−彼女と彼の雪模様−




あの日。

秋葉が死んで、琥珀さんも壊れてしまって、そして。

ただっぴろい遠野の屋敷には俺と翡翠だけになってしまった日。

あの日から何ヶ月が過ぎただろう。

俺はまだ…拭い切れずにいる。

ダレモ…タスケラレナカッタ。

俺自身の罪。

そして…。




「志貴様、今日はクリスマスです。」

は…?

「あ、ああ…そうだね。」

まさか翡翠の口からクリスマスと言う言葉が出るとは思わなかった。

一時期に比べれば随分と元気になった彼女、今では外に出て買い物までするように
なった。

最初はさすがに無茶だと思った。

だが彼女は…。

【翡翠…買い物は俺が学校の帰りにしてくるからさ…。】

【いえ、それでは駄目なんです…きっと姉さんもそう言います。】

【でも…。】

【もう姉さんはいません、だから…これからは私が姉さんの分まで私が…。】

強い目、琥珀さんが死んでぽっかりと穴が開いたような生活をしていた彼女がここま
で言うのなら…。

と言う事で屋敷の大体の仕事は翡翠がやる事となったのだ。



話を本題に戻そう。

「クリスマスのお祝いをしましょう、志貴様。」

親父が和びいきだったから遠野の家には今までクリスマスなんて慣習は無かったはず
だ…それが何故。

「え…と翡翠。クリスマスパーティーなんてやった事あるの?」

何か意気込んでいる様子の翡翠に静々と問い掛けてみる。

「いえ…パーティーと言うほどの大仰なものは…。」

「じゃあ…何で?」

「槙久様がご存命の間にも秋葉様は姉さんと私を部屋に呼んでクリスマスの祝いをし
ていらっしゃいました。」

ああ…なるほど。

秋葉の奴はムードがある雰囲気で酒を飲むのが好きだったからな…。



…ちょっと胸が痛む。

秋葉や琥珀さんの話をするとどうしてもあの時の事を思い出さずにはいられない。

だがこれでも前よりはずっとマシになった方だと自分でもつくづく思う。

死んですぐの頃は本当に俺も翡翠も酷いものだった。



「で、具体的にはどうするの翡翠?」

「えっ…あの、そのですね…。」

翡翠にしては珍しく歯切れが悪い。何故か顔を真っ赤にして俯いてしまった。

「?どうしたの翡翠。」

「す、すみません…具体的にはまだ…。」

なるほど…思い立ったが吉日と言う事か。

恥ずかしさに首筋から顔にかけて真っ赤になる翡翠を見てカワイイと思ってしまっ
た。

(少し不謹慎か…。)

自分で自分に苦笑する。

そっと翡翠の手を取って彼女の顔を見つめる。

「じゃあ…一緒に考えようか。」

「は、はい…。」

今度は別の意味で彼女は真っ赤になってしまった。




そしてクリスマス・イブ当日。

「有彦め…何で今年に限ってしつこいんだよ…。」

有彦の奴毎年クリスマス前後はどっかに消えるのに、(多分一人旅だろう)今年に
限ってしつこく誘ってくるなんてなぁ…。

(何で男同士で徹夜マージャンなんて…。)

ちなみに今俺は駅前を歩いている。

翡翠へのプレゼントは用意してあるのだが、ちょっとした演出の為にある物が必要な
のだ。

「くそ、パーティーが始まる前に疲れてどうするんだよ。有彦の奴…後で覚えてろ
よ…。」

悪友に向かって悪態をついてみるが、奴のほくそ笑みが聞こえてきそうなのですっぱ
りと止める事にする。

(飾り付けは翡翠に全部任せちゃったからなぁ…その分俺は演出に凝らないと。)

大切な人達が居なくなってから初めての冬。

ずっと沈みがちだった気持ちが徐々に暖かくなってきているのを感じる。

彼女は…翡翠はこれを考えて慣れないパーティーをやろうなんて言い出してくれたの
だろうか…。

(どちらにせよ…感謝しなくちゃな。)



そして俺は店で目的の物を手にする。

「ありがとうございました〜。」

店から外に出てみるとちらほらと雪が降っている。

「雪…か。」

そして駅前はクリスマス用に飾られたイルミネーションがキラキラと光り出してい
た。

「綺麗だな…。」

翡翠が居てくれなければこんな事を思う余裕も無かっただろう。

不意に彼女と二人でこのイルミネーションの下を歩いている図を思い浮かべてしまっ
た。

(くは…。)

それもいいとは思う…いやむしろかなりいいとは思うのだが…。

翡翠と手を繋いで煌びやかな装飾の下を歩く。

クリスマスツリーの下でプレゼントを渡すなんてのは王道だろう…。

そんなことを考えていると不意に冷たい風が吹き付けてきた。

「さむっ…。にしてもこんな妄想をするなんて俺もクリスマスの魔力に当てられたか
な…。」

帰ろう…翡翠も待ってるだろうしな。




「お帰りなさいませ、志貴様。」

「ただいま、翡翠。」

翡翠がいつもの通り門の前で出迎えてくれる。

こんな寒い日には風邪を引いてしまうから出迎えはいいからと言っても彼女は聞いて
くれない。

【私が好きでしている事ですから…どうぞ志貴様はお気になさらずに。】

の一点張りだ。

正直帰ってきて一番に翡翠の顔が見れるのは嬉しい、嬉しいんだが…それで彼女が風
邪でも引いてしまっては元も子もない。

(だから…こういうのも有りだよな。)

俺は自分のコートを脱いで彼女の肩にかける。

「あっ…。し、志貴様…屋敷の中に入れば温まっていますから…。」

途端に真っ赤になってしまう彼女に微笑みかける。

「短い距離だけど、無いよりいいだろ?」

「…あ、ありがとうございます。」

さらに赤くなってしまう翡翠。

何度も体を重ねて知らない仲でも無いのに、彼女はいつまでもこんな感じだ。

…まぁ、そこがカワイイのだが。




志貴様が自分のコートを私に掛けてくれた。

使用人として使える身としては失格なのかも知れない、でも…私はこの温もりに包ま
れて放せなかった。

そして屋敷に入った私は志貴様のカバンを部屋にお持ちしてから、料理の仕上げにか
かる。

「ここは…こうですね。」

大型の冷蔵庫に磁石で張られたレシピを見ながら料理。

姉さんの部屋を片付けている時に見つけたものだ。

その膨大なレシピの最後にこう書いてあった。

【翡翠ちゃんの為に頑張るぞ〜♪】

…私に料理を教えてくれようとしていたのだろうか。

走り書きではあったが、その字を見て泣き崩れてしまった。

だからこそ私は料理を始めた。

いえ…それは理由の一つに過ぎないのかもしれない。

(志貴様に…おいしい料理を食べて欲しかったから。)

姉さんには悪いけどそれが一番の理由だと思う。

そしてガスの火を止める。

「よし…これで後は盛り付けだけですね。」

もう食堂には志貴様が待っているはずだ。

急ぎつつ正確に盛り付けをしなければならない。

あまり時間が掛かるとまた志貴様が手伝うと言ってきてしまうかもしれない。

彼の為の料理…。だからこそあえて私は志貴様の申し出を断ってまで自分ひとりで用
意をしている。

「よし…出来た。」

料理を持っていこうとする私の前に志貴様が顔を出した。

「志貴様…?」

彼はにっこりといつもの笑みを浮かべ。

「持っていくぐらいは手伝ってもいいだろ?」

………私があの笑みに勝てない事をしっていてやっているのだろうか。確信犯です、
志貴様。

「あの…じゃあお願いしても…。」

「よかった…今日は翡翠に任せっきりだったからさ。」

そう言った彼の笑みに私は自分の体温が上がるのを感じた。

きっと顔は真っ赤なのだろう。

「?翡翠、顔が赤いけど大丈夫か…。」

……天然ですか、そっちの方がタチが悪いです。




食堂の明かりを切って蝋燭だけが燈る。

あの日から俺の断固とした抗議により翡翠は一緒に食事を取ってくれるようになっ
た。

そして今、彼女は俺の正面に座っている。

蝋燭の明かりにともされて翡翠の姿が幻想的に映る。

「メリークリスマス…だな。」

「メリークリスマス…です。」

そして俺たちは微笑しあう。

グラスの合わさる音が響いた―。




テーブルに並べられた料理。

「…おいしい。」

俺が一口食べてそう言うと、彼女はパアッと顔を輝かせた。

「ありがとうございます…。」

「翡翠もおいしいから食べなよ。…自分が作ったんだから知ってるか。」

俺が少し苦笑すると、翡翠も少し笑った。

そして料理を食べながら談笑する。

よく秋葉には食事中に話をするなんて無作法だと言われた物だが…今日は無礼講だか
らいいだろう。

「そう言えば翡翠…なんでいきなりクリスマスのお祝いをやろうなんて言い出したん
だ?」

少し思っていた疑問をぶつけてみる。

「あ…はい。」

彼女は少し返事をして、柔らかかった顔から少し真面目に佇まいを直す。

「…志貴様に元気を出して欲しくて…。」

「俺に…?」

元気を出すとしたら俺ではなくて翡翠の方だと、そう思う。

「自分では気づいていられないかも知れませんが…最近あまり眠れていないのではな
いですか?」

「う…。」

痛い所を突かれた、正直この頃…特に雪が降る時期になってからは秋葉や琥珀さんの
夢を見る。

皆で笑いあっている夢。そして飛び起きて…現実にはありえない事を認識させられ
る。

そして俺が押し黙っているのを見て翡翠は話を続ける。

「私も、姉さんや秋葉様の事を忘れる事なんて出来ません。でも…私と志貴様は今此
処で生きています。」

此処で生きている…か。

そうだ、忘れる事なんて無い、思いを胸に生きていけばいい。そんな事は分かってい
るんだ…。

「でも…翡翠。俺は…。」

俺がそう言いかけたところで言葉が止まる。


彼女が…涙を流していた。

「分かっているんです、志貴様は囚われずにはいられないって。でも…わ、たしは…
しんっ…ぱい…で。」

最後の方は涙で途切れ途切れになる。

「志貴様だけの責任じゃ、ないんです…。姉さんは最後は笑っていました、アナタに
見守られて笑っていたんです!」

そう、琥珀さんは笑っていた。それが作り笑みなのか本当の笑みなのかは俺には分か
らなかったけれども…。

「だから…もういいんです。もう苦しまなくても…いいんです。」

突然翡翠が席を立った。そして俺に抱きついてくる。

「翡翠…。見せたい物があるんだ。」

「え…?」

涙でぐしょぐしょになった顔で俺を見上げる翡翠。

「これ…。」

そう言って俺はプレゼント用に買っておいた物を翡翠に手渡す。

「指輪…ですか?」

一週間程散々悩んで買った指輪。彼女に似合う物をと色々と考え、あまつさえ有彦に
まで助言を求めた物だ。

「そう。さすがに翡翠石の指輪とまではいかなかったんだけど…。」

だが、指輪にはちんまりとした緑色の鉱石がはまっている。

「これを…私に。」

「ああ…翡翠にあげたいんだ。それは誓いなんだけど…。」

「誓いですか…?」

不思議そうに彼女は俺を見つめてくる。

自分の心臓がドクドクと早鐘を打っているのが分かる。

彼女の顔がアップになっているせいもあるが、それ以上にこれから言う言葉に緊張し
ているのだ。

「確かに…俺はこれからも囚われる事があるかも知れない。秋葉と琥珀さんを助けら
れなかったのは俺の…罪だから。」

「そんな…志貴様のせいでは。」

ふるふると首を振る翡翠。

「でも…その指輪を渡した…翡翠と一緒にこれからを歩いていけたらいいと思って
る。」

言った、言ってしまった…。自分の血が逆流する感じ、全身の血が沸騰しているよう
な感じだ。

顔が熱い、きっと俺の顔は真っ赤だろう。

「え…。」

翡翠は状況が飲み込めていないらしい。そんな俺の様子に首を傾げるばかりだ。

そんな彼女に、俺は少し笑って…。

「ずっと…一緒にいてくれ。」

そう言った。





そして…その後フリーズしてしまった彼女が再び動き出すのを待って庭へ連れ出し
た。

「あの…志貴様、ここで何を…?」

「ああ、ちょっと待ってて。」

俺は急いでスイッチを押す。

「きゃっ!?」

辺りがいきなり昼間のように明るくなる。

「っとと…ちょっと明るすぎたか。」

光量を調節するとちょうどいい感じになった。

「志貴様…これは。」

「駅前のイルミネーションを見てね、ちょっと思いついたんだ。」

庭の木々に色とりどりの電飾を取り付けた。

ちなみに今日駅前に買いに行ったのはこれの電源だ。(色気が無い買い物だとか言わ
ないように)

いろんな色と闇のコントラストが幻想的な雰囲気を作り出している。

「どう…かな。」

翡翠の顔を伺う、感情を発露させるとこれ以上分かりやすいものはないのだが、今こ
の状況に置いてはよく分からない。

そして翡翠の瞳から一筋の涙が流れる。

「ひ、翡翠…気に入らなかった?」

「えっ、いえそんな事はありません!…嬉しいんです。」

(う、嬉し涙だったのか…。)

ほっとする。翡翠に気づかれずにこの飾りをしたかいがあったというものだ。

不意に翡翠に手を握られる。

「ありがとうございます、志貴様。私の為に…。」

「翡翠が喜んでくれて良かったよ。」

本当に良かったと思う、彼女も最近元気がなかったように見えたから。

気づくと翡翠が顔を赤くしてもじもじしている。

「あの…志貴様。私からのプレゼント、受け取ってもらえますか?」

「え…。」

うわ、今俺の顔絶対に真っ赤だ。

翡翠からのプレゼントなんて考えても見なかったからなぁ…素直に嬉しい。

「あ、ああ…喜んで受け取るよ。」

「ありがとうございます…。」

そして光と影のコントラストに彩られた彼女を正面から見据える。

「目を瞑って頂けますか…?」

その声に従ってゆっくりと目を閉じる。

翡翠が身じろぎする気配がする。

そして俺の首に何かが掛けられる。

(これは…。)

そしてゆっくりと目を開けようとする俺と翡翠の影が重なった。

…鼓動が早くなる。

この雰囲気のせいだろうか。いつものキスとは違う、もっと何か…。

気づくと俺の首に何かネックレスのようなものが掛けられている。

「翡翠、これは…?」

目立たないデザインのものではあるが、その光沢は大事にされてきたのを物語ってい
るようだ。

先の方には翡翠石を加工したものが取り付けられている。

「私が遠野の屋敷に来た時にすでに持っていたものです。」

ということは…。

「お母さんの形見!?翡翠、そんな大事な物を…。」

「いいんです、志貴様に持っていて欲しいんです。」

急いで翡翠に返そうとしたが、彼女のその瞳を見たらそれも出来なくなった。

「分かった、ありがとう大切にするよ。」

そして二人でイルミネーションを見つめる。

不意に翡翠が口を開く。

「志貴様…。」

「ん?」

「私も誓います。私も…志貴様とその…ずっと一緒に…。」

それだけを彼女は言った。




秋葉、琥珀さん…。

俺は…翡翠と一緒に歩いていくよ。

でも、それは二人を忘れるって事じゃないんだ、きっと俺はこれから先も助けられな
かったあの瞬間に囚われるかもしれない。だけど…。

俺の傍には翡翠がいるから…。




人は過去に囚われるものである。

だが、生きる事で罪を償えることもあるのだと…。

蒼い…蒼い夜空に灯る光の中で、遠野志貴は想う。

大切な人の隣で…。