「ちょっ……待ってよ人和ちゃ〜ん……」

 「れんほー早すぎっ! ふぅ、ふぅ……」



 華琳を始めとした魏の上層部が歓喜した日の翌日。

 魏の首都である洛陽にそびえ立つ王城の廊下を駆ける三つの影があった。

 先頭をひた走る眼鏡少女、張梁こと人和。

 息を切らしながら二番手を走る張宝こと地和。

 大きく育った胸をたゆんたゆん揺らしながら何とか二人についていく張角こと天和。

 三人揃って『数え役萬☆姉妹』と呼ばれている大陸屈指のアイドルたちは地方巡業を終えた後、すぐに本拠である魏へと戻ってきていた。

 その理由はたった一つ。

 自分たちのマネージャーにして最愛の男性である北郷一刀。

 彼が帰ってきたとの報を受けたからだ。



 「姉さんたちが遅すぎるのよ。まあそれならそれでいいけど、私が最初に一刀さんと再会できるから」

 「ず、ずるい〜! ちーちゃんだって一刀に一番に会いたいのに!」

 「わたしだってそうだよー! もう、負けないんだからー!」



 振り返って余裕の笑みを見せる末妹に姉二人は奮起してスピードを上げる。

 やがて、目的地である一刀の部屋に辿り着いた三姉妹は揃って足を止め、大きく息を吸い込んだ。



 「あ、開けるよ?」



 天和がやや緊張したように言葉を発し、地和と人和がコクリと頷く。

 この扉の向こう側に一刀がいる。

 そう思うだけで普段数千、数万の観客を相手にしているはずの三姉妹は落ち着きをなくしてしまう。

 しかしそれよりも強く、少年に会いたいという欲求が少女たちの身体を動かしていた。



 ガチャ。















 帰ってきた魏の種馬(その翌日)















 「一刀〜、ひさしぶ……り?」

 「うひゃあ!」

 「……何、この惨状は」



 室内に足を踏み入れた瞬間、足の裏に感じた違和感に視線を向ける三姉妹。

 はたしてそこには、血の池と称するに相応しい惨劇が広がっていた。

 その中央で倒れ伏しているのは魏の三軍師の一人、郭嘉こと稟。



 「な、ななな何っ? この有様は!?」

 「いつもの発作じゃないの? それよりも一刀さんは……」

 「あ! あそこにいる……よ?」



 床に広がる異様な光景を無視して三姉妹は部屋の主を探す。

 ほどなくして捜し求めていた少年は見つかった。

 まあ、それほど広い部屋ではないのだから当たり前なのだが。



 「よう、久しぶり」



 しゅた、と右手を挙げて再会の挨拶をする一刀に三姉妹は声を出すことが出来なかった。

 感動に震えて声が出せない、というわけではなない。

 あまりにも予想外すぎる光景が目の前で展開されていたがゆえに彼女たちは絶句してしまったのだ。



 「や、どもども」



 一刀に遅れること数秒、彼の斜め後ろに控えていた風がフランクに挨拶する。

 勿論三姉妹が絶句した理由は彼女にはない。

 彼女はただ、いつものように何を考えているのかわからない風体で立っているだけなのだから。

 問題は一刀の横にいる二人と一刀自身だった。

 やたら豪華な椅子に座っている華琳が一本の縄を持っていた。

 その縄は横へと伸びていて、その途中を床に座り込んだ桂花がガジガジと齧っている。

 更に縄は横に伸び、その終点は一刀の首だった。

 端的に説明すると、一刀は首輪をつけられていて、その手綱を華琳が持っているという状況が三姉妹の目には映っていたのである。



 「……成程」



 驚き絶句する二人の姉を横目で見つつ、聡明な人和はこの状況の原因を即座に理解していた。

 華琳が一刀を首輪で繋ぎ、それを見てよからぬ妄想をした稟がいつものように鼻血を噴出。

 風はそれを面白がって傍観、桂花は自分以外が華琳に犬扱いになることが許せずに縄を齧り切ろうとしている。

 まあ、そんなところなのだろうと人和は溜息をつこうとし。



 「ずっるーい!」

 「そうだそうだー! 一刀の独り占めはよくないっ!」



 姉たちの奇天烈発言にカクッと膝を落としてしまう。

 いや、流石にそれはないだろう。

 まずは何故こんなことになっているのか聞くべきではないのか?

 まあ姉たちの気持ちがわからないわけではないが。

 そんな呆れ半分羨望半分の心情で人和は華琳に問いの視線を向けた。

 先程から一言も喋らない魏の王は、その視線を待っていたかのように頷いて答えると、ゆっくりと口を開く。



 「この北郷一刀は私に断りもなく勝手に姿を消したのは知っているわね?」



 いや、断ったじゃん。

 そういいたげな一刀を鋭い視線で牽制し、華琳は足を組み替えながら更に言葉を続ける。



 「まあ、こうやって帰ってきたわけだけど。目を離すとまたいつ勝手に消えるかわからないわ」

 「だから文字通り首に縄をつけている、と?」

 「その通りよ。私の可愛い部下たちを心配させ、あまつさえ泣かせた罪は重いわ。二度とあんなことがないようにするのは当然のことでしょう?」



 ふふん、とふんぞり返る華琳だが、さりげなく自分をカウント外しているあたりがなんともこの少女らしいと言えよう。

 他人事のように言ってはいるが、消えた一刀を一番心配し、泣いたのは彼女なのだから。

 勿論、それを事実として知るのは金髪の少女自身のみであり、誰も言及することはできないのだが。



 「だからといって私以外にこんなこと……華琳さまぁ〜、ガジガジ」



 一刀が消えたことを知った際、唯一悲しみを見せなかった少女は滝のような涙を流しながら主と憎き男を結ぶ縄を齧り続けていた。

 その行為を誰も咎めないのは無駄だとわかっているからか、それとも放置プレイなだけなのか。

 わざわざ藪を突付いて蛇を出すのも面倒、とその場の全員が桂花に注意を向けることはなかった。



 「ま、まあ現状はともかく……一刀さん」

 「おかえりっ! 会いたかったよ〜!」

 「おかえり〜! 元気してた?」

 「……おかえりなさい。私も、会いたかったです」



 姉二人に台詞を取られる形になった人和が頬をヒクつかせるが、天和も地和も意に介することはなかった。

 そんな相変わらずの三姉妹に一刀は思わず顔をほころばせる。



 「ただいま、皆。元気そうで何よりだ」

 「そうでもないよー? 姉さんは歌詞を間違えることが多かったし、れんほーも書類仕事が滞ってたし」

 「そういうちぃ姉さんも動きが鈍かったじゃない」

 「そ! そんにゃことない!」

 「ちぃ姉さん、噛んでる」

 「もう、二人ともそんなことはいいじゃない。こうして一刀が帰ってきてくれたんだから〜♪」



 くねくねと身体をくねらせながら仲裁する長女に次女と三女の動きがピタリと止まる。



 「確かにそうね。じゃあ早速今の世話役をクビにして一刀に戻さないと!」

 「大丈夫、手続きは既に済んでるから」

 「さっすがれんほーちゃん!」

 「おいおい」



 自分がいない間、彼女たちの世話をしていたであろう人物のクビ宣言に冷や汗を漏らす一刀。

 だが、後日彼は「よく帰ってきてくれました!」と現世話役の女性に感涙されることになる。

 彼女は、既に限界だったのである。

 数え役萬☆姉妹のマネージャーという地位は誰もが望み羨む場所だが、生半可な人物では務まらない。

 何せ大陸全土に轟く人気アイドルの補佐である。

 ある程度は人和が業務を肩代わりしてはくれるものの、曹操を筆頭とした魏の上層部との仲介役。

 そして遠慮という言葉を知らない我侭娘である天和と地和のお願いを聞き続けるというとてつもない忍耐を要する業務をこなさなければならない。

 そんな拷問とも言える激務を平然とこなせるのは、三国を見回しても一刀くらいしか存在しないのだ。



 「大陸も平和になったしぃ〜、これからは一刀も私たちにもっともっと時間が割けるよね!」

 「いや、俺には警備隊長の役割もあるんだが……」

 「それでも、戦争がない分余裕は増えたはず」

 「人和まで……」



 ニコニコと期待の微笑を向けてくる三姉妹に一刀は苦笑を漏らす。

 だが、悪い気はしなかった。

 まがりなりにも大陸一のアイドル三人に必要とされているなど男冥利に尽きるというもの。

 ましてや、三人とは既に深い仲になった関係だ。



 「……むっ」



 しかし、この時一刀は忘れていた。

 ここにいるのは自分たちだけではないということを。

 見かけに反し、意外に嫉妬深い少女がすぐ側にいるということを。



 「何をニヤニヤと鼻の下を伸ばしているのかし……らっ!」

 「ぐげ!?」



 こめかみに青筋を浮かべた華琳が唐突に手に持っていた縄を引っ張った。

 当然先に繋がっている一刀の首輪も引っ張られ、首が絞まっていく。



 「おぉ、お兄さんの顔が青く染まっていくー」

 「フフッ、いい気味だわ」

 「ふん、デレデレしちゃって……」



 感心したような風とニヤリと笑う桂花。

 そして不機嫌そうな表情で呟く華琳の言葉は一刀には聞こえてはいなかった。

 というかぶっちゃけそれどころではなかった。

 絞まっていく首をどうにか楽にしようと一刀は首輪を掴み、抵抗する。



 「うぐぐ……ッぐ!?」

 『あっ』



 ぷつん。

 苦し紛れに一刀が前方に体重をかけた瞬間、縄が切れた。

 それは先程まで桂花が齧っていた箇所だ。

 散々齧られて強度がもろくなっていたのか、縄はあっけなく二つに別たれてしまう。



 「ごほっ……おっ、お……うお!?」



 ずるり。

 縄が切れた反動で体勢を崩した少年の足が稟の鼻から流れ出ている血の池を踏み、滑った。

 結果、当然のごとく前のめりに倒れていく一刀。



 「きゃあんっ♪」



 ふにゅっ!

 が、彼の身体が床に倒れこむことはなかった。

 進行方向にいた天和が一刀の頭を胸で抱え込む形で受け止めたのだ。

 魏の女性陣の中でも屈指の巨乳は、完璧無比なクッションとなって少年の頭を優しく保護する。















 『―――なっ!!』















 ピキッ!

 その瞬間、何かがひび割れるような音が室内に響く。

 それは天和を除いた少女たちから上がったものだった。

 その視線の先は天和の巨乳と、その谷間にはさまれている一刀の顔である。

 何せこの場にいる少女たちは皆(天和に比べれば圧倒的に)胸が小さい部類だ。

 唯一の例外として風だけは表面上何の変化も見せてはいなかったのだが、残りの面々はその光景に憤怒を露わにしていた。

 そして一刀に恋愛的な好意を抱いていないはずの桂花ですら、それは同じだった。

 少女たちにとって巨乳は敵でしかない。

 ついでにいえば、その巨乳に挟まれてデレデレしている(ように見える)一刀もまた敵でしかなかった。



 「や〜ん、一刀ったらこんなところで大胆なんだから♪」



 嬉しそうな、勝ち誇ったかのような天和の声がまた乙女たちの怒りを助長する。

 頭越しにその怒気を感じている一刀は気が気ではなかった。



 「一刀……」



 威圧感たっぷりの華琳の声が一刀の耳朶を打つ。

 振り返ったら死ぬ。

 少年は己の本能の命じるがままに身体を硬直させた。

 決して胸の谷間が気持ちよかったからこのままでいたいと思ったわけではない、多分。



 「所詮お兄さんもただの巨乳愛好家でしたか」

 (いや、そういうわけじゃないから!)



 俺は小さい胸も愛せる!

 そう心の中で叫びながら(口に出したら殺されそうなので言わない)余計な風のツッコミに苦悶する一刀。

 どうやら表面上平然としているだけで、彼女も怒っていた様子。



 (なんだ、風も可愛いところがあるじゃないか)



 焦りながらも頭の片隅でそんなことを考えるこの少年、何気に余裕があるのかもしれない。

 しかしそんなコントの間に、怒れる覇王はすぐ背後へと迫っていた。

 がしっ。

 大陸の覇を掴み取った手が、巨乳に埋もれる一刀の頭をガッシリと掴む。



 「一刀っ!」

 「ちょっ、せめてもう少しこの極楽をたんの―――わぷっ!?」



 ぽふんっ。

 万力のような力で掴まれていた頭が身体ごと反転させられ、後方に引っ張られる。

 自然、一刀の頭は少女の手に引き寄せられ。

 次の瞬間には、引き寄せた張本人―――華琳の胸に押し付けられた。



 「あーっ!?」



 この世の終わりとばかりに叫ぶ桂花の悲痛な声が一刀の耳朶を貫いた。

 他の面々も目を見開いて衝撃の光景にそれぞれの驚愕を見せる。

 被害者たる一刀はというと、やや小さめながらもしっかり感じる柔らかな膨らみに目を白黒させてしまっていた。



 (え、こ、これって、華琳の……ええ!?)



 数瞬の後、状況を把握し一刀は一気に身体中の熱を顔へと収束させる。

 つい先程まで顔を埋もれさせていた天和とは大きさを比べるべくもないが、華琳の胸もまた趣のある感触だった。

 だが、何よりも彼を驚かせたのは彼女の行動である。

 いきなり玉座に座らされたり、キスされたりといった経験はあるが、こうした抱擁を彼女からしてきたことは一度もない。

 勿論嬉しくはあるのだが、何しろ突然のことだったので一刀としても戸惑いが先走ってしまう。



 「……ど、どう?」

 (いや、どうって言われても……)



 自分だけに聞こえるように囁かれた華琳の言葉に一刀は困惑する。

 正直、彼女が何を求めているのかわからないのだ。

 いや、厳密にはわからないというわけではない。

 天和と比べてどうなの、と少女は問いかけてきているのである。

 問題はその問いに対してどう答えるかだ。



 「……さ、最高」



 が、悩む間もなく魏の種馬としての本能が思考よりも先に答えを口走っていた。

 巨乳は勿論最高だが、一刀は別に巨乳派というわけではない。

 ぶっちゃければ胸ならばなんでもいいのだ、無論好意を抱いた女の子の、という枠はあるが。

 そういう意味では愛していると言ったことすらある少女の胸に抱きしめられているという今の状況は最高以外の何ものでもなかった。



 「馬鹿……」



 しかし掛け値なしの本音で放たれた台詞は彼を抱きしめる少女の心の琴線に触れたようだった。

 たしなめるような、それでいて嬉しそうな声音で華琳は両手に力を込める。

 当然、一刀の顔は更に胸に押し付けられるわけで。



 「な、何やってるのよこの万年発情男ー!!」

 「ああ、華琳さまの胸にあんなに押し付けられて……ぶーーーっ!!」

 「わわっ、稟ちゃんの鼻血池が湖に!?」

 「もう死んじゃうんじゃない、この人?」

 「それよりも先に一刀さんを華琳さまから引き離すほうが先だと思う」



 何気に冷静かつ冷徹な人和の言に、桂花を筆頭とした女性陣が一刀を華琳から引き離すべく動き出す。

 しかし華琳もそう簡単には引きはしない。

 想い人である少年の顔を自身の胸に押し付けているという恥じらいに頬を染めながらも、眼光のみで近づこうとする少女たちを射竦める。

 ここに、一人の男と女のプライドを巡る戦いの火蓋が切って落とされた。















 (な、何故こんな展開に? いや、俺は役得だからいいけどさ)



 一方、胸に抱きしめられたままの少年は徐々に場が荒れ始めたのを感じながらも愛しい少女の胸を堪能していた。

 どうせ後でロクな目にあわないのだから、今のうちに良い目にあっておこうという悟りの境地である。

 しかし、彼は忘れていた。

 この場でただ一人、騒ぎに加わらずにタイミングを計っていたほわほわ軍師のことを。



 「やれやれ、昨夜はあれだけギシギシアンアンしていたってのにまだ足りないのかい、おまいさん」

 「な!?」



 刹那、風(の妙なかぶりもの)に唐突な台詞を向けられた一刀と、余波を受けた華琳が硬直した。

 ぶっちゃけ図星だったのである。

 何故それを!? と言いたげに視線を向けた少年少女に風(の妙なかぶりもの)は更に言葉を紡ぐ。



 「つらい別れを経て、感動の再会をした男女。とくればその夜は激しくなるのは自明の理ってもんよ」

 「こらこらホウケイやろう、見てもいないことをさも見たかのように言うのはいけませんよー」

 「でも今朝の兄さんの顔を思い出してもみなって。精を搾り取られてゲッソリしていたじゃねえか」

 「おぉ、確かに。そういえば華琳さまも腰の辺りが充実していたような」



 一人(?)芝居を続けながらも華琳が呆然となった隙を突いて風はサッと一刀を奪い取った。

 勿論その頭の行き先は少女のぺったんな胸元である。



 「大から中。とくれば最後は小というわけで、お兄さんは風が頂きました。これで一件落着です」



 にこーっと微笑みながら一同を見回す風。

 少女たちはその独特な間に呆気にとられたように沈黙し。

 しかし当然ながらこの行動は何も解決しておらず、それどころか火に油を注ぐようなもので。



 (……死んだな、俺)



 一刀はせめてこの三つの幸福を忘れまいと目を閉じ、脳内メモリへと保存を開始するのだった。

 まあ、数秒後にはハードごと叩きのめされる運命なのだが。
















あとがき

そういえば華琳さまのデレと張三姉妹を出してなかったと思い、後日談的な続きを書いてみる。
うん、どう考えても人数多すぎて動かしきれない、最後はかなり強引におとしてるし。
しかし書いてるうちに次々とネタがわいてきて困ってしまう罠。
『プロポーズを考える華琳さま』『一刀の呉蜀訪問』『桂花陥落大作戦』『妊娠騒動』とか全部書いてたら連載になるよ! みたいな。