日も行ってくるですの〜♪」
「いってらっしゃい」
そう言って部屋から駆け出て行くルビナスをミュリエルは優しげな表情で見送る。
そしてバタンッと扉が勢い良く閉じられ再び部屋に静寂が訪れた。
ルビナスが部屋を出て行った後も、しばらくその場で動かず彼女が出て行った扉を見つめてるミュリエル。
だが、ルビナスが出て行くまであったはずの笑顔は既にそこには無かった。
「やっぱりまだ記憶は戻らないのね……」
深いため息がミュリエルの口から漏れる。
そう、彼女の記憶は未だに元には戻っていないのだ。
確かにあの時の唱えた呪文は間違ってはいなかったはずだった。
現に呪文を唱え終わった瞬間、光が部屋を満たした時は彼女は成功の手ごたえを感じた。
だが、結果は見ての通り……いや、正確に言えば中途半端に知識だけが復活しただけで、救世主候補者としてのルビナスの記憶はまったく戻っていない 彼女がいただけであった。
成功を信じていただけに落胆が大きかったミュリエル。
だが、直ぐに気を取り直すと、彼女の記憶を取り戻す研究も兼ねて、大河達に頼まれた通り彼女を家につれて帰ったというわけなのだ。
そして数日が経過した今も結局その方法がわからずじまいというわけである。
「まったく……どうしてなのかしら」
今朝ももしかしたら記憶が戻っているかもしれないという淡い期待を抱きながら彼女に会ったのだが、結局はなんら変化は無かった。
いつまで経っても戻らない彼女の記憶にミュリエルは頭を悩ましていた。
「ちょ……アンタ……このバカから……いよ!!」
ふとそんな時、外から何か叫んでいるリリィの声を聞こえてくることに気づく彼女。
その声につられるように窓から外を見てみると娘が大河に抱きついたルビナスと何か言いあっていた。
「……リリィにもやっと春が来たのかしら」
彼女の目線の先には頬赤く染めながらルビナスと激しい口論を繰り返すリリィ。
既にその手には発動寸前のヴォルテクスと思われる雷光が纏っている。
恐らくあと数分後にはその矛先が大河に向かうことだろう。
「まったく……あの娘は……」
まったく素直になれない自分の娘を見ながら深いため息をつくミュリエル。
だが、もしもリリィがもっと素直になれば二人の仲ももう少し進展する可能性だってでてくるだろう。
もしかしたらその仲が上手く行けば結婚だってありえるのかもしれない。
そして二人の間に出来た子供を温かく見守りながら生活をする。
そんな未来図を想像するにつれて頬緩み始めるミュリエル。
「でも……」
だが、その想像が続く彼女の顔に急に陰りが入る、何かを呟き始めた。
何か嫌なことを想像してしまったらしい。
やはり、破滅の軍勢についてのことなのだろうか?
しかし彼女が呟いていた内容は違っていた。
「……まだお婆ちゃんとは呼ばれたくないわね」
何はともあれ、今はまだ平和なフローリア学園であった。
――――――――――――――<Duel Savior 黒の書 第15話>――――――――――――――――――
「痛てて……まったくリリィも未亜も毎度毎度無茶しやがるぜ」
リリィのヴォルテクスと未亜の弓の攻撃をくらい、全身ボロボロをボロボロにして自分の部屋に戻ってきた大河。
長い講義が終わり帰宅するする途中、何時ものようにやってきたルビナスが大河に抱きつき、それに嫉妬したリリィと未亜が繰りだす攻撃にに巻き込まれ た結果である。
最近ではそんな日が毎日のように続くため生傷が絶えない大河。
そのせいでベリオの治癒魔法にしょっちゅうお世話になっていたりする。
「それにしてもルビナスの奴……まだ記憶が戻ってないんだな」
始めミュリエルなら彼女の記憶の封印を解く他の方法を知っていると思っていた大河
しかし、どうやら彼女もその事を知らなかったのか、未だにルビナスの記憶は戻っていなかった。
大河も多少の期待はしていたのだが、どうやら現実はそうそう甘くなかったようだ。
「でも……まあ、これはその内なんとかなるか」
元々楽観主義な大河。
これ以上考えても仕方がないと判断したのかそのままベッドに倒れこんだ。
ベッドに倒れこむと、少し硬いが気持ちの良い布団の感触が彼を包む。
いつもならこのまま眠ってしまう彼であるが、今回は少し考えることがあったためその誘惑をどうにか跳ね除けた。
「明日は……カエデが召喚される日か……」
ベッドに寝転がったままそう呟く大河。
そう、明日は遂に最後の救世主候補者であるヒイラギ・カエデが召喚される日なのである。
彼女は大河と同じく前衛職のジョブクラス。
恐らく単純な戦闘能力だけを見れば、彼女は現救世主候補者の中でもトップクラスに入る実力を持っている。
何しろ彼女は幼少の頃から古流武術の流れを汲む特殊な体術を仕込まれた忍者なのだ。
(やっぱり明日のカエデの能力測定試験の相手は俺がすべきなのかな……)
前の時間ではカエデの試験の相手をリリィと大河どちらがするか言い争った結果、結局大河がすることとなった。
実際はカエデ自身に選んでもらったのだが、あの時彼女が何を思って自分を選んだのかは未だに大河はわかっていない。
だが、今回大河はそのカエデの試験の相手に立候補するべきか迷っていた。
(カエデが相手だと手加減してることがばれる可能性があるしな……)
彼女は所謂戦闘のプロなのだ。
大河のように我流ではなく、ちゃんとした指導の下に訓練された技術を持っているのである。
そんな彼女と今の自分がやりあったら実力を隠していることがばれる可能性がある、そう大河は思ったのだ。
現に、ブラックパピヨンという前例が既に存在しているのだ。
だが、そんな事を考えている反面、大河の心にはもう一つの考えが生まれていた。
(でも……一度自分がどれだけ強くなったのか試してみたい)
実を言うと、前回の能力測定試験で大河はカエデに正確には勝ったとは言えなかったのだ。
では何故彼が勝ったことになったのかというと、それは彼女の致命的な欠点のお陰であった。
彼女が持つ欠点……それは血液恐怖症という戦闘職としては致命的なものであった。
彼女は小さい頃のトラウマにより、ほんの少しの血を見ただけで体が動かなくなり、最終的には気を失ってさえしまうのだ。
そしてその結果、彼女は試験中に大河が試験中に負った傷から流れたほんのわずかな血液を見てしまったせいで気絶してしまったというわけなのだ。
(それに、何気に俺って救世主候補者の中じゃあ最弱だったしなぁー……)
何より大河は自分が救世主候補者の中では最弱であったということを自覚していた。
特別な力を持っており、それが理由でこの世界に召喚された未亜とは違い、偶々その召喚に巻き込まれてこのアヴァターにやってきた大河。
アヴァターに召喚されるまで戦闘経験などまったくなかった大河が最後まで戦っていられたのはリコとの契約と召喚器による強化作用があったからにすぎ ないのだ。
そして大河が前の時間での能力測定試験で毎度毎度勝利できたのもある意味運と相性がよかったからだろう。
カエデが来るまでは前衛系は大河だけであったため、回復役のベリオとも、後衛役のリリィとも相性がよかったのである。
そして、もしも同じ前衛職であるカエデに血液恐怖症というものがなければ自分は絶対に彼女に負けていたということは大河本人が一番わかっていた。
故に大河は、もう一度カエデと純粋に技術のみで戦ってみたいと思ったのだ。
「けど……それだとやっぱり色々と問題があるんだよな」
髪の毛をくしゃくしゃと掻き毟りながら、頭を抱える大河。
自分がどれだけ強くなれたのか試してみたい。
だが、本気で戦えば学園長を初めとする人達に目を付けられる可能性があるのだ。
唯でさえ考えることが苦手な大河の脳みそはオーバーヒート寸前であった。
「主よ。それなら私にいい考えがあるぞ」
とそこで行き成り胸元に入っているアビスから声が聞こえた。
「ん、アビス、何かいい手でもあるのか?」
「うむ……だが、それを説明する前に少し元の姿に戻ってもよいか? どうも一日中この姿でいると退屈で仕方がないのだ」
「え、ああ、別に今なら誰もいないから問題ないぞ」
大河がそう言うと同時にアビスは大河の胸元からするりと抜け出ると、黒い本の形から少女の姿へと形を変える。
「で、それでいい案って何なんだ?」
「うむ、それなのだが……主よ、今の汝は私との契約によって身体能力が強化されていることは知っているな?」
「それは知ってるけど……それがどうかしたのか?」
「まあ、聞け。それで主はカエデという女と本気で戦ってみたいが、実際にそれをすると何かと問題があるというわけなのだな?」
「ああ、そうだ」
「ならば、そのカエデという女と戦う間だけ、私から送られている力を一時的に止めれば全力で戦っても、本当の実力はばれないのではないか?」
「おお、なるほど!」
「さらに言えば、主の召喚器のトレイター殿の力にも私が力を半分ほどに抑える封印をかけてやれば、以前主と同等の力まで抑えることができるはずだ」
アビスの言う通り、今の大河の強さはアビスによる力の供給によるところが大きいため、その力の供給さえ止めてしまえばかなり身体能力は落ちる。
さらにパワーアップしたトレイターにも一時的にその力を一部封じてやれば、前回彼女と戦った時とかなり近い条件で戦えると彼女は言っているのだ。
確かにそれなら心置きなく戦えるし、自分の素の力も量ることができて一石二鳥な案である。
「どうだ、主よ。これなら問題あるまい」
「おう、これなら完璧だぜ」
「そうか、それはよかった。……それで、その……」
「ん、どうしたんだ?」
「もし主がいいのなら……お礼を貰いたいのだが……」
「お礼? ……ああ、なるほどな」
おずおずと頭を差し出すアビスを見ながら大河はその意味に気づく。
大河は別にそんなに遠慮しなくてもいいのだがと思いながらゆっくりと手を置くと、優しくその頭を撫で始めた。
「――――んっ」
相変らずこれが好きなのか、うっとりとした表情で大河の手の感触を味わうアビス。
だが、こんな行為こそが今まで一人ぼっちだった彼女にとって何よりの楽しみなのかもしれない。
無言でアビスの頭を撫で続ける大河。
もしかしたら彼自身も、彼女のサラサラとした黒髪の感触を楽しんでいるのかもしれなかった。
だが、しばらくその行為を続けていた大河であるが、ふと彼の目にあるものが止まる。
彼の目の前には無防備に大河の胸にもたれながら撫でられる感触を味わっているアビスの顔。
そして、その彼の目線の先には髪の毛の間からちょこんと出ている耳があったのだ。
大河の中にムクムクと湧き上がる悪戯心。
そして大河はその悪戯心に導かれるままにその小さな耳に向かって息を吹きかけた。
「――――ひゃうっ!?」
突然の耳に沸き起こった感触に思わず小さく声をあげるアビス。
その反応を見て、調子に乗った大河はさらにその耳に息を吹きかける。
「ちょ、あ、主……や、やめ……」
アビスは文句を言おうとするが耳に息がかかるたびにセリフが途切れ、大河の行為を止めることができないでいた。
だんだんと彼女の体から力が抜け、抵抗力が無くなっていく。
彼女にとってこんな事をされるのは初めてなのだ。
しばらくの間続けられる大河による悪戯。
その間に、アビスには悶えることしかできなかった。
そしてやっと大河が満足したのか開放される頃には彼女の真っ白な頬は赤く染まり、動悸も激しくなっていた。
「あ、主……ひ、酷いではないか……」
「いや、すまん。あんまりお前の反応が面白いんでついな……」
少し涙目で睨むアビスを見て流石にやりすぎたと思い謝る大河。
だが、その表情とは裏腹に実は内心では満更でもなかったアビスである。
「さてと、もうこんな時間だしな。そろそろ寝るとするか」
ふと時計を見るといつの間にか時計は夜中の時刻を指していた。
どうやらアビスにしていた悪戯のせいで時間のことを忘れていたらしい。
アビスも大河の言葉に頷くと再び本の姿に戻ると大河の懐に潜り込む。
「それじゃあ、おやすみ、アビス」
「おやすみなさい、主」
そして二人は深い眠りにへと就いていった。
だが、大河はこの時すっかり忘れていた。
カエデが召喚される前に会うであろう、もう一人重要な人物の事を……。
同時刻―――同じ寮内にて目を覚ました少女が一人。
身体を起こした少女は目をぱちくりさせながら辺りを見回していた。
彼女が目を覚ました原因、それは、一瞬だけ感じた僅かな気配。
自分と良く似た、それでいて懐かしい小さな気配。
一瞬彼女が目覚めたのかと思ったが、どうにも彼女とは違うように感じられたその気配。
しかし彼女がそれを確認しようとしても、もう一度その気配は感じるとることはできなかった。
もしかしたら気のせいなのか、一瞬彼女はそう思う。
だが、すぐさまその考えは捨て去った。
一瞬ではあったが確かに彼女は感じたのだ。
自分と同じ……いや”同じような気配”を……。
「今のは……一体……何?」
だが、その問いに答えてくれる者はいない。
その彼女の呟きは闇に紛れ、誰にも聞かれること無く消え去っていった。
後書き……かもしれない
taiさんのハイペースに触発されて思わず15話を書き上げてしまったシロタカです。
投票箱にてアビスの出番が少ないとのことでしたので、久々にアビスを登場させてみました。
ですが、今回アビスの事を書いていると、何故か恋人というよりも子供をあやしているような感じになっちゃいました……(汗
さて、次回は遂にあの人の登場です。
それでは次回『Duel
Savior 黒の書 16話』をお楽しみに〜♪