過ぎ去った奈落のクリスマス


Past Christmas In Abyss



 12月25日

 その日は、数百年前に勇者が魔王を倒して世界に希望が戻った日といわれている

 希望が戻ったということに対しての喜びを祝い、親の希望である子供たちにプレゼントを渡す

 そんな習慣がいつの間にか芽生え、それが大事な人と過ごす日という風にまで進化していた



 そんな日の朝早く

 冬の真っ只中にも関わらず、家の外で誰かをひたすら待っている少年の姿があった




「はぁ〜」

 朝の寒さに凍える手に息を吹きかけ、白くなった手に何とか温もりを与える

 息の温かさが逃げぬように両の掌で鼻と口を包み、また息を吹きかける

 暖かそうな毛糸のフードの上にははらはらと舞い落ちる雪が積もっていて、まだ積もっていく

 小さな身体を丸めて寒さに凍えつつも、その場から動く素振りはない

「早く来ないかなぁ……」

 空から零れる白い結晶が起こす白い靄で霞む前を見ながら、少年が待ち焦がれる声を出す

 果てない天が流す涙は、少年の身体の隅の感覚をゆっくりと奪おうと風に揺れながらも散りはしない

 白いオーロラのような朝の風景の中で少年はひたすらに先を見ていた









 一色の世界と単一の彼

 それだけで構成された世界

 太陽は顔を見せてはおらず、少年の身体と心は冷たくなっていくばかり

 しかし

 止まない吹雪がないように、隠れてはいても陽が昇らない日がないように

 少年の心に温かみをもたらす太陽は昇る

「祐一、そんな寒いところで待たずに部屋の中に入ったらどう?」

 寒さに身を震わせる少年を、声だけで骨の髄まで暖めてくれそうなまでに柔らかい声がすぐ後ろから響く

「ヤだ、ソムヌス来るまでここにいる」

「もう……風引いても知らないわよ」

「風邪なんか引かないよ」

 そう強がってはみても、震える手と肩は隠せてはいない

 雪は積もるし風も吹く

 そんな世界で、この小さな身体ひとつでどれだけの熱が保てるのだろう?

「ソムヌス、クリスマスになったらすぐに飛んでくるって約束したんだ。だから、ここで待つ」

 プイッとあさっての方向を向く祐一

 寒さに負けそうなのにこうやって強がる様が、とても微笑ましい

 それに自分の息子が意地っ張りなことは母親であるこの人物はよく知っていた。

 だから―――


 フワッ

 芳しき花のようなの匂いとともに、少年の背中と心が温もりで包まれる

「じゃ、母さんもソムヌスを待とうかしら」

 言いながら祐一を膝の上に乗せ、少しだけ移動して屋根のある所に落ち着く

 少年特有のさらさらの髪を色々な種類の熱を持った優しい手が穏やかに梳いていく

 目を細め、祐一は背中を委ねて凍えた身体が暖かくなっていき空を見上げた

 空は相変わらず涙を零し続けていて、外にいる人たちに寒さという名の悲しみを与え続けていた



「ねえ、お父さんは?」

 肩越しに母親の顔を見上げる

 脇の下から入ってきて、お腹の前で組まれている母親の両手

 少年の足と地面との間には間隔があり、その間隔でプラプラと少年の足が漂う

 母親はそんな息子の様子に微笑ましさを感じながら、少年の問いに優しく答えを返す

「お父さんは今日もお仕事で遅くなるって」

「今日も仕事なの?」

「ええ。お父さんは偉い人だから、今日も仕事があるの」

 言葉を紡いで、空を見上げる

 確かに祐一の父親、母親の夫の地位は高い

 ここ『奈落』の主にして『破壊者』たちの最後の希望

 唯一、『破壊者』が『破壊者』として暮らせるこの土地の守護者なのだから

「だから、お母さんとソムヌスと祐一の三人のクリスマス」

 空からふっと祐一に視線を戻し、淡く微笑む

 微笑のはずなのに、祐一はそれを見て「む〜」といった擬音があいそうなまでに頬を膨らませた

「……お父さん、キライ」

 膨らませたまま、プイッと振り返っていた顔を逸らす

「どうして?」

「……だって、お父さんのせいでお母さん寂しそう」

 祐一の心の中では母>父が絶対的定義として既に根付いている

 父親が嫌いなわけではないが、それ以上に母親が好きなのである

 過ごした時間が圧倒的に母親の方が長いというのもあるが、今のように母親の優しい匂いと温かい体温に包まれるのが祐一にとっての最高の贅沢なのだ

 父親の固い胸板はどうにも好きになれないというのも母>父の原因かも知れないが

「でも、お父さんがいなかったら祐一はいないのよ?」

 しんしんと冬の精霊が揺れる中で親子の会話が続く

 きっと、家の中に用意してあった朝食は冷めてしまっているだろうが今はもういい

 それより、ここで話をしている方がずっと暖まりそうだから

「別にお父さんが嫌いなわけじゃない。ただ、お父さんはお母さんを悲しませるから嫌いなだけ」

「ふふっ……」

 実に子供らしい論理についつい頬を緩ませてしまう

 何にせよ、子供に好かれていることは嬉しいものだ

「大丈夫よ、祐一。別にお母さんは悲しんだりはしてないから。寂しいと感じられるということは、孤独じゃないって知ってるからなのよ?」

「?」

「最初から孤独なら一人でいたって何も思うことはないわ。だから、孤独であるということを感じれることは実は幸せなことなのよ」

 よしよしと頭を撫でながら、良く分からないといった表情をしている祐一に言い聞かせるような声音

「孤独が寂しいってことを知ってるから誰かと一緒にいたくなって、その一緒にいるということの幸せがどんなものが分かる。そういうことなの」

 クリスマス

 それは大切な人と過ごす日

 希望という二文字が世界に戻ったことを喜び、この掌の温もりを実感する日

「だから、この寂しさも愛しいし、大事な気持ちの一つというわけ」

 ゆらりゆらりと冬の雫が汚れなき大地へと吸い込まれていく様子を、胸元の温もりとともに眺める

 世界でたった一つの雪の華

 それが、ここにある

「祐一には少し難しいかな?」

 彼方は見えない

 白のカーテンに覆われ、見えない旅人に閉ざされて

 此方は覆えない

 人の温もりで融かされ、人の繋がりで塞がれて

 それはあたかも、これから先のことを暗示しているようで興味深い

 刹那の温もりを糧として、見えない先へ歩く誰かの未来を


「……お母さんは寂しいのが嬉しいの?」

「そういうわけじゃないのよ。……う〜ん、なんていえばわかりやすいのかな………」

 さらさらと風が母親の長い髪と祐一の短い前髪にふんわりと手を伸ばす

 けれど、決して風は髪を掴むことはなくするりとすり抜けただけ

「そう、ね……。祐一は毎日毎日同じこと遊びばかりをしてたら、それがつまらなくなったっていう経験ない?」

 風に少し乱された自分の髪を整えながら、流れていた祐一の前髪を嫋やかに指先で揃えてやる

 気持ちよさからか少しくすぐったそうに目を閉じた後で、コクンと一つだけ祐一が頷いた

「この前―――」

「おやおや、もしかしてお邪魔だったかな?」

 朗らかな声が祐一の声を遮って二人の世界に唐突に割って入る

 言葉を遮られた祐一は文句を言おうとそちらに目を向けたのだが、向いて相手を確認した瞬間にそちらに飛びついた

「ソムヌス! 僕、ここで来るの待ってたんだよ!」

 抗議するような色を匂わせてはいる声なのだが、本人がその相手の腕にしがみついてはあまり効果はない

 案の定、抗議されたソムヌスはガシガシと頭を少し強めに撫でてやっただけ

「はは、悪いね祐一。ちょっと、トラブルが起きちゃってね。その対処が長引いてしまって……ごめん」

 よっ、と祐一を片手で抱き上げて微笑む

 一年に何回かしか会えない、自分によく懐いて少年の瞳を見て

「トラブルって何が起きたの、ソムヌス?」

「そんな心配するようなことでもないです。ちょっとしたことですから」

 ニヤリと笑う。その笑みの裏には何かを企んでいるような感じがしないでもない

「もしかして、人間が何かしたの?」

「いえいえ、単なる僕の私事ですからあまりお気になさらず。それに、悪いトラブルではなくて良いことをしようとしてのトラブルですし」

「いいこと?」

「そうだよ、祐一。僕がやっていたのは今日という善き日を彩るための色々な準備だから」

 ソムヌスの纏っている黒の衣装が無垢で残酷なものたちによって侵食されてしまっている

 大地に咲く漆黒の花を消し去ろう躍起になって降りつづけているそれらこそ、この世界の平和を守るという大義を掲げている彼らを示すに相応しいだろう

 全てを消し、己が色で染める

 あたかも純真であるかを示すような色をしておきながら、どこまでも残酷な深き白

「ふふふ。きっと驚くと思うよ?」

「何をしかけたのかしら?」

「それは後のお楽しみです。それより、今は先に別のものをお見せしますよ。ほら、あちらを見てください」

 雪の向こうを指差す

 つられてそちらを親子が向くものの、視界に広がるのは変わりのない銀世界

「? 別になにもないよ、ソムヌス?」

「そりゃあ、まだ何もやってないからね。ショータイムはこれからさ」

 バサッとマントを腕ではためかせる

 周囲の風景に逆らうマントが宙に舞い、それが重力に従って落ちる頃……

 パチン、とソムヌスが一つ指を弾いた

 それが合図となったのか、唐突に















 雪が止む









「おお〜〜」

 一気にクリアになる視界

 彼方まで見通せるようになったその先には海が見えた

「なにをしたの、ソムヌス?」

「ちょっと風を空で起こしただけです。ま、余興ってやつですね」

 一瞬、雪が止んだ瞬間に目を奪われた親子にばれぬように何処かヘ目配せをしたソムヌスは次の瞬間にはすぐに元の位置に顔を戻す

「ね、ね。ソムヌス、どうやってやったの、これ? 僕にもできるようになる?」

 クイクイとソムヌスの裾を引く祐一と、

「また、無駄なことに力を使って……」

 呆れ顔の母親はそれに気付いてはいない

 成功したことを確信した笑みを浮かべ、ソムヌスはポンと景色に見惚れている祐一の肩を優しく叩いた

「さ、祐一。雪が完全に止んだわけじゃないから、いつまでも外にいたら風邪を引いてしまうから中に戻らないかい?」

「あ、うん。…………」

 返事は返すものの、視線は透き通った世界に釘付けられているまま

「祐一、何か見えるの?」

「……ううん、何も見えない」

 フルフルと首を振る

 首は振られただけで向きを変えはしない

「ソムヌスも来たんだし、中に入りましょう」

「うん……」

 母親の言葉にも頷くだけ

 視線は相変わらず遥か彼方を見据えたまま、根付いたかのように動き出そうとはしない

 母親もソムヌスもこの少年の意地っ張りなところは知っているだけに、無理に動かそうとはせずに苦笑を浮かべながら待ちに徹する

 クリスマスの浮かれたムードの漂う奈落の底で流れる静寂の時間

 少年が見つめる彼方には何もなく、少年の側には二人の大切な人がいて、背後には将来背負うであろう臣下たちの住む家が立ち並ぶ

 空は徐々に灰色に濁っていき、やがて涙を流し始める

 霞みいく海と甦る雪

 はらりはらりと風に舞って落ちていく結晶の、最初の一粒が頬に触れた時

「やっぱり、帰ってこないや」

 ぽつりと普通の人なら聞き取れないほどの小ささで呟いた後、ようやく祐一が踵を返す

 人間である母親にその呟きは聞き取れなかったものの、夜の王族である真祖の中の闇王であるソムヌスはしっかりとそれを聞き取る

 そして、ソムヌスは振り返った祐一の耳に近付きそっと囁いた

「今日は帰ってはこないよ」

「え……あ、うん。分かってるよ、そんなこと……言われなくたって」

 ぶっきらぼうに答える。理解していることでも、言われたくないことを言われれば腹は立ってしまうのは仕方がない

 そんな祐一の反応を見て、ソムヌスは意地の悪い笑みを浮かべながら耳元から下がる

 本当に楽しそうな表情で








 パンパンと靴の裏についた雪を取り除くために玄関のドアの前で足踏みを繰り返す

 祐一の家は奈落の主の家なのだが、その大きさは並の一般家庭の家の広さと大して変わりはない

 面積が限られている島で広い家を持つことは罪悪と同義であるし、父親自身が顕示欲の乏しいことも影響している

 使用人なんてものもいないし、目の前の家は純粋に祐一の家

 三人いる住人全てが留守にしているはずなので、当然の如く家は静寂に包まれている

 窓から見える人影もないし、物音も聞こえない

「ソムヌス、貴方何も持ってないようだけど祐一へのプレゼントは忘れたの? あの子、すっごく楽しみにしてたわよ?」

「ふふふ、ご心配なく。最高のプレゼントを用意してます。祐一にとっても、貴女にとっても」

「私?」

「ええ」

 バンバンバン

 次第に激しくなる祐一が靴の雪を取る動作

 その行為には、きっと多分に誰かさんへの苛立ちが含まれているに違いない

「ま、それはすぐに分かりますよ。お、祐一も終わったみたいですし家に入りましょうか?」

 靴を両手にはめ、最後の仕上げとばかりにバシバシと右手と左手を戦わせる

 もう殆ど取れているものの、ほんの少しだけ残っている土混じりの雪が戦いの犠牲となって大地へと去っていく

「ふふっ、やけにもったいつけるのね。もし、これでつまらなかったらどうしてあげましょうかね?」

「なんなりと」

 仰々しく片手を胸の前に持ってくるソムヌス

 そんな彼の様子に母親はもう一度笑い、靴を戦わせ続けている息子に声をかける

「祐一、もうそのへんでいいわよ。後はお母さんが洗っておいてあげるから」

「ん」

 ぽいっと靴を捨てるように玄関横の壁に立てかけ、扉のノブに手をかけている母親の隣に立つ

「さ、中に入ったらすぐに着替えるのよ」

「うん」

 そんな言葉とともに母親はドアの鍵を開き、ゆっくりとノブを回して腕を手前へと引いた






 パァァァァァン!!!

「メリークリスマス!」

 途端に、中から轟音が鳴り響いた