「天の遣いが帰還した?」

 「はい、私たちにはあまり関係ありませんけど一応お伝えしておこうと思いまして」



 小さな眼鏡をかけた爆乳軍師、陸遜こと穏の報告に玉座に座った褐色の美女が片眉をあげて反応する。

 彼女の名は孫策、真名は雪蓮。

 建業を国の中心とする呉の王である。



 「伯言、それは本当なの?」

 「まず間違いないと思います。半年前の成都決戦の後、彼の人は霞のように姿を消したとされていたのですが……」

 「つい先日、帰還を果たしたと」

 「はい、天の国に帰省でもしていたんでしょうかねぇ〜?」



 のほほんと朗らかに笑いながら推察する天然軍師に苦笑を漏らしながら、呉王たる女性は思考を巡らせる。

 正直、自分は―――というか、各国首脳陣は天の遣いなる存在を信じてはいなかった。

 そのようなものは、曹操が自身の名声と立場を確固たるものにするための策の一つ。

 その程度の認識だったのだ。

 だが、今にして思えばわざわざ曹操がそのような手を打つ必要などないのである。

 そもそも天の遣いの名は各国家に広く伝わってはいたものの、それを魏が利用したことなど一度もない。

 やろうと思えば象徴にするなり種馬として扱うなりいくらでも有益な利用方法はあるというのに、だ。

 現に『数え役萬☆姉妹』という実例がある。

 しかし実際のところ、彼は表舞台に引き出されることもなく、かといって魏の上層部の誰かと婚姻を結んだということもない。

 更に言えば、天の遣いたる北郷一刀は男だ。

 曹操の女色趣味は有名であり、立てるならば女の方が色々都合がいいはずなのだからここもおかしいと言えばおかしい。



 「興味深いわね……」

 「え?」



 おっぱい軍師の訝しげな視線に気づくことなく、褐色の美女は笑みを深める。

 大陸が魏によって統一され、蜀と呉がその下につく形で平穏が形成されている現在。

 異民族の侵攻や盗賊の跋扈こそ散発的に起こってはいるものの、概ね大陸は平和である。

 根が行動的である雪蓮はそんな現状にいささか退屈を覚えていた。

 勿論、乱を引き起こそうなどとは塵ほども考えてはいない。

 今の自分の役目はこの平和を維持し、呉を発展させることだということはきちんと理解している。

 だが、退屈なものは退屈なのだ。

 そんな中、興味を覚える存在が耳に入ってきた。

 これこそ、正に天啓というものだろう。

 そう獰猛な笑みを浮かべてひとりごちる雪蓮に、穏は嫌な予感を覚えていた。

 この主君がこういった表情をする時は、大抵騒動が起きると決まっている。



 「あ、あのぉ〜?」

 「伯言、魏への使者を用意しなさい。私からの手紙を届けてもらうわ」

 「は、はいっ」



 にこやかに命を下した主君にややあたふたと慌てながらも穏はすぐさま動き出す。

 主君が何をする気なのかは窺い知れないが、流れからして天の遣いが関係しているのは間違いないだろう。

 一度だけ目にしたことのある少年に同情の念を送りつつ、でもわたしには関係ないしぃ〜とあっさり思考を放棄する穏であった。



 「ふふっ……天の遣い、北郷一刀か。面と向かって話したことはないけれども、どのような人物なのかしらね?」



 彼女は知らない。

 背後で微笑む主君が何を考えているのかを。

 そして、その考えが自分にも大きく関わってくるということを。















 一刀の呉国訪問記(火種編)















 「一刀、あなた呉に行ってきなさい」

 「は?」



 朝議の後、華琳に呼び止められた一刀は唐突に告げられた命令にしばし呆然とする。

 呉? 孫策とか孫権のいるあの呉?

 これはあれか、左遷なのだろうか、戦力外通告なのだろうか。

 徐々に顔が青くなっていく一刀、しかし華琳はそんな少年の思考を見透かしたように言葉を続ける。



 「何を考えているか丸わかりだけど、違うわよ。孫策からの希望で、あなたに是非会いたいそうよ」



 勿論非公式の申し出だけれどもね。

 投げやりに、それでいてどこか不満気にそう説明する華琳に一刀は首を捻る。

 正直一国の王に面会を求められる理由がわからなかったのだ。

 いや、目の前にいるのも王なのだから特別不思議なことではないのかもしれないが。



 「魏を発展させている天の国の知識を是非呉にも伝えてもらいたい。それが向こうの言い分ね」

 「いや、それ普通に俺のこと買いかぶりすぎっていうか誤解なんじゃ……」

 「まあ、一概に全部間違いというわけではないわね。実際に一刀の知識を基にした政策や制度はあるのだし」



 華琳の言葉に一刀は成程と頷く。

 確かに彼女の言うとおり、魏国の発展の一因に自分の知識があることは否定できない。

 が、一刀からすればそれはあくまで自分の知識を垂れ流しただけで、実際にそれを上手く具現化したのは華琳や三軍師である。

 自分の発想ではなく、元からあった知識を披露しただけなのだから自慢できるようなことではないのだ。

 勿論、自身の発想による献策も何度か出したことはあるが、そのほとんどは自分の世界から引用したものばかり。

 とはいえ、本人がそう思っているだけで、華琳らは知識は使ってこそ意味があると一刀のことをそれなりに評価しているのだが。



 「とにかく、孫策自らが希望している以上、こちらとしては断ることは難しいわね」

 「んー、別に俺はかまわないけど?」



 一刀としては左遷でない以上は特に断る理由はない。

 自分の力を求められているというのは悪い気はしないし、平和な呉を見物するのも一興だ。

 だが、楽観的にこの件を考える少年とは違い、魏王の少女は不愉快そうな表情を崩さない。

 はて、自分は何かまずいことを言ってしまっただろうか?

 心当たりがない一刀は目の前の愛しい女の子の不機嫌の理由を必死に考え―――しかし答えが浮かばない。



 「なあ、華琳は何が気に入らないんだ? 別に問題はないと思うけど?」

 「大アリよ! 別にあなたの知識が呉にも伝わることには問題はないわ。けどね、相手は孫策、呉の王なのよ?」

 「……俺が無礼なことをするとか恥を晒すんじゃないかとか思ってるのか? 確かにそれは自信がないけど」

 「ああ、それもあったわね」



 言われてみれば、とばかりにポンと手を叩く少女に一刀は軽く落ち込みながらも再び思案する。

 これが違うとなると、ますます華琳が気が乗らない理由がわからない。

 せめてヒントをばかりに少女の顔をジッと見つめてみる。

 心も身体も深く繋がった大事な女の子なのだ、他の誰もがわからないようなサインでも察する自信が少年にはあった。

 美麗な表情に浮かぶのは不機嫌、そして僅かな不安。



 「もしかして……」

 「何? 言いなさい」

 「俺と離れるのが嫌だったとか?」



 呉となると一日二日で行って帰ってこれる距離ではない。

 孫策の申し出が非公式なものである以上、華琳がついてくるのは難しいだろう。

 そうなると、自分と彼女はしばらくの間顔を合わせることが出来なくなるわけで。

 それを寂しがってくれているのだろうか。

 いや、いくらなんでも少し自惚れが過ぎるかな。

 そう思いながらも吐き出した言葉は、次の瞬間二人きりの玉座の間の時間を止めた。



 「―――ッ!?」

 「えっ」



 刹那、華琳の見せた反応に一刀は目を丸く見開いて驚いてしまう。

 なんと彼女はボッと頬を朱に染めると、ぷいっと顔を背けたのだ。

 それはまるで、一刀の言葉を肯定しているかのようで。



 「華琳……」

 「ち、違うわよ! そんなことあるわけないじゃない。か、勘違いしないでよね!」



 恐ろしくテンプレなツンデレ台詞を吐きながら視線をあわせようとしない少女の姿は、可愛いとしか形容できなかった。

 と同時に、一刀の心に目の前の存在が愛しいという感情がわきあがってくる。



 「うう、何よその顔は……本当に、違うんだから。それは、少しは思わないでもないけど……」

 「……よかった。最初に呉に行けって言われた時は華琳に見捨てられたかと思ったし」

 「そんなわけ!」



 一刀の言葉にハッとなったように叫んだ華琳の声が響き。



 「そんなわけ……ないじゃない、ばか。あなたこそ、私と離れて平気なの?」

 「いや、永久の別れってわけじゃ」



 言いかけて、少女の不安気な瞳を目にした一刀の言葉が止まる。

 実際に永久の別れを告げたことのある自分が言っていい台詞ではないと思ったのだ。

 今こうしてこの世界に存在していても、戻ってこれた原因がわからない以上またいつ消える羽目になるかわからない。

 感覚的には大丈夫と根拠のない安心があるが、どちらかというと理論派の華琳には自分の勘など何の保証にもならないのだから。



 「悪い……俺だって平気ってわけじゃないさ。でも、約束する。絶対帰ってくるから」

 「一度自分の言を破った男の言って良い台詞ではないわね」

 「手厳しいな。でも、それは信じてくれとしか言えないからなぁ……」



 ポリポリと頭をかいて苦笑する一刀。

 そんな彼のもとに、華琳は玉座から立ち上がって近づいていく。



 「あなたのことだから呉の女の子たちも毒牙にかけるのでしょうね」

 「いや、そんなつもりは全くないから」

 「別に今更目くじらを立てるつもりはないけれど……いいこと? あなたは私のものなんだから、どんな時もそれだけは自覚しておくように」

 「無視かよ……まあ、わかってるよ」



 女性関係においてまったく信用されていない(当たり前だではあるが)ことに軽く落ち込みながらも一刀は深く頷いた。

 そう、この身は曹魏の王、曹孟徳のものなのだ。

 それは天地が裂けようとも、世界が移ろうとも不変の事実。



 「華琳」

 「ちょっと、何するのよ……」

 「そんな無防備に近づいてくるほうが悪い」



 近づいてきた愛しい少女を抱きしめる。

 抵抗はない。

 もしも彼女に拒否の意があれば自分などたちまち突き飛ばされるか首をはねられている。

 だが、一刀にはそうならないという確信―――それくらいには彼女のことを理解しているという自負があったのだ。



 「俺はなんといっても魏の種馬だからな。可愛い華琳を見てたら我慢できなくなったんだ」

 「まったく、ここがどこだがわかっているの?」

 「それをお前が言うか?」



 初めてキスを交わした場所で、二人は笑いあう。

 やがて、顔を向かい合わせた少年と少女は自然に引き寄せられるようにお互いの唇を―――

 バタン! ゴスッ!



 「華琳さまぁっ! 先日の案件ですが……って何をしてるの、北郷一刀」



 勢いよく扉を開いて入室してきた桂花の目に映ったのは顔から床に突っ込んでいる一刀の姿だった。

 華琳はというと、俯いて表情が見えない状態だが、下から覗き込めば真っ赤になった顔が見えることだろう。

 端的に説明すると、第三者が現れたことに反応した華琳が一刀を横にブン投げた結果である。



 「まああんたが変なのはいつものことよね。それよりも華琳さま……あれ? どうして震えていらっしゃるのですか?」

 「知りたい? 知りたいかしら桂花?」

 「は、はい……ひっ!? か、華琳さま、どうして私の身体を縄で縛るのですか!?」



 顔を伏せたまま黙々と自分の身体を縛っていく華琳に恐怖と恍惚を得る猫耳フード軍師。

 彼女は気づいていなかった。

 自分が今、とんでもない邪魔を―――彼女視点で言うと、素晴らしい仕事をしたということを。



 「ああっ! 華琳さま、そんな縛り方をされたらっ! いけないっ、でも感じちゃう!」

 「フ、フフ……この縛り方は亀甲縛りというのだそうよ。初めて試したのだけれど、なかなかいいわねこれ」



 しかしいいところを邪魔された乙女としては、桂花の所業は許せるものではなかったらしい。

 結果、玉座の間からはこの後しばらくの間悲鳴が途切れなくなるわけで。

 しかし愛する主から直々にお仕置きされる幸せに、魏の筆頭軍師はむしろ悦びに打ち震えたという。















 ちなみに、少女の唇ではなく床とキスする羽目になった一刀が目を覚ますのはお仕置きが終わった後だった。
















あとがき

短編連作といいながら連載化決定していきなり長編シリーズとかどんだけー。
まあ次がこの続きとは限らないんですけどね!
ちなみに華琳さまに亀甲縛りを知ってる理由は謎です、多分袁紹から流れ流れて伝わったんでしょう。