『奇跡のkey』
第十話 〜奇跡への一日目、子狐と後輩(後編)〜
カチン、とコンロを止め、美汐は「はあっ」と溜息をついた。
ちなみにこの美汐は成長した方―――――つまり『天野』の方の美汐である。
彼女は主のいない水瀬家リビングで一人、どこか寂しそうに祐一の帰りを待っていた。
『晩飯までには帰るから!』
その祐一の言葉を信じて。
だが、夕食はすでに完成しているにもかかわらず祐一は帰ってこない。
「相沢さん、一体何をしていらっしゃるのでしょうか…………女性を待たせるなど人として不出来です」
口では強気な態度を崩さない美汐だったが、内心は不安に満ちていた。
いつまでたっても帰宅してこない祐一。
その状況がかつての親友二人と重なってしまったからである。
祐一が自分の前からいなくなってしまうということはありえないとわかってはいる。
しかし、自分のかつての悲しい体験故に心配が収まらないのである。
「…………ここでじっと待っていても仕方がありませんし、少し外を見てくるとしましょう」
そう決意する美汐。
だが問題があった、どこに祐一がいるのかわからないのだ。
別れる前の様子を思い出しても祐一の行き先は想像もつかない。
途方にくれる美汐、しかし―――――
『…………ものみの丘だよ…………』
「えっ?」
唐突に、どこからともなく声が聞こえる。
『…………あなたの大切な人はものみの丘にいるよ…………』
「こ、この声は一体…………」
『あなたも丘に向かって…………想いが満ちて…………あなたに届けられる時が近づいているから…………』
「何を言っているの? 貴方は一体誰なのですか?」
『ものみの丘に行けばわかるよ…………ぼくが誰なのかも…………今、何が起こっているのかも…………』
「え?」
『…………それじゃあね。では、想いが届けられし時に…………また』
そして、声が聞こえなくなる。
美汐には何が起こったのかは理解できなかった。
彼女に理解できたことは一つ、
『ものみの丘に行かなければ行けない』
ただ、それだけであった。
『…………頑張ってね…………ぼくの宿主さん』
…………ぐ〜っ
「…………」
「…………」
可愛らしい音が少女のお腹から発せられる。
少女―――――美汐は顔を真っ赤にして俯く。
よほど恥ずかしかったのか耳まで真っ赤である。
「ぷっ…………あはははははははっ」
「笑わないで下さいっ」
笑い出す祐一に更に顔を赤くして文句を言う美汐。
周囲は暗くなり、普通なら夕食を食べているはずの時間なので美汐のお腹の反応も当然の反応といえる。
…………が、美汐も幼いとはいえ女の子。人前でお腹が鳴れば恥ずかしい。
そのあたりをわきまえない祐一はかなりデリカシーがないと言えよう。
まあ、彼は普段とのギャップ故に笑ってしまったのだが。
「…………もう、恥ずかしくてお嫁に行けません…………」
「まあまあ…………その時は俺でよかったらもらってやるから気にするなって」
「!!!!!!!」
祐一の問題発言に美汐は動きをピシリ、と止めて固まる。
顔はこれ以上赤くなると発火するのではないかというくらい赤く染まっている。
「な、な、なな、ななななななな…………」
「美汐なら将来絶対に美人になるだろうし、俺としては予約を入れておきたいんだけどなー」
更に問題発言を続ける祐一。
ちなみに彼の発言は本気と冗談が半々といったところ。
実際のところ祐一は七年後、美汐が美人になることを知っているし、彼女に好意も抱いている。
だが、彼は香里と佐祐理のことも想っているし、名雪たちのことが心のしこりとなっているため七年後の世界では
そのようなそぶりは全く見せない。
つまり、その押さえ込んでいた想いが反動となってこの過去の美汐に発動してしまったというわけである。
「か、か、からかわないで下さい」
「からかってなんかないんだけどな」
「だ、だいたい私を口説くなんて祐さんはロリコンなんですか!?」
「さあ? 自分ではノーマルだと思うんだけど。それに口説いてるわけじゃないよ、正直に喋ってるだけだし」
「〜〜〜〜っ、も、もうこの話は終わりにします!」
これ以上このことに関して祐一に喋らせては自分がどうにかなってしまうと感じ、美汐は強引に話を打ち切る。
だが…………
くぅぅ〜
「…………ぁぅ」
お腹が膨れたわけではないので再び美汐のお腹の音が鳴ってしまう。
「あははっ、どうやら本当にお腹が空いてるらしいな…………よし、俺がいいものをやろう」
「いいもの、ですか?」
「ああ、でもその前に…………真琴、こっちに来ていいぞ!」
祐一はそういうと、二人から離れた茂みで二人の様子をうかがっていた真琴を手招きも加えて呼ぶ。
すると真琴は一目散にやって来て祐一の腕の中に収まる。
「祐さん…………その子は一体…………?」
「こいつは真琴っていってな…………この後、とある少年を困らせることになるイタズラ好きな女の子だよ」
祐一の言葉にハッ、と息を呑む美汐。
どうやら真琴が自分の親友と同じ存在であることをわかったらしい。
「ほれ、美汐。鯛焼きだ」
「あ、有難うございます…………でも、二つはちょっと食べられません」
「一つはここにいる真琴の分だ。美汐の手で、こいつに鯛焼きを食わせてくれないか?」
「…………」
「駄目か?」
さすがに酷過ぎたか…………と、祐一は後悔して美汐に謝ろうと近づく。
しかし…………
「…………はい、どうぞ」
美汐は微笑んで鯛焼きを祐一の腕の中の真琴に差し出す。
「…………(かぷっ)」
差し出された鯛焼きを嬉しそうに頬張る真琴。
「…………いいのか? 頼んどいていうのも何なんだが」
「はい、いいんです」
そう言って清々しい笑みを浮かべる美汐。
その慈愛に溢れた瞳は祐一が一度だけ見たことのあるものだった。
そう―――――未来において真琴を抱きしめたときに彼女本人が浮かべた瞳に。
鯛焼きを食べ終わった後、自分の役目は終わったとばかりに真琴は茂みへと去っていった。
祐一はそれを見ながら、ポツリと呟く。
「…………ありがとな」
「いえ、お礼を言うのはこちらの方です。祐さん、有難うございました。
私、信じます…………またいつかあの子に会えるって、
笑ってあの子に『お帰り』って言えるって…………信じます」
「…………そうか」
夜空の星が瞬く景色の下で穏やかに微笑む祐一と美汐。
第三者が今の二人を見れば仲のよい兄妹ににでも見えただろう。
けれども実際は出会って間もない二人。
ほんの少しの間だけ、心を見せ合った二人。
それでも―――――
「私、祐さんに今日ここで出会えてよかったです。
祐さんに出会わなかったら、私きっとこれから先も人と関わることを嫌ったと思います。
全てを、あきらめていたと思います。
だから―――――」
「ストップ」
「え?」
「礼ならさっきも聞いたし別にいい」
「でも…………」
「さっきも言ったろ? かわいそう、とかいう同情でしたことじゃないんだ。
美汐に一人でいることを選んで欲しくないから、美汐にあきらめて欲しくないから、
美汐に笑顔でいてほしいから、だからしたことなんだ。
要は自己満足なんだよ、俺のな。だから礼なんて言う必要はないんだ」
「祐さん…………」
「俺たち、今日会ったばかりだけど…………俺も、今日ここで美汐に出会えてよかったと思ってるから、
美汐のこと、好きだって言えるから」
「…………ありがとうございます」
祐一の言葉を聞いて、頬を染めつつも小声で礼を言う美汐。
けれど、彼女はその上気した顔を隠すこともなく、まっすぐと祐一の瞳を見つめて
「…………そうですね、私も祐一さんのこと、好きですよ。
だから、お礼は言わないことにします。
代わりに、貴方に次に会うときは…………笑顔でいたいと思います」
そう、はにかんだ笑顔で言ったのだった。
「ああ、次に会うときを楽しみにしてるよ」
「はい。では私はそろそろ家に帰ることにします。祐さんはどうするんですか?」
「そうだな、今日のところは俺も帰るとするよ…………でないと美汐に怒られそうだしな」
「は? 私が、怒るのですか?」
「い、いや、何でもない。それよりも気をつけて帰れよ」
「子供じゃないんですから言われなくてもわかっています」
「そうだな、美汐は物腰が上品な女の子だもんな…………」
「…………何なんですか、それは?」
「褒めているんだ、気にするな」
「はあ…………?」
「ほらほら、そんなことより早く帰らないともうあたりが真っ暗になるぞ」
「あ…………そうですね。それでは祐一さん、また会いましょう」
そう言ってペコリ、と頭を下げて美汐は去っていった。
後に残された祐一は去っていく美汐の姿を嬉しそうに見つめながら一人呟いたのだった。
「ああ、すぐに会うことになるだろうけど、『また』会おうな―――――美汐」
あとがき
美汐過去編終了。
ちらっと想精の二人目も顔を出しております。
そして祐一が幼女キラーに(笑
元の世界ではいえないことでも見た目が幼いから言いたい放題です。
次回は下の世界へ帰還。