『奇跡のkey』



第十九話 〜奇跡への三日目、お嬢様と弟(前編)〜
















 ずっと、笑うことが苦痛だった

 笑うたびに、自分を偽っていることを思い知らされるから

 けれど、一番辛かったのはそれが当たり前になっていたことだった



 『あの、手じゃなくて…良かったら佐祐理のお弁当、食べさせてあげて…』

 『……?』



 それが彼女、川澄舞との初めての出会い

 どことなく自分が背負っていた何かを彼女も背負っているように見えた

 今、話しかけないと……この子と友達にならないと絶対後悔する、そう思った



 『恋人です。それも全校公認の』

 『はぇ〜』



 そして幾許かの時が流れ、彼と出会った

 彼は優しくて、舞を受け入れてくれて、そして、やはりどことなく舞や自分と同じものを感じた

 それはきっと『嘘』なのだろう

 自分で自分を騙す、そんな悲しくて意味のないことを三人が三人ずっと続けていたのだ



 だけど、彼は舞を救ってくれた

 自分がどんなに望んでも与えられなかったものを舞に与えてくれた

 だから、それが悲しい結末を招くことになっても、彼への感謝の念は失わなかった



 それに、彼は自分をも救ってくれた

 忘れかけていた笑い方を、本当の笑顔を取り戻させてくれた

 『佐祐理』を『私』に戻す切欠を与えてくれた

 だから佐祐理は―――――私は、彼を救いたい

 ……いや、そこまでおこがましいことは望まない



 せめて私にできる何かで彼が笑ってくれるなら、それほど嬉しいことはないのだから















 「祐一さんが元気でいてくれるなら、いくらでも笑ってそばにいてあげますよ〜っ」















 『では、わたくしはこの辺りで丘に帰らせていただきます』

 「ああ、悪かったな。無理言って」

 『全くです。少しは後先をと言うものを考えて…………失礼、それをしたら祐一さんではありませんね』

 「うおい」

 『まあまあ、お気になさらず。短気は損気ですよ?』

 「……まあ、段々慣れてきたけどな」

 『それは良いことです。あと、繰り返しますけどそれはちゃんと処分してくださいね?』



 勝ち誇ったかのような表情をした朱音の視線が祐一の手元に向けられる。

 だが、そこには何もない。



 「ああ、その辺のゴミ箱にでも捨てるさ。しっかしお前らの力って便利だよなぁ。まさか木刀を見えなくすることができるなんて」



 そう、祐一の手には先程舞から没収した木刀が握られている。

 普通ならこんなものを持って街中を歩いていれば警察に事情聴取されることは間違いない。

 だが、朱音の力によって木刀を人の目には見えないようにしているため、現在祐一はなんら問題なく街中を歩くことができるのである。



 『何を今更。時を越えることができるのに木刀の一つや二つ透明にできないはずないでしょう?』

 「ま、そりゃそう」



 だ、と祐一が言うことはなかった。

 祐一の目が険しくつりあがる。

 つられて朱音がその視線の先を辿ってみると、そこには小学生くらいの子供二人を囲む三人の高校生がいた。



 「朱音、あれどう思う?」

 『まあ、どう好意的に解釈しても道に迷った高校生が小学生に道を聞く図には見えませんね』

 「ふむ、周りに人は……いないな」



 ニヤ、と祐一が口元をつり上げて笑う。

 そしてその視線は見えない木刀に向けられる。

 そんな祐一の様子に、朱音はかなりの嫌な予感に襲われた。


 『まさか……』

 「義を見てせざるは勇なきなり、って言葉知ってるか?」

 『知ってます。ですが…………いえ、やめておきましょう。貴方には忠告と言う言葉は意味をなさないのでしたね』

 「よくわかってるじゃないか」

 『慣れましたから』

 「良いことじゃないか」



 先程の意趣返しとばかりに祐一が朱音へ視線を向ける。

 朱音は主人の大人気なさに『はぁ』と溜息を一つついて、諦めた。



 『……くれぐれも騒ぎにはしないように』

 「わかってるって」



 返事もそこそこに目的地へと走り出す祐一。

 朱音はその後姿を見て、疲れたような顔と共にまた一つ溜息をつくのだった。















 「おいコラ、いてーじゃねえかよガキ!」

 「おいおい、ガキ相手に凄むなよ。泣きそうじゃねえか」

 「そうそう、お前それはかっこ悪すぎだぞ」



 目の前で自分達を囲む高校生くらいの男達を前に、少女は気丈にもキッと前を見つめていた。

 後には弟が震えてすがり付いている。

 なんでこんなことになったのだろうか。

 たまたま送迎の車が走行中に故障したから?

 珍しいデザインのリュックを背負った女の子に弟が興味を示してついていったから?

 それとも、弟が前方不注意で男にぶつかってしまったから?

 いや、どれも違う、自分のせいだ。

 自分がもっとちゃんと弟に目を配っていれば、注意を払っていれば。

 しかし過ぎたことを悔やんでも仕方がない。

 今のこの危機をどう切り抜けるかだ。

 少女は震える膝を懸命に押し隠しつつも弟を守る覚悟を決めていた。



 「で、どうするんだこのガキ達は?」

 「結構いいもん着てるぞ? 金持ちの坊ちゃんとお嬢様じゃねえの?」

 「おお、じゃあ金持ってるんじゃないか? ちょうど今ので服が汚れちまったし、クリーニング代でも貰おうかな〜?」

 「ふ、ふざけないでください! 汚れなんてないじゃないですか!」



 男達の勝手な言い分に少女は勇気を出して抗議する。

 だが、それは逆効果だった。

 笑っていた男達は急に険悪な表情になり、少女を睨みつけてきた。



 「ふーん。お嬢ちゃん、なかなか気が強いねぇ。だけどそれは時と場合によるってお父さんから習わなかったかい?」

 「たかがガキが意気込んでるんじゃねーぞ?」



 男達が一歩範囲網を狭める。

 少女はビクっと震えを走らせるものの、それでもなお背後の弟を守る体勢だけは崩さなかった。



 「健気にも弟を守る姉、か。うーん、美しい姉弟愛だねぇ」

 「いやあ、俺惚れちゃいそうかも?」

 「おいおい、お前ロリコンかよ!」

 「ま、いいや、ちょっとこっちに来てもらおうか?」



 男の手が少女達に伸びる。

 瞬間、少女はぎゅっと目を瞑った。



 ゴガッ



 だが、男の手は少女に届くことはなかった。

 何かの打撃音と共に手を伸ばそうとしていた男が崩れ落ちたのだ。



 「な、なんだ!?」

 「おい、タカ!?」



 男達の焦ったような声に、目を恐る恐る開ける少女。

 そこには、男達と同じ歳くらいの少年が立っていた。



 「てめえがやったのか!?」

 「いや、この状況でそれ以外にどういう答えがあると?」

 「ふ、ふざけてんじゃねえぞ!?」

 「いやいや、いたいけな少年少女を手篭めにしようとしてる変態三人衆よりはふざけてないさ」

 「ぶっ殺す!」



 男の一人が怒りをあらわにして少年に殴りかかる。

 が、少年が右手を振りおろすとまたもや鈍い音と共に男は崩れ去った。


 
 「な、な……ど、どんな手品だ!?」



 最後の一人が驚愕の声をあげる。

 少女も同感だった。

 少年は素手、にもかかわらず殴りかかった男は崩れ落ちた。

 そう、少年の手が触れることなく。



 「手品ってのはな、タネがわからないから手品っていうんだよ」



 その言葉と共に少年の手が振り下ろされる。

 そしてやはり鈍い音と共に最後の一人が崩れ落ちた。















 (……思ったよりも簡単に済んだな。まあ、反則使ってるんだから当たり前なんだが)



 少年―――――祐一は地面に倒れ伏した三人を見ながら心中でほっと息を吐いた。

 手品のタネは右手に握られた『見えない木刀』。

 素手と木刀ではリーチが違う上に、得物が見えないのだ。

 一斉にかかられれば危ないかもしれないが、一対一ならばまず負けない。



 「さて、と。おい、こいつらもいつ目を覚ますとも限らんし、とりあえずはこっから移動―――――」



 と、祐一の目が丸くなった。

 先程まで気丈な姿を見せていた少女はぺたんと地面に座り込んでいたのだ。

 顔は真っ青、体はぷるぷると震えている。



 「あー、大丈夫か?」

 「あ、は、はい」

 「立てるか?」

 「……ごめんなさい、立てません」

 「ま、緊張の糸が切れたんだろ。けどいつまでもここにいるわけにもいかないし……」



 そこで祐一は少女の後ろにいた少年に目を移した。

 服装次第では女の子に見間違えられそうな可愛らしさの少年は、そんな少女を心配そうに見つめている。



 「……仕方ないか。そこの少年、お前は立てるか?」



 こく、と少年は頷く。

 若干祐一のことを警戒しているような目だった。



 「あー、警戒するのはわかるが、とりあえず今は急ぐからついて来い、な?」



 少年は数秒思案すると、コクリと頭を縦に振った。

 祐一はそんな少年の頭を「さんきゅ」と言いつつ撫で、未だに座り込んだままの少女に近付き―――――抱きかかえた。



 「きゃあっ!?」

 「こらこら、大きい声をだすな。俺が変質者みたいじゃないか」

 「お、降ろしてくださいっ」

 「そーいう台詞はちゃんと立てるようになってから言え」



 祐一にお姫様だっこの状態で抱えられた少女は顔を真っ赤にして抗議するが、祐一はどこ吹く風だった。

 少女はひとしきり祐一の腕の中で暴れると、諦めたのか大人しくなる。



 「あの……」

 「ん?」

 「あ、ありがとうございました。助けていただいて」

 「ああ、気にするな。たまたま目に付いただけだ。まあ、ああいう奴らはどこにでもいるから気をつけろよ?」

 「はい……」



 しおらしく腕の中で縮こまる少女。

 気丈に振舞っていたが、やはり怖かったのだろう。

 両手はぎゅっと祐一の服を握り締めていた。



 「…………」



 だから祐一は気がつけなかった。

 自分を下から見つめる瞳があったことを。

 その瞳がヒーローを見るかのようにキラキラと輝いていたことを……















 『……はぁ、案の定と言いますか。どうしてこう祐一さんはトラブルの女神に好かれているのでしょうか……』



 そんな三人を朱音は上空から見つめていた。

 もはや溜息は幸せが逃げ尽くすほど吐いている。



 『まあ、それが祐一さんの美点でもありますし……』



 再び溜息をつきながら朱音は指をふった。

 すると、『男の一人の手に握られている木刀』が姿を現す。

 なんと祐一は男の一人にこっそり木刀を握らせて去っていったのである。

 最も問題のない処理方法ではあるが、なかなかに外道だった。



 『これでよし、と。さて、それでは―――――』

 『丘に戻るの?』

 『―――――っ!?』



 瞬間、朱音は背後から聞こえてきた声に戦慄した。

 それは背中に氷を入れられたかのような寒気。

 朱音にはわかった、後ろにいる存在はとてつもなく危険だと。



 『誰、ですか……?』

 『さてね? 振り向けばわかるんじゃないのかな?』



 楽しそうな声。

 だが、そこには何の感情も含まれていなかった。

 想精である朱音にはわかる。

 否、わかってしまった。

 後ろにいる存在が何者なのかということが。



 『何故、現れたのです……』

 『おや、心外だね? 僕が現れるのは当たり前じゃないか? それを一番よくわかっているのは君達想精だろ?』



 くすくす、と笑い声が空に響く。

 朱音は一瞬後に向かってありったけの力を放とうと考え、やめた。

 それは意味のないことであるし、何よりもそれが通じないことがわかっていたから。



 『ま、今日のところは顔見せだよ。僕の出番は最後だしね?』

 『……貴方に出番など、ありません』



 震えだしそうな体を押さえ込み、朱音は強い意志で言葉を放った。

 だが、背後の声はそれをも楽しむかのように笑い続ける。

 耳障りだ、朱音は本気でそう思った。















 だが、朱音は背後を振り返り―――――そして言葉を失った。




 あとがき

 佐祐理編突入、そして謎の存在が登場。
 十一ヶ月ぶりの更新だったので非情に申し訳ないです……
 え? 佐祐理編なのに佐祐理が出てきてない?
 いや、出てきてますよ、ちゃんと(w
 次回は佐祐理編の続きです、改訂の方も進めないと……