「……しかし突然の話だよなぁ」



 ヒリヒリする顔をさすりながら一刀は廊下を歩いていた。

 一通り桂花へのお仕置きが終わった後、華琳は出立の日時の通達や随行員の指示をするとさっさと彼を追い出してしまったのである。

 勿論それはいいところを寸前で邪魔された照れ隠しであり、一刀はそれを理解していた。

 ああいうところが可愛いんだよな、と一人ニヤニヤしながら歩く少年の姿は正直不気味ではあるのだが。



 「文官一人に武官一人か……」



 馬鹿なことをしでかさないように文官を一人、護衛として武官を一人連れて行け。

 それが華琳の出した唯一の指示だった。

 確かに一刀一人の旅では危険が過ぎるし、外交関係はサッパリな以上そういうことがこなせる人材を連れて行くのは当たり前である。

 ちなみに、呉側は自分たちが請うのだからと人員の派遣を申し出ていたのだが華琳はこれを断っている。

 魏王曰く「たかが一武官ごときにそこまでされる謂われはない」とのこと。

 実際のところは護衛にうじゃうじゃ囲まれて旅をするなんて一刀の好むところではないだろうという乙女の気遣いだったりする。

 一刀は勿論そんな気遣いを知る由もないのだが、賓客として扱われるのは望むところではなかったので疑問は挟まなかった。



 「誰を連れて行ってもいいとは言ってたけど、さて」



 呉までの旅となるとその辺の者を随行員にするわけにはいかない。

 必然的に親しい女性達―――すなわち、魏の上層部の面子が候補に挙がるわけで。















 一刀の呉国訪問記(勧誘編)















 「おーい、風。いるかー?」



 コンコン、と扉をノックしながら部屋の主の反応を待つ。

 一人目の随行員として一刀が選んだのは魏の三軍師の一人、程cこと風だった。

 そもそも、文官でこういうことが頼めそうな人材といえば彼女しかいない。

 桂花は誘いをかけるまでもなく否と答えるだろう。

 稟は、諾と答えるかもしれないが正直鼻血噴出癖を旅先で出されると不安で仕方がない。

 そうなると自動的に残るのは風一人になるわけで。



 (稟や趙雲と三人で旅をしていたくらいだし、ちょうどいいよな)



 性格的にはやや旅のお供としては不安が残るものの、やはり一緒に旅するのならば気心の知れた人物のほうが良い。

 三軍師の一角をそれなりの期間魏から離すのはどうかとは思うものの、一刀の中では他の選択肢は浮かばなかった。



 「いないのか? って、鍵開いてるし」



 無用心にも開けっ放しの扉を僅かに開くとその隙間から室内が見える。

 風の部屋の内装は本人の性格を現すように暖色系の装いだった。

 書簡が所々に積まれているのと物の少なさがやや女の子らしくないものの、あまりにらしい部屋に一刀は苦笑を零す。

 あまり他人の部屋をジロジロ見続けるのも失礼か。

 そう考え、扉を閉めようとした少年の目に次の瞬間、珍妙な物体が映った。



 「……なんだありゃ」



 それは窓際に設置されたハンモックのようなものの上で丸まって寝ている風の姿だった。

 三国志イメージに合わない光景だ、と思いつつもそういえば華琳もこれで寝ていたな、と思い出す。

 実は流行っているんだろうかこれは。

 一刀はまた一つ見つけたファンタジーな要素に首を捻りながらそろそろと入室して風のもとへと近づいていく。



 「昼寝中か。相変わらずだなコイツも……」

 「すぅ……すぅ……」



 微かな寝息が少年の耳朶を震わせる。

 猫のように丸まって寝続ける少女の姿は見るものに微笑ましさを感じさせた。

 窓辺から差し込む太陽の光が長い金髪に降り注ぎ、反射した光がキラキラと少女の身体をコーティングするように輝いている。

 その姿はまるで天使のようで、一刀は思わずその光景に見惚れてしまう。



 「……っと、いつまでも女の子の寝顔を見続けるのは失礼だよな」



 風の場合、散々寝顔を見ているのだが私室の中というシチュエーションが一刀の罪悪感を刺激した。

 また後で会いに来ればいいか。

 バツが悪そうに頭をかきながら退室しようとする一刀は、しかし動揺していたのか机の角に爪先をぶつけてしまう。



 「痛っ!」

 「……んむ?」



 反射的にあがった悲鳴に反応してむくりと起き上がる風。

 翡翠の瞳がきょろきょろと状況を把握するべく室内を見回し、そして一刀のところで動きを止める。



 「……何故お兄さんがここに? 昼這いですか?」

 「い、いや、違」

 「やれやれ、夜まで待てないとは。我ながら妖艶な魅力を持ってしまったものですねー」

 「さながら蜘蛛のよう。ああ、ここに毒牙にかかった哀れな男が一人ってもんだ」

 「おぉ、上手いこと言いますねホウケイやろう」

 「人の話を聞けっ」



 かもーん、とばかりに両手を広げる少女に一刀は思わず声を張り上げてしまっていた。

 だが、それは正に風ワールドの思う壺で。

 くすくすと微笑む金髪軍師の姿に一刀はからかわれていたことを察し、憮然としてしまう。



 「お前、ずっと起きてたんじゃないだろうな?」

 「いえいえ、起きたのはたった今ですよ? 単に見たままの状況を推理しただけです」



 よいしょ、とハンモックもどきから降りる風に訝しげな視線を向ける一刀。

 しかし少女はそれを意にも介さずに椅子へと移動する。



 「それで? 女の子の部屋に不法侵入したお兄さんは風にどういったご用件でしょうか」

 「ぐ……勝手に入ったのは悪かったよ。ごめん」

 「まあ、鍵をかけていなかった風も悪かったですし許してあげます」

 「ありがとう。それで用件なんだが……」



 気を取り直した一刀は孫策に請われて呉に行くことになったことを告げた。

 自分の随行員として文官と武官を一人ずつ連れて行くことになり、その一人として風を誘いに来たことも。

 はたして、話を聞き終えた風の反応はというと。



 「いいですよ」

 「そんなあっさりと」

 「お兄さんは風に断って欲しかったのですか?」

 「いや、そんなことはない……嬉しいけど。いいのか、仕事とか?」



 戦争が終わり、仕事量が減った武官はまだしも文官は今が一番忙しい時期のはずである。

 その筆頭の一人とも言える風が遠き呉の地へ向かうのはマズイのではないか。

 誘いをかけておきながら今更ではあるが、一刀はそこが不安だった。



 「自分の割り当て分は終わらせてますからしばらくは大丈夫です。それにいざとなったら桂花ちゃんと稟ちゃんがいますから」



 それって二人に丸投げするってことなんじゃ?

 そういいかけた一刀の口は遂に開かれることはなかった。

 ぼーっとしているように見えても風は魏の三軍師の一人。

 その彼女が問題ないというのだから信じなければならない、そう思ったのだ。

 決して、これ幸いとばかりに仕事をサボる気満々な風の表情を見たゆえの反応ではない、多分。



 「それじゃあ、風は承諾ってことでいいんだな?」

 「はい」

 「じゃあ出立は三日後だから、そのつもりで準備しといてくれよな」

 「わかりましたー。お兄さんはこれからどするのですか?」

 「もう一人を誘いに行くよ。風もついてくるか?」

 「お誘いは嬉しいのですが、遠慮しておきます。こんなうららかな陽気の中、お昼寝をしないなんて勿体無いのでー」



 瞼を半分閉じながらふらふらとハンモックもどきへと戻っていく風。

 一刀はそんな少女を見送り、少し羨ましさを覚えつつも退室していくのだった。
















 風の部屋から退室して一時間後。

 一刀は洛陽の城下に足を運んでいた。

 侍女に聞いたところ、探し人は城下に繰り出しているという情報を得たからだった。



 「さて、どこにいるんだろうなアイツは」



 文官とは違い、武官には知り合いは多い。

 それだけに誰を誘うかは一刀としてもかなり迷ったのだが最終的な候補は一人に絞られていた。

 凪・真桜・沙和の三羽烏は誘えば喜んで着いてくるだろうが一人しか選べない以上残りの二人から不満が出る。

 流琉と季衣も同じ理由で却下。

 春蘭と秋蘭の姉妹は華琳の傍から離れるとは思えないので候補に入れるまでもない。

 そうなると自動的に風の時と同じく消去法で残るは一人になるわけで。



 (それに、あの約束もあるしな……)



 思い出すのは『彼女』と交わした約束。

 目的地は違うが、約束を果たすには絶好の機会だ。

 そういう意味では誘うのは彼女しかいなかった。



 「酒屋あたりが怪しいかな……」



 魏の将軍達行きつけの酒屋へと一刀は足を向ける。

 やがて辿り着いたのは、こじんまりとしながらも風格を感じさせる一軒の酒屋だった。

 良い老酒を出すその店は、一刀はおろか酒にうるさい華琳でさえもお気に入りに挙げる店だ。



 「……いたよ」



 入り口を潜った一刀の視界に入ったのは、紛れもなく探していた人物だった。

 紫色の髪を後頭部でまとめ、上はサラシ、下は袴とアンバランスな出で立ちをしたその女性の名は霞。

 姓は張、名は遼、字は文遠。

 三国志の中でも有名かつ有能な武将の名の一角として挙げられる人物である。



 「んん? あーっ、一刀やん! どしたん、一刀も飲みにきたんか?」



 ぶんぶん、と勢いよく手を振ってアピールする美人将軍の姿に店内の視線が集中する。

 しかしそれはいつもの光景だったらしい。

 数秒の間霞と一刀を交互に見つめた客や店員は心得ているとばかりにすぐさま視線を外していく。



 「いや、俺は飲みに来たんじゃないよ。あ、水を一杯」



 近寄ってきた店員に注文しながら、一刀は霞の向かいの席に座る。



 「ほななんで来たん? あ、もしかしてウチを探してたとか?」

 「ご名答。ちょっと頼みたいことがあるんだ」

 「頼みごと? とりあえず話してみてや」



 促してくる霞に二度目の説明を開始する。

 説明が終わり、喉が渇いた一刀は運ばれてきた水を飲み干し、返事を持つ。



 「ふ〜ん、呉に……」

 「どうかな?」

 「ひとつ聞いてええか? なんでウチを誘ったん? 凪とか真桜とか喜んでついてきそうなのが一刀の周りにはおるやろ?」

 「確かにそうだけど、あいつらの場合一人だけを選ぶと残りの面子から文句が出そうだし」

 「あはは、確かに! じゃあ消去法でウチを選んだんか?」



 愉快そうに、それでいてどこか寂しそうに問いかけてくる霞に一刀はゆっくりと首を振った。



 「勿論それがないとは言わないけど……約束しただろ?」

 「え……」

 「なんだよ、霞は忘れたのか? 平和になったら二人で旅をしようって話したじゃないか」



 それは戦争終結前のささやかな会話だった。

 生粋の武官として、訪れる平和な世界での自分に不安を持っていた霞に一刀が提案したこと。

 いつか西涼の遥か西、羅馬(ローマ)へ二人で旅しよう。

 実現するなどとは信じていなくて、それでもその時を夢見てドキドキワクワクした夢物語の約束。



 「お……覚えとったん?」

 「忘れるわけないだろ? まあ、あの後俺は消えちゃったし……今回のも西じゃなく南で、二人旅じゃなくて三人旅だけどな」



 照れたように苦笑する一刀の表情に、霞は感極まったように身体を震わせる。

 覚えていてくれたのだ。

 あんな他愛のない、実現するはずもない夢物語のような約束を。



 「あかん……そんなん言われたら、ウチ……」



 一刀が消えた時、一番怒気を露にしたのは霞だった。

 皆が悲しむ中、桂花も驚く勢いで憤ったのは約束を反故にされた形の彼女だったのだ。

 約束したのに、あの時ウチをあんなに喜ばせてくれたのに。

 何度そう愚痴ったのか覚えてすらいない。

 一刀が帰って来た時、一番最初にパンチを入れたのもその時の悔しさがあったから。

 だから、だからこそ少年の言葉が霞には嬉しかった。



 「おいおい、泣くなよ……って、わっ!」

 「一刀が泣かせたんやろ! この女ったらしめー!」



 霞は一刀をテーブル越しに引き寄せ、胸元に抱きかかえて頭をこねくり回した。

 目尻に光る雫が頬から零れ落ち、少年の髪の上に落ちる。



 「で、まだ返事は聞いてないんだけど……俺と、来てくれるのか?」

 「アホ! そんなん答えるまでもないやろ!」



 最後にパシンと頭をはたいて霞は一刀の頭を離す。

 向かい合う瞳と瞳。



 「呉か、強い奴ぎょーさんおるよな!?」

 「そりゃいるだろうけど……まさか喧嘩売るとか言わないよな?」

 「そんなんするわけないやろ? ちゃんと許可もろーて正式に立ち会うわ!」

 「こ、このバトルマニアめ……騒動起こしたら華琳に怒られるのは俺なんだぞ!?」

 「あっははは! ええやんええやん、それくらい男の甲斐性やで?」



 笑いあう二人の表情は子供のようで。

 青空の下、交わした約束は幾月の時を越え、形を変え、それでも。



 「風も一緒かぁ。楽しい旅になりそうやな!」

 「ああ、そうだな!」















 ―――今、果たされた。















あとがき

関西弁、というか二次元的関西弁が難しい……
というわけで呉へのお供は風と霞に決定です。
あんまり長々と呉編をやると華琳さまの出番がいつまでたってもこないのでできるだけ短くまとめなければ。
いやまあこの連載は短編連作ですからいきなり別の話やってもいいんですけどね。