「ふ〜……まったく、ベリオも無茶させやがる」


ぶつぶつとそう呟いて、ぐったりとした表情で礼拝堂を出る大河。

彼はベリオの指導という名の仕事を終え、やっとのことで今しがた開放されたのである。

ちなみに彼がベリオに頼まれた仕事は優に二桁に達しており、早朝から今まで昼食の休憩を除き、ほぼぶっ通しで働き続けたのだ。




時刻はすでに夕刻である。




「ん、あれは……」



礼拝堂から少し移動したところで、ふと地下室への入口が視界に入った。

そしてそれと同時にある人物の顔が頭に浮かんだのだ。



「そういえば、ナナ子の奴にまだあってなかったんだよな……」



大河が適当に呼んだナナシという名前を本当に自分の名前にしてしまった謎のゾンビ。

記憶を失っていた彼女は、時折妙に専門的な知識を思い出したり、ピンチの時に不思議な力で皆を救ってくれたりと色々謎の多い人物であった。

初めて会った頃は文字通り脳みその足りないただのお間抜けな奴にしか見えなかった彼女なのだが、その実態がミュリエルの親友にして1000年前の赤の書のマスターであったルビナスの魂が入ったホムンクルスであったと知った時は非常に驚いたものだ。

記憶の戻ったナナシ(ルビナス)は、記憶を失っていた(正確には封印していた)ころとは正反対のとても理知的な性格をしており、戦いでは召喚器エルダーアークをまるで手足のように操り、その剣捌きはまるで芸術のようであった。



記憶を失っていたころと記憶を思い出した後のナナシのギャップが頭に思い浮かび、思わず顔が懐かしげに綻んでしまう。




「まあ、せっかくだから今から様子でも見にいってやるか」




そう決めると先ほどより少しだけ元気になった足取りでゆっくりと地下室の入口に向かって歩き出した。



だが、この時大河は疲労のせいで普段よりも注意力が散漫になっていた。

それ故に、彼は気づくことができなかった




そう、図書館の方から大河の事をじっと見つめる赤毛の女性の存在に……

















――――――――――――――Duel Savior 黒の書 第9話―――――――――――――――― 














 その日、リリィは休日を使って朝から図書館で勉強していた。

 休日の図書館の中には彼女以外に誰の姿も見えず、とても閑散としている。

 窓の外には、図書館とは対照的に広々とした真っ青な空が広がっており、とてもお散歩日和だ。

 いつもの彼女ならこんな良い天気の日は街に買い物に出かけたりするのだが、偶にはこういう日に勉強もいいだろうと思い図書館向かったのだ。

 サラサラサラっと彼女がペンを走らせる音と本のページを捲る音が図書館の中に響く。
 
 時折難しい問題に突き当たり筆を止めるが、元より頭のよいリリィのこと、直ぐにまたスムーズに筆が動き出す。





「ん〜〜〜〜っ」



 勉強を始めて数時間した頃、どうやら肩がこってきたのか体をほぐす様に背筋を伸ばした。

 そしてふと時間が気になり時計の方を眺める。



「あ、もうこんな時間か……」



 眺めた先の時計は既に午後1時を指していた。

 どうやら勉強に集中しすぎたせいか、時間の感覚がなくなっていたようだ。

 そしてその事を理解すると同時に体の方もまるで思い出したかのように――――



  グ〜〜ッ



 正直に小気味のよい音を流した。




「――――!?」




 顔を真っ赤にして慌てて回りをキョロキョロ見渡す。

 その直後、この図書館に今は自分以外誰も居ないという事を思い出してあからさまにホッと胸を撫で下ろした。

 このような失態を他の誰かに見られることなど彼女にとってあってはならないことなのだ。




「……これは人間の生理現象だから仕方ないのよ」




 誰に聞かせるともなく、彼女はそう呟くと少し遅い昼食をとる為に、食堂へと向かった。


















 食堂に着くと時間がずれていた為か、ところどころに人がちらほら見えるだけで中はとても空いていた。

 リリィは適当な食事を注文するとそれを受け取り、適当に空いている席にすわった。



「ここ、座っても良いかしら?」

「あ、はい、どうぞお構いなく」



 ―――と、席に着いた瞬間、真正面の席の位置から声を掛けられた。
 
 お腹が減っていたので料理に目線を固定したまま返事をし、早速料理を口に運ぼうとする。



(ん……?)



 と、料理を口元まで運んだところでふとあることに気付く。



(今の声、どこかで聞いたような……)




 そう思い口元まで持っていっていた料理を皿に戻すとゆっくりを顔を上げた。




「それじゃあ、失礼するわ」

「が、学園長!?」




 そこにはリリィの義理の母にしてフローリア学院の学園長を務めるミュリエルの姿があった。

 彼女も午前中の書類の処理が遅くなり、リリィと同じく少し遅れた昼食を取りに来たのだ。

 親子といえど、学園長という立場のミュリエルと学生という立場のリリィが一緒に食事をする機会など滅多とない二人。

 リリィも突然の母親の登場に驚いてしまい、思わず声を上げてしまったのだ。




「あらリリィ、食事中にそんな大声出すなんて行儀が悪いわよ。それにこんなところではそんな他人行儀な呼び方をしなくてもいいのよ」

「え……あ、はい、お母様」

「それじゃあ、せっかくの料理が冷めないうちに早速いただきましょうか」



 
 そう言って優雅に落ち着いた様子で食事を始めるミュリエル。

 それとは対照的に久々の親子水入らずの食事という自体に少し緊張してしまっているリリィ。

 されど二人の食事をする姿は他の誰かが見れば誰もが親子と答える、そんな光景であった。




「そういえばリリィ、今日はどうしてこんな時間に昼食を取っているのかしら。もうとっくにお昼は過ぎてしまっているはずなのだけれど?」



 食事の合間にミュリエルはふとリリィの昼食をとる時間が遅くなった理由が気になった。



「今日はちょっと勉強に集中しすぎて、ついうっかり時間のことを忘れちゃってて……」




 リリィは赤くなった頬隠すように俯き加減でそう答える。




「まあ、勉強もいいけどほどほどにしなさい」

「はい……でも救世主になるにはもっと勉強しなくちゃいけないんですよね?」

「そう……救世主たるもの力だけではなくそれ相応の知識、それに皆からの信頼、何事にも立ち向かえる勇気、それら全てを持つものだけが救世主と呼ばれ るに相応しいと言えるでしょう。ですが、努力するのと無理をするのでは意味が違いますよ」

「はい……」



 尊敬する母親に少し咎められたことにションボリとした表情を見せるリリィ



「しかし、休日に勉強をすることが悪いとは誰もいっていません。寧ろ休日にまで勉強に励んでいる貴方を私の娘として誇りに思いますよ」



 そう言ってミュリエルは柔らかい微笑みを浮かべた。



「はい!お母様見ててください、私絶対救世主になりますから!」



 先ほどまでションボリしていた表情が嘘のようにパッと笑顔になるリリィ



「…………」

「お母様?」



 少し憂いを含んだ表情で自分を見つめるミュリエルの方を不思議そうにリリィは見つめていた。



「いえ、何でもないわ。まあ、何はともあれ努力を怠らないよう注意しなさい」

「はい、わかりました。実は食事が終わったらまた続きをするつもりだったんです」



 笑顔でそんな答えを返してくる自分の娘



(願わくば、この子だけは救世主に選ばれないことを……)



 救世主の実態を知っている彼女にとって、それだけが一番の願いなのかもしれない。

 何だかんだ言っても結局彼女は母親なのだ。




 その後、食事を終えるとミュリエルは午後の書類の処理があると言って再び学園長室へと戻っていった。

 リリィもミュリエルを見届けると自分も勉強を再開しに図書館へ向かった。






















「さてと、今日はこの位しておこうかしら」


 パタンと机に広げていた書物を閉じる。

 手元にあるノートには細かい文字がびっしりと書き込まれており、今日彼女がどれほど勉強したかが伺えた。

 彼女は閉じた書物を元の本棚に戻すと、自室に帰る支度を整える―――と言っても持ってきたものは精々ノートと筆ぐらいであるが。



「すっかり、遅くなっちゃったわね」



 時計を見ると午後の5時を過ぎている。

 本来ならもう少し早く帰るつもりだったのだが、中々区切りがつかず結局この時間までかかってしまったのだ。

 図書館の外に出ると空が真っ赤になっており、回りの景色も夕陽の赤で埋め尽くされていた。

 

「ん、あれは―――」



 ふと横手を見ると見慣れた姿が目に入った。



 よれよれになった青いブレザー

 すこし乱れた黒い髪の毛
   
 このアヴァターには存在しないファッションをした男性

 当真大河その人である。 
 


 礼拝堂の前にいる彼の姿は目に見えてぐったりした様子をしていた。

 そんな大河はリリィの存在に気付いておらず、ふらふらと寮へ続く道を歩いている。

 リリィはそんな大河の様子を何気なく眺めていた。

 しばらく眺めていると、ふと急に大河の足が止まり、その視線が一方を向いたまま固定された。

 その視線の先を見てみると、どうやら地下室の入口の方を見ているらしい。

 大河はしばらくその方向を見つめた後、急にふっと懐かしげな表情を浮かべた。




(へ〜、アイツでもあんな表情するんだ)



 彼女の思っている彼のイメージとはかけ離れた表情を浮かべる大河

 何故なら彼女の思っていた大河という存在は、ドジでスケベな情けないというイメージしかなかったのだ。

 それ故にその時大河の浮かべていた表情はリリィに予想外の印象を与えていた。




(でも、なんで地下室の方なんか見てあんな表情するのかしら……)




 大河の見つめる先にあるのは何の変哲もないただの地下室への入口である。

 たしかに頑丈な南京錠がかかっており、少しばかり中がどうなっているのか興味を引くかもしれないが、それだけだ。
 
 それに大河はこのアヴァターに召喚されてほとんど日数も経っておらず、地下室に思い出などもっているはずもない。

 まったく理由がわからず少し考え込むリリィ。 




「――――――から―――見に―――やるか」




 その時、急に大河が何かを言ったと思うと移動し始めた。

 どうやら彼は地下室に向かっているようである。

 少し慌てつつもその後を追いかけるリリィ



(ってこれじゃあ私がまるで隠れて覗きをしてるみたいじゃない!?)



 少ししてから物陰に隠れるようにしてコソコソ移動する自分の姿に気付いて思わず自らに対してつっ込みを入れるリリィ




(―――そうよ、これは隠れてるんじゃなくて、あのバカが変なことをしないか見張ってるのよ……)




 だが、そんな事を自分がしているなどと彼女のプライドが許さないので、とりあえず『これは監視だ』だと自分を納得させる。


 そうこうしている内に大河は地下室の扉の前まで移動してしまっている。

 扉の前に立つ彼の視線の先にはいかにも頑丈そうな南京錠があった。    

 どうやら中に入ろうとしているらしい。



(何をするつもりなのかしら……)



 先ほど言ったように地下室への扉には頑丈な南京錠がついている。

 普通に考えればそんな鍵がついていれば諦めるしかない。

 仮に無理やり開けるにしても何かしら道具が必要である。

 故にリリィも彼もここで諦めるだろうと思っていた。



 だが―――



「こいッ、トイレター!!」



 あろうことか大河は自分の召喚器を呼び出すと、そのまま、地下室の扉にある南京錠を切り裂いたのだ。

 そして、南京錠であった残骸を扉から外すと、スタスタと何の躊躇もなく扉の奥へ消えていってしまった。







「……いったい何考えてんのよ」



 リリィは一連の大河の行動を見て思わずそう呟く。

 まさか召喚器まで呼び出して鍵を破壊するとは思ってもみなかったのだ。




「これは絶対なにかあるわね……」




 明らかに怪しすぎる大河の行動にリリィの好奇心に火がついた。

 そして基本的にリリィは一度決めたら止まらない人間である。

 故に彼女がこの後する行動は決まっていた。



「待ってなさい当真大河……アンタが何を企んでるのか私が暴いてやるわ」


 彼女はそう呟くと大河の後を追うように地下室の扉の入口をくぐった。












後に書くから後書き〜

次回でナナシの登場(予定)です。
本編だとブラックパピヨン捜索時にベリオと一緒に地下室に行っていたのですが、
今回はそのイベントが無かったのでどうしようかと迷ったのですが結局こうなりました。

そういえば、記憶が戻ったあとのナナシってルビナスって呼ぶべきなのでしょうか……