萌のみの丘 クリスマスSSコンペ用オリジナルSS

〜 ピアノの音色と安物ツリー 〜








「……見事に誰もいねぇなぁ」
12月24日、午後2時過ぎ。
101講義室には誰も来ていなかった。
「はぁ〜、こんな日に講義する教官の気が知れねぇや」
まぁ俺もサボればいいって事なんだが、この講義、単位が危ないからなぁ……
「まぁいいや。……どうせ用事もねぇし」
つぶやいて鬱になる。
「フゥ……」
とりあえず俺は誰もいない教室の一番後ろの席を陣取った。


「……」 教室に来てから5分。
「……本当に誰も来ねぇ」
見事なまでに誰一人として教室にやってくる人はいなかった。
「もう授業始まるぞ……」

キーンコーンカーンコーン

「……」
チャイムが鳴ってからも誰も来る気配は無い。
「……庄田のやつも来ないのか?」
そう思い、俺は携帯を取り出し一緒の講義を取っている庄田に電話をかけてみた。
「……もしもし」
『ん、麻生、どうした?』
「どうしたじゃねぇよ。お前、講義サボってんじゃねぇよ」
『へ? 講義?』
「へ? じゃねぇ、国際経済論の講義だよ」
『……お前何言ってんだ?』
「何言ってんだよって、だから今の時間の国際経済論の講義……」
『なぁ、お前今どこにいるんだ?』
「101講義室だけど?」
『マジか!? うわぁ〜、まさかお前そこまでバカだとは思わなかったよ』
「バ、バカって何がだよ!!」
『今、大学冬休み中だぜ?』
「……は?」
ふ、冬休み……?
「で、でも先週あのオッサン授業の最初に『来週も授業あるぞー』って言ってたろ?」
『……そういやお前、その後寝たんだよな』
「あ、あぁ……」
確か先週のこの時間は、授業時間の8割がたを睡眠学習にあてたんだったっけ。
『授業の中ほどでオッサン間違いに気付いて、慌てて訂正してたぞ、次の授業は来年だって』
「ハァ!!? な、何で言ってくれなかったんだよ!?」
『言わんでも分かるだろうと思って』
「分かるかっ!!」
そんな聞いてない話分かるわけ……
『……先週の金曜日、「あー明日から大学休みかー」って言ってたのお前だろ?』
「え……」
『それに昨日、一昨日とお前授業出たか?』
「……ぃゃ」
『……憐れだな』
「……ほっといてくれ」
『んじゃ、そろそろ切るな』
「え、どうした?」
『どうしたって、彼女ほったらかしにしちゃ拙いだろ?』
「あ……」
『んじゃ、またな〜』
ピッ。


「……うわぁ」
机に突っ伏す俺。
今の精神状態を絵文字で表すのなら、_| ̄|○
「……帰ろ」
2分ぐらい凹んだ後、俺は教室の出口に向かった。








「この後どうすっかな……」
そんなことを考えながら教室を出たその時。
「キャッ!!?」
「のわっと!?」

どーん!!

俺の身体に誰かがぶつかった。

「あ痛たたたたた……」
「っつー……何だ?」
声のする方を見てみると、女の子が尻餅をついていた。
「あ、す、すまない」
「うぅ〜、いきなり出てこないでよぉ〜」
「ケガとか無いか?」
「……大丈夫だと思う」
長い髪にちょこんと乗った大きな帽子。
更に目じりに涙を溜めた上目遣いで答えてくるその子に少しどぎまぎしてしまった。
「ん?」
ふと視線をその子の手元にやる。
「カバン……、あ、今日の国際経済論、休講だよ」
「え?」
「講義受けに来たんだろ? もう大学冬休みに入ってるんだってさ。いやぁお互い間違えちゃったようだなぁ〜」
よし、お間抜けなのは俺だけじゃな……
「いや、知ってるよ」
「い゛」
「ん?あ、ひょっとして……」
「あ、あ……うあ、あ」

墓穴ほっちまったぁぁぁ〜!!

「プッ」
「お、おい、なに笑ってんだよ!!」
「あ、いやいや、もう冬休みに入ってるのにまさか授業だと登校してくる人がいるなんて……」
「ななな、その哀れみに満ちた目、止めぃ!!」
……何か見た目と性格まるっきり違うぞ、この子。
「ゴメンゴメン。でも面白いから」
「面白いってお前……」
事実なだけに反論できないのが痛すぎる。
あぁ、穴があったら入りたいって、正にこういう心境か……
「まぁ頑張って」
そう尻餅ついたままの女の子に言われる俺って一体……


「……あれ?」
ふと彼女のカバンに目が行く。
「ん、どうかしたの?」
「いや、何かカバン、濡れてないか?」
「え?……あぁ!!」
急に大声を上げる女の子。
「こ、紅茶がこぼれてるぅぅぅぅぅ〜!!?」
そしてカバンから取り出されたのはビチョビチョになった紅茶のペットボトル。中身は半分も無い。
「楽譜、楽譜はっ!?」
そう言いながらカバンの中身をポイポイ放り投げていく彼女。
「あ、あった!!……ってビチョビチョぉ〜」
泣きそうな声をあげながら、彼女はカバンから湿ったファイルを取り出した。
「あーあ、どうしよう……」
「大事なものなのか?」
「うん。……って、アンタにぶつかられたから紅茶こぼれたんだからね、どうしてくれるのよ!」
「どうしてって……」
その一見おとなしいお嬢様な外見からは想像できない、強気な態度で詰め寄ってくる彼女。
しかし俺も性格上、非難されると反論せずにはいられなくなってしまう。
「いや、ぶつかったのは確かに悪いけど、前方不注意のお前も悪いだろ」
「と、飛び出してきたのはそっちでしょ?」
「それに紅茶がこぼれたのもちゃんとフタ締めてなかったそっちの責任だろうに」
「な、何ですって〜!?」
いや、ホント外見からはまったく想像できないくらいにムキになる彼女。
黙ってりゃどこかの華道家元の娘ですって言われてもまったく違和感無い感じなのに。
「あー、こんな所で言い合っててもしょうがないわ。とにかく乾かさないと」
濡れた紙……おそらく楽譜を取り出して立ち上がる彼女。
「お日様にでも当てないと……」
そしてどこかおぼついた足取りで廊下の窓に向かっていこうとする。
「足元気をつけろよ」
彼女の足元にはさっき自分で撒き散らしたカバンの中身が散乱している。
が、俺の忠告は彼女の耳には届いておらず……
「キャッ……っと」
危うくルーズリーフで足を滑らすところだった。
「ほら言わんこっちゃない」
「う、うるさいわね……、あぁー、こんな時に限って曇ってるし〜」
窓の外を見て落胆する彼女。
「なぁ、暖房とかで乾かすのはどうだ?」
「暖房……あ、エアコン!!」
「まぁ、エアコンでもいいけど」
「教室にあったっけ……」
そう言って101教室の入り口に向かう彼女。

「……って、キャッ!!」
「え、えぇ!?」
そして、ドアの前で自分が置きっぱなしにしていた紅茶のペットボトルを踏みつけて思いっきりすっ転んだ。

どすんっ!!

「だ、大丈夫かっ!?」
「……」
「お、おいってば!!」
これ……、完全に気失ってるな。
「……」
「どうしたものか……」
まさかこのままほったらかしにする訳にもいかないし……
「……とりあえず運ぼう」








「う……、うぅん?」
「気が付いたか?」
「……え、ここは……?」
「起きれるか?」
「え、う、うん……」
俺は寝転んだ彼女の手を取り起こしてあげた。
「……教室?」
「あぁ。いきなり廊下で失神されたからな。とりあえず教室に運んでおいた」
「あ……」
彼女の目線の先には、床に敷いた俺のコートがあった。
「悪いな、床なんかに寝かせちゃって」
「いや、それはいいけど。それよりコートが……」
「あー、気にしなくていいって。もともとそんなにいいものでもないし」
「……そ、そうだ、荷物は?」
「ほれ」
俺は教室の一角を指差した。
そこに、先程彼女がぶちまけた荷物をまとめて置いてある。
「あそこならエアコンの温風が直に当たって、乾きも早いかなーと思ってな」
「あ……」
黙り込む彼女。
「あ、何かいらないお世話だったか」
「そ、そんなことないよ!……その、あ、ありがとう」
そう紅くなりながらつぶやく彼女。
……また一瞬、ドキッとしてしまった。
「あ、いや、気にしなくていいって」
「でも……」
「いいからいいから。こっちが好きでやってる事なんだし」
というか、あの状況でこの子を放って帰るわけにはいかなかったってわけだが。

とりあえず椅子に座る俺たち。
「身体、大丈夫か?」
「うん、多分。頭とかは打ってないと思うから」
「そっか」
服についたほこりを払っている姿を見てると、やっぱり床で寝かせたのは拙かったかなと言う気になってくる。
「ところでお前、何しにここに来たんだ?」
「え?」
「さっきも言ったけど、もう大学冬休みだし、授業は無いぞ?」
「あー……」
そう口ごもる彼女の目線は、教室の隅に向いていた。
「……ピアノ?」
「そう。ちょっとピアノを弾きに」
そこには、チョークの粉を被っているピアノが置いてあった。
「こんな所にピアノなんてあったんだ」
この教室は四月から授業で使われてるけど、ピアノなんて全く気が付かなかったな……
「明日のコンサート、知ってる?」
「コンサート?」
「音楽部が主催するクリスマスコンサート」
……あぁ、何か掲示板に貼ってたな。
「私、音楽部員なのよ。それで明日の練習に来たって言うわけ」
「音楽部ねぇ……」
「あの楽譜がその明日の演目」
「そっか……」
エアコンの前に置いてある楽譜に目をやる。
「悪いことしたな、楽譜」
「え、あ、もういいよ。こっちこそさっきは言いすぎたみたいだし」
「いや、本来謝らなきゃいかんのは俺の方だ。ゴメン」
「……」
また黙り込んでしまう彼女。少々空気が重い。
「あ、楽譜そろそろ乾いたかなぁ〜」
そう言いながらわざとらしく楽譜を取りに行く俺。
「……まぁ、こんなもんか」
楽譜は多少しわになったものの、湿っぽさは無くなっていた。
「ちょっとしわになっちまったけど、それは勘弁な。七井沙織さん」
「えっ、何で私の名前を……?」
「ここに書いてたのを読んだだけだが」
そう言って俺は楽譜の上の文字を指差す。
「そ、そう。……だったらアンタも名乗りなさいよ、名前」
「名乗るほどの者じゃないさ」
「そ。じゃ『クリスマスイブに間違えて学校にやって来たおバカ』さんでいいよね」
「……もう言うな、それ」
「クスクスッ」
「あー、俺は麻生。麻生健一だ」
「麻生くん、か」
そう言って沙織は楽譜を受け取った。
「……確かにしわになってるけど、読めるから大丈夫かな」
「あとほんのり紅茶の香りがするけどな」
「それはそれで面白いかも」
そう言って笑う沙織。
「でもそのピアノ、すっごいチョークの粉被ってるけど問題ないのか?」
「多分大丈夫。2週間前はちゃんと弾けたし」
「はぁ」
ふとピアノを弾いている彼女の姿を想像してみる。
「……見た目は完璧だな」
「ん、何か言った?」
「あぁ。ちょっとピアノ弾いてる姿を想像してみた」
「チョッ、何勝手に想像してんのよ!!」
「心配すんな、妄想はしてない。それに様になってると思うけどな」
「え……?」
「お前のピアノ弾いてる姿。まぁ、見た目はな」
「……何で“見た目”だけ強調するのよ?」
「イヤイヤ、別に何でもございませんよ〜」
さっきいじめられた分、ちょっと意地悪く言ってみる。
「アンタ、私がヘタクソだって思ってるでしょ」
「さて、どうかねぇ〜」
「クゥ〜!!ちょ、ちょっとそこ座ってなさい!!」
「え?」
「アンタの考え、覆してやるのよ。そこで聴いてなさい!!」
「お、おぉ……」
そう言って沙織はピアノに近づいていく。
「あとで謝ったって知らないんだからね?」
「そ、そこまで言うなら聴いてやろうじゃねーか」
「そう来なくっちゃ」
「え?」
「あ、な、何でもない何でもない!!」
真っ赤になりながら着席する沙織。
「じゃ、短めの曲やるから」
「あぁ」




奏でられる旋律は、この時期は街中でよく聴くものだった。
だが、それはとても滑らかで、清らかで、美しかった。
それを奏でる沙織の姿……、流れるような動きの白い指と黒い光沢を放つピアノの共演は見ていて飽きない。
視覚・聴覚の両面から俺はその演奏に魅入っていた。


そして演奏が終わる。
「ふぅ〜」

パチパチパチ……

「えっ?」
「よかったよ、ホント、とってもよかった」
俺は思わず拍手を贈っていた。
「な、何かわざとらしいな……」
「いやいや、これは本心からの賛辞だって」
「そ、そう……?」
沙織は真っ赤になってうつむいてしまった。
「……あ、ありがとね」
「いやいや、こっちこそさっきはヘタクソだのどうだの思ってて悪かったよ」
「……やっぱりそんな風に思ってたんだ」
「ウグッ……」
に、睨むなっちゅーに。
「ま、いいわ。許したげる」
「あ、あぁ。それにしてもよかったな。練習とは必要無いくらいだと思うよ」
「……でも、練習だからうまく弾けたんだよね」
そう、小さく彼女はつぶやいた。
「練習だけ?」
「そ。……実は私、すっごいあがり性なんだ」
「あがり性?」
「だから、知らない人たちの前で演奏するとなると緊張しちゃって……、ミスばっかりしちゃうのよ」
「でも、だったら俺だって十分知らない人じゃないか?」
「あー、アンタは知らないって言ってもおしゃべりもしたし、私の言う知らない人って枠には入らないよ」
「そ、そうか」
そう言われて少々ホッとしている自分がいる。
「何て言うのかな、人の目、いや耳を気にしすぎちゃうんだよね。私の演奏はどう聴かれてるんだろうとか」
「分からないでもないな、それ」
「うん。何かビクビクしながら演奏しちゃうのよね」
その大人しそうな外見通りの意見に妙に納得してしまう。
……まぁ、性格からしたら全然納得いかないんだが。
「練習の時は聴いてくれるの気心知れた友人じゃない?だったらどういう風に私の演奏が聴かれてるかって分かるじゃない」
「……ん?」
ふと、違和感を感じた。
「どうかした?」
「いや、友人の前で練習する時はどういう風に聴かれてるか分かるからいいんだよな?」
「うん」
「じゃあ、俺がさっきの演奏をどういう風に聴いたかって分かるか?」
「えっ……」
「逆にお前は俺にどういう風に聴いてもらいたいって思って弾いてたんだ?」
「そ、それは……、やっぱりいい様に聴かせたいと思って」
「それでいいんじゃねーか?」
「え?」
「人にどういう風に聴かれるかじゃなくて、どういう風に聴かせたいかを気にしたんでいいと思うけどな、俺は」
「どういう風に、聴かせたい……」
「結局聴く側の気持ちなんて分かんないし。でも、自分の気持ちは分かるわけだよな。だから……って、アレ?」
「?」
「あー……悪い、何か自分で何言ってんのかよく分かんなくなってきた」
「……クスクスッ、いいよ、何となく分かったから」
笑顔でそう言う沙織。
「人目なんか気にせず、自分の思うままの演奏をしろってことだよね?」
「そ、そういうことだな」
……多分。
「出来るかどうか分かんないけど、そういう事を意識してやったらいいんだよね?」
「だな」
「うん。アドバイス、ありがと」
「気にすんなって。じゃ、早速弾いてみるか」
そう言って再び席につく俺。
「えっ?」
「ささ、改善すべき課題が見つかったんだから練習あるのみ」
「……アンタ、帰らなくていいの?」
時計は既に4時を指していた。
「気にしなさんなって」
「でも、今日ってクリスマス……」
「それ以上言うな」
……どうせ帰ったってやる事ねぇんだよ。
「……暇人」
「な、なにぉ!!?」
「ゴメンゴメン。じゃ、明日やる演目全部聴いてもらっちゃっていいかな?」
「あぁ、どーんと来い」
「クスクスッ、まぁいいわ。それじゃ……」








時計を見ると夜の七時を回っていた。
「……もうこんな時間なんだ」
「物事に没頭したら、時間なんか忘れるもんだなぁ」
あの後、俺は沙織の練習に徹底的に付き合っていた。
無心で演奏できるようになるための訓練として、時折軽ーく野次なんか飛ばしながらのピアノ鑑賞。
そのたびに口論になったりしたけど、まとめて見れば割合楽しく過ごせれたと思う。
「じゃ、そろそろ終わりにするね」
そう言って沙織はピアノを閉じた。
「エアコン切るぞー」
「ちょっと、こっちまだ帰る準備してないって!」
「まぁ別に焦らなくてもいいけどな」


二人して校舎を出る。
「さ、寒〜い……」
「……こりゃ寒いわけだ」
教室にいたときはまったく気が付かなかったが、外は雪が降っていた。
「綺麗……」
「てか寒い」
「……ロマンの欠片もないわね」
「悪かったな」
「フフッ」
やがて中庭に差し掛かる俺たち。
「あ……」
「どうかしたか?」
「この木……」
沙織は立ち止まって目の前にある木を見上げていた。
「この木がどうかしたか?」
「実家にある木に似てるなーって思っただけ」
「はぁ、実家にこんな巨木があるんだ」
「うん。で、毎年この時期はこの大きな木に電飾を施してクリスマスツリーを作ってたなぁ〜」
「クリスマスツリーね……」
「綺麗だったなぁ……」
そう物思いにふけっているような沙織。
雪に反射する街灯の明かりに照らされたその横顔は、どこか寂しそうに見えた。
「……あ、そうだった」
「なな、何だ?」
急にこちらを振り向く沙織。俺は慌ててその顔から目をそらした。
……じっと見つめてたってバレたら恥ずかしいしな。
「どうしたの?」
「い、いや別に……」
「まぁいいや。はい、コレ」
そう言ってコートのポケットから一枚の紙を取り出し、俺に差し出してくる。
「……何だこれ?」
「明日のコンサートのチケット。持ってないでしょ?」
「あ、あぁ。じゃお金を……」
財布を取り出そうとする俺の手を彼女が制する。
「いいの。クリスマスプレゼントっていう事で」
「え……?」
「その代わり、聴きに来なくちゃ意味のないプレゼントだけどね」
「ま、まぁそうだな」
「時間があるんだったら聴きに来て。今日の練習の成果を確かめるためにもね」
「分かった」
「じゃ、私はこの辺で」
そう言って彼女は小走りで正門の方に走っていった。

「……」
手元のチケットを見る。
「前売り500円のクリスマスプレゼント、か……」
時間的には何の問題もないな。
「……」
横の巨木に目をやる。
「……ツリーか」
ま、やるだけやってみるか……








25日午後4時55分。
「うわっ、やべぇ」
俺は大学構内にあるホールに向かって走っていた。
音楽部のクリスマスコンサートはそのホールで5時から開演する。
「フゥ……間に合ったか」
何とか演奏が始まる前にホールに入ることが出来た。
「大学内にいたのに遅れたんじゃどうしようもないからなぁ……」
ホールはどこぞの小劇場と比べても見劣りしない立派な物で、客もそこそこ入っているようだった。
俺が席に着いたところで開演のブザーがなる。
「ホント、ギリギリだったなぁ」


そして開演。
コンサート自体は枠にとらわれない自由な雰囲気で行われていった。
皆が思い思いの楽器を持ち寄って演奏している。バイオリンもあればギターもあるといった感じだ。
沙織もピアノとして登場し、昨日練習した演目を披露した。
曲自体は昨日聴いていたわけだが、他の楽器とコラボレートすることで違った印象を受ける。
何より弾いている沙織本人がとても楽しそうだった。
その様子を見れただけでも、このコンサートに来て良かったなと思う。


演奏終了の余韻に浸りながら盛大な拍手に包まれるホール。
それに応えるように演者たちは客席に向かって一礼し、舞台袖へとはけていく。
「……」

ホールの外、楽屋出入り口で一人佇む俺。
「うぅー、寒ぃ〜」
コンサートが終わってから一時間くらいが経っただろうか。
空はすっかり暗くなり、粉雪も舞っていた。
「打ち上げとかやってるんだろうか、やっぱり」
そう思っていると、楽屋口からぞろぞろと人が出てき始めた。
その中の一人が案の定、こちらに声をかけてきてくれた。
「アレ?アンタ、なんでこんな所に……」
「お疲れさん」
「あ、コンサート聴いてくれてたんだ」
「んだ。良かったぞ、とても」
「あ、ありがと」
うつむき加減で答える沙織。
「この後、ちょっと時間あるか?」
「え?う、うん一応あるけど……」
「よかった。んじゃ、こっち来てくれ」
「えっ?」
「あー、見つかったらやばいんだから。急いで」
「え、あ、ちょっと……」
俺は沙織の手を取って中庭へと走った。




「き、急に走らないでよ……、ビックリするじゃない」
「まぁ、本当にビックリしてもらうのはこの後なんだけどな」
「え?」
「じゃ、お前はちょっとここで立っててくれるか?」
「え、あ、うん……」
俺は沙織を中庭の一角に立たせ、巨木の下に駆け寄った。
「んじゃ、このプラグを……」
そして木から垂れている電源コードを、校舎から伸ばしてきた延長コードに差し込む。
「で、スイッチオンっと」

カチッ

「……あ」
巨木を見上げ、沙織は小さく声をあげた。
「何かすっごくしょぼいけど、一応クリスマスツリーってことで」
中庭の巨木はところどころが小さな光で覆われていた。
「クリスマスツリー……」
もちろんこんな電飾が最初っから用意されているわけがない。
昼間に俺が『クリスマスも本日限り』ということで大安売りされていたツリー用の電飾を買ってきて、準備しておいた物だ。
おかげでコンサートの方には危うく遅れそうになったが。
「まぁ家庭用の電飾だから小さすぎるんだけどな」
「ううん……、私の家でもこんな物だったから」
しゃがんだ俺の頭上で輝く電飾。
「……綺麗」
自分で言うのもアレだが彼女の言う通り、その控えめな光は静かに舞う粉雪に相俟っていて綺麗だと思った。
「勝手に電源使ってるからな。他に人が来たらすぐ切らなきゃいけない。こんなビクビクしながらのツリーも変だよな」
「フフッ……」
こちらから見える彼女の表情は、ハッキリとは分からないが喜んでくれているようだった。
「……ありがとね」
「ま、まぁな……。そ、そういうなら片付け手伝ってもらうかな」
「な、何雰囲気ぶち壊しな事言ってるのよ」
「ハハッ、冗談だって」
「……まったく」
どうもこういう雰囲気は落ち着かず、おどけてみせる。

「でもホント、ありがと……」

寒空の下、雪に降られながらチカチカと輝くクリスマスツリー。
今夜一晩だけのイルミネーションを、変な出会い方をした二人で見つめるクリスマスの夜だった。